ラグナロクと共に、落とせ! スキュラの『結界要塞』

    作者:階アトリ

    ●暗い夜明け
     千葉県南部、安房地方。
     その片隅にある町で、異変が起ころうとしていた。
     町のほぼ中央に位置する公立中学校の屋上に、人影が三つ。
     早朝、彼らはまだ眠っている静かな町を眺め下ろしている。
     田舎町で校舎は高い部類に入る建物であり、町の全体を見渡すことができた。取り立てて特別なところのない田舎の街並みと、西に海、東に山。
     白んだ空の下に広がる何の変哲もない光景。しかし昨日までとは決定的に違う点があった。
     隣町との境界に、奇妙な壁がある。半透明のそれは、禍々しい黒色をしていて、上空まで続き、ドーム状に町全体を覆っているのだった。
     見る者が見れば、それが物理的なものではなく、サイキックエナジーでできた網のようなものだとわかるだろう。
    「ご命令の通り、例外を除いては蟻の子一匹、出入りはできませぬ。我が結界、如何でございますかスキュラ様?」
     書物を手にした馬頭の男が、中央に立つ少女に慇懃に問うた。
    「上出来だ、オロバス」
     少女は満足げに目を細めて、馬頭の男の鼻面に右手の指を絡め、するりと撫でる。
    「これから如何なさるおつもりですか? 伏姫様」
     和服姿の女が、恭しく問う。
    「この町を要塞にする」
     にぃ、と少女は唇を吊り上げた。姿形はまだ幼ささえ残る少女であると言うのに、その笑みは妖艶だった。
    「今までは力が足りず、祭にかこつけて人を集めては素質のありそうな者を拾い出して、堕落の儀式を行っていたが、最早そのようなせせこましいことなどしなくても良い」
     少女は美しい夢物語でも歌うように、語り始めた。
    「まずは私の歌で、結界の中を満たす。オロバスが密に編み上げたこの結界なら、私の声を反響させ、漏らさず篭もらせることができるだろう。町中の者が私の声を聞く。『欲望を解放せよ』と囁く歌を」
    「なんと素晴らしい……」
     女が恍惚と吐息する。その喉許を左手で撫で、少女は続ける。
    「歌えば歌うほど、結界内の私の歌は濃度を増し、やがてはこの町の全てが私の手の内に落ちる。全ての人間が我が僕となり、素質のある者は闇に堕ちて我が配下となってくれるだろう」
     語りながら、少女の目はどこか遠くを見ていた。まるで、ここにいない誰かのことを考えているように。
    「そうなれば、一度はスキュラ様の誘いに抗し得た者でも、ひとたまりもないでしょうな」
     訳知り顔のオロバスに、少女は頷いた。
    「その通りだ。ましてやあの娘は、一度は私――来栖・綺亜羅(くるす・きあら)と友誼を結んだ。深く。決別したとはいえ、絆はまだ完全には切れておらぬ。『親友』の裏切りは、激しい愛憎を産み、あの娘の魂を闇へと傾けてくれることだろう」
     少女は、白々と夜の明け始めた町を改めて見渡す。
    「準備ができたら、あとはこの町に呼び出しさえすれば良いのだ。そうすれば必ず、あの娘は堕ちる」
     喉で笑うと、少女は屋上の床を蹴って、ひと跳びで給水塔に上がった。
    「私はしばし、ここで歌に専念する。お絹、オロバス」
    「「はっ」」
     お絹とオロバスは、揃って給水塔の下に跪く。
    「久々の浮世だろう? 準備が整うまで、主らは自由に楽しんでいるが良い」
    「ははっ」
    「有難きお言葉」
     お絹は深く頭を垂れ、オロバスは優雅に一礼した。
    「ただし、番は忘れるな。私はこの場を離れられぬ。邪魔をする者があれば――頼むぞ」
     言い置いて後、少女は結界に暗く霞む空に向かって顔を上げ、唇を開く。
     待っててね、なっちー。
     見た目相応の少女の口調で呟き、次にその唇から迸り出たのは、妖しく邪悪な歌。
     やがて山際に朝日が昇った。
     この夜明けが、この町にとっては長い暗黒の始まりとなる。

    ●生まれつつある、『結界要塞』
     東京、武蔵坂学園。
     講堂に、灼滅者たちが大勢集まっていた。
     壇上にいるのは、須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)と、先日学園に保護されたラグナロクの少女、海空・夏美(みそら・なつみ)。
    「みんな、聞いて! スキュラと、二体の犬士たちの動向が掴めたんだ!」
     まりんが切り出す。
     何もないはずがないと誰もが警戒していたのだろうか。灼滅者たちは、ほとんど動揺もなくまりんの言葉に聞き入る。
    「サイキックアブソーバーが稼動した直後はなす術もなく力を失ったスキュラだったけど、細々と安房の田舎町で過ごしていた二十数年の間に、対策を練っていたみたい」
     まりんは準備されていたプロジェクターのスイッチを入れ、ステージ奥に下ろされたスクリーンに画像を映し出した。
     それは、あの町の簡易的な地図だった。
     いつも手にしているペンを、ペン型のレーザーポインターに持ち替えて、まりんは説明を始める。
    「スキュラは『礼』の犬士・オロバスに、この町全体を包み込む強固な結界を張らせたんだ。
     結界に阻まれて、人の出入りは全くできない。そして、スキュラはこの、町のほぼ中央にある中学校の屋上に篭って『歌』を歌っているの」
     スキュラの歌は町中の人々を魅了して支配し、また同時に、欲望を解放せよと語りかけ、素質のある者の闇堕ちを促進する。
    「オロバスの結界とのあわせ技で、超大規模な『サバト』を開いているような状況を長期間保つことができるみたい。
     闇堕ちしない人も、スキュラの声に魅入られて、配下になる。
     町は完全に支配されるんだ」
     それだけでも厄介なのに、まだ続きがあるらしい。
    「更に怖いのは、歌の効力が結界の中に篭り続けて、闇堕ち促進効果が日に日に増していくことだね……。最終的には、灼滅者でも足を踏み入れた途端に闇堕ちしちゃうほどの空間に、町全体がなるみたい」
     まりんは、ぶるっと身を震わせた。
    「『結界要塞』っていうところかな。外からは入れないし、完成しちゃったら、中に入る方法が見つかったとしても手の出しようがなくなっちゃう」
     けれど、スキュラの目的は灼滅者を闇堕ちさせることではないのだ。
    「スキュラは、結界内の『歌』の濃度が充分に高まったら、手の内にいる両親を餌にして、夏美ちゃんを町に呼び出して闇堕ちさせるつもりだよ」
     両親、の一言に、まりんの後に立っている夏美がぎゅっと唇を噛んだ。
    「そうなったら、夏美ちゃんに辛い選択をしてもらうしかなくなるかもしれない。それに、東京からそう遠くない場所にダークネスの勢力圏ができちゃうことにもなる……」
     北海道の、グリュック王国。恐らく、誰もがそれを思い出しただろう。あれと同じではないかもしれなくとも、似たものが関東に現れるとなると、確かに脅威だ。
     けれど、それはこのまま『結界要塞』が完成してしまったら、という未来。
    「でもね、まだ完成していない今の内なら、町をスキュラの支配下から開放して、夏美ちゃんの両親も無事に助け出せる可能性があるんだよ!」
     力強くそう続けた、まりんの瞳には希望の輝きがある。
    「オロバスの結界には、強力なのと引き換えに、弱点があるんだ」
     まりんはポインターペンをクルリと回し、右手の人差し指をぴんと立てた。
    「まず一つは、細かい融通を利かせられないこと。
     スキュラはオロバスが結界を作るときに、夏美ちゃんは通れるようにしておいてって命じたんだ。でも、夏美ちゃんだけ通せるようにするのは無理だったみたい。
     スキュラたちが配下を連れて出入りできるのと同じように、夏美ちゃんも同行者数百人くらいなら一緒に入れるみたいなの!」
     結界要塞が完成してしまっていれば、灼滅者が夏美に同行したところで諸共に闇堕ちしてしまうのがオチだが、今の内なら少し気分が悪くなるかもしれない程度で、まだ平気だそうだ。
     次にまりんは左手の人差し指もぴんと立てた。
    「もう一つの欠点は、あまりに堅く、きつく結界を結んじゃったせいか、外からサイキックエナジーによる強い衝撃……つまりサイキックによる攻撃を撃ち込まれることで結界がゆるんでしまう『結束点』が発生していること」
     立てた左右の人差し指を、まりんはぴたりとくっつける。
    「この二つの弱点を突くよ!
     解析結果によれば、外側から『結束点』を破壊しただけじゃ結界は消えないけど、結束点が壊れた状態で内側のから負荷をかければ、一瞬にして結界を吹き飛ばすことができる!」
     作戦の内容はこうだ。
    「まず『結束点』は町の海辺と山際の二箇所。
     結束点破壊チームは二部隊に別れて、海と山から攻めていって。
     海部隊は船から飛び込んで、遠泳して砂浜へ。山部隊は登山で山越えして向かうことになるよ。
     結界の外側から、サイキックが届く距離まで迫って、『結束点』を破壊して! 弱点とはいえ、大人数のサイキックをぶつけないと壊れそうにないから、がんばってね」
     そして、弱点とわかっているものを、敵も放ってはおかない。
    「『結束点』に灼滅者が迫っているのがわかると、海辺には『孝』の犬士・白露のお絹が。山際には『礼』の犬士・オロバスが、それぞれの部下を引き連れて出てくるよ。
     少数の灼滅者が突出して結束点に近づいても倒されるだけだろうから、まず全員で団結して犬士たちを倒して、それから『結束点』を破壊してね」
     お絹の武器は村雨と呼ばれる日本刀、オロバスの武器は魔導書。
     それぞれが引き連れた軍勢はダークネスと強化一般人との混成で、ダークネスの種族はバラバラ。強いて言えば、お絹の配下には六六六人衆が多く、オロバスの配下にはソロモンの悪魔が多い傾向にはあるらしい。
     隣に進み出てきた夏美と視線を合わせ、頷くと、まりんは続きの説明を始める。
    「皆もわかってるだろうけど、ラグナロクが学外に出るのは、とってもとっても、リスクが高いの。でも、今回は、やるしかない。
     夏美ちゃんがいないと、どうしても結界の内に入れないんだ……。
     夏美ちゃんと一緒に結界内部に潜入する数百名の仕事は、結束点破壊作戦が完了するまで夏美ちゃんを守りつつ、夏美ちゃんの家に軟禁されているお父さんとお母さんを保護すること」
     一応、家の周りではスキュラの配下たちが警護に当たっているらしい。
    「そいつらはあまり強くはないから、とにかく夏美ちゃんを守ることに力を入れて。
     そして二つの『結束点』が破壊されたら、皆で一斉に頭上へ向けて遠距離サイキックを放って、結界を吹き飛ばす!!」
     上空に張り巡らされた結界が揺らぐので、その時は見ていればわかる。
     その瞬間にサイキックで吹き飛ばせば、薄暗い結界は、雲が晴れるように町の上空から消えることだろう。
     あとは、海側、山側からも一斉に町内へとなだれ込み、スキュラのいる中学校へと攻め入れば良い。
    「スキュラは、ここで倒しておきたいよね……。放っておいて他の犬士たちも復活させられたりしたら、きっとすごく大変なことになるから」
     まりんの隣の夏美も、複雑な表情ながら異論は唱えない。
     まりんは最後に、灼滅者たちを勇気付けた。
    「きっと大丈夫。皆、がんばってね!」


    ■リプレイ

    ●それぞれの目標に向けて、侵攻開始 
     『礼』の犬士・オロバスとの対決を選んだ部隊は、ESP隠された森の小路で道を切り開きつつ前進していた。
     先導するのは、箒で飛行する者たちと、ライドキャリバーに乗った者たちである。
    「グリュック王国の脅威はこの身を以て体験しています……」
     霧島・竜姫(ダイバードラゴン・d00946)は疾走する竜型キャリバー・ドラグシルバー(ライドキャリバー)の背で呟き、前を見据える。
     まだ敵の気配は感じられないが、いつどういった形で出会うかはわからない。
     緊張感を保ちつつ、灼滅者たちは山を行く。

     『孝』の犬士・白露のお絹との対決を選んだ部隊は、船から海に飛び込み、陸地を目指していた。
     楽しい水泳に向くとは、とても言えない水温である。波は荒くはなかったが、秋風が吹く季節、海面は穏やかではない。
    「もうシーズンも終わりじゃねーか! こんな時期に遠泳する羽目になるなんて思わなかったぜ!」
     巽・真紀(竜巻ダンサー・d15592)は、毒吐きながらも気合で遠泳していた。
     先頭グループは、フローター、水中呼吸といったESPを活用している者たちだ。
     遠くに見える砂浜。恐らく上陸すればほどなく、敵の軍勢と向かい合うこととなるだろう。
     覚悟を胸に、灼滅者たちは海を行く。

     海空・夏美(中学生ラグナロク・dn0170)を伴った部隊は『結界要塞』の前に到着していた。
     その町と、外界を隔てる境界は、ほの暗い薄布のようなものとして、目に見える形でそこにある。
     人の出入りを完全に遮断するほどの強固なものにはとても見えない。しかし、確かにそれは平和な日常と血塗れの非日常とを隔てる境界だった。
     夏美は緊張しているのか、なかなか最初の一歩を踏み出せないでいる。
     無理もない。
     両親が人質に取られていることだけでなく、ラグナロクである彼女がダークネス側の勢力であるスキュラの手に落ちれば、人間の社会にどんな悪影響が落とされるかわからないのだ。
     のみならず、武蔵坂学園の生徒、灼滅者たち総勢3880名の命もまた、この作戦には賭けられている。
    「……私は最後まで一緒にいる。それが夏美、あなたと私の『絆』だから」
     夏見の頬を、 夏美の契約者である磐梯・想子(高処から・d15361)がつついた。
    「お、重いよ、空斗くん。……ふふ、わかってる。私もがんばるから!」
     犬変身した天槻・空斗(焔天狼君・d11814)にも肩に乗られ、もふもふとした毛皮の感触に、夏美の表情から緊張の色が薄れてゆく。
    「……ごめんね、お待たせ。行こう!」
     そして、夏美は皆と共に『結界』の中へと足を踏み入れた。
     薄布のような膜を、夏美と灼滅者たちは拍子抜けするほど簡単に通り抜ける。
     中の空気は重く淀んでいた。
     これが、スキュラの歌。直接に、声が聞こえてくるわけではない。けれど、胸の中の暗い部分を刺激する、邪な力が漂っていた。
     しかしエクスブレインから聞いていた通り、灼滅者たちの行動を阻害するほどのものではない。
     夏美の周囲に張り付いて護衛する者たちと、先行し敵襲を夏美に届かせないために行動する者たちとに素早く別れると、前進を開始した。
     行く手には住宅街がある。
     夏美に家の方向と特徴を聞き、まずは箒に乗った者たちが空からの偵察に飛んだ。
    「家の周りは、厳重に囲まれてたぜ。それ以外には、特に目立つ集団はなかった。想像と違うっていうか……妙な感じだぜ」
     戻って来た朧木・クロト(ヘリオライトセレネ・d03057)が報告し、箒の上、長い三つ編みを揺らして首を傾げる。
     とはいえ、用心して進むに越したことはない。敵ダークネスに不意打ちを食らったら厄介だ。
     何しろ、こちらは夏美という守らなければいけない存在を抱えているのだから。
    「行くぜお前ら――――散ッ!」
     先行隊にいる服部・あきゑ(赤烏・d04191)が、テンション高く【忍者倶楽部】の部員を市街地に散らす。そして自身も真っ赤な長い髪を翻したかと思うと猫に姿を変えて走り去った。
     夏美の家までの道中、突然襲われることのないよう細い路地などを改めてゆくのだ。
     チーム【虎神】は夏美の周囲を守りつつ、攻撃は最大の防御とばかり、障害となる敵を積極的に排除しく方針らしい。
     しかし、ぽつぽつと人影に出会っても、手加減攻撃ひとつで倒して正気に返すことができる、洗脳されただけの一般人ばかり。
     特に戦闘らしい戦闘はないまま、先に進むことが出来た。
     侵入者を排除しようという強い意思は感じられないのは、結界の強固さに絶対の自信があったから、なのだろうか。
     それにしては、夏美の家の周囲にだけは護衛がついているのはちぐはぐに思える。
     侵入者排除の命令が行き届いていないのか、それとも何かもっと別の理由があるのか。
    「夏美……頑張る……もうすぐお家だよ……」
     大業物・断(一刀両断・d03902)が、不安げな夏美を励ます。首に巻いた白いマフラーの先がぴょこぴょこと跳ねているのは、まだ8歳の彼女が周囲の皆の歩調に合わせて早歩きをしているからだ。
    「ありがとう」
     頷いた夏美もまた、懸命に歩を前に進めるのだった。
     やがて見えてきたのは、3人家族にちょうど良さそうな、青い屋根の小さな家。その周囲を、ダークネスたちがぐるぐると巡回している。
     種族はまちまちだった。
     まず炎を纏った獣はイフリートで間違いないだろう。あとは人間とさほど見た目の変わらないものばかりだ。角等から推測されるのは、羅刹と淫魔だろうか。見た目だけでは種族を推測できないものも多い。
     数は数10体。
    「ヒーホゥ。獲物が沢山だ。悪いけど……悪く思うなよ」
     空飛・空牙(影蝕の咎空・d05202)は、隣家の塀の陰に潜み、解体ナイフを握って不意打ちする機会を待った。ベストの空色が少しくすんで見えるのは、身に纏った霧のせいだ。
     戦いは、敵に気付かれるよりも先に上手く奇襲から始めることができた。
     夏美を守るグループと別れて露払いや陽動に動いていたいくつかのチームが、死角から近づくことに成功したのだ。
     敵が一瞬ひるんだところに、チーム【マヨイガ】が先陣を切り開いてゆく。
    「敵!?」
    「この家を守るのがスキュラ様の命だ!」
    「集合! 門を集中的に防衛するぞ!」
     混乱が収まると、ダークネスたちもそれなりの団結力をもって灼滅者たちを迎え撃った。
    「……潰されたい奴からかかってきなさいな」
     神楽・識(東洋の魔術使い・d17958)の、ひらりと袖を翻した腕が異形の巨腕へと変じる。力任せにそれをふるい、識は敵陣へと飛び込んでゆく。
     神庭・律(人神覇者・d18205)は胸元にスペードのスートを浮かび上がらせると、鋼糸を手に識に続いた。
    「攻撃は最大の防御。有象無象は千千粉砕してくれる」
     律に、実琴(霊犬)が応えるように短く鳴く。
     鋼の糸で張り巡らされる結界。閃く刃。
     たちまち辺りは血と怒号に満ち、正気の状態で戦闘を目の当たりにするのは初めての夏美の足をすくませる。
    「だいじょうぶ。なつみお姉さんは、ルビーたちのちかくにいて」
     ルビードール・ノアテレイン(さまようルビー・d11011)は夏美の目を真っ直ぐに見上げて力強く励ますと、自分と共に夏美の周囲を固めるメンバーたちに魔力を宿した霧を展開して、迎撃に備えた。
     大丈夫。安心して。心配ない。
     戦闘の合間を縫って、夏美にかわるがわるかけられる言葉は、嘘でも、根拠のない強がりでもなかった。
    「とにかく海空夏美にダークネスを寄せ付けなければ宜しいんですのね? 心得ましたわ!」
     西村・道子(西村屋・d14666)が、槍を風車のように回転させながら、近接してきた1体の羅刹の前へと飛びこみ、我が身を壁にする。
    「あ……」
     唇を震わせる夏美に、道子は振り向かず声をかけた。
    「大丈夫。皆こう見えて命を大事に無茶しますわ! 勿論、私も含めて!」
    「ええ。私たちは絶対に貴女を守ります。でも捨て身ではありません。自分の命を軽く扱ってはいけませんから!」
     道子の言葉に茂多・静穂(ペインカウンター・d17863)は頷き、恋仲の相手とも頷き合うと、展開したシールドでチーム【満足隊】のメンバーたちを包み込んだ。
     繰り広げられる激しい戦いを、夏美は閉じたくなる目を懸命に開き見詰めている。
     今頃、結束点に向かった者たちも犬士たち率いる軍勢と刃を交えている頃だろう。

    ●山際の結束点
    「山中に放った斥候が戻らんな。定時連絡もない」
     ふむ、とオロバスは鼻を鳴らした。
    「来ているのだな! 待ちくたびれたぞ! さっさと出て来い、ネズミ共!」
     オロバスが山に向かって叫んだ声が、秋空にこだまする。
    「真っ向勝負のつもりか」
     ESPハイパーライダーで走り抜け、山腹に出ていた柳瀬・高明(スパロウホーク・d04232)は、木々の合間から街の方向を見下ろし舌打ちした。
     山際に広がる刈田に、オロバスの軍勢がいる。
     正面切って迎え撃つ姿勢なのは、恐らく結界の結束点が、隠しても仕方がないほど目に見えてはっきりしているからだろう。
     馬頭のオロバスは遠くからでもよく目立った。半円状に布陣した軍勢の最奥でふんぞり返っている。その背後の結界に、一際黒く淀んで見える部分があった。あれが結束点。
    「奇襲をかけられるのが一番理想的だと思っていたけれど……」
     小森・芽衣(鍍金の羊・d00255)は、木陰から伺い呟く。
     気付かれた以上は、こちらも正面切ってかかるしかない。
    (「この先にソロモンの悪魔がいるなら、行くしかない。俺は、魔法使いだから」)
     藤枝・丹(六連の星・d02142)は皆と足並みをそろえて、下りになった山道を急いだ。
    「『三毛猫アヅマさんと一緒』隊………突撃じゃぁぁぁああ!」
     江里口・剛之介(老兵・d19489)は【三毛猫アヅマさんと一緒】のメンバーたちと共に遠距離攻撃を仕掛けると、愛機である牛頭丸(ライドキャリバー)に跨り突撃した。
     ソロモンの悪魔と、それを宿敵に持つ魔法使いが多く集まった戦場だ。
     まず最初に飛び交ったのは、魔法の矢や、魔力に作り出された光条。それに、炎と氷と雷。
     押し寄せてくる敵と一番ぶつかったのは、ライドキャリバーに騎乗して先頭を行く者たちだった。
     自らの脚で駆ける者たちも、それに続く。
    「それじゃ、がんばっていこっか!」
     アイティア・ゲファリヒト(見習いシスター・d03354)は目の前に迫ったオロバスの軍勢を見据えながら【AgnusDei】のメンバーたちに声をかけた。マテリアルロッドを握った手に光るのは、銀の指輪。象嵌されたホークアイは、『決断と前進を司る石』だ。
    「結束点はあっちです! 一気に押し切って!」
     純白の魔法の箒に跨った土岐野・有人(ブルームライダー・d05821)が、上空から仲間たちに進むべき方向を示す。
    「やはり空中ノ眺めハ良い物デスね。敵が丸見えデス。……っト! ……まぁ、敵が丸見えというコトは、敵からもファロが丸見えなわけデスね……」
     ファロ・カタフニア(深い夜の子・d20371)は箒の柄を大きく引いて急旋回し、下方から飛んできた光の矢を回避した。
     灼滅者側には、魔法の箒の飛行による機動力を生かして戦う者が目立ったが、オロバスの軍勢に飛行している者がいないのは、迎え撃つ戦いだからだろう。
     上空から一直線にボスであるオロバスに近づくこともできるかもしれないが、箒に乗ったメンバーだけが飛び込んで行っても、戦力不足は否めない。
     こちらから攻撃しようとすれば、敵からの遠距離攻撃も届くことになる。下手なタイミングでオロバスに近づけば、周囲にいるソロモンの悪魔たちから集中攻撃されるだろう。
     地上を行く仲間たちを上空からの攻撃や回復で補助しながら、進行速度をあわせて行くしかない。
    「ふは! さっさと諦めて退散するがいい」
     オロバスは余裕の表情で灼滅者たちの様子を見ていた。そうしながら瞳にバベルの鎖を集中させ、自らの能力を高めている。
     地上の者たちには、悪魔の軍勢の奥にいるオロバスまでの道は実際よりも遠く見えた。
     それでも、前に進まねばならない。
     ライドキャリバーに騎乗する者たちが突撃して敵の壁を揺るがせ、後続の灼滅者たちが穴を開ける。
    「全く、わらわらと……。考えてる方がよっぽど楽しいと思わないかい? たまには身体を動かすのも悪くはないとも思うけどねえ!」
     絡々・解(机上の空論・d18761)は次々と導眠符を投げ、仲間が進みやすいよう敵の行動を阻害していた。
     しかしバッドステータスをつけてやっても、そのまま放置されることはない。オロバスの軍勢にはある程度のまとまりがあり、仲間の回復もするし、灼滅者の中に傷ついた者や単体で前に出すぎた者がいれば集中攻撃してくる。
     よく見ると5体ほどずつが1つの小隊として戦っており、さらに観察すれば標的を指示する司令塔がいるのだ。
    「ソイツが司令塔だ。潰すぞ」
     夜鷹・治胡(カオティックフレア・d02486)は小隊を纏める1体を巧みに発見して周囲の仲間たちに声をかけた。
    「司令塔1体に対して多数で攻めましょう。……サクラは現状のまま、回復に徹底してください」
     桐屋・綾鷹(月華静鳴・d10144)が、治胡の指したソロモンの悪魔に影喰らいを食らわせながらサクラ(ナノナノ)に命じる。
     灼滅者たちによる集中攻撃に敵司令官が倒れ、灼滅して消えるまで、長い時間を要しはしなかった。
    「まあここは任せてくれ。大丈夫、無茶はしないさ。大怪我すると後で部長が怖いんでな」
     チーム【炎血部】の狗崎・誠(猩血の盾・d12271)が治胡たちに声をかけて前に進ませ、指揮系統を失った小隊を足止めする役を引き受ける。
    「ええ! 1人も欠ける事無く結束点に連れて行きますわ! ……織、攻撃を頼みましたわよ!」
     ベリザリオ・カストロー(罪を犯した断罪者・d16065)が誠に頷き、清めの風を吹かせた。回復役に努めながら、ベリザリオはディフェンダーとして動き、さりげなく、仲間が1人で飛び出して行かないように誘導している。
    「きゃーこわーい……んなわけあるかよォォォ!!」
     岬・在雛(鮮血領主・d16389)もまた仲間を庇いながら、押し寄せてくる敵に向けてガトリングガンから炎の弾幕をぶち撒いた。
     先に進めば、また新しい小隊が灼滅者たちの前に立ちふさがる。
    「御免なさいね……全力で道をこじ開けさせて貰うわ!」
     明月・満稀(明星の魔法図書館・d02879)のフリージングデスが、前を行く仲間たちに襲い掛かろうとする悪魔たちを凍て付かせた。
    「……行かせませんし、生かさない。みんな此処で死んでいけ」
     十三屋・幸(孤影の罪枷・d03265)が、更にヴェノムゲイルで焼き払う。
    「ガードする!」
     玖珂峰・煉夜(顧みぬ守願の駒刃・d00555)は、敵の放った魔力の光条を受けてもものともせず、仲間を先に進ませた。
    「さあ、近づいてきた。覚悟してねッ!」
     桜吹雪・月夜(花天月地の歌詠み鳥・d06758)はチーム【むつのはな】の皆と互いに死角を補い合って戦いながら、満稀たちが切り開いた道を更に押し開いてゆく。
    「このまま一気に畳み掛けるわ! 湊君、後ろは任せたわよ?」
     海堂・月子(ディープブラッド・d06929)が、舞い散る黒い花弁のような影業を身に纏いながら、開かれた道に突っ込んでゆく。
     ぶつかって、潰して、押し開いて、埋める。そして前へ。
     その繰り返しで、ついに、オロバスの目前に灼滅者たちは迫った。
     届く!
     遠距離攻撃が、一斉に放たれる。
    「おや、来てしまったな」
     オロバスが呟き、その手に魔導書を開いた。次の瞬間、遠距離攻撃で初撃を入れた者たちを、これまでとは威力のまるで違う爆炎が飲み込む。
    「ほらほら、あなたたちも、ぼんやり突っ立っていないで。スキュラ様のために、ちゃんと死力を尽くしなさい。でないと、……知りませんよ?」
     オロバスは次の攻撃に備えて魔導書のページを繰りながら、間近に配置した配下の悪魔たちに激を入れる。言葉だけはやけに丁寧だったが、しかし、声は冷酷だ。
     恐ろしいものに背中を押されたかのように、死に物狂いになった悪魔たちの攻撃が激しさを増す。
    「聞いた話だと、『礼』て『仁愛』の意味なんだって? 悪いけど、お前の行為にそんなものは見えねぇな!」
     ベネディクト・ショー(蒼昊を駆ける若鷹・d01822)は、勢いを増した悪魔たちに負けずに、毒を塗付けた大量の手裏剣をばらまき、その勢いのままに叫ぶ。
    「仁愛? ああ、我らが冠する三綱五常の八文字の、仁は愛、義は正義、礼は礼儀、智は智慧……というやつか」
     聞きとがめたらしく、フハッ、とオロバスが鼻息を噴いて笑った。
    「下らん、人間の価値観だな。何故我等が、そんなものに縛られねばならぬのだ?」
     オロバスは言い切ると、瞳に力を集中させた。初撃で与えた傷が、消えてゆく。
    「知識だけとは。では、人間としてこちらは全うに『礼』を尽くしませんとね。ええ、戦いの場での礼を!」
     紅月・リオン(灰の中より生まれいずるもの・d12654)は言いながら、紅い飾り布のついた妖の槍をふるった。
    「そうしてあげてくださいリオン。さあ、どうぞご武運を」
     紅月・燐花(妖花は羊の夢を見る・d12647)はリオンに向けて清めの風を吹かせながら、礼を持つとは到底思えないオロバスに冷たい視線を向けた。
     オロバスも周囲の配下たちも激しい攻撃を仕掛けてくるが、灼滅者たちもオロバスに攻撃の届く地点から、下がるわけにはいかない!
    「ここで、持ち堪えるよ!」
     ガトリングガンを構えた江楠・マキナ(トーチカ・d01597)の頭上を、一台のライドキャリバーが飛び越えていった。
     ハンドルを握るのは、水色のスカートをふわりひらりと翻してキャリバーに跨った、灰神楽・硝子(零時から始まる物語・d19818)。その背後には、泉明寺・綾(無限釘の墓標・d17420)が仁王立ちで相乗りしている。
     キャリバーのスピードを利用した、大跳躍だった。
     ジャンプの頂点に達したライドキャリバーから、綾は更にジャンプして、オロバスの頭上へと飛び降りる!
    「釘バット長降臨♪♪」
     ジャンプの勢いと魔力を込めて、ギラリ輝く釘バットの二刀流が、オロバスの馬面に叩き込まれた。
    「ぐ……っ! 届いただと!?」
     この戦闘で初めて食らった近接攻撃に、オロバスはわずかな動揺を見せたが、すぐに魔導書を繰り光線で綾に反撃する。
    「折角私の許にたどり着いたというのに、残念だったな」
     オロバスは倒れた綾を見下ろし、歯茎を剥いて醜く笑った。
     しかし。
     確かに機動力を頼みに飛び込んだ結果であるが、綾は単体で突出してきたわけではない。
    「何!?」
     オロバスの横面に、オーラの塊が直撃する。
     オーラキャノンを放ったのは、硝子だった。
    「オロバス! 私と同じ目に遭う人を救う為、討たせて頂きます」
     気がつけば、硝子たちの所属する【星見荘】のメンバーたちや、並々ならぬ思いを持つ【オロバス討伐隊】のメンバーたちが、オロバスの前に陣形を整えていた。
    「みんなが力を貸してくれている。負けるわけにはいかない!」
    「うん。成功して、皆で学園に帰ろっ」
     マテリアルロッドを握りオロバスと対峙する比嘉・アレクセイ(貴馬大公の九つの呪文・d00365)に、萩沢・和奏(夢の地図・d03706)が自分もまた傷ついているというのに笑いかけながら、集気法で癒す。
     無闇に一部の者や、グループが突出したのではない。
     全員の力で、ここまで来たのだ。
    「何をしている、私を守れ!」
     オロバスは喚いたが、周囲の配下たちは灼滅者たちによってオロバスから引き離されていた。
    「アレクの邪魔は、させない……よ」
     氷上・蓮(白面・d03869)はアレクセイの背を守る形で配下たちに攻撃する。
     紫苑・十萌(桜花幻影・d00461)が、旋風輪で周囲の雑魚敵を怒らせ、引きつけていた。
    「さあ、やっちゃってね!」
     牛房・桃子(おだやか桃花姫・d00925)は【花園】のメンバーたちと共に雑魚掃討している。皆に笑いかけながら、自身は牛柄に包まれた胸をたゆんと揺らし、元気良く抗雷撃を打ち込んだ。
    「チッ」
     オロバスは舌打ちし、灼滅者たちを見回した。
    「貴方が最後に得る知識は……『灼滅』の二文字、ですっ!」
     箒で上空から、沖田・璃音(七色を奏でる旋律の魔術師・d02689)が展開した除霊結界で、オロバスを囲む者たちを背後から襲おうとしていた1列の動きが一気に鈍る。
    「君たちは運がない、何故ならお前たちの前にいるのが私たちなのだから」
     フィリオル・フリークス(蒼嵐の熾纏死・d09621)の螺穿槍が、璃音の結界に囚われた1体を貫いた。
    「みなさん支援します。あんな馬に負けないでください」
     天ヶ瀬・空(焔火の姫・d11206)が後方から引き絞った弓を放ち、敵の頭上から百億の星を降らせる。
     そしてメディック班による後方支援もある。
    「みんな、がんばろー!」
     竜胆・きらら(ハラペコ怪獣きららん☆ミ・d02856)は、各所に星をあしらった可愛らしい弓を引いては放ち、傷を負った者を癒しの矢で次々と射抜いていた。
    「対策していけば炎も怒りも恐るるにたりないからね!」
     瀬名・密(秘蜜・d20022)は休む間もなく防護符を投げて、仲間に耐性の加護を与えてゆく。
     オロバスを囲んだ者たちは、仲間の支援のおかげでオロバスだけを相手取ることができた。
    「くそ!」
     歯茎を剥き、オロバスは猛攻から逃れようとする。
     しかし、囲まれているのだ。そう簡単にはいかない。
    「倒れ、て……! 早く、早く、倒れ、て……!!」
     一色・紅染(穢れ無き災い・d21025)は祈るような呟きと共に、鬼神変をオロバスに叩きつける。
    「君達の作戦は失敗だよ。僕達が此処にいるんだから」
     姫城・しずく(優しき獅子・d00121)が、ジン(霊犬)と共にオロバスに迫る。
    「ドーム状結界という言葉だけで破壊フラグですしね」
     しずくとジンに気を取られたオロバスに、羽場・武之介(滲んだ青・d03582)の足元から伸びた影が刃となって襲い掛かった。
    「ぐう……!」
     オロバスは魔導書を繰り爆炎を放つ。しかし既に身に纏った書物は破れほどけ、あちこちがどす黒く染まっている。
     押し切ったのは灼滅者側。もう、それはオロバス自身にとっても明らかなことだった。
    「象は蟻の集団に負ける! 弱きを侮った! それ故の敗北か!」
     荒い息をしながら、オロバスは苦し紛れに魔法の矢を放った。
     間近に迫ってくる気配の方向へ向かって。
     矢に腿を貫かれながらも、弐之瀬・秋夜(シジミサイル・d04609)は地を踏みしめて斬艦刀を振り上げる。
    「……あとはお前をぶっ飛ばす!」
     巨大な鉄塊の如き刃が、オロバスの馬面の正中線に叩き下ろされた。
    「ぐぐぐ、結束点が……スキュラ様……お許しを……」
     オロバスは両断され左右に別れてゆこうとする頭を両手で挟んで保持しようとしたが、叶わず、そのままぐずぐずと崩れ消えてゆく。
     歓声は、オロバスを囲んだ者たちからその周囲へと、徐々に広がっていった。
     残っていた配下たちは、頭であるオロバスが倒されたことにより大部分が散り散りになりながら倒されてゆく。
    「……?」
     刑部・征司(零距離の交撃者・d11895)は逃げてゆくダークネスをオーラキャノンで追撃しながら、ふと僅かな違和感に首をかしげる。
     統率していたオロバスがいなくなったからとはいえ、あっけなさすぎるような気がする。
     相手が完全な逃げ腰なので、いくらかは取り逃がした。まるで全滅を避けるかのような行動にも思えるが、その理由がわからない。
    「え、馬倒したら終わりじゃなかったの? ……あ、ああ、結束点壊すんだったわね」
     アルメリア・ユーパトリウム(高校生ファイアブラッド・d21598)はバトルオーラを漲らせて、オーラキャノンをぶっ放す構えでオロバスの立っていた場所を振り向いた。
     そこには、結界の闇の凝ったような『結束点』がある。
    「あの一点、か! いっけぇぇぇぇ!!!」
     椎宮・司(ワーズクラウン・d13919)は赤いオーラを纏った拳を握ると、『結束点』に向けて勢いよく突き出す。打ち出したのは、マジックミサイル。
    「解き放て、鳩よ」
     巴津・飴莉愛(白鳩ちびーら・d06568)は白い振袖をそっと捌くと、白鳩の舞い上がるようなご当地ビームを放つ。
     皆が一斉に放った攻撃に、黒く淀んだ『結束点』が歪む。
    「こんな結界、壊してやるぜ!!」
     瓜生田・ひいか(明日が見当たらない少女・d01672)が打ち込んだ渾身のパンチで、まるできつく縛った紐に切れ目を入れたときのように、黒い澱みは弾け跳んだ。
    「やったー♪」
     樹・咲桜(ガンナーズブルーム・d02110)が【黒猫座談会】の皆と共に飛びあがって万歳する。
     しかし、波紋のように揺らぎが広がっていったものの、結界の形が崩れることはない。
     内側から吹き飛ばされなければ、結界は消えないのだ。
    「其々の作戦に関わる、皆さんを信じ、て。夏美さんの事、も。きっと、きっと、大丈夫」
     時諏佐・華凜(星追いの若草・d04617)は祈るように空を見上げる。
     龍海・光理(きんいろこねこ・d00500)は、結界内へ向かう者たちに心霊手術を施している。残る2箇所へ向かった皆の勝利を信じて。
    「会ったこともありませんが、せめてあなたの生きた証を」
     多々良・鞴(ぼんやりぼんぼやーじ・d05061)は、オロバスの消えたあたりに落ちていた携帯端末を拾い上げた。
     恐らくオロバスが、誰かを殺して奪ったもの。できれば遺族に届けたい。しかしそれも町が結界から解放されて初めてできること――。

    ●海際の結束点
     砂浜には、お絹の率いる軍勢がひしめいていた。
     お絹はオロバスと同じように『結束点』の前、つまり最奥部にいる。ただ、オロバスの軍勢との違いは、配下たちが陣形らしい陣形を取っていないことだ。
    「……来たか」
     お絹は波打ち際に現れた灼滅者たちを視界にとらえ、呟く。
    「また遊びに来たぜ、今日も派手にセッションしようやァ!!」
     万事・錠(ハートロッカー・d01615)は海中での水中呼吸から解放されるなり、カードの封印を解き逆十字を彷彿させる金色の光剣を高く掲げた。
     共に行くのは【武蔵坂軽音部】と友好クラブの【鉄鴉】。
    「回復はウチがするけぇね!」
     百舌・ハゼリ(音云鬼・d17250)が、背に炎の翼を広げ仲間たちにエンチャント破壊の力を与える。
    「おっとわりぃな、一番槍は俺達が貰ってくぜ」
     一・葉(デッドロック・d02409)が【KILL SESSION】のメンバーたちと共に、先を競うようにして前へと進む。
    「後に続く仲間がいるんだ、玉砕上等。全員、倒れる時は前のめりな!」
    「い、いえすっ、倒れる時は前のめり!」
     血錆の浮いた無骨な鉄槍を掲げる葉に、白石・めぐみ(祈雨・d20817)は全力でついていきながら、必死でワイドガードを展開するのだった。
    「ほう……生きがいいな」
     向かってくる灼滅者たちに、お絹は酷薄に笑んだ。
    「六六六人衆は灼滅です。愛を以て」
     イブ・コンスタンティーヌ(愛執エデン・d08460)はヴァレリウス(ビハインド)と共に先陣を切ったグループに続き、敵の先頭をどす黒い鏖殺領域に包み込む。
     結界の手前に広がる砂浜が、戦場と化した。
     六六六人衆と、それを宿敵に持つ殺人鬼の多く集まったこの場所では、お互いが『殺し』の技巧を凝らした死闘の繰り返しとなる。
     どろどろと黒い殺気が、敵味方入り乱れあちこちで渦巻いていた。
    「正直人殺しなんてムカついて仕方ないんだわ、弱いものいじめの最大延長じゃん!」
     三波・月子(跋扈・d01897)は言い切り、宿敵たる六六六人衆たちに次々とリングスラッシャーを当ててゆく。
    「オラオラ、ちんたらしてると置いてくぞ、ついてくるなら遅れるなよ?」
    「あ、もう……遅れるな……って瑠音が突っ走るから、こっちはついて行くの大変なんだよ?」
     槍を手に駆ける水瀬・瑠音(蒼炎奔放・d00982)を、氷室・翠葉(キュアブラックサンダー・d02093)は佐藤さん(ナノナノ)と一緒に追い、死角を埋めながら戦う。
     破竹の勢いで、灼滅者たちはお絹の軍勢の中へと切り込んでいった。
     しかし、半ばを過ぎた頃、その勢いに翳りが見え始める。
     フィズィ・デュール(麺道三段・d02661)の投げ技で砂浜に叩きつけられた六六六人衆の男が、すぐに起き上がって体勢を立て直し、日本刀を掲げて向かってきた。
    「手応えはありましたですよー!? ……これまでとは、違いますねー」
     フィズィは闘気で硬度を上げた腕でガードしながら跳びずさり、男との距離を取った。
     相手の力量が、ここに来るまでに戦ったダークネスよりも高い。
     お絹は最奥にいる自分の周囲に近くなるほど、強い部下を配置していたようだ。つまり、灼滅者たちの軍勢が進めば進むほど、敵が強くなってゆくのである。
    「でもな、……仲間は、やらせない」
     ハヤト・レンスター(サマヨウモノ・d19368)はユアーズ・エヴァー(ライドキャリバー)に乗り、暴風のようなオーラを纏って戦陣を駆けた。【百鬼】のメンバーを守り、決意のままに、ひたすら引き金を引き続ける。
    「アリアーン、あまりワタクシたちから離れないでくださいヨ! ふうろと咲紀嬢も無理はなさいませぬように」
     霧渡・ラルフ(奇劇の殺陣厄者・d09884)は【Teegesellschaft】のメンバーたちに声をかけながら、迫ってきた六六六人衆をどす黒い殺気の中に飲み込んだ。
     蒼井・ふうろ(蒼の女王は愛を知らない・d15746)は頷き、しかし鏖殺領域を振り払ってラルフに切りかかってゆく六六六人衆を見て顔色を変える。
    「ふうろのっ……わたしの、大切な人に手を出さないで!!」
     ふうろはオレンジ色のパーカーを羽織った胸元にトランプのマークを浮かび上がらせて叫び、前へ出た。
    「群れて気炎を吐いてみようと、所詮、人間。我らに勝てはせぬ」
     お絹は灼滅者たちと部下たちとの戦いを眺めている。
     道を切り開くチーム【むーみん】の姿に、その目が止まった。
    「そこをどいてくださいませ」
     エシール・ハルメルト(小学生エクソシスト・d20229)はマテリアルロッドを振るい、マジックミサイルを放つ。
    「守り抜くなぁん★」
     黒崎・秋夏(元放浪淫魔で今はただの淫乱・d14304)が、傷ついたチームメンバーをソーサルガーダーで癒し守る。
    「にゅ~! 守るのにゅす~」
    「ナノ!」
     小萩・涅梦子(ねむりねこ・d15029)と、にゃのにゃの(ナノナノ)が、どす黒い殺気でエシールを攻撃しようとしていた六六六人衆の女の前に立ちふさがった。
    「バブルプリンセスたまちゃんの~、あわあわ~な魔法で皆さんの、お手伝いを~、するのです~」
     馬上・環(バブルプリンセスたまちゃん・d18570)はきらきらと契約の指輪を光らせて、攻撃対象をエシールから涅梦子に変えた六六六人衆に制約の弾丸を放つ。
     多人数で組んでいる者たちは連携し、単体で挑んでいる者たちは小回りを利かせて、じりじりと前進していた。
     ふむ、とお絹は鼻を鳴らした。
    「思っていたよりはやる連中だ。撫で甲斐はありそうだな」
     お絹は呟くと、恍惚とした笑みを浮かべ腰の日本刀――村雨の柄に手をかける。
     ダークネスの性故か。戦いに加わりたくて仕方がないのだろう。
     しかし、灼滅者たちが現状でお絹に届かせることができるのは、声のみ。
    「お前がこいつらの頭か? せっかくだから剣比べしようぜ!」
     九条・龍也(梟雄・d01065)が、解体ナイフの一撃を直刀・覇龍で受け止めながら、獰猛に笑いお絹に向けて叫ぶ。
    「その実力、どんなものか俺たちに見せてみろ!」
     龍也と鍔迫り合いしている六六六人衆を死角から斬り捨てて、時雨・鎖夜(逢魔時の処刑者・d08765)も挑発に加わる。
    「ふ。見る時は死ぬ時だぞ」
    「なめるなよ、ダークネス……僕達はいつまでも同じじゃないんだ!」
     鼻で笑うお絹に、オリヴィエ・オーギュスト(従騎士・d20011)は周囲の仲間たちを夜霧に包み込みながら、視線を向けた。それは愚直な程に真直ぐな、子供なりにも絶望を拒絶し勇敢で高潔であろうとする懸命な眼。
    「灼滅者を殺したいのでしょう? やってごらんなさいよ」
     東雲・夜好(ホワイトエンジェル・d00152)がギルティクロスを放ち、ロリータドレスのふわりとした袖を大きく揺らしてお絹を指さす。
    「ほう」
     赤い舌で、お絹はそろりと唇を舐め、腰の村雨に手を伸ばした。
     戦いに加わりたいが、犬士として結界の弱点である『結束点』は守らねばならず、この場を離れるのは望ましくない。しかし、我慢が限界に来たのだろう。
    「なに。近寄せなければ、いいさ」
     うずうずと村雨に触れたり離したりしていたお絹は、ついに鞘から刃を抜き放ち、灼滅者たちの只中へと飛び込んでいった。
     居合斬りからの鋭い連撃。
     抜けば玉散るという物語の中の描写の通りに雫を散らしながら、刃は閃く。
     飛び散る雫と血が描く、何条もの弧。赤い飛沫の嵐を巻き起こしてゆきながら、お絹はその中心で哄笑した。
    「ははは! 良い手応えだ!」
     血に、己の力に、村雨の切れ味に、お絹は酔っていた。
     スキュラによって復活させられた時から、好戦的な言動が目立ったお絹である。今まさに、抑えていた欲求を解き放ち、心のままに暴れているのだろう。
     お絹は村雨を振り回すことに夢中で、攻撃の対象を殺すことには頓着していないようだ。
     立っている灼滅者を次から次に斬りながら移動してゆく。
     お絹が二太刀を浴びせることはないが、攻撃力自体が群を抜いて高いため、お絹の一撃を耐えても、態勢を崩したところを部下たちに狙われればひとたまりもない。
    「ファックなことしてくれんじゃねえか!」
     野口・オリビア(サニーブレイン・d21308)は舌打ちするなり、傷ついた仲間たちに向けて歌を歌った。打って変わって、天上の響きの歌声だ。その声は大きく響き、傷を癒す。
    「ハ! 鬱陶しい音だな!」
    「スキュラが欲望を解き放てと歌うなら、私たちは希望の旋律を奏でます」
     仲間のための音楽を嘲笑するお絹に、ギターを奏でながら風輪・優歌(ウェスタの乙女・d20897)は静かに、しかしきっぱりと言い放つ。優歌の、大人しやかな漆黒の瞳には、毅然とした光が宿っていた。
    「欲望だけに駆られた力にどれだけ押されようと、私たちは負けません」
    「生意気な。待っていろ、すぐに私の刃はそこまで届くぞ!」
     お絹が行き先を優歌に定めたおかげで、変則的だったお絹の動きが直線的なものになる。
     灼滅者たちは、その機を逃さなかった。
    「いい加減、止まるっ、す!」
     神木・璃音(アルキバ・d08970)はお絹が目の前に飛び込んでくるのを予測し、村雨を握った利き手側へと踏み込んで、斬り込んだ。
     狙いの通り、それは死角からの、鋭い一撃となる。
     ばらり、と、お絹の袖が切り裂かれ、滑るように白い肌が覗く。
    「足を狙ったようだが、惜しかったな」
     お絹は村雨の散らした露と返り血とにしっとりと濡れた髪を、ゆらりと揺らして振り向いた。
    「っし、追いついた! ……俺とも手合せ願おうか?」
     風代・夜龍(鬼狩る夜風・d19008)が、砂を蹴立てて璃音の隣に飛び込んで来る。
    「ッハ! この私と、手合わせと呼べるほどの打ち合いを、できるつもりでいるのか?」
     嘲笑するお絹に張り付いてひたすら拳を打ち込み続ける夜龍の戦術は無謀だった。何度目かの村雨の一閃が腹にまともに入り、砂の上に、夜龍は膝を折る。
     引き付けられたのは、僅かな時間だった。けれど、貴重な時間だった。
     周囲の仲間たちはその間にお絹を囲む陣形を完成させ、メディック班が仲間を回復して態勢を整えていた。
    「この程度の包囲、どうということはない」
     お絹は囲まれたことに気付いたが、うろたえることなく、切っ先から露を零す村雨を構えた。
    「しかし解せねぇな……それだけの腕がありながら、なぜ淫魔なんかに従う?」
     夜龍が零した呟きは、手合わせをして感じた、率直な疑問だった。
    「従う?」
     お絹はその身をどす黒い殺気で包みながら、唇の端を吊り上げる。
    「少し違うな。私は悦びをもって、伏姫様にお仕えしているだけだ」
    「『犬』であることに悦びを覚える六六六人衆というのもどうかとは思いますが……」
     小鳥遊・優雨(優しい雨・d05156)は、双頭のウロボロスブレイド『Fragarach』を繰りナイフ使いの六六六人衆を屠ると、お絹の包囲網へと加わった。
    「伏姫さまの『犬』。この素晴らしさを、人間どもに理解できるものか」
     ひゅ、とお絹が村雨を振る。飛び散った露が、灼滅者たちの頭上に落ちた。
    「数限りなき殺戮。それが私の欲望。伏姫様の御側に侍る限り、私の欲望は満たされる……それ以上は、望むべくもない!」
     白刃が閃く。
    「ははは! 幾らでも斬れる! この村雨ならば!」
     一段下がった位置にいる者たちを狙って放たれた衝撃波。ディフェンダー役たちが、咄嗟に庇う行動に出る。
    「こまを、消させたりしないんだよ!」
     優雨を庇って衝撃波を受けたこま(霊犬)に、犬祀・美紗緒(犬神祀る巫女・d18139)は癒しの力を帯びた矢を放った。
     ダークネスの武器は、本人の力の一部だ。村雨の伝承が先か、お絹が村雨を持つようになったのが先か、それはわからないが、どれだけ人を斬ろうと血で鈍らない刃は、殺戮を好むお絹の本性を具現化したようなものなのだろう。
     衝撃波を耐え切った灼滅者たちは、クラッシャーを中心として反撃に出る。
    「八犬伝は好きだけど、あんたは好きになれそうにないわね」
     明陳・鈴乃(舞踏武道・d01242)は舞うように、両手に纏った縛霊手をふるった。紫色の巨爪が弧を描き、お絹の白い着物を叩き裂く。
     お絹も暴れるが、周囲のダークネスたちも強敵だ。
     乱戦となる中、雑魚相手に奮戦する者たちと、癒しに徹するメディックたちが、お絹と対峙する者たちの背を支え続けた。
    「く……しつこい!」
     まるで、斬っても斬っても立ち上がってくるかのように感じられる灼滅者たちの粘りに、お絹は苛立たしげに舌打ちした。
     いくら仲間たちによる回復のバックアップがあっても、限りはある。長く続けば殺傷ダメージが蓄積し、身体がもたなくなる。
     けれど、その時が来るよりも先に、勝負のつく時は来た。
     クリス・アンダーソン(這いよるドエム・d06253)がふわりとふるった封縛糸が、ギリリときつく、お絹に絡みつく。
    「!」
    「如何です? 私の好きな縛り方です♪」
    「……侮るな!」
     クリスに向かって吠えるように叫び、捕縛を振り払おうとするお絹に、吉沢・昴(ダブルフェイス・d09361)の縛霊手が叩き込まれた。
    「とどめを! 頼んだ!」
     昴の縛霊手から射出された糸に縛られ、お絹の動きが更に鈍る。その上に。
    「その程度の剣では、わたくしの糸は斬れませんよ」
     如月・千早(明鏡止水・d13357)が、扇から鋼糸を伸ばしクルリと手首を舞わせると、村雨を握ったお絹の腕さえ拘束された。
     勝敗を決したのは、灼滅者側には回復役に専念する者たちのみならず、妨害に専念する者たちが充分にいたことだった。
     お絹が糸を振り解くまでの一瞬の隙を、灼滅者たちは見逃さない。
    「……イね」
    「覚悟を……」
     叢柳・珱哥(叢柳家給仕人・d20409)が天星弓を引き、笹ヶ瀬・梓衣(三峰の守人・d19921)が無敵斬艦刀を掲げて迫る。
     彗星の如き一矢と、超弩級の一撃。それを皮切りに、周囲の灼滅者から、攻撃が集中する。
    「く……!」
     白い着物が、炎に燃え、雷の火花に彩られ、影に貫かれ、次々と色を変えた。
     ――パチン。
     攻撃の途切れた一瞬の静寂の中、誰かが刀を鞘に収めた音が響く。
     髪を振り乱し、鬼のような形相で、お絹は灼滅者たちを見回した。
    「斯様な者共のために力尽きるとは! 恨めしい……恨めしいぞ人間、灼滅者ども!」
     お絹は崩れるまいと、村雨を砂に突き立て身を支える。しかし膝が地に着くのを防ぐことはできない。
    「折角……復活させて頂いたのに……。姫様……」
     村雨の刀身をはらはらと流れる雫が、砂に吸い込まれる。
     次から次へと湧き出でる雫は見る見るうちに勢いをなくし、刃は曇り、錆び、お絹の体と共にぼろぼろと崩れて、消えた。
     残った軍勢は、灼滅者たちの追撃を受けながら散り散りになってゆく。
     暗く淀んだ『結束点』の前に立ちふさがるものはなくなった。
    「……ったく。趣味悪ぃもん作ってんじゃねぇよ」
     花久谷・悠(色は匂へど散りぬるを・d12769)は結界に向けて毒吐くと、デッドブラスターの漆黒の弾丸を撃ち出す。
     渦巻く風の刃が、裁きの光条が、ご当地の力をこめたビームが。
     次々に放たれ、一斉に叩き込まれた攻撃による衝撃で『結束点』が弾け消えた。
    「やったあ! さっすがおれたち!」
     風間・海砂斗(おさかなうぃざーど・d00581)は短い三つ編みをぴょこんと跳ねさせて万歳して、周囲の皆と一緒に勝利を喜ぶ。
    「僕たちは、籠の鳥ではないんだよ」
     渡会・由鶴(ゆるふわミドリ・d02587)は結束点に叩き入れた閃光百裂拳の余韻の残る拳を握り、呟く。
    「……ここは此れでおしまい、だね。後は早く駆けつけなきゃ」
     東雲・凪月(赤より紅い月光蝶・d00566)の言葉に、【Charlotte】の皆も頷いた。
    「倒れた人たちのことは任せてください」
     ウェリー・スォミオ(それなり普通の中学生・d07335)は、重傷者の救護に動き始めている。
     殺傷ダメージが大きいがまだ戦える者たちは、メディック班の有志に治療を施してもらっていた。
    「万全の状態で臨みましょう」
     風輪・優歌(ウェスタの乙女・d20897)は真剣な面持ちで、心霊手術を行っている。
    「こっちも頼むじゃーん?」
     新舞子・海漣(じゃーにーするー・d21141)が、ライドミレンダー(ライドキャリバー)と一緒に、殺傷ダメージの大きい者たちをメディック班の許へとじゃんじゃん運んで来た。
    「手伝うね」
     蛍雪・透(偏光トコロイド・d21458)も海漣を手伝って、心霊治療を求めている者に肩を貸してメディックの許へ連れて行く。

     これで、2つの『結束点』は破壊された。
     あとは、内部に侵入した部隊が結界を吹き飛ばしてくれるのを待つのみだ――。

    ●スキュラの許へ
     山際、海辺での戦いが決着しようとしている頃、結界内での戦闘も、灼滅者側の勝利に終わろうとしていた。
    「ふふー、邪魔立てする奴はぶっ飛ばすよ! ほらほらどいたどいた!」
     陰と陽が混在するバトルオーラを拳に集中させ、シア・クリーク(知識探求者・d10947)は凄まじい連打を繰り出す。星粒のような光の奇跡を描いてふるわれた拳が、羅刹の男の腹に喰い込んだ。
    「ぐえ……っ!」
    「楽しゅう御座いますか。アーナインめは、愉しゅう御座いますよ」
     アーナイン・ミレットフィールド(目に見えているものしかない・d09123)が、身体をくの字に曲げた羅刹をティアーズリッパーで屠る。愉しいと言いながら、アメジストの瞳は光を映さず濁っている。
     結界内に、スキュラの歌の重圧は常にあった。
     しかし、戦闘に影響を及ぼすほどのものではない。不快であるだけで。
    「歌は心の支えにならなあかんねん! こんな呪詛みたいなんに敗けへん! 響け、うちの歌! 闇を晴らせ、絆の声!」
     蕨田・優希(中学生ご当地ヒーロー・d20998)はスキュラの歌に対抗するように、【星空】の皆と一緒に歌う。仲間を癒す、天上の響きを持つ歌を。
     数の有利があるため、苦戦はなかった。
     ただ、苦労があるとすれば、護衛対象である夏美を守りながらの戦いであるということである。
    「陣形が……! 誰か埋めてください!」
     遠藤・彩花(純情可憐な風紀委員・d00221)が、甲に展開した小盾が仄かに輝く手を掲げながら、声を上げた。
     人手が薄くなった部分に、炎の塊が飛び込んで来る。
     最後に一匹残っていた、炎を纏った巨獣、イフリートだ。
     ――ごう!
     獣が吠える。
    「これもヒーローの仕事ってな! 悪いが、此処から先は一歩も通さないぜ!」
     十文字・天牙(普通のイケメンプロデューサー・d15383)が、背中から炎を放ちながらサイキックソードを構えて颯爽と立ち塞がり、【満足隊】の仲間たちと共に攻撃を仕掛けてゆく。
     やがて、どうと地響きを立てて倒れた獣の身体は、自らの炎で燃え続け、そして最後は、消し炭さえ残さず消え去った。
     家の前が静かになった。
    「この近くにダークネスは、もう残っていない……?」
     宮塚・檸檬(紡ぐ黎明の糸・d01247)は家の周囲をぐるりと巡り索敵を行ったが、特に怪しい気配はない。
    「悪い匂いはしないな……」
     和久井・史(雲外蒼天・d17400)が、DSKノーズを使って業の匂いを探り頭を振る。
     家の中に侵入した数名の灼滅者たちが、やがて夏美の両親を伴って玄関から出て来た。
    「お父さん! お母さん!」
     洗脳が解け、まだぼんやりしている様子の両親を、夏美は泣きそうな顔で出迎える。
    「ありがとう!」
     皆に向かって涙目でお礼を言うと、夏美は久々に会えた両親に飛びついた。
    「良かった……」
     家族を失う悲しみを味わわせたくないと思っていた深嶋・怜(麁玉・d02861)は、安心したように表情を緩める。
     親子の再会に、灼滅者たちは一先ずほっと息をついた。
     ――と。
     ほっとした吐息の次は、どよめきが、灼滅者たちの間に広がってゆく。
     頭上に、不思議な光景が繰り広げられていた。
     上空を覆う薄暗い結界が、ゆらゆらと揺らめいている。まるで波立つ水の上に張った油膜のように。
     結束点の破壊が成功したのだ。
     見ればわかると言われていたのは、このことなのだろう。
     皆が手に手に武器を上へ向けて構える。
     合図の声が高らかに響き、一斉にサイキックが放たれた。
    「よし、ブチ込む!」
     眞一は愛用の妖の槍を掲げると、槍の妖気をつららに変換して頭上へと思い切り撃ち出した。
    「いっけーーなのね!!」
     ナノ・クレドール(花舞うマホウ・d08228)は弓を引き、彗星の如き矢を放つ。
    「秋葉原ビィィーーーーーームッ!!」
     神田・熱志(ガッテンレッド・d01376)が熱くご当地ビームを放てば。
    「「「「愛☆カフェンジャービーム!!!!」」」」
     チーム【愛☆カフェンジャー】の放つご当地ビームがそれに並び。
     清らかな光条が、魔力の光線が、赤い逆十字が。
     暗く淀んだ結界を、吹き飛ばす。
     その瞬間、町を、外からの風が吹き抜けた。
     高々と開けた頭上に、秋の青空が戻って来る。
     これで、山側・海側の部隊も町に入って来られるはずだ。
     中学校へ向けて出発する前に、両親はジヴェア・スレイ(小学生シャドウハンター・d19052)を始めとした少数が残り護衛することとなった。
     殺傷ダメージが大きく心霊手術でも間に合いそうにない者も共に残る。
    「……私も……残ったほうがいいのかな……」
     自分も家に隠れて待機すべきではないかと、夏美は惑っていた。
     スキュラに執着されている夏美なら、スキュラへ何らかの望ましい変化を起こさせることができるかもしれないが、反面、ラグナロクである彼女が逆に心を折られ闇堕ちしてしまっては大変なことになる。
     迷う夏美を決心させたのは、周囲の皆の言葉だった。
     自分で歩いて前に進むしかない。
     そう決めた夏美に、樫尾・織子(回る道化師・d13226)が語りかける。
    「折れない心はそれだけで君の剣になりえるのさ。知っていたかい?」
    「折れないように……がんばるね」
     しっかりと、夏美は頷き、皆と共に歩き出した。

     中学校へ向かう道中では、不気味なほど何事もなかった。
     ダークネスたちにも出会ったが、こちらに気付いても攻撃を仕掛けてくることはない。むしろ逃げてゆく。
     相変わらず、交戦を禁じられているようにすら見える様子は不思議にも思えたが、戦闘にならないで済むのなら、それに越したことはない。
     夏美を擁した灼滅者たちは前へと進み、ついに校門の前に着いた。
     結束点破壊部隊たちも、ほどなく合流してくる。
     各部隊、傷を負ったり後処理に残ったりした者たちがいるので、人数は減っていた。それでも、半分にはなっていない。
     屋上という限られたスペースに乗り込むということもあり、特にスキュラとの対峙を望む者たちで部隊を結成することとなった。
    「守ってもらうことになっちゃうと思う。迷惑だと思うけど、私も、連れて行って欲しいの」
     夏美の希望は、様々な意見はあれど、最終的には受け入れられた。
     残った者たちは、逃走経路になりそうな場所を塞ぐために校舎の周囲に散って行く。
     さあ入って来いとばかりに、校舎の昇降口の鍵は開いていた。

    ●それぞれが思う『絆』
     中学校の屋上で、夏美を篭絡するためだろうか、スキュラは人間の来栖・綺亜羅の姿で待っていた。
    「ねえ、綺亜羅ちゃん。これ以上、人間に、私たちに、ひどいことしないで欲しい。そうしたら、一緒にはいられなくても、ずっと友達でいられると思う。それって、無理なのかな?」
     夏美が、必死に語りかけている。
    「ひどいこと? それって、配下にしたり闇堕ちさせてあげたりすること?」
     小首を傾げたスキュラに、夏美は頷いた。
    「うん。そういうことを、もうしないで欲しいの」
     それは、一縷の望みをかけた夏美の要望だった。けれど。
    「ウソついても仕方ないから、正直に言うね。――無理だよ」
     スキュラはそれを受け入れはしなかった。
     世界はダークネスの支配下にある。例外もあるかもしれないが、ダークネスにとっての人間はせいぜい、絶滅さえさせなければ後はどうなってもいい存在だと、スキュラは歌うように語った。
    「あたしは、大事な友達がそんな不安定な存在でいることなんて耐えられない。それに運よくダークネスに覚醒できたとしても、種族間の勢力争いにでも巻き込まれたら、弱ければ消される。
     ……あたしは! ……一人が寂しい。だから、大事な子は誘って、堕として。『犬』にして、力を分けて、強くしてあげるの。ちょっとやそっとじゃ消されないくらい強く。そしてお互いに守りあうのよ。
     そうしたら、ずっとずっと一緒にいられる。寂しくない。素敵でしょ?」
    「犬士たちは、みんな綺亜羅ちゃんが闇堕ちさせたの……? 前に私にしたのと同じようなことをして……?」
    「そうだよ」
     愕然としながら問うた夏美に、スキュラは頷いた。
    「あたしが堕としてあげたらね、辛いことや苦しいことがなくなって、みんな喜んでたよ。だからなっちーも絶対、そうだと思うんだけどな」
     話しているうちに興奮してきたのか、スキュラの頬が僅かに紅潮していた。
     闇堕ちするのは良いことで、人間のままでいるのは良くないこと。スキュラの価値観ではそういうことになっているのだろう。
    「でも闇堕ちなんてしたら、夏美ちゃんは夏美ちゃんじゃなくなっちゃうよ?」
     夕凪・葉月(犬耳刑事見習いは魔法使い・d06717)は震える声で言う。
     しかし、スキュラには恐らくどうでもいいことなのだ。スキュラの主観では、闇堕ちする前もした後も、同じ存在なのだから。
     犬士の種族がスキュラと同じ淫魔ではなかったことからも察せられるように、スキュラは淫魔として勢力を伸ばすことを望んではいないのだ。
     ただ、気に入った相手とずっと一緒にいたいだけ。まるで子供のようだ。人間的な欲望であるとさえ言える。
     しかし、ダークネスであるスキュラは、それを多数の人間たちに死や絶望をばらまきながら実行してしまう、できてしまう。
     灼滅者としては、受け入れることはできない。
    「奴はどうやら、どうやら、絆というものを勘違いしているらしいな」
     世良・九龍(マスカレイド・d21044)は身構え、ヴァンパイアの魔力を宿した霧を纏って攻撃に備えた。
    「あたしに難しいことはわからない。あたしにあるのは力だけだ。でもな、あたしにだって大事な仲間がいるように、この海空にも大事な仲間ができてんだ。それを邪魔するってんならあたしがお前をぶっ潰してやるよ!!」
     白・美沙希(右手に破壊を左手に安楽を穿て・d19438)は拳を握った。
    「夏美との絆は確かにある。だが譲れないモノもある。お前がダークネスである限りこの溝は埋まらない。だからこそ今ここで灼滅する!」
     鈍・脇差(ある雨の日の暗殺者・d17382)は日本刀を、スキュラに向かって抜き放つ。
    「力ずくで誰の心を掴めるって言うんだい」
     レニー・アステリオス(星の珀翼・d01856)の背に、天翼の形を取ったバトルオーラが広がる。
    「……どうしようもねぇんだろうなぁ。ああ、なら仕方ない。仕方ないさ」
     入間・眞一(平凡たる逸般人・d07772)は妖の槍の穂先を、真っ直ぐにスキュラへと向け、冷気を凝らせた。
     説得は不可能。そう判断し、灼滅者たちは打って出る。
     畳み掛けてゆく灼滅者たちを、スキュラは歌で次々と迎え撃った。
     邪悪な歌は耳から侵入し、ダメージを与えると共に酩酊感を与えてきた。歌に酔わされてしまえば同士討ちを始めてしまいかねない、淫魔らしい厄介な技だ。
    「あまり人間を見くびるなよ」
     明石・鏡華(淡き光の狙撃手・d06007)は、コウヤ(ビハインド)の背後からヒーリングライトで矢継ぎ早に仲間たちを癒してゆくが、間に合わない。
    「ほらほら、がんばらないと。ふふふ……」
     笑い、歌う、スキュラの輪郭が暗い靄のようなものでぶれて見える。背負った澱みの深さが、尋常ではなかった。
     スキュラを囲んだ灼滅者たちが、思わず息を飲む。
     これほどの力を得る機会が、一体いつあったのか。
    「ああ、これ? お絹とオロバスが倒されたときに、残っていたエナジーを回収したの」
     スキュラは言いながら舞うように腕をふるうと、手近にいた灼滅者たちを弾き飛ばした。
    「……ふう。『犬』とは少々離れていても、絆の糸を通してサイキックエナジーのやり取りができるんだけどね」
     ゆらり、舞い終えたスキュラは顔を上げる。
    「私の誘いに魅了されて堕ちたコたちと程度の絆の繋がりでも、こういうことができるんだよ」
     尖った爪の指先が、空中をつい、と手繰る仕草をした。
     その指に絡む細いものが見える。空中に現れその手に握られたのは、糸の束だった。
     数え切れない本数の糸が、四方八方からスキュラの手の中に集結している。
     その糸の先が一体何に繋がっているのかを、はっきりと目にしたのは、箒で町の上空を飛んでいた三瀬川・鼓堂(よみ人しらず・d20570)だった。
    「人魚は海で泡になるもんだ。ハッピーエンドにはしてやらねぇ。……ん?」
     負傷者の撤退を手伝っていたので遅れて中学校へ向かっていた彼が見たものは、町中にいるダークネスたちに繋がった奇妙な糸。
    「なんだこりゃ……?」
     結界侵入組は夏美を守ることが第一だったため、襲い掛かってこなかったものは深追いしていない。2つの『結束点』を防衛していた軍勢の生き残りも、犬士たちを倒した後散っていったため、殲滅できたわけではない。町の中にはかなりの数のダークネスが残っていた。
     その1体1体から伸びた糸は、鼓堂の目指す場所――中学校へと集結している。
     ――オォオオオ!
     ――アァアアアア……!
     次の瞬間、町中で一斉に断末魔の声が上がった。
     糸を通じ、一気に、ダークネスたちからサイキックエナジーが巻き上げられたのだ。吸い上げられてエナジーが枯渇したダークネスたちは、次々に消えていく。
     やがて、町中がしんと静まり返った。
     中学校の屋上では、自らが堕としたダークネスたちからサイキックエナジーを奪い取ったスキュラが、満足げに笑っている。
    「ん。こんなもんかな」
     繋がる先のなくなった糸は、スキュラが掌を開くとはらりとこぼれ、空中で霧散した。まるではじめから、そこには何もなかったかのように。
    「お待たせ。さあ、続きをしよう!」
     赤い唇から、妖しく高らかに、歌が紡がれる。
     力を得たスキュラの攻撃は更に苛烈だった。
     ここに至るまでの戦闘で受けたダメージが大きく、心霊手術で回復しきれなかった者も多く、太刀打ちできないまま、灼滅者たちは一瞬にして圧倒される。
    「どう? なっちー。これでもやっぱり、人間がいいの?」
     スキュラは夏美を振り向いた。
    「完全に復活できてないあたしを相手にしてさえ、これだよ?
     今は活動してない奴らが多いってだけで、もっと強い連中なんてわんさかいるんだよ?
     これからずっと、そいつらと一緒にいて……耐えられる?」
     スキュラが夏美に視線で示すのは、傷つきながらも闘志を失ってはいない灼滅者たち。
    「ねえ、なっちー。こっちに来れば怖くないよ。なっちーがいれば、怖くなくできる。だから、おいでよ」
     これが綺亜羅からの最後の闇への誘いだと、夏美にはわかった。
    「それでも……私は学園の皆と一緒にいる。綺亜羅ちゃんのところには、行けないよ」
     夏美は、はっきりと頭を振った。
    「あ。切れた。…………残念」
     スキュラは独り言のように言って、溜息を吐く。
    「切れた……?」
    「うん。切れちゃった。すごく悔しいけど、なっちーはもう『犬』にはできない。絆の糸が、薄れすぎて切れちゃったから」
     夏美に頷き、肩を落としたスキュラからは毒気が薄れていた。まるで小さな普通の少女のようだ。
    「切れてしまったらもう、取り返しはつかないわ。……私の負け」
     負けたと言うのは灼滅者たちにか、夏美にか、それとも両方にか。
     力では圧倒しても、望みを叶えることはできなかった。そういう意味でスキュラは負けを認めたのだろう。
    「残念だわ……」
     スキュラはふらふらと、屋上の落下防止柵のほうへ後ずさった。
    「逃げるのですか!? そんなことはさせません!!」
     花(ナノナノ)と共に回復役に徹していた月見里・和(朧月・d09905)が、ここで倒せる可能性があるならばと、神薙刃を放つ。
     切り裂く烈風の渦の中に、スキュラの体が飲み込まれた。だが、しかし。
    「五月蝿い」
     スキュラは荒れ狂う風の刃の中、一瞬にして人間の来栖綺亜羅の姿から、淫魔としての本来の姿に変じる。
     そして風の刃を魚の尾で弾き、かき消した。
    「……本当に残念だ」
     スキュラは深く溜息を吐き、夏美を見る。
    「綺亜羅ちゃん」
    「だがとりあえず、貴様らの許にいる限り、他のダークネスにみすみす殺されることはない、か」
     スキュラは未練を振り払うように夏美から目を逸らすと、ピンと指を伸ばした。
     指先に陽炎が立ち昇り、爪先に1文字ずつ、仁義礼智忠信孝悌の8文字が浮かび上がる。
    「このコにしよう」
     ふ、と唇を細めイキックエナジーを吹き込んだのは、忠の1文字。
     文字を包み込んだ陽炎が吹き飛ばされて弧を描き、渦となり円を描いて、白い珠に変じた。
     現れたのは、左肩に牡丹の文様のある、ひょろりと四肢の長い、痩せこけた大きな犬だ。
    「久方ぶりだな。『忠』の犬士・緋影丸よ」
     スキュラは艶かしい仕草で、犬の背にしなだれかかった。
     ぐぅる、と、聞く者の腹に響く低い声で、犬が唸る。
    「少し、身体が重い。……どこか遠くへ」
     スキュラが耳元に囁けば、ごう、と唸る音を立てて、左肩の牡丹の文様が火を吹いた。
     たちまち、痩せこけた犬の体が炎に覆われる。イフリートだ。
     スキュラを背に乗せた緋影丸は灼滅者たちに背を向けると、しなやかに力強く跳び、屋上の柵を軽々と越えた。

     チーム【有閑】は、スキュラの逃走ルートになりそうな場所を探した結果、校門周辺を塞いでいた。
     屋上の戦いの気配と、先ほど起こった恐ろしい量のサイキックエナジーの集結は、下から見上げていても感じた。
     何が起こってもおかしくない。
     張り詰めた空気の中、屋上から炎の尾を引いて、火球のようなものが飛び降りてきた。
    「ヘーイ! 諸君! お出ましっぽいッスよ!」
     一來・十麻(フリーランス・d19992)はガンナイフの切っ先を巨大な火の玉に向けながら、警戒を呼びかける。
    「オロバスがソロモンの悪魔、お絹っていうのが六六六人衆。となると、イフリートが八犬士として名を連ねていても可笑しくはないわね」
     中山・ひなた(野生乙女な森ガール・d17515)はウロボロスブレイドをしならせ、迎え撃つ態勢を取る。
     離れた他の場所を塞いでいた灼滅者たちにも、真っ赤な火の塊が、炎を纏った大きな犬と、その背に乗ったスキュラだとわかった。
    「行こう」
     若紫・莉那(とりあえずフルボッコ・d20550)が、ブラックサンダー(ライドキャリバー)に騎乗し【静寂の月】のメンバーを率いてくる。
    「…………去るぞ」
     鬱陶しげにスキュラは目を細め、犬の耳元を撫でた。
     ウォン!
     イフリート――緋影丸が一声吠え、駆けだす。
    「……っ、交戦開始(エンゲージ)!」
     病葉・眠兎(年中夢休・d03104)の張ったバレットストームの弾幕をものともせず、スキュラを乗せたイフリートは迫ってくる。
    「これ以上の勝手は許しません。神の名の下に、断罪します」
     深海・水花(鮮血の使徒・d20595)のジャッジメントレイを喉許に食らっても、緋影丸の脚は止まらない。
    「慕う者を斬り捨てる貴方に、もう居場所はありません」
     オリシア・シエラ(桜花絢爛・d20189)が放った妖冷弾が、巨獣の纏った炎を貫いたけれど、これも、浅い。
    「その様子じゃ思い通りにはならなかったんだろうな。物騒なやり方じゃ友達できないよ? もうわかっただろうけ、ど……っ!」
     弘瀬・燈弥(深紅星・d16481)が、バニシングフレアの炎の奔流を放つ。しかし、イフリートの放った炎に当たり負けた。
    「私は、私の欲望に従う。……この先も」
     吹き飛ばされ、倒れた燈弥の脇を通り際、スキュラは呟きを落とす。その声音は尊大で、しかし悔しげにも、悲しげにも聞こえたのは、気のせいだっただろうか。
     新たに復活させた犬士・緋影丸と共に、スキュラは去った。
     甚大な被害を受けつつも人の手に取り戻すことのできた町には、炎の巨獣が駆け去った火の粉の軌跡が、暫しの間消えずに残っていた――。

    作者:階アトリ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年11月20日
    難度:普通
    参加:3880人
    結果:成功!
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