わがまま姫の憂鬱

    作者:春風わかな

     セーラー服に身を包んだ少女の頬を夜風が静かに撫でる。
     涼やかな秋風に少女の髪がふわりとなびいた。
    「……来るかしら」
     誰に向けてでもなく、少女はぽつりと呟く。
     今回も、彼らは作戦を邪魔しに来るのだろうか。
     自分の懸念であってほしいと願う反面、この手で確固たる証拠を掴みたいという気持ちも否定できない。
     果たして――。
     少女は周囲の気配に意識を集中させつつ、そっと扉に手をかけた。

     薄暗い部屋の中には17~18歳の少年が1人立っているだけだった。
     少女に背を向けている少年の足元には何か――人間だったモノが無造作に転がっている。少年の足元を赤く染める血の量から犠牲者が複数人であることは容易に想像できた。
     カツンと靴音を響かせ、少女は少年に向かって一歩を踏み出す。
    「おや、ノックもせずに入ってくるなんて――いくら美しい女性でもマナー違反じゃないですかね」
    「あら、なぜ私が女性だとおわかりになったのかしら?」
     形の良い眉をぴくりと上げ、少女は思わず反論した。
    「そんなの簡単ですよ」
     くるりと振り返った少年がぴんと指を一本立て事も無げに言う。
    「そこの窓に貴女の姿が映っていました」
     少年はすっと目を細めて窓の隅を指さした。扉を開け光が入った一瞬の変化を見逃さなかったということか。
     少年を真正面から見つめ、少女はゆっくりと口を開く。
    「――貴方に、ぜひやっていただきたいことがあるの」
    「僕に? いいでしょう。まずは話を聞かせていただきましょう」

    「デモノイドロードのこと、知ってる?」
     灼滅者たちが教室に集まった事を確認すると、久椚・來未(中学生エクスブレイン・dn0054)は抑揚のない声で静かに問いかけた。
     普段はデモノイドヒューマンと同じ能力を持っているが、危機に陥ると『デモノイド』の力を使いこなしてデモノイドとして戦うことができる。まるで自分の意思で闇堕ちできる灼滅者……それがデモノイドロード。
    「厄介な事件が、起きる」
     來未が言うにはデモノイドロードが事件を起こした場所にヴァンパイアが現れ、デモノイドロードを連れ去って行くのが見えたというのだ。
     まさに、クラリス・ブランシュフォール(蒼炎騎士・d11726)の『デモノイドロードを自勢力に取り込もうとするダークネスが現れる』という懸念が現実のものになってしまったといえる。
     でも、と來未は淡々と告げた。
    「ヴァンパイア勢力との全面戦争は、避けて」
     事件を穏便に解決するには、ヴァンパイアが現れるまでの短い間にデモノイドロードを倒さなければならない。
     デモノイドロードの名前は『柊』という。彼は、深夜に町外れの古い洋館にいるらしい。
     幽霊屋敷と近隣住民たちに噂されているこの屋敷に、不良グループの少年たちが忍び込み、そして柊に殺される。そこへヴァンパイアがやってくるというのが來未の見た内容だ。
    「接触のタイミングは、少年の1人が悲鳴をあげ殺された時」
     残念ながらこの少年は悲鳴をあげたと同時に柊に殺されてしまうため、どうしても助けることができない。
     だが、他の少年たちは助けることが出来ないこともない。
     他の部屋にいる少年たちは悲鳴を聞いた後、2~3分後に柊がいる部屋へとやってくる。
     彼らをうまく足止めをすることが出来れば事件に巻き込まれずにすむだろう。
     戦闘になった場合、柊はデモノイドヒューマンとガンナイフによく似たサイキックを使用し、後衛から正確な射撃で敵を狙う。
    「デモノイドロードは、人質をとったり、逃走する可能性があるから」 
     冷静にして非情な敵なので、戦闘時には気を付けてほしいと來未は言い添えた。
     今回現れるヴァンパイアは朱雀門高校のヴァンパイアだ。
    「彼女の名前は、華山院・茉莉花(かざんいん・まりか)」
     知っている人がいるかもしれない。以前、習学館学園高校の支配を目論んでいたヴァンパイア。気紛れな性格の持ち主だが、今回はちょっと違う様子らしい。
    「作戦を邪魔されること、予想してるかも」
     転校生作戦を失敗した経験からか、彼女なりに考えるところがあるようだ。
     灼滅者と遭遇した場合、茉莉花は積極的に戦闘をしかけてくることが予想されるため、さらに厄介なことになる――來未の言葉に灼滅者たちは黙り込む。
     茉莉花がやってくるのは柊と戦闘を開始してから10分後。
     確実を期すならば8分以内に彼を灼滅し、撤退をすべきだろう。

     ――もしも、柊を灼滅する前に茉莉花が現れたら?
     
     灼滅者の問いに來未はさらりと答えた。
    「すぐ、戦闘を中断して、撤退して」
     茉莉花とまともに戦闘になれば勝利は難しい。しかもその後の情勢も悪化するので万が一にもヴァンパイアとの戦闘は避けるべきだと來未は重ねて言う。
    「厄介だけど、よろしく」
     茉莉花が何を考えているのか――頭を悩ませる灼滅者たちを來未はいつもと変わらぬ様子で送り出すのだった。


    参加者
    加藤・蝶胡蘭(ラヴファイター・d00151)
    領史・洵哉(和気致祥・d02690)
    風華・彼方(小学生エクソシスト・d02968)
    弥堂・誘薙(万緑の芽・d04630)
    リオーネ・ブランシュ(運命黙示録・d04884)
    龍田・薫(風の祝子・d08400)
    如月・春香(クラッキングレッドムーン・d09535)
    リリー・アラーニェ(スパイダーリリー・d16973)

    ■リプレイ

    ●幽霊屋敷とデモノイドロード
     その洋館は『幽霊屋敷』と噂されるに相応しい場所であった。
     重く錆びついた扉をゆっくりと開けて灼滅者たちはこっそり館へと忍び込む。
     うっすらと埃の積もった廊下にまだ新しい足跡が複数。この屋敷へ肝試しにやってきたという不良少年のものだろう。
     足跡の先を視線で追いながら、領史・洵哉(和気致祥・d02690)はぽつりと呟いた。
    「しかし、デモノイドロードとヴァンパイアが繋がるとは思いませんでした」
     弥堂・誘薙(万緑の芽・d04630)も首を傾げて意外そうに口を開く。
    「彼ら……ヴァンパイアたちは、あの悪意の塊を利用できると本気で思っているのでしょうか?」
     緊張を含んだ誘薙の声に反応したのか、霊犬の五樹がピンと耳を立てて辺りを警戒するように視線を巡らせた。
    「確かにヴァンパイアの同行も気にかかる」
     でも、と加藤・蝶胡蘭(ラヴファイター・d00151)はこの屋敷のどこかにいるデモノイドロードへと意識を向ける。
    「先ずは目の前の許せない敵の対処をしなくちゃな」
     蝶胡蘭の言葉に「そうね」と静かに応える声の主はリオーネ・ブランシュ(運命黙示録・d04884)。
     ヴァンパイアたちにデモノイドロードの力を利用させるわけにはいかない。
     だから――。
    「限られた時間の中での戦い……それでどこまでやれるか、最善を尽くすだけ、ね」
     今回、デモノイドロードを灼滅するにあたり、彼らは自らに制限時間を課していた。
     その時間、8分。
     8分を超えて戦うこと――それは、後にこの屋敷へやってくるヴァンパイアと遭遇するリスクが高まることを意味する。
    (「華山院・茉莉花……悪いけれど、貴女の思い通りにはさせないわ」)
     まだ相対したことのないヴァンパイアへの苛立ちを押えつつ、リリー・アラーニェ(スパイダーリリー・d16973)はDSKノーズを発動させた。
    「――!」
     先程までは感じなかった『匂い』がはっきりとわかる。ヴァンパイアが近くにいる可能性は低い。故に、この屋敷のデモノイドロード――柊から発せられている匂いだとリリーは確信すると、一番強く匂いを感じる部屋を指差した。
    「あの扉の奥に、デモノイドロードがいるわ」
     リリーが指し示す扉に8人の視線がいっせいに向けられる。
     そして――。
    「ぎゃぁぁぁ!」
     扉の向こう側から響き渡る断末魔の叫び。
     それは、1人の罪のない命が奪われた瞬間でもあると同時に突入の合図でもあった。
     風華・彼方(小学生エクソシスト・d02968)は素早くカードの力を開放すると、武器を構えて真っ先に扉へと駆け寄る。
    「行くよ!」
     仲間たちの返事を聞く必要はない。
     彼方は、バァン、と勢いよく扉を開け放った。

     部屋の奥には一人の少年の姿が見える。彼が、デモノイドロードの『柊』に間違いないだろう。
     柊が手に持っているモノは人間だというには歪で不自然な形で折れ曲がっていた。
     龍田・薫(風の祝子・d08400)は、窓際に佇む柊から視線を外すことが出来ない。
     ――自分の目の前で、人が、殺された。
     初めて覚える感覚。薫はギリリと音が聞こえる位強く奥歯を噛む。
     そんな薫に気付く様子もなく。柊は手にしていたモノを無造作にポイっと放り投げた。
    「――!」
     足元では霊犬のしっぺが低い唸り声をあげ柊を威嚇する。
     しかし、薫はぎゅっと拳を握りしめ、怒りをぐっと堪え、しっぺの背をそっと撫でた。
    「……ぼくらは、サポートだよ」
     自分に言い聞かせるように薫は一言ずつゆっくりと噛み締めながら言う。
    「――おや。お客様でしたか」
     薫の声に反応し、柊がゆっくりと灼滅者たちの方へと顔を向けた。
     声だけ聞けば自分の年齢とさほど変わらぬ少年に思える。
     如月・春香(クラッキングレッドムーン・d09535)は素早く部屋に入るとすぐに一般人が入ってこないように強烈な殺気を放った。
     一般人であれば本能的に拒絶するであろう恐怖が渦巻く部屋にいても柊は顔色一つ変えることはない。
    「今日はまた来客の多い日ですね」
     柊は緩慢な動きで手に持っていたガンナイフの銃口を誘薙に向けると素早く引き金を引いた。
    「あいにくと、ご招待した記憶はありませんけれども」

    ●嚆矢
     バァァァン!
    「五樹!」
     銃声とほぼ同時に誘薙は相棒の名前を叫ぶ。
     柊が狙いを定めて撃った弾は的――誘薙ではなく、主の盾となった五樹の身体を貫いた。
    「邪魔が入りましたね」
     悔しそうに呟く柊を裁きの光条が包み込む。悪しき者を滅ぼす聖なる光に包まれ、柊は眩しそうに目を細めた。
     無数の髑髏を鎖でくくりつけた大鎌を手に、ぽつり、ぽつりとリオーネが言葉を紡ぐ。
    「……貴方を倒しに来た。それだけ、ね」
    「倒す?」
     聞き間違いかと怪訝そうな顔をした柊の頬をひゅっと何かが掠めた。そっと頬へ手をのばしてみると生温かい液体が手につく。
    「例えどこに行ってもおまえがそこの一般人にやったことと同じ目に遭わせてあげるよ」
     弓に矢をつがえた彼方が柊の背後から声を掛けた。
    「ボクらから逃げることは不可能だ」
     だが、柊は彼方の発言に臆するどころか楽しそうに笑い声をあげる。
    「それは面白い。この玩具はすぐに壊れてしまったのでもう少し遊びたいと思っていたところだったのですよ」
     そして、慣れた手つきで灼滅者たちに銃口を向けると目にも止まらぬ速さで引き金を引いた。
     ダダダダダダダッ。
     小気味よい銃声音が室内に響き渡り、埃が舞い上がる。弾幕がリオーネたち後衛の面々を包み込んだ。
    「危ないっ!」
     長い茶色のおさげが揺れて、彼らを銃弾から護るように素早くその身を滑り込ませる。――蝶胡蘭だ。そして、自身の傷など意にも介さず怯むことなく柊への距離をぐっと詰めた。赤いフレームの眼鏡の奥の瞳がキッと敵を睨み付ける。雷を纏った左の拳を思い切り突出し、柊に強烈なアッパーカットを喰らわせた。
    「今、回復しますね」
     誘薙と薫はチラリと視線を交わす。お互いが回復すべき相手を無言で確認すると、誘薙は仲間を鼓舞する歌を唄った。柊の攻撃から仲間を庇った護り手たちの傷が癒される。と、同時に薫は癒しの力を込めた矢をリオーネに向かって撃つ。傷が回復するだけでなく、彼女の眠っていた超感覚を呼び覚ました。
    「千秋」
     春香は自分と同じ灰色の髪を持つ片割れの名をそっと呼ぶ。ビハインドの千秋は何も言わないが、二人の間に言葉は不要だった。
     春香が激しくギターをかき鳴らし、音の波が柊を襲う。と、春香と挟み込むように千秋が目に見えぬ衝撃波で攻撃をした。
     もちろん、柊もただ黙っているわけではない。癒し手に狙いを定め、執拗に攻撃を繰りかえすが霊犬たちが懸命に主を護っていた。
     洵哉もまた後衛の仲間を庇うように前に立ち、魔力を宿した杖で柊を力いっぱい殴る。
     普段とは違うが味方を守る方法は一つではないと確信し、洵哉は武器を握る手にぐっと力を込めた。
     ねぇ、とリリーは柊に声を掛ける。
    「まだ『オイタ』をするつもりなの?」
     柊は返事代わりに武器を同化させた左腕を薙ぎ払った。
     残念そうに溜息をついたリリーの影が柊に向かって伸びる。
     ――悪い子にはお仕置きが必要ね。
     影はいつしか大小の蜘蛛へと姿を変えて柊へと群がり、暗闇へと飲み込んでいくのだった。

    ●悪魔の辿る道
     時計の秒針がまた12の数字を指し示す。
     すでに柊の銃撃から主を庇い続けたしっぺと五樹は姿を消していた。
     だが、それでも9対1――。強力な敵とはいえ、手数の多さで確実に柊を追い詰めている。
     誰もがそう信じて疑わなかった。
     しかし。
    「……?」
     癒しの矢で味方の傷を回復していた薫が小さく首を傾げる。
     柊にはまだ余裕があるように見える。何か奥の手を持っているかのような――。
     怪訝そうな薫に気付いた柊はニヤリと不敵な笑みを浮かべてリオーネの攻撃をひょいとかわした。そして勢いをつけて跳躍するとひらりと天井からぶら下がっている照明へと飛び乗り、灼滅者に向かって銃弾の雨を降らせる。
    「少々長く遊びすぎましたね。そろそろお暇させていただきます」
     立ち上がって慇懃に一礼すると同時、照明を勢いよく揺らし反動をつけ窓へと飛び込んだ。
    「待て!」
     慌てて弓を引き絞る彼方の視界の端で何か黒い影のようなものが蠢く。
    「逃がしません!」
     誰よりも早く反応したのは柊が逃亡することを懸念していた誘薙だった。
     足元から伸びた影は柊が窓を突き破るよりも早く窓を蓋い、逃亡を図ろうと突っ込んできた柊の身体を容赦なく切り裂く。
    「人を襲わないのなら、僕たちはあなたに手出ししません」
    「チッ……」
     逃亡を阻止され、悔しそうに柊は舌打ちを一つ。
    「ちっとも立場をわかっていないようね」
     力なく座り込んだ柊を見下ろし、淡々と春香が告げた。
    「貴方がするべきことは逃亡じゃなくて、命乞いでしょう?」
    「命乞い……」
     柊は視線だけを動かして春香を見つめる。
     もっとも、と春香は肩をすくめると吐き捨てるように言った。
    「そんなことをした所でダークネスを見逃す理由なんてないのだけれど」
    「見逃す? 誰が?」
     フフンと軽く鼻で笑うと柊は小馬鹿にするような目つきで誘薙と春香を睨み付けた。
    「――それはこっちの台詞です」
     ヴァァァァ!
     人間のものとは思えない大きな叫び声に灼滅者たちは耳を塞ぐ。
     そして、彼らの目の前で柊の身体は巨大な蒼い悪魔へと姿を変えた。咆哮とともに、武器と融合した左腕がブンっと空を薙ぐ。攻撃をかわそうと洵哉は身をよじるが避けきれず、服もろともばっさりと斬られた。集気法による回復だけでは傷は治らず、薫やも癒しの矢を放って支援する。
    「全く……スカウト係に連れて行かれたら迷惑なんだけど」
     溜息交じりに呟く彼方の声に柊が反応する素振りは見えなかった。左腕を銃に変えると迷うように大きく腕を上下に揺らしながら一人ずつ銃口を向ける。
     だ・れ・に・し・よ・う・か――。
     嬉しそうに獲物を見定めている柊の腕に青白い糸がヒュンっと絡みついた。
    「『オイタ』をしたらどうなるか――その胸に刻んでおきなさいな」
     目にもとまらぬ速さでリリーは蜘蛛の糸を操り、柊の腕を切り裂く。
     痛みに堪え切れず悲鳴のような鳴き声をあげる柊を彼方は呆れた様子で見つめていた。
    「人にやったことが自分に返ってこないなんて、ちょっと調子良すぎるんじゃない?」
     魔法の矢を創り出すと柊に向けて撃ち放つ。矢は狙い通り柊の膝に命中すると、大きくバランスを崩してよろめいた。
    「悪いことをすれば、例え強くなってもそれ以上に強い相手に狩られるだけだよ」
     彼方の言葉に反論する知性は、柊にはもう残っていない。全てを腐食させる液体を飛ばして目の前の敵を攻撃することしかできない。
     液体がリオーネに降りかかるよりもワンテンポ早く蝶胡蘭が動いた。攻撃を肩代わりすると同時、トンと肘でリオーネを突いて声には出さずに意思を伝える。
    (「私が気を惹くから、隙を見て攻撃を)」
    「――わかった」
     こくりとリオーネが頷いたのを確認すると、蝶胡蘭は光の剣で柊に斬りかかった。
     煩わしそうに蝶胡蘭を払い除けようと柊が彼女に意識を向けた瞬間、リオーネが【メメント・モリ】を振りかぶる。
    「悪いけど、生かしておく事は出来ないから……その命、断ち斬らせてもらう、ね」
     そして、鎖をガシャガシャと鳴らしながら断罪の刃を振り下ろした。
     ズブズブと音を立てて青い肉片が溶けてゆく。そこには何も残らない。
     ――これが、デモノイドロード・『柊』の辿った末路だった。

    ●茉莉の花
     ヴァンパイアの狙いを阻止することは出来た。
     だが、正確に時間を計っていた者が不在だったため、何分経過したのか自信を持って答えられる者はいない。
    「どうしますか?」
     問いかける誘薙に蝶胡蘭は一瞬だけ躊躇う。
     ヴァンパイアはまだ来ていない。
     せめて痕跡が残りそうなものは回収したい。
     だが、残された時間は不明。
     ならば、優先すべきは……。
    「では、事前の打合せ通り!」
    「……わかったわ」
     蝶胡蘭の言葉にこくりと頷き、リオーネがガシャンと窓ガラスを割る。そして皆に部屋の外へと出るように促した。
     外は暗いが、事前に周囲を確認した彼方の頭の中にはばっちり逃走経路がインプットされている。
    「こっちよ」
     DSKノーズを頼りにヴァンパイアを避ける道を選んで走るリリーに従い、春香も洋館を後にする。
     部屋に残っているのは、薫と洵哉の二人だけ。
    「彼女への挨拶代わりに、これを――」
     薫はそっとジャスミンの花を床にまいた。ふわりと漂う良い香りが戦闘の疲れを癒す。
     茉莉花はジャスミンの一種。
     すなわち、ここに茉莉花が来ると知っていたという意思表示。
     そして、洵哉もまたポケットから取り出した紙をこそりと槍の穂先に突き刺すと、音を立てぬように床に放り投げた。
    (「これを見て茉莉花さんはどう判断するでしょうか」)
     ――だが『茉莉花とは接触しない』ことを彼らは選択したのだ。
    「行きましょう。彼女の反応を見ることができないのが残念ですが」
     これ以上の長居は禁物。
     ヴァンパイアに遭遇せぬよう、二人は素早く部屋を後にする。
     無人の部屋に吹き込む秋風が、床に残された白い花を静かに撒き散らした。

    作者:春風わかな 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年9月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 10/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 5
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