シャドウ・オブ・ジ・オペラ

    作者:志稲愛海

     これでもう何度目だろうか――ふわっと、大きな欠伸がまたひとつ。
    「リル、何だかとても眠そうね」
     顔を覗き込む同じ合唱団に所属する友人達に、こくりと頷いてから。
    「最近……なんだかよく、眠れないの」
     リルと呼ばれた彼女は、眠そうな目を擦りながらも首を傾けた。
     まだ今は昼間。眠たくなるような時間ではないし、昨晩夜更かしなどもしていない。
     それに今いるのは、健やかな眠りに誘われるような静かな場所でもなく。
     人の多い、賑やかな空の玄関口・国際空港である。
    「今更時差ボケしちゃた? でも日本公演も終わって、あとはパリに帰るだけだしね」
    「パリに着くまでフライト時間はたくさんあるから、ゆっくり休めるよ。あ、まだ搭乗まで時間あるし、何かお茶でもする?」
     そう肩をぽんっと叩かれ、リルは正体不明の眠気に再び小さく欠伸しながらも。
    「そうね。私、日本のマッチャジェラートがとても気に入ったから。もう一度食べたいわ」
     抹茶アイスを食べに、空港内にある甘味処へと友人達と向かうのだった。
     

     どこか懐かしむような視線で、ぺらりとガイドブックをめくっていきながら。
     あるページを見つけ、手を止めた飛鳥井・遥河(中学生エクスブレイン・dn0040)は。
    「オレも数年前にね、パリのガルニエ宮でオペラを観たことあるんだけど。その時の演目は確か、ロッシーニの『La Cenerentola』だったかなー。今は新しいバスティーユの方がメインで、ガルニエでのオペラ公演って少ないみたいなんだけどさ。やっぱり、『オペラ座の怪人』の舞台であるガルニエ宮でオペラを観たいって、母様の希望でさ」
     でも、すごいなぁって思ったけど何て歌ってるかはわかんなかったーと笑いながらも。
     遥河は、集まってくれてありがとーと灼滅者達を見回し、本題に入る。
    「それでさ、今回察知した事件なんだけど。シャドウの一部が、日本から脱出しようとしているらしいんだ」
     日本国外は、サイキックアブソーバーの影響で、ダークネスは活動することができない。
     にもかかわらず、シャドウは、日本から帰国する外国人のソウルボードに入り込み、国外に出ようとしているのだという。
    「シャドウの目的はわからないし、この方法でシャドウが国外に移動できるかどうかさえも不明なんだけど……最悪の場合、日本から離れた事で、シャドウがソウルボードから弾き出されちゃって、国際線の飛行機の中で実体化してしまうこととかになるかもしれない。だから、国外に渡ろうとするシャドウの撃退をみんなにお願いしたいんだ」
     今回シャドウが入り込んでいるのは、フランス人のリルという名の少女のソウルボード。
     彼女はフランスのオペラ集団の一員で、日本公演のために来日していたというが。
     それも終わり、フランス・パリへと帰国するところなのだという。
    「リルはね、まだオペラ歌手としては駆け出しで、合唱団員の一人として日本に来たんだけど。彼女の傍には、同じ合唱団員のルイーズとレアって女の子が一緒だから……上手くリルだけを誘い出して眠らせて、彼女のソウルボードにソウルアクセスする必要があるよ」
     リルは、茶色に近い金髪ストレートの少女。他の二人とは髪型で見分けがつくだろう。
     そして、リルも一緒にいる少女も、日本語は殆どわからないというが。
     リルだけどうにかして誘い出し、彼女の夢にアクセスして欲しい。 
    「それで、アクセスした夢の中は、特に何か事件とかは起こってないよ。でも、灼滅者のみんながソウルボードに侵入したのを見つけたら、元凶のシャドウが迎撃してくるから。そのシャドウを、リルの夢から追っ払って欲しいんだ」
     そんなリルの夢の中の風景は――オペラ・ガルニエ。
     遥河が広げたガイドブックにも大きく取り上げられている、有名なパリのオペラ劇場だ。
     近年、オペラ公演は新しくできたオペラ・バスティーユの方で主に行なわれているが。やはりオペラ歌手を夢見る少女にとって、歴史の重みある荘厳なガルニエ宮は特別なのだろう。
    「ソウルボードに入るとね、ガルニエ宮の入口にでるよ。そこから劇場内に移動すれば、ステージにいるシャドウと戦闘になるんだ」
     荘厳な雰囲気を醸し出す大理石の館内に、明かりの灯った大きなシャンデリア。
     そして鏡のある大階段を登った、その先。
     丸天井に浮かび上がるシャガールの絵が描かれた劇場内――そこに、シャドウはいる。
    「敵は1体だけで、シャドウのサイキックと、あとは神秘的な歌声を響かせて攻撃してくるよ。その歌声は、聴いた人間の体力を奪うものみたいだね。でもそう強敵じゃないから、油断しなければ追い払うのは難しくないと思うよ」
     何の目的があるのか、また国外に出たシャドウがどうなるかは分からないが。
     リルを誘い出し眠らせ、ソウルボードにいるシャドウを、彼女の夢から撃退して欲しい。
    「今回の舞台は、ファントムならぬシャドウのいるオペラ座、だね。でもソウルボードに入り込んだシャドウが日本を離れると、どうなっちゃうんだろうね……」
     遥河はそう、ふと首を傾けた後。
    「でもこのまま国外逃亡を許しちゃったら、色々大変なことが起こっちゃうかもしれないから。事件の解決を、よろしくお願いするね」
     気をつけていってらっしゃい、と灼滅者達を見送るのだった。


    参加者
    伊舟城・征士郎(アウストル・d00458)
    藤柴・裕士(藍色花びら・d00459)
    睦月・恵理(北の魔女・d00531)
    神代・煉(紅と黒の境界を揺蕩うモノ・d04756)
    イブ・コンスタンティーヌ(愛執エデン・d08460)
    ライン・ルーイゲン(ルフティヒ・d16171)
    八神・菜月(徒花・d16592)
    久瀬・隼人(反英雄・d19457)

    ■リプレイ

    ●Ouverture
     何処の国からやって来たのだろうか。大きなスーツケースを引き、足を踏み入れたばかりの独特な異国の空気に忙しなく視線を動かす人もいれば。
     これから何処の国へ旅立つのだろうか。大きな土産袋を提げ、抱き合い別れを惜しむ人達の姿もみられる。
     ここは出会いと別れが入り混じる場所――空の玄関口、国際空港。
     だが、今回8人の灼滅者が訪れた一番の目的は、誰かの見送りでもお迎えでもない。
    (「シャドウが妙な動きをしておりますね。わざわざ出ようとしているからには目的がありそうです」)
     イブ・コンスタンティーヌ(愛執エデン・d08460)が聞いた級友のエクスブレインの未来予測によると、シャドウが妙な動きをみせているのだというが。
     その目的は、未だ分からない。
     だがきっと、何らかの魂胆があっての行動だろう。
     そしてその目的がどんなものか、気にはなるが。
    (「なにをたくらんでやがんのか知らねェが、たくらみは速いうちにつぶさねェとな」)
     飄々とした様子ながらも、久瀬・隼人(反英雄・d19457)は独自の正義感を宿す瞳で、賑やかな空港内をぐるりと見回した。
     シャドウが潜むのは、ある少女のソウルボード。
     まずはその少女・リルを見つけ、彼女の夢に侵入しなければならない。
    (「誘導と接触にわかれてばらけさせるんだっけ」)
     海外になんかいってどーすんだろね、シャドウのやつは、と。
     どこか気怠げながらも仲間と立てた作戦を遂行すべく、同じ誘導班のイブや神代・煉(紅と黒の境界を揺蕩うモノ・d04756)にとりあえず付いて行きながら、八神・菜月(徒花・d16592)は思う。
    (「ソウルボードってもっと融通利くもんだと思ってたけどこんな手使わないと移動できないんだ」)
     何とも面倒な手段を使っているシャドウであるが。
     ソウルボードは思ったよりも、そう万能ではないのかもしれない。
     そして菜月達誘導班と分かれた接触班の皆が向かうのは、空港内の甘味処。
     幸い、好きな席を選べる程度に店内は空いていて。灼滅者達は、飛行機の離着陸が眺められる窓際の席に座った。
     それは勿論、飛行機を見る為ではなく……先に居たフランス人の少女達から、一番近い席であるから。
     友人達と残り僅かな日本での時間を楽しみながらも、ひとり、どこか眠たげな少女。さらりと流れるストレートの金髪の彼女がリルであることは、一目瞭然であった。
     ライン・ルーイゲン(ルフティヒ・d16171)はそんな彼女の表層意識に触れ、大まかに趣味趣向を把握し、そっと仲間にも知らせて。
     それを元に、まず少女達に声を掛けたのは、睦月・恵理(北の魔女・d00531)と伊舟城・征士郎(アウストル・d00458)であった。
    「あら? 失礼、其方達もしかして、パリの合唱団の……あ、私の仏語、お聞き苦しかったら御免なさいね。少しでも判ればオペラの味も違うかと思って独学を始めたばかりでして」
    「私は日本の少年合唱団に所属している者なのですが、皆さんの会話が聞こえましたので声を掛けさせて貰いました」
     突然掛けられた声に、一瞬驚く少女達であったが。
    「フランス語、とてもお上手だわ。お会いできて光栄よ」
    「ええ、私達はパリの合唱団に所属しているの。貴方は日本の合唱団の人なのね」
     以前公演で見たと、敢えて未熟なフランス語で伝え、独学する程にはまり始めたファンの振りをする恵理と。ハイパーリンガルを駆使した征士郎の、流暢で丁寧な物言いや紳士的な振る舞いと、そして同じように合唱団に所属する者であるという言葉に。すぐに、少女達は表情を和らげて。
    「フライトまでの退屈凌ぎで構わないので、ご一緒しても宜しいですか」
    「私達、これからパリに帰るのよ。でも、まだフライトまでは時間があるから……是非」
     リルは眠そうながらも、そう灼滅者達に微笑んで頷いたのだった。

    ●À l'intérieur d'un rêve
    「日本公演見たんやけど、すごかったわー! もしよかったら、握手してもらってもええ?」
     オペラのことは正直あまりよく知らないし、フランス語も分からないが。
     事前に雑誌や動画で予習してきた藤柴・裕士(藍色花びら・d00459)は、にぱっと人懐っこい笑顔を少女達に向けて。
     フランス語が話せる隼人の通訳で彼の言葉を理解した少女達は、快く裕士の手を握る。
     彼女達はまだ駆け出しで無名なだけに、握手を求められてとても嬉しかったらしい。
     感触は、まずは上々。
     それからさらに、警戒心を解いてもらう為の雑談を振っていく灼滅者達。
    「オペラでしたら、私はアイーダや椿姫が好きですね。皆さんは?」
    「やっぱりカルメンかしら。有名すぎるオペラだけど、実はとても奥が深いのよ。スペイン風の旋律だけど、あの優しくて流麗なフランス音楽が落ち着くわ」
    「オペラ座では、ビゼーの原作通りの台詞入りの舞台が見られるの、知ってた? あとは……ドイツオペラだけど、私は魔笛も魅惑的で好きよ」
     征士郎の問いに答えたのは、リルの友人の二人。
     リルも楽しそうではあるが、やはり眠そうな様子で。
     彼女のそんな様子をそっと窺いながらも、ラインも会話を続ける。
    「私は、オペラなら魔笛の夜の女王の2つのアリアですね。技巧が必要なあの曲はソプラノの登竜門ともいわれていますよね。声域を広げられたら歌えるんですけど」
    「あの曲は、コロラトゥーラの声質と高度な技巧が要求される至難の曲ですもの。でも完璧に歌いこなせれば、スターになることも夢じゃないわ」
     いつか自分達も有名なオペラ歌手になりたいと。そう夢に瞳を輝かせる少女達に、きっとみんななら有名になれると思うで! と応援してから。
    「そういえば、抹茶好きなん? 俺の親の出身が京都なんや」
    「わ、キョート! 今回は行けなかったけど、行ってみたいわ」
     隼人を介して告げられた裕士の言葉に声を上げる少女達。やはり外国人にとって、京都は興味深い地であるようだ。
    「マッチャスイーツは、リルが特に気に入ってるの」
    「おみやげにできる抹茶のお菓子が売っているお店が、空港内にもありますよ」
    「抹茶アイスの凄く美味しいお店なら、私もいくつか教えられますね」
     ラインに続いた恵理もこれは自前の知識で、彼女達におすすめの甘味処を教えて。
     素直に喜ぶ彼女達に、征士郎はふとこう言ったのだった。
    「そういえばパリといえば、ガルニエ宮のシャガールの天井画は見事ですよね」
     そして、その話題に真っ先に食いついたのは、リル。
    「ええ、素晴らしいわ! セイシロウは見たことがある? オペラ・ガルニエは私にとって、特別な場所よ」
     夢に見る程に憧れているガルニエ宮の話題に、リルはそう興奮気に言ったものの。
     ふわっとすぐに大きなあくびをし、瞳を擦った。
     その姿を見て、すかさず灼滅者達は続ける。
    「随分お眠そうですね……済みません、お疲れだったかしら」
    「確かこの近くに仮眠室があるので、そちらで少し休まれては? 案内しましょうか」
    「リル、かなり眠そうだしそうしたら? 私達はお土産見てるから」
    「うん……そうね」
     そして征士郎とラインに連れられ、仮眠のできるラウンジへとリルが向かったのを見計らって。
    「ごめんな。ちょっとだけ眠っといてな」
    「え? ……!」
     裕士の生み出した爽やかな風が、ルイーズとレアを眠りへと誘った後。
    「済みません、連れが時差疲れで……休憩所まで此方で連れて参りますから、お勘定をお願いします」
     二人に肩を貸し、ロビーのソファーに寝かせてから、恵理や隼人も急ぎ仮眠室へと向かった。

    「お客様、休める場所をお探しでしたらご案内いたしましょうか?」
    「良ければご案内致します。さぁ、こちらへどうぞ」
     プラチナチケットを使い、身なりも万全に、空港のラウンジのスタッフを装う煉とイブは、仲間が連れて来たリルへとそうすかさず声を掛けて。
     菜月も、皆の流れに合わせてゆるく彼女を奥へと誘導する。
     そして余程眠いのか、疑う事もなく柔らかなソファーに身を沈めたリルは。
     すぐさま、すうっと眠りの世界へと誘われたのだった。
     それから全員がラウンジへ集合し、合流を無事果たすと。
    「さあ、行こうか」
    「参りましょう、夢の中へ」
     煉の展開したソウルアクセスが、灼滅者達を導く。
     リルの夢――シャドウの潜む、オペラ座・ガルニエ宮へと。

    ●Le Ombre de l'Opéra
     まるで夢のよう――そう呟かずにはいられぬ程に圧倒される、宮殿の様な煌びやかさ。
     辿り着いたのは、キャンドルの灯りが映えるガルニエ宮のエントランス。ふと見上げれば、そこには華やかな天井画が。
     その天の絵画を目指すように二重に伸びる大理石の階段を、一段ずつ、劇場へと向かって上がっていく灼滅者達。
    「ガルニエ宮には一度行ってみたいと思っておりましたが、まさかこんな形で見えることになるなんて……」
     金箔と幾つものシャンデリアが眩しい、豪華絢爛なグラン・ホワイエを見回すイブをエスコートするかのように。その傍に在るのは、初めて殺めたい程に彼女が恋焦がれたひとの姿。
     そして吹抜けの空間を象るアーチを潜り、劇場へと足を踏み入れれば。
     8人を迎えたのは、シャガールの描いた見事な天井画『夢の花束』と、豪華なシャンデリアであった。
     征士郎は黒鷹を伴い、ぐるりと劇場内を見渡して。
    「舞台の台詞にもありましたね。シャンデリアに灯りがつけば、旧き亡霊が目を覚ます……」
     煌々と、それでいて妖しく灯る照明から視線をステージへと向けながら、『大御雷景久』の名を冠する巨大な刀を構える。
     灼滅者達の視線の先には――オペラ座に棲み付いているという、怪人の姿が。
     いや、彼は怪人ではない。
    「シャドウ……!」
     我が物顔でステージ上に蠢くは、ダイヤのスートを纏いし『膨れ上がる闇』。
     怪人気取りの闇の化身は、天使の歌声でも真似るかの様な旋律を解き放つ。
     だがそれを振り払い、翼の如き護りの盾を征士郎が広げると同時に、イブの放った漆黒の殺気が劇場内を支配すれば。黒鷹とヴァレリウスも、主らを護るべく前線へと躍り出る。
     そしてシャガールの芸術に彩られた天を翔けるは、ソルシエール――北の白魔女。
    「箒の魔女も劇場向きですよね……お邪魔しますよ、フランスでなくオークニーの魔女で恐縮ですけど!」
     NeverendingStory――そう紡がれると同時に、恵理がかき鳴らした激しいリズムが衝撃となって。
     面倒そうに物憂げなヴェールの瞳を怪人へと向けた後。一寸の無駄もないステップで舞台に上がった菜月の妖の槍が螺旋の軌道を描き、闇を貫かんと徒花を咲かせた刹那。
     続いた影の使い手が成したのは、鋭き漆黒の刀。自らの影を以て刀とし、闇の影を斬り断ちにかかりながらも、煉はシャンデリアの光によって生まれた己の漆黒の揺らめきをステージに落としていく。自身の影はどうなっているのかと……形成し、鍛え、織る、それを操りながら。
    「オペラみたいなんに鬼は登場せーへんやろうけど、かんにんな?」
     最初こそ、ガルニエ宮の荘厳さに驚いたものの。
     戦いの幕開けに鬼気森然、凄まじき豪腕の膂力をふるう裕士。
    「海外逃亡して何をするつもりだったんだ?」
     隼人も異形巨大化させた片腕を蠢く影の怪人に叩きつけながら、そう尋ねてみるも。
     予想通り、答えは返ってはこない。
     変わりに劇場に響いたのは、よく透る澄んだ綺麗な声。
     Zauber-Musik,Anfang! そう高らかに、音楽の魔法の始まりを告げたラインは、情熱的な舞踏を展開して。主人と揃ってシャルが飛ばしたシャボン玉が、シャンデリアの輝きを纏い、キラキラと淡い七色に光輝く。
     そんな豪華絢爛な星が煌く下で。
     ラインが握る護符に写されしは、レオノーレのこの一節。
     かかってきなさい、希望は捨てないわ、最後には星が出る――と。

     シャドウが放つ漆黒の弾丸が毒を蝕み、衝撃とともに架せられ現われるのはトラウマという幻影。
     だが地を踏みしめ、鬼のものと化した拳を裕士が再度叩きつければ。
    「なに企んでやがるかは知らねぇが、ここでぶっ潰す!」
     魔力を宿し流し込む隼人の強烈な一撃が、アンチヒーローらしい荒々しい口調と同様に唸りを上げて。
     魔術に通じる歌を、願いを叶える想いを込めた歌を。ラインは劇場内に響かせる。
    「Bitte!」
     その歌声でシャルと共に、傷ついた仲間を癒すべく。
     だがシャドウも負けじと繰り出す。妖艶な旋律を。
    「この曲は……」
     征士郎は、オペラ座の怪人の一幕で耳にした事があるその歌に反応を示しながらも、仲間を咄嗟に庇い、そして黒鷹と攻撃に転じる。
     怪人が自らの理想を込め作り上げたオペラの一場面で歌われる、官能的な一曲。
     だが、所詮目の前のシャドウは、怪人もどきにすぎない。
    「歌よりも、悲痛な叫びをお聴かせくださいまし」
     盾となり前に立つヴァレリウスの背を愛しげに見つめた後、イブは王子をも殺さんとする寡婦の指輪から、相手を束縛する魔法弾を放って。同時に、敵の動きを確りと見極め動く菜月が、最低限の動作から冷気のつららを成し、闇を貫けば。
    「さあ琴よ歌いなさい、剣よ響きなさい! 魔法の輝きが星々の如く降る中で!」
     恵理の魔力が生み出した魔法の矢が、シャドウの身を射抜く。
     そして、大きく揺れる膨れ上がった闇を打ちのめさんと。
     籠手の影が、煉の肩まで覆い尽くされた刹那。
    『……ッ、Merde!』
     影を宿した強烈な殴打の一撃をくらい、逃げるように退散するシャドウ。
     影を追い、影を駆り、影を狩り……そして、影を得る事を拒むその幾つかの果てを密かに思い描きながらも。
     オペラとシャドウといえば、ふとシュトラウスの『影の無い女』を浮かべる煉。
     そして荘厳な舞台上から完全に闇色の影が消え失せて。
    「Auf Wiedersehen.……いえ、“Au revoir.”でしたね」
    「これで幕引き、やな」
     さようなら、と――影の潜む少女の夢は、終演を迎えたのだった。

    ●À bientôt!
    「皆さん急に寝ちゃって……余程お疲れだったんですね。飛行機ではよく休んで下さいね」
     2人の友人と共に、突然襲った眠気にまだ少し首を傾げつつも。
     また日本に来た時には案内させて欲しいと、恵理が渡した連絡先を快く受け取るリル。
     その表情は、眠気から開放されてすっきりとしていた。
     それから征士郎は、ふとフライトの時間が迫った彼女へと訊ねてみる。
     日本は如何でしたか、と。
     そんな問いに、ぐるりと灼滅者達を見回したリルは。
    「またいつか来たいわ、日本に。マッチャも美味しいし、何より、素敵な友達ができたんですもの」
     ありがとう――そう笑顔で手を振り、出国ゲートを潜るのだった。
     一路、憧れのガルニエ宮があるパリへと、これから飛び立つ為に。

    作者:志稲愛海 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年10月1日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 1
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