黄昏失恋姉君

    作者:一縷野望

     黄昏。
     見たくないものを隠すように瞼を閉じても、その苛烈な茜はあたしの眼球にあの光景を刻みやがった。
     あたしが手塩に掛けて育てて愛して止まない弟に、女狐が砂糖菓子の様な甘ったるい声で囀りくちづける、そんな赦しがたき絵を。
     派手な服に真っ赤な口紅、男誑かして金を貢がせてる癖に、人の大事な者に手を出した、女狐。
     おかしいの。
     此の世から女狐は消したのに、瞼を下ろすとまだいるの。
     おかしいの。
     あたしを罵るなんて信じられない事をする弟なんて嘘だから消したのに……瞼を下ろすとまだいるの。

     ――だから黄昏時に手を繋ぎ歩く男と女は、殺す。

    「その血はキミを満たせたかい?」
     ――見られた!
     肉々しい砲台へ変じた左腕が声の肩口を裂く――だがそんな涼子の未来予想図はあっさり覆された。
     鞘から抜かぬ刀の柄を僅かに持ち上げる、ただそれだけで蒼の暴虐は止められて、いた。
    「あんた何者?」
    「やぁれ、人に名を聞く時は先に名乗るものではないかね、四室攝嬢」
     芝居がかった仕草で肩を竦めた制服姿の青年は、10は上の女への慇懃無礼を隠しもしない。
     その間も、腕を引こうとすれば同じだけ柄で押してくるし押せば同様同じだけ引く、寸分の狂いもなく。
     力量を把握された上で遊ばれていると理解し、攝は悔しげに唇を噛んだ。
    「ボクは辰宮馨」
     虚ろを愛するヴァンパイアは、未だ濃厚なる行動理念に囚われる女に告げた。
    「攝嬢を、愉しの退廃へ誘いに来た者さ」
     

    「殺すのには大抵理由がある」
     それが納得できないコトだとしても。
    「その理由を利用すれば、今回は被害者を増やさず済むかもしれない」
     続けて灯道・標(小学生エクスブレイン・dn0085)は、ターゲットであるデモノイドロードについてかいつまんで説明する。
    「デモノイドヒューマンと同じ能力を持ってて、それを悪行に利用してるのがデモノイドロード」
     更に厄介なコトに彼らは自らの意思で『闇堕ち』してデモノイド化できる。
    「で、そんな奴らに目をつけた勢力が、いる――ヴァンパイアだよ」
     クラリス・ブランシュフォール(蒼炎騎士・d11726)の懸念通り、もう何名かのヴァンパイアがデモノイドロードへの接触を図っている。
     取込まれるのはもちろん防ぎたい、が、ヴァンパイアとの全面戦争も絶対に避けねばならない。
    「歯がゆいかもしれないけど」
     ――世界の風向きは未だ此方へは向いていないのだ。
    「デモノイドロードの四室攝は、過去高校生の弟とその恋人を手にかけてるよ」
     不況で父の経営する会社が潰れ一家離散。ドン底の中で攝は水商売に手を染め必死に10下の弟を育てた。
     ……その必死さは歪んだ執着として弟に絡み、彼が愛する人を作り独り立ちするのが赦せなかったらしい。
    「そして弟を殺した後も、黄昏時にカップルを襲い殺し続けてる」
     その罪を止めて欲しいと標は言い切った。
     攝はデモノイドヒューマンとバトルオーラのサイキックを使用する。戦闘時は闇堕ちし、灼滅者達を遥かに凌駕した強さでもって抵抗してくる。
    「今回現われるのは、黄昏時の川沿いデートコースってトコまでわかってる」
     ビル街という現代の忙しなさと傍に古風な旅館も軒を連ねる、歴史が混ざり合う風光明媚な所。
     放っておくと3組の男女が被害にあう。
    「一番確実な介入ポイントは――1組目が殺された、直後」
     冷酷に標は連ねる。
     仕事帰りの年上彼女と高校生彼氏、そんなありきたりなカップルが、攝の攻撃を受けて命を散らすのを待て、と。
     その被害は確定か、と誰かが悔しげに問うた。
     標はしばし考えた後で首を横に揺らした、自信なげに。
    「キミ達が『一番に』襲われるカップルを演じれば、あるいは。でもそれは攝の思考や行動理念を読み切る必要があるから、賭けになるね」
     惹きつけられれば、勝ち。
     惹きつけられなければ、1組目は愚か2、3組目も殺される可能性が、ある。
    「策を平行させるのはお薦めしないよ。どっちつかずで手が足りず蹂躙、あげく時間切れの可能性が高いから」
    『囮作戦』と『1組目を殺されてから作戦』のどちらにも対応できるように……などという曖昧さは結局手元になにも残さない。
     灼滅者に与えられた時間は8分、辰宮が来てしまえば灼滅者側の負け。
     ヴァンパイアとの関係に波風は立てられない――なにより。
    「攝に辰宮が手を貸せば此方側に勝ち目はない、絶対に」
     全力の8人で綿密に作戦を編み上げて初めて灼滅の可能性が僅かに見える相手に、攝との戦いで手負いとなった灼滅者達で何ができるというのか?
    「辰宮が現われた場合は撤退して、約束だよ?」
     きっかりとした口調で標は釘を刺す。
    「どんな手段を選ぼうが、ボクはキミ達を支持するよ」
     命の選別、その罪悪に苦しむならばそれを赦す。
     無謀に思える頂きに挑むのならば、それもまた応援する、と。


    参加者
    一橋・聖(空っぽの仮面・d02156)
    鷲宮・ひより(ひよこ好きな・d06624)
    汐崎・和泉(翡翠の焔・d09685)
    木嶋・央(妹は俺の嫁・d11342)
    海北・景明(ひとりジュマンジ・d13902)
    片囃・ひかる(神曲リベレーション・d16482)
    神前・蒼慰(中学生デモノイドヒューマン・d16904)
    天使・翼(ロワゾブルー・d20929)

    ■リプレイ

    ●それは見たくもない女
     黄昏。
     川のせせらぎ穏やかに、茜と仲睦まじげに歩く誰か達を映し彼方へと流れゆく。
     そんな中、紅色和装の娘がひとり跪き川の水に指を浸し、それを兄のような眼差しで見下ろす青年。
    「弟に執着して、独り立ちしそうになったからから殺した、か」
    「その気持は分からなくもないんだよな」
     区切るような片囃・ひかる(神曲リベレーション・d16482)の物言いに、かつて妹のみを縁(よすが)に生きた木嶋・央(妹は俺の嫁・d11342)は穏やかに返す。
    「理解できるのは理屈までだな」
     共感はできない、とひかるは立ち上がり瞳を眇める。
     その先には予知で『死亡』と記された彼女と彼が笑顔で言葉を交しあっている――彼らを殺すなど、どんな理屈であれ『理解したくない』
    (「えっと……囮の聖ちゃんと翼君が惹きつけて……パニックテレパスと殺界結界を使うのは……」)
     ひよこのポシェットをもふもふ撫でつつ、鷲宮・ひより(ひよこ好きな・d06624)はこの後の皆の動きを頭に描く。
     自分以外の行動まで考え過ぎて軽く混乱しているようにも見えて、同じく橋桁の影に潜む海北・景明(ひとりジュマンジ・d13902)が慮る瞳を向けた。
    「ひよりちゃん、大丈夫かしら?」
    「うんっ大丈夫だよっ」
    「なら良かった。犠牲者は出さないようにしたいよな」
     傾けば紅でも蒼空にある時は人を暖める陽、そんな笑みで汐崎・和泉(翡翠の焔・d09685)は七分にあわせたタイマーを懐に収める。
    「なんとかこれが鳴るまでに倒しきりたいわね」
    「ああ」
     攝に接触した時点でタイマーを起動し、辰宮が来るまでの時間を測る――それが灼滅者達に赦された、時間。
     ちなみにひよりに似た混乱は一橋・聖(空っぽの仮面・d02156)にも軽く。
    「ひっ、一橋さん」
     だが彼氏役天使・翼(ロワゾブルー・d20929)のどもる声に自分の役割を思い出し、絡めた腕を一組目の方へ引いた。
    「ふふっ。今日は早あがりでよかったー。翼ちゃんと一緒♪」
     匂い立つような化粧に豊かな胸元を強調する服で聖はかしましく川縁を歩く。
     翼の恥じらいは正確には演技ではない、昔の自分をなぞり浮かび上がらせているだけ。
    「は、はい。嬉しいです、私も」
     年上彼女の色香にオロオロしつつ、おろした黒髪の奧の橙は抜け目なく周囲を伺い攝の登場を待つ。
     業は。
     業は、何処?
     囮の翼より更に集中力を傾けて、人殺しの業を背負う女の臭いを探るのは、神前・蒼慰(中学生デモノイドヒューマン・d16904)。
    (「失敗したら被害は増える」)
     でも迷わずこの場で誰も殺されぬ路を、皆で選んだ。
     ならば――。
    (「助けられるなら全力を尽くすわ」)
     季節を通して身につけるタイツが馴染む秋風の中、蒼慰は真白を靡かせ目をこらす。

     ――甘ったるくて安っぽい人工的な臭い、反吐が出るわ。
     でもあたしも同じ臭いでべったべた。それでもあの子が真っ当に育ってくれれば――。

    「来たわ」
     ひかると央とすれ違い様、蒼慰は囁く。
     気取られぬよう小さく指す向こう、果てから現われたかのような二十代半ばの女が、怨念に近い漆黒のオーラを連れて聖と翼へ歩いてくる。
    (「同情するよ、あんたら姉弟にね」)
     ――オレと一橋センパイの組み合わせに惹かれ殺したくなってしまうことに、ね。

    ●だから消そう、黄昏から
     果たして灼滅者達の読みは当たり、攝は予測で手に掛ける予定だった一組目には目もくれず囮の罠籠へと飛び込んでくる。
     年上で男を弄ぶ素振りの聖と、純朴な年下彼氏翼の組み合わせは、彼女を黄昏から這い上がれぬ罪の闇に堕とした二人に余りにそっくりだったから。
     その歩みは徐々に速くなり、それと共に彼女の腕は蒼く異形の固まりを纏い、一閃。
     ガヅッ。
     確かに攝の腕は聖の胸に、刺さった。
     此の世から消したい女はそれでみっともなく痙攣して倒れるはず、だった。
     のに。
    「ところが残念♪ 罠だったりしてー♪」
     見たくもない華美な女が嘲るように舌を出し嗤った。闇堕ち前の攝とは言えその一撃は、痛い。けれどそんなものはおくびにも出さず。
     一方、鏡で映したように似た恰好の攝は膨れあがる憎悪の儘に顔を歪める。
     ――何故、死なない?!
    「皆、逃げろ!」
     その隙間に押し込むように、ひかるが大声をあげて一般人の脳内に混乱を注ぎ込んだ。
    「危険よ、離れなさい!」
     ひかると反対側へ顔を向けたのは景明、切れ長の瞳の先にはこちらへと歩いていた三組目の姿があった。
    「来ちゃ駄目よ」
     続けてタイマーを起動した蒼慰が殺意めいた怒気を孕み吼えた。
    「あの刹那に誓いを今ここに果たそう。形成ッ!」
     それを機に和装に変じる央。
    「はやく、逃げて」
     和泉も泡を食う一般人の背を押した。
     更に和泉の足下でショコラ色の耳たれ犬が険しく吠えて一般人の避難を後押しする、霊犬ハルだ。
    「ひよこっ」
    「うんっ……逃げてっ」
     央の声につかれるように顔をあげて、ひよりは傍にいる二組目を外へと押しやりながら全力で攝の方へと走る。
     腰で揺れるひよこさん、央からのひよこ呼び……寿ぐのはまた後で。
    「はっはぁ」
     髪をかきあげて翼は怜悧な瞳を晒し唇を歪めた。
    「こいつぁまた胸糞悪い話だぜ」
     ――その声は、何処か優しさと懐かしさを伴っている。
     だが所作は、苛烈。
     力任せに踏み込むと蒼空色に変じた身で攝を行かせぬと抑え込んだ。
    「アンタ達はあたしの邪魔をするのね」
     聖の傍に現われた蒼薔薇の乙女、そして一般人が逃げおおせた後に此方へ向ってくる力ある者達の気配――攝は彼らを推し量り、答えを、出す。
    「あたしの想いを果たす為に」
     瞼の裏から弟とあの女を消す為に、
    「アンタ達を消させてもらうわ」
     刹那、攝という存在が、化けた――力を握る深淵の存在へ、魂を売り渡す。

    ●一分経過
     和泉の景明の蒼慰の懐で、タイマーが一分を数えた。
     予測の最良のタイミングを外した上での奇襲は非常に難易度が高い。作戦の流れを追い過ぎて自分のやるべき事に集中が足りなかったり、囮が成功した時の事を強く描かなかったり……その状態ではアドバンテージを掴むのは当然無理である。
    「浮気者ね」
     翼を振り払うと攝は無造作に腕を振り上げる。
     聖を狙う……素振りで傍に立つソウル・ペテルへ連撃を見舞った。散る花びらひらりひらり、仰け反りながらペテルは辛うじて堪えたが、ただの一撃で大きな痛手を喰った。
    「あーら、嫉妬? やーだ、醜い。でもそれは嘘っぱちー」
     ひやりとしながらも聖は自分へ攻撃を惹きつけるべく、髪を揺らし軽薄な笑みを浮かべた。
    「鏡に映った『アタシ』に貴女はイライラしてるだけよね♪」
    「……」
     闇に灼かれた人格は冷たく道化のような彼女を見返すだけだった。けれどその中には、このデタラメな殺意の元になったモノが残っていると央は見て取る。
    「自分の大事なものに手を出されたから悪いのはあの女」
     ふざけんな。
     刃に変えた黒紅を向わせながら、低く唸る。
    「人の命を奪う、それっててめぇの大っ嫌いなそいつと同じじゃねえのか」
     まだ刃は穿てぬが、斃すとの気迫はたっぷり込めて。
    (「良かった、誰も死なずに済んだ」)
     もちろんこの戦いでも膝折る者をだしたくないと、和泉は手の甲に浮かべた護りの記しを周囲へと広げた。同時に地面を蹴ったハルが咥えた剣で攝の頬を掠める。
    「無関係なカップルを襲うなんて……」
     ひよりはむーっと眉根を寄せると踵で地面をこつんとノック。
    「ダメなんだからねっ」
     ぶわり。
     喚ばれるように広がった影が攝を捕らえ、蝕んだ。
    「……ッ」
     刻まれた皮膚を押える攝に聖とペテルが畳みかける。護りに傾けた攝と攻めに傾けたペテル、もちろんだがペテルの穿つ傷の方が大きい。
    「貴女の業は余りに深い」
     先程嗅ぎ取った臭い、彼女はどれだけの罪無き恋人達を屠ったのか。
     救われた私と彼らの境界線――其れはほんの些細な幸運不運。
    「だから消させてもらうわ」
     蒼慰は毅然と言い切ると異形の蒼と同じ色の弦楽器をつま弾く。そのメロディは攝には振り払われたが、害する力は確かに蒼慰に宿る。
     と。
     和紅の少女が軽く軽く地を蹴った。
     ゴッ。
     握り締めた拳は攝の眼前に到達し、すぐに鈍い音と共にめり込んだ。
    「ね」
     攝の痛覚に訴えるように拳を捻り、ひかるは低い声で囁く。
    「カップルを殺し続けて何がしたい?」
     聞いても詮無き事とわかりつつ、元来の人格へ指を差し入れるように、問う。
    「それ以外の方法は思い浮かばなかったのか?」
    「ふっ」
     肉々しい蒼で顔を覆うと女は短い笑みを漏らした。
    「だってあの子はもう、穢れてしまったもの」
     すぐに沈んだ泣き笑いを見つけ景明は小さく溜息を零す。
    「そんなことないと思うわ」
     熱情を込めたステップを丁寧に踏む。それは今から口にする事を真っ直ぐ心に届けたい、そんな願い。
    「アナタが弟さんを大事に思っていたように、弟さんもアナタを助けたかったんじゃないかしら」
     ――もう、詮無きこととわかっても。
    「アキラ……」
     的確な歌声に刻まれる攝、央が見比べた景明はその呼び名が嬉しいとはにかむように破顔した。
    「……」
     蒼空色の翼、けれど名に反して翼は飛べやしない。代わりに彼は地を着実に踏みしめて再び攝へと肉薄する。
     過去の亡霊が浮かび、現在に重なった。
     姉を手に掛けた自分と、弟を手に掛けた彼女と――察して余りあるのが……。
    「オレの果たすべきタスクなんでね」
     されど。
    「これがさ」
     翼は苛烈に攝の頬を殴りつける。
     ――これが彼らの第一歩、残り時間はあと五分。

    ●軋む未来
     まず聖の傍添えペテルが斃され、更に攝はひよりへと狙いを集中させる。
    「きゃ」
     攝の蒼を腹に突き刺され思わず悲鳴が零れた。
    「斃れさせないわ」
     すかさず蒼慰は喉を震わせるも、そろそろ防げぬ疵が増えてきている。それでも癒し手として謳わざるを得ない、本当は攻めへまわりたいとの焦りはあるけれど。
    「ひよこ、大丈夫か?!」
    「うん、まだ行けるよっ」
     その呼び方が力をくれるから。心配気な央に手をあげて「行くよっ」と影を膨らませる。
     央の黒紅とひよりの漆黒は絡み合うように攝へと伸びた。攻め手である二人の影は、痛い。
     だから、次に斃すのはこの娘。
     ――そうやってひとりひとり、時間が掛かっても斃していけば、あたしは生き残れる!
    「貴女は弟なんか愛しちゃいない」
     精一杯の嘲りをのせる聖は内心強い焦りに支配されていた。
     先程からディフェンダーである自分に惹きつけようと挑発するのだが、一向に効果をあげられていないのだ。
    「『綺麗な自分』が好きなだけ」
     嗤い舞い放たれた光だが、攝は容易く受け流す。
    「貴女の攻撃、怖くない」
     にたり。
     ダークネスの顔に耳まで裂け上がるような笑みが貼り付いた。
    「だから最後まで笑ってれば?」
     ――見切り。
     そのせいで聖の攻撃はことごとく躱されていた。
     短時間で斃しきる、ないしは斃しきる素振りで恐怖を植え付けるには防御に寄りがちの布陣、けれど走りだした以上はこれで行くしか、ない。
    「その余裕、どこまで持つかな?」
     強がり。
     違う。
     自分の出来る事を為すだけ、それが選ばれた『ワタシ』の役割。
     ひかるは明滅するように鮮やかな青の指輪を翳した。その色の儘に澄み切る心は鋭い弾となり攝の左目を刺し抜く。
     静かと殺意と。
     織り交ぜるひかるに、攝は根源的な恐怖を呼び覚まされる。
    「――ハル!」
    「わうっ!」
     走り込む和泉のかけ声に応えショコラ色が思い切り跳躍した。
     紫紺の組紐を追うように、血のように濁った影が攝へと迫る。
     諦めない。
     誰ひとり被害者を出さずに戦いに持ち込めたのなら、更に攝が死人を作る行為を諦めさせる!
    「ッ……?! この犬っコロ! 次はアンタを殺してやるッ」
     ハルの剣は殊更痛かったようで、怒気孕む声は甲高い。
     後ろから撃つ身が歯がゆいと、口調に反して護り手としての矜持を携える景明だが、ぎゅっと唇を切り結ぶと編み上げた魔術の矢を放った。
     純度の高い塊は、攝の肩を深く抉る。
    「ねぇ、弟さん……」
    「先程からしたり顔で。あたしとあの子の何を知ってるって言うのよ!」
     遠く、届かぬ腕を伸ばし女は叫ぶ。閉ざしかけた唇を景明は振り切るように開いた。
    「アナタは愛されて幸せじゃなかったの?」
     思い出して。
     ……思い出させるのは酷かしら?
    「おおおッ!」
     顔をあげれば至近に迫る少年。翼は渾身の力を篭めて手の甲を叩きおろした。
     ひよりを攻めさせては、ならない。
     今は囮が失敗した時と同じぐらい作戦が薄氷の上で軋んでいる、だから。
    「く……ぁあっ」
     その一撃は痛みより怒りを彼女へ染みこませた。
    「どうしてこんな事するの」
     此方へ向けと誘うように、翼は緩く笑む。
    「姉さん」
    「………………あたしは」
     ぶつり。
     途切れたテープのように続きはない。
     泣いてるような声に続きは、ない。
     そして、
     灼滅者達に残された時間は、あと、僅か――。

    ●黄昏から闇へ
     今回の依頼の第一義は、攝の灼滅ないしは二度と悪事を働かぬ気になるまでの恐怖を刻み込むことである。
     後者は前者より容易く見えて実は全く同じ――あと一手灼滅者側に時間があれば殺されたかもしれない、其処まで追い詰めるのは即ち斃すと、同義。
     ……その認識への齟齬、更には一般人を助けることへ意識が向きすぎて、戦闘面が疎かになってしまったのは否めないだろう。

     七分を告げる音とひよりの悲鳴が重なった。
    「ひよこ!」
    「ひよりちゃん?!」
     央と景明の呼びかけにはもう「大丈夫っ」という元気な声はあがらなかった。血の池でぐったり身を折る少女にハルが心配するように寄っていく。
    「撤退、だな」
     タイマーを消し苦渋の判断を下した和泉に呼応し、聖はひよりの躰を抱えあげ翼はそれを支えた。
    「え?」
     蒼慰は蛇剣を伸ばし驚く攝の足下を凪ぎ牽制、その隙に仲間は下がりきる。
    「……無関係の人を殺し続けてれば、いつか狩られるよ?」
     最期まで残ったひかるの声に、攝は息を呑んだ。
     ずっとずっと彼女の怒気は感じていた。
     でも、去るのならば――恐怖は続かない。
    「もう逢わないわ」
     ――そう嗤った攝は、辰宮の勧誘を受けるのだろう、恐らくは。
     苦い結末。
     だが、攝の情念を読み切り罠にかけ一般人の被害を出さなかったのは、紛れもなく灼滅者達がもぎ取った勲章だ。

    作者:一縷野望 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年10月7日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:失敗…
    得票:格好よかった 12/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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