恨み根差す森の奥

    作者:柚井しい奈

     昼なお暗い富士の樹海。
     野犬がひくりと鼻先を空に向けた。
     茶色くなった松の葉は枯れてもなお鋭さを失わず、溶岩の大地に薄く積もる。冷たく湿った風が落ち葉を払えば、茶と緑ばかりの空間に汚れた白が浮かび上がった。
     擦り切れたグレーのスーツに包まれ倒れているのは朽ち果て肉も残らぬ白骨死体。片手にはからの薬瓶が握られている。
     ほつれたポケットから落ちたのだろう、名刺入れから散らばる名刺には『山本』という名と社長という肩書が記されていた。もっともそれを拾いあげる者がこの場にいたとして、その社名を聞いたことのある人間はほとんどいないだろう小さな会社の肩書だったが。
     あとは落ち葉に埋もれて朽ちるばかりだったはずのそれに、不意に白い光が降り注いだ。
    「恨みに満ち満ちし自死せし屍よ」
     どこからともなく声がする。
    「その身に宿す業をこの私に見せるのです。さすれば、その身に不死の力を与えましょう」
     カタリ、音がする。
     野犬が細い声で鳴いて飛びずさった。
     光を浴びた白骨はゆっくり身を起こすと、握りしめた薬瓶を砕け散らせた。
     
    「皆さん、青木ヶ原――富士の樹海へ向かっていただいてよろしいでしょうか」
     簡単に挨拶をすませると、隣・小夜彦(高校生エクスブレイン・dn0086)はすぐさま本題を切り出した。
     長月・紗綾(暁光の歌い手・d14517)が『富士の樹海で強力なアンデッドが現れている』という情報を掴んだことはすでに知っている者もいるだろう。彼女の予測が正しければ、それは白の王セイメイの仕業ということになる。
    「セイメイの力を得たアンデッドはダークネスに匹敵する戦闘力を持ち、富士の樹海の奥に潜んでいます」
     そのうちの1体の情報を導き出すことができたのだとアンティークグリーンの瞳が灼滅者を見渡した。
     アンデッドとなったのは山本という、かつて小さな会社の社長だった男だ。どういう理由があってか会社は倒産し、その原因となった人物を恨みながら自殺を図ったらしい。
    「今すぐ事件を起こすことはないようですが、白の王セイメイが強力な配下を増やすのは阻止したいところです。急ぎ準備をお願いします」
     広げた地図にはすでに赤いペンで印がつけられている。
    「アンデッドがいるのはこのあたりです。山本の他に野犬のアンデッドが5体いますのでご注意を」
     山本は睡眠薬をばらまいて行動を阻害する程の眠気を与える遠距離攻撃と命中すれば自身を回復する噛みつき攻撃を行ってくる。また別の薬を投げることにより味方1体を回復させる技も持つ。
     野犬アンデッドは山本の前に立ち、毒のある噛みつきをしてくる他、傷つけば落ちた自らの腐肉を食んでダメージを回復もする。
    「敵の能力は以上です。森の暗さや足場の悪さは灼滅者の皆さんなら問題にはならないでしょう」
     地図を畳んで差し出す。
    「俺にできるのはここまでですが、皆さん準備はしっかりとされてくださいね」
     ダークネスに匹敵し複数の配下まで連れた敵にどう対応するか。危険な相手だがどうか無事にと小夜彦は深く頭を下げた。


    参加者
    各務・樹(アンプロンプテュ・d02313)
    淡白・紗雪(六華の護り手・d04167)
    五美・陽丞(幻翳・d04224)
    皇樹・桜(家族を守る剣・d06215)
    月雲・螢(線香花火の女王・d06312)
    天城・理緒(夢幻覇者と百人の頂点・d13652)
    八祓・れう(先生のたまご・d18248)
    天草・水面(日本和装牧師協会工業科・d19614)

    ■リプレイ

    ●樹海の奥へ
     遊歩道を外れて1分と経たないうちに、看板も何もかも人の手の入ったものは木々の向こうに隠れた。空は針葉樹の枝に覆われて太陽が遠い。
     枝や枯葉に敷き詰められた地面に浮かぶ赤は淡白・紗雪(六華の護り手・d04167)の足から垂らされたアリアドネの糸。
    「これで、たおせたけど帰れないってことはないよねっ♪」
     くるりと振り返れば頬にかかるウェーブヘアがやわらかく跳ねた。
     一歩進む度、密集した木々の根のごつごつした感触が靴の裏に伝わる。
    「歩きにくいな……。灼滅者といってもこの地形は面倒です」
     眉間にしわを寄せる天城・理緒(夢幻覇者と百人の頂点・d13652)に先行するよう命じられたビハインドが振り返った。
    「なつくん」
     包帯の隙間からのぞく瞳を正面から見つめ返せばなつくんには逆らえず。
     箒に乗って爪先を遊ばせる各務・樹(アンプロンプテュ・d02313)が小さく笑った。
    「こんなときに隠された森の小路が使えたらよかったんだけど……」
    「ともかく慎重に行くッス」
     周囲に視線を巡らせながら告げるのは天草・水面(日本和装牧師協会工業科・d19614)。ひたすらに続く森の景色に些細な変化も見逃すまいと耳をそばだてる。
     冷えた空気と周囲を満たす木々の匂い。
     森林浴に訪れたのならば気持ちよく過ごせただろうに。五美・陽丞(幻翳・d04224)は長い睫毛をそよがせて深呼吸。
    「落ち着く、なんて言ってられないね」
     この先にあるものを思えば。
     自ら断った命。残された怨嗟。
     月雲・螢(線香花火の女王・d06312)が首を傾げる。
    「倒産して自殺ね……どうせなら相手を存命で殴った方が気持ちが晴れそうなのに」
    「そうすることも、できない状況だったのかも、しれません」
     未来予測で告げられたアンデッドが生前どのような人生を歩んだのか、詳しく知る術はない。
     アメジストの瞳を揺らす八祓・れう(先生のたまご・d18248)。
     何も人の抱える闇はダークネスばかりではない。皆が争わず笑いあう幸せな世界の実現は、ダークネス抜きにしても不可能なのかもしれない。
    「それでも……」
     右手を胸元で緩く握れば銀の籠手が小さな音を立てた。
    「私は、セイメイさんを、許せません」
    「何を考えているかよく分からないけど死者を冒涜するのは赦せないんだよ!」
     皇樹・桜(家族を守る剣・d06215)が強く頷く。
     やがて、GPSのアイコンが地図の印に重なった。息をひそめる。木々の隙間に見える薄汚れた白。
     箒から降りた樹がスレイヤーカードを手挟む。
    「Bienvenu au parti d'un magicien!」
     静寂に満たされていた樹海がざわめいた。はらはらと落ちる茶色い松葉。乾いた音。それから、怨念に満ちた低いうなり声。
    「さあ、狩りの時間だ!」
    「忌わしき血よ、枯れ果てなさい……ッ」
     立ち上がるアンデッドの姿を認め、桜と螢もまた力を解放して地を蹴った。

    ●呼び覚まされし怨恨
     野犬の群れに肉薄する灼滅者に降りかかる錠剤。擦り切れたスーツを纏った骸骨がばらまいたそれは弾丸のように前衛に降り注ぐ。
    「人間に……社会に殺された事は気の毒だけど動物にまで罪を着せるのはね」
     アンデッド――山本を守るように動く野犬を見渡して陽丞はWOKシールドをかざした。展開するエネルギーは野犬と対峙する仲間にまでは届かない。自身と樹の周囲に障壁を築きながら、レンズの奥の瞳を細めた。
     前に出るか。否。
    「ワイドガードはこっちでできるッス。だから回復は任せたッス!」
     一瞬の思考を後押しするように水面が声を張り上げた。轟くエンジン音はライ太と名付けたライドキャリバー。野犬に突撃するライ太の上で、シールドで防御を、縛霊手で野犬の動きを妨げる結界を交互に繰り出す。
    「皆に灼滅の力を!」
     理緒の背に広がった炎の翼の力を受けて、光のない瞳で吠える野犬へとそれぞれの獲物を振るう。
    「ガゥッ」
     アンデッドとなった野犬達はひるむ様子もなく黄ばんだ牙から毒液を滴らせた。
    「くっ」
     奥歯を噛みしめ、魔道書を開くれう。記された禁呪が爆ぜる。硬く乾いた毛皮が焦げる匂い。
     ひんやりとした空気はあっという間に熱気にとって代わられ、血と腐臭が混じりあう。
     骸骨がカタカタと歯を鳴らし、存在しない声帯からかすれた声を上げた。
    「これ以上、私から何を奪おうというんだ……!」
    「ただ、元通りにするだけよ」
     樹が呟き、細い指を持ち上げる。ほのかに輝いた指輪から放たれる魔法弾は狙い定めたままに山本の胸に吸い込まれた。
    「山本さんの足止めは任せて」
    「早急に数を減らすわね。行きましょう、桜さん」
     言うが早いが螢が高く跳ぶ。返しのついた穂先を翻し、敵の頭上から舞い降りる。胴を貫かれ上がる鳴き声。
     口端を持ち上げ、桜は長い髪をなびかせた。右手には漆黒の刃、左手にはほのめく桜の禁書を携え、踊るように斬りかかる。
    「楽しませてね♪」
     甲高い悲鳴を上げる野犬の体から血がほとばしることはない。大きく裂けた毛皮の奥には黒ずんだ腐肉が見えるだけだ。
    「くっらえぇーっ!」
    「私の炎は剣を成す……」
     紗雪が小さい体をさらに低くし、雷を纏わせた拳で野犬の顎をすくいあげる。続けて理緒が放つ炎は別の野犬が割り込んで遮った。焼け落ちた自らの肉を食もうとする犬へなつくんの刃が追い打ちをかける。
    「ギャンッ」
     短く鳴いて1匹目が倒れる。
    「次は……っ」
    「右を!」
     視線を巡らせたれうに後方から陽丞の声が届く。すかさず距離を詰めた螢のマテリアルロッドが唸った。炎に巻かれた犬の背をしたたかに打ちすえ、魔力が内側から爆発する。
    「フォースブレイクは失敗だったわね……ゾンビの肉片が飛び散って気色悪いわ」
     反撃の気配に間合いを取って、ロッドをひと振りしてこびりついた肉片を払う。
     跳びかかり損ねた野犬が不意に足をこわばらせる。水面の縛霊手、散打亞母流徒の張り巡らせた結界だ。
     追いうちの攻撃を仕掛けようとすれば残る野犬が吠えたてる。
     さらには山本が腕を振り上げ、白い錠剤を散弾銃よろしく放った。とっさになつくんが理緒の前に立つ。
    「奪うのか。邪魔をするのか。何故、なぜ、ナゼ……ッ!」
    「大人しくしてほしい、なんて言って聞いてもらえるわけないわよね」
    「まったく効いていないわけではないわ」
     契約の指輪から魔力を放つ樹を視線だけで振り返る螢。完全に自由にしていたらもっと被害は大きかったと短い言葉の外で告げられ、樹の眉間からしわがとれる。
     体の動きを止める程の眠気を誘う睡眠薬に毒の牙。やっかいな攻撃を仕掛けてくる敵に対して立てた作戦は万全を期するがゆえに防御よりだ。同時に敵の動きを少しでも止めなければじり貧になりかねない。
    「いっくよーっ!」
     紗雪の小さな拳がごわついた毛皮にヒットする。
     軽い音を立ててまた1匹、野犬は屍に還った。

    ●怨嗟は木々にこだまして
     1匹、また1匹と眷属となった野犬が硬い地面に倒れ伏す。
     けれど攻撃を繰り出す程に、れうは己の攻撃が敵を捉えきれなくなっていることを自覚する。ダメージを与えることを優先して放った技は野犬にこそまだ当たりもするが、このまま攻撃していても山本にはほとんど命中させられないだろう。
    「私の、役目は……」
     息が荒い。あるいは、後ろに下がって回復に徹するべきだろうか。毒が内側から体力を削っていく。
    「いまなおすよっ♪」
     紗雪の声が薄暗い空間の色を変える。疲労を表に出さない笑顔で小さな腕をいっぱいに伸ばす。指先に集った光がやわらかくれうの傷を包みこんだ。
    「全員無事に帰れる様に、皆でカバーし合って行きましょう!」
     水面が散打亞母流徒を振りかぶる。木の根が張り巡らされた地面の上を駆け抜けざまにライ太の機銃が火を噴いた。
     足を撃たれて動きを止めた所に縛霊手の一撃が落ちて最後の1匹も動かなくなる。
     これで残るは山本のみ。
    「このまま押し切りたいわね」
    「合わせるわ」
     槍を握り直した螢が地を蹴った瞬間、樹が魔法の矢を放つ。生じた風に波打つブロンド。きりもみする穂先と圧縮された魔力を受けて骸骨がきしんだ。
    「……、これ以上、奪われて、たまるかあアァ……ッ」
     指輪の魔力に絡め取られていた山本がどこからともなく取り出した薬をあおる。細かく入っていたひびが薄れ、ぎこちなかった動きはスムーズに。
     木々の狭間に桜が舞う。
    「理不尽かもしれないけどもう一度眠ってもらうよ!」
    「今度は私が奪ってやる!」
     振り下ろした漆黒の刃を白骨の腕が横から叩くように弾いた。腕を引きながら体勢を整える肩は大きく上下している。
    「命を断ってもまだ戦うのは苦しいだろ」
     夜霧を展開しつつ陽丞はひとりごちる。同時に、モスグリーンのセルフレームを押さえて視線を巡らせた。
    「私も、回復にまわります」
     紅の髪を翻し、れうは皆の状況が見える位置へ下がる。その間にも山本は錠剤をばらまき、灼滅者も応戦する。
     WOKシールドはこの位置ではほとんど意味がない。ならば今回復を担う者として出来るのは夜霧を展開することだけだった。
    「誰か皇樹君の回復を頼むよ」
    「私が。なつくんはそのまま攻撃を」
     短く告げた理緒のバトルオーラから放たれる癒しの力。隙間を埋めるように前に出たなつくんが霊撃を撃ちこんだ。
     かすかに揺らいだ骸骨の足元を影がすくう。
    「足元ちゅーいっ!」
     つららのようにいくつも突き出た影を伸ばしたのは紗雪だ。白骨の表面を削った影は恨みを抱いて蘇らされた彼にどんな幻を見せたのか。
    「く、うおおぉっ!!」
    「……っ!?」
     顎を大きく開いたかと思うや否や、山本は桜の肩口に噛みついた。白い肌から滴る赤。食いちぎられる。
    「桜さん……っ」
     顔面を蒼白にして膝を着く桜とは反対に回復するアンデッド。冷えた溶岩の大地に純白の振袖が広がった。
     唇を噛んだ陽丞がそれでも残る味方に夜霧を纏わせる。
     怨嗟に歯を鳴らすアンデッドを見据え、水面はライ太のエンジン音を轟かせた。
    「どんな人生であれ貴方が選んだ最後。死者が生者を殺すなんてバカバカしいにも程がある」
     散打亞母流徒の内臓祭壇が展開し、霊力を張り巡らす。バンダナが汗を吸っていることなど気にも留めず、腹の底から声を張り上げた。
    「傷跡を自分で穿り返してどうする……!」
    「何がわかる、何がわかるッ」
     負けじと吠える骸骨に理緒は目を閉じながら炎を吹き上げた。
    「貴方はもう動くべきではないのです……。さぁ、この炎で安らかに眠れ」
     指輪の魔力と縛霊手の結界が再びじわりじわりと山本の自由を奪う。広がる炎が、小さな拳が、確実にダメージを重ねていく。
    「何故だ、なぜ……っ!」
    「だってあなたは死んでしまったんだもの」
     串刺し公の銘のまま、螢の槍が脳天からアンデッドを貫いた。肩を蹴って跳び下りれば頭蓋骨は棘のついた穂先にえぐられ、ひび割れる。
     一瞬の間を置いて、直立していた白骨は糸の切れた操り人形の如く崩れ落ちた。
     乾いた音が木々の間にこだまして、やがて元の静かな空気が広がった。

    ●木漏れ日の下
    「いつか終わる人生なら、オラは人様に感謝しながら死にたいッス」
     もはやピクリとも動かぬ骸骨を見下ろして、水面は静かに目を伏せた。どんな生き方をしたにしても幸せな時間はどこかにあったはず。ならば最期を怨嗟で塗りつぶすよりは幸せを思いたい。
    「せめて安らかに……」
     れうが木の裏に置いていた花束を持ってきて手向ける。冷たい風に白い花弁が揺れた。
     後ろで倒れていた桜が目を覚まし、ゆっくりと上体を起こす。視界に入った崩れた骸骨に瞑目する。
    「傷は深くなさそうでよかった」
     立ち上がり、膝を払う陽丞。視線を巡らせば傷つきながらも振り返る仲間達。
     ほっと安堵の息が空気を揺らした。
    「合理的な作戦は私がするのは良いけど、やられるのは煩わしいわね」
    「お疲れ様、螢さん」
     片眼鏡の位置を直す螢の横に樹が立つ。互いの無事を確認してそっと微笑みを交わし合う。
     緩んだ空気に深呼吸して、紗雪は大きな瞳を瞬かせた。
    「にしても、これ富士山だけなのかな?」
    「え?」
    「他にも‘自殺の名所’ってあるよねぇ?」
     こてんと首を傾げる。それは純粋な疑問だったが、この場で確認できることでもなければ戦い終えた直後に考えたい事でもない。
     とりあえず帰ろうと誰かが言うと、理緒が来た方向を振り返って肩を落とした。
    「ここから歩いて帰らないといけないんですね」
     アリアドネの糸をたどれば迷う事はないとは言え、凹凸の激しい道なき道を再び歩かねばならない。戦いの緊張で無視していた疲労がどっと押し寄せてため息が零れた。
    「帰るまでが依頼ッス。もうひとふんばりッスよ」
     白い歯を見せる水面。
     赤い糸を辿って灼滅者達は歩き出す。
     怨嗟に満ちていた森の奥、風に揺られた梢から日が差し込んで、束の間あたりを明るく照らした。まるで闇を退けた礼を告げるかのように。


    作者:柚井しい奈 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年10月26日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 5/感動した 1/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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