マラソン大会2013~トップランナー達の戦い

    作者:波多野志郎

     来たる10月31日は、武蔵坂学園のマラソン大会である。
     マラソン大会は、コースは以下のとおりだ。学園を出発して市街地を走り。井の頭公園を駆け抜けて。吉祥寺駅前を通って繁華街を抜けると、そこは最後に登り坂――そこを駆け上り学園に戻ってくる、全長10キロのコースだ。
    「と、まぁ、これがコースっすね」
     湾野・翠織(小学生エクスブレイン・dn0039)は眼鏡をスチャと押し上げると、黒板一杯に張った地図を指し示しながら告げた。
    「周囲に大きな迷惑をかけなければ、多少の無理は問題って事になってるっすけどね? もちろん、マラソン大会をエスケープしたり、不正を行おうとする者は、魔人生徒会の協力者に捕まって延々と校庭を走らされるらしいっす」
     と、言っておきながら翠織の表情に、その点を重要だと捉えた様子はない。語っている相手が相手だ、と思えば当然の事だ。
    「ここにいるって事は、みんな真面目に走りたいって人ばっかりっすからね。自分が言えるのは、前日は夜更かしせずに朝食は軽めに。水分補給はこまめに。体を冷やさないように、とかっすかね」
     指折り数える翠織の注意事項は、当日にこそ全力を尽くすためのものばかりだ。
    「マラソン『競技』っすからね、どうせなら目指すのは好成績、究極目標は優勝っす」
     そのために重要なものは、ペース配分だ。
     コースは市街地、公園、駅前、坂道などなど、無数の状況が用意されている。10キロという長距離を、全速力で駆け抜ける事は出来ない。どこでペースを上げるかや、スパートをどこでかけるかの戦略がものをいうだろう。
     加えて、給水ポイントも2、3キロごとに設けてあり、要所要所には先生や生徒会の生徒がコースを誘導してくれる。その点のバックアップは準備万端だが、何事も完全とは限らない。
     翠織は、みんなに手作りパンフレットを配っていく。それには、当日のコースがしっかりと記されている。そういう事前の情報も、当日はきっと役立つ事だろう。
    「順位を競う、となるとみんながライバルっすからね。個人競技、特にマラソンはどこまでいっても孤独なスポーツっす。だからこそ、ここに集まったみんなには正々堂々――悔いがないように、頑張って欲しいっす。ほら、ライバルがいるから頑張れる、そういうのもあるはずっすから」
     翠織はそう改めて、集まった人達を見回すと満面の笑顔で締めくくった。
    「健全な魂は、健全な肉体に宿るって言うっすからね。灼滅者の闇堕ちを防ぐ為にも、充実したマラソン大会にするっすよ!」


    ■リプレイ


     秋の晴天が見守る中、武蔵坂学園のマラソン大会は始まろうとしていた。
    (「始まるな」)
     入念なストレッチを終え、玖珂峰・煉夜は呼吸を整える。自身が逃げ切りタイプだと自覚している、だからこそこのスタートこそが肝だと理解しているのだ。
     スタートラインには、多くの生徒達が集っていた。真面目に走ろうという者、お祭り騒ぎに興じようと言う者、目的は違えどスタートは同じだ。
    「お姉様、ここからは敵同士ですわね」
    「司……コレは真剣勝負だ……サイキックはなし、まえても恨みっこなしだぜ」
     葛葉・司の言葉に、夜那は不敵に笑って言った。マラソン大会は個人競技だ。順位が着く限り、親戚であろうと兄弟であろうと明確な『敵』だ――こんなやり取りが、そこらかしこで起きているのだ。
    「頑張ろうね!」
    「お互い頑張ろうね!」
     潤子の笑顔に、カーティスもニコリと笑みを返す。競う方も色々だ、二人のように勝敗ではなく自身の努力に重きを置く者もいる。
    「白波瀬さん頑張ってください。わたしはずっと応援しますよ」
    「任せて欲しいっすよ!」
     アイスバーンの乗ったリヤカーを引きながら、雅はガッツポーズしてみせる。そんなトリックスターと一緒に捕まってしまいそうな者達もいる。
    「短距離選手なんだよな、俺」
     そうこぼしながらも、軽いアップを佐藤・司はこなしていく。しっかりと、自分の限界に挑戦し勝ちを狙う者もいる。
     さわめきが、スタートラインにスタートを告げる係の者が立った瞬間、小さくなる。ピストルが頭上に向けられた時、そこに一瞬の空白が生まれた。
    『タァン!!』
     時刻は九時ジャスト。秋の空の下、澄んだ号砲が最後尾まで届いた。まるで堰を切ったかのように、生徒達は一斉に走り出す。
    「全力だ!」
    「漢なら、ヒーローなら!最初から最後まで全力疾走だぜ! うおーーー!」
     その中で、最初の先頭に立ったのは久良とリューネだ。人の群れに飲まれないようにしようとしてダッシュを駆けた者とは大きく違うのは、久良とリューネにとってこのスタートダッシュこそが全てであった、という事だ。
    (「あれは、付いて行ってももたない」)
     透流がそう判断した、その時だ。目の前に見知った背中があった、古ノルド語研究会の仲間である達郎だ。
    「いくぞ、付いてこい」
    「拙者もみなについて走るでござる……!」
     それを必死に追ってきたのだろうブレイブに透流は視線でうなずき、頼もしい達郎の背中を頼りに人の群れを突っ切っていく。
    (「せめて、離されないように」)
     安定して走れる場所を確保して、空は呼吸を整える。安定したスタートダッシュを切った森本・煉夜や、同じようにペースをたもった爽太などちらほらと戦闘部の仲間達の背中が見えた事が、空のやる気により火をつけた。
     多くの生徒達が、雪崩れ込むようにグランドから市街地へと駆け出していく――スタートダッシュは、綺麗に始まったと言っていい。久良が戦闘に学園を飛び出した後に人の流れに飲み込まれるのを嫌い先頭を狙った者達が続き、そこから少し離れた場所から虎視眈々と優勝を狙う者達が集団を作っている。ここから、流れは大きく変わっていく――優勝を目指す者達にとって、まさにここからが本番だった。


     武蔵野市の市街地を、生徒達は走っていく。この序盤から、既に多くの駆け引きが始まっていた。
    (「うん、体は軽いです」)
     ポニーテールを揺らし、佐那はしっかりと自分のペースが順調である事を自覚する。先頭集団は視界に見えている、軽いジョギングもしていたので体の調子も立ち上がりから快調だ。
    「無理だけは禁物だな」
     水分補給は確実に行ないながら、獅門はこぼす。完走が目的の獅門だが、どこまでやれるのか? それを知るためにこうして走っているのだ。先頭集団をペースメーカーに、中盤を維持する選手達も少なくなかった。
    「ナイスファイトです」
    「お、おう……」
     先頭集団。やり遂げた男の顔で大の字に倒れた久良に、硝子はそう告げると追い抜いて言った。
    「……あれ、なんかさっきからドンドン抜かれていってるような。脚も、いや体もすっげー重い、指一本動かせねえ。っていうか、段々地面が近づいて来ているような……」
     リューネもまた、体力が尽きていた歩いているのと変わらない速度となっていた。ペースメーカーとして久良とリューネを使ったからだろう、硝子ももう汗だらけだ。しかし、最初から前に出る者がいなければ自分が出ようと思っていた硝子には後悔はない、後は走りきるのみだ。
    「かなり厳しい戦いじゃな」
     先頭集団に食らいついていたフォンもまた、呼吸を乱していた。コースの下見をしていなかったからこそ、オーバーペースに巻き込まれてしまったのだ。その隣を晴香も追い抜いていくが、先頭集団の数が増えていく頃には人の群れに飲み込まれてしまっていた。
    (「飲み込まれないようにしなきゃ」)
     人混みに飲まれないよう、法子は速度を上げる。スタミナをつける為に使った重石のバックパックを外したからだろう、体が軽い。事前に行なった入念なルートのチェックが、法子を集団から引き離していた。
     ――この時点になると、先頭集団は楕円を描くようになる。逃げ切り型の選手が集団を嫌い速度を上げ、それを視界から逃さないように駆ける者が団子となり、先頭集団から振り落とされる者が出てくるのだ。
     そして、第二陣、第三陣、とそれに繋がっていく。空からその光景を見たのなら、串刺し団子のようにも見えただろう。 
    「おっと」
     歩行者の流れにぶつからないように、優歌は足をわずかに緩めた。それに歩行者が一礼するのを見て、優歌も笑顔で頭を下げる。
    「街の人に迷惑をかけないのも重要ですよね」
     そんな優歌に、母親に連れられた幼児が手を振った。そんなやり取りが、純粋に優歌には嬉しい。
    「大丈夫ですか?」
     晶子が、起き上がろうとしていた久良へとそう問いかけた。それに、久良は確かに一つうなずいた。
    「最後まで、走るさ」
     その答えに、晶子は微笑んだ。自分と同じように真剣に走ろうとする仲間がいる、それが嬉しかったからだ。
    「お、おお! ヒーローは諦め、ない、ぜ!」
     そこに追いついた、リューネがサムズアップ。そんな久良とリューネに、街の住民から声援が送られる。久良やリューネにとっては、それは優勝よりも勝ちのある声援だった。


     住宅地を抜けると、ペースを計算していた者達もその牙を剥き始める。井の頭公園から、そのマラソンの難易度が変わるからだ。
    「本当、下見をしておいて良かったです」
     実際にその目で見て、現在のコースの状況を把握しているのが大きい。去年と同じコースであろうと、公園は毎年毎年その彩を変えるのだ。実際に、ここでコースに迷ってしまう者も少なくないという。
    「初参加だけど、楽しいわね」
    「何か、こういうのも新鮮で良いっすねー……走るだけなんだけど」
     その公園の自然は、走るものを楽しませてくれるものだった。隣を走るフィオレンツィアの感想に、晴夜も同感っすとうなずく。
    「やっぱり田舎物には、土の方が走りやすいですね!」
     心太が満面の笑顔で語るのを、小次郎はその背後で聞いていた。
    (「いつもは裏方ですがたまにはトップを目指してもいいでしょう?」)
     足音を常に聞かせてプレッシャーをかける作戦だ。小次郎自身、虎視眈々とトップを狙う一人だった。
    「少しずつ、ね」
     その中で、美星は一つ、また一つと集団から抜けて先頭集団を追いかける。邪魔にならないように髪を束ね、美星は先頭集団を目指してペースをあげていった。
    (「まだまだ、もう少しバラけてから」)
     機を伺いながら、椎菜は足を溜めている。その横に、同じ夕暮れ時の海鳥部の影薙の姿が現わした。
    「いいペースね」
    「そっちも、いい感じみたいですね」
     椎菜と影薙が、言葉を交わす。そして、共に先頭集団にいたぱうの背中を見た。クラブの仲間も頑張っている、それを見て影薙は呟く。
    「負けられないわね」
    「おー、二人ともー! ここにおったんかー!」
     椎菜と影薙に、そう声を投げかけるのは部長の右九兵衛だ。しかし、その視線を嫌ってか、二人は速度を上げた。
    「ふっふっふっ。そーゆーんが何よりの楽しみどす」
     彼が望む光景を見るためには、抜かなくてはいけない。地面を蹴って、右九兵衛は満面の笑顔で加速した。
     その頃、加速していたなをが先頭に踊り出ていた。
    (「思ったよりは、きついか」)
     勝負をかけたスピードダッシュだ。それでも思った以上に離せないのは、他の生徒達もまた、念入りな戦術を練っていたからだろう。それでも、一度加速したからには少なくとも公園内では速度は落とせない。
    (「人それぞれやね」)
     なをの速度を見ながら、雛菊はこちらは逆にペースを抑えていく。重要なのは、自分のペースを計る事だ。それぞれの思惑で、集団は抜きつ抜かれつを繰り返していた。
    「…………」
     途中、ぱたり、とメリッサがその場で膝から崩れ落ちた。へんじがない、ただのしかばねのようだ――そんな言葉がよく似合う、力尽きた瞬間だった。
     しかし、その体が地面に倒れる前に手を伸ばし受け止めた者がいた。サタは迷わず、声を上げる。
    「誰か! 倒れた人が!」
     走る事を放棄して、サタはメリッサを抱きかかえて逆走を始める。結果として棄権となっても、サタには一切の後悔はない。倒れた仲間を助けた、それは自分自身にとって何よりも誇れる結果だった。


     集団が吉祥寺駅前を通過しようとしている時、先頭集団後方でそれは起こった。
    (「仕掛けてくるか!?」)
     ヘアバンドで上げた前髪を揺らし、梵我はニヤリと笑う。彼には、最初からペースメーカーにしている者がいた。いや、梵我だけではない。ライラも、リーファも、ミキも等しくマークしていた――淼だ。
    「ついてこれるかとか言ってもいいですよ?」
    「おう、付いて来いよ」
     背後、自分を風除けにしていたミキに、淼はあっさりと言ってのけた。スライドが変わる、今までのものより大幅なものとなり、速度が上がった。
     中盤、ここをキーにセッティングした生徒は多い。吉祥寺駅前の舗装された道を、生徒達は速度を上げて駆け抜けていった。
    (「……ここは、見るべきでしょうか?」)
     ホテルスの表情は、厳しい。ここで離されれば追いつくのが、難しくなる。だが、人混みは体力を余計に消耗させるだろう、スパートの余力を失いかねない。だからこそ、引き離されないように、速度を維持する事をホテルスは選択する。
    「考える事は、ほとんど一緒か」
    「越坂先輩」
     中盤よりもわずかに前、そこで青と夏海はばったりと顔を合わせた。前半、共に体力の消耗を抑えるように走った結果だ。そして、青のそこから、先頭が覗ける位置でもある事を意味していた。
     だが、その先頭が速度を上げる。それを見て、夏海が言った。
    「じゃあ、また後でな!」
    「ええ、必ず追いつきますから」
     その負けず嫌いな台詞こそ、楽しい。夏海は笑顔を残し、自分のペースをたもつために速度を上げた。
    (「少し、ペースを上げておくか?」)
     亮人は周囲の生徒の動きのばらつきを見て、速度を上げる。一人、二人、三人、と抜いたところで呼吸を整えた。
     その前では、想希が悟の背中を追いかけるように走っている。不意に、その背中から問いが投げかけられた。
    「夕飯何や」
     あまりにも唐突で、らしすぎる問いかけに想希は少し考え込んでから答える。
    「夕飯……今日は肉予定、かな」
    「おっし、やる気出た」
     後ろに想希がいる、その事に闘志を燃やし悟は速度を上げた。それに苦笑して、想希もピッチを上げる。
    「ほら! 早くしないと置いてっちゃうぞ-」
     全体的に速度が増した、そう判断すると朔之助はペースを上げた。お揃いのシューズを履いた烏芥は、先に行こうとする朔之助に闘志を燃やす。
    「……望む所」
     二人が、争うように駆けて行く。それを見ながら、純也も速度を上げた。
    「……どこまで喰い付いていけるか」
     そう危惧を抱くほど、先頭集団が速くなっているのだ。それに自身のペースを崩さずに、朱香は目を細める。
    (「無理は禁物だな」)
     ボクシングで言えば、まだ6ラウンド過ぎだ。12ラウンドを戦うと考えるなら、ここで無理をすれば巻き返しは辛くなるだろう。
    「おたがい、がんばりましょう」
    「おお、ありがとうだぜ!」
     ゴーグル姿の徹は、見知った顔を見つけてチョコをさしだす。それをクレイは受け取り、バクリと口に放りこんだ。
    「こうして吉祥寺駅を見るのって不思議な気持ちっすわ」
     吉祥寺駅の駅番してた頃を思い出すっす、としみじみした表情で善四郎は勝手知ったると言う表情で走り抜けていく。
     ――この吉祥寺駅前、中盤の選択が勝負の明暗を分ける事となる。ここで勝負をかける者、速度を抑え巻き返しに賭ける者、その選択はどれも決して間違いではない。しかし、限りなく正解に近かった者が勝利を掴む、勝負とはどんなものでもそんなものだ。


     繁華街では、道行く人からの声援を受けて京はそれにペコペコと頭を下げながらペースを保っていた。
    (「結構、厳しいですね……」)
     中盤辺りを見越していたはずの、京はそこそこの位置につけている。何とか先頭グループの速度に負けないようにと頑張った結果だ。ただ、先頭グループから脱落する生徒が増えた、そういう事なのだろう。
    「くそっ……。こんな無様で、終われるものか!」
     クラリスもそんな脱落組の一人だが、必死に足を前に進める。しかし、マラソンは勝負の世界だ。無情にも、次々とクラリスは追い抜かれて行った。
    「街中、すげー!」
     すばしっこく繁華街を駆け抜けながら、歩ははしゃいだように声を上げた。風景を楽しみながら辛抱強く走り続け、小柄な体を利用して器用に人の流れを抜けていく。
    「付いてきてるな? 巫女」
    「うん、大丈夫だよ、お姉ぇ」
     姉の神奈が前を走り、そのすぐ後に妹の巫女が続いた。ペースを崩す事なく、姉妹は脱落していく生徒達を追い抜いて行った。
    (「先頭、飛ばしてるなー」)
     一人の後ろについては、また抜かしてを繰り返して誠はしみじみとこぼす。先頭のペースについていけなくなり、集団がかなり崩れたのだ。
    (「だが、緩めれば追いつかなくなる、か」)
     勇也は先頭集団をペースメーカーにしていたからこそ、脱落せずにすんでいた。繁華街を抜けてしまえば、後は登り坂とグランドのみ――だからこそ、勇也はピッチを上げた。
    「はい、給水よ」
    「お、ありがとう」
     櫂から給水を受け取って、鉄兵は笑顔を浮かべる。なのはは、がっしとガッツポーズを取って二人に告げた。
    「ラグビー部はタフネスなら誰にも負けないし、スピードだって断然負けないよ! みんな揃って優勝ゴールだよ!」
    「おう!」
     それに鉄兵が威勢よく答えて、櫂もしっかりとうなずく。櫂のサポートもあり、給水をすっかりと受けられた、武蔵坂学園ラグビー部の躍進にはこの点も大きい。
    「……ふ、ふふふ……、も、もうばてたぞ……待ってくれ乙女、おいて行かないでくれ~~!」
    「弥咲様! 頑張るなのですことよ!」
     乙女の励ましを受けて、弥咲も歯を食いしばる。だが、前半稼いだ分で弥咲もまた好位置にはつけていた。
    (「まさに、死闘だね」)
     龍輝は、小さく苦笑する。給水をしっかりとこなし、人とぶつかる事を考えて動いていた分、龍輝も確実に距離を稼いでいた。先頭こそ見えないが、かなりの上位に着けている。
     同じように人混みを器用にかいくぐる者がいた、樹咲楽だ。
    「ふ、ふふ、……この空気抵抗の少ない、軽量な胸の実力だね」
     乾いた笑いを浮かべつつ、女性からの声援に手を振って応える樹咲楽は、その足の回転を上げた。
    (「これ以上、離されたら追いつけない」)
     給水を終えた莉那は、スパートをかける。かなりのロングスパートになるのは覚悟の上だ。
     繁華街を抜けてしまえば、残るは登り坂だ。その意味を、誰もが理解していた。


    「ここからは、根性だ!!」
     目論見どおり、登り坂へと淼はトップで訪れた。しかし、それも磐石ではなかった。
    「悪いけど、負けるのは嫌いなんだよね!」
     殊亜の言葉は、そのトップグループにいた者達全員の想いを代弁していた。逃さず、食らいついてきたのだ、このまま優勝を掴む――誰もがそれを胸に、見上げればまるで小山のように待ち構える坂へと迷う事無く跳び込んで行った。
     状況は、まさにダンゴ状態であった。わずかに先頭を行く淼。それをライラとミキ、梵我が追う――その背後から、一気に躍り出たのは龍暁と昌利であった。
    「筋肉の有る奴は速い。全員ぶち抜く」
     冷静に見極め続けた最後の手段は、気合いだ。その気迫を見て、昌利は目を細める。
    「出し惜しみ無しだ」
     その二人に、殊亜がピッタリとついて続く。淼もまた、そこで最後の力を振り絞って加速した。
    「スパートを決めるぞ!」
     蝶胡蘭が快声を上げる。わずかに遅れた、数十人の第二陣が坂にさしかかったのだ。
    「……負けず嫌いなのは認める」
     葵はニヤリと笑い、速度を上げる。視界が霞む。足が重い。息も乱れ、鼓動もおかしい――しかし、それは全員が同じはずだ。
    「本当に、最後の最後まで……!」
     リーファもわずかに遅れ始めてしまったミキの背中を追いかける。クラスメートがあんなに頑張っているのだ、手など抜けるはずがない。
     そのリーファ達が、一気にごぼう抜きされる――ゼアラムだ。
    「馬力はこちらにある。体力勝負なら負けないさよ!」
    「それは、俺も」
     包帯の下でにやり、と笑い、慧悟が一気にゼアラムの横へ並ぶ。もはや、マラソンの速度ではない。体力を極限にまで削り切った、スプリント勝負の様相を呈してきていた。
    「ここまで、戻ってきたよ!」
    「去年の俺とは違うぜー!」
     唯が、太一が、坂を一気に駆け上がっていく。もう、顎が浮いた状態だ。それでも必死に前傾姿勢に体を押さえつけ、加速していった。
     校門を潜り抜けた時、十人近い人数がほぼ同時にトラックへと雪崩れ込んだ。その中で龍暁が半歩リードした、その横を追いついた翔がそのままの勢いで追い抜いた。
    「こ、としこそ……!」
     余力を残す気など、微塵もない。もはや、足がもつれていないのが奇跡なほどの、全力疾走だ。
    「ま、だまだァ!!」
     吼えて、殊亜がその横に並ぶ。昌利と龍暁も、それに追いついた。
    「走る事に関して誰にも負ける気はねぇ!」
     そして、大外から淼がそこに合流する。歩幅を大きく取った、ストライド走法――この状況を、淼は想定していたのだ。
     横一閃、その短距離走はまさに最後の力を限界まで引き絞ったものだ。そして、ついに割れんばかりの歓声の中でゴールテープが切られた。
    「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
     淼が、その両腕を高く振り上げ、かすれた叫びを上げる。一歩、二歩、とよろけた勝者を翔が咄嗟に支え、龍暁が手荒に祝福するように淼の背を叩いた。
     それに遅れ、雪崩れるように後続がゴールしてきた。ライラも五人から二歩ほど離れた位置、慧悟とほぼ同時にたどり着く。
     拍手と喝采、その中を淼はふらつきながらもウイニングランをやってのけた。それは二年連続でマラソン大会で優勝を果たした男の姿だった……。


     鳴り止まない拍手の中で、由良はその場に倒れこむように座り込んだ。そのすぐ後ろ、ウルスラがゴールインしてその前に立った。
    「わ、たくしの勝ち、でしたわね」
    「残念デース、でも、次は負けないのデース」
     ウインクして真っ直ぐに差し出されたウルスラの手を、由良は笑顔で取り立ち上がる。
    「……さすがに、トップには間に合わなかったか」
     耕平はそうため息混じりに、こぼす。しかし、耕平は登り坂からの四人抜きを果たしたのだ、その実力は確かなものだった。
    「兄さん、約束ですからね、勝った方の好物が一週間食卓に上るんですから!」
    「おお、勝負、臨むところだ! まだまだ兄として頑張らせて貰おうか!」
     杏と悠、兄妹のやり取りにグランドが賑わう。ゴール直前、その体格差から妹を引き離し、杏が今年は兄の威厳を保った。
    「アー、マジ死ぬぅ~……優しいマネジに介抱希望なんすけどね」
     脇腹を押えてゴールした鉄兵に、櫂は当然のようにアイシングを施す。
    「お疲れ様」
    「ゆ、夢じゃないよね!?」
    「調子のいい奴だ」
     思わず素で言った鉄兵に、冬崖が言うと笑い声が起きる。だが、櫂はその足を冬崖が冷やしているのを見逃さなかった。彼が入賞を果てせなかった、大きな理由だ。
    「いい基礎体力作りになりましたね」
     事前の調査が功を奏し、44位の入賞を果たした小太郎が大きく呼吸を整える。秋空の下、ぞくぞくと仲間達がゴールしていくその姿に小太郎はまだ走り続ける仲間達へ歓声を送った。
    「くっそ、レガリアが使えたならなッ」
     そう言いながらも、ヘキサの表情は晴れやかなものだ。入賞こそ逃したものの、かなり近いタイムを叩き出せたのだ。それはやり遂げた達成感と共に手応えのあるものだった。
    「勝負事です、こういうものだとはわかっていたのですが」
     そう、サングラスを掛けなおしたのは柊夜だ。柊夜もまた、終盤で追い抜かれた一人だ。しかし、だからこそ次こそは、そう強く思えた。
    「ゴールだー!」
     そう満面の笑顔でたどりついたのは、弥勒だ。坂を駆け上がり学園が見えた、そのテンションで一気に駆け込んで来たのだ。順位ではなく、ただマラソンを楽しんだ――その想いが滲み出た笑顔だった。その横では、クレイが必死に全力疾走していた。
    (「余計なことは今は考えるな、俺は部員達がカッコイイ姿を見せる! そう言って来た以上、情けなくなってたまるか!」)
     そう心の中で唱えつつ、クレイは満面の笑顔の万歳ポーズでゴールした。それにドっと歓声がこぼれた。
     ――次々と、まだまだ生徒達は完走していく。譲は少し遅れてゴールした煉火を笑顔で出迎えた。
    「お疲れ様、煉火」
    「ふふ、お疲れ! やっぱ勝負なこうでなくてはな!」
     勝負に負けてもこうして一緒に競う事が出来た、それが心地いい。煉火と譲は互いの健闘を称えるようにハイタッチした。
    「これが、僕の限界かぁ」
     亜理栖は呼吸を落ち着け、爽やかに笑った。それだけで価値があった、より男らしくなるための目標が立てられるというものだ。
    「倒れてもいいや!」
     ゴールを転がるように走り抜け、燐花は大の字に寝転んだ。途中までは計画通りに進んでいたのだが――だが、全力を尽くした燐花は立ち上がれないまでも気分は良かった。
    「そういえば、煉も上位目指してた、んだっけ? 何位だったのかしら」
    「十四位……そっちは、何位?」
     香と煉が、そう他愛もない話を歩きながらしている横で、アナスタシアがゴールに駆け込んだ。
    「ゴールだよぉ!」
     その場にぐったりと倒れたアナスタシアを、柊夜が笑みと共に手を差し伸べる。来栖もまた、ようやくゴールして爽やかな笑顔を見せた。
    「うん、やりきれた。それだけで気分は爽快だ」
     来栖の笑顔が、それを本心からの言葉だと物語っていた。負けず嫌いだからこそ思うのだ、また来年もある、と。
    「……ところで、なんで普段着っぽい人も混じってるんだろ」
    「そうじゃのう」
    「大地が弾んで、キング・ミゼリア! ……って、アタシは別よ?」
     明らかに仮装行列と勘違いした黒猫きぐるみの優夜と、頭に羊のような付け角、歯車や鋼鉄類の部品で構成された翼をつけたアルカンシェルが何食わぬ顔でゴールする。明らかに間違いではあるが、正統に走ってきたのだ。笑い声と共に歓迎を受けた。何故か、キングも巻き込まれたのはマントを脱いで運動靴に履き替えただけのいつもの王様ルックだったからだろう。
    「特製ドリンクは北国からのご当地愛がたっぷり!」
     精一杯、走り終えた羊のキャップがついたご当地愛溢れる子羊の言葉に、ご当地ヒーロー達からやんややんやと歓声が上がる。
    「今ココに、最後で最大の苦しみを!!」
     息苦しい、足が痛い、でも、そんな苦痛が私は大好き!! そんなとても良い笑顔で静穂もゴールを走り抜けた。
    「ココが頑張りドコロデスヨ! アデーレ!」
    「ここまで来て、自分に負けられるかー!」
     隣で励ますローゼマリーと共に、アデーレが全力疾走する。順位ではなく、自分自身に打ち勝つために。必死になって走る少女に、観客達も暖かい拍手を送った。ローゼマリーも褒め称えるように、アデーレを抱き上げた。
    「本当、完走出来たなら満足よ」
     深いため息をこぼし、一織は笑みを浮かべる。全力を出し切ったその笑顔は、満足感とひどい疲労を感じさせた。
    「あー疲れた疲れた、帰ったらゆっくり休みましょ」
    「走りきったよー!」
     全身の乳酸も心臓と肺の痛みも気合いと根性で無理矢理ねじ伏せて、由香もゴールを果たした。
    「うん、完走できたのが本当に嬉しい」
     里桜自身そう思えたからこそ、まだ戦い続けている仲間達に送る拍手には熱がこもっていた。
     ゴール付近で見られる多くの生徒達の笑顔、その一つ一つにドラマがある。その事を胸に深く刻みながら、明が呟いた。
    「マラソン大会か……高校生としても最後の大会だったが……」
     明は深いため息と共に、空を見上げた。その表情は、青空のように晴れやかだ。結果は入賞は果たせなかった――それでも、高校生最後のマラソン大会として何一つとして悔いはない。
     武蔵坂学園のグラウンドでは、鳴り止まない拍手と喝采がいつまでも続いた。それは、共に戦う仲間達への惜しみ無い賞賛であり、絆だ。今日が終われば、またダークネスとの戦いの日々が待っている。しかし、今日この日の思い出は彼等の心の支えになるはずだ。そんな大切な時間を、彼等は全力で走り抜いたのだった……。

    作者:波多野志郎 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年10月31日
    難度:簡単
    参加:148人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 16/感動した 4/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 4
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