心蝕の鎖

    作者:

    ●復讐の名の下に
    「『あの時』は、よくもやってくれた、ね?」
     暗き船の船倉に、バタバタと無数の足音が響いた。それに遅れ、コツコツ、と華奢なヒールの音が鳴り響く。
    「――うわあっ」
     積荷に足を掛け、逃げ惑う1人が倒れた。近付いてくる足音に、船員服の男性は恐怖から足がすくみ、上手く立ち上がることができない。
    「――逃げるなんて、卑怯。例え事故だからって、『あの時』、依鈴は逃げることも出来なかったんだから、ね」
     積荷の影から、女は遂に姿を現した。
     氷を纏うようなアイスブルーの髪。大胆なカットでウエストラインを晒す黒いドレスに身を包む女は、瞳に悲しさを宿し、しかし口元ははっきりと笑んで、男性船員を見下ろしている。
    「ひぃっ」
    「……見て? 女の子の体に、こんな醜い傷。哀れまれて、腫れ物みたいに扱われて……酷い話、だよね?」
     するりと、女は見せつけるかの様に水晶化した腹部を手で指し示した。
     震える男が見つめる腹部には、水晶上にもはっきりと解る大きな大きな傷跡が在る。
    「……ね。依鈴、許してあげる。死んで、償って?」
     更に力を得たかの様に、女の笑みはますます深まる。
     その日、女は船中を血に染め上げて――大量の遺体を伴い、暗闇の中に姿を消した。

    ●心蝕の鎖
    「標的の名前は、花城・依鈴(ブラストディーヴァ・d01123)。……ノーライフキングよ」
     とてもとても慎重に、唯月・姫凜(中学生エクスブレイン・dn0070)はその名を告げた。ざわりと教室の空気が動いたのは、その名に憶えのある生徒達が居たからだ。
     六六六人衆の闇堕ちゲーム――先日姫凜が導いた戦いで、1人帰らなかった武蔵坂学園の生徒。
    「外見特徴が限りなく近いし、自分を『依鈴』って名乗っているから間違いないわ。髪や瞳の色は違うけど――闇堕ちすれば、それも多少は在り得ること」
     一般人と仲間の命を背に負い、1人闇へと去って行った依鈴。花色を髪に、陽色を瞳に宿す少女は今ダークネス――髪には氷結の青、瞳には冷たい銀を宿して、ある場所へと現れる。
    「花城さんが現れるのは、船よ。大きな客船で――船員と船長を皆殺しにして、その遺体を眷族化しようとしてる。……彼女が船を狙うのには、理由があるみたい」
     ダークネス・依鈴は、ドレスから腹部の傷を強調する様に覗かせ、『あの時』という言葉を繰り返すという。
     何のことか解らない灼滅者達に、姫凜は少し言い難そうに呟いた。
    「傷は最近のものではなくて随分古そうなの。だから、……もしかしたら昔、依鈴さんに船に纏わる何かがあったのかもしれない」
     幼少時の、船による何かが『あの時』。そして、傷はその時に負ったもの――ダークネス・依鈴は、どうやら『復讐』と称して船員達を殺害し、眷族にしようとしているらしい。
    「花城さんが最初に現れるのは、客船の甲板よ。船員達を船外に事前避難させる時間は無いけど、幸いなことにその時間甲板には誰も居ないわ。花城さんが船内に入らない様に、船乗りに扮して甲板に待機していて」
     甲板掃除でもしながら目立つ場所で待っていれば、右手に杖を、左手には盾を備え、ダークネスは自ら姿を見せる筈だ。
     秘密を抱え生きてきた依鈴を嘲笑う様に、わざわざ彼女の心と体の傷を晒して。
    「――でも、ダークネスのその行動が逆に希望だって私は考えてる」
     ダークネスは、依鈴の傷を晒し、過去を語り、船員達を殺害する度にその力を増す様だったと姫凜は語る。つまり、敢えて依鈴自身の心の傷に触れる行動を取ることで、ダークネスが中に眠る依鈴を追い込んでいるのだとすれば――。
    「まだ、花城さんは中に居る。ダークネスの中で、きっと必死に戦っている筈よ」
     決して、楽な戦いでは無い。依鈴は確かに灼滅者であったが、闇堕ちした以上、その力は既にダークネス。到底油断など許されない実力を有している。
     しかし、救出出来なければ、恐らく彼女は二度と武蔵坂学園の日常に帰っては来ない。
    「大きな傷だったわ。大人になればなるほど辛いことだと思う……女の子に生まれた私には、解る気がするの」
     綺麗でありたい。可愛くありたい。女の子はいつだって、その為に一生懸命頑張っている。
     そんな少女の1人だった依鈴。きっと、辛かった筈なのだ。
    「救けてあげて。……傷を持つ痛みを知っている花城さんが、誰かを傷つけること、望んでいる筈が無いから」
     晒されてしまった以上、依鈴の秘密はもう秘密のままでは在れないけれど。
     救うことを願い、闇に堕ちた少女。もう一度、その控え目な笑顔を咲かせる事が出来るかは――灼滅者達にかかっている。


    参加者
    御影・全(モノクローマー・d00408)
    風宮・壱(ブザービーター・d00909)
    苑城寺・蛍(月光シンドローム・d01663)
    東谷・円(乙女座の漢・d02468)
    九十九・緒々子(回山倒海の未完少女・d06988)
    烏丸・鈴音(カゼノネ・d14635)
    天草・七花(聖眼の灼滅姫・d22008)

    ■リプレイ

    ●対面
    (「『あの時』って何だ? そいつの何が、ンな事させてる……?」)
     客船の甲板、船員姿でデッキブラシを操る東谷・円(乙女座の漢・d02468)は、単調な動作を一度止めると、思索した。
     ダークネス、花城・依鈴。彼女は『復讐』と称して今日、この船を襲う――しかし動機の知れない彼女の動きより、レイシー・アーベントロート(宵闇鴉・d05861)は今、依鈴の体と心を思う。
    「やっぱ船の上って、寒いな」
     船員服の上から愛用の黒いコートに身を包んでも、この季節吹き荒ぶ海風は冷たく、依鈴の寒さが気にかかる。
     ふと辺り見回せば、体を震わせる苑城寺・蛍(月光シンドローム・d01663)の顔色は、華奢な体も手伝って随分白く見えた。
    (「スズ、あんたそんなこと気にしてたの?」)
     完全に手の止まっている蛍の頭の中は、控え目に笑っていた親友のことばかり。傷なんて嫌う理由にはならないし、居てくれなければ困るのに――思う程悔しさは湧き上がる。
    「あたし、誰とメールしたり買い物行けばイイのよ、バカ……」
     呟いた震える肩へ、ばさりと大きな上着が落ちた。
     温もり残る上着の主は御影・全(モノクローマー・d00408)。視線は交わされず、すっと蛍の横を通り抜ける。
     霊犬・クロを伴い、向かう少年へ掛ける全の声はとても静かだ。
    「壱」
     風宮・壱(ブザービーター・d00909)が、その声に顔を上げた。
    「全、何?」
     一見冷静、しかし全の目には明らかに、鳶色の瞳は平時の明るさを失っている――だから全は溜息1つ、壱の頭をゴツッと叩いた。
    「痛っ! 何――」
    「躊躇うな」
    「……!」
     穏やかに見えて内心怒りに震える壱も、全にはお見通しだったのだろう。この幼馴染は笑顔や口数こそ少ないけれど、いつも絶妙なタイミングで自分の背を押すから。
     見抜かれるのはちょっとだけ悔しい。でも伴う相棒の心強さに、壱は苦笑する。
     いつもの様にはまだ笑えない。だって、今日の相手は――。 
    「……こんばんは」
     降ってきた声に振り向く、その勢いに真直ぐな黒髪を揺らし、天草・七花(聖眼の灼滅姫・d22008)が見上げた先には1人の少女が立っていた。
    「鈴先輩……!」
     待ち焦がれたその人に、九十九・緒々子(回山倒海の未完少女・d06988)が思わず叫ぶ。月光を背に積荷の上から灼滅者を見下ろす、その髪は氷纏う様なアイスブルー。
     そして黒いドレスから覗く水晶化した腹部には、大きな傷跡――。
    「鈴先輩返せです!」
     直後、緒々子は唐茶の瞳に怒り滲ませダークネスへと飛び上がった。
     ガキン!
     スレイヤーカード解放と同時、振りぬいた『鬼殺しの槍』を防いだのは、依鈴の左手に顕現した白銀の盾だ。
    「依鈴の、知り合い? 船員だと思った……」
     緒々子を弾き飛ばした少女は、ゆるりと灼滅者達を見渡すと、何の躊躇いも無くこう告げた。
    「邪魔するなら、殺すだけ」
    「……依鈴殿」
     声音に感じ取れる少女の冷徹さに、烏丸・鈴音(カゼノネ・d14635)は瞑目した。
     絶対に退くわけにはいかない。負けたら、それは依鈴の最期を意味する――戦いの重さを理解して、それでも鈴音はゆるりと笑む。
    「心配されている方々は沢山居ます。ですから……絶対に助けますよ」
     決意の甲板に、音断つ帳と殺界が下りる。
     甲板へ降り立った少女の銀瞳が、月の様に妖しく、刃の様に冷たく揺らめいた。

    ●虚偽の鎧
    「それステージ衣装のつもり? ウケる~」
     最初に盾で守りを固めた依鈴の動きはディフェンダー――攻撃の通り難さを、灼滅者達は知っている。
     だから蛍は放つ軽口に笑みながらも、自身の中の闇の象徴を胸元に具現化するのだ。親友を解き放つ力を得る為に。
    「その主役の座、今すぐ降りてもらうわ」
    「主役なんかじゃ、ない……だって依鈴、こんな酷い傷痕……」
    「教えてアゲル。スズはね、自分のこと『鈴』って言うのよ!」
     叫びに乗せた蛍の激情に、合わせてレイシーが翻すは、鴉の濡れ羽の如き漆黒。日本刀『宵鴉』――。
    「目ぇ覚ませ、依鈴!」
     死角から白肌切り裂けば、右腕から迸った緋色は依鈴のもの。痛い、と微かな呟きにどきりとして、レイシーは即座に身を引いた。
     演技と、解っていてもやりにくい。依鈴を知る者にとって、ダークネスの依鈴は色彩こそ違えど元の依鈴そのままの姿なのだ。
    「手ぇ止めんな! あいつ助けんだろ!」
     レイシーの背後から、詠唱圧縮した魔法の矢が依鈴へ奔った。着弾し爆ぜたマジックミサイルを放ったのは円――嘗て共に戦った一度きりの依鈴しか知らない少年。
    「回復は任せろ! お前らは、あいつを正気に戻らせてやれ!」
    「そうですねぇ」
     ちりん、と海風に揺れる風雅な音が辺りに響く。直後、依鈴を側面から影の刃が襲った。
    「依鈴殿、部の皆々様にどうぞ綺麗なピアノの音色を聞かせて下さいませねぇ。……皆様、待っています」
     飄々と、掴みきれない微笑みと身のこなし。船員服の何処に従えるか、名の通り高らかな鈴音を纏う少年は、ちりん、と小さな音と共に依鈴の死角から再びその姿を見せた。
    「返していただきます。依鈴殿を」
    「……鈴は、鈴だよ……」
     斬りつけた鈴音の言葉に、依鈴の表情が悲しく沈んだ。『依鈴』から『鈴』へと変わった一人称に蛍がぎり、と無骨なナイフを握り締めれば、す、とその手を七花が制する。
    「元が誰であろうとも――ダークネスは灼滅しなければなりません」
     唯一依鈴を全く知らない七花は、しかし大切な存在の居ない日々を知る。
     当たり前に過ごす自分の世界は、人1人の存在で変わる――蛍の気持ちが解るから、仲間達と共に必ず救う決意の元、善なるものを救う裁きの光条を依鈴へ向け解き放った。
     依鈴の中に、必ず善が残ると信じている。疑うべき今、例え言葉では依鈴の救出を否定しても。
    「灼滅する、私はその為にいるのですから。全うします」
     その言葉に、依鈴がたじろいだのが緒々子には解った。憎まれても、責務を果たす強い意志――七花の真直ぐな瞳に、女は何を感じているだろう。
    「鈴先輩っ!」
     揺らぐ今こそ――飛び出した緒々子は、依鈴の体を強く抱き締めた。
    「心配したんですよっ……帰りましょう!」
     叫ぶそのまま、緒々子は依鈴の体を持ち上げる。
    「!?」
    「私に出来る事、精一杯します! ダークネスにくれてやる慈悲はないのです、 鈴先輩、返してもらいますからね!」
     ダークネスが偽ろうと偽らなかろうと、助ける為には一度依鈴を倒さなくてはならない。だから緒々子に迷いは無かった。
     繰り出す渾身のご当地ダイナミック。小さな体で持ち上げた依鈴を、緒々子は豪快に甲板へ叩き付けた。
    「何があっても、鈴先輩は私の……大切な、大好きな先輩です!」
    「かはっ……!」
     ダン! 派手な音を立て叩き付けられた衝撃に、一瞬息が詰まったか依鈴はゲホゲホと激しく咳き込む。体を小さく蹲るように纏め肩で息をする依鈴に、灼滅者達が動き止めれば、戦場は閑けさに包まれた。
    「――鈴」
     静寂に溶ける様に低く響いた全の声に、依鈴がゆっくりと顔を上げる。視線受け留める藍の瞳は冷静で、何処までも深い。
    「演技でも何でもすると良い。こいつらも、此処に居ないお前を連れて帰らんと煩い奴らも――全員、見抜く」
     ギリッ。
     ぼんやりと遠く見る様だった瞳が、ギラリと攻撃的に光った。食いしばる歯に険しく歪んだその表情は、最早依鈴のものでは無い。
    「……そう。演技なんて無駄なワケね!」
     ひゅっ、と立ち上がり様振るわれた依鈴の杖を、全ではなくクロが受ける。
     打ち砕いた、偽りという女の鎧――灼滅者達のその気付きは今、流れを灼滅者達へと確実に引き寄せようとしていた。

    ●砕けた鎖
     依鈴の喚んだ呪われた十字架が、内部から暗黒のうねりを解き放つ。
    「鈴、聞いてるんだろ!?」
     前列一帯を襲う攻撃。緒々子と蛍の分までその攻めを身に負い、壱は心の限りを叫ぶ。努めて穏やかさ保っていたその声は、徐々に熱を帯びてきていた。
    (「ダークネスを、許せない……! だけど、本当に許せないのは俺自身だ」)
     依鈴の攻撃は決して軽くない。しかし、それでも壱は前へ出る。幾度も幾度も、怒り誘いながら、或いは仲間を庇いながら依鈴に向かう壱の心に在るのは、自分の拙さへの怒り。
    (「鈴の秘密を守れなかった事が悔しい。それと……勝手に知ってしまって、ごめん」)
     ガン! 蛍のナイフが依鈴の盾とぶつかり、ギチギチと張り詰めた音を立てている。やがて衝撃弾け後退した依鈴は、一度ばさりと髪を後ろに払い、挑発的に笑んだ。
    「あんた達、さっきから随分この体傷付けてくれてるけど……良いワケ? 女の子なのに傷だらけになっちゃうわよ?」
    「だったらとっとと依鈴先輩返せです!」
     緒々子の喚ぶ氷塊が、空から一斉に依鈴へ降り注ぐ。間髪入れず撃ち込まれるそれを盾でいなしながら、ダークネスは愉しそうに言葉を続けた。
    「可哀想ねぇ、依鈴。『綺麗でいたい』のに、もう既に綺麗にはなれない。こいつはね、この海難事故の傷が物凄いコンプレックスなの」
     また1つ晒された依鈴の秘密に、壱の瞳に更なる強い怒りが宿った。
    「もうお前、口開くな!!」
     激昂し依鈴に橙の盾でぶつかって行く壱の背を見送り、円の瞳は繋がる答えに思考を揺らす。
     海難事故――それが依鈴の心の傷ならば、ダークネスが船を襲った理由も、それが何故依鈴を追い込むのかにも説明が付く。
    (「綺麗でいたい、か……確かに、傷ってのは外見だけじゃねぇ、心にも残るモンだ」)
     『Mistilteinn』――引き絞り壱を癒す円の矢も、依鈴の傷痕は癒せない。深く痛々しい傷痕。女の子に、その心の傷はどれ程のものだったろう。
    「でも、その傷だって『花城・依鈴』って人間を形作ってる要素じゃねぇのか?」
     ぽつりと、落ちた円の呟きに七花は言葉にしかけた思いを閉ざした。
    「そんな傷くらい、……」
     女の子らしい依鈴の感情。しかし、育った環境故か、『綺麗でいたい』その気持ちが七花にはよく解らなかった。
     だから、慰めと励まし、寄り添う言葉を送ろうとして言い淀む。過去や傷跡の痛みは、きっと本人にしか判らない――凛々しき真紅の十字虹彩に潜む優しさが、その言葉の先紡ぐことをどうしても拒むのだ。
     かける言葉が、見付からない――七花の生んだ沈黙を、レイシーが破った。
    「依鈴は強いよ。ずっと頑張ってきたんだよな」
     きっと今闇の中で自分の過去と戦う依鈴へ、レイシーはその蒼い眼差しの様に真直ぐと心を送る。
    「過去でもなんでも、一人で立ち向かうって辛いことだ。知り合ったの最近だしな、まだまだ知らないこと多いけど――依鈴はダークネスなんかにゃ負けねーって、俺は信じてる」
    「スズ、そんなバカ女さっさと引き摺り下ろしな! あんたの舞台はこんなクソ寒い船の上じゃない!」
     叫ぶ蛍の声の中には、帰って来てと切なる願いが潜んでいる。冷静な少女が抱く、親友への確かな思い――あの控え目な笑顔に会いたい。
     スズに、会いたい。
    「そんなダッサいドレスも似合わないのよ!」
     蛍の声を背に魔力の杖を振るった緒々子は、依鈴と杖越しに対峙し、ふとその変化に気付いた。
     向き合う依鈴の右手には、今緒々子の杖を受け留めた水晶の杖。
     しかし、盾を展開していた左手は今、右の手首を強く掴み、何故だかぶるぶると震えている。
     まるで、右手の暴走を止めている様な――。
    「……させない……緒々子ちゃん傷付けたら、許さない……」
    「鈴先輩!」
     ぱぁ、と緒々子の顔が笑顔に輝く。
     戦闘開始から6分。依鈴を戒めていた鎖が遂に、砕けた。

    ●雪融けの花
     杖握る右手を抑える依鈴の表情は、苦しそうに歪んでいる。
     それが依鈴だと解るのは――銀色だった瞳に、穏やかな陽色が煌いていたから。
    「依鈴殿!」
    「スズ!」
    「烏丸先輩、……けいちゃん……!」
    「……」
     呼び掛けに応える依鈴を見つめ、全はひゅん! と槍を真横に一度払った。
     これまで誰の名も呼ばなかった依鈴が、聞き慣れた呼称で友人達を呼んでいる。そこに確信を見出して、救けるため全は前へと踏み出した。
    「……もう隠すな、鈴」
     背に、もう一つ駆け出す気配を感じている。笑んでくるりと槍を持ち替え、全は捻り加えた槍で依鈴の傷痕を貫いた。
    「女の気持ちは、俺には正直解らん。だが傷があろうが無かろうが、その気持ちを解らんと言えるくらい、俺にはどうでもいいことだ」
     依鈴が依鈴なら、後のことはどうでもいい――思い乗せ少年が貫いたそこは急所。槍引き抜けば、そこから多量の鮮血が溢れ甲板に落ちる。
     抵抗せず、ただ痛みに耐え苦悶の表情を浮かべる少女に、全は尚穏やかに語りかけた。
    「それでも気に掛かるんなら――いつか俺が治してやるから」
     藍の瞳の少年の言葉に、依鈴の瞳が見開かれた。
     秘密を暴かれた依鈴に、自ら己が秘密を暴いて見せた友人。医者を志す心――その微笑みと優しさに、依鈴の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
    「しくじるなよ、壱」
     ふわりと、全が後退し依鈴への道を開けた。
     譲った先に居たのは、壱――。
    「……俺は鈴の秘密を勝手に晒したダークネスを、絶対に許さない」
     苛烈な赤でなく柔らかな橙。まるで壱の心そのものを映す穏やかな色の盾が、きらきらと優しく輝いた。
    「でも鈴はきっと怒らないんだ。鈴はそれすら強さに変えるから――ダークネスなんかに負けないよ」
     その言葉の抱く柔らかさに、七花は十字虹彩の瞳を伏せて笑んだ。
     もう依鈴を懐疑の眼差しで見る必要は無いだろう――両手下ろし、無抵抗を示した少女の髪が、雪融けの春の様に絢爛の花色へと変わって行くから。
    「それが俺の、好きになった鈴だよ」
    「――いち、せんぱいっ……」
     陽だまりの様な壱の笑顔に、依鈴の心が解けていく。
     ぼろぼろと零れる涙をそのままに、腹部を打つ壱の想いの一撃を、依鈴は目を伏せ受け入れた。

    「う、ぐすっ……鈴先輩~!」
     傷の応急手当が進む中、眠る依鈴は緒々子と蛍、2人からぎゅうう、と抱き締められていた。
    「手当て出来ん、退け」
    「うぅううう、良かったです、鈴先輩~~!!」
     寒いだろうとレイシーのコートに包まれる依鈴は、穏やかな表情だ。話を聞かない2人に全が溜息落とせば、壱がまあまあと間に入る。
     全は、手当てを諦め立ち上がった。
    「ま、灼滅者だし。手当てより今は好きにさせてやれって。嬉しいんだろ、依鈴の帰還が」
     全の肩を叩き、円が可笑しそうに笑う。七花も鈴音も、和やかな空気に思わず笑んだ。
    「あ。大事なこと言ってなかったな」
     ふとレイシーはぽんと手を叩く。
     振り向いて見つめる依鈴は本当に穏やかな寝顔。少女1人、しかしその帰還は多くの人の笑顔を呼ぶだろう。
    「――おかえり、依鈴!」
     救けられて本当に良かった――満面の笑顔でレイシーが告げた言葉に、誰もが同じ気持ちで依鈴を見つめ、微笑んだ。

     

    作者: 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年11月14日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 18/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 2
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