血塗れた般若

    作者:北原みなみ

     晩秋だというのに、雨の気配をはらんだ空気がやたらと生暖かい。
     車を降り、通りに出たところで、藤木・杏香(ふじき・きょうか)はふと息をつくと、和装の首元まで詰めていたショールを、両腕に絡めるように緩めた。
     そこへ、運転手の若衆が、携帯を片手に泡を食ったような様子でかけ寄って来た。
    「姐さん! 若頭が……っ!」
     絞り出したような声は、事の重大さを知らせている。
     杏香の夫は極道だ。組の若頭で、ちょっとしたいざこざに巻き込まれることはこれまでにもあった。
     だが、近頃は、組長が病に伏せり、組の内部に跡目抗争すれすれのキナ臭さがあったのを、杏香の立場でも承知している状態だったのだ。
    「あの人は無事なの?」
     夫に添い遂げる覚悟をしたとき背に負った、般若の刺青がたぎるように熱かった。刺青はそればかりではない。彼女の肩から胸にかけては、鮮やかな唐獅子牡丹が描かれている。
     杏香は心の内で呪詛する。もしも夫が命を落としたのなら、相手の血のひと滴まで絞り殺してやろうと。
     その視線の先で、若衆はうなだれ、首を振った。殺った相手の名を言った気がするが、はっきりと彼女が覚えているのはそこまでだ。
     乱れた薄紅の色紋付には返り血が飛び、異形と化した腕からは、血が滴り落ちている。
     身を汚す血は、杏香が呪詛した相手のものではなく、狂気の沙汰となった彼女を止めようとした、組の若衆たちのもの。
    「熱い……」
     酷い渇きに襲われ、杏香は手のひらから鮮血を舐めとった。
     
    「最近、刺青を持つ者が羅刹化する事件が発生し始めていることはご存じですか?」
     小首を傾げて、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は問いかける。
     つまり、今回、彼女の未来予測が察知したダークネス事件も、その一件に関わるものということだ。
    「羅刹化の原因は判明していませんし、裏には強力な羅刹の動きがあることも確認されています。ただ、原因が何であれ、被害は防がなければいけませんよね?」
     強力で危険な敵ではあるが、ダークネスは灼滅者の宿敵である。問われるまでもなく、その灼滅こそが、灼滅者の宿命だ。
     ダークネスにはバベルの鎖の力による予知があるが、姫子が予測した未来に従えば、その予知をかいくぐり、ダークネスに迫る事が出来るだろう。
    「では、詳しい説明をしますね。羅刹と化すのは藤木杏香さんという、極道の奥さんです。彼女は営んでいる深夜営業の店の閉店作業をした後、車で帰宅し、そこで羅刹化してしまうのですが」
     姫子は、少しばかり言いよどんだ。
    「彼女が完全な羅刹となる前に、攻撃してKOすると……つまり、1度殺すと、羅刹として復活するのです」
     それから、灼滅することになる。
    「気休めかもしれませんが、女性とはいえ極道の籍にある人ですから、杏香さん自身もそれなりに後ろ暗い経験は多いですよ。そして何より、そうしなければ周囲に被害が及びます」
     自分と同じ躊躇いを、灼滅者たちの面に見つけて、姫子はそう付け足した。それから、プリントアウトした地図を差し出す。
    「具体的には、彼女が早朝6時過ぎに店を出たところで接触し、人気のない路地裏あたりで戦闘に持ち込むのが良いでしょう。同じような系統の店ばかりの繁華街ですから、その時間は周囲もみな閉店しています。大通りを避けておけば、人通りはほとんど無い状態です」
     ただし、杏香には、運転手を兼ねた護衛の若衆が1人、必ずそばに付き添っている。極道とはいえ一般人であるその男を、どうにかして遠ざけておかなければならないだろう。
     また、この時点で既に、杏香にはESPの類は効かない。そして、羅刹化した際の彼女は、神薙使いとサイキックソードの力を使うという。
    「気がかりなのは、この羅刹を巡って強大な羅刹が動いている可能性があることです」
     ふと目を伏せ、姫子は懸念を口にする。
    「時間をかけすぎたり、派手に周りの注目を集めすぎた場合などは、何か……思いもよらない強敵が現れるかもしれません。どうか、お気を付け下さい」


    参加者
    由津里・好弥(ギフテッド・d01879)
    赫絲・赫絲(隠戀慕・d02147)
    桜之・京(花雅・d02355)
    東風庵・夕香(黄昏トラグージ・d03092)
    秋桜・九鳥(紅鳩・d03832)
    嶌森・イコ(セイリオスの眸・d05432)
    九曜・亜梳名(朔夜ノ黄幡鬼嬢・d12927)
    渡辺・綱姫(渡辺源次綱・d12954)

    ■リプレイ

    ●終わりの朝、戦いの始まり
     早朝の繁華街は、夜の華やかさとは一変する。見かけるものと言えば、閉店作業でゴミ出しをしている店員や、それを狙うカラスぐらいだった。
     そんな光景の中、男子の学生服なら黒服の雰囲気にも見えるが。むしろ馴染んでいたのは、髪を纏め、特攻服に身を包んだ赫絲・赫絲(隠戀慕・d02147)と嶌森・イコ(セイリオスの眸・d05432)のデコラティブ。育ちの良いイコですら、学生服でなくて正解だったかもしれないと、何となく場の空気で察っした。
     なぜなら、ゆるいウェーブのかかる金髪を、東風庵・夕香(黄昏トラグージ・d03092)が無造作に纏め、目深にかぶった黒のキャスケットへ入れていたのを見たから。翠葉のような自分の髪も、普通なら目を引くはずと気付いたのだ。
     彼女とともに、戦場に出来そうな裏路地を探している由津里・好弥(ギフテッド・d01879)や桜之・京(花雅・d02355)たち、小・中・高生という取り合わせも、やはりこの場所での違和感は拭えなかった。そう思うと、バベルの鎖は有り難い。
    「この辺りで落ち合うので良いですか?」
     人気の無い裏路地を選び、そう確認した好弥が、念のための人払いに殺界形成を使う。
    「さて。敵討ち……いうんはわからへんでもないおすけど、放っておいたらえらいことになりはるなら、止めへんとなァ」
     柔らかな京都弁で渡辺・綱姫(渡辺源次綱・d12954)は言う。かつて自分が救われたようには、藤木・杏香を救ってはやれない。それは九曜・亜梳名(朔夜ノ黄幡鬼嬢・d12927)にとっても同じことで。
    「……如何な理由が在ろうと、羅刹と成るのならば灼滅せねばならないのでしょう」
     彼女の心にも、容赦する気持ちはなかった。
    「そうね」
     静かに京は頷く。ふと気持ちを切り替えた様子で、彼女はパーカーのフードをかぶった。
     そうして、予定通りに動き始めた灼滅者たち。亜梳名とともにその場に残り、皆を見送っていた秋桜・九鳥(紅鳩・d03832)は、大仰に溜息をついた。武蔵坂学園に入学したのは、戦いとスリルを求めてだったけれど、いざとなると緊張が先立つ。
    「初陣だぁ。お姉ちゃんなのに出遅れちゃった。良い報告が出来るように頑張らなくっちゃね」
     その言いように、『先輩』になる亜梳名は、少しだけ口元を綻ばせる。もちろん、自分にも経験のあることだから。そのまま相づちは打たずに、亜梳名は、杏香の店のある方角へ目をやった。
     殺界形成の後のため、おそらくいつもの朝より静けさを増しているその裏路地に、人の気配が近づいてくるのを待つ。
     その間、杏香の店の人の出入りを張っていた赫絲たちには、程なくして緊張が訪れた。
     まず店から出て来たのは、ピンストライプのダークグレイのスーツとカラーシャツ、会社員にしては派手なネクタイという出で立ちの、護衛の若衆の姿。続いて、夜会巻きの黒髪に薄紅の色紋付、ショールを羽織った女――杏香が現れた。
    「バッグを持っているようね」
     女の手にベージュのクラッチを見つけた京は、赫絲と夕香へ伝える。
    「あァ、美人だ。惜しいねェ」
     誰にともなく呟きながら、赫絲の瞳は2人の行方を追う。車は近くに止めてあるのだろう。先に立つ若衆に続いて、杏香が、灼滅者たちに背を向ける形で歩き出す。それを見計らい、赫絲は手振りで合図を出した。
     赫絲、京、夕香の3人は、揃ってモノトーンの衣類を身に付けていて、一気に走り出すその姿は襲撃者然としていた。

    ●襲撃
     通りの斜向かいになる物陰に潜んだイコと好弥、綱姫の3人は、引ったくりを装った仲間たちの成り行きを見守る。
     ヤクザ者とはいえ、若衆の身のこなしは、さすがに護衛を任せられるだけはあった。背後からの異変を察してすぐ、杏香を庇いに入る。ただ、相手は若く見え、見かけからして大事ではないとの判断が、男の脳裏には過ったようだ。
     その油断の隙に、赫絲が体当たりをかけて駆け抜けると、杏香の懐へ入り込んだ夕香が、その手元からクラッチバッグを奪う。
    「な……っ」
     さすがに、ひと晩の売上金が入ったバッグだ。杏香も超然とは構えていられない。追いすがろうとした腕を避け、夕香はバッグを京へと放り投げた。一瞬にして、バッグは女の手元から遠ざかった。
     薄く笑みを刷いた京の口元が、図らずも、不覚をとった若衆の自尊心を刺激する。
    「このっ クソガキどもがっ! 姐さん、店に戻っていて下さい!」
     若衆の叫び声を聞き、綱姫は無意識に拳を握りしめると小さく呟いた。
    「やらはったわァ」
    「ええ」
     頷くイコの視線の先で、若衆が京を追って駆けだした。九鳥と亜梳名の待つ、裏路地へ。
     勇敢に見える若衆も、九鳥のパニックテレパスには逆らえないはず。まず人払いは完了したと見て良いだろう。
     ただ、和装の杏香が彼らを追って走るのは無理だ。女がすぐ店へ取って返したのは、灼滅者たちの誤算だったか。組の内部にあるというキナ臭い空気を思えば、自分の身を守ることも女の務めだったろう。
     杏香の動きに、好弥は鋭い視線を送る。先ほどの若衆をネタに誘い出す予定なのだ。少し間を置かなければ、不自然になってしまう。
    「あ、あのぅ……」
     ギリギリを待って、声を発したのはイコ。
    「なんや、路地の向こうの方で男はんが倒れはってましたけど、知ってはります?」
    「黒っぽい、スーツを着ていました」
     視線をくれた杏香に、綱姫と好弥が付け足すと、訝しむように眉を寄せられた。だが、それこそガキを相手に、極道の女は引き下がれない。焦る様子もなく、女は綱姫たちの案内に応じたのだった。
     そうして、亜梳名がサウンドシャッターをかけた中、杏香の『時』は、出迎えた九鳥の炎纏う一撃で止められた。

    ●血塗れた般若
     人が、似て非なる者――羅刹と化す瞬間を、灼滅者たちは見た。
     頭に生えた黒曜石の角は4本。一度は倒れた女が、ユラリと立ち上がる。身を炙ったレーヴァテインの炎がかき消えたのは、『杏香で無くなった』からか。夕香の見た限り、特にダークネスとして珍しい特徴は無い。
    「舐めた真似、してくれたじゃぁないの」
     やたらに低い、ドスをきかせた声がする。
    (「義兄さま」)
     小さく綱姫が呼ぶのに応え、雷鋼が前に立つ。時を同じくして、赫絲の雪白雪も。
    「貴女の罪穢、祓わせて頂きます。御覚悟を!」
     亜梳名の台詞に、女羅刹は、背に負う般若のような形相となった。放たれる導眠符に怯むことなく、異形巨大化した右腕で、彼女へ殴りかからんと突進する。
    「あんたのその力、寄越しなぁっ!」
     行く手を阻もうとする赫絲たちの攻手を相殺し、なぎ倒すかのような勢いで。
    「行かせません!」
     シールドで守りを固めたイコが立ちはだかり、唸りを上げる腕を受け止め、はじき出される。
     彼女への同意を示すように、穴を埋めた夕香が鬼神変で殴り返す。異形巨大化した腕同士が、鍔迫り合いの様相で、一瞬の拮抗を生んだ。
    「逆に! あなたのダークネス、頂きますっ」
     その間隙に好弥と九鳥が斬りかかる。ブリッツシュトースが螺旋の如き捻りで女羅刹を穿ち、九鳥の炎は、巨大な鉄塊の如き刀にも宿り叩きつけられた。
     そこへ、死角に回り込んだ京が、薄紅の衣ごと女を切り裂くと、ゆらめく炎の向こうに血に塗れた般若が現れた。
    「その立派な般若と牡丹が、若頭への言葉以上の忠誠の証、というわけですか?」
     ふと問うた夕香の言葉に、応じる声は無い。刺青には少しばかりの親近感を持っていた京も、何か思うようにため息ひとつをついた。
    「『これ』はもう、杏香さんではあらしまへん」
     感傷とは無縁の羅刹なのだ。綱姫は言うと、雷鋼の霊障波に合わせるように、縛霊手で殴りつけ霊力の網を放射した。
    「ご先祖はんたちが紡ぎはったこの霊力の糸は、そう簡単には切れまへんえ!」
    「ちぃ……っ」
     絡みつく霊力の糸を、女は忌々しそうに見る。けれど、重なったバッドステータスが、徐々に身に浸みてくるのは、これから。
    「あァ。雪白も戯ンで御出で、鬼さん此方ッてな」
     己の影たる者に微笑み、赫絲は解体ナイフを繰る。今度は高速の動きで敵の死角に回り込み、霊撃とともに女を斬り裂いた。
     返す刃は光。意図に気付いたイコが、声を上げる。影の触手を放つも、絡め取るまでにはいかない。
    「亜梳名さん、気を付けてっ!」
     サイキックソードがひと筋の閃光となって放たれ、今度こそ亜梳名を襲う。
    「く……っ」
     執念深いと思いつつ、亜梳名は口元を引き締めた。回復支援に回るはずが、これ以上狙われて深手を負っては拙い。
     前方の防御をしていた両手をぎゅっと握りしめると、革鳴りがする。解き放った十指で、高速の鋼糸で女羅刹を斬り裂くと、その身を炙る炎が瞬間に勢いを増した。
     好機に踏み込む京は、死角からの斬撃で急所を抉る。すると、眉根を寄せる女羅刹の、足元がふと鈍った。
     そこへ、好弥と夕香が、閃光百裂拳で畳み掛ける。オーラを収束させた拳が、光跡を描いて連打された。思うように動けなかったのか、2人を退けようとする女の顔が、うるさがるように歪む。
    「正しい所作で振るいはれば、この刀に切れへんものはないおすえ!」
     唸りを上げるのは綱姫の無敵斬艦刀。超弩級の一撃が女羅刹の身を削ると、間合いを取る様子を見せた。防御に気を配るのは、回復を使おうという腹なのか。
    「時間かけてらんないの!」
     ふた振り目の無敵斬艦刀は九鳥が振るう。そして、繰り返し撃たれる戦艦斬り。渾身の一撃にも、女はまだ持ちこたえる。けれど、女の使った清めの風は、九鳥の方へと吹き抜けた。
     歯車はひとつずつ狂い出す。
    「なぜ!」
     歯噛みするように、女羅刹は言う。その後もサイキックの応酬が続けば続くほど、追い込まれていくのは女の方になっていた。
     夕香や京が撃ち、綱姫と九鳥が斬る。回復には亜梳名とイコが控えていた。
     灼滅者たちに戦いの流れが傾く中、女羅刹は、サイキックソードの光で前衛の灼滅者たちを撃ち抜いた。だが、憤まんを爆発させるように振り抜くその腕からも、血の飛沫が飛んでいる。
    「傾いた天秤は、そうそう戻りませんよ」
     イコの纏う焔の穂先が白銀に煌くオーラとなり、女へと叩きつけられる。機を合わせて、好弥は妖の槍から冷気のつららを撃った。
     胸に突き刺さる攻撃で、女羅刹の呼気からは、濁った音が聞こえる。憤怒に燃える瞳にも、陰りは見えて。
    「せめて旦那と同じ所に送ってやるさァ」
     死角での呟き。容赦なく、赫絲は女羅刹を斬り裂いた。

    ●刺青
    「素敵な刺青だったのに」
    「あァ、見事な刺青だ、皮肉な位ェに」
     呟く京と赫絲に並んで、血塗れた般若を見下ろし、好弥は尋ねる。
    「結局、何なんでしょう? 蠱毒みたいに、争わせて勝った者を強化しているのでしょうか?」
     残るのは、刺青にまつわる謎。
    「本人には、聞けませんでしたしね」
     残念そうに、夕香は言う。
     ふと気がかりを思い出したイコは、通りを振り返った。現れるかもしれないと言われた羅刹の気配は、そこには無い。
    「どうしはった?」
    「何です?」
     つられて、綱姫と亜梳名が振り返る。
    「気にはなるけど、とにかく、今回は上手く行って良かったじゃない」
     吹っ切るように、九鳥は明るく言った。
     そんなもの、きっと、遭わないに越したことはないのだ。

    作者:北原みなみ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年11月26日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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