紅降る灯籠

    作者:小藤みわ

     それは、息を呑む程の。

     盆の頃、巴川には幾つもの灯籠が流れゆく。
     弔うべき魂を宿した灯籠はゆるりと流れ、やがて水に溶けるか沈むかして消えるのだ。
     然れども噂では、消え残った灯籠がひとつ、川辺に留まっているのだと云う。
     留まった灯籠から零れ溢れたひとつの心は、ひとりの女を象ると云う。
     紅葉の和装を纏った女は、今も尚、愛おしいひとを其処で待つのだと。
     そう、言い始めたのは誰だったのか。
     誰も一目すら見たことのない灯籠であるにも関わらず、真しやかに囁かれる噂は流れに流れ、装う言葉を増していく。
     灯籠を、そも、此の世に留めたのは女の深い想いだとか。
     女は愛するひとと引き裂かれ、苦しみの末に自ら命を絶ったのだとか。
     灯籠の傍に寄ると、女の声が聴こえるのだとか。
     ──逢いたい、と。
     秋の風に揺れ、さざめく木葉はまるで、愛おしいと啼く恋心。


     温もりを失くした秋風は、いっそ冬を感じるほどに、その冷たさを増している。
     風に乗って運ばれていた金木犀の優しい香りは何時の間にか消えていた。
     晩秋の空を覆うのは燦然たる紅と黄。
     けれど、彩りを覚える葉のように、移ろう花の香りのように、移り変わることが出来ない想いの塊が、此の世界にあるとしたら。
    「そんな、噂」
     花芒・愛(中学生エクスブレイン・dn0034)は紅の椛を机に並べ、小さな声で呟いた。
     横に並べたり、纏めたり、落ち着かなく動く彼女の指先に、もうひとつの指先が重なったのはその時だ。
     とんと先を促すように机を叩き、指先の主は抑揚のない声を紡ぐ。
    「引っ掛かった灯籠は本当に在んのかよ」
     櫻・一徹(高校生ダンピール・dn0025)の、勿忘草の双眸が愛に向いた。
     一方の愛は、さあ、と微かに肩を竦めた。噂だからとも言い添える。真偽の程が解らないからこそ、噂は漂い広がっていく。
    「でもね、その噂では、『彼女』はやがて見境なく、訪れた者を壊し始めるのだと云うから」
     放っておく訳にはいかない、と、最後にそう言葉を添える。
     愛が示した場所は愛知県豊田市の、香嵐渓の更に奥、巴川を辿った先に在ると云う。
     放ってはおけない、が、易々と人が訪れられる場所でもないと愛は言った。それは戦うに置いて、人目を気にする必要はないということだ。
     そして其処には、女の姿をした都市伝説が居る。
    「待ったって、誰も来ねえのにな」
    「噂だよ?」
    「知ってるよ」
     一徹は淡々とした口調で返すと、そのまま席から立ち上がった。肩に掛けた、薄藍の着物を翻す。
     日頃金稼ぎに忙しい彼は、今回は良いのかと首を傾げた愛へ、珠には休みもあるのだと顔も変えずに呟いた。
     彼の目線の先にある窓は、かたかたと、寒風を受けて揺れている。
    「じゃあ皆、いっくんも、宜しくね。いってらっしゃい」
    「ああ」
     愛の声が静かな教室に響き渡った。大きく振られた彼女の掌に相槌ひとつ、そうして彼は彼女に背を向けて歩き出す。
    「まあ、暖かくして行くさ」
     ──川縁は屹度、寒いだろうから。


    参加者
    睦月・恵理(北の魔女・d00531)
    紀伊野・壱里(風軌・d02556)
    文月・直哉(着ぐるみ探偵・d06712)
    柊・司(灰青の月・d12782)
    木元・明莉(楽天陽和・d14267)
    天城・翡桜(碧色奇術・d15645)
    水城・綾(紅に咲く・d19064)
    北南・朋恵(幼きプリマドンナ・d19917)

    ■リプレイ

     日が落ちる前になんとか片付けたいと、紀伊野・壱里(風軌・d02556)は何気なしに呟けば、櫻・一徹(高校生ダンピール・dn0025)が何故と問う。だって寒いですしと壱里が続ければ、小さな笑み声が返った。
     でも、侘しい様にも見取れる此の景色は、嫌いじゃない。
    「女の人は好きだよねぇ、こういう噂話に尾ひれが付いたの」
     壱里の言葉に、今度は一徹の傍ら、北南・朋恵(幼きプリマドンナ・d19917)が首を傾げた。
     幼い朋恵には未だ、噂話や想いの情緒を解するのは難しい。
    「でも、なんだか切ないです……」
     熱を失くした山風が朋恵のツインテールを揺らす。
     同時に響く、樹々の声。
    「せめて、楽になってもらいたいです」
     朋恵の呟きがざわめきの中に消えていく。
     ゆらり、足先はまるで夢に遊ばれるものの様。その睦月・恵理(北の魔女・d00531)の足許で、まだ水気の残る落葉が音を立てた。
     恵理の眼に映り込む空には、揺蕩う紅の波と、一差しの黄が揺れている。
    「ちゃんと送り届けてあげないとな」
     隣の木元・明莉(楽天陽和・d14267)から零れたのは、就眠前の祈りの言葉だ。
     もし目覚める前に死んだなら。
     神様、私の魂をお召しください。
     明莉が口遊んだ祈りを和訳するならばそうなる。祈りに準えるならば、噂の灯籠に残る魂は神様に召されるべきだった。目覚めてはならないものだったのだ。
    「……恐らく、死者よりも生者の方が死者をこの世に引き留めてしまいがちなんですよね」
     恵理の呟きに、水城・綾(紅に咲く・d19064)の目線が動く。
     或いは、そうかもしれない。
     留まり目覚めた原因は彼女自身ではなく、また別の──。
    (「愛と言うものは、人を変える……」)
     不意に、綾の脳裏を闇に堕ちた日の記憶が過った。
     綾の指先が首に掛けられた鍵を握る。暗闇に怯えながら、然し手放すことのない鍵だった。軈て綾はゆるりと首を振る。
    「彼女の想いが人の噂を呼んだのか。人の噂が彼女をそこに留めたのか」
     文月・直哉(着ぐるみ探偵・d06712)が黒コートと赤のマフラーを翻した。直哉の真直ぐな眼差しの中には、漸くして姿を見せた、ひとりの女と樹々達の姿。
    「どちらにせよ、被害の出る前に解放するのが俺達の役目だな」
     同時に黒猫着ぐるみへと装いを替えたヒーローは、椛にも負けぬ、紅の焔を纏って跳ねた。
     天城・翡桜(碧色奇術・d15645)が、はい、と確かな同意を返す。翡桜とて愛しい人を待つ気持ちは理解できるが、返す答えはひとつ。
    「ずっと此処に留まらせるわけにはいきません」
     翡桜は星屑の名を冠するギターを構え、ビハインドたる唯織を見る。
    「行きましょう」
     唯織のたおやかな手許から電撃が掛けた刹那、翡桜は逸足、樹木の麓に飛び込んだ。
     翡桜と唯織の一撃が爆ぜ、同じくして、柊・司(灰青の月・d12782)の朱槍が螺旋を描いて幹を貫く。
    (「繋いだ絆はそれほどまでに強かったのでしょうか」)
     司の耳に逢いたいと啼く声が響いた。ふと視線を巡らせれば、椛の枝には茎を同じくする二枚の葉。もし、此の葉の様に確りと繋がっていたというのなら。
    「僕は貴方が羨ましい、ある意味で……」
     誰かを待ち続ける時の中で、止まったまま生きていけるなら幸せだと、そう思う。
     例え、待っていても、誰も来ないのだとしても。

    「──心を癒やす方法もわかんないのかもな」
     時間薬と云えど、逢える迄、痛みは消えないと云うのに。
     明莉が呟きながら抗雷撃を樹木に打ち込めば、彼に添う影、暗の霊障波が樹枝を圧し折った。振り回される樹枝は防御の要たる司と壱里が易々と受け躱す。綾が施す盾の恩恵が在ればそれは一層。その間に、朋恵から狙い済まされた氷柱が放たれた。
     壱里が施した障壁や朋恵の符が誘いを弾き、一方で明莉が枝の動きを誘うよう迫れば、椛時雨が齎す混乱に惑わされることもない。陣の恩恵を受けた翡桜の、零距離の一打が正確に樹木を叩き撃った。
     続け様、一徹と霊犬たるいとから轟雷と幾つもの銭が駆けた。元々狙いの恩恵が有る一撃、然しそれ以上に、樹々に纏わり付く影が避けることを赦さない。
    「お気の毒だとは想います」
     影の主は恵理であった。
     恵理は確かな声で詠を紡ぐ。それは季節に寄り添う愛の短歌。此れこそ彼女の愛を還し、鎮める祝詞に相応しい。
    「だからこそ、せめて貴女の苦しみをここで止め、優しい水の彼方へ流しましょう」
     貴女自身が変わってしまい、紅葉が枯れてしまうその前に。
     そう詠う合間を縫い、直哉が繰ったウロボロスブレイドが樹々を捉えた。
     刹那、直哉から注がれた力が樹を内側から破砕する。
     樹々が啼いた。紛い物ではない、本物の紅が降る。啼き声と共に幾重も降り積もる紅椛。それを踏み締め、壱里は両の掌に集めたオーラを撃った。
     真偽の程は定かではない。
     然れども、人の心が生んだものであることは間違いない。 
     只の噂で済んだ筈の女を見据える壱里の許に、綾から生み出された小光輪の癒しが降り注ぐ。
     けれど、噂であっても救いたい。
     綾の癒しには、その、切なる願いが滲むよう。
    「置いて行かれるのは寂しいね」
     苦しいね。
     哀しいね。
     ──逢いたい、ね
    「でも、ここに留まっていては駄目」
     此処ではいつまでも、大切な人には逢えないのだから。
     綾の声が戦場に優しく響き渡った。一方綾が視線を送れば朋恵は肯い、クリス、と相棒の名を読んだ。名を呼ばれたナノナノ、クリスロッテからふわりと癒しのハートが飛ぶ。
     彼女の気持ちにどう応えたら良いのか。
     紡ぐ言葉は難しくとも、けれど切なさは確かに伝い、朋恵の心は彼女に添う。
     ただ一生懸命に、小さな掌が紡ぐ氷柱が、在るべき場所へ還す為、精一杯に駆け抜けた。
    「もう、終わりにしましょう」
     翡桜が呟き、唯織と共に噂が生んだ楔を穿つ。
     司は槍を握り締めた。その視界を、ふと、ふたひらの椛が過る。先の、寄り添っていた椛が逸れたのだと、気付いたのは直ぐ後のこと。
     共に落ちることも出来ず、留まることも出来ず、別々の方角へ流れる椛達。
     司は視界を振り切るように、朱槍を強く振り抜く。
    「想い出して、貴女がどんな気持ちで恋をしたのか。そして、恋が今ここではなくてどこにあるのか。貴女が望んでくれたなら」
     恵理もまた、言の葉を紡ぎ、自らの力を呼び起こす。
    「魔法がそこへと貴女を送ります」
     恵理がそう告ぐとほぼ同時、明莉が追撃を叩き込んだ。
     然しもの女もぐらりと身体を揺らす。
     彼女は自らに癒しを施すも、翡桜が刻み付けた衝撃の前では、癒し切るには到底至らない。
    『……逢い、たい……』
     彼女の頬を涙が伝った。
     苦しい、哀しい、恐い、涙の意味は最早何れかすら解らない。
    (「少し他に目を向けたら『癒し』は傍に在るだろうに」)
     ただ請い続ける女の姿に明莉が心内で呟いた、その瞬間。
     女の双眸が大きく見開かれ、宙を仰いだ。
     女の鳩尾に響いた衝撃は、少しでも疾く苦しみを終えられるよう願いを込めた、直哉の渾身の一撃。
     待つことに疲れたのなら、今度は探しに行けばいい。
    「きっと、また出会えるさ」
     ──想いの流れ行く、その先で。

     首許にふと、温もりを得た一徹が眼を上げれば、櫻君がとても寒そうだったんでと司が言った。
     暖かいでしょうとも言う彼に溜め息をひとつ、御前の方が寒そうに見えるけどと一徹が言うから、司はゆるりと首を振る。
    「僕は大丈夫です。もひとつマフラーしてるし」
     白く息を濁らせながら仰いだ空は、縹と茜の合いの色。
     然して件の灯籠は、壱里が指差した川縁の岩間に佇んでいた。
     大分崩れた灯籠の身形は、こう見えて器用なのだと笑んだ直哉によって整えられていく。
     件の灯籠が在るなら流してやること、それは彼等の総意であった。
     二つの灯籠が流れ往けば噂も変わるだろうと、恵理は予め用意した灯籠を取り出す。
     伴の灯籠は、自作ではなく、本物をビスケットでコピーすべきか迷う恵理を、翡桜と朋恵の笑みが背押した。軈て恵理も安堵混じりの笑みを返すと、自作の灯籠を傍らに添え、静かに水面へ並べ置く。
    「二つなら旅路もきっと寂しくないよな」
     直哉の言葉に、綾と明莉が首肯いた。
     ふたつの灯籠には明莉から椛、綾から白花。ふたつの采を得た灯籠に、恵理が宿した送り火が灯る。
    「今度こそ、彼方へ解放たれますように」
     それは、留まっていた灯籠に捧げる祈りの言葉。
    「誠にお手数ですが……」
     そして此れは、導く灯籠に捧げる言葉。
     ──どうか迷子を一人、共に往かせてあげて下さい。

    「……とても綺麗だね……。怖いくらいだ……」
    「その昔、日本で山の中は『異界』とされていたそうデス。もしかしたら……この世のものとは思えない美しさというのは、本当にそうなのかもしれませんネ?」
    「確かに、こんなに綺麗だと異界と言っても相応しいのかもしれませんね」
     アリアーンは目覚める様な彩色を前に息を呑んだ。それを認め、ラルフがくすりと笑み零す。一方の翡桜も掌に椛を落としながら、独りごちる様に肯った。
     椛、空、水面に件の灯籠。其処には綺麗なモノだけが溢れていたと伝えたら、彼女は喜ぶだろうか。
     朱那は土産の椛を指先に一枚。
     それから一眼レフを覗き込み、双眸を緩める。
    「逢いたい、か」
     橋に両掌を添え、小さく呟き落とした鷲宮・密は、軈て静かに瞼を落とした。
     逢いたい。
     もう逢えない、彼の人に。
    (「人待つ心は都市伝説も生きた人間も同じでしょか」)
     一浄が据えた笹舟が橋下の巴川を流れ往く。
     灯りの導きで確りと往けるよう、細やかな願いを伴に添えて。
     ──もみぢ葉に恋ふる想いを燃やすれば。
     ──空に消へいる魂ぞ愛しき。
     灯籠の火や命の灯も何時か消えようとも、千年残る想いが在ることをいろはとなどかは知っていた。
     想いを詠うふたりの許にまるで恋心の供養の様な紅が降る。
     ──思い出す、家族を失ったあの時を。
     優歌の瞳は真赤の椛を前に揺れた。
     只綺麗な椛とは違う禍々しい焔の紅を、何時かは乗り越えられるのかと。
    「……でも、この赤は嫌いじゃない」
     さくらえが背を叩けば、勇弥の双眸が開いた。軈て「俺も」と言葉が続く。この赤は、嫌いじゃない。
     愉しげな無茶振りに、鎮めの音が響く飾り紐。帰る理由は多い程良いと笑む二人の間で、加具土の尻尾がゆるりと振れた。
    「えぇんか眼鏡?」
    「大丈夫、どうせ悟と紅葉しか見てないし」
     悟と想希の掌が静かに重なった。
     罪を印す紅時雨、然れども約束と誓いは記憶を上書く様に紡がれる。
     君も護り、自分も護る。
     一緒に、世界の果てまで全部乗り越えていこう。

    「一徹さんはこのあたりにくわしいです?」
    「地元だからな」
     朋恵の手許には刀削麺に五平餅、名物のフランクフルト。加えて直哉から薦められた和菓子とお茶が傍らに添っていた。
     色彩や穏やかな響きが溢れる周囲を見遣り、すごい、と呉羽が独りごちれば、腕の中のいとが肯う様に一声鳴く。傍らで「さよけ」と素っ気のない、然し何処か微笑ましげな声が響いた。
    「あ、一徹さんもコセイもふります?」
    「ぶれねえなあ」
    「駄目ですか?」
    「わふっ」
    「良いんじゃねえの」
     傾げる悠花とコセイには溜め息混じりの声が返る。然しこの明るさは、屹度何かを救うのだろう。
     朋恵は夫々の一時を愉しむ皆の声を聞きながら、頭上の椛と銀杏を仰いだ。ひらりと落ちた葉を一枚捕まえれば、クリスロッテと一緒にきらきらした眼で葉を見遣る。
    「愉しいか?」
    「はい、とっても楽しいですっ」
     朋恵から返るのは可愛らしい満面の笑み。
     無邪気な朋恵の姿に、そら良かった、と一徹の表情も緩む。
    「切ない程の恋心ってのは俺にはまだまだ無縁な話だけれど」
     ずずっとお茶を含んで一息。
     軈て、直哉は口許を綻ばせた。
    「俺には廻り行く季節を共に過ごせる仲間がいるからさ」
     鼻をくすぐる甘味の香り、掌を伝う茶の温もり、愉しいと思える此のひととき。
     此れは確かに幸せだと、そう思う。

     暖かな茶と吹き抜ける寒風の如く温度差があるような、無いような。そんな壱里と忍の手許に食べる椛こと紅葉饅頭。
     臨海学校で海に突き落としたのを根に持っているだろうかと忍が心配を零せば、壱里からは根には持っていないが忘れる事は無いと返ってきた。
     そうか、と忍のかぶりが動く。
    「良い沢であるな、泳ぐか?」
    「泳ぎません」
     ──さておき。
     日暮に響く鴉の啼き声に人の心を語り重ね、椛を拾い、遠くを見遣る。
     冷ややかな空気が何処か気分を変えさせたのか、壱里が忍に掛けた上着はそのまま彼女の肩で揺れていた。
     二人の視界を彩る紅椛。
     綺麗な山景に満足した様子は伝わるから、呼び立てるのも珠には良いかと、壱里は静かに息を吐く。
    「あれ、ラルフさん?」
     ふと、翡桜が気付いた頃にはラルフの姿が消えていた。そんなに気を遣わなくても、と翡桜から思わず苦笑が零れる。
     一方のアリアーンは、すうと細めた紫眼に複雑な色を浮かばせた。
     このまま消えたら楽だろうと想う自分は臆病で、卑怯で。その彼の傍ら、翡桜は舞い降る椛を掌に受ける。それは小さな、愛らしい椛。
    「……一人に、しないで下さいね」
     掌に浮く葉の様に、微かな声音が零れ落ちた。
     暖かさを孕んだ日は疾うに過ぎた今の頃、陽は傾けば急速に落ちていく。冷えた明莉の身体を、ブランケットの温もりと心桜の精一杯の笑顔が包んだ。
     あったかい、と明莉の口許が緩む。
    「心桜は逢いたい人っている?」
     暖かなココアを分け合って、笑み合って、掌を重ねて温もりを混ぜて。
     そうしてふと明莉が呟けば、心桜は左右に首を振る。
    「逢いたい人、さっきまでおったけど、今はおらんよ」
     明莉先輩が今は傍におるから。
     そう笑った心桜の身体が明莉に寄った。思わず顔を染めながら、背に掌を廻した明莉の双眸も、何時しか嬉しげな様に綻んでいく。
     自分も同じ。
     逢いたい人は、此処に居る。

     恵理の視界から灯籠の双灯が消えていく。
     此れで、伝説の彼女は漸く往けたのだと人々が思い、想いは眠りに就けるだろう。
     他方で、流れて消えた想いは一体どこにいくのでしょうねと司の口許が動いた。
     司を一瞥した後、一徹は淀みの無い声で告ぐ。
    「優しくて、綺麗な処だよ」
     それを、或いは想い出と呼ぶかもしれない。
     司は唯黙って前を見詰めていた。何れ程止まっていたくとも、時は流れ、世界は廻る。けれど心を穏やかにさせるのもまた、時が廻り動く世界だとすれば。
     ──ああ、矢張り、世界は案外人に優しい。
     綾はゆっくりと瞼を開き、緋の双眸を川先に向けた。灯籠の姿はもう無く、綾は安堵の息を吐く。
     もう、哀しい想いなどしなくて済むと良い。
     大切なひとに逢えると良い。
     そう、優しい願いを伝わせる綾へ、まるで感謝を注ぐように──ふたひらの椛が彼女の肩に舞い降りた。

    作者:小藤みわ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年12月12日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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