誰が為に君は舞う

    作者:夏河まなせ

    「……香水?」
     そのひとがそばに来ると、なんだかいい匂いがした。
    「ふふ。私が調合したのよ。気に入った?」
    「うん……とっても」
     甘くて、でも子供の甘さじゃなくて。
    「じゃあ、貴女にもつけてあげるわ。……じっとして?」
     そして、私もその香りに包まれる。なんだか気持ちいい。ふわふわして……。
    「ねえ、美味しい物を食べに行きましょうよ? 素敵なお店を知ってるの……ね?」
     初対面の人のそんな誘いに乗ってしまったのも、その香りがあんまり素敵だったからかもしれない。

    「貴女のダンス、見ていたわ……とっても素敵」
     綺麗な食器に、綺麗に盛り付けられた前菜を、綺麗に切り分けながら彼女は言った。
    「ありがとう……ございます」
    「でも、なんだか惜しいわ」
    「惜しい、って?」
    「だって……あんなに素敵なのに、見に来てくれる人は少ないんでしょう?」
     彼女の言葉は私の心にすとんと落ちたような気がした。
    「貴女は私と同じ、淫魔でしょう? その力を使えば、たくさんのお客を呼んで、見に来てもらうことなんて簡単でしょう?」
     そう。どんなに練習を頑張ったって、ステージを見に来てくれる人が少ないんじゃ……。
    「もったいないわ……貴女の踊りが、淫魔の力を使わないがために埋もれていくなんて!」
     ラブリンスター様は、アイドル活動には淫魔の力は使わない。でも、それでも私たちはダークネス。バベルの鎖があるから、普通の人には私たちの活動は広まらない。
    「考えてみて。貴女がちょっと本気を出せば、観客席が埋まるくらいの人数が貴女に夢中になって、貴女のダンスを見せてほしいって懇願してくるはずよ」
     そう。そうだわ。
    「ね……この後、少し私たちのところに寄って行かない? あのお方……スキュラ様ならきっと、貴女を最高に輝かせてくれるわ」
     なんだか聞き捨てならない名前が出てきたような気もするけど、でも……。
    「どう?」
    「……はい」
     もう、それ以外の道はないような気がした。
     
    「芸術発表会にラブリンスター、来てたんですってね」
     時村・薫子(自動描画のエクスブレイン・dn0113)は、教室に集まった灼滅者たちにそう切り出した。
     大淫魔ラブリンスター。現時点で最強クラスといわれるダークネスだが、阿佐ヶ谷におけるコルベイン一派との戦いに武蔵坂学園が勝利をおさめて以降、灼滅者たちを大規模なライブに招待してくれたり、学園祭で潜入リポーターをやってみたりと、何かと学園との友好姿勢を強調している。
     先日の芸術発表会にも訪れ、創作コスチュームダンスの会場に顔を出していた。
     その際、武蔵坂学園にある「お願い」をしてきたという。
    「スキュラの一派が、ラグナロクの奪取に失敗した後もいろいろと厄介事を起こしているのは知っているわよね」
     ラブリンスター配下の淫魔に、スキュラ配下の淫魔が強引な勧誘をかけ、寝返らせようとしているという。
    「風真・和弥(真冥途骸・d03497)君の予想が当たったわけね」
     よければそれを何とかしてほしいというのが、ラブリンスターからの「お願い」だ。
    「もちろん、ダークネスの頼みなんか聞く必要はないって思う人もいるでしょうね。でも」
     薫子はそこで言葉を一度切った。
    「ラブリンスター一派はとにかく、スキュラの一派には好き勝手させるわけにはいかないわ」
     ラブリンスターからの情報提供によれば、シャドウの一体「グレイズモンキー」もスキュラの八犬士のひとりであるという。また、現在武蔵坂学園全体を緊張させている、「病院」への襲撃にも加わっている。ラグナロクは手に入れていないものの、その力はいまだ脅威だ。
    「スキュラはラグナロクの一件以来、明確に武蔵坂学園と敵対してるわ。そのスキュラの勢力が増すことは好ましくないでしょう? スキュラ配下の淫魔を倒すチャンスは見逃せないわ」
     薫子は、いつも抱えて歩いている大きなスケッチブックを取り出した。
    「サイキックアブソーバーが私に描かせたの」
     ページを開き、灼滅者たちに見せる。女性が二人、どこかの街を歩いている絵が描かれていた。
    「こっちの子がラブリンスター配下で、名前はミサキ。ダンス力を生かしてアイドル活動をしてるけど、例によって売れてないわ」
     年のころは高校生くらいだろうか。ダンサーらしく背筋の伸びたしなやかな体つきだが、まだ体型にも顔つきにも少女らしさが残っている。
    「こっちがスキュラの配下……ええと、『美涼(みすず)』って名乗ってるみたい」
     こちらは大人の女性の外見だ。淫魔である以上美貌なのはもちろんだが、流行を程よく取り入れた服装と髪型をして、いかにも年頃の少女が憧れそうな、洒落た雰囲気を身にまとっているのが、絵からも見て取れた。
    「この淫魔……美涼が、ダンスのレッスンを終えたミサキを食事に誘って、そこで勧誘をするの。単に巧言でまるめこむだけじゃなくて、何か薬? みたいなものも使ってるみたいだけど……」
     このまま放置すれば、ミサキは完全にスキュラの配下に入ってしまう。それを阻止するためには、途中で割って入り、ラブリンスター側にとどまるように説得する必要がある。
     美涼はスキュラにつくメリットやスキュラの強さ・素晴らしさ、淫魔の力を存分に使って人々を魅了する楽しさを説き、ラブリンスターの悪口を言ってミサキをまるめこもうとしている。その逆に、ラブリンスターのもとに居た方がミサキにとって良いのだ、と思わせるような説得が必要だろう。
     説得が功を奏した場合、ミサキは美涼に加勢しないでいてくれるので、灼滅者たちと美涼との戦いになる。

     食事の後、美涼はミサキを連れて移動しようとする。
    「その途中の映像をサイキックアブソーバー経由で描いたのよ。利用したレストランの名前も描けたから調べてみたわ。ここね」
     そういって、薫子はWebの地図サービスの画面をプリントアウトしたものを一同に渡した。
    「レストランを出て、少し歩いたあたりで仕掛けるのがベストタイミングだと思う」
     それ以外だと、美涼が妨害者の存在を感じ取って日を改めてしまう可能性が高い。
    「割と夜も遅いし、さほど人通りの多い場所じゃないわ。もちろん人が皆無ってわけじゃないだろうから、ESPを使うとか何かしらは必要だけど、大掛かりな人払いは要らないはずよ」
     また、美涼は眷属のピンクハートちゃんを二体ほど呼び出してくると予測されている。
    「皆なら、油断せず準備しておけば勝利できるはずよ。問題は……」
     ミサキの説得に失敗した場合、もしくはこの際ミサキも一緒に灼滅してしまおうという場合は、ダークネス二体とまともに戦うことになるので、結構厳しくなる。
     ただし、彼女たちも別に、お互いを守って必死に戦うというような関係ではない。どちらかを灼滅するなり、退却に追い込むなりすれば、もう一人もさっさと逃げていくだろう(スキュラのもとへ)。なので、美涼とミサキの両方の灼滅を狙うなら、作戦に工夫が必要だ。
     
     なお、ラブリンスターからは、スキュラ側に寝返った淫魔に関しては灼滅もやむなしとのお墨付きをもらっている。
    「『哀しいけど灼滅されてもしょうがないですよね』ですって」
     まあ、ダークネスだからね。薫子は言った。
     
    「今のところ、一般の人が被害を受けている訳じゃないから……「病院」関係の対応に比べれば緊急度は低いんだけど……」
     これから先、しばらくはスキュラ勢力とやりあい続けることになる以上、危険の芽は確実に摘んでおきたいところだ。
    「気を付けて行ってきてね。皆、ちゃんと無事で帰ってくるのよ」


    参加者
    アリシア・ウィンストン(美し過ぎる魔法少女・d00199)
    巨勢・冬崖(蠁蛆・d01647)
    凛々夢・雨夜(夜魔狩・d02054)
    希・璃依(銀木犀・d05890)
    皇樹・桜夜(家族を守る死神・d06155)
    廿楽・燈(すろーらいふがーる・d08173)
    桜井・かごめ(つめたいよる・d12900)
    花咲・ウララ(見果てぬ夢を追って・d22366)

    ■リプレイ

    ●誰が為に君は舞う
    (ラブリンに手を貸すのも釈然としないが……)
     指示通りの場所で待ち構えながら希・璃依(銀木犀・d05890)は内心つぶやいた。同じ心情の者も少なくはないだろう。
     レストランから出てくるふたりはまるで、久しぶりに再会した仲の良い姉妹のようだった。ぴったりと寄り添い、和やかに話しながら歩いてくる。
     とはいえ、それが何らかの効果による不自然なものであることはわかっている。
     ふたりの淫魔が近づいてきたところで、灼滅者たちは行動を開始した。
     璃依が『殺界形成』を、花咲・ウララ(見果てぬ夢を追って・d22366)が『サウンドシャッター』を展開した。これでもともと少ない通行人は寄りつかず、音を聞きつけて誰かが来てしまうこともない。巻き添えの心配もなく思い切り戦える。
     アリシア・ウィンストン(美し過ぎる魔法少女・d00199)が声をかける。
    「お前がミサキかぇ?」
    「は、はい。あの……」
    「まあ、どなたかしら?」
     内心はわからないが、年上のほうの女――これが美涼だろう――は、優雅に首をかしげて見せた。綺麗に巻いてアップした髪、巧みなメイク。もちろん掛け値なしの美女だ。スーツは一目で高価なものとわかるが、それにつりあうだけの容姿と身のこなしを持っている。
     その隣で戸惑っているミサキも結構な美少女だった。淫魔の素質のある者は基本的に美形が多いが、闇堕ちした今はそれ以上の華やかさが加わっているのだろう。
    「ふむ、淫魔に属するのならなぜ寝返りを考えるのかぇ?」
    「あら、自分に有利な方につくのは当たり前じゃなくて? 人間だってそうでしょう?」
    「あの、武蔵坂学園の人たちですよね? すみません、私この人と一緒に行こうと思うので……」
    「ミサキはラブリンスターにお世話になっていると聞くが、お世話になっている以上義を尽くすことが大事なのではないか?」
     アリシアはミサキの主張を遮るように言った。
    「今のミサキはラブリンスターからの恩を仇で返すことをしようとしておるのじゃ!!」
     その強い口調にミサキが一瞬びくりとなる。そこに璃依が言葉をつづけた。
    「スキュラのトコロに行っても、きっと大事にはしてもらえないぞ?」
    「先の安房での戦いで、スキュラは糸を通じて、配下のサイキックエナジー全部吸い取ったような真似をしているんですよ? 使い捨ての駒にされてもいいのですか!」
     この発言は皇樹・桜夜(家族を守る死神・d06155)のもの。彼女は以前にもラブリンスター配下の淫魔アイドルを襲撃から救ったことがある。ラブリンスターの大ファンゆえに、その言葉には本心からの説得力があった。
    「淫魔の力を使ったら簡単に人は集まってくると思うよ。でもその人たちは、ミサキさんのダンスが好きで応援したいから、集まってきたわけじゃないよ」
    「淫魔の力で人気を得たとしても、その人気は淫魔なら誰でも一緒で、君じゃなくても良いんだ」
    「ミサキのダンスが評価してもらえるわけじゃねぇ。お世辞を言われるよりも、心から良いって言われる方がいいだろ?」
     廿楽・燈(すろーらいふがーる・d08173)と桜井・かごめ(つめたいよる・d12900)、巨勢・冬崖(蠁蛆・d01647)はそう指摘した。
     淫魔としての能力をフルに活用すれば、普通の人間はほとんど抵抗もできずに魅了されてしまう。確かにアイドル活動にその力を使えば人気など思うがままだろう。しかし。
    「スキュラの側に行ったら、本当の意味で応援してくれる人はきっといなくなっちゃうよ」
     ミサキが困ったように美涼と灼滅者たちの間に視線を走らせている。
    「ここでこのヒトについて行ったら、今までダンス頑張ってきたの、無意味になるんじゃないかなー。だって、頑張って練習して、それでダンスが巧くなったから人気が出るわけじゃないよね?」
     ウララの言葉が続いた。
    「私たちとしばらく付き合ってみてどうでしたか? 気を許せる人たちだって思いませんでしたか?」
     凛々夢・雨夜(夜魔狩・d02054)はそう説いた。ライブに呼ばれて一緒に盛り上がってくれたり、学園祭などのイベントにラブリンスターを呼んでみたり。淫魔とそんな付き合い方をしてくれるのは、確かに武蔵坂学園くらいだろう。
    「スキュラについたらきっと毎日気が抜けませんよ。いつサイキックエナジーを吸い取るような非情な仕打ちをされるかわからないんですから」
    「あら、ラブリンスターだって、土壇場ではどうするかわからないわよ? あのひとだってダークネ――きゃあ!?」
    「もー、邪魔しちゃダメだってば」
     燈が妖冷弾を放った。命中はしなかったものの、美涼の言葉を遮る。雨夜が続ける。
    「私たちのようにのんびり穏やかに付き合っていける勢力なんて他にありませんよ」
    「ええと……」
     ミサキが困ったように美涼と灼滅者たちの間に視線を走らせている。硬軟取りまぜた説得は効果抜群のようだ。最後の一押しとばかりに雨夜が言葉を添える。
    「それに、ダンスを見てほしいなら、私たちもいますよ」
    「え?」
    「ラブリンスターが学園でライブやったけど、凄い人気だったよ。僕たち敵同士のはずなのに」
     かごめが告げた。確かに、ラブリンスターのもとであれば、灼滅者たちに見てもらう「場」を得られる。
    「ラブリンスターに付けば、君自身のダンスや魅力を評価してくれる人に出逢えるチャンスなんだ」
    「わ、私自身のダンス……」
    「頑張ってきたんだろ? ならその実力をそのまま見せて欲しいな」
     これは璃依。ミサキは涙ぐんだ。
    「ごめんなさいー! 移籍のお話は、なかったことにしてくださーい!」
    「ちょっと、ミサキちゃん?」
     一声叫ぶと、走って灼滅者たちの方に寄ってくる。桜夜と雨夜が一瞬だけあいだを空けて彼女を通し、包囲の外に出した。
     ちょんちょんと、ミサキが桜夜の袖を引く。
    「あのあの、本当ですか? 私のダンス、観に来てくれるって」
    「ええ、私、以前のラブリンスター様のライブにもお邪魔したんですが、大変な盛り上がりでした! ミサキさんがステージに立つときも、駆け付けますよ」
     桜夜は笑顔で答えた。璃依とウララも頷いて見せる。
    「あのライブは凄かった。次も楽しみだ。その時はミサキのステージもゼヒ見たいぞ」
    「それアタシが転校してくる前だったんだよねー。今度やるときは絶対呼んでほしーなっ。頑張ってるんだもんね。絶対良いに決まってるよ」
    「嬉しい……!」
     どんなにダンスの腕やアイドルとしての魅力を磨いても、ダークネスである以上、世間で知名度を上げること自体がそもそも極めて難しい。
     努力しても報われなければ嫌な気持ちになるのは、人間でもダークネスでも変わらないだろう。そこへつけこむ美涼の、そしてスキュラの手口は悪質だと思う。
    「フェアじゃないよね。邪魔させてもらうよ」
     かごめが宣言し、盾の力場を解放する。前衛に立った四人の前に見えない護りの壁が広がった。
    「『さあ、狩りの時間だ!』」
     日頃の清楚な口調から一変した詠唱と同時に、妖の槍が桜夜の手に顕現する。美涼が呼び出した肉色の異形――ピンクハートちゃんの一体に、深々と槍の穂先が刺さる。ぶすりという感触が伝わっった。
    「強引勧誘は強制取締りだーっ」
     そう宣言しながら璃依が盾を展開し、ピンクハートに身体ごとの一撃を喰らわせる。
     その隣で、冬崖がもう一体のハートにやはり気魄の一撃を叩きつけた。
    「もう……仕方ないわね、貴女のことは諦めるわ」
     二体のハートの中間に陣取りながら美涼が言った。甘く色っぽい声に、わずかな苛立ちが混ざる。
     事前予測通り、美涼と眷属二体は攻撃に重点を置いた陣形を取っている。こちらには手数の有利があり、事前に彼女の手の内をある程度知っているという強みがある。その利点を生かして陣形を整え、連携を取って戦うまでだ。
     相手の位置取りに合わせて素早く包囲網を完成させる。逃がすつもりはない。
    「ミサキさん、これが終わったらお茶でもご一緒しませんか?」
     桜夜の誘いに、ミサキは嬉しそうな顔をしたが、次には困ったように眉を下げた。
    「……じ、実は、今、もう門限過ぎちゃってるんですぅ……ごめんなさいっ」
     美涼の誘惑に乗っている間に時間が過ぎていたようだ。
    「それはいけませんね、ちゃんと帰ってラブリンスター様に謝らないと」
    「はいぃ、今日はおとなしく怒られます……また次の機会にお願いしますっ」

    ●戦いは舞に似ている
     夜の空気を割いて、サイキックの応酬が続く。『サウンドシャッター』がなければかなりご近所迷惑な騒音になっているに違いない。
     事前の情報通り、美涼はそれなりに知恵のまわる相手だった。
     冬崖と雨夜、ふたりが他の灼滅者をかばう布陣であることにいち早く気付くと集中攻撃を仕掛けてきた。ふたりを一気に倒し、包囲を突破するつもりなのだ。
     しかし、ふたりは望むところとばかりにその攻撃を受け止め続ける。傷を負えば、後衛の仲間がいち早く回復を飛ばしてくれた。
    「夢を食い物にするなんて最低だな」
     影を放ち、戒めを与えながら璃依は吐き捨てる。
    「香水臭ぇな……」
     冬崖は美涼への挑発を口にした。その拳に雷光が集まっていく。
    「お色気過剰すぎるんじゃねぇか、オバハン?」
     そして踏み込んだ次の瞬間には、ハートの一体がその一撃で吹き飛んだ。
    「あら……、まだ、貴方の歳じゃあ理解できないかしらね?」
     護衛の一角が崩れ、戦局が不利に大きく傾いたにも関わらず、まだ美涼は動揺を見せなかった。
    「ふふ、私、可愛い男の子とお話するのは、嫌いじゃないわ」
     笑みを浮かべながら、指輪を光らせる。力が収束し闇の塊が生まれた。即座に冬崖に向かって撃ち出される。痛みだけでなく、ビリビリとしびれるような感覚が彼を襲った。
     しかし冬崖は倒れない。踏みとどまって見せた。後ろに立つ後輩たちの案ずる声に大丈夫だと答える。
     すかさずナノナノのケリーから癒しの力が飛んだ。傷が塞がりこわばった身体が体温を取り戻す。
    「男の一人も引っ掛けられねえんじゃスキュラの配下でも大したことねぇんだな?」
     不敵な言葉に、見た目だけは若々しい美しい顔の、眉間に一瞬皺がよった。
    「そこっ――」
     短く上がった声はかごめのもの。淫魔に息をつく暇など与えない。魔力の光弾を出現させた。
    「姑息な手段に未来など無い!!」
     さらにもう一つ、高らかな宣言とともに魔力の弾丸。アリシアだ。
    「――ビンゴ!」
     二つのマジックミサイルが撃ち込まれる。命中した。
     金切声の悲鳴が上がった。先ほどまでの甘ったるい誘惑の声とは打って変わった、本物の苦痛の声だった。
    「うう、が、はあ……っ」
     一分の隙もなく紅に縁どられた唇から、別の赤色が漏れる。苦しげな息の下から漏れ出すか細い声。
     魔性の声が傷を癒そうとしている。しかし灼滅者たちに焦りはない。攻撃の手を緩め回復に転じざるを得ない状態。もはや彼女はジリ貧だ。
    「よーしっ、このまま行っちゃうよー!」
     ウララが皆の士気を揚げるような、陽気な声を上げた。
     残った一体のピンクハートにオーラキャノンが炸裂した。
     そこへ、雨夜が鋼の拳を振るう。
    「スキュラのもとに帰すわけには……いかない」
     集中攻撃を受けている彼女だが、攻勢を緩めない。
     もし美涼の逃亡を許すようなことがあれば、スキュラ勢の手掛かりを得るための尾行を考えてもいた。
     しかし今は勝機だ。重みのある一撃を叩きつける。素早くステップを踏んで下がったところに、流れるように燈が続く。
    「悪いことに加担させるなんて、そんな淫魔は灼滅させてもらっちゃうからね!」
     槍の強烈な一突きに、ハート型の眷属は弾けて消滅した。
    「スキュラ様……ふふっ」
     もはや身を守る眷属はおらず、灼滅者は八人全員が健在。勝ち目のないことを悟ったのか、淫魔は笑った。自嘲の笑みに似ていた。
    「つまんない……こんなところでこんな子供に殺られるなんて……」
    「まあアンタにとっては皆子供だろうな」
    「ここがあなたの終わりだったということですね。スキュラとその手下のことなど、どうでもいいですが」
    「……言うじゃないの」
     髪は崩れ、服も破れ、あちこちから血を流し、容赦なく叩き込まれるサイキックの奔流に呑みこまれながら、ずっとハラハラと見ていたミサキに視線をやった。
     灼滅者たちと彼女とを一度に見回すと、
    「……早く目を覚ましたら?」
     それだけ言い残して消滅した。

    ●和やかな齟齬
     冬崖は美涼の倒れたあたりを調べた。彼女の香水を回収できれば手掛かりになるのではないかと思ったが、美涼の物は持ち主とともに消滅していた。
     わずかに漂っていた残り香も、夜風に吹かれて急速に薄れていく。そしてすぐに消えてしまった。
    「皆さんありがとうございます。私、目が覚めました!」
     ミサキは灼滅者に向かいぺこりと頭を下げた。かごめが声をかける。
    「武蔵坂にライブに来ればいいよ、皆喜ぶと思うよ」
    「ステージがあるなら見てみたいな。それに関しては応援しよう」
     璃依も続けた。ダークネスに対する考え方はともかく、ダンスで認められたいという気持ちなら純粋に応援できる。
    「ありがとうございます! 私まだ新米なので、ライブなんてまだまだなんですけど……でも、いつか皆さんの前でステージに立てるように、レッスン頑張ります! ラブリンスター様のもとで!」
    「うむ、やはり世話になっている恩を忘れるのはよくないのじゃ」
    「はいっ」
     アリシアの言葉に、ミサキは大きく頷くと、アイドルらしい明るい笑顔で言った。
    「さえない普通の女の子だった私を、本当の私にしてくれたのは、ラブリンスター様ですもの!」
     ――本当の私。
     それは彼女が淫魔になる前に確かに存在していた「普通の女の子だった誰か」が消滅し、今のミサキに取って代わられたことを意味する。
    「ステージ、実現したら観に来てくださいね! 約束ですよ!」
     今日のところは失礼します、お疲れさまでしたー! と、軽やかに去っていくミサキを灼滅者たちは見送った。
    「次に会うときはどうなるかのぅ……」
     現在のところ、ラブリンスター勢と武蔵坂学園はひとまず良好な関係を保っている。
     内なるダークネスを抑え込んで生きる灼滅者と、ダークネスである彼女たちとの関係について、灼滅者たちにはそれぞれの見解があり、様々な思いがある。
    「あの、ミサキさんは今回はお誘いできませんでしたけれど、お夜食に寄って帰りませんか?」
    「そーいえば、ちょっとお腹すいたかも」
     桜夜の提案に何人かが同意した。夕食は済んだ時間帯ではあるのだが、確かにそろそろ小腹が空いてくる頃合いであった。ひとりが携帯電話で店を検索し始めた。
     今回ミサキを助け、スキュラの勢力を削いだことはその関係にプラスの影響を与えることは間違いない。ひとまずの達成感を得て、灼滅者たちはその場を立ち去った。

    作者:夏河まなせ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年12月8日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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