欠けた美粧

    ●君を捕らふ
     納棺師に感傷はいらない。
     非常に繊細な亡骸と向き合い、洗い清め、かつての安らかな寝顔を蘇らせる。それが我々の役目なのだ。
     感傷は迷いに繋がる。迷いは必ず、故人の肌に傷を生む。
     指先が少しでもぶれる時――それは、納棺師にとって許されざる過ちだ。
     ゆえに我々は、常に無心であり続けなければならない。
     ――――。
     ――。

     葬儀会館の或る一室にて。
     館内に響くざわめきを余所に、少年は傍らにいる存在へと微笑みかけていた。
     彼の隣には、死装束を纏った見目麗しき女性が腰を下ろしている。
     整えられた長い髪、白粉を帯びた肌。しいて彼女に欠点があるとすれば――乾いた蒼白の唇から、まったく生気が感じられないことであろうか。
     然れど、少年は彼女に紅をさそうとはしなかった。己の懐に、遺族から託されたリップグロスを収めてはいたものの。
     予感がしたのだ。この薄紅で彼女の唇を彩ったが最期――二度と、逢えなくなる。そんな、予感が。
    「綺麗だよ、姉さん。このままでいい。いつまでも、このままで」
     彼女の冷たい唇をなぞる指には、水晶と化した爪が光を帯びて輝いていた。

     
    ●願わくば
    「お前さん達は、『納棺師』って知ってるかね。
     逝ってしまう人の身体を綺麗にして、新しい旅立ちへのお手伝いをする仕事だとさ」
     読み終えた資料を閉じながら、白椛・花深(高校生エクスブレイン・dn0173)は灼滅者達に訊ねた。
     旅立ちへのお手伝い――だなんて聞こえは良いが、少なからず蔑みの目があることは否めない。
     歯に衣着せぬ言い方をすれば、死体に触れる仕事なのだから。
    「今回、お前さん達に逢ってもらいたいのが……その、納棺師の仕事を手伝ってる少年なんだよ。
     名は霊界堂・刹久(れいかいどう・せつひさ)。現在、ノーライフキングに堕ちようとしている。
     お前さん達にできることは、彼を闇堕ちから救うこと。
     もしくは、彼の手を汚さぬよう――灼滅することだ」
     できることならば、前者のが後味が良いな。
     そうけらりと笑うと、花深は再び資料を開いて説明を続ける。
    「刹久少年は高校生でありながら、納棺の才に長けている。
     ただ、納棺師だった亡き父親の教えもあって、誰にも心を開かない無機質な人間なんだ。
     ……けれどある日、彼も恋をした。お相手は悠那(ゆうな)っていう、お隣に越して来た年上のおねえさんさ」
     きっかけは些細なものだった。
     悠那の身内が亡くなった際、偶然にも納棺の儀を務めたのが刹久だったのだ。
     彼女は刹久に、心から感謝した。『綺麗な手、優しい手』と。
     初めて受けた温かな言葉が、刹久の心を溶かしたのだろう。
    「しかしある日――悠那嬢が亡くなった。ちょっとした、交通事故でな。
     通夜当日。最後の仕上げに口紅を塗る前、刹久少年は彼女との別れを拒んで闇堕ちするんだ」
     場所は葬儀会館。
     闇堕ちした刹久は、悠那をゾンビとして甦らせ、忽然と姿を消すのだという。
     幸い、遺族や葬儀業者など、一般人の被害は無い。
     屍王は閉鎖的な性質である為、派手にゾンビを暴れ回したりはしないだろう。
     溜め息を零し、エクスブレインは再び口を開く。
    「彼はゾンビ化させた悠那嬢と共に、葬儀会館の或る一室に閉じ込もる。
     館内の混乱に乗じて、お前さん達にゃあ其処へ向かって欲しい」
     自分達を止めに来た存在が出現したとなれば、刹久も臨戦態勢に入るだろう。
     眠らぬ屍と化した想い人は最前線で主を護り、刹久自身は後方から的確に攻撃を仕掛けてくる。
     一旦、花深は思考を巡らせたのち、灼滅者達にアドバイスを送った。
    「刹久少年は持ち前の技術で、ゾンビに死に化粧を施している。
     最初は『姉さんは永遠に美しく生き続ける』と、頑なに言葉を拒むだろう。
     ただ、お前さん達と激しく戦っていりゃあ、ESPですらないただの化粧は簡単に落ちるだろうぜ。
     説得が効果的になるのは、恐らくそこからだ」
    『感傷を捨てろ』と教えられようとも結局、人の子に過ぎない。
     今まで感情を抑えつけていた反動で、彼は駄々を捏ねた子供のような行いをしているのだ。
    「自分の中でタブーとしていた感傷で動いているんだ。納棺師としての道も捨てる覚悟なんだろう。
     けれど――本当に愛した人に、彼が確りと別れを告げられるよう。お前さん達が、手を差し伸べてやって欲しい」
     深みのあるショコラの眸を、エクスブレインは静かに伏せる。
     まるで、未知なる白紙の未来を祈るように。
     納棺師として、或いは、ただ純粋に恋をした一人の少年として。
     願わくば、最後の『さよなら』を。


    参加者
    源野・晶子(うっかりライダー・d00352)
    アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)
    御子柴・天嶺(碧き蝶を求めし者・d00919)
    蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)
    黛・藍花(藍の半身・d04699)
    鳴神・千代(バゲヅブリン・d05646)
    黒谷・才葉(鬼のようだが犬っころ・d15742)
    一壁・柳(草と花・d21743)

    ■リプレイ

    ●哀しからずや
     葬儀会館内に響き渡る、喪主と思わしき壮年の怒鳴り声。それに対し、葬儀業者は真っ青な顔で必死に頭を下げている。
     慌ただしくロビーを駆け回るのは、何十人もの関係者達だ。
     葬儀スタッフ総員で、忽然と消えた納棺師と故人を捜索しているのだろう。
     様子を見計らい、八人の灼滅者達は館内へと忍び込んだ。
     ロビーを抜け、階段を駆け上がる。目指す先は、行方を晦ました二人が潜む或る一室だ。
     やがて一行は、固く閉ざされた引き戸の前へと辿り着く。
     灼滅者達は各々のスレイヤーカードを展開させ、これから迫り来る戦いに備える。
    「Slayer Card,Awaken!」
     高らかなその声は、アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)のもの。
     真白き光が彼女の手中に集い、それは殲術道具として形を成した。
    「皆さん、準備は宜しいですね? 結界を放ちますよっ」
     蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)は常の明るい調子で皆に呼びかけながら人払いの結界を張り巡らす。自信に満ち溢れる彼の笑顔は、何とも頼もしく感じる。
     次いで黛・藍花(藍の半身・d04699)も、サウンドシャッターを展開させた。
     これで戦闘中、乱入者が現れることはないだろう。藍花が引き戸の取っ手に指をかけ、微かに口を開く。
    「……行きましょう。悲しい事をこれ以上、増やさないように」
     突入前に紡がれた声に応じ、彼女と瓜二つの容貌をしたビハインドはこくりと頷いた。
     戸を開き、八人は一気に中へ雪崩込んだ。それぞれの配置に就きながら、閑散とした和室の奥に佇む二人を目で捉る。
     黒服の少年・霊界堂・刹久と、彼を庇うように前へ出る死装束の女性・悠那。今回の、救出対象達だ。
    「君達は何者だ?」
     刹久は灼滅者達に訊ねた。彼の眼から放たれるのは、殺気にも似た訝しげな視線。
     その眼差しにすら動じることなく、先ずはアリスが問いかけに答えた。
    「初めまして、刹久さん。あなたが道を踏み外さないよう、止めに来たわ」
     若くして納棺の仕事に携わっているという、肩書きは立派であるとアリスは思う。
     しかし、愛する人の死を簡単に受け入れられるほど、精神は成熟しきってはいないのだろう。彼はまだ高校生であるのだから、当然のことだ。
    「止めに、来た……僕等を?」
    「そうだよ。君も彼女も、救いたいんだ」
     さらに疑問符を投げかける刹久に対し、一壁・柳(草と花・d21743)が諭すように告げる。脳裏に滲むのは、かつて愛した『彼女』のこと。
     大切な存在を喪う痛みを胸に刻み込んでいるが故に、柳には伝えたいことが幾つもあった。
     取り返しがつかなくなる前に。彼の手が、闇によって穢れてしまう前に。
     ――しかし、当の刹久は口を三日月のように吊り上げながら、悠那を抱き寄せた。
    「その必要はないさ。彼女を見てくれよ……綺麗だろう? これこそが、永遠の美だ」
     屍王の証たる透明な爪が、悠那の真っ白な貌を撫でる。確かにそれは、死体とは思えぬほど美しく仕上がっていた。
     けれど、それは彼が現実から逃避する為に粧したものでしかない。
    (「霊界堂さん……どうか、目を醒まして……!」)
     源野・晶子(うっかりライダー・d00352)はぎゅっと目蓋を閉じる。
     今にも溢れてしまいそうな感情を塞き止めて、強く、強く願った。
    「さあ、帰ってくれ。僕等の邪魔をしないでもらいたい。さもなくば……!」
     刹久の傍らで佇んでいた悠那が肉薄した。鋭く伸びた爪を振り上げ、鳴神・千代(バゲヅブリン・d05646)の右肩を引き裂く。
    「ッ……! ダメ、だよ。そんなこと――!」
     とめどなく血が溢れ出す右肩を庇いながらも、千代は真っ直ぐに言葉を投げかける。
     だが相手が攻撃を始めた以上、こちらも動き出さねばならない。尤も、狙うのは最前線に立つ悠那ではない、後方の刹久だ。
     千代は自らの澄み渡る青眸を伏せ、コインから障壁を広げる。
    (「出来る事なら、攻撃なんてしたくない。けれど、悠那さん……ごめんね」)
     光の傘は、陣頭の4人とサーヴァント達に守護の恩恵を授けた。
     この戦場において、ゾンビの悠那はディフェンダーを担う。
     それ故に刹久へ集中攻撃を加えようとも、稀に彼女が肉壁となって傷を受けることとなるのだ。
    「当たれッ!」
     声を張り上げたと同時、御子柴・天嶺(碧き蝶を求めし者・d00919)は紫のオーラを手中に集め、刹久へ撃ち込む。
     それを肩代わりするのは悠那だ。天嶺による覇気の砲撃により、片腕の皮膚が焼き焦がされる。
     刹久は殺意を込めて、灼滅者達を睥睨した。
     しかし、立て続けに黒き影が牙を剥き出して彼に喰らいつく。黒谷・才葉(鬼のようだが犬っころ・d15742)の足元に這う影業が、狼の姿を成したのだ。
    「……何故だ? 何故、君達は僕等を止めようとするんだ!」
     苛立ちを隠さぬ少年を、才葉は真っ直ぐに見据える。その金の双眸に曇りは無い。
     普段ならば屈託のない笑みを顔いっぱいに綻ばせる才葉だが、『死』に関しては人一倍敏感なのだ。
    「ほっとけないからに決まってるだろ! 刹久も悠那も、絶対に助ける――!」
     力強く、宣する。才葉も喪う哀しみを知っているからこそ、彼に手を伸ばすのだ。

     理由なんてそれだけで充分だった。
     助け出せる可能性が微かでも、少年少女は全力を賭して立ち向かう。
     しかし、万物に刻限を定めたこの世界は残酷だ。
     感傷だけでは、一途な想いだけでは為し得ぬモノが在ることを、無情なまでに突きつけるのだから。

    ●時の随に
     戦いは極限にまで、熾烈さを増してゆく。
     静寂を掻き消すように轟音が鳴り渡り、晶子のライドキャリバーである『ゲンゾーさん』が二人へ目掛けて銃弾を乱射する。
     硝煙弾雨に紛れて、立て続けに晶子が指輪を嵌めた掌を手前に伸ばす。
    「(なるべく傷つけないように、お化粧を落とすことができれば……!)」
     すん、と小さく鼻をすすり、両目に溜め込んだ涙を必死にこらえる。どうか、上手く届くように――。
     祈りを込めて、引き鉄をひく。発射された光線は一直線に刹久を刺し、同時に悠那の片頬を掠めた。
     晶子は注意深く悠那の様子を確認する。微かに刻まれた傷跡から、鮮血が溢れることはない。
     それは彼女が紛れもない、生きる屍である証。
     しかし、刹久は顔色一つ変えずにふん、と鼻で笑ってみせる。どうやら一筋縄ではいかないようだ。
     そこでアリスが隙を見やり、光剣『白夜光』の刃を刹久へと向ける。戦闘開始から三種の術を巧みに使い分け、的確に刹久の体力を削っていたのだ。
     剣の切っ先から生じる純白の光は魔の矢と化し、まばゆい軌跡を描いて射出される。
     既の所で彼を庇ったのは、やはり死装束の女ゾンビだった。
     白粉が薄れ、爛れた赤黒い皮膚が晒される。何の効力も持たぬただの化粧は、あっけなく崩れ落ちたのだ。
    「……!?」
     声にならぬ声を漏らし、目を剥く刹久。
    「こういう風に、想い人を盾にするのがあなたのやり方なのかしら?」
    「それは……」
    「既に亡い人を無理矢理とどめ続けるなんて、二重の冒涜よ。その人自身と、あなたの思い出への」
     悠那の姿を目で示しながらアリスが問いかければ、刹久は若干の動揺を見せる。
     しかし攻撃の手は止むことなく、藍花のビハインドが両の手から霊撃を放った。
    「貴方の、その彼女を盾にする戦い方……、そんな事をしてはいけないって、……判りませんか?」
     相手がよろめいた拍子に、淡々とした声音で藍花がさらに揺さぶりを掛ける。
     彼の想いを、行いを、全否定することはできない――けれど。
     誤った方法で道を踏み外し、彼が抱き続けていた愛すらも潰えてしまうというのならば、それを止めてやらねば。
     藍花が紡いだ祝福の風をその身に受け、白練の袴姿の敬厳は翡翠色に輝く得物を飛ばす。
     Beatrice No.2――柊の葉の如き棘を持つリングは、舞うようにして刹久の身体を斬りつける。
    「悠那殿の姿をよう見よ」
     敬厳のその振る舞いは、とても齢12とは思えぬ威厳に満ちていた。
     だが当の少年は目を背けたまま、敬厳の言葉に従おうとはしない。
    「目を逸らすでない。想いを寄せたおなごを苦しませるのが、刹久殿の本当の望みではなかろ?」
     愛した存在の死は突然に起こった。人であるのならばそれに苦しみ、取り乱すのも無理はない。
     然れど――一度喪った生命は、決して元には戻らないのだ。
    「貴方は、満足ですか? 彼女を人として美しくあの世に送ることこそが、貴方の使命ではないのですか?」
     何度も問い、天嶺は再びオーラを放つ。しかし現状の段階で、後衛へ届く攻撃手段は一つしかなかった。
     黙するまま見切り、刹久は躱す。だが、直後に突撃してきたのは霊犬『千代菊』だ。
     口に咥えた斬魔刀が彼の腕を斬り裂いたのち、千代の影が地から這いよる。
    「別れたくないって気持ち……わかるよ。誰だって、大切な人と別れるのは辛いもん」
     闇に穢れた心を掬い上げるような言葉と共に、黒の刃が深々と少年の胸を抉った。
     一度、目を伏せり千代は想う。感傷を捨てることは、自分では到底できないだろう。
     千代にとって、感傷は己が他者に手を伸ばす為の動力源のようなものであったから。今回に至っても、きっとそう。
     この少年を、刹久を救いたい。それだけは、決して妥協などできない。
    「姿は好きだった彼女かもしれないけど……ここにはもう、心が無いんだよ。
     大切な人なら、その手でもう眠らせてあげよう?」
     暗く沈み始めた刹久の顔を、真っ直ぐに見つめる才葉。魔の雷を呼び寄せ、撃ち放つ。
     ぐらり、と刹久は激しい衝撃によって膝をつく。立て続けに繰り出される攻撃に耐えながらも、彼は才葉に弱々しく訊く。
    「僕なんかに……なにができるというんだ」
    「彼女の言葉を思い出してくれよ! 生前、なんて言ってた?」
     すぐさま才葉が新たな言葉を投げかける。本当に為すべきことを思い出してくれるよう、強く願いを込めて。
     その直後。刹久の海馬に突如として蘇るのは、かつての記憶だった。

    『せっちゃんの手は、綺麗な手よ。亡くなった人を眠らせてあげられる、優しい手』

     嗚呼。なぜ今まで忘れていたのだろうか。
     最も愛おしく想っていた人が残してくれた言葉だというのに。
    「今、彼女はもう一度、霊界堂君……いや、刹久君に話しかけてくれる? そうでないのに、生きていると言えるの?」
     ゆっくりと一歩、柳は前へ歩む。導くように、言葉を紡ぎながら。
     生前に愛する人が褒めてくれた手なのだ。君自身が穢してしまっては、逝ってしまった彼女は哀しむことだろう。
     柳の両の掌から放たれたオーラを喰らい、刹久は大きく飛ばされる。
     和室の壁に背中を打ち、力なくへたり込んだ。
     彼が灼滅者達の攻撃に耐えうる体力は、もはや底を尽いている。
     水晶と化した爪は、もう消滅しても良い頃合だ。
     ――しかし。
    「君達には感謝してもしきれない。僕だけでない、姉さんのことも考えてくれていて。……でも」
     一体、何が起こってしまったのか。灼滅者達は一目で解する事はできなかった。
     しかし、思考する猶予すら無い。指先から水晶となっていく刹久の身体は、音を立てて崩れ落ちているのだから。
     まるで人を模したガラス細工が、金槌で粉々に砕かれていくように。
    「……きっと、これは僕の弱さだ。君達は、何も悪くない」
     納得したかのように呟く。彼は本当の愛情に気づき、悠那の死も受け入れることができた。
     けれど、それと共に不安も残されてしまっていた。
     愛を以て彼女を弔う為の化粧を施すなど、使命に反するのではないのか。
     ――『納棺師に感傷はいらない』、『無心であり続けなければならない』。
     これらに縛られる必要は無いのだと、伝えてあげられたなら。彼の心は挫けることなく、もっと強く在れたかもしれない。
    「駄目ですよ、こんなの! 大事な人なら、あなたの手で送らなくちゃ……!」
     咄嗟に晶子は彼の元へ走り、手を伸ばした。しかし、触れた箇所からも水晶の欠片が幾度も零れ落ちる。
     晶子だけでない、全員の灼滅者達が彼の元へと駆け寄っていく。
     刹久は辛うじて動く右手で懐をまさぐり、或る薄紅色の小瓶を取り出した。震えながらも差し出されたそれを、アリスが受け取る。
    「……有難う。姉さんを、どうか頼――」
     全てを灼滅者に伝え終える直前、水晶化した刹久の顔に大きな罅が入った。
    「そんな……刹久さんっ!!」
     消失される瞬間、晶子が叫んだ。溢れる涙が、頬を伝う。
     後に残されたのは破砕された水晶の屑と、主を喪ってただ佇むだけのゾンビが一体。
     まだ、為すべき事は残されていた。彼等は再び武器を握り直し――戦いを、続ける。

    ●名残り紅
     幾度も攻撃を受け止め、そう浅くない傷を負っていたゾンビを灼滅するのは容易だった。
     倒れ伏したゾンビは青白い顔の娘へと戻り、畳に横たわっている。
     腐りきったあの醜い姿から悠那を解放してやることができ、天嶺はほっと安堵の息を漏らす。
     もしあの少年を救えていたとしたら、彼女もビハインドとして新たに巡り合うことができたのだろうか。
     それは今となっては分からないけれど、天嶺の心に一つ、仄かな未練が滲んでいた。
    「お二人共……どうか、安らかに」
     意志の強さを示す橙の瞳を閉じ、敬厳は黙祷を捧げた。ただ悔やんでも致し方ない。
     彼が遺した願いを、最期の言葉を決して忘れぬよう、心に刻み込んだ。
    (「人間だもの、感情があって当たり前だよ。……それを殺す必要なんて、無かったんだ」)
     柳のその想いは、彼女の死と闇に蝕まれた刹久にとって救いとなっていただろう。
     各自の判断に委ねるのみでは、闇を全て拭い去ることは困難だ。あと一歩が、足りなかった。
     だがこの短い邂逅の中で、彼が灼滅者達に対して心を開いたのは事実。
    「悠那さんの形見ね。別れが惜しくて、彼は使うことができなかったみたいだけど」
     手に収めた小瓶を見つめながら、アリスは呟く。
     窓から差し込む月明かりを帯びて、瓶に閉じ込められた薄紅はさらに美しさを増していた。
     それは最期に彼が残した、灼滅者達への信頼の証。
     君達にならば、僕にできなかった事を託せる、と。
    「せっかくだら、さしてあげよう? 悠那さんに」
    「ああ、手伝うぜ! せめてオレたちが綺麗にしてあげよう」
     千代が皆に提案すれば、才葉が真っ先に手を挙げる。
     哀しみに浸りすぎていても、前には進めない。
     棺にまで返してあげることはできぬものの、灼滅者達はできる限り遺体の見栄えを整えてゆく。

     欠けた美粧に薄紅を。
     それがせめてもの、はなむけとなるならば。

    作者:貴志まほろば 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年12月17日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 12/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ