海神の花嫁

    作者:篁みゆ

    ●因習
     ざぱぁん……ざぱぁんと波が岩を打つ。
     海辺にあるこの町は昔から漁業が盛んで……いや、漁業に頼るしか人々の生活していくすべはなかったのだ。
     だからこそ、人々は海の機嫌をうかがって生活してきた。海の荒れが続けば人々の生活は立ちいかなくなる。だから、その因習が生まれたのもある意味当然のことかもしれなかった。

     その大きな狼は白きの炎のような体毛の足先だけが黒く、まるでブーツを履いているようだ。崖上から覗き込む瞳は血の色。波が弾ける様子を見ていた狼はひとつ遠吠えをする。それに応えるように波間に響き始めたすすり泣きを聞いて、狼は身を翻した。
     崖下を覗く赤い瞳はもういない。代わりに現れたのは、濡れそぼった花嫁装束を纏った乙女だ。花嫁装束の裾からは鎖のようなものが見える。その鎖は崖に繋がれていた。
    「ああ……ああ……」
     濡れた髪を乱して乙女は泣く。海に沈められとうないと。
     

    「戦争お疲れ様。早速で悪いんだけど……スサノオによって古の畏れが生み出された場所が判明したんだ、向かってくれるかい?」
     教室を訪れた灼滅者達に、和綴じのノートをめくりながら神童・瀞真(高校生エクスブレイン・dn0069)は告げる。
    「とある海辺の町の話だよ。その町はまだ村と呼ばれていたような頃から漁業に頼って生活してきた。だからね、海が荒れて漁に出られないと村人たちは生活に困る。もちろん蓄えはあっただろうけれど、いつまでももつわけじゃない」
     海の天気は気まぐれで、すぐに静まってくれることもあれば数日、数週間荒れ続けることもある。昔は今と違って交通手段にも限りがあって、他の村から援助を受けるにも限界がある。
    「そこで人々は、海を治める海神様のご機嫌を取るために花嫁を差し出すことにしたんだ。二十歳以下の村娘の中から一人を海に嫁がせる。海神様の花嫁なんて名誉なことだと教えられるけれど、それは生贄という事実を真綿でくるんだだけだ」
     娘一人で村全体が助かるなら――そうして海の荒れが長引くと、生娘が一人選ばれ、後ろ手に縛られて崖の上から荒れた海へと落とされる。花嫁衣装は海水を含んで重くなり、乙女を海神の元へ届ける。
    「古の畏れとして顕現させられた海神の花嫁は、夢も希望も未来も絶たれた恨みをもって君達に向かってくるだろう。すすり泣いたり、海水を浴びせかけて同じ苦しみを味あわせようとしたり、乱れた長い髪で締め付けたり、ね」
     もちろんこのような風習は現在は行われてはいない。けれどもこの崖に思いを残した花嫁達の苦しみと恨みは消えない。
    「古の畏れとして現れてしまった以上、放置することもできない。倒すことが海神の花嫁に対する救いになるんだと思うよ」
     悲しそうに笑んだ瀞真はパタンとノートを閉じて。
    「最後に、この事件を起こしたスサノオのことだけど……申し訳ないけどブレイズゲートのように予知がしにくい状況なんだ。けれども引き起こされた事件をひとつひとつ解決していけば、必ず事件の元凶のスサノオに繋がっていくはずだよ」
     まずは目の前の事件に専念して欲しい、そう告げると瀞真は頼むね、と頷いてみせた。


    参加者
    神代・紫(宵猫メランコリー・d01774)
    詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)
    緋野・桜火(高校生魔法使い・d06142)
    テレシー・フォリナー(第三の傍観者・d10905)
    深束・葵(ミスメイデン・d11424)
    オリキア・アルムウェン(ジンたんラブ・d12809)
    真神・蝶子(花鳥風月・d14558)
    卦山・達郎(龍の血に魅入られた者・d19114)

    ■リプレイ

    ●潮騒の子守唄
     耳を塞いでいても寄せては返す波の音が耳に染みこむ。寝ても覚めても波の音が耳をくすぐる。この町の人は町が村だった頃から波の音を、海を自分達の生活の一部として身近に感じて生きてきたのだろう。海が荒れ続ければいとも簡単に村人の命は奪われてしまう。生殺与奪の権利は海神様が持っていると村人が信じても不思議ではない。だからといって若い娘を生贄にするやり方が正当化されるわけでもない。滑り止めのついた靴を履いて一歩一歩現場へと近づく灼滅者達の心中も複雑だ。
    「生贄か、当時の人間には仕方なかったのかもしれんが虚しい風習だな」
    「ほんと、ひどい風習があったんだね……! 怒りを鎮めるために命を失うなんて可哀相だよー……」
     じゃり、と小石を踏みしめながら先頭を歩く卦山・達郎(龍の血に魅入られた者・d19114)の隣で、オリキア・アルムウェン(ジンたんラブ・d12809)が悲しげに表情を歪める。
    「せめて安らかに眠れるようにしてあげないと……」
    「とっとと戦いを終わらせて、花嫁たちを楽にしてやるとするか」
     オリキアの呟きに対する達郎の力強い答え。一歩後ろを歩いていた深束・葵(ミスメイデン・d11424)がうーん、と唸る。
    「人身御供って神話の時代から聞く話だけど、自然はお天道様が勝手に決めるから本当に効果があったのかは分からないよね。まさに神のみぞ知るって感じで」
    「私も聞いたことあるある。漫画とかテレビでそんな設定よくあるよね~。こんなんまじでやってたんだ、こわいこわい。こーほー」
     濡れ対策に全身防護服という完全装備のテレシー・フォリナー(第三の傍観者・d10905)の声はどこか籠もって聞こえる。乙女を生贄とする設定はフィクションの世界では手垢のついたものかもしれない。だが実際にそれを行っていたと聞くと、恐れと不快感のようなものが背中を駆け上がっていく。
    「そりゃ乙女は恨むでしょ~ねー。でもだからってうちらに当たるのはまじ勘弁。こーほー」
    「確かに、生贄にされた者たちの恨みもわかるが、それを古の畏れとして、今に持ち込ませるわけにはいかないな」
     殺界形成を発動させて一般人の接近を避けつつ、後方を歩いていた緋野・桜火(高校生魔法使い・d06142)が凛とした口調で意思を述べた。
    「大勢を救う為に、一人を犠牲にする。少なくとも、他者にそれを強いるのは間違っていると思います」
    「そうね。生贄……過去の因習とはいえ、酷いものね。せめて苦しまないように眠らせてあげる」
    「はい。救う事はもう出来ませんが……せめて安らかに眠れるよう、お手伝いをしましょう」
     詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)と神代・紫(宵猫メランコリー・d01774)は視線を合わせ、意思を交わすように頷き合った。
    「我々は神様じゃないから運命は決められないけど、この花嫁さんを助けるのは運命なんじゃないかとアタシは思う」
     葵の言葉が波音に乗って灼滅者達の間に響く。
     もしも葵の言うとおり、古の畏れとなってしまった花嫁を助けることが運命だとしたら、その運命に乗ってやろうじゃないか、そんな思いが湧いてくる。崖の上へと至る一歩一歩に力がこもる。
    「もしかすると海神様は花嫁さんにされる人が可哀想だって、村の人に怒っていただけかもしれないのにね」
     古風なセーラー服のスカートを揺らしながら最後尾でぽつり、呟かれた真神・蝶子(花鳥風月・d14558)の言葉。他とは違うものの捉え方にはっとさせられる。
    「そうですね。蝶子さんの言う通りである可能性もありますね」
     沙月が蝶子の歩みを待って隣に立ち、そして微笑んだ。
     真相は海の中。想像することしか出来ぬけれど、自分達が花嫁の救いになれることを信じて向かう。
     ざわり……崖に近づく灼滅者達を、冬の海に似合わぬ生暖かい海風が撫でた。

    ●花嫁の嘆き
     おぉぅー……おぉぅ……。
     遠吠えのような嘆きが波音をかき消すように響き渡っている。崖の上、水平線を遮るように立っているのは花嫁装束の少女。白無垢は海水を吸って、重く張り付くように少女を縛り、長い黒髪は乱れて白を穢す。焦点の合わぬその瞳には怨嗟のみが映しだされていた。
     近づいて来る灼滅者達を標的とみなしたのか、花嫁の放つ殺気が一層濃くなる。しくしく、しくしく……すすり泣きが葵の精神を揺さぶる。
    「っ……!」
     泣き声に引きずられそうになる精神を強く持って、葵は『猿神礫手』を分裂させて盾とする。ライドキャリバーの我是丸は指示に従って攻撃を始めた。
    「助けてあげるから、少し辛抱して欲しいんだよー……」
     もしかしたら花嫁には届かないかもしれない。けれども信じることをやめたらすべてが終わってしまう。温かな光を自身に纏わせることで回復役としての準備を万全としたオリキアは、瞳を花嫁に向けた。ビハインドのリデルが花嫁へと迫る。
    「スサノオの行方も気になりますが……まずはこちらね」
     一気に花嫁に近づき死角に入り込んだ紫は、刀を持ってして花嫁の足元を斬りつける。バサリ……海水を含んで重くなった白無垢の裾が斬り裂かれて落ちた。紫の動きに合わせて動いた霊犬の久遠も刀を振るって。
    「葵さんを癒やします!」
     行動が被らないようにと声掛けを重視する沙月は、清らかな風を呼び寄せて葵に纏わせることで、不浄を清める。チラリ、花嫁に向けた視線は意味深だ。
    「スサノオも面倒なことしてくれるぜ」
     花嫁に迫る達郎が構えるのは『三牙ノ顎』。強く、強く打ち込まれて花嫁は身体を揺らす。テレシーのかき鳴らす音波が達郎を追うようにして花嫁装束を斬り裂く。ビハインドのフォルスはテレシーを守るように位置取りつつ攻撃を繰り出した。
    「その恨みごと撃ち抜いてやる」
     冷静に敵に狙いを定めるのは桜火。経験が物を言っているのかライフルの銃口は真っ直ぐに花嫁を捉え、桜火は冷静に魔法光線を放つ。その光線の照射に合わせるようにして、蝶子の喚んだ風が鋭い刃となり花嫁を包み込んで斬り裂いた。
    「心配しないで、私達が援護するから絶対に大丈夫だよ。助けてあげるから」
     それは苦しげに泣く花嫁への呼びかけか。
     おおおぉー……おおおぉー……。
     泣きながら花嫁が海水を喚ぶ。私の苦しみを味わってみなさいとでもいうように。
     ざばんと海水が襲ったのは後衛の三人。葵、沙月、オリキアの服が海水でべとりと身体に張り付いて、不快感をまとっているようだ。だがこれくらいで怯む訳にはいかないから、葵は負けじと魔力を込めた弾丸を放つ。爆炎が取り囲んだ花嫁装束は赤を映してまばゆく光る。
     負けないという意思を表すかのような旋律はオリキアの奏でるギターのもの。勇猛な音は傷を癒やし、浄化する。
     花嫁を救うための戦いは、まだまだ終わりそうにない。

    ●花嫁の悲しみ
     花嫁が動くたびにじゃらり、と白無垢の裾から覗いている鎖が音をたてる。崖につながっているようにみえるその鎖は、文字通り花嫁を縛り付けている。
     続く攻防の凄まじさを表すかのように白無垢は激しく破れ、花嫁はまるで痛みに身を揺らすようにして泣き叫んでいる。
    「……無理矢理起こされて、苦しいですよね。因習で命を奪われて、悲しかったですよね」
     風を喚んで仲間を癒やしながら沙月が見つめるのは花嫁。そっと声を掛けたくなるほどに、感情を添わせている。自らの境遇と重なるものがあるものだから、同情も湧いている。攻撃することに抵抗がないと言ったら嘘になる。できればあまり傷つけたくはない、けれども花嫁を倒すことが唯一の救いであり、それしか方法がないこともわかっていて。きちんと覚悟も決めている。
    「大丈夫です、怖い事は全て終わらせます。もう、ゆっくりと眠って……休んで良いんですよ」
     沙月の優しい声が波の音に溶けていく。赤いオーラを纏った達郎は花嫁の懐に入り込んで喰らい尽くすように襲う。
    「あの時のトラウマを思い出せーー!!」
     テレシーの放った影が花嫁を覆い尽くす。その影が見せるトラウマはきっと……。
    「はっ、何かパワーましてませんか? 気のせいですよね」
     なんだか花嫁の眼光が鋭くなったような気がして、テレシーはちょっと後ずさる。そんな彼女を庇うようにフォルスが彼女の視界を遮るように立ち、花嫁へと挑む。
     桜火の掌から放たれたオーラが花嫁の頬をかすめる。蝶子の喚んだ雷が花嫁の頭上から容赦なく降り注ぎ、打たれた花嫁は大きく身体を痙攣させた。
     うあ、うが……おぉぉぉぉ……おぉぉ……。
     段々と苦しさを増して行く花嫁の呻きに、早く解放してやりたいという灼滅者達の思いも募る。
     紫に伸びた花嫁の長い黒髪は彼女を縛ることが出来なかった。割って入った久遠がその身体に髪を受ける。ギリギリと縛り上げられる久遠を助けようと葵の『猿神鑼息』が唸りを上げて弾丸を吐き出し、我是丸も攻撃の手を緩めない。
    「回復するよー」
     オリキアは同じ回復手の沙月に声を掛け、符を遣わせる。その間にリデルが花嫁を追い詰めていく。
    「ありがとう」
     久遠を癒してくれたオリキアに声を掛け、紫は素早く花嫁に接敵し、深く深く傷を与えて飛び退く。入れ替わるように久遠も花嫁を斬りつけて。
    「もうだいぶ弱ってるんじゃない~? もうひと押しー? こーほー」
     防護服の内側からも花嫁の弱り具合は見て取れた。テレシーはダメ押しになれと腕を振り上げる。フォルスが合わせるように動いた。
     灼滅者達も傷を負ってはいたが、今回は特にサーヴァントも含めて灼滅者達の手数が多いため、回復手が回復に専念でき、サーヴァント達が壁となって守ってくれることで攻撃にも集中できていた。だから、花嫁の苦しみも長くは続かない。
     花嫁は弱っている。けれども桜火は冷静に状況を見据えて、攻撃の手を緩めずに狙う。
    「お姉さん、あと少しだからね」
     花嫁に語りかけつつ蝶子は風の刃を放つ。白無垢の切れ端が、風によって舞い上がり、花びらか雪のように見えた。
    「もう、いいのですよ……」
     沙月が手にした『雪夜』を抜いて斬りかかる。今度こそ、安らかに眠ってほしいと願いつつ。
    「こんなところにずっといて居ても寒かっただろ? 俺が今、暖かい所に解放してやるからな!」
     音も立てずに花嫁に近づいた達郎の手には『気功武装・双斧卦龍』が。赤いオーラを帯びた彼の一撃は、まるで龍が全てを喰らい尽くそうとしているようだ。
     どんっ……!
     花嫁の頭を狙って降ろされた斧が地面に突き刺さった時、悲しみの白を纏ったその姿は空気に溶けるように消え始めていた。
     おぉぉ……おぉぉ……。
     その嘆きは初めて聞いた時とは異なったものに聞こえる。まるで、感謝を述べているように聞こえると言ったら思い上がり過ぎだろうか?
     消えゆく彼女が最後に残したのはひとつの雫。ぽたり……濡れた地面に落ちて区別がつかなくなったそれは、海水か、それとも彼女の涙か――。

    ●海ではなく天で眠れ
     ざざーん……ざざーん……。岩に波が弾ける音が耳をくすぐる。
    「お姉さんたち、これ、つかってね」
    「用意がいいんだねー」
     タオルを受け取ったオリキアに微笑まれ、蝶子は嬉しそうな表情を浮かべた。
     蝶子の持参したタオルで濡れた身体を拭き終わり、誰からともなく花嫁の消えた崖を見つめる。ここにはたくさんの海神の花嫁たちの悲しみが宿っているのだろう。
     真っ先に崖に近寄ったのは紫だ。目を閉じ、過去に生贄になった少女たちに黙祷を捧げる。
    「ボクも……」
     崖の淵に花を供えたオリキアも、紫の隣で祈りを捧げる。その後ろで桜火もそっと目を閉じて、短い生涯を遂げた花嫁達の冥福を祈った。
     もう濡れる心配はないと防護服を一部脱いだテレシーはそっとその光景を見つめている。スサノオや他の勢力がいないか周囲を警戒していた沙月も膝をつき、手を合わせた。
     バサッ……空気を孕んで一瞬浮いたように見えた花束は、崖下の水面へと落ちる。葵の放った花束はゆらりゆらり水のゆりかごに揺られながら、花嫁達を悼む。
    「今の私には助ける方法がこれしか無かったけど、今度は素敵なお嫁さん姿を皆に見せてね」
     今度こそ、彼女たちが幸せな花嫁になれるように――願いを込めた蝶子の花束が後を追って水面に横たわる。
    「俺達にしてやれるのはこれぐらいだ。せめて、次に生まれ変わる時は幸せにな」
     達郎の投げた花束は放物線を描いて水面を目指す。『慰め』や『いたわり』の花言葉を持つクリスマスローズが添えられた花束は、ゆうらりゆうらりと花嫁達の元を目指すだろう。

     ざざーん……ざざーん……。波の音は変わらない。
     けれどもその音がありがとうの言葉に聞こえたのならば、きっとそれは祈りを捧げられた花嫁達の感謝の声なのだろう。

    作者:篁みゆ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年1月8日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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