人、立ちて柱となり

    作者:宮橋輝


     それは、狼に似た獣だった。
     体毛は白く、首の周りだけが僅かに灰色がかっている。半ばから断ち切れたのか、尾はかなり短い。

     夜を駆ける獣は、やがて大きな橋の下に辿り着く。川のせせらぎが、低く闇に響いていた。
     地面に鼻面を寄せ、匂いを嗅ぐような仕草を二、三度繰り返す。
     獣が短い尾を一振りして何処かへと去っていった後――異変は起こった。

     橋の下に広がる闇の中、ぼこりと地面から這い出してくる影がある。
     襤褸を纏った、筋骨逞しい男。泥に塗れた肌は、不似合いなほどに青白い色をしていた。
     ずるりと這い出した後、男は自らが埋まっていた穴を無表情に見下ろす。
     彼の足首に繋がれた鎖が、じゃら、と重い音を立てた。
     

    「こないだの新宿防衛戦から、あまり日があいてないけど。あちこちで、スサノオが古の畏れを生み出している……って話は、もう聞いてるかな」
     教室に揃った顔ぶれを見渡し、伊縫・功紀(小学生エクスブレイン・dn0051)は事件の説明を始める。
    「今回、古の畏れが生み出されたのは大きな川にかかった橋の下。うんと昔、洪水の被害がすごかった場所みたいでね。橋を何度かけてもすぐ流されちゃうから、人柱を立てたって言い伝えがあるんだ」
     人柱とは、城や橋などが破壊されないよう、生きた人を捧げて神に祈る風習だ。土に埋められるか、水に沈められるか――いずれにしても、人柱に立たされた者は結果として死ぬことになる。
    「言い伝えでは、人柱に選ばれたのはがっしりした男の人で、奥さんとの間にはもうすぐ子供が生まれるところだったんだって」
     男がどうして人柱に立たされることになったのか、その理由はわからない。何者かに謀られたという説もあるが、真偽の程は不明だ。男の妻は泣いて縋ったが、人柱の選定はとうとう覆らなかったといわれる。
    「古の畏れは、この言い伝えが元になったんだね。橋を守るために捧げられた人が、現代に蘇って人を襲うだなんて皮肉もいいとこだけど」
     幸い、まだ犠牲者は出ていないようだが、速やかに対策を打つ必要があるのは言うまでもない。
    「真夜中、橋の下を通ると古の畏れ――人柱に立った男の人が出てくる。戦って、倒してきて」
     敵は一体だが、状態異常を操る能力に長けている上に攻撃力も高い。相手の術中に嵌ってしまえば、苦戦は免れないだろう。くれぐれも油断しないでほしいと、功紀が念を押す。
    「……それで、この事件の原因になったスサノオなんだけど。ちょっと予知がしにくいんだよね。ブレイズゲートと同じような感じって言えばわかりやすいかな」
     ブレイズゲートは、エクスブレインの目には『巨大な白い炎の柱』としか映らない。スサノオに関しても、同様の状況にあると考えておけば良いだろう。
    「でも、事件を一つずつ解決していけば、いつかスサノオにも繋がっていくと思うんだ」
     そこで言葉を区切り、功紀は灼滅者ひとりひとりの顔を眺める。
    「皆なら、何とかできるって信じてる。どうか、お願いね」
     飴色の瞳のエクスブレインは、そう言って頭を下げた。


    参加者
    アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)
    篁・凜(紅き煉獄の刃・d00970)
    四月一日・いろは(剣豪将軍・d03805)
    赤星・緋色(朱に交わる赤・d05996)
    ジンジャー・ノックス(十戒・d11800)
    物部・七星(一霊四魂・d11941)
    海千里・鴎(リトルパイレーツ・d15664)
    禍薙・鋼矢(剛壁・d17266)

    ■リプレイ


     暫く歩いた後、目的の橋へと辿り着いた。
     川は大きく、そこにかかっている橋も立派なものだが、付近に建物の明かりが見えないためか、やけに殺風景に思える。
    「それじゃ、下りましょうか」
     付近に一般人を寄せぬための殺気を放ちつつ、アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)が同行者達を顧みる。ぐるりと周囲を見渡していた四月一日・いろは(剣豪将軍・d03805)が、黙って頷きを返した。通行止めを装って道路を封鎖することも考えたが、現状から判断するにESPだけでも対策は充分だろう。
     ライトのスイッチを入れ、足元に注意しながら川岸まで下りる。せせらぎに耳を傾けながら、海千里・鴎(リトルパイレーツ・d15664)が独りごちた。
    「……なんだか最近、水場での戦いに縁のある僕様だぜ」
     もっとも、『海賊』を名乗る自分がそういったものに引き寄せられるのは、ある意味では自然なことかもしれないが。
     橋の方に視線を向けると、その下には黒々とした闇が蟠っている。近くに立っていた木の枝にLEDライトを引っ掛け、物部・七星(一霊四魂・d11941)が言った。
    「ここに明かりを置いて照らしては如何でしょう」
    「そうだね。少しでも明るい方がいいし」
     赤星・緋色(朱に交わる赤・d05996)が、持参した照明を木の根元に設置する。こうしておけば、少なくとも暗闇で行動を妨げられる心配はない筈。戦いの音が漏れぬようESPのシャッターを下ろしてから、篁・凜(紅き煉獄の刃・d00970)が呟いた。
    「人柱、ね。マザーグースにもそれがベースと思われるものがあったりもするが」
     橋を守る『寝ずの番』――いわゆる人身御供の風習は、海外にも広く伝えられている。『全』のために『個』を殺すのは、人権が確立されていなかった時代において珍しいことではない。
    「まったく、嫌な話だな」
     霊犬の『伏炎』を伴った禍薙・鋼矢(剛壁・d17266)が、苦い口調で答える。
     遥か昔、流されぬ橋を作るために人柱に立てられた男。時代を経て、彼は人々に仇なす『古の畏れ』となってこの地に蘇った。
    「可哀想な気がするけど、被害が出る前に何とかしないとだね」
     緋色が、ぽつりと言葉を重ねる。戦場の準備が整ったのを確認して、ジンジャー・ノックス(十戒・d11800)が「行きましょう」と仲間達を促した。
     スレイヤーカードを取り出し、封印を解除する。
    「Slayer Card,Awaken!」
     コードを口にしたアリスの全身を、銀色に煌くオーラが覆った。
     隊列を整え、橋の下に向かって歩を進める。頭上に闇が落ちた時、足元の土がぼこりと盛り上がった。ゆっくり這い出してくる『古の畏れ』との間合いを測り、灼滅者は武器を構える。
     朽ちた衣を纏った、堂々たる体躯の男。泥塗れの足首に巻きついた太い鎖が、彼と地面とを繋いでいた。
     まるで地縛霊のようだ――と、鋼矢は思う。死してなお縛られる姿は、あまりにも痛ましい。
    「そんじゃ行くぜ。哀れすぎて見てらんねぇしな」
     WOKシールドを起動する彼のやや後方で、凜が霊剣『斬魔・緋焔』を構える。事の真偽はどうあれ、脅威は取り除かねばなるまい。
    「我は刃! 闇を払い、魔を滅する、一振りの剣なり!!」
     高らかに声を響かせた瞬間、男の雄叫びが地を揺るがした。


    『オ……オオオオオオオオオオッ!!』
     この世に残した未練を呪いに変えて、男が吼える。
     動きを縛る不可視の一撃を『閃輪の盾』で受け止めつつ、ジンジャーが口を開いた。
    「寝起きが悪いみたいね。私と一緒」
    「こんな風に起こされちゃたまんねーよなぁ」
     思わず眉を顰める鴎の隣で、鋼矢がWOKシールドのエネルギー障壁を全開にする。
    「そう簡単に蝕ませはしねぇぞ」
     敵が状態異常の扱いに長けている以上、対策を怠るわけにはいかない。彼が前衛たちの守りを固める間に、緋色が浄化の霊力を放ってジンジャーの麻痺を払った。
     負けじと、灼滅者が反撃に転じる。一瞬で間合いを詰めたいろはが鬼神の掌底を繰り出した直後、凜が前線に躍り出た。
     体内から吹き上がる炎が、翼の形をとって輝く。
    「煉獄の炎よ! その悲しみを、灼き砕けッ!!」
     燃え盛る紅蓮の刃が男の肩口を焼き焦がした時、弓を手にした七星が厳かに真言を唱えた。弓弭に現れた光の穂――『弭槍・天沼矛』から凍てつく冷気が生じ、鋭い氷柱となって追撃を見舞う。すかさず、鴎が雷纏う拳で男の顎を打った。
     その場に踏み止まった男の足元で、鎖がじゃらり、と音を立てる。闘気を孕んだ破壊の手が、アリスの細い身体を捉えた。
     敵の攻撃と相性の良い防具に身を固めていても、その一撃の威力は侮れない。襲い来る衝撃と痛みを堪えて、少女は男を見据える。
    「……昔の人にしては立派な体格だこと。どういう出自なのかしら」
     相手のリーチを慎重に測る彼女の足元で、銀色の影が踊った。『汎魔殿』から無数に湧き出る悪魔の腕が男を捕らえ、その巨躯を呑み込まんとする。
     浄霊の視線で仲間を癒す伏炎を視界の隅に映して、鋼矢がクルセイドソードを豪快に振り被った。
     顕現した『古の畏れ』を、放っておくことなど出来ない。この世に縛られた魂は、きっちり解放してやらねば。
    「うらぁ! 刻んでやるよ!」
     強烈な斬撃を浴びせる彼の肉体に、聖戦士の祝福が宿る。間髪をいれず、ジンジャーが前に踏み込んだ。
    「手間取るのはスサノオが出てきてからで充分だわ」
     円環状に集束させたエネルギー障壁を武器として、男の横っ面を強かに叩く。
     両の足でしかと地を踏みしめた男は、怒りの形相で彼女を睨んだ。


     灼滅者は互いに連携し、間断なく攻撃を仕掛けてゆく。
     白い面に湛えた笑みを崩さぬまま、七星がゆるりと天星弓を構えた。
    「一つ、舞うと致しましょう――」
     霊力の矢を番え、踊るが如く流星を放つ。静かなる情熱を秘めた動作は、自らの裡に術力を満たす戦の舞踏。加護を砕く能力を持たぬ敵が相手であれば、己を高める技はかなり有効だ。
     怒りに我を忘れた男が、濁流を呼んで前衛たちを押し流す。体勢が崩れた瞬間を狙い、彼は即座に第二撃(ダブル)を見舞った。
     地中からせり上がった土壁が、灼滅者を生き埋めにせんと襲い掛かる。桜色に染め抜かれた紬の裾を払いながら、いろはが愛刀の柄に手をかけた。
    「これだけ怨みが積み重なると、流石に大人しく……とはいかないみたいだね」
     相手の視界からかき消えるかのように死角に回り、身を沈めて『月下残滓』を抜き放つ。数瞬遅れて、男の足首から鮮血が飛沫を上げた。
    「そう思い通りになど!」
     すかさず、凜が霊剣に宿る力を解き放つ。禍(わざわい)を払う浄化の風にのせて、薔薇の花吹雪が華麗に舞った。
     仲間達が状態異常から立ち直ったのを確認して、緋色が人柱の男に視線を戻す。
     そもそも、『古の畏れ』とは何なのか――。
    (「都市伝説と似てる気がするけど、別物なのかな」)
     大きな瞳で男を見詰め、契約の指輪を煌かせる。動きを縛る魔法の弾丸が朽ちた衣を貫き、巨躯を抉った。

     今回、敵の攻撃力が侮れぬことは灼滅者の全員が承知している。
     癒しの技を持たずに戦いに赴いた者は一人もおらず、盾となり攻撃を引き受けるディフェンダー陣の守りは堅い。それでも回復出来ぬダメージは積み重なっていくが、ここまでの展開はほぼ狙い通りであり、順調と言っても良かった。
     三つの属性からなるサイキックのローテーション『三色混合カクテル』を駆使して敵を翻弄するアリスが、オーラの砲撃を浴びせる。
    「人柱、か」
     生命と魂を犠牲に捧げて事業の成功を願うそれは、魔術的な発想で考えれば理に適った風習だ。時代によっては、必要とされるのも止む無しと思う。
     彼女が気になるのは、もっと別のこと。人柱の選定に、何者かの陰謀が絡んでいたとする説だ。
     もしかしたら、当時に存在していたダークネスが裏で糸を引いていたのかもしれない。
    「……僕様としちゃ、境遇っつーより、死んだ後で悪さするように仕向けられてるのが気の毒だな」
     率直な感想を口にした鴎が、大剣を手に跳躍する。空中から振り下ろされた超弩級の斬撃が男を捉えた時、呪いの絶叫が彼の喉を震わせた。
    「忝のうございますわ」
     ディフェンダーに庇われて攻撃を逃れた七星が、仲間に礼を述べる。縛霊手の霊力で守り手を癒した後、緋色が男に尋ねた。
    「あなたは人柱にされた人? それとも、都市伝説みたいに湧いて出たの?」
     答えは無い。問いかけた彼女自身も、返事があるとは思っていない。
     ただ、知りたかったのだ。前に立つ男の正体を。人柱に立たされて死んだ本人なのか、彼の無念を映しただけの存在なのか。本当のところは、今は分からないけれど。
     ウロボロスブレイドを鞭の如くしならせたジンジャーが、伸縮自在の刀身で防御を固める。
     何かのために命を捧げるという行為を否定するつもりは無い。殉教もまた然りだ。
     でも、それは己の意思によってのみ決定されるべきだと彼女は思う。自分が人柱に立つ覚悟が無いなら、他人にも強いてはいけない。
     大体にして、少し考えれば分かりそうなものだ。誇りを胸に進んで身を捧げた者と、嫌だ嫌だと悲嘆に暮れながら身を捧げさせられた者と、どちらが効き目がありそうか、だなんて。
    「まあ、人柱を欲しがるような趣味の悪い神様の好みは知らないけどね」
     淑女を装う双眸に、ほんの少し凶暴な光が閃く。いずれにせよ、為すことは変わらない。

    「あんまし動くんじゃねぇぞ!」
     無数に枝分かれした影の触手を操る鋼矢が、男の四肢を力任せに抑えつける。そこに生じた隙を逃さず、凜が駆けた。
    「ぜぇぇぇあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
     真紅のコートが翻り、身の丈を超える大太刀が唸りを上げる。
     夜に羽ばたく炎の翼が男を包み――刹那、その身体を紅蓮に染めた。
    「そろそろ頃合ですわね」
     敵が追い詰められつつあるのを認めて、七星が呟く。
     狙いは、男と地面を繋ぐ鎖。あれを断たれた時、果たして何が起こるのか。
     国産みの矛の名を冠した光の弭槍に、凍気が宿る。絶好のタイミングで放たれた氷柱は、しかし鎖に命中しなかった。
    「……何となく、この場所に縛られていそうな気もするんだけれど」
     その様子を見ていたいろはが、白鞘に収めた愛刀を手に間合いを測る。
     逃走する素振りすら無いことから考えても、あの鎖が何らかの影響を及ぼしていることは間違いなさそうに思えるのだが。それならそれで、悪しき呪縛ごときっちり灼滅するまでだ。
     懐に飛び込み、鮮やかな鞘打ちを胴に見舞う。炸裂した闘気が男の巨体を揺らした瞬間、鴎がオーラを拳に集めた。
    「今寝かせてやるから、ちぃと我慢しろよ!」
     凄まじい連撃が、息もつかせぬ勢いで鳩尾に叩き込まれる。
     刹那、破壊の気を帯びた男の手掌が少女に迫った。


     咄嗟に割り込んだ鋼矢が、己の身を盾にして攻撃を受け止める。
    「ちぃ……!」
     体内で荒れ狂うエネルギーの猛威に晒され、深く傷つきながらも、彼は決して膝を折らなかった。
     元より、頑丈なのが取り柄である。この程度で屈したりなどするものか。
    「伏炎! 頼んだぞ!」
     相棒の名を呼び、浄霊の視線をもって傷を塞ぐ。ほぼ時を同じくして、アリスが詠唱を響かせた。
     真実がどうであれ、全ては遠い時代の出来事。
     時が巻き戻らぬ以上、目覚めさせられた『古の畏れ』はここで眠らせる。それが、人柱に立たされた『彼』のためでもある筈だ。
    「対話も情けも無用。あなたに今再びの安らぎを!」
     真っ直ぐに撃ち出された白き矢が、男の胸を射抜く。直後、ジンジャーが攻勢に転じた。
     確実に止めを刺すまで、気は抜けない。守るべきものを守るには、苛烈に、そして徹底的に討つしかないのだ。
    「ノックス流に弔ってあげるわ。今度こそ安らかに眠りなさい」
     彼女の拳に宿りし霹靂が、闇を蒼く染め上げる。
     渾身の一撃が男の顎を砕いた時――戦いは決着した。

    「……これで終わりかしらね」
     男の消滅を見届け、アリスが呟く。
     彼が埋められていたと思しき場所に一輪の花を供えると、いろはも彼女に倣った。
     真紅の薔薇を取り出した凜が、優雅な動作でそれを投じる。
    「君の最期に、花を。……もう一度、安らかに眠るがいい」
     暫し黙祷した後、いろはがそっと囁くように言った。
    「遅くなっちゃったと思うけれど……キミを待っている人達の所に行けると良いね」
     ここまで沈黙を保っていた緋色が、考え込むように首を傾げる。
    「小さなスサノオさんとか、古の何とかさんってまだ沢山いたりするのかな」
     同種の事件が頻発していることを鑑みると、きっと、そう簡単には終わらないのだろう。
    「スサノオとやらも迷惑な事しやがるぜ。見つけたら首輪つけてしつけてやらぁ」
     忌々しげに吐き捨て、鴎が拳を強く握り締める。
     仲間達のやり取りを耳にしながら、七星はそっと視線を周囲に巡らせた。

     果たして、スサノオは何処に向かったのか――。

     川のせせらぎが、低く、夜の闇を流れていった。

    作者:宮橋輝 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年12月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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