雪後の海

    作者:中川沙智

    ●凍雪
     雪の如き白、という表現は陳腐だろうか。
     だが兎に角毛並みは白かった。静かに、だが重く降り積もる冴えた雪の色をしていた。ただ尾の一筋だけが青。深海にも、紺碧にも思える深い青を宿した、一頭の狼のようなもの。
     スサノオであった。
     僅かに雪が降り、だが昼間に溶けたのであろう砂浜をゆるりと歩いていく。海風は身を切る冷たさだが全く意に介していない。暫し佇んだ後、スサノオは浜辺を去った。
     その姿を海の中から見詰める娘がいた。
     だがはたして娘と言っていいものか。肉は削られ、腹は喰い千切られ、美しい顔には激しい怨念が宿っている。
     尾ひれが夜の海に閃くが、小さく飛沫を上げるだけ。下半身が魚であるにも関わらず泳ぐ事は叶わない。それは鱗が剥がれているからか、鎖で海に繋がれているからか。
     捕えられたまま。
     逃れられぬ。
     逃げる事など、叶わぬ。
     
    ●冬の人魚
    「スサノオにより古の畏れが生み出された場所が判明したわ」
     新年早々集まってくれてありがとうと、小鳥居・鞠花(高校生エクスブレイン・dn0083)は資料のファイルを開いていく。
     曰く、場所は冬の海。時間帯は夜だ。
     夜の浜辺を歩いていると、項垂れ倒れ込んでいる女性がいる。
     大丈夫かと気遣い声をかけたが最後、身体中を私欲のために喰われた怨念を放ち海へと引きずり込まれ溺死するという。
     季節柄今のところ犠牲者は出ていないが、放っておけばいずれは危険を齎すに違いない。
    「人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入る……そんな伝承を聞いたことはない?」
     八百比丘尼等で伝わる、日本古来の伝承だ。西洋とは少々趣が異なる。人魚と知られた、あるいはそうみなされて生きたまま抉り奪われ食われたという逸話は凄絶と言っていい。
    「ここまで言えば想像つくわよね。件の古の畏れは人魚の姿をしているの。『魚女』と言ったら通りがいいかしら」
     鞠花曰く、魚女は尾が鎖で海中に繋がれている状態らしい。故に移動する事も逃亡する事もないという。
    「ただ油断しないで。海の力を操るような技を使う相手は決して侮れないわ。人を食らう屍魚が配下にいるみたいで、そいつらに噛みつかせて後方から攻撃や回復を行うっていうスタンスみたい」
     配下の屍魚――食尽魚は二匹。魚女も食尽魚もそれぞれ攻撃力はさほどでもないが、相手の力を削ぎ畳み掛ける術には長けている。特に食尽魚は阻害の技が得意で、魚女は癒しと強化を砕く事に秀でているのだ。油断は禁物だと鞠花は注意を促す。
    「砂浜とはいえ足場は大丈夫よ。広さも十分。ただ向かうのが夜になるから、星明りがあるとはいえ多少は灯りがあるほうがベターかしらね」
     流石に夜半ともなれば人通りも全くない。ただ冬の海風はひどく冷えるだろう。
     まるで体の芯まで、凍らせるように。
    「この事件を引き起こしたスサノオの行方なんだけど。ブレイズゲートと同じように予知がしにくい状況なのよね」
     眉間にやや皺を寄せて鞠花は呟く。でも、と言葉を続けた。
    「引き起こされた事件を一つ一つ解決していけば、必ず事件の元凶のスサノオに繋がっていくはずよ。だから言うまでもないけど、きっちり解決してきてね」
     皆には愚問だろうけどと、軽口を叩いて鞠花は灼滅者達を送り出す。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」


    参加者
    朧木・クロト(ヘリオライトセレネ・d03057)
    皇・銀静(銀月・d03673)
    埜渡・慶一(冬青・d12405)
    八乙女・小袖(鈴の音・d13633)
    十六夜・深月紅(哀しみの復讐者・d14170)
    エール・ステーク(泡沫琥珀・d14668)
    エアン・エルフォード(ウィンダミア・d14788)
    イリヤ・ナジェイン(青の鍵・d17600)

    ■リプレイ

    ●凍渡
     凍みるような冬の夜とはまさにこの事。
     灼滅者達が辿り着いた海辺は薄ら空に雲がかかる晴天。だが気温が低いばかりではない、肌を斬り裂くような海風が彼らを襲った。
     それ故だろう。事前に聞いていた予測通り、灼滅者達を除けば人っ子一人いない。
    「冬の夜の海辺は人が居ないのが救いか。夏だったら被害が出ていたかもしれないね」
     歯の奥が僅かに噛み合わない。エアン・エルフォード(ウィンダミア・d14788)は白い吐息に声を交える。
     他にも数人、肩を抱いて身を震わせている。だが対照的に悠々とした様子の者も幾人か見受けられた。
     ESPの寒冷対応を用意した顔ぶれには余裕すら浮かんでいる。
    「寒いので早々に片付けてしまいたいところだ」
     そう言った八乙女・小袖(鈴の音・d13633)の声は震えていない。本来は寒さが苦手な性分だが、今は凛と眼前の風景を見つめている。
    「この寒い中、海とか……準備してきたからいいけど、してなかったらかなり危なかったかも」
     そもそも目の前の光景が、寒い。黒い海、昏い空。影を落とした砂浜。帰ったら絶対こたつでのんびりするとエール・ステーク(泡沫琥珀・d14668)は密かに決意を固める。
     普段寒さが苦手なのは朧木・クロト(ヘリオライトセレネ・d03057)も同じ。寒冷適応サイコーだなと嘯いて視線を巡らせる。これなら探索にも戦闘にも支障はないだろう。
     スサノオが古の畏れを各地で呼び出しているらしいが、狙いが何なのかいまだ分からない。スサノオの力の根源は何なのか等、正直疑問は尽きない。寒風で身を竦めながらも、皇・銀静(銀月・d03673)は銀の髪をはためかせ目を凝らした。
    「……あれが人魚、みたいだな」
     イリヤ・ナジェイン(青の鍵・d17600)の声に視線が集中する。海岸のとある箇所、仲間達が各々用意した照明を向ければ浮かび上がる――下半身が魚の娘の姿。
     その異様な気配と傷の苦悩に満ちた姿に、眉を顰めた者はいただろうか。
     尾が飛沫を上げれば、鎖の重い音も鈍く響いた。
     灼滅者達が視線を交わす。設置型のライトを持参した者は砂浜に固定していく。準備は万全だ。星明りにも負けぬほど、いやそれ以上に地上が煌々と照らされる。
    「人魚、ね」
     呟いたのは十六夜・深月紅(哀しみの復讐者・d14170)だ。人魚には神秘的なイメージしかなかったけれど、肉を食らえば永遠の命が得られる、そんな言い伝えもあったんだねと深月紅は小さく囁いた。
     でもこれ以上は一般人を殺させるわけにはいかない。念には念をと深月紅は身体から殺気を放つ。万一にも巻き込まれる者が出ないように。
     雪国の生まれだから、寒さには強いほうだという自負はある。それにしても冬の海の寒さは格別だと思い知るも、埜渡・慶一(冬青・d12405)の声音は静かに通る。
    「捕らわれの人魚はきっちり泡に溶かして、海に返してやらないとな」
     星も凍り、降らぬ夜。
     せめて最後には、その怨念も無くなるよう、きっちり灼滅を。

    ●垂雪
     誰ともなく頷き合う。陣を敷く。砂を踏みしめ近寄り、魚女に話しかけたのはエールとエアンだ。
    「大丈夫ですかー?」
    「こんな時間に、そんな所でどうかした? 大丈夫だろうか?」
     エールの呼びかけはマイペースに、どことなく棒読みですらあった。エアンが気遣わしげに魚女の顔を覗きこむと、彼女の削げた頬に暗い影が差す。それは絶望か、嫌悪か。誰にも判断は出来なかった。
     水飛沫。
     突如として姿を現す滅びの痕を身に残す魚が二匹。配下の食尽魚だ。
    「四肢を、掲げて、息、絶え、眠れ」
     果たして魚女に四肢はあったか――そんな考えが脳裏に過ったのもつかの間、深月紅がスレイヤーカードを閃かせる。
     それが開戦の合図となった。
     先手を取ったのは魚女。骨と皮だけになった腕で手繰り、魚女は手前にいたエアンを基点に灼滅者達を水底へ誘おうと波を放つ。
    「ったく、めんどくせーな」
     後方からかき鳴らされるギター音。クロトが迸らせた旋律はまさに音の波、打ち返しては魚女を確り捉え牽制する。
     捕縛の術から辛うじて逃れ、銀静は一足飛びで攻撃に転じる。
     己はつい先日闇堕ちから救われた身。その分しっかりと報いねば。
    「中途半端に削るより一気に持っていく!」
     火力に特化した銀静の拳は雷を纏い、一匹を力強く殴り上げる。連携を重視ししなやかな足捌きで肉薄した小袖の動きを、食尽魚は捉える事は出来ただろうか。
     シールドで砂に叩き落とす。食尽魚はそのまま骨ごと瓦解し、地へと還る。
     今回の灼滅者達はクロトが回復役として支援にあたるものの、ほぼ攻撃に特化した布陣だ。そして優先したのは、配下の殲滅。
    「先ずは一体ずつ、確実にってのは同感ー」
     エールは軽口を叩きながら杖を操る。砂浜を蹴り、残った食尽魚に狙いを定め魔力を一気に流し込む。夜に響く爆音。たまらず身を捩らせるのを見過ごさず、続いたのは慶一だ。最少の動きでシールドを展開すると、波により削られた傷は埋まり、更なる護りの力が付与される。
     なれば成すべき事はひとつ。深月紅の亜麻色の髪が、冬空に躍る。
    「逃さない、よ」
     深月紅が指輪を翳す。制約の力を齎す弾丸は彗星の如く夜を駆け、食尽魚の命の灯火を一気に沈めた。
     速攻と言っていい見事な手際だ。そんな中、天を裂く叫び声が聞こえる。
     魚女の動きを注視しながら中衛へ移行していたエアンは、声を発したその娘に深い怨念と共に激しい悲しみが同居している様子を目の当たりにする。
     イリヤの手首でケミカルライトの腕輪が鮮やかに光る。
     だが魚女の表情までは窺えず、イリヤは青の瞳を眇めた。
     容赦はしない。
     同情はすれど、『それ』は既に終わった事だ。

    ●氷紋
     囚われた冬の人魚は何か痛々しくて少し切ない。
     エアンの胸中にそんな感傷が過るけれど、目の前にはまだ倒すべき相手がいる。その事実から、彼は目を逸らさない。
     灼滅者の多くが集中攻撃を念頭に置いていた事もあり、配下の食尽魚は早々に倒す事に成功する。
     残すは魚女のみ。
     魚女とて決して弱いわけではない。禊を重ねれば阻害の技もたちどころに癒えていく。布陣によっては長期戦を余儀なくされただろう。
     だが今回灼滅者達は攻撃の層を厚くしたため、魚女の回復量をも凌いだ。
    「おーいい感じじゃない?」
     海の力を否定する魔力を籠めた光線が直撃する様を見て、エールは淡々と言う。魚女の強化をも砕いた手応えを感じたからだ。
     手堅く回復を重ねた甲斐あり、戦況は着実に灼滅者達に傾いている。束縛に悩む仲間もいないようだ。攻撃に回る余裕を見て取って、クロトは海に敢えて足を踏み入れる。魚女の死角だ。
    「鱗まで剥いでやるよ!」
     一気に斬り裂けば魚女が声にもならぬ声を上げる。もはや娘を護る鱗も、魚達もいない。
     その様子は、銀静が事前に出来うる限り調べた魚女の伝説とはやや異なるようだ。サイキックエナジーによるものか、それとも。
    「貴方はどうして生まれたのか」
     鍛えぬかれた超硬度の拳は、魚女が再び強化の力を得る事を許さない。したたかに打ち抜いた後、銀静は細く息を吐く。
     その恨みや怒りは真なのか。無理やり引き出されたものなのか。疑問は頭を渦巻くばかり。だが今は悲劇を齎す存在であり、在る事そのものが苦痛だろうと思えたから。
    「貴方の痛み……苦しみ……其れを全て終らせます」
     解放となればいい。告げた銀静に続き、慶一が集約させたのは心の深淵に潜む暗き想念だ。
     抑えとしてずっと魚女を見続けていた。それ故に、だからこそ、慶一は顔を顰めずにはいられない。姿の醜さにではない。こんな姿になるまで、何故、誰に捕らわれたのかという思考に囚われてしまうからだ。
     これだけ寒ければ彼女も凍えただろうか。そんな想いを打ち消すように、慶一は漆黒の弾丸を撃ち出した。
     毒を穿たれた反撃か、高い荒波がエアンを襲う。それはまさに海神の怒り、大きく体力を損なわれてたまらず口の端を噛む。
     裂帛の気合いでどうにか傷を埋めると、どこか魚女が寂しげにすら見える。
     灯りに照らされるほど、身近で戦う程わかる魚女の苦しみに満ちた容貌。かつてはそれなりに美しい娘だったのだろう。だが、今は。
    「……生きたまま肉を抉り貪られるってどんな気持ちなんだろうな」
     想像したくねーけど。そんなイリヤの呟きは風に紛れる。
     デモノイド寄生体がイリヤのバスターライフルを呑み込んでいく。腕をそのまま砲台と化し、エネルギーを集中させていく。
    「お前には同情するけどな。でも全部終わったことなんだよ。生きてるオレ達を巻き込むな」
     銃口を迷わず前に据えると、死の光線が真直ぐ魚女を貫いた。重複し蝕む毒は確実に魚女を奈落へと導く。
     残酷なほど明確な生死の境界線。
     天と海を分かつ水平線にも、それは似ている。
    「――あと一息、です」
     癒しの力に変換した霊光で傷を塞ぐ、深月紅の声が後押しする。更に前に踏み込んだのは小袖だ。間合いを詰めれば、付与した怒りを籠めて魚女が睨んでくる。
    「冬の海ではロマンも何もないな」
     だが小袖は意に介さない。霊光を己に集中させる。刹那、連打される閃光の鋭さは何度も魚女を打ちつけていく。
     止めの一撃を入れた時、微かにさざ波が小袖の耳に届く。
     大きく背を逸らせ、空を見ていた。何を見ていたのかはわからない。
     そのまま尾から崩れ落ち、鱗も何もかもが、全部、海へ還った。

    ●浚風
     満天の星と幾つもの照明。夜さえ隠してしまう程の、光。
     それでも世界は闇に包まれている。
    「お疲れ様、すっかり身体が冷えてしまったな……」
     戦っているうちにかいた汗も、海風に晒されれば急激に体温が奪われる。エアンが身を震わせれば慶一が大丈夫かと気遣う。エールがあげるーとカイロを差し出せば、ありがたく頂戴する者が何人もいた。
     この事件もスサノオに繋がるのなら、いつか紐解く事は出来るだろうか。
    「何か手がかりとかねーかな」
     クロトも同じような懸念を抱いていたらしい。エアンは手伝いを申し出た。
     一方、踵を返したのはイリヤだ。
    「……帰ろうぜ」
     余韻なんていらない。
     考える間は無くていい。
     こんなにも苦しい存在も居るなんて、考えたくない。
     帽子を深く被り直し歩を進めるイリヤに、顔を見合わせながら女性陣が続く。特に小袖は寒冷対応があるからまだいいものの、元々は寒さが苦手な性分なのだ。長居したい場所でもない。なかったらきっと動きも鈍っていただろう。
     スサノオの手がかりを捜索する仲間、帰還する仲間。それぞれの背を銀静は見送る。スサノオに繋がる何かがないか気になりはしているから、後で合流しようとは思ってはいるけれど。
     たとえ消えてしまった存在だとしても――冥福を祈らずには、いられなかったから。
    「人魚の泡は真珠になるんだったか」
     手向けにと慶一が海に投げ入れたのは一粒の真珠。
     溶けて無くなっても知っている。此処にいた、その事実を。

     天を仰ぐと白く冴える星々。
     それは闇夜に降りしきる雪をも思わせた。
     すべてを抱く海は、只管静かに佇んでいる。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年1月20日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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