暗殺旅行冥府行き

    作者:佐伯都

     遠くから知らない誰かの声が聞こえたような、そんな気がした。
     ふと科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)が我に返ると、こつりと踵の高い靴が鳴る音。周囲から人の気配が完全に消えていた。
    「お客様にお知らせいたします。闇墜ちゲームの生存者、科戸・日方様」
     知らない女の声。聞こえる音と言えば、その靴音と自身の心臓の音だけ。
    「暗殺ゲームの遂行のため、これよりお命を頂戴いたします」
     こつり、こつり、黒いパンプスの踵が鳴る。
     耳元で鳴り響く心臓の音で頭がくらくらした。無意識に日方は一歩退く。
     紺色のスーツに白のブラウス。襟元へ色鮮やかなスカーフを巻き、どこぞの航空会社のCAかバスガイドか、鉄道会社の客室乗務員といった風情だ。
     生真面目な表情の、知らない女。しかしどのような存在かなら知っている。
    「誠に恐れ入りますが、覚悟をお決めのうえその場を動かぬようお願い申し上げます」
     白の手袋に包まれた右手へ解体ナイフを握り、女はうっすらと笑みを浮かべた。
     
    ●暗殺旅行冥府行き
    「いや、うん……正直コレはない、と俺も思ってるよ。日付変わって早々にコレはない、駄目なほうのお年玉って言うか、コレジャナイ感と言うか」
     日付変わって早々に依頼とか本当スイマセン、と成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)は目元を覆っている。武蔵坂の冬休みどこ行った!
    「冬休みどころか文字通り年末年始真っ只中に呼び出しとか、本当に申し訳ないけど! 六六六人衆が闇墜ちゲームの生存者を襲撃する予測が出たので、救出に向かってほしい」
     しかも一般人を殺しながら灼滅者を待つ、という既存の闇墜ちゲームとは大きく状況が異なる。灼滅者が一人きりになった所へ襲いかかるという、まさしく『暗殺ゲーム』だ。
     気がつくと周囲に誰もおらず一人きり、というのも不自然すぎる。恐らく背後で誰かが糸を引いているのは間違いない。
    「まあ、そんなのがいるとしたら高位の六六六人衆だろうね、多分」
     今回、標的とされたのは科戸・日方。昨夏発生した別の六六六人衆による闇墜ちゲームを生き残っており、序列六四〇番の睦月・若菜(むつき・わかな)に襲撃される。
    「ただ、場所は野外なうえ周りに人はいない。つまり日方が一人きりの開幕さえ乗りきれば、他のことは何も考えず戦闘に集中できる」
     行動を阻害するような遮蔽物もなければ、動きにくい狭さすらない。
     若菜が日方を襲うポイントと時刻も判明しており、たとえ一人だとしても防御に徹するなら1ターン凌ぎきるのは不可能ではない。
     逆に考えるなら、これは灼滅の好機とも言えるのだ。
    「若菜の初撃さえ耐えきれば、残りの灼滅者も現場に到着する。当然若菜も劣勢になれば逃走を企てるだろうけど、襲撃地点がわかっているならあらかじめ包囲できる陣形組んで向かえばいいだけだからね」
     若菜は殺人鬼、解体ナイフのサイキックから五つ選んで襲ってくるが何を使用するかは対峙してみないとわからない。しかし一人きりの日方を殺しにきている段階で攻撃重視なのは明白なので、対策を立てるのは難しくないだろう。
    「目的は救出、で間違いない。でも灼滅者の暗殺を企てる相手を野放しにする理由はないからね。この機会に灼滅を目指してくれるなら、それ以上の成功はないと思うよ」
     もちろん手強い相手であることを忘れないように、と樹は説明を締めくくった。


    参加者
    和瀬・山吹(エピックノート・d00017)
    科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)
    青柳・百合亞(一雫・d02507)
    九曜・亜門(白夜の夢・d02806)
    朧木・フィン(ヘリオスバレット・d02922)
    椎名・澪(誰そ彼の朱・d13674)
    小早川・里桜(黄泉へ誘う黒氷桜・d17247)
    興守・理利(明鏡の途・d23317)

    ■リプレイ

    ●1月某日、朝6時40分
     は、と宙空へ大きく息を吐きながら、ゆるい傾斜のついた石段を駆け上がる。懍と冷えた早朝のランニングは、ここを登りきったあたりがちょうどよく身体が暖まっていて気持ちが良い。
     もっとも、今日ばかりは科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)もその心地よさに没頭するわけにはいかなかった。
     大きく回り込む形で森の中の高台へ至る石段を抜けた先には、草野球くらいはできそうな広場がある。そこで一息つこうとした直後、自分は『暗殺される』事になるのだ。
    「やれやれ、難儀な事よな。自ら罠に踏み込まねばならぬとは……後詰めは誤れぬぞ」
     くぁ、と大あくびをする霊犬・ハクを見下ろして九曜・亜門(白夜の夢・d02806)は溜息をつく。見通しの良い広場の外縁に陣取るようにして、灼滅者たちは森の中へ身を隠していた。
     亜門と広場を挟んで反対側、いま一人回復を担う興守・理利(明鏡の途・d23317)は息を殺して日方の到着を待つ。石畳へ続く出口付近には朧木・フィン(ヘリオスバレット・d02922)、彼女と向かい合わせになる側には椎名・澪(誰そ彼の朱・d13674)とその相棒の霊犬・銀狼が藪の中に潜んでいる。
     さらに前衛を務める和瀬・山吹(エピックノート・d00017)、青柳・百合亞(一雫・d02507)、小早川・里桜(黄泉へ誘う黒氷桜・d17247)が後衛と中衛の間に位置取り、広場へ向けて走るだけでその瞬間に包囲が完成する形だった。
     無人の広場へ走り込んでくるトレーニングウェア姿の人影を認め、山吹は目を細める。いつでも飛び出せるようにしっかりと得物を握り、若菜が姿を現すのを待った。
     息を整えながら日方は首元の汗を拭い、さりげなく周囲を見回す。広場には誰もいない。
    「……」
     ボディバッグから小ぶりのペットボトルを取り出し、喉を潤しつつ進む足音へ誰かの靴音が重なった。すぐにでも振り返りたい誘惑をどうにかねじ伏せる。
     こつりこつりと、踵の高い靴の音。
    「お客様にお知らせいたします。闇墜ちゲームの生存者、科戸・日方様」
     ぞわりと背すじに嫌な冷気を感じた。やはり、すぐにペットボトルを放りだして身構えたい欲求を苦労して呑み込む。
    「暗殺ゲームの遂行のため、これよりお命を頂戴いたします」
     そこでようやく、日方はいつのまにか背後から歩み寄ってきていた人影に向き直った。ボトルの蓋を閉じてバッグに押し込み、それ以上距離を詰められないよう広場の中央へじりじりと後退する。
     決して視線は外さない。耳元で心臓の音が聞こえていた。

    ●1月某日、朝6時43分
     周囲の森の中に潜んでいるはずの仲間が、その一瞬を見逃さず行動を起こしてくれることを今は祈るだけ。そして、自分含め誰の命もこぼさずにこの死地から生還する、ただそれだけだ。
    「誠に恐れ入りますが、――」
     きまじめな顔のまま、六六六人衆序列六四〇番、睦月・若菜は軽く右手を振りかぶる。
    「覚悟をお決めのうえ、その場を動かぬようお願い申し上げます」
     一対一という状況に勝利を確信したのか、若菜はうっすらと微笑んだ。
     おそろしく不吉な、稲妻型の軌跡が襲い来る。
     防御に徹するならば、というエクスブレインの言葉が一瞬脳裏をよぎったものの日方はむしろ危険が伴う可能性のほうに手をかけた。
     ジグザグの刃に切り刻まれる凄まじい痛みで呼吸が止まる。どこかから悲鳴のような声が聞こえた気がしたが、それでも日方は若菜と同じ得物を渾身で突き立てた。
     クロスカウンターじみた、いやそれどころか襲撃を充分に予測していたとしか思えない反応と感じたのか若菜が大きく目を剥くのを見届け、日方は吠える。
    「……ゲームっつったな。今度は誰の発案だ、殺すってなら冥土の土産に教えろ!」
    「……!!」
     すぐに距離を置こうとした若菜の足元を、山吹がさしむけた影が呑み込んだ。わずかにバランスを崩し一歩たたらを踏んだところへ、百合亞が手刀に乗せてきた重すぎる一撃が決まる。
    「大変迷惑ですので、お引き取り下さい。この方は死なせません」
     一人きりの所を襲ったはずがむしろ逆、周囲の森に潜んだうえで奇襲をかけられたのは自分だと彼女が悟るまで、時間はかからない。
     至近距離で直撃を受けた左半身を亜門と理利がすぐさま癒し、日方は肩で息をつく。続けて銀狼が若菜との間に割り込んできた。
    「此処が貴様の終着点だ。滅びろ、外道」
    「また新しい、そしてえげつない遊びを始めましたわね。暗殺なんて卑怯ですわよ!」
     白い手袋はもちろんのこと、スーツの袖がみるみる不吉な色に染まり、若菜は整った顔をやや歪める。
    「新年早々物騒なんだよ、もう少し時期を選べ! ……もっとも」
     里桜とフィンに何か言い返すでもなく、百合亞によって深々と抉られた肩口の傷を癒す気配もない若菜の様子に、澪はうすく笑った。
     前のめりの布陣を意図通り機能させるには、万一の可能性における用意と対策がなければ簡単に瓦解する。あろうことかこの六六六人衆は、ダークネス未満の半端者ひとりを与しやすしと見るあまり用意と対策、つまり回復手段を用意してこなかったのだ。
    「一対十で傷は治せない、しかも包囲完了でどこまで足掻けるか見物だな」
     あえて挑発するような言い方をして澪は笑みを強め、残りの距離を一足で詰める。予測が難しいノーモーションでの来襲に、むりやり身体をねじるようにして若菜はどうにか直撃だけは避けた。それでも色鮮やかなスカーフがすぱりと両断され風にさらわれる。
     首元から鮮血を飛ばして若菜は反撃に出た。死へ至るダメージを蓄積したはずの日方を中心として、どす黒い怨嗟の声が舞い踊る。
    「此処で滅ぼしてやる! 必ずな!」
     文字通りメンバー中でも最大火力を誇る、『死の中心点』を穿つ里桜の一撃。もともと無理のある体勢から澪の攻撃を逃れようとしたばかりだ、ろくに立て直しもしない所へ次が来れば避けようもない。

    ●1月某日、朝6時47分
    「っガ、はっ……!」
     みぞおちを背面から撃ち貫いたバベルブレイカーの杭を呆然と見下ろし、そして数瞬ほど後に若菜は凄まじい絶叫をあげた。
     決して苦悶の悲鳴ではない。
     半端者のはずの灼滅者が完全なダークネスに牙をむくことへの激怒と、その呪詛をのせた叫びだった。
     自らの血で左反面を真っ赤に染めた若菜は、崩れた姿勢で膝と足首がどうにかなるのではという角度で踏み込んでくる。実際高いヒールの足元がおかしな音を立てた気がしたが、フィンは考えないことにした。信じられない速度で間合いを詰められ血の気が引く。
     ――来る!
     速い、と思った瞬間に理利の指からリングスラッシャーが飛んでいた。白く輝く光輪が殺戮者とフィンの間に展開されたと思いきや、裂帛、と表現するにはあまりにも獣じみた声で若菜が光輪ごとフィンを叩き斬る。
    「ハクよ、合わせるぞ」
    「ふざけんなよ、ババア」
     霊犬を駆り回復を重ねに行く亜門の前、里桜が低く呻いた。血まみれのまま双眸をぎらつかせる若菜はどこか常軌を逸している。
     猛然と攻めかかる里桜を援護するように柔らかな歌声で若菜の行動を阻み、山吹はその一瞬に視線を走らせた。亜門とハクの回復でなんとか持ち堪えたが、フィンを抜かれたら包囲は崩れる。
     ならば、こちらへ向かせるのが上策というもの。
    「綺麗だね。貴方が六六六人衆なのが残念だよ」
    「こロ、す」
     後頭部で一つに結っていたはずの黒髪はすっかり乱れ、若菜は奇妙にゆがんだ声音で山吹を見返った。
     戦闘開始前のあの整えられた服装ときまじめな表情であったならばまだしも、綺麗どころか、今や血みどろの劣勢に追い込まれた無惨で哀れなダークネス。明らかに理性を失っていても山吹の発言の意味には気付いたのだろう、荒れ狂う衝動のままに上がった呪詛の叫びが灼滅者たちを黒く覆う。
    「テメェの狙いはこっちだろ!」
     日方の声に重なって、たて続けに襲い来る妖気で構成された氷柱と正眼からの斬撃。もうまともに機能しなくなってきている足を百合亞に氷塊で無理矢理縫いつけられたあげく、今度は逆に解体ナイフごと澪にぶった斬られた若菜が派手に転倒した。
     手負いの獣よろしく、腕だけの力で跳ね起きる。
    「コロす、殺すッ……!!」
    「いきなり暗殺とか言われて、誰が大人しくするか!!」
     そして、本来のターゲットである日方へ向き直るのをフィンが見逃すはずもなく、すかさず影業で行動阻害に入った。
     さらに理利が日方の回復量は充分、周囲の体勢も整っている今は誰かが一撃くらい食らったところで立て直しは容易と見て取り、戦場に鮮烈な風を呼び込む。
     ここで邪魔な行動阻害をすべて一掃しておけば、回復手段を持たぬばかりか身動きすら自由にならなくなりつつある若菜が倒れるのは時間の問題。戦況を後衛から観察し続けた、いっそ冷徹なほど冷静な読みだった。

    ●1月某日、朝6時52分
     主の命令を忠実に守り、日方を庇いに入った銀狼が死角からの斬撃で吹き飛ぶ。しかし消滅に至らないのは、積み重なったダメージとまるで狙い通りに動かない身体が言う事をきかなくなりつつある証拠だったのかもしれない。
    「私達を敵にしたこと、後悔させてやりますわ。……絶対に逃しませんわよ!」
    「ぁ、あ」
     フィンの足元から、まるで若菜へ網をかけるように広がり覆い尽くす、薄墨色の影。その下、もはやまともな音にもならぬ悲鳴があがった。
    「勝負あり、か」
     どこか身体の奥でずしりと重くわだかまる何か。蓄積した、死に至るダメージの感覚とはこういうものなのかと澪は無意識に胸元を押さえる。
     不測の事態に備えつつ可能な限り早期決着を狙ったため各々被弾数はさほど多くないはずなのだが、それでもこの異様な感覚を覚えるのは六四〇番の序列も、伊達ではなかったという意味なのだろう。
     がつりと鈍い音が聞こえて百合亞は我に返った。
     最後に残った右腕で這いずり、この死地から離脱しようとでもしたのだろうか。文字通り、解体ナイフを両手で支えた日方が若菜の右肩を粉砕した所だった。
     もう苦悶にもがく余力さえ残っていないのかもしれない。
     所々、曲がってはいけない方向にねじ曲がった四肢を震わせ、若菜は喘鳴に似た喘ぎ声を漏らす。
     深い咳をした口元から黒ずんだ血があふれてきて、理利は眉をひそめた。
     人間の話ではあるが。
     ……黒い血を流したものは、もう助からない。
     どこか遠い昔に聞いたそんな言葉。
    「……」
     ひゅうひゅうと笛のような音を喉元から漏らしながら、その一瞬、若菜は確かに笑った。喘鳴の混じるひどい声音で、まるで死神の託宣を告げるように。
    「こレデ、ジョ、レつ……六四〇、は、……おマ、え」
     もう動かぬはずの腕を上げて。頬をゆがめるように凄惨に。
    「――ウ、ばイニ……くルゾ、そノ、ジョ、レ……を」
     どろりと若菜の体中から、血ではない黒い粘質のものがこぼれ出て来る。
     その恐ろしい意味に気付いた里桜が日方の様子を伺うが、きつく唇を引き結んだまま視線すら動かさない。
    「それがどうした。絶望なんかしてやらない、俺は諦めが悪いんだ」
     返り血を浴びた頬をぐいと拭って、告げる。
     もはや自壊するばかりの六六六人衆を見下ろし、その確信のままに。
    「俺自身の命も、誰の命もこぼさない」
     どれか一つなんてしみったれた選択なんか願い下げだ。どちらも選ぶ。両方だ。
     ごぷり、黒い血泡を噴いて若菜は凄惨な笑顔を張り付かせたまま沈黙する。そして蝋細工が熱で溶けてゆくように全身が崩れ、潰れ、黒い粘液の中に埋もれていった。
     森の梢を越えた朝日が一条の白光を投げて、かつて睦月・若菜と呼ばれていたはずの粘液の塊が蒸発してゆく。
     ……そしていまひとつ、序列を名乗るのは六六六人衆なのであって、殺人鬼ではないのだ。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年1月16日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
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