蛇体の女、濡れ髪を這わせ

    作者:宮橋輝


     それは、狼に似た獣だった。
     体毛は白く、首の周りだけが僅かに灰色がかっている。半ばから断ち切れたのか、尾はかなり短い。

     夜を駆ける獣は、やがて海岸へと辿り着く。冷たい冬の風が、潮の香りを運んできた。
     白波が打ち寄せる砂浜に鼻面を寄せ、匂いを嗅ぐような仕草を二、三度繰り返す。
     獣が短い尾を一振りして何処かへと去っていった後――異変は起こった。

     海中から、ずるりと這い出してくる影がある。
     蛇の体に女の頭を生やした、異形の怪物。濡れた長い髪は、不気味な光沢を帯びていた。
     砂浜に上陸した後、それはぶるりと身を震わせる。
     尾の先に結ばれた鎖が、軋むような音を立てた。
     

    「スサノオがあちこちで『古の畏れ』を生み出してるって話は、皆も聞いてるよね」
     教室に集まった面々を前に、伊縫・功紀(小学生エクスブレイン・dn0051)はそう言って話を切り出した。どうやら、またも古の畏れが見つかったらしい。
    「今回の現場は、夜の海岸。『濡女(ぬれおんな)』が出て人を食べるって言い伝えがあって、それが古の畏れになったみたい」
     濡女は、頭が人間の女性、胴体から尾が蛇の形をした妖怪だ。常に髪を濡らしているので、この名前がついたとされている。
    「ちょうど日が変わるくらいの時間に波打ち際に立つと、海の中から濡女が現れて砂浜に上がってくる。皆には、そこを叩いてほしいんだ」
     治癒の術に長けた濡女は、自らの力を高める技を複数持つという。ポジションの特性上、全ての攻撃にブレイクが付与されるため、エンチャントに大きく頼った戦術は勧められない――と、功紀が注意を促した。
     敵の攻撃手段を黒板に書き出した後、彼は正面に向き直って説明を続ける。
    「古の畏れを生み出したスサノオについては、ちょっと予知がきかないからよく分からないんだけど。事件を解決していけば、いつか手がかりが得られると思う」
     幸い、犠牲者はまだ出ていない。被害を未然に防ぐため、今回は濡女を倒すことだけに専念してほしいと功紀は全員に告げた。
    「――僕からは、こんなところかな。どうか、気をつけて行ってきてね」


    参加者
    裏方・クロエ(双塔のマギカ・d02109)
    姫宮・杠葉(月影の星想曲・d02707)
    楓・十六夜(氷魔蒼葬・d11790)
    如月・花鶏(フラッパー・d13611)
    天瀬・麒麟(中学生サウンドソルジャー・d14035)
    神楽・識(東洋の魔術使い・d17958)
    白石・めぐみ(祈雨・d20817)
    グロリア・セドリック(非日常性カタストロフ・d23655)

    ■リプレイ


     灼滅者が海岸に辿り着いたのは、午後十一時半過ぎのことだった。
     付近に人気は無く、街灯の明かりもここまでは届かない。
    「……なんか、夜の海ってそれだけで怖くみえるかも」
     思わず身を竦ませる天瀬・麒麟(中学生サウンドソルジャー・d14035)の呟きを聞きながら、グロリア・セドリック(非日常性カタストロフ・d23655)は手にした懐中電灯の光を暗い海へと向けた。
     彼女は、かつて『病院』に所属していた人造灼滅者である。ナースキャップの横から突き出しているのは、ダークネスのそれと同じ羊の角だ。
    「ンンー、なんだかよく分からん物体が出現しているみたいデスガ……」
     今のところ異状の見当たらない海を眺めて、小さく首を傾げる。
     日が変わる頃、波打ち際に立つと現れるという『古の畏れ』――人頭蛇体の『濡女』を倒すことが、今宵の仕事だった。
    「まるで都市伝説みたいね。古の畏れ」
     隙の無い様子で周囲に視線を走らせる神楽・識(東洋の魔術使い・d17958)が、淡々と言う。
    「何か……噂だけ聞いてると幽霊、取り分け地縛霊みたい~」
     冷たい風に身を震わせながら、裏方・クロエ(双塔のマギカ・d02109)が口を開いた。傍らには、彼女が「姫っち」と呼ぶ姫宮・杠葉(月影の星想曲・d02707)の姿もある。
     依頼で同行するのは、かれこれ半年振りだ。こんな寒い所でお化け退治とは些かムードに欠けるが、それでも『お出かけデート』とあればつい張り切ってしまう。
    「スサノオに古の畏れ、捨て置く事はできないし、もう少し情報が欲しい所だね」
     答える杠葉も、それは同じ。愛しの「クロちゃん」と一緒なら、心強いというものだ。

     まずは、時間になる前に準備を済ませておく必要がある。
     灼滅者は砂浜に散り、それぞれが持参した照明を手分けして置くことにした。大半のメンバーは携帯用のライトも所持しているが、念には念を入れるに越したことはない。
     一定の間隔でLEDライトを据えていく楓・十六夜(氷魔蒼葬・d11790)の手元を、白石・めぐみ(祈雨・d20817)が照らす。彼が礼を述べると、少女は目元を和ませて応じた。二人の反対側には、地面に設置したライトにカモフラージュを施すクロエの姿もある。
     全員でセッティングを終えると、麒麟はライトアップされた海岸を見て目を細めた。少し薄暗さは残るが、この程度なら戦いの妨げにはならない。
    「……ちょっと暗いほうが、怖そうなのが見えにくくなっていいよね」
     自分に言い聞かせるように口にして、黒々とした海面から視線を逸らす。どうにも、お化けの類は苦手だ。都市伝説であれば、発生のメカニズムが判明している分、あまり怖がらずに済むのだが。
    「お化けなんて、昔話の中だけでいいのにね」
     何故、スサノオはそんなものばかりを選んで古の畏れとなすのか――考えても仕方がないけれど、何だか迷惑な話に思えてしまう。

     ふと時計を見れば、そろそろ十二時に差し掛かろうとしていた。
     一般人の姿が近くにないことをもう一度確認してから、如月・花鶏(フラッパー・d13611)は仲間と共に波打ち際に立つ。後方では、めぐみが『業』を嗅ぎ分ける感覚を研ぎ澄ませて警戒にあたっていた。
     やがて、海面に黒い影が広がる。濡れた長い髪を張り付かせた女の顔が波間に覗いたかと思えば、その下から間もなく蛇の胴体が現れた。
     尾に結ばれた鎖をじゃらり鳴らして、『濡女』が砂浜に上がる。しゅう、という蛇の呼気に、スレイヤーカードの封印を解く花鶏の声が重なった。
    「淨め祓ひの神業を以って成し給へと恐み畏みも白す」
     彼女に続き、十六夜もカードを手にする。古の畏れを生み出したスサノオは、未だ全容が明らかになっていない。判明していない事柄が多い以上、気を抜く訳にはいかないだろう。
     必殺の意志を込めて、解除コードを唱える。
    「……Das Ende der Welt des Todes」
     この凍てつく葬送の刃をもって、『死の世界の終焉』を齎そう。


     濡女の口中から、赤い色をした蛇の舌が伸びる。
     女は並び立つ灼滅者を睨め付けると、てらてらと光る長い黒髪を逆立て襲い掛かった。
     前衛たちの足に絡みつく濡れ髪から海水の雫が落ちるのを見て、グロリアが揶揄するように笑う。
    「Hey Lady、もうビショビショに濡れちゃってるデスカ。んふふ」
     彼女がそう言って右手に武器を構えた時、花鶏の声が響いた。
    「おちおち海で黄昏れる事も出来ないねーっ!」
     大鎌の形をした機械杖『黄泉戸喫』を横に払って髪を振り解き、緋袴の裾を翻してステップを踏む。刹那、灼滅者の反撃が始まった。
    「まずは挨拶……共に闇夜の宴を楽しもうか」
     鬼神の腕で強襲を仕掛けた杠葉が、一撃を浴びせた後に再び間合いを離す。淀みない足運びは、あたかも寄せては返す波の如く。彼女と入れ替わりに前進した識の双眸に、濡女の姿が映った。
    「叩き潰してあげるわ、文字通りね」
     立て続けに打撃に晒され、濡女が苦しげに身をよじる。尾に結ばれた鎖が耳障りな音を立てるのを聞きながら、クロエは古の畏れの正体に思いを馳せた。
     見れば見るほど、ホラー小説や怪談話などに登場する地縛霊を連想してしまう。
    (「鎖で繋がっている所とか、まさにーって感じ」)
     とはいえ、ここで考えても答えが出る訳でもない。戦闘に意識を戻し、傍らのナノナノ『鏡・もっちー』を顧みる。
    「ま、いっか。かっこよく倒そうねー、もっちー君」
    「ナノナノ」
     敵に打ちかかる彼女を援護すべく、もっちーがシャボン玉を飛ばした直後、十六夜が動いた。
    「濡女か……丁度いい、氷漬けにしてやろう」
     黒き冷気を纏う剣『蒼魔終葬-叛咎-』を地に突き立て、力を解放する。
    「――凍て付け、氷哭極夜」
     発動するは、一瞬のうちに熱量を奪う恐るべき死の魔術。たちまち氷に覆われていく濡女を横目に、めぐみは浄化の風を招いて前衛たちの縛めを消し去った。
    『しゃああああああああああッ!!』
     威嚇の声を上げる女の恐ろしげな形相を見て、麒麟が小さく息を呑む。
    「……全然怖くなんてないからね」
     所詮、お化けや妖怪などは自然を畏れ敬っていた昔の人々が作り上げた幻。あんなもの、恐れるには値しない――その筈だ。
     伝説の歌姫もかくやという歌声を響かせ、濡女の『根源』を揺さぶる。
     ナースが見回りに用いる懐中電灯を左手で弄びつつ、グロリアが口の端を持ち上げた。
    「何も考えずにブチ潰す方針でよろしかったデスネ? なので遠慮はしないデス」
     霊子強化ガラスに鎧われた魂を削り、それを『冷たき炎』に変えて放つ。奇妙なことに、火に包まれた濡女の身体はあべこべに凍り付いていった。
     大口を開けた濡女が、牙を剥いて灼滅者に躍りかかる。咄嗟に仲間を庇った識は、肩口を咬まれた瞬間に自らのエンチャントが砕け散ったのを感じた。
     そういえば、今回の敵はメディックと同等の能力を持つのだったか――表情を動かすことなく、そんな事を思う。彼女は『紅陽蝶』と名付けられた剣を構え直すと、鮮やかな斬撃で濡女の霊的防護を切り裂いた。
     すかさず地を蹴った花鶏が、武器のトリガーを引いて大鎌の刃をスライドさせる。
    「スサノオ見つけるためにも、何より平和な海のためにも、さっくし解決しちゃおー!」
     インパクトと同時に流れ込んだ魔力が炸裂し、濡女の全身を揺らした。


     御霊を宿す縛霊手の指先から、治癒と浄化の霊力が光となって奔る。
     メディックとして回復に専念するめぐみの視線は、真っ直ぐ濡女に向けられていた。
     仲間達も口にしていたように、過去の伝承から生まれる古の畏れと、現代の噂から生まれる都市伝説は『人の心に潜むもの』が源となっている点でよく似ている。
     ならば、これは誰の想いか。濡れそぼった髪を振り乱して暴れる濡女の姿は、真冬の海を背にいかにも寒々しく見えて。少女に、かつて己を濡らした雨の冷たさを思い出させる。
    「ねえ、あなたは何に縛られている、の?」
     返答の代わりに響くは、軋むような鎖の音。
     どこか切なげにも聞こえる低い唸りが、濡女の喉を震わせた。
     たちどころに傷が癒えていく様子を目の当たりにして、杠葉は「刻み甲斐がありそうだね」と呟く。速力を極限まで活かした『暗殺戦舞』の使い手たる彼女は、僅かな隙も見逃さない。
     死角から手刀を繰り出し、蛇体を切り裂く。クロちゃん――と声をかけると、ぴたり呼吸を合わせたクロエが注射器を手に答えた。
    「地域密着型怨霊とか要りませんので、さっさと倒しましょうなのですよ」
     鱗の隙間に注射針を突き立て、サイキックを凝縮した毒薬を注入する。後に続いたもっちーが泳ぐように翼足を動かすと、激しい竜巻が濡女を襲った。
     美しい金髪を風に靡かせ、識が間合いを詰める。実体を持たぬ神霊の刃は、敵に力を高めることを許さない。
     度重なる攻撃に業を煮やした濡女の髪が、ギリシャ神話のメドゥーサの如くうねる。
     黒き濁流となって押し寄せるそれに前衛たちが足を取られたその時、連続(ダブル)で振るわれた尾の一撃が麒麟を捉えた。
    「……この蛇女! ……じゃなくて濡女だっけ?」
     咄嗟に声を上げた後、自分で訂正する。
     見た目が見た目なのでかなり紛らわしいが、それでもやる事が変わる訳ではない。仲間の攻撃とタイミングを揃え、長く伸ばしたウロボロスブレイドの刀身を蛇の胴に巻き付ける。
     無数の刃に傷つけられた濡女の動きが鈍ったのを認めて、十六夜は蒼剣の切先を向けた。
    「……魔に屈せ、制魔縛葬」
     敵に『制約』を強いる魔の弾丸が、異形の怪物を貫く。前に立つ仲間のダメージが蓄積しつつあるのを見て取り、グロリアが陽気に笑った。
    「アハ、皆さんお疲れデスネ。アタシの歌で癒されマショウ」
     伸びやかな天上の歌声を麒麟の背に届け、彼女の体力を取り戻す。メディックは癒してナンボだと、かつて『病院』の主任も言っていたではないか。
     清らかなる風で前衛たちの状態異常を払いながら、めぐみは不思議なほど落ち着いている己に気付く。まだ、経験も力も足りないけれど。それでも不安を感じないのは、一人ではない事を知っているから。チームの仲間を信じ、自分の役割を精一杯果たせば良いのだと、少しずつ実感出来るようになったからだ。――だから、きっと大丈夫。

     二人のメディックが回復で全員を支える中、灼滅者は間断なく濡女に攻撃を浴びせていく。
     いかなる時も己のペースを崩さぬ識の心には、些かの迷いも無かった。古の畏れが何であろうと、どうでも良い。害を為すというなら、片付けるまで。
    「吹き飛びなさいな」
     優雅にマテリアルロッドを操り、爆ぜる魔力で痛撃を見舞う。すかさず踏み込んだクロエが、敵に対してのみ毒となる薬液(ワクチン)を濡女に注射した。『黄泉戸喫』に素早く次弾を装填して、花鶏が跳躍する。
    「あんまり激しいおいたすると、八百万の神様に代わってオシオキだよーっ!」
     空中で狙いを定めた彼女がトリガーを絞ると、サイキックと反発する魔力の光線が目標を過たずに射抜いた。
    『お……おおおおおおおぉん』
     天を仰いだ濡女が、呼び声を海に響かせて己の傷を塞ぐ。
     ガンナイフのグリップを強く握り締め、麒麟がその懐に飛び込んだ。
    「もう、冷たいし寒いんだから、さっさと消えちゃってよ」
     至近距離からの攻撃でエンチャントを引き剥がしつつ、苛立たしげに零す。
     敵は次第に追い詰められつつあり、対するこちらはディフェンダーやメディックの尽力でまだ幾許かの余裕を残していたが、最後まで気は抜けない。
     寒風が吹きつける海岸で戦いを強いられていることもあり、相手のしぶとさには辟易してしまう。
    「採血の時間デス。アナタの血の色、教えてクダサーイ」
     羊の蹄で足元の砂を蹴りつけ、グロリアが濡女に迫る。針を通して抜き取ったエネルギーが注射器のシリンジを満たすと同時に、彼女の肉体に生気が漲った。
     蒼き刻印が燐光を放つ黒刃を垂直に構えて、十六夜が敵を見据える。女性にも見紛う整った顔に氷の冷たさを湛えて、彼は呪力を解き放った。
    「……呪い死ね、呪魔石葬」
     禍々しい力の奔流に晒され、濡女が石に変じてゆく。
     刹那、暗闇に身を隠していた杠葉が疾風の速さで駆けた。
    「闇夜は私の庭……虚たる戦の真髄をその身に刻み、散ると良い」
     刃の切れ味を誇る手刀をすれ違いざまに抜き、鋭く一閃させる。
     胴体を両断された濡女が砂浜に崩れ落ちたのは、構えを解いた少女が仲間を振り返った時だった。


     濡女が消え去り、海岸には再び静寂が戻る。
     砂浜のあちこちに設置した照明を全て回収した後、灼滅者はようやく一息つくことが出来た。
    「時間が時間だし、タクシー拾わないと帰れなさそうだねーっ! 」
     花鶏の一言に、麒麟が寒さに身を震わせながら答える。
    「……早くおふとんにもぐり込みたい」
     古の畏れは取り除かれても、それで夜の海の不気味さが拭える訳ではない。暖かな部屋を心に思い浮かべて、着込んだ上着の襟に顔を埋める。
     そんな折、めぐみと杠葉が凍える仲間に少しでも温まってもらおうとホットドリンクを振舞った。
     缶入りのおしるこや熱々の紅茶、自家製のスープが、冷えた体に沁み渡る。
    「かたじけないデス」
     礼を述べるグロリアに微笑みを返すと、めぐみは仲間達に改めて労いの言葉をかけた。
    「おつかれさま、でした」
     杠葉もまた、戦いの後に訪れた一時の幸せをしみじみと噛み締める。
     ふと隣のクロエに視線を向ければ、彼女は八重歯を見せて屈託無く笑った。

     暫くして、識が周囲の散策を提案する。
     スサノオに繋がるような何らかの痕跡が無いかどうかを探す――そう簡単に見つけられるとは思わないが、やってみる価値はあるだろう。
     何人かから同意が上がる中、十六夜も黙って頷く。
     一連の事件には、確実に続きがある筈だ。その先に何が待ち受けているかは、まだ分からないが。
    (「これから気を引き締めないとな……護れるものを護る為に」)
     心の中で呟いた後、夜の色に染まった海をそっと眺める。
     俺も変わったな、という囁きは、波の音に吸い込まれていった。

    作者:宮橋輝 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年1月10日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ