許されざる誘惑

    作者:遊悠

     夕暮れの帰り道、一人の少女が歩いていた。
     茜色の厳かな光、伸びる伸びる影法師、誰もいない静かな住宅街。小さな靴音と侘しげな生暖かい風の音だけが聞こえてくる。こんなに寂しげな通学路は始めてかもしれない。少女はそう思った。
     辺りがそんな雰囲気だからだろうか。少女は先月亡くなった祖母の事を思い出す。優しく、甘く、柔らかだったおばあちゃん。お小遣いやお菓子をくれて。面白い話を沢山聞かせてくれて。でも今は、もう――。
    「……お婆ちゃんにあいたいなぁ」
     思わず寂しさが言葉になる。
    「願いを叶えてあげようか?」
    「誰?」
     伸びる影法師の更に向こう。道の涯に何かが立っている。奇怪な姿の孤影。少女の法師と一つになる。
    「僕はネ。君の望むような綺麗なお願いを叶えられるヒトだよ」
    「お願い……本当? お婆ちゃんにまたあえる?」
    「アア本当だとも本当だとも。良い子にはご褒美が必要だ。その代わり――」
     少女が目の前の影に魅入られるのに時間は必要無かった。何故なら囁き声は甘い蜜のように染み込み、少女の不安と疑念を溶かしてしまったからだ。
     悪魔の誘惑は、何時だって優しい。


    「お前達、時が来たようだぜ」
     神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)はやや硬い声色と神妙な顔つきをもって、灼滅者達の目の前に現れる。表情に浮かぶのは静かな怒りだ。
    「小さなお嬢さんが闇堕ちした。『ソロモンの悪魔』に唆されてダークネスになりかけている状況だ。だがまだ間に合う。彼女を救ってやってくれ」
     ヤマトは務めて平静に状況を説明する。しかし徐々に感情は膨れ上がり、それを制する為に呼吸する。
    「死んだ婆ちゃんに逢いたいって切なる願いを、闇堕ちの道具にしやがったんだ」
     そんな事が許されるのか? とヤマトは一同に問う。静かだが、強い怒り。握り締められる拳にもそれが現れている。
    「小さい子供の、小さな願いって奴を利用して闇堕ちさせる……そんなふざけた事を許すわけにはいかねえ。頼む、お前達で何とかしてやってくれ。いざという時の……」
     続く言葉が出てこない。身を切るような想いでヤマトは字の句を搾り出す。
    「……灼滅も含めて、だ」
     そうして今回の事件に関する資料が配られる。薄紙数枚の簡素なものだったが、要点が漏れている事は無いようだった。
    「闇堕ち対象者は花咲恭子。10歳だ。場所は東京都池袋。駅から東へ真っ直ぐ行けばちょっとした住宅街がある。その辺りが、恭子の使う通学路がある。接触するならその時を狙うのがベストだと思うぜ。詳しい場所は今渡した資料ン中に書いてある。確認してくれ」
     言われるままに資料を確認する灼滅者達を見回しながら、ヤマトは説明をそつなく続ける。
    「悪魔に唆された直後なんだろうが……俺の全能計算域(エクスマトリックス)が弾き出した未来視からすると、恭子は一人だが、既に悪魔から力を分け与えられているようだ。影を操る攻撃をするようだぜ。接触の時は充分注意してくれよ」
     資料を慎重に確認しながら、皆頷く。
    「完全な闇堕ちに至っていない相手だ。呼び掛けるのも有効かもな。だが相手は子供で、尚かつ人格が悪魔に支配されかかっている。説得の言葉には注意してくれよな」
     
     説明を終えたヤマトは背を向ける。
    「恭子を倒すだけなら難しい任務じゃねえが……頼んだぜ、灼滅者(スレイヤー)」
     拳が虚空に投げ出され、義憤の漲る覇気が灼滅者達に伝わる。
    「悪魔野郎の嘲笑をぶっ潰してやってくれッ!」


    参加者
    宗岡・初美(マスター・d00222)
    タージ・マハル(武蔵野のジャガー・d00848)
    乾・舞夢(煮っ転がし・d01269)
    ミネット・シャノワ(白き森の黒猫・d02757)
    ニコ・ベルクシュタイン(薄氷踏みの魔術師・d03078)
    泉・星流(小学生魔法使い・d03734)
    桐谷・要(観測者・d04199)
    牧之瀬・なのか(魔法使い・d06267)

    ■リプレイ

    ●通学路にて
     帰路を歩く少女――花咲恭子――の瞳は昏かった。愛くるしかった大きめの瞳は尋常ならざる三白眼と化し、深く冷たい澱が漂っている。
    「『ざあどな、ざあどん』……」
     虚ろな口調、謎めいた呟き。ゆらゆらと上体を揺らしながら歩くその様は、灼滅者達から見れば何が起こっているのか想像に難しくない事だろう。
     夕日の差し掛かる真っ直ぐな通学路、そこに這い蹲るようにして夕日へ向かって延々と伸びる影は、何かをもぎ取るように伸ばされた黒ずむ腕にも見える。
     そこに影腕と平行に寄り添うよう、二つの影が逆方向から伸びてくる。
     誰か来た。恭子はそう悟り、忌々しげな瞳を道の先に向けた。
    「おねーちゃん、こんにちはっ!」
     黄昏を纏って現れたのは、乾・舞夢(煮っ転がし・d01269)だ。その傍らには泉・星流(小学生魔法使い・d03734)が立つ。
    「……誰? 何の用?」
     抑揚のない言葉に臆する事も無く、星流が一歩前へ出た。
    「少し調べ物をしているんだ。この辺りで何か、こう……変なものは見なかったかな?」
    「知らない。消えて」
     けんもほろろに恭子は二人の間を通って歩みを止めない。慌てて舞夢が喰らいつく。
    「ねっ、ちょっと待ってよおねーちゃん!」
    「消えろって言ったのが聞こえなかった? もう一度言うわよ。私に構うな。失せろカス共」
    「あぅ……」
     断頭刃のようなあまりに暴力的な言葉に、舞夢は項垂れてしまう。星流はそんな彼女を慰める為に頭を撫でながらも、毅然な態度を崩さなかった。
    「随分と酷い事を言うんだね……そっか、でも残念だよ。僕達は何かを知っていると思ったんだけどね。例えばそう――願い事を叶えてあげると言って近づいてくる、悪魔みたいなヤツの話を、さ」
     恭子の歩みが止まった。
    「何? お前達、何を知っているの? 私の邪魔をするつもりなの?」
     振り向くことも無く、恭子は沸々と感情の色を灯らす言葉を口にする。
    「ううん、違うよ。わたし達はおねーちゃん、あなたを助けたいだけだよ」
    「助ける?」
     黄昏時の薄暗さに負けない天真爛漫な光を瞳に湛えて、舞夢は想いを口にする。
    「悪魔になって望みを叶えてもらっても、おばあちゃんは悲しむだけだよ」
    「――いいんだ」
    「え?」
     振り返りながら言葉を遮る恭子の姿に、舞夢は思わずぎょっとした。その口元には気味の悪い笑みが浮かんでいたからだ。
    「じゃあこいつ等は殺しちゃってもいいんだ。だって邪魔だもんね。死んじゃえよ。私の邪魔をする奴はみんな死んじゃえよ。死んじゃえ死んじゃえ私からおばあちゃんを奪うやつ等は皆死んじゃえ。『うさろ、どぅなおな、またう、おるくは』!!」
     奇怪な呪文と共に影細工の凶刃が、舞夢へと襲い掛かる!

    ●闇に願いを
     次の瞬間、恭子と舞夢の間に割り込むように現れた者が居た。
    「ッ……残念だけどその攻撃を通すわけにはいかないね」
     影刃の一撃を受け衣服を無残に、肌を露としながらも凛然な態度で笑う、宗岡・初美(マスター・d00222)の姿があった。舞夢が心配そうに駆け寄る。
    「教授おねーちゃん、大丈夫!?」
    「舞夢君……僕は大丈夫だ。が、二人称を重ねるのは――」
     言葉を続けたい様子の初美にうっすらと神秘の霧がかかる。桐谷・要(観測者・d04199)のヴァンパイアミストだ。牧之瀬・なのか(魔法使い・d06267)もそれに付き従い清めの風を施す。
    「教授さんは無理をしますねー」
    「でもこれで大丈夫でしょう? 教授先輩」
    「君達もか。だからだね……」
     突如の乱入者達に恭子の血相がみるみると変わる。闇に堕ちた少女の周りを取り囲むように、新たな影法師達が姿を現す。それがより一層、恭子の混乱に拍車をかけた。
    「何なのよ……何なのよ、お前達は!」
    「Légion Layon Dents-de-lion――」
     古めかしい三角帽子を被り詠唱を行うミネット・シャノワ(白き森の黒猫・d02757)の傍らで、ニコ・ベルクシュタイン(薄氷踏みの魔術師・d03078)肩を竦めて答える。
    「灼滅者、だ」
    「すれいやー……? ふーん、そう。どうでもいいわ。どうでもいいの。つまりは邪魔者なんだ。私からおばあちゃんを奪う気なんだ!! ふへへッ、待っててねおばあちゃん、こいつ等殺して、今逢いに行くよ、イッひひひぁ」
    「そんな皮肉な笑い顔をしてはいけないよ。君が一番大好きだった人の笑顔を思い出して、優しい笑顔を」
     タージ・マハル(武蔵野のジャガー・d00848)の優しげな言葉も、闇に囚われた少女の心には届かない。
    「その優しい笑顔が欲しいの! あの悪魔さんは約束してくれたの! お婆ちゃんに逢わせてくれるって! 変なこと言って邪魔しないでよぉッ!!」
    「その人は本当に信用できるの?」
     闇色に染まった願いの絶叫を断つ星流の言葉にニコも続く。
    「世の中には、おばあ様のような優しい方もいれば。嘘をついて人を不幸にする悪魔もいる」
    「黙れ……」
    「君は悪魔に……嘘を吐かれた」
    「だぁまれ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! 嘘吐きはお前達なんだもん!!」
     恭子の激昂と共に影法師が爆発的に広がる。それはニコの全身を包み取り込むように這い寄る。影が彼を飲み込もうとし始めた。
    「くッ……!」

    ●解放
     ニコの窮地にいち早く反応したミネットは、魔力の溢れる杖の一撃をもって恭子を止めようとする。内部から爆発が起きたような衝撃に、小さな少女の身体は揺らぐが堅牢なる影の束縛は緩むことがない。
    「……現実と向き合って、恭子さん。お祖母様は頑張って生きて、生きて……貴女にバトンを託して人生という旅を終えられたんです。だから託された貴女にできる事を、考えましょう? 私も、手伝いますからっ!」
    「ッ……うッ、るさぁいッ!」
     影が、揺らぐ。それを見逃す事無く、黒気を身に纏い契約の儀を執り行う要が口を開いた。
    「祖母が今の自身を見てどう思うか、全く予想がつかないということはないはずだ。一度でもいいから、貴女の中にいる本当の祖母の姿を、声を、思い出して欲しい」
    「うるさいって言ってるでしょう!? こいつが殺されてもいいの!? ううん、もういい、潰し殺してやる……!」
     据わった瞳を爛々と輝かせ、恭子が更なる力を奮いだす。影の塊の中からは僅かにニコの苦しむようなうめき声が聞こえてくる。猶予はあまり無さそうだ。一刻も早く恭子と止めなくてはならない。
    「君も解っているんじゃないかな。……怒るって事は、認め始めているって事だよ」
     影の合間を縫って、マハルの鋼糸が恭子の身体を捉えた。締め上げられる苦痛に拒絶を示し暴れだす。
    「がッ、ぅッ、ああああああああッ! 痛い痛い痛いぃぃぃ、痛いよぉ! 助けて悪魔さん! 助けて、御婆ちゃん!! 助けてぇぇッ」
    「おばあちゃんはきっと恭子ちゃんが痛い思いをすることやさせることなんか望んでいないよ!」
     悲痛な恭子の叫び声に、舞夢は自身の愛する祖母の姿を思い浮かべる。祖母を失ってしまったら、自分もこうなってしまうのだろうか? だとしたら、今この目に映る恭子の姿はなんて悲しく見える事なのだろう。
    「なんなの……何で? 何で私をいじめるの? 何で邪魔をするの? おばあちゃんに逢いたいよぅ。また頭を撫でて欲しいの。恭子は偉いねって褒めて欲しいの。それだけよ。それだけなのにぃ!」
    「おばあちゃんは、どんな時に恭子ちゃんを褒めてくれましたかー?」
     普段と変わらない口調でなのかが問いかける。
    「そんなの、お前達には関係……」
    「そうですかー」
     なのかは小首を傾げて、再び問いかけを行った。
    「それじゃー今の恭子ちゃんがおばあちゃんの好きだった恭子ちゃんなんですねー」
    「違う!」
     ……違う? 恭子は自分の口を突いて出た言葉に目を白黒とさせる。自分の放った言葉に対して、思いもよらない違和感を植えつけられたのだ。
    「違う。違うって、何が? わかんない。助けて。御婆ちゃん。逢いたい。褒めて。褒めてくれない? 違う、こんなの……ッぅああああああああッ!」
     錯乱のままに影が蠢く。奇怪な変形を数度繰り返してその拘束が緩み、そのまま弾け飛ぶ。
    「好機というやつかな……!」
     手加減の念を含んだ初美の一撃が恭子の身体を穿ち、少女は宙に舞った。

    ●逢魔が時
     ぐしゃりと嫌な音を立てて道路に沈んだ恭子に要が駆け寄り、抱き起こして様子を窺い知ろうとする。
    「……大丈夫。随分と衰弱しているようだが、息はある」
     ダークネスの力も収まったのだろう。随分と憔悴している表情ではあったが、瞳を閉じて意識を失っている恭子の顔は、歳相応の少女のものだった。
     影に捕縛されていたニコの治癒を施しながら、なのかもほっと胸を撫で下ろす。
    「そうでなくてはな。俺も苦労をした甲斐のあるというものだ」
     その隣で少々疲れたようにニコも笑いかけた。
    「そう、いうことになるかな? だけど、流石はニコだね。あれだけ苦しめられても、まだ余裕があるみたいだ」
    「まあな……少々堪えたが、これくらいどうってことないさ」
     マハルは頷き、共に笑いあう。仲間達の間で空気が弛緩していくのが解った。
    「それで、これからどうしよう?」
     恭子を囲んで星流がさしあたっての課題を提示する。それに対して銘々に意見が持ち出された。
    「やはり、然るべき場所で手当てを行うのが良いだろう」
    「学園かなぁ?」
    「それしか無いでしょうね……」
    「カワイソウだし、ひと思いに殺してあげても良いんじゃないでしょうカ」
    「はい? そんな事できるわけ――」
     酷く気色の悪い声がした。耳の中に無理矢理羽虫をねじ込まれたかのような嫌悪感。灼滅者達は怪訝に顔を見合わせる。仲間達の声では、ない。
    「みんな、静かに」
     要が何かに気づき、眠る恭子に視線を落とす。彼女の口は開いていない。
    「これはひどい。死んだら天国とかでちゃぁあんと御婆様と再開できますのに。ねェ。そっちの方が幸せなのに。ねェ。これじゃ僕が嘘吐きみたいになるじゃないですか。ねェ」
     確かに恭子から耳障りな声がする。一行は身構え辺りを見渡すが、宵の始まりに薄暗くなりつつある住宅街しか見えない。
    「見ろ、影が!」
     ニコが恭子から不自然に伸びる影細工に気づく。それは梟のような姿形となって。
    「『ソロモンの悪魔』……!?」
    「僕のこたぁどうだっていいんデス。ねェ、恭子ちゃん。ちゃんと殺してあげましょ? トドメさしてあげましょう? ねェねェ、だってこのままじゃ可哀相ですよ」
     悪魔の誘惑。この悪魔は恭子だけではなく、灼滅者達も貶めようと言うのか。しかし――。
    「ふざけるな! 一発必中!! 一撃必殺ッ!!」
     星流の怒気を含んだマジックミサイルが梟の影に突き刺さる。影はゆらめくように、ゆっくりと四散していく。
    「オゥッ、オゥオゥオゥ。こわいこわい。オゥフフフ! 残念残念。まあ、別に人間は彼女だけじゃないんで良いんですけどねェ」
    「待ちなさい!」
     弐の撃を加えようとミネットが構えを取るが、悪魔の嘲笑は夕闇に解けて無くなってしまった。
    「あれがソロモンの悪魔、か」
     初美は呟き、そして確信する。声だけでも感じ取れる嫌悪感、人間を弄ぶことを何とも想わない邪な性質。灼滅しなくてはならない、許さざる宿敵。――必ず打ち倒さなくてはならない。
     それは他の灼滅者達も一様に同じ想いだった。

    作者:遊悠 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年9月5日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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