ここは、どこだろう。
家を出たまでは覚えている。でも、こんな場所は知らない。どこへ行こうとして迷い込んだのか。
「久しぶりね、坊や」
こつ、と。地面を踏む固い音がした。現れたのは豪奢な黄金の髪もつ美女。その蠱惑的な唇も、優雅なドレススーツも指先も、紅く、赤く。
「……スカーレット」
見覚えのある顔、六六六人衆の女。
鼓動が跳ね上がる。この女は、かつて自分を闇へ突き落とした相手だ。
「また会えて嬉しいわ。でも、さよならを言いに来たの。だって」
折角、綺麗に堕としてあげたのに、どうしてそんな醜い姿に戻ったの。
わたくしの殺人ゲームは、美しいままでなければ。
「坊やの赤を頂戴。血も心臓も熱く甘く、宝石よりもわたくしを充たしてくれるわ」
華奢なピンヒールが地を蹴る。
八尋は首筋を狙う冷えた刃を感じた。
●
「ダークネスに正月は無いらしい。緊急事態だ」
教室を開ける手間も惜しいと、学食の隅で櫻杜・伊月(高校生エクスブレイン・dn0050)は紙コップのコーヒーをひと息にあおった。
「六六六人衆が、武蔵坂の灼滅者を襲撃する。救援に向かわなければ、おそらく……いや、確実に彼は殺される」
襲撃の目標は、椿原・八尋(閑窗・d08141)。
「妙な動きがある」
六六六人衆たちが、自らの主催した闇堕ちゲームに参加した灼滅者を狙って事件を起こすらしいこと。
「事件の背後には、高位の六六六人衆の意図を感じる」
六六六人衆には、組織としてまとまって動く様子は確認されていなかった。それが今になって何故と、考えている暇は、今はない。
「現れるのは、六六六人衆六三三位・スカーレット。見た目だけなら美しい女だが、狡猾で残忍かつ享楽的だ。序列は高くなくとも、決して侮ることはできない。一対一なら逃れることもできず、惨殺される」
六六六人衆は己の気の向くままに人間を殺す。プライドを傷つけた相手となれば、なおさら執念深く追うだろう。
「幸いにして、周囲に一般人はおらず、来ることもない場所だ。戦闘に全員で集中すれば、灼滅も可能だろう。しかし女もみすみす灼滅されるつもりはない。自分の不利を悟れば、戦闘に未練なく逃走する」
序列の低い者でも、灼滅者十名ぶんの力を持つという六六六人衆は、最もたちの悪いダークネスと言われている。作戦のわずかの隙を突いて立ち回る。攻守と回復のバランスとタイミング、息の合った連携、すべての条件が揃っていなければ、追い込むことは難しい。
「女の第一目標は、襲撃される椿原だ。救出できればこの作戦は成功となる。しかし撃退できたとしても、暗殺者を野放しにするのは非常に危険な状態だ。可能な限り、灼滅まで粘ってほしい」
伊月は手帳を閉じた。
「無論、君たち全員の無事が前提となる。……頼む」
参加者 | |
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月翅・朔耶(天狼の黒魔女・d00470) |
桜木・栞那(小夜啼鳥・d01301) |
橘名・九里(喪失の太刀花・d02006) |
藤枝・丹(六連の星・d02142) |
桜之・京(花雅・d02355) |
桜庭・翔琉(冥界の支配者・d07758) |
椿原・八尋(閑窗・d08141) |
岬・在雛(亡霊錯綜・d16389) |
●
まばらに立ち枯れた林を通る参道、遠く名も知れぬ寺社の影が見える石畳の道。人影もなく、周囲は静寂に包まれている。
目の前には紅い女。顔かたちだけで形容するなら、妖しいまでの美女。
深い赤の優雅なドレススーツ、艶やかな金髪。優美な曲線を描いた銀のペーパーナイフが、きらりと光を跳ね返した。彼女の素性を考えれば、肉を切り骨を断つナイフだ。
「スカーレット……」
椿原・八尋(閑窗・d08141)は瞬時にカードから力を解放し、どう戦えば生き延びられるか考えた。その間数秒に満たない。
──逃げられない。
結論づける。決して絶望したわけではない。
純粋のダークネス、しかも強敵の部類に入る六六六人衆と灼滅者とが一対一。歴然たる実力の差を鑑みれば、勝ち目は万に一つもないのだ。
「さあ、遊びましょう坊や。ふたりきりで」
こつ、と石畳を踏む黒いエナメルの爪先。爪先立つほど高いヒールのそれは、靴裏が真紅に彩られている。
笑みを浮かべているものの、鳶色の瞳は血に飢えた魔性そのものだ。
八尋は決断し、契約の指輪を嵌めた拳を握りしめ、動こうとした時。
「邪魔が入ったわ」
苛立たしげに距離を取るスカーレット、紅の女。
駆けつけた影は七つ。瞬く間に女を囲み陣を組む。
ぐいと手首を引かれる。八尋の頭に声が響いてきた。藤枝・丹(六連の星・d02142)が、女に聞かれぬよう用心を重ね、強いまなざしで作戦を伝えてくる。承諾し、後方へ下がる。
八尋とスカーレットの間を遮るように立つのは、桜木・栞那(小夜啼鳥・d01301)。
「椿原さんは、あなたの玩具じゃない」
静かだが凛とした声が女に向けられた。覚悟はある、決して折れず守り通す覚悟だ。
「悪いが、死んでもらう」
桜庭・翔琉(冥界の支配者・d07758)が愛刀の柄に手を添えて言う。
「若い男狙ってんじゃねえよ、赤ババア」
岬・在雛(亡霊錯綜・d16389)がその隣に並ぶ。スカーレットは唇に笑みを乗せた。
「品のない子は嫌いよ」
「リキ、おいで」
月翅・朔耶(天狼の黒魔女・d00470)が呼べば、白い毛並みの霊犬がカードから解放され石畳に足を降ろした。すべて理解しているとでも言うように、前方へ駆けていく。
「勝ち逃げを許すな。それは此方の台詞に御座いますよ」
下がる眼鏡を上げながらの橘名・九里(喪失の太刀花・d02006)。言葉は丁寧でも、どこか歪んでいる。
「あら、手間が省けたわ。堕ちそこなったあの子を殺した後で」
すう、と紅に塗られた指先が九里を指す。
「次は坊やの目を貰いに行こうと思っていたの」
「それはそれは、光栄の至り」
「逢いたかった……逢いたかったわ、スカーレット」
桜之・京(花雅・d02355)が華やかに笑った。あの日、目の前で紅の女を逃した日から、ずっとずっと思っていた。いつか、この手で殺せる日のことを!
「楽しみね。どんな赤が見られるのかしら」
酷く耳障りな高い笑い声と共に、漆黒の殺意が爆発した。
●
殺気渦巻く中から飛び出したのは翔琉。
殺気に咳き込む唇はわずかに血を滲ませていたが、構わず愛刀【徒桜】を抜き、視界の端を抜ける紅を追う。中段の構えから打ち下ろした刀が、紅の肩を断ち落とそうと狙うが、華奢なナイフの刃が重心を巧みにずらし狙いを外す。
「つれないひとですね、僕の相手もして下さいな」
刀を回り込むように九里が駆けた。
異形化した利き腕を大きく振り上げ、紅の後背から回り込む。肉感的な体を斜めに薙げば、技の勢いのまま身を翻した紅のナイフが頬をかすめ、九里の眼鏡をはじき飛ばした。
紅の女の視線は後方の八尋に移る。ピンヒールが石畳を蹴れば、瞬く間に灼滅者の隙を縫って後衛に肉薄する。
「早く紅をちょうだい」
香水の香りが八尋を包む前に、割り込んだ白い霊犬がナイフの一撃を受けきった。
「八尋に、近づくな」
割り込んだ朔耶が叩きつけたWOKシールドは、紅の女の指先一つで軌道をずらされかわされる。紅の女は溜息交じりに距離を測る。
「邪魔をしないでもらえるかしら。わたくし、気の長い方ではないのよ」
「そこまでにしてくんない? オネエサン。うちの先輩とられちゃ、困るんすよね」
丹が軽い調子で一気に距離を詰め、オーラに包まれた手刀が死角から首筋を狙う。肩口を穿った斬撃は、たっぷりとした金色の髪も一房刈り取った。
「ああ、本当に面倒な子たち」
「貴女のこと、忘れた日は無かったよ。スカーレット」
八尋は軽く笑みを浮かべた。心強い仲間達がいる。勝てないわけがない。
低い位置から異形化させた腕を、女めがけて抉りこむ。瞬間、鳶色の瞳が驚愕に歪んだ。何故と紅い唇が囁くように動き、異形の爪で深く引き裂かれた半身を抑える。
「この手で殺す日を、待っていたんだ」
紅の血に濡れた爪。漆黒の瞳もまた殺戮の炎を宿している。
「ねえスカーレット、私のことは忘れてしまったの。こんなに、こんなに想っていたのに。片思いだなんて狡いじゃない」
ぎらつく大ぶりのナイフを手に、京が夜霧を喚んだ。肌を湿らせる冷たい霧は、殺気に削られた前衛の傷を塞いでいく。
この手にかける日を待っていたけれど、今は仲間の回復が優先する。体は今にも地面を蹴って、あの女の心臓をこの手で抉り出したい。
「忘れていないわ、覚えているわ。また絶望を見せてあげるから」
待っていなさい、と。
再び紅蓮の殺気が渦巻けば、栞那が飛び出しその身を呈して後方を庇う。
「わたしたち人間は、あなたたちの駒じゃない」
正面からスカーレットを見つめる金の瞳。強い光が鳶色の視線と絡み合う。展開したシールドの圧力を受けながらも、紅の女は笑う。
「駒にすら使えないなら、殺すしかないわね。可愛い子」
ぐいと女が押し返し栞那が体勢を崩せば、その頬に赤い爪が触れる。
「女の子にも手ェ出すか? 気色悪りぃよ赤ババア!」
槍で旋風巻き起こし、在雛が跳ぶように石畳を蹴る。
「逆に灼滅してやるよ!」
体勢整え後退する紅に、わずかの距離で切っ先は届かない。優雅にスーツの裾を整えながら、女はなおも笑う。
「威勢のいい坊やだこと。でも口には注意することね」
どす黒い殺気を纏い、紅の女はナイフを構える。
まだ戦いの幕は切って落とされたばかり。
●
精緻な紋様のペーパーナイフが翻るたび、誰かの血が石畳に落ちる。
敵は一人、灼滅者は八人に霊犬が一匹。回復が厚く、まだ誰も戦意を喪失するほど傷ついてはいない。
一対八にかかわらず、紅の女は巧みに攻撃を避けては、精度の高い攻撃を放ってくる。それでも全てはかわしきれず、徐々に傷が深くなり回復の頻度も増えてきた。
頬から流れる血もそのままに、九里が駆けた。
視界には仲間の姿はなく、紅の女しか入っていない。力の全てを、目の前の敵を倒すことだけに注ぐ。
「何時ぞやのお詫びに、貴女に相応しい首飾りを用意致しました」
鉛色の鋼糸が空を切る。スカーレットの首に巻き付き、血色の紅玉を飾る。
動きが一瞬止まった隙に翔琉の刀が閃き、さらに膝裏の腱を断ち切った。女の片手の指輪が光り、銀の光線が翔琉の腹を貫くも、表情は変わらず笑みさえ浮かべ。
「これ位で膝は付かない……そんな覚悟で来ていない」
封縛から逃れた紅の女は、片脚を引きずり距離を取る。
四方に意識を張り巡らせる。どこかに隙は、逃げ道は。見通しの良い一本道、疎林に逃れても先は知れている。
正面にあるのは丹。四方八方、隙無く灼滅者が固めている。飛び出す隙がない。
「ターゲットは、もう椿原さんじゃないっすね」
からかうように笑い、女を指させば生まれる魔法の弾丸。
腕と脚を追撃で貫かれれば女に焦りも生じる。
「……無様ね」
それでも女は、笑うのだ。艶やかに、誇らしく。
折れたヒールを脱ぎ捨てて、タイトなスカートを深く引き裂き、長い髪を束ねナイフで断ち切る。追い詰められつつあっても、なおも女は美しい。
「六六六人衆、六三三位。わたくしを殺せば、この序列は坊やのものよ」
宣言をシャウトとして、ナイフを片手に女は高く跳んだ。目標は後衛にいる八尋。
目の前に飛び出してきた霊犬を一刀のもとに切り捨て、手を伸ばせば触れるほどの距離まで近づくも。
「もし再び堕ちることがあっても」
八尋の影が唸りを上げ、細くしなって胸を貫く。ナイフの切っ先はわずかに届かず、紅の唇から赤がこぼれた。
「そんなものには、何の価値もないよ」
影に貫かれたまま、紅の体が強い力で薙ぎ倒される。弾みを付けて起き上がった前には、
「何度でも、わたしたちが助けるから」
割り込んだ栞那がもつ白光を放つ破邪の剣が、重い斬撃を繰り出した。たたらを踏んでよろけた先には、在雛の炎が待つ。
「あんたは許さない。オレがそう決めたんでね」
炎を纏った槍が唸り、石畳に転がる。真紅のドレススーツは無残に焼け焦げ、体も髪も何もかもが燃えてゆく。
朔耶の影が音立てて広がり、燃える女を包み込む。内側で何かが潰れる音がした。
「さよならを言うのは、どちらの方だったのかな」
影に貪り喰われる女は、悲鳴すら上げずに。石畳に紅の華が広がっていく。
その華を踏んで、京が女を見下ろした。
影から解放された女には、ほとんど動く力も残っていない。
燃えて喰らわれ力尽きる寸前のダークネス。銀のナイフが溶けて消えた。
「無様なものね、スカーレット」
鳶色の瞳が京を見上げる。目を細めた。笑っている。どこかへ向かって手を伸ばす。残った爪に、鮮やかな赤。
「無様だけど、綺麗だったわ」
京のナイフが閃き、紅の女の胸を抉る。
最後まで声も上げず、女は指先から塵となって、風に吹かれ散り。
永遠に消えた。
●
いつの間にか日が落ちている。
思い思いに休息を取りながら、灼滅者たちは物思う。
言葉はない。だが守るべき者を守り抜き、最後まで全員が立っていたことに安堵を隠せない。
隙のない作戦と布陣、攻守のタイミングとバランスの配分、連携に次ぐ連携。厳しい条件の中、確実な勝利を導き出せた。
戦場は石畳が焦げた痕跡のみで、残っていない。しかし、灼滅者の記憶にだけは鮮烈に残っている。最期まで誇り高くあろうとした、紅を纏う女がいたことは。
ゆっくり歩く帰り道、一度だけ八尋は振り向いた。
誰もいない向こう側へ、唇だけで別れを告げる。
「さよなら」
誰にも聞こえぬ言葉は、風に散って消えた。
作者:高遠しゅん |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2014年1月16日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 2/感動した 2/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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