絶対零度の死地

    「華月ちゃん? ……これは……」
     ふと左右を見渡す詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)。
     しかしそこに、彼女の期待した平穏な新年の情景は存在しなかった。
     妹の華月も、他の人々の姿も見えない。不自然なまでにぽっかりと、自分の周囲から人影が消え失せていた。
    「……誘い込まれた、のでしょうか」
     お正月くらいは平和を堪能したい、と思って、いささか油断があったのかもしれない。
     沙月の第六感、そして灼滅者としての経験が、激しく警告を発していた。
     ここは『死地』である――と。
    「っ……!」
     不意に吹きつけてきた、冬の吹雪よりもなお激しい冷気の塊に、思わず一瞬顔をかばう。
     白くちらつき、渦となって荒れ狂う雪の中に、1本の線が見えた。
     金属であるはずなのに、透き通るような純白の刀身。
    「あれは……『氷の剣』!?」
     沙月には見覚えがあった。
     かつて彼女が、灼滅者8人がかりで戦い、そして勝てなかった相手の帯剣だ。
     にもかかわらず今、沙月は1人であった。
     
    「一大事なの。お正月早々、六六六人衆が暗殺ゲームを仕掛けてきたみたい。
     学園の仲間達があちこちで、六六六人衆の罠で孤立させられ、命を奪われようとしている……すぐに助けに向かわなくてはならないわ」
     園川・槙奈(高校生エクスブレイン・dn0053)の表情に、日頃の気弱さの影は見えなかった。
     エクスブレインの経験を数多く積んで芽生えた責任感故か、あるいは多くの仲間の死に対する危機感故か。
    「私の視た未来予測は、詩夜・沙月さんを殺そうとする『氷剣士』碧樹・凛那の姿よ」
     六六六人衆が序列五九二位、碧樹・凛那。
     姉の翼を救いたいと願ったがために、無辜の一般人も、邪魔をする灼滅者も、己の名声も、自我すらも――すべてを犠牲にしようとした、哀しき剣士。
    「まず最優先とすべきは沙月さんの無事。
     六六六人衆はダークネスの中でも特に強大な戦闘能力の持ち主であり、簡単に勝つことはできないでしょう」
     まして凛那の『氷の剣』は、軽く触れただけでも恐るべき冷気を骨身に注ぎ込ませ、戦闘力を奪ってしまう。
     現に、前回の手合わせでは灼滅者達は彼女に歯が立たなかった、と評価しても誤りではないのだ。
    「だけど、あなた方灼滅者も成長している。沙月さんの他に護らなければならないような一般人もいないし、戦闘に集中できる。
     今なら、あなた方の工夫次第では、凛那を倒すこともまったく夢ではないかもしれないわね」
     了解した、と力強くうなずく灼滅者達。
     彼らの表情を一通り眺めてから、槙奈は1つため息をついた。
    「……凛那は、ダークネスとしては特例なの」
    「特例?」
    「ダークネスは生殖ではなくただ闇堕ちによって増え、家族を持たない存在。
     闇堕ち前に家族であった人間を、ダークネスが家族として認識することはあり得ないはず。
     にもかかわらず凛那は完全な六六六人衆に堕ちた後も、翼さんを姉として認識していた。これは例外的で、ある意味恐るべきことなの」
     だが翼もすでに亡い。
     凛那の精神が今どのような状況にあるかは、槙奈の未来予測をもってしても視えないという。
    「とにかく、どんな不測の事態にも対処できるよう、最後まで油断しないで……お願いね」


    参加者
    有沢・誠司(影狼・d00223)
    細氷・六華(凍土高原・d01038)
    詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)
    詩夜・華月(白花護る紅影・d03148)
    天城・兎(赤兎の騎乗者・d09120)
    水瀬・ゆま(箱庭の空の果て・d09774)
    茂扶川・達郎(新米兵士・d10997)
    咲々神・美乃里(ひつじ執事・d16503)

    ■リプレイ

    ●歪んだ鏡
    「……雪?」
     詩夜・華月(白花護る紅影・d03148)の掌が、白い結晶を受け止める。
     鬱蒼と茂った森の中の、小さな神社。年を跨いで新年を迎えたばかりの今も、初詣客はまばらだ。華月はその少数派の1人だ。
     それにしても、天気予報でもこの地域は晴れるという話のはずだった。
    「予報は外れたのかしらね、沙月……沙月?」
     隣に目をやると、華月はようやく一緒に初詣に来たはずの双子の姉、詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)の姿がないことに気づいた。
     よく見ると、雪は空から降っているのではなく、横から不自然に流れてきている。そちらにあるのは確か、本殿の隣の小さな空き地。
    「……まさか」

    「お久しぶりです、凛那さん。
     そういえば前回は名乗っていませんでしたね。詩夜・沙月と申します」
    「……」
     荒れ狂う雪嵐の中から姿を見せた凛那の、表情は沙月の視点からは伺えない。
     そろり、と日本刀『雪夜』の柄に手を伸ばす。
    「何故、私をまず狙ったのですか?」
     1対1の接近戦で勝てる相手とは思えない。さりとて逃げようとしても、その瞬間に背中から斬りつけられて終わりだろう。
     どうすれば、妹が、仲間が気づいてくれるまでの時間を稼げるのだろうか。
    「……私が妹を持つ姉だから、でしょうか」
    「……」
     肯定も否定もしない凛那。
     口の代わりに、足が、そして『氷の剣』の刀身が流れるように動いた。
    「く……!」
     『雪夜』を抜き放ち、一撃を受け止めることは辛うじてできた。それでも、手にじんと痺れが走る。
     2の太刀が、スローモーションのように見える。
    「――させない!」
     割って入ったのは、妹の愛槍『紅散華』だった。
    「華月ちゃん!」
    「ごめん、一緒に来たのに、1人にして」
     華月は姉の前に仁王立ちとなり、『紅散華』の切っ先を凛那へと向けた。
    「……」
     凛那の表情には、機械のように何の感情も読み取れない。
     まるで鏡を、自分自身を見ている気分だ。
    「(……でも、違う。1つだけ)」
     翼は、妹・凛那が闇へと沈むのを止めることができなかった。
     沙月は、闇堕ちした自分を止めるために涙を流してくれた。
    「お前如きに沙月の命は渡さない」
     故に、華月は己の矜持に賭けて、沙月を護る。沙月を害するすべてを、払う。
     それが凛那にない、華月の戦う理由。
    「──だから、殺すわ」
    「沙月君! 無事か!」
     助け船の声。
    「……なんで、あんたが」
     その中に有沢・誠司(影狼・d00223)の顔を認めて、華月はげんなりする。
    「沙月君が危ないと聞いてね。矢も盾もたまらず、助けに来たのさ」
    「……あんたが来ると話がややこしくなるから、できれば他の人に来て欲しかったけど」
     陰で毒づく華月。
     誠司はそれを知ってか知らずか、華月のさらに前に立ちはだかり、想い人・沙月の前で大見得を切った。
    「もう二度と大切な人を失う訳にはいかないと誓ったのでね……沙月君は僕が護る!」
    「誠司さん……」
     沙月も再び、愛刀を握り直した。

    ●死闘
     森の中から、次々と援軍が飛び出す。
    「何故ゲーム生還者を狙うのでしょう……」
    「さてね。知りたくもないであります」
     咲々神・美乃里(ひつじ執事・d16503)の疑問に、凛那とは大きな因縁のある茂扶川・達郎(新米兵士・d10997)は興味を示さない。今はただ、戦う準備を整えるのみ。
    「氷の使い手……嫌いではありませんけど」
     魔法使いである細氷・六華(凍土高原・d01038)にとって、氷は近しい仲間。凛那に親近感はいだきつつ、だからこそ許せないこともある。
     彼女の心情を、水瀬・ゆま(箱庭の空の果て・d09774)が代弁した。
    「仲間を襲うなら、容赦はしません」
    「そういうこった。行くぞ!」
     天城・兎(赤兎の騎乗者・d09120)がクルセイドソードを構え、突進する。
     同時に祝福の光が、兎を包み込んだ。
    「ちょっと刺さりますが――大丈夫きちんと回復しますよ」
     その兎に対してさらに六華の矢が、剣を取り回す速度を高めるツボを突く。ゆまは妖の槍の穂先を回転させ、美乃里は冷気に対抗し得る防護の術を施し、達郎は黒き鏖殺領域を展開した。
     『氷の剣』は振るう相手を凍てつかせ、また使い手に呪詛を切り払う力も与える。しかし、相手の強化をブレイクする能力までは有さない。
     灼滅者達は、長期戦を覚悟でまず、凛那と渡り合えるだけの自分達の力を蓄える策に出ていた。
     とは言え、先に沙月の首級を挙げられては何にもならない。肉の壁で何重にも沙月を取り囲み、ガードすることも忘れなかった。
    「きゃあっ!」
     それでも、戦いはようやくスタート地点に立ったに過ぎない。
     渦巻き荒れる吹雪が灼滅者達に叩きつけられ、ゆまに悲鳴を挙げさせた。
    「その氷の剣は羨ましいな。どこで手に入れたんだ?」
     同じく凍てつく感触に顔をしかめつつ、兎は興味深げに相手の武器について尋ねてみる。無論、凛那からの返答はない。
    「……ん、あれは!?」
     最初に、そして唯一気づいたのは、回復の機を探していた誠司だった。
     灼滅者の前衛と鋭く切り結ぶ刃の輝きは『氷の剣』の言わば光。
     その光に隠れる影として、あたかも暗器のように、鋭い透明な氷柱が沙月の喉へ向けて一直線に飛んでいく。
    「沙月君っ!」
    「な、何……きゃっ?」
     気がつくと沙月は、石畳に押し倒されていた。
     彼女の上にのし掛かっているのは誠司。そして、凛那の放った氷柱は、誠司の背中からえぐるように突き刺さっていた。
    「ははっ、これも役得と言うべきかな……」
    「誠司さん!?」
     誠司の苦笑いが凍りつき、ずるりと身体が崩れ落ちた。そのまま動かなくなる。
    「リーティア、誠司さんを!」
     美乃里がビハインド『リーティア』に指示を送り、誠司の身体を後方に移させる。ギリギリの戦いは続いており、1人分の手数も無駄にはできなかった。
    「くっ……誠司さん……」
    「待って、沙月!」
     再び立ち上がる沙月。
     ぎりっ、と唇の隙間から、歯のこすれる音が漏れる。それを聞きつけたのはやはり、付き合いの1番長い華月だった。
    「闇堕ちは駄目だ、今は! それが相手の狙いかもしれないじゃない!」
     かつての闇堕ちゲームは、灼滅者を闇堕ちさせること自体が六六六人衆の目的であった。それと今回の事件が無関係である保証はどこにもなかった。
    「水瀬、天城、咲々神、茂扶川あんたらもだ! 最悪の選択をする前に最後まで足掻けっ!」
     華月の叫びは他の仲間へも向けられる。リタイアした誠司も併せ、内心『いざとなったら』と闇堕ちを考えていた面子である。
    「……ははっ、これは1本取られたでありますね」
     達郎は苦笑し、それから声を大きくした。
    「お聞きなさい凛那。闇堕ちゲームは貴女の勝利でしたね」
     急に声を挙げ始めた達郎を、ちらりと横目で見やる凛那。
     達郎は意識して、胸を張った。
    「その結果、闇堕ちした自分は碧樹・翼を殺しました」

    ●北風と太陽と北風
     厳密には翼を手に掛けたのは達郎というより、彼の中のダークネス人格である。
     それでもあの時、達郎自身に苛つきの感情があったのも確かだ。
    「目的を失った気分は如何ですか? 『氷剣士』」
     一気に畳み掛ける達郎。少しでも沙月の負担を減らすためなら、どんな悪辣な言葉も選ばない。
    「姉を失った貴女がこれ以上生きていて、何になりますか」
    「……そう」
     凛那が初めて、唇を開く。
     次の瞬間、凛那と『氷の剣』は達郎の至近にまで達し、舞い始めていた。
    「ふふ、来ましたね……ぐっ、ぐふ!?」
     達郎の立ち位置は沙月と異なり、凛那がその気になればすぐに接敵できる場所だ。
     翼を殺したのは誰か、の情報を公開する意味を、達郎は少し過小評価していたのかもしれない。沙月の負担軽減の目的は十分すぎるほど果たした訳だが。
    「……待って、凛那さん」
     凛那の背中に声を掛けたのは、意外にもその沙月であった。
     右手に『雪夜』を、左手に仲間を照らすための懐中電灯を握って、静かに言葉を紡ぐ。
    「悲しい時は話をいくらでも聞きます。勇気が足りない時は手を握りましょう。寂しい時は、抱き締めます」
     そしてさらに意外にも、沙月は自分を殺そうとした凛那に対して、友好を呼び掛けていた。
     羅刹の大軍から闇堕ちして、なおかつ力及ばず殺されたかつての恋人。彼の面影が、沙月の中から離れないでいるためであろうか。
    「私はあなたを見捨てません。だから、自分を取り戻してください……!」
    「……」
     渾身の呼び掛けだが、凛那は一顧だにしなかった。ただ集中攻撃を受ける達郎の苦悶のうめきが、徐々に大きくなるのみ。美乃里が必死に回復しているが、いつまで持つか。
     ぽんと沙月の肩が叩かれる。
     振り返ると、ゆまが静かに首を振っていた。
    「もしかしたら碧樹さんは……灼滅を望んでいるのかもしれません」
    「そんな……」
     ゆまにしても、思うところが皆無ではない。
     ただ、凛那の集中力は達郎に向けられており、知ってか知らずかその脇腹には隙ができていた。なれば槍を振るうのがクラッシャーの任務。
    「お覚悟。はあぁっ!」
    「……ぐうっ」
     穂先は容赦なく、凛那の内臓をえぐった。致命傷であった。
     凛那の膝が折れ、剣が手から滑り落ちる。
     もはや凛那に戦闘力はない。剣技を振るうことも、吹雪を舞わせることも叶わないだろう。
     ――そのように判断したのを灼滅者達の油断と評するのは、いささか酷かもしれない。続く出来事は予想外と言えた。
    「……あっ!?」
     凛那は『氷の剣』を握り直すと――沙月へと向けて、投げつけたのだ。
     一瞬の隙を突かれた灼滅者達は、反応が遅れた。剣士が命よりも大切な剣を手放す挙に出て、意表を突かれた感も否めない。
     ごすっ……。
     肉を傷つけるものとは異なる、無機質な音。
     剣が貫いたのは沙月の身ではなく、『沙月を死んでも守れ』との指示をまだ解除されていなかった兎のライドキャリバー『赤兎』だった。
     ダメージで『赤兎』は機能を停止し、消滅する。だが、それだけだ。『氷の剣』はもはや推進力を失い、沙月を害することなくからんと石畳に落ちた。
     凛那はすべてを見届けると、顔を伏せた。今度こそ、凛那の身体に力は残っていなかった。
     その言葉らしきモノは、あるいは風の悪戯かも、あるいは灼滅者の気のせいに過ぎなかったかもしれない。
    「ねえ、さ……ご、め……」

    ●今日は、灼滅する側として
     強大な六六六人衆の1人を倒した。そんな感慨にふける余裕もなく、灼滅者達はしばらく呆然と凛那の死体を取り巻いていた。
     やがて、凛那の元へとゆまが歩み寄る。
    「ゆまさん、何を……?」
     いぶかしむ美乃里。ゆまはポケットからハンカチを取り出すと、そっと凛那の目元を拭った。
    「ああ……凛那さん、泣いていたのですか」
     翼を殺したのは沙月ではなく達郎である、それは凛那も知っていた。にも関わらず、剣に生きてきた凛那が剣を捨ててまで最期に狙った相手は、達郎ではなく沙月。
     仕掛けた暗殺ゲームを完遂する意地のためか。あるいは沙月が示した『帰り道』を拒絶する意志表示なのか。
    「もう……いいのよ。ゆっくり……おやすみなさい」
     ゆまはただ、凛那の死体を抱き締め、そして義兄のことを想起していた。
    「もし……あの時わたしが死んでいたら……りっちゃんも碧樹さんみたいになってたのかな……」
     多かれ少なかれ、灼滅者自身、もしくは近しい人間がダークネスに関与している。
     凛那の立場はゆまにも、他の灼滅者達にも決して他人ごとではなかった。
    「――そうです、誠司さんが!」
     はっと倒れた誠司のことを思い起こす沙月。
    「……華月君の肩をお借りできるとは、光栄だね」
    「沙月を助けた代わりに、何か事故でも起きた日には、こっちの寝覚めが悪くなるんでね。下衆の勘繰りはお断りよ」
     が、すでに誠司に対しては、華月が手を貸して助け起こしていた。
     2人のやり取りを目に、くすりと微笑む沙月。少しだけ、心が軽くなった気がした。
    「凛那さん、あの世でお姉さんに会えればいいですね」
    「……会えは、しないでありますよ」
     静かな六華の祈りを、達郎が冷たく遮った。
     六華が少しむっとした表情を見せる。が、達郎は動じない。
    「翼殿は人間で、凛那はダークネス。ダークネスに家族などいない。会える訳もない」
     達郎はプロの兵士だ。デジタルの論理で行動する。人間とダークネスの人格を混同することもない。
     何より、例え姉のためであれ、無関係な一般人を犠牲にしようとした凛那の罪を、達郎は肯定するつもりはなかった。
    「つ、疲れた……や、本当に」
     兎が石畳に腰を落とすと、側に落ちている『氷の剣』を拾い上げた。
     この美しい剣は、凛那の墓標にでも使うか。学園に持ち帰って調べてみてもいいかもしれない。
     いずれにせよ、灼滅者達の今日の戦いは終わった。明日が平穏か、また別の戦いが待っているのかは、誰にもわからなかった。

    作者:まほりはじめ 重傷:有沢・誠司(影狼・d00223) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年1月17日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 11/感動した 2/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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