After

    作者:笠原獏

     息が、白い。
     無意識で黒の革手袋を整え直しながら、亜綾田・篠生(ピーキー・d09666)は空を見上げた。そしてぼんやりと考える。
    (「……いつの間に、こんな所へ来たのだ?」)
     しかも人の気配が無い。何とも奇妙な自問だと、そう思った。嘆息しながら視線を真正面へと戻したその瞬間、篠生は不意に『それ』を見る。
    「どうもどうも、お久しぶりです。お元気そうで何よりですね」
     芝居がかったその声色に、全身が一斉に鳥肌を立てた。自身の口の端がつり上がった事をまるで第三者のように認識しながら、己が確かにこの場所に立っている事を確認するよう靴先で強く地面を叩く。
     それから腕を組み胸を張り、口を開いた。
    「そう、だな。久しぶりではないか。今は──何と呼べばいいのだ?」
    「以前のままで……『五九九番』で、結構ですよ。嫌味ですか?」
    「嫌味! 悪かった、まさかこれが嫌味になるとは思わなかったぞ!」
     細長い体躯に黒外套、黒い帽子を身に付けて。相変わらずの口調に、相変わらずの所作。けれど篠生は再会したその六六六人衆へ好戦的に返しながらも違和感を覚え眉をひそめた。何かが違う。何なのかは分からないが、何かが。それが分からなければ次に取るべき行動を見出せない、そう考えていると五九九番が帽子のつばを僅かに上げ、微笑んだ。
    「何故ここに私がいるのか、何をしに来たのか。それが分からない、で宜しいでしょうか? お仕事ですよ、闇堕ちゲームで生き延びた貴方の命を頂戴するというお仕事です」
    「私は死なんぞ!」
    「即答でその切り返しですか、良いですね。あの時……貴方がたはさぞ嬉しかった事でしょう、喜んだ事でしょう。たった一人の些細な命が散っただけなのですから、当然ですよね。けれど私は結果的に貴方がたのお陰で散々です。趣味を愉しむ時間は減り、たまに息抜きをしようにも以前ほどの満足感は得られず、挙げ句上からはあれこれ煩く言われる始末! しかもこのように目に見えて物騒な物まで携えるようになりました。これでは入店拒否をされてしまう……──なのに嬉しい。再会出来た事が……貴方を始末出来るという事が、こんなにも嬉しい!」
     狂気的な笑みを深めた五九九番の左手がなぞった物に目を向ける。腰に携えられた長い鞘は二本、無意識で息を呑んだ篠生は再び五九九番の顔を見た。
    「きっと私は変わってしまったのでしょうね、だってこれまでなら──例えば数日前のメニューを思い出す事が難しいように──基本的にすぐさま忘れていた『食事』との出会いを、貴方がたの事をいまだに覚えている。あ、いや貴方だけは何故かお顔以外しか覚えていなかったのですが。さておき貴方はどう思いますか? 嗚呼、叶うものならば胸糞悪くも素晴らしい時間を共有してくださった皆さんにもお聞きしてみたいものです。今の私と以前の私、どちらが正常であるのかを!」
     鞘から刃が引き抜かれる。両手にそれを持ち、周囲に光輪を生み出して、男は篠生へと靴音響かせ一歩踏み出した。
    「私、貴方をこちら側へお招きしたかったんですよ。とても。ですが、今は死の世界にお招きしたい……だから死のうじゃないですか。死んでしまおうじゃないですか! さぁ!!」
     ひとつ、ふたつ。この男の『日常』に割り込んだ出来事とその後の空白の時間が、何かを少しずつ壊したのだろうか。向けられている感情は明確な殺意と澱んだ好意。どろりとしたそれが篠生の足元に絡みついてくるような感覚を覚え、篠生は思わず大仰に跳ねて退いた。
     そして言葉を探す。今、目の前の男に告げるべき言葉を。これしかないというものはすぐさま思い付き、篠生は大きく息を吸い込み更に胸を張る。
    「心の底からお断りだともう一度言ってやろう! それよりも──あの時せずに終わった弁償、今度こそして貰おうじゃないか!」
     勿論、貴様のプライドで。
     あの時見た景色と会話を、鮮烈に思い出して宿敵へと告げた。
     
    ●それから
     まず最初に落とされたのは、短い溜息だった。
     それは呆れでもなく、落胆でもない。胸中に生まれた感情を例える適切な言葉が見付からず、その結果零されたものだった。
    「六六六人衆、五九九番。彼が武蔵坂の灼滅者を襲撃するっていう予測のお話だよ、鋭刃君」
     端的に告げられた本題の後に訪れた数秒の沈黙は、二階堂・桜(高校生エクスブレイン・dn0078)が目の前の席に座る甲斐・鋭刃(中学生殺人鬼・dn0016)の表情を窺ったからだ。
    「……前よりは冷静、だねぇ」
    「……また、会うだろうと思っていた。いや、望んで覚悟をしていた、か。同じ五九九番と思っていいのだろう、二階堂」
    「安心したまえ鋭刃君、本人的には不本意だろうけど同じ五九九番さ。では話を続けようか。五九九番から襲撃されるのは亜綾田・篠生君だ、これを放っておいた場合、篠生君は確実に殺されてしまうだろうね。だから急いで救援に向かって欲しいのさ」
     そこまでを告げ桜は一度話を区切る。再び反応を窺うように鋭刃を見れば何故、と声が零れた。
    「らしくない、気がする」
    「鋭刃君もそう思う? 実は複数の六六六人衆が闇堕ちゲームに勝利した灼滅者を狙って事件を起こしているようでさ。背景に高位の六六六人衆がいる……とか、そういうのかもしれないね。どこにでもあるのかなぁ縦社会」
     その辺の事情について推測する事は今はとりあえず置いておこう。そんな事を言いながら桜は話を戻す。
    「何故ならね鋭刃君、これはある意味チャンスでもあるのだよ。またしてもいわゆる『らしくない』話なのだけれど、逃げないんだ。五九九番は今回、いくら傷付こうが撤退しようとしないんだよ。篠生君か、あるいは五九九番がまだ知らない『不意の乱入者』が一人でも死なないうちは」
     その理由は分からない。もとより理解のし難い男だった。
    「だから理由を考えるのは後にして、これだけ頭に置いて欲しいんだ。今回キミ達は──『死ななければ勝てるかもしれない』って。キミ達は日々強くなっている。前回辛酸を舐めさせられた相手だとしても、立ち続ければ、行動を間違えなければ勝てると僕は信じている。僕ってさ、計算得意なんだよね」
     自分達が全滅すれば篠生が殺されてしまう。最優先は襲撃されている灼滅者の救出だ。けれど、灼滅者を暗殺しようとする六六六人衆を野放しにする事は出来ない。そして可能性があるのなら。
    「ものすごーく、頑張ってくれるかな?」
     そう言って桜はただ緩く、笑った。その表情のまま、溜息交じりで付け足された言葉がエクスブレインの話の終わり。
    「……歪んだ執着を覚えた者ってのは、酷くしつこいものだけれどね」


    参加者
    千布里・采(夜藍空・d00110)
    斑目・立夏(双頭の烏・d01190)
    天野・白夜(無音殺(サイレントキリング)・d02425)
    千条・サイ(戦花火と京の空・d02467)
    秋津・千穂(カリン・d02870)
    嶌森・イコ(セイリオスの眸・d05432)
    亜綾田・篠生(ピーキー・d09666)
    六条・深々見(狂楽遊戯・d21623)

    ■リプレイ

    ●一振り
     その時、亜綾田・篠生(ピーキー・d09666)はとても短く考えた。
     何故自分は「焦りを隠そうと強気に話すふり」をしているのだろう。一対一という、個々の力の差を考えれば相当不利な状況で、それはどれだけ有用なのだろう。
     何故、自分は。殊更大声を出すべく息を吸い込んだのか。威嚇の為か、ただ汚されたジャケットの恨みが根深かっただけか。
    「──勿論」
     違う。
    「貴様のプライドで!!」
     思い出された記憶の中で、目の前の男、五九九番と戦ったのが自分一人だけでは無かったからだ。

    「あけまして、おめっとさん」

     落ちたのは少年の声と風の音、右方向の死角を瞬間的に見定めた問答無用の斬撃だった。
    「あ、入った。久しぶりやな五九九番、喰らいに来たで」
    「!」
     僅かに反応の遅れた五九九番が振り向くも、声の主を見るより早く縛霊手がほうぼうから五九九番を殴り付け、網状の霊力を放出する。ちらと見えたのは星色と夜明け色、そして印象に残らぬ平凡な茶。
     次いで歌声が聞こえた。犬の鳴き声が二重に聞こえた。少女の声で恐らく名前と思われる単語が叫ばれた。
     五九九番は慌てず地面を蹴る。更に二方向から狙われているという感覚を掴んで身を翻し、立て続く奇襲から抜け出す隙間を探すも見つからず、状況を理解して、笑った。
    「これはこれは! 貴方がたはまるでエスパーですね!」
     ならば受け止めれば良いとでも言わんばかりに両手の刃で斬撃を弾く。冷めた目で、けれど楽しげに口の端を上げた少年、千条・サイ(戦花火と京の空・d02467)が「そういう事にしといたるわ」と返した。
    「……アンタ喰らうには相応しい場所やしな」
     奇襲と同時に一発殴り付けてから千布里・采(夜藍空・d00110)と秋津・千穂(カリン・d02870)の霊犬に守られながら退いていた篠生が眉根を寄せる。相応しい場所──確かにここは潰れてしまったファミレスの駐車場だ。そこである事に思い至った篠生は眉間の皺を深めて武器を構える甲斐・鋭刃(中学生殺人鬼・dn0016)に目を留めた。視線に気付いた少年は顔だけを篠生に向けてただ一度頷く。それだけで十分だった。
    「あの後すぐ、なのかしら。この店が潰れたのは」
     あの事件の後だ、無理も無い──人知れず最期を迎えていた事実に嶌森・イコ(セイリオスの眸・d05432)は呟き目を伏せる。あの時教室で、篠生がいる現場を聞いて感じたものを言葉で表すのは難しい。この場所で、あの日の商店街で、自分達の知らない何処かで奪われてきた命。等価交換になど到底足りない事は分かっている。けれど、二度と奪わせたくなかったから。
    「……その代償を、此処で戴くわ」
     響いていた歌声がキリの良い所で終わる。斑目・立夏(双頭の烏・d01190)は五九九番の逃げ道を塞ぐよう動きながら軽い口調で告げた。
    「わいも混ぜたってや?」
    「こんばんはー! 初めましてー♪」
     重ねられたのは片手をぴょんと挙げた六条・深々見(狂楽遊戯・d21623)の弾んだ声。先刻初撃を弾かれた事など気にした様子も無く笑う姿に、五九九番が「おや」と零した。
    「本当に、個性的で魅力的な方がいらっしゃる」
     そして歩を進めると一人の少年がぴくりと反応した。逃がす訳にはいかない、仕留めなければいけない。強い意志を込めた瞳を細めた天野・白夜(無音殺(サイレントキリング)・d02425)に気付き、五九九番は「安心してください」と笑う。
    「殺しに来ているのですから!」
     そして突如響いたのは寒気を覚える程に、恍惚とした叫びだった。
    「刺殺でも、斬殺でも……撲殺でも毒殺でも何だって構いません! 殺せさえすれば、死んでくれたのならば、私の胸に渦巻く訳の分からない感情の正体が見える筈ですから!」
    「気色が悪いぞ貴様!!」
     奇襲による傷を癒しながら無駄に通る声を張り上げる姿に、思わず更に退いた篠生が叫び返す。聞いていた白夜の表情は変わらない。けれど、静かに口を開いた。
    「……一度は、巻き込まれた市民を助ける為に戦った。……だが、凌ぐ事しか出来なかった、昔とは違う」
     食事を続ける日々に終焉を。今日を最後の晩餐に。五九九番からの返答は歪な笑顔。
    (「……大人の世界こわい」)
     光源を邪魔にならぬ場所へ置きながら、千穂は脳裏で呟いた。五九九番とは初対面、積もる話は皆に任せよう。そう思い聞き側に立っていた少女が得た感想がそれだった。
    「やっぱり、何か違うわ」
     あの時目にしていたからこそ感じる違和感、眉根を寄せ呟いた采を横目で伺って、小声で問う。
    「どんな風に?」
    「……どうにも言い表しにくい感じで」
     相手の裏側に潜む事情が何であれ、取り返しのつかない程こんがらがっていようが逆に酷くシンプルなものであろうが、千穂のすべき事は変わらない。
    「さて、今度は私から」
     五九九番の軽やかな宣言に千穂は縛霊手の中で拳を握る。
     刃が鋭く空を切った直後、月の形にも似た衝撃が放たれた。

    ●三度目の逢瀬
     五九九番にとって一番の壁は自分達だとサイは考えていた。それが崩れなければ律儀にこの場へ残ってくれるというのだ、こんな機会は他に無い。
    (「出口も横道も、今日は用意したらんよ」)
     頭の隅にあの時見た『心底けったくそ悪い光景』がちらついた。けれど腰に差したナイフを撫でて記憶の底に収める。
     油断してしまったら、楽しめない。少年にとってそれは酷く勿体無い事だから。
     放たれた衝撃が襲ったのは後衛達。自身が無傷な事を確かめサイは死角を探す。五九九番を殺害する為の経路を本能で探し地面を蹴る。同時に動いたイコが足下でくすぶっていた影を綻ばせ、蔦のように絡め取るべく伸ばした。
     それを見た立夏は二人の間に道を探す。見定めながら深々見へと目配せを送れば、少女はまるでスキップのような一歩を踏みながら手にした槍の柄を叩いた。槍に潜む妖気がつららへと変換されるなり深々見はそれを撃ち放つ。氷が弾ける寸前に火花のようなものが走ったのは、五九九番に肉薄していた立夏が拳へと雷を豪快に宿したからだった。
    「返り討ちにしたるさかい見てなや!」
     にぃ、と笑んだ立夏の高潮した声が響く。けれど、畳みかけるような連携の後に残ったのは目を細め、口の端を上げてゆらりと立つ五九九番の姿だった。
    「偶然は何度も続いたりしませんよ? ですが、少しはやるようになったじゃないですか」
     まだまだですけれどね、と灼滅者達に告げる声は心なしか弾んでいる。
    (「今まで戦った中で、一番の大物かなー」)
     深々見もまた、釣られるように目を細めた。
     どんな風に戦うのだろう。どんな風に殺そうとするのだろう。どんな風に──死んでくれるのだろう。
     すごく、すごく楽しみで思わず笑い声が漏れた。
    「……私が殺されないように注意もしなきゃだねー」
     薄いその笑みは、添えた手に隠れ見えない。
     魂の片割れたる霊犬へと采が目を向ければ、両耳をぴんと立てたその子は大きく一鳴きした。それで全てが伝わったから、采は解体ナイフを手に夜霧を生む。癒しきれなかった傷は相手の力量を見せつけるも、不思議と心は凪いだままだった。
    「上の煩い方々に言われて、一騎討ちなんて、らしいないわ」
     軽い挑発の意味を込め声を掛けてみると、五九九番はひょいと采に目を向ける。
    「本当ですね、と言いたい所なのですが、言われた事は切欠でしか無いのですよ」
    「切欠?」
    「気付かせてくれた切欠です」
     所々の、意図の読めない言葉達。どういう事かと問おうにも五九九番はくるりと身を翻す。
    「嬉しかった? 歓喜した? 冗談じゃあない!」
     そして、早口で言い放たれると同時に振るわれた縛霊手をトンと跳んで避けた。
     汚れる事が嫌だという感情は、今はどこかへ置いてきた。そも弁償して貰うのだからその時に纏めてしまえば良い──五九九番へ踵を鳴らし歩み寄った篠生は更なる早口で捲し立てた。
    「一名でも犠牲が出た時点で勝ちではない! 負けてもいないがなぁ! よって引き分けだ! しかし今回ばかりはグレーは出さんぞ! 無論白星は私達だがな!」
     根本から相容れない思考を持つ相手には、幾らぶつけても伝わらないかもしれない。現に薄く笑うだけの男にそれでも篠生は告げる。
    「弁償が済むまで、戦い続けてやろうじゃないか!」
     瞬間、癒しの力が込められた矢が五九九番の真横を駆け抜け深々見がその力を受け取った。矢の軌道を追えばその先には千穂の姿。
    「攻撃を仕掛けるだけが闘いじゃないの」
     凛とした声、そして瞳。闇へも誰も堕とさせない、それが千穂の闘い方。五九九番の視線が千穂へと向いたその隙に、深々見はするりと五九九番の背後へ回り込んで囁いた。
    「私ねー。正直なところ、貴方の在り方は嫌いじゃないんだー」
     何故なら、深々見もまた割と好きなように生きているからだ。
    「だから今日も好きなように生きるんだー」
     その為に、遠慮なく斬りつけた。今度こそ避けられなかったそれが五九九番の足を鈍らせて、地面にいくつかの朱を落とす。
    「ははっ」
     五九九番から漏れたのは笑い声。振り返った男と目が合った。
    「良いお顔、ですね」
    「ふふ、貴方の死に様、見せてもらえるかなー?」
     死ぬ気は無い。死なせる気も無い。その為にしなければならないのは眼前の六六六人衆を仕留める事。五九九番の刃ごと絶つべく、貪り尽くすべく無言で躍り出た白夜がまっすぐに太刀を振り降ろす。手応えの浅さに眉根を寄せた直後、両腕を広げた五九九番がぐるりと灼滅者達を見回したその時。
    「綾さんに目を付けた事は評価しましょう、しかし! 努力が足りません! もっと綾さんの生活の一部になって触れずに観察し行動パターンを把握してから襲う位の気概を持ちなさい! 私はそうしています!」
    「穐ちゃんの言う通りね。こんな輩に綾ちゃんは渡せないわ!」
    「あ、我々はただすごーく邪魔をしたいだけですので、お気になさらず!」
     遠くから聞こえたそれらの声に、五九九番が迷い無く篠生を見る。
    「……あちらのお三方はご友人ですか?」
    「我が一族の誇り高き同志だ!」
     腕を組み胸を張り、力強く答えた篠生。その瞬間五九九番との間に光輪が割り込んだ。
    「あの時以降、特訓していたんです」
     見届ける為、けじめをつける為、沢山の人から支えてもらったものを返す為。式守・太郎の放ったそれが篠生を守る。
    「俺も、縁切りを手伝いに来た、甲斐」
     別方向では力を込めた矢を引き絞りながら三角・啓が言った。振り返った鋭刃が頷けば啓の近くにいた聖・ヤマメがぺこんと頭を下げて風を招く。
     それだけではない。歌が、符が、炎が、影が、幾つも、幾つも。ただ一人を灼滅する為に。
    「……嗚呼楽しい。嗚呼、何故──私の中にまで入り込み、邪魔をするのですか! そう『何もかも』……何もかもが揃いも揃って! 結局、あの時の選択だって至極胸糞悪かったんですよ。それ以来食事を楽しめない、思うように力を得られない、得る為に時間を注いでも……そうですね、恥を晒してしまいましょう、私の底はすぐ間近に見えていた! 周囲の成長を気にして苛立つなど私らしくもない。焦燥感に駆られる私など、私らしくない! 私は『そうであってはならない』!」
     重ねられるそれらに五九九番はまるで先刻までとは別人のように、叫んだ。
    「私が楽になる為に、私だけの為に! 死んでください!!
     今も、灼滅者達は十分苦戦させられている。今立っている場所だって決して低くは無いのに、そこでは満足出来ない自分と、次に目指す高みが手を伸ばしても届かぬ位置である事に気付いてしまったばかりに少しずつ、壊れてしまっただけなのだ。
    「……五九九番さん、諸手の刀、ナイフとフォークには少し大き過ぎるみたい」
     イコが、ぽつりと零した。そして確認をする。
    「お店でのお食事は、二度とお愉しみにならないのね?」
     イコを振り返り見た五九九番は笑みを深めた。そして、答えた。
    「──そうですね、もう、終わりにしましょうか!」

    ●その後
     それは、殴り合いだった。ただただ全力をぶつけ合う、そんな戦いだった。地面に落ちる朱が増える。それは一人だけのものではなくて。
    「……ッ!」
     肩口をざくりと斬られた衝撃に立夏は精悍な身体を揺らして耐えた。痛い。熱い。けれど、楽しい。
    「なんや、味方に引き入れたいんとちゃうん?」
    「いいえ? 私はただ自然の摂理に従わせてあげていただけです。親切で」
    「……理解出来んわー」
     傷口を押さえすらせず口の端を大きく上げて、突っ込んでゆく背中にすかさず千穂が浄化の為の霊力を放つ。
    「塩豆!」
     同時に幾度も呼んだ名を呼べば、ただそれだけで千穂の足下を黒豆柴が的確に、皆の足元を縫って駆け抜けた。千穂と同じく、けれど名は無い霊犬へ短く言葉を掛けながら、采は最も当たりやすいであろう攻撃を素早く見定め放つ。
     初めは状態異常を重ねても早い段階で回復していたそれが、今は半ば無視されている事には薄々気付いていた。五九九番の中で優先順位が切り替わったのか、はたまた忘れてしまっただけか。
    (「……それを抜きにしても、前ほど距離を感じない」)
     距離だけではなく、間にあった筈の大きな壁も。それに理由を付けるのならば他でもない『自分達の成長』だ。
    「すごい、まだ死なないんだねー?」
    「そちらこそ!」
     足を絶たれ、外套を斬り裂かれ、帽子を落とし、それでもなお立ち上がろうとする姿に深々見が嬉しそうに飛び跳ねた。
    「今、行きますからね!!」
    「だから気色が悪いと言っている!」
     真っ直ぐ見つめてきた姿に篠生が叫ぶ。思わず投げたリングスラッシャーが五九九番の横腹を深く抉り生々しい傷口を露わにするも、男は刃を地面に突き立て身体を支える事で耐えた。
    「知っとる? 歪んだ執着てのを宿敵言うんよ」
    「成程、これが!」
     サイの言葉を受け放たれる真黒な殺気。空をも覆うそれに一人、二人と呑み込まれかけた、その瞬間。
    「五九九番さん」
     白銀の焔が、煌めいた。花が纏うそれをイコが酷く優しい動作で、けれど力強く叩きつけながら──告げた。
    「これでもう、おかわりもなしよ」

    ●End
    「……はは。結局、教えて頂けませんでした」
     焔は、燃え続けていた。
     静寂が支配する中で、男がゆるりと武器を下ろした。
    「ですが……名前、教えてあげます」
     それは不意に。
     それが意味するのは何なのか、考えるより先に男の口が柔らかな声でするりとひとつの名を紡ぐ。
    「……貴方達に出会っていなければ──」
     そして、男の膝が落ちた。それでもなお立ち上がろうとした瞬間、血だまりに足を取られ大きく傾いた。
    「本当に、最高に胸糞悪くて、楽しかったですよ」
     ──だから私を忘れないでください。
     ばしゃり、と湿った音が響く。
     それが男の終わりだった。
     優雅な食事ではなく、どろどろと歪んだ想いの終わりだった。

    作者:笠原獏 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年1月16日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 9/感動した 3/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 1
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