雪に聞こえぬ

    作者:斗間十々

     ごうごうと雪が舞っていた。
     山道は白く、視界も白い。そして、その坂を登る影もまた、白い。
     ――オオカミだった。
     一頭の狼は切り立った崖を目指し、そして足を止める。
     其処に在ったのは一軒家。崖の下には村が見渡せる、そんな場所。
     しかし誰も居らず、人の気配も無ければ、整備された様子も無い。カタカタと雪風に扉が揺れるだけ。
     まるで皆が忘れようとしているとさえ思えるその場所を狼は確かめたのか、それともただ足を止めただけだったか、再び歩き出す。
     狼が去るその背に、誰かが居ても、振り返らない。
     今の今まで居なかった筈のその誰かと手を繋いだ幼子は泣いていた。
     そして、その誰かはひたすらに繰り返していた。
     同じ言葉を、何度も、何度も。
     そして片腕を振り上げると、鈍く光る銀を、崖へと落とす――。
     

    「皆さん、スサノオにより古の畏れが生み出された場所が判明しました」
     花咲・冬日(中学生エクスブレイン・dn0117)は暖かな手袋を手に、灼滅者達を見渡した。見れば、マフラーもしている。
    「それが、雪の吹雪く、山の中です。崖を間近にした一軒家。誰も住んでいないそこに現れます。その『古の畏れ』の姿は――女の人、そして小さな子と、錆びた刃物」
     その酷く寂しい場所には、ある謂れがあった。
     その小屋は、ある女が棄てられた場所。
     女には子供が居たけれど、子供が飢えても、泣いても、女は崖の上に立ち続けた。
     同じ言葉を繰り返して。
     そして夜毎、錆びた包丁を崖に放った。
     やがて子供が骨になってもその手を繋いで、延々と同じ言葉を繰り返し、刃物を落とし――女はずっと其処に居た、というもの。
     女は真実、男に棄てられたのか、或いは村から追い出されたのか。
     放る包丁の意味も、男を恨んでいたのか、村への恨みか、それとも何か願掛けでもあったのか、今となってはもうわからない。
     けれど山の麓の誰もがその逸話を知っていて、知っているのに口を閉ざし、その場所に決して足を踏みいれない。
    「誰も話したがりませんけど、だからこそ避け、果ては畏れる何かがあったのかもしれませんね。でも、『古の畏れ』として顕現してしまったのなら――私達は灼滅しなければなりません」
     顕現したその女は崖に向かい立っていて、隣には手を繋いだ小さな子供――の、骨。そして、幾本もの錆びた包丁の塊が在る。
     包丁は数あるが、山となり積み上がり塊となっているので、一個体と扱って良いだろう。
     そのどれも、地に縛られたように鎖に繋がれその場所から動く事は無い。
     だから、灼滅者達は崖の近くまで行くしか無い。
    「時間は夜。ただでさえ視界も、足場も悪いから注意してください」
     女は崖の下を見続けて、言葉を繰り返す。
     灼滅者が到着すれば、聞き取れないその言葉は呪詛のように動きを鈍らせ、或いは長い髪の奥の瞳に見入られれば、トラウマとなるだろう。
     隣に居る骨の子供は、氷つくような声でずっと泣いている。二人とも包丁の塊に時に守られながら一歩下がった位置に居て、振りまくバッドステータスも侮れない。
     錆びた包丁は女の力を回復し続けるけれど、誰かがその女の傍に――つまり近接攻撃を仕掛ければ、その刃はその者に向く。
     今、それら古の畏れに、そこまでの脅威は無いといえど、女の姿はその中で特に畏れとして力を持っている。油断はしない方が良いだろう
    「それから……勿論、説得も会話もできません」
     冬日も思う所があるのだろう、そう付け加えた。
     これはあくまで、村人達が畏れる逸話から生まれたもの。曖昧な噂を元にした『何か』なのだ。
     それでもこの存在は地縛霊に似ている。言葉次第では揺れ動く事も在るだろう。良くも悪くも揺さぶるか、もしくは同じ人として、例え届かぬとしても声をかけるか――。
     冬日は一度目を伏せた。
    「最後に一つ。スサノオですが、この先の行方は予知がしにくいんです。でも、事件を一つずつ解決していけば、いつか必ず繋がっていくはずです」
     だから先ずはこの事件を――真実を知る事はもう出来なくても、その小屋に親子が居て、佇んでいた事だけはきっと確かなのだから。
     古の畏れとして生まれてしまったその人達を眠らせてあげてと、冬日は頭を下げた。


    参加者
    望月・心桜(桜舞・d02434)
    暴雨・サズヤ(逢魔時・d03349)
    土岐・佐那子(高校生神薙使い・d13371)
    結城・麻琴(陽烏の娘・d13716)
    フィア・レン(殲滅兵器の人形・d16847)
    暁月・燈(白金の焔・d21236)
    胡宮・愛(メリイメリー・d23390)
    天城・アカツキ(哭鬼・d23506)

    ■リプレイ

    ●雪がする道
     道はごうごうと雪が降っていた。
     かねてから聞き及んでいた天候だが、直に到着してみると随分と、寒い。
    「皆、大丈夫?」
      結城・麻琴(陽烏の娘・d13716)は足場を確認しながら仲間達に振り返る。雪靴で踏むと、ぎゅっと雪が軋む音がする。
    「……ん」
     もう一つのライトがフィア・レン(殲滅兵器の人形・d16847)から麻琴の足下を、そして行き先を照らし出す。今はまだ見えないその先に、古の畏れが――過去の亡霊が、目覚めている。
     フィアは、その先をじっと見ながら、思う。
     過去の亡霊が、今を生きる一般人に手出しするなら、容赦はしないと。
     だから踏むその足取りも崩さずに、進んでいく。と、
    「……苦しんでいるのでしょうね」
     雪に紛れて、土岐・佐那子(高校生神薙使い・d13371)の呟きが僅かに掠めた。
     暁月・燈(白金の焔・d21236)が顔を上げる。
     それを問いとみて、佐那子は続けた。
    「昔、何があったのはわかりませんが、今、今畏れとして生み出されその場に縛り付けられている事だけは、わかりますから」
     続くその言葉は、解放を願うもの。
     縛られているのは、遺されているのが悲しい思いだと思うから、燈もそっと頷いた。
    「そうじゃな」
     崖は近い。
     望月・心桜(桜舞・d02434)は前を見据えて、ゆっくりとかぶりを振る。
    「……ただ、悲しいとしか言えぬのが辛いのじゃが、未練は眠らせてやらんといけぬよのう。おっと」
     かぶりを振った勢いでよろめいたその腕を、暴雨・サズヤ(逢魔時・d03349)が取った。
    「……足下、注意」
    「ありがとうなのじゃ」
     戦う前から危険を強いるこの雪山に注意を強いていたサズヤは、真面目な顔で皆を見渡した。
     この場所はとても寒く、寂しい。けれど、――自分には皆が居るから。
    「行こ、……」
     う、という声が途切れた。
     あぁん、あぁ――と、聞こえるそれは子供の声。
     それに紛れて聞こえるのは、低く、低い女の声。
     いよいよか、と、天城・アカツキ(哭鬼・d23506)も気を引き締める。
     相対するのは初めて故慎重にと身構える後ろで、胡宮・愛(メリイメリー・d23390)は言葉を探していた。
     探しているけれど、見つかりそうに無い。その声をいくら聞こうと思っても、それは遠く。
    「聞こえないんです。……だから、分からないの」
     愛の言葉は、吹雪に消えた。

    ●向く刃
    『――――』
     それは雪の声では無かった。
     怨嗟のような、哀切のような、言葉にならない、ならないからこそ抉るような低い声。
    「……皆!」
    「まだ大丈夫よ! でも、回復は心桜ちゃん達に任せてるからね!」
     心桜とここあが下がり、前衛陣が前に出る――その陣形を作り上げた灼滅者達その動きをその声は留めてしまおうと、既に襲いかかってきていた。
     しかしそれを振り切った麻琴が踏み出して、その拳に雷を溜める。
    「ハァァッ!」
     そしてその拳は迷わずに女の隣に積み重なった包丁へ。まるで氷の塊であるかのように、ガギンッと冷えた感覚が麻琴を襲う。
     平気かと問い掛けるサズヤの視線に頷くその隙間を縫ったのは、フィア。
    「――Sie sehen mein Traum,Nergal」
     合間を縫う声とともに二振りの日本刀を引き抜いたその足は、バランスを崩さず、狙いもずれない。
     包丁がその場に留まるよう斬撃をくだし、凍えた音が辺りに響く。
    『――。――!』
     女がぐるりと顔を上げた。
     雪降る夜で顔すらよく見えないはずなのに、その奥の瞳は確実に灼滅者を見ている気がしている。
     魂すら凍えそうな陰鬱とした黒。
     ガン、ガキンと包丁が音を立てる。柄がぐるりと回り、女に向かう。女が包丁に手を伸ばす――。
    「……させない」
     ズ、と、女の前に声が振り下りた。
     女が向く。
     女の前には降り注ぐ雨のような青を宿した流麗な紫。
     雷を宿しながら誰より先に女に近付いたサズヤは、女に問うた。
    「……かなしかった? くやしかった? ……さみしかった?」
     ――…………!
     その瞬間、響き渡ったのは女の声では無く、
     幼子の声だった。
     ――アァァァン、アァァ――!
    「……!」
     小さな幼子はもう骨と化し、ぼろぼろの布切れを羽織るだけ。
     それでも必死に女の手を握ったまま、泣いていた。
    「悲しいのは、あなたもですね」
     びょうびょうと身を引き裂く冷たい風は、雪では無い。この幼子の声なのだと、燈は理解する。
     ぴきぴきと凍っていく感覚、しかしそれは暖かな風に掻き消えた。
    「ナノーッ!」
    「……ここあ!」
     ここあが心桜の言葉一つを受けて、浮き上がらせたハート。
     何も指示は無い、しかしこれが心桜の指示。
     その固い絆に感謝をしながら、燈は前を向く。
    「私達は倒れません。貴女の声に耳は貸す事は出来ませんが、聞く事なら出来ますから!」
     だから、全力を。
     燈の生み出した影が女を裂く。
     ガギンッと、包丁がサズヤ、燈へと矛先を替えた。
    「――!!」
     そのまま列をなして燈を引き裂いて飛び回る包丁の群れ。ガラガラと再び塊に戻っていく包丁を、今度はアカツキが鬼の手で殴り抜ける。
    「ええい、もう! 問答無用じゃのう!」
     その勢いのままがりがりと雪を削り女を見上げたが、女の瞳は空洞。
     一瞬ぞっとする気持ちを抑え込む。
    「汝、何故このような所に居る。何か未練があるのか……?」
     ぎぬりと、女がアカツキを見た気がした。
    「何か言いたいことがあるなら妾が聞いてしんぜようぞ! 妾だけではない、皆もじゃ!」
     アカツキはばっと片手で示してみせる。
     女は灼滅者達を見渡したように――感じる。
     隣の骨の子すら忘れたように、辺りを探る。
    「…………」
     愛は、ぎゅっとロッドの柄を握った。
     女を見ながら、子を見ながら、――積み上がっていく包丁の塊を打ち砕くべく、魔法の一閃を撃ちながら。
     言葉はやはり、見つからない。

    ●子の声、女の声
    「わっ」
    「……ぐ、」
     女の眼光に貫かれた前衛陣、その上包丁の切っ先は迷い無くサズヤと燈を順当に斬り裂いていく。
     眼孔の奥の暗闇がその身を蝕む幻を作り上、それが体力を蝕んで。更に幼子が、泣く。
     畳み掛ける吹雪のような一連に、次なる氷の衝撃に身構えたサズヤを、黒い影が被さった。
     見れば黒尽くめのビハインド、佐那子の『ヤトギ』がしんしんと立ち塞がる。
    「今じゃ、プラチナ。往くぞぉ!」
    「オーンッ!」
     ここあに並び、回復手を持つ燈の霊犬『プラチナ』。
     その身を盾にしながら、めまぐるしく動くここあに代わり、今、アカツキと共に傷を癒す役に立った。
     サズヤと燈の傷は深い。それでも、担い手を確実に分担している灼滅者達だからこそ、囮の二人も何の不安も無く踏み込める。
    「……」
     そして、回復手をここあに任せた心桜は、今だ倒れない包丁を影で裂く。
     力で押し切っても良い。早く、――終わらせたいと思うから、最後尾を担いながら小さく呟く。
    「早く、そのその恨みごとわらわたちが消してやるのじゃよ」
     吹雪く風が寂しいと――聞こえてなら無い。
     闇の空洞を宿して立ち続けるその女に。だというのに、まだ刃が邪魔をする。
    「固い、ですねっ!」
    「でも……終わり」
    「えっ」
     愛の雷が天から落ちて刃を崩す。がらがらと崩れ始めるソレを見極めて、漆黒が走った。
     ギン、と、刃を斬り落としたのもまた刃。
     フィアが居合いの刃を収めた先で、続いた佐那子もまた日本刀『縷紅』を上段に構えていた。
     息を吸い、吐いて、狙うは骨になった小さな子。
     骨の奥から声を張り上げる骨の子に、しかし佐那子の剣はぶれる事は無い。
    「すまないな、殺す事でしか救ってやれない……」
     ガッ――と、下段へと振り下ろす。
     女の足を止めるべく居たサズヤは気付く。子は、女の傍に隠れようとした事。
     家族を知らない、故に分からない事だらけでも、サズヤは子を見ていた。
     寂しいと告げるよう。
     寒いと告げるよう。
     それでも縋るのはこの女――『母親』なのか。
    「暴雨さん!」
    「!」
     一瞬気を取られていた。燈の声で一歩下がれば、目の前をふわりと麻琴の橙色の髪が走った。
     視線はちらりと女に向きながら、その子へと向き直る。
    「あなたも、あなたの母も、……もう、苦しまなくていいの。泣かなくて、いいのよ」
     抱き締める代わりに彼らが為すのは、灼滅の救い。
     穿たれる衝撃に、骨の子がかたかたと泣く。
     ――アァァ……!
     雪に紛れて子は一層激しく泣くがしかし、子は、泣くしかしない。
     女はその子の手を繋いだまま、しかしその子を抱き締める事もしない。
     それ程の妄執――この地に眠る『何か』。
     そしてその合間を縫って女は灼滅者達に暗い闇を見せつける。
     しかしそれが身を蝕む幻となろうとも、アカツキはええいと灼皇を横に薙いだ。
    「雪と闇夜なぞ何でもないわ! 主も辛気臭い面で攻撃してこんで、何か言ったらどうじゃ!」
    『――。――……』
    (「言っているはず……」)
     サズヤと共に囮として誰より女に近い燈も耳を澄ませていた。
     それなのに聞こえないのは、単に幻に過ぎないからか、畏れとして忘れ去られようとしているからか、それでも。
    「はっ……!」
     銀の髪を翻して、燈は優雅さを越えた荒々しさで女を影で縛った。
     ごう、と舞う雪は女の情念のよう。
    「あたしのガラじゃないけどさ」
     麻琴がぽつりと呟いた。
     踏み込んだフィアはまるで正確な殺戮人形のように、躊躇いは無い。
     二本の日本刀が抜かれる様がまるでスローモーションのように見えていた。
     佐那子が瞳を伏して黙祷とし、開かれればそこに、フィアの剣の軌跡と共に、子の骨が、鎖が、ばらばらと崩れていっていた。
    「それでも胸が痛い、のよ。……あなたにもね」
     それすら振り向かない女。だから麻琴の胸を締め付ける。
     きっと、どうする事も出来なかったのだろう――だからこそ、こんな風に。
    『――――!!!!』
    「……っ!」
     雪が一層強く舞い上がった。
     それは攻撃となり得ていないはずなのに、吹き飛ばされそうな怒気をフィアは感じる。
    (「怒気……?」)
     燈は目を細めた。
    (「いいえ、これは、泣いてるみたい、です……」)
     愛がロッドを握ったまま眉を下げる。一瞬気圧されそうになった前で、女の身をウロボロスブレイドが巻き付いていく。
     サズヤの刀身がぎりぎりと女の身を裂くように縛っていた。
    「気付いている、のか……?」
    『――――』
    「……」
     気付いているのかも知れない、と、空へ慟哭する女にサズヤは感じた。
     その手が、一層強く誰も居ない誰かの手を握っている。
    (「家族、か……」)
     斬り裂いた斬撃の音に、また金属の音が混じった。
     それは、女と地を結ぶ鎖。
    「未練。いや、縛られておるのか……? わっ!」
     アカツキが攻撃手に回ろうとした直後、また女の声がサズヤを、フィアを、前衛陣を諸共巻き込んだ。
    「忙しいのう、妾とここあの癒しを受け取れー!」
     アカツキが癒しを、ここあが痺れを、その手は中々攻撃へと回れない。
     しかし攻撃は攻撃手――ここあを回復一手に任せた心桜が、きっとマテリアルロッドの切っ先を向けた。
    「子は、死んでしまったのじゃよ」
    『――』
     女は、返さない。
    「その手の先は、誰もおらぬのじゃよ!」
    『――――』
    「子どもが死んだことも気づかぬほど恨みに憑かれているのじゃったら、早う消してやる!
     次はこんな悲しい思いで目が覚めぬように、深い深い、優しい闇まで!」
    『――――!!』
     その決意と共に振り下ろされたマテリアルロッドは幾度も幾度も女の身を爆ぜさせた。
     ぐらりと揺れるその身、その鎖の先に、キンと刃の音が重なった。
    「現世にあなたの居場所は無い、さぁ、終わらせましょう」
     畳み掛ける佐那子の刀。
     フィアの正確な切っ先と、燈が身を砕く。
    『――嗚呼……』
     女が崩れる。崩れていく。
     片手はもう居ない子と繋いだまま、崖に向かえばその手を求めるように伸ばしていく。
     その手を掴む、女が望む結末はもう迎えられない。けれど。
     ――ガゥン、と、骨の胸が砕け散った。
     その妄執ごと撃ち抜いたのは、愛のバベルブレイカー。
     幻が、骨が、刃ががらがらと崩れるような音を立てていく。
     ――寂しい。会いたい。この子と共に。その想いが消えていく――
     ごうごうと雪が吹雪く中、その声が聞こえた気がした。
     そして最後の最後で愛は言葉と見つけた。
     ただ、一言。
    「今度は、……一緒に居られるといいですね」

    ●そして還る道筋にて、
     女が消えても、子が消えても、刃が消えても吹雪は止まない。
    「これで良かったのかのう……」
     ぽつりと呟いたアカツキは、燈が静かに祈っているのを見た。
    「貴女達を縛るものは、もうありません。どうか、安らぎを―――」
     それも、一つの供養になるのかもしれないと、アカツキも隣に並ぶ。
     言い伝えられたからには、実際にそんな境遇の親子が居たからだと思うから、麻琴は誰も居なくなった崖を眺めて。
    「とても悲しい物語よね。こんな形で現れてしまった事も」
     ――幸せな結末は齎してあげられなかったけれど、と、拳を握る。
     精一杯の事は出来ただろうかと問うような拳に、心桜がそっと掌を重ねた。
     その手は、生の温もりで暖かい。
    「……花を供えたかったのじゃ」
     心桜はそっと言った。
    「けど、この雪では無理じゃろうなあ。せめて春になったら笑えるように、種でも置いておこうとは思うのじゃ。それに……」
     言い掛けた心桜の言葉が止まる。
    「ん」
     と、サズヤが何かを差し出したのだ。
    「……何ですか、それ?」
     佐那子は短く問い掛けた。
     サズヤの手に合ったのは、ぼろぼろになった布の切れ端。
     佐那子もサズヤもその口数は多い方では無く、故にサズヤは指差して答えとした。
     小屋を覗いてみた事。何か無いかと探してみた事。
     親子の真実は何も解らなかった事。
     しかし、――。
    「……きっと、いた」
     布切れは、骨の子供が羽織っていたような赤色をしていた。
     灼滅者達は、恐らく真実の一欠片だろうそれを包んで、崖に添える。
     布に包んだのは心桜の花の種。
    「わらわ達は……忘れぬから」
     吹雪は消えぬけど、春にはきっと花が咲く。
     忘れられずに、花は並んで芽吹くだろう。
     それで良いのだろうと、愛はきゅっと胸の服を掴んだ。
    「あれ、そういえばフィアはどこじゃ?」
     そんな愛にホッカイロを渡しながら尋ねたアカツキに、愛はくすりと笑みを浮かべた。
    「すぐに帰っていきました。恋人が居るから、だって」
    「まあ……!」
     つられて燈も微笑んで、それでは自分達もと誰ともなく山を下り始める。
     誰かが振り返った崖の先には、もう泣く声も、低い声も、響かない。
     吹雪く白は、忘却ではなく温もりをと、誰もがそのみちすがら祈りながら。

    作者:斗間十々 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年1月27日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 2/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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