ソウルボードの壊れる音がした。
それは、壊したことがある者だけが識っている音。
硝子が砕け散るような。
誰かの甲高い悲鳴のような。
警鐘にも似た、耳鳴りのような。
どれでもあって、どれでもない。寧ろ、音なぞなかったのかもしれない。
酷く朧気で、酷く曖昧な風景の中、ただはっきりとしているのは──、
この手が、『あの人』を『壊した』こと。
「パパもママもみんな、『ももか』『ももか』って……! もう嫌!!」
ちいさな少女の涙混じりの叫びが、白ばかりが広がる空間に響き渡った。
土も、葉も花も。何もかもが雪のように白く染まる花畑で、少女の傍らに座る娘は、その震える声をただ静かに受け止めた。無意識に弄っていたポケットの中の桃色のお守りから手を離すと、肩を寄せ、そっと触れた少女の髪を柔らかに撫でる。
『そうっすよね。ななみさんだって、テストで満点取ったり、かけっこで1位になったりしたのに……』
娘の声で紡ぐ、それは娘のものではない言葉。
けれど、内なるもうひとりの自分──『千結』がそう言うであろうことは、誰よりも娘が良く識っていた。誰かを護りたいと、強く望んでいたことを識っていた。
だからこそ、娘は探し当てたのだ。
もうひとりの自分が求めていたものを。
自信もなく臆病な千結が漸く見つけた、『誰かを護る』という存在意義。それを満たすための力無き者──親や大切な人からの愛に飢えている、子供を。
彷徨い程なくして出会ったのは、生まれたばかりの妹を持つ、ななみと言う名の少女であった。
妹に両親の感心をすべて奪わたななみの夢へと忍び込むと、娘は忽ちその闇を払い世界を白く染め上げる。
静かに広がる雪原のような場所へと変えた魔法。
それは、鬱屈した感情に染まり始めていたななみが心を許すのには、そしてその病的なまでの白さから目を背けさせるには、十分すぎるものだった。
「……もう、みんなあたしのことなんてどうだっていいんだよ! ももかさえいれば、あたしなんて……!!」
『そんなことない。……自分がいるっすよ、ななみさん』
吐き出すように語尾を荒げる少女へ、『千結』であればするであろう抱擁をした。愛おしむように頭を撫で、背中へと回した腕に力を込める。
『自分は、ななみさんのこと大好きっす。ななみさんがいなくなるのなんて……絶対嫌ですから』
「千結ねえ……」
胸へと額を押しつけてくる少女を抱きしめながら、娘はそっと内へ問う。
『不安っすか? ……大丈夫、ちゃんとこの子は救えるっすよ』
──救いたいんだものね、千結は。
『この子には千結が必要なんすよ』
──怖いんだものね、千結は。
必要とされないことが。棄てられることが。愛を、失うことが。
だから、壊してあげる。
『お前なんてあの人にとっては必要ない』
『あの人が構いたくなる、放っておけない人間なんて余るほどいる』
『棄てられる』『きっとそのうち』『絶対』『……それなら、いっそ』
千結がいずれ立派に自立したら、いい加減子離れをしなければ。
そう思っていた『あの人』──育ての母との別離を恐れた千結をそうやって唆し、千結の手で彼女を『壊した』ように。
こうしてななみへと差し伸べている手に、意味などないと。救いになどならないのだと思い知らせて──そうして今度は、千結を『壊す』。
『……自分が、ななみさんを護るっすよ』
「ありがとう、千結ねえ。……千結ねえだけだよ。あたしを見てくれるのは……」
そう縋るように抱きつく少女の背を幾度も撫でる娘の、その白いヴェールの波間から見える口許に歪な笑みが浮かんだ。
●
「お、お待たせしました……!」
背にかかるミルクティ色の髪を揺らしながら音楽室へと駆け込むと、小桜・エマ(中学生エクスブレイン・dn0080)は既に集っていた灼滅者たちの前で足を止めた。大きく肩で息をしながら、ひとつ呼吸を整えて顔を上げる。
「……今回のは普通の依頼じゃねーんだな? エマ」
「さすがですね、カナくん。ご明察です」
「さすが、って……お前がそんなに慌ててるのなんて、珍しーことこの上ないだろ」
多智花・叶(小学生神薙使い・dn0150)の呆れを孕んだ声に、エマはほんの少し緊張を解くと苦笑混じりにほわりと笑う。
「で? 何があったんだ?」
「そう! 漸く……漸く、見つかったんです! 先月の新宿防衛戦で闇堕ちした、最後のおひとりが……!」
埜々下・千結(五つ数えて杯は零ちる・d02251)。
シャドウとなった彼女は今『ななみ』という少女の夢の中にいる。
「表面的には、いつもの千結ちゃんと変わりありません。強いて言えば、少し落ち着きがあるくらいで」
だが、彼女の精神の殆どはシャドウに塗り潰されてしまっている。
白いワンピースに、白いヴェール。長い藍色の髪は下ろし、一輪のひまわりの花を大切そうに抱えた娘が喚ぶ、それはまごうことなき悪夢だ。今はまだ美しく優しい夢だとしても、それはいずれななみを喰らう闇となるだろう。
「だから、そうなる前に千結ちゃんを助けて欲しいんです。……どうしても、無理なときは……」
浮かぶ躊躇いに、ちいさく口を噤む。
救えなければ、意味するものは完全なる闇堕ち。そうなってしまっては、より多くの被害が出てしまうことは明白だ。
言いたくはない。言わずにおければと伏せた瞳をもう一度見開き、娘は灼滅者たちへと視線を巡らせ、告げる。
「──灼滅を」
手元の音楽ファイルを繰りながら語るのは、千結へと繋がる情報の欠片たち。
「夢の中に入ったらすぐ、ななみちゃんと千結ちゃんの姿が見えるはずです」
同じような想いを抱き、同じように愛を求めるふたりの少女。
ななみも気がかりではあろうが、それでもそこはななみの夢だ。夢の中で千結へと語りかけた言葉がそのまま、ななみの心を揮わせる。千結を救うことこそが、ななみを救うことにも繋がるのだ。
「千結ちゃんはまだ、完全には闇堕ちしていません」
故に、まだ声が届く。
一度では届かなくとも、重ねることで伝わる気持ちはあるはずだ。
とは言え、千結に語りかけるのも容易くはない。
自信がなく臆病で、自分の価値を見出せぬ彼女。
交流してくれる人たちが大切だからこそ、嫌われたくない。失いたくないと、笑顔のまま自分を表に出さずに過ごしてきた千結の、その己への不信感は相当に根が深い。上辺だけの言葉で千結を肯定したとしても、彼女は全力でそれを否定するだろう。
また、己の力を、延いては己の存在意義を見出せぬ彼女だからこそ、シャドウだけではなく、千結自身がななみを救いたいと願っている。
だからこそ、千結はシャドウの行動に抵抗することはない。寧ろ、ななみを救おうとしているシャドウの行動を安易に邪魔すれば、千結自身も灼滅者たちを敵と見なすだろう。戦いは避けられないとしても、ありきたりな言葉ではない、彼女の求めている言葉や行動で応じる必要がある。
「……何となくだけど、おれ、解るかも」
叶が、僅かに俯き短く零す。
形は違うけどさ。母さんを……大切な人を失う怖さは、知ってるから。続く少年の言葉に、浮かびかけた憂いを払ってエマが笑う。
「……カナくんみたいな子なら、千結ちゃんの気を引けるかもしれませんね」
親、家族、大切な人。その愛に飢え、愛を求める子供。それはまさしく、千結自身でもあるから。
「みなさん。どうか……お願いします」
千結も、そして此処にいる者たちも。
誰もがもう、何も失わずにすむように。
紡がれた縁が絶えぬように。
エクスブレインの娘は、そう祈るように瞳を伏せた。
参加者 | |
---|---|
喚島・銘子(糸繰車と鋏の狭間・d00652) |
椎那・紗里亜(魔法使いの中学生・d02051) |
北郷・水辰(乱刃業時雨・d04233) |
小鳥遊・優雨(優しい雨・d05156) |
淳・周(赤き暴風・d05550) |
雨来・迅(見定められた雷の宮護・d11078) |
萩原・旭(セイギノミカタ・d12752) |
アスル・パハロ(星拾いの瑠璃鳥・d14841) |
●憂う心
視界が白で塗り潰された。
病的なまでに白い世界。けれど誰しもが感覚で認識する。ここは、紛うことなくソウルボードだ。
北郷・水辰(乱刃業時雨・d04233)が軽く手を振れば、千結に抱きしめられたまま、瞳に僅かな怯えを映したななみが尋ねる。
「……誰?」
「驚かせたのなら悪かった。俺は水辰だ」
「はじめて。アスル・パハロ、です」
「私は銘子、この子は杣。千結おねえちゃんの友達よ」
お辞儀をするアスル・パハロ(星拾いの瑠璃鳥・d14841)に続いて、相棒の霊犬共々名乗った喚島・銘子(糸繰車と鋏の狭間・d00652)は、普段と変わらぬ調子で「のっち元気だった?」と笑いかける。
ななみを驚かせぬため、千結の邪魔をしに来たと思われぬ為、まず言葉を掛けたいと願うのは最もでもあったし、だからこそ小鳥遊・優雨(優しい雨・d05156)は黙っていた。
萩原・旭(セイギノミカタ・d12752)と淳・周(赤き暴風・d05550)もまた、千結との縁がない故に様子を窺っていた。けれども彼等も苦しむ人を救いたいと願うヒーローだ。だからこそ今、ここにいる。
「千結ねえの……友達?」
『……知らないっす。『自分』は』
「そんなことないのよ? ほら」
疑念の色を強くしたななみへと、しゃがんだ銘子が写真を見せ、「2人の力になりたくて来たんだ」と、アスルと千結の同居人である要が継ぐ。
「ちーは俺の大切な友達で、ちーの友達のナナミも、俺にとっても大切な人。だからね。2人が困ってるんなら、一緒に考えよう?」
「おう、三人寄ればモンジュの知恵って言うしな!」
「そのためにお2人をお迎えにきたんですから」
続く多智花・叶(小学生神薙使い・dn0150)と椎那・紗里亜(魔法使いの中学生・d02051)の言葉に頷き、雨来・迅(見定められた雷の宮護・d11078)もななみへと柔和な笑みを向ける。
「ななみちゃんが今まで我慢できたのは、人を想える優しい子だから。だから、ななみちゃんが帰ってこないとみんなとっても悲しいよ」
「そんなこと……パパもママも、あたしがいなくたって……!!」
「──ももかちゃんはパパやママが構わないと生きられない事……分かっているのじゃない?」
銘子の眼差しをななみも息を飲み見つめ反す。幼くとも、姉だ。人の言葉を受け止める姿勢が確かにあると、見守っていた優雨は確信する。
「ももかちゃんと初めて会った時、小さくて、可愛くて……とても幸せになったんじゃないかな?」
倣ってしゃがみ込んだ紗里亜の、優しい声音。
多忙な両親に代わり幼い弟妹のために家事を担ってきたからこそ解る、淋しさ。
「でもね、それはあなたがお姉ちゃんになったってこと。本当は、ももかちゃん大好きなんだよね?」
問いへの答えはない。
が、沈黙が答えでもあった。歳の離れた妹を持たずとも、やはり偏ってしまいがちだろうことは周にも容易に想像ができる。それが子供なら尚更、納得いかぬものだろう。心に寄り添いながら、周はななみと視線を合わせる。
「姉ちゃんはつらいよな。でも、ももかだって物心ついて来たら慕ってくるぞ? 大切に想えば、いつか報われるぜ」
「そう。ご両親は今まで貴女を愛し守ってきたのと同じ事を妹にしているだけ。……今度は、貴女の番じゃない?」
「あたしが……?」
妹を、護る。
考えもしなかった言葉。揺らぐ心を察した迅の視線に首肯すると、水辰は僅かに瞳を緩めて言葉を添える。
こうして語る言葉が、千結にも届くように。
「自分の好きな人を信じて、伝えてみてほしい」
『好き』とか『ありがとう』とか。言わないと伝わらない言葉はたくさんあるから。
「ああ。話せば伝わるさ。お父さんもお母さんも、言葉にしないだけで君をちゃんと見てるんだから」
小さな頃は、親に相手にしてもらえず拗ねることなぞ良くあること。容易く解決できるものでもないからこそ、旭もまた、言葉を継ぐ。
「寂しい、言ってみよ。ワガママ、言っても。嫌いなんて、ならないよ。大好きって、パパ、ママに。言ってみよ」
開かれたままのちいさな掌をそっとアスルが包み込めば、ななみもまた、アスルへ、灼滅者たちへと視線を巡らせる。
「……いってみる。さびしいって。パパもママも……ももかも、大好きだって……!」
晴れやかに笑うななみに周囲の表情も自然と緩んだ、その時。
『ほら。お前は何にもできない。千結のことは誰も、必要としていない』
ヴェールの下から、シャドウの嘲笑うような笑みが見えた。
●悲しみの心
「違うんです、私達……!」
悲鳴にも似た紗里亜の言葉に、すかさず重なる声。
『無駄っすよ。お前たちが千結にとどめを刺したんすから』
笑みを堪える声に、優雨が柳眉を寄せた。
「……これも企みの内ですか?」
『まさか』
「──来るッ!」
突如湧き上がった影茨に、旭は仲間へと告げながら後ろへ飛んだ。
『全員『壊して』あげるっすよ──まずは、お前から』
「させません……!」
迅へと狙いを定めたシャドウが動かんとした瞬間、優雨の全身から堪えていた殺気が一斉に解き放たれた。闇のごとく無尽蔵に、一瞬にして視界を埋め尽くしたそれは、シャドウもろとも白を喰らう。
「嫌がっても連れて帰りますよ、絶対に」
優雨に頷きながら、周は手に持つ盾を一気に展開させた。こうして誰かを護る姿で、千結が己を取り戻す一助になれば。そう願う周の傍らを旭が飛び出した。身を低くして一気に間合いを詰めると、闇に乗じて死角から痛烈な一打を見舞う。
千結ばかりに気をかけていては、ななみの方に敵対視されてしまう。
その予想は正しかったが、千結もまた、己の存在意義を見つけるためにななみを救おうとしていた。
だからこそ、ななみへ声をかけるのであれば、千結への配慮も必要だったのだ。一言二言であれば、まだ良かっただろう。だが、ななみへと言葉を紡げば紡ぐほど、千結が望んでいた『己の存在意義』を奪うこととなる。
それは、シャドウにとっては願ってもない好機。
まさに彼女は、千結には誰も救えやしないのだと思い知らせ、その身体を我が物とする機を狙っていたのだから。
「……でも、まだ終わってない」
とうに覚悟は決めている。
握りしめた拳。手首に掛かるブレスレット。星砂の小瓶。トンボ玉。それは、確かに『千結』がいたという証たち。
「千結ちゃん……!」
幼い頃から幾度も、幾度も。
名を紡いでくれた大好きな声に呼ばれ、シャドウが、否、『千結』が瞠目する。
『っ……迅、に……っ』
『お前……邪魔、するなっ……!』
片や零れるように。
片や弾けるように同じ声が重なった瞬間、数多の御霊が形作る巨手が娘の身体を正面から捉えた。強打と共に解き放たれた霊力が動きを奪えば、踏み込んだ紗里亜の斬撃が、眩い軌跡を宙に描いて肉を断つ。
「ヤマトくんの誕生日で千結さん指切っちゃって。料理、苦手なのに頑張ってくれたんですよね。その気持ち……嬉しかったです」
「ななみちゃん。本物の優しいおねえちゃんを取戻すから離れてね」
「こっちは任せとけ!」
ななみの手を取り駆けてゆく叶を肩越しで見送ると、銘子は静かに手袋を外して地を蹴った。
失ってしまうかもしれない。
どうしようもなく震える掌。それでもきつく握って作った拳を、間合いを詰めたその懐へ、奮い立たせた心のままに叩き込む。
「ねえ、のっち。傷つけたくないって言うけど……代わりに来る私達を自身の手で傷つける事は考えなかったの?」
『馬鹿っすね。千結は誰も──』
「誰も助けに来ないとでも思った? 見縊らないで頂戴。貴女を取り返すためなら、地獄の果てまで。ね? ざとみー」
「喚島の言う通りだ。……それと」
先の新宿防衛戦で共に闘った彼女。君が守ったものの中に、確かに俺はいたから。
「あの時はありがとう。……君は自分が傷ついてでもみんなを守ろうとする強さを持ってるし、守れてるんだ。だから……君『を』好きな人たちを信じてくれないか」
「うん。水辰くんも、銘子ちゃんも……勿論僕も」
ナノナノの棗と共に声掛けるのは、千歳 。彼もまた、【アプリ開発部】──古巣の仲間。
「ここにいる皆、君ともっと一緒にいたいって思っている人ばかりなんだよ」
大丈夫。怖いことなぞない。
居場所は、確かにあるのだから。
『──うるさいっすよ』
可憐な姿に似つかわぬ低い声。苛立ちを孕ませたシャドウは、瞬く間に影茨でアスルを捉えると、その喉元をきつく締め上げる。
『ほら、千結。『友達』が見てる前で『コレ』を殺す。そんなお前を、誰が愛してくれると思うっすか?』
『や……め、て……!』
「……こんなの、されても。嫌いなんて、ならないよ」
擦れる息が零れると同時、アスルの足許で闇が爆ぜた。煌めく光を抱く、それはまるで満天の星空。流星のように伸びた一筋がシャドウの四肢を絡め取ると、代わりに影茨は少年の身体を解放して主の許へと戻る。
「そうよ。ここには貴女を嫌う人や簡単に倒れる人は誰も居ないわ」
勿論、私もね。
そう銘子が続ける間にすかさず身を包んだ霊力。水辰と霊犬・杣の治癒に視線で礼をすると、未だ痛む喉に触れながら千結を見つめる。
胸には、貰ったオカリナ。
大切なものをこの手で消した心を識る者として、問い掛ける。
「ノノは、ルー達と。逢えない間、寂しい。なかった?」
自分だけではない。
ここにいる皆が、失った笑顔を想い、淋しさを抱いていた。
「ノノは、ルーの事。嫌い、なりましたか? ……ルーは」
ノノの事。
嫌いなんて、ならないよ。
●望む心
『ははっ……なんすか、これ……』
見開かれた漆黒の瞳。
頬を伝う一筋の涙に、シャドウが戦慄く。
『千結。忘れたんすか? お前は誰も救えなかったんすよ!!』
「違う!」
凛とした声。白を震わせたそれは、やはり闇を識る硝子。
「少なくとも、貴女がその手を伸ばしてくれたから、私は今、灼滅者として、ここに立っていられる!」
『自分、が……?』
「そうです! 忘れないで! 貴女が差しのべた手で、私は救われた!」
「なあ、このままシャドウの為すがままにしてもいいのか?」
周の問い。
憧れるから努力する。たとえ張りぼての希望だとしても、それは紛うことなく、救われる者には確かな光。
『嫌われたくない』は『傷つけたくない』から。
支えたい。救いたい。けれど、己がそれを成して良いのか解らない。それが千結という、労りと思いやりを識る少女なのだと旭は思う。
「俺なら本音でぶつかって欲しい。それがお互い気に入ってる相手なら特にな」
「そうです。相手の気持ちなんて、求めてるだけではわかりません。だから、自分の気持ちをぶつけるんです」
その優雨の言葉に、迅が強く瞳を閉じた。
灼滅者。ソウルボード。あの頃は何も知らなかった。千結がどれほどに苦しんでいたのかも。
灼滅者になり、ダークネスを知って。娘の心を知る機会なぞ、幾らでもあったはずなのに──けれど、どうしても日常を忘れられなかった。
「……馬鹿だよね。だから謝りたいんだ。どうしても。許されなくても。……本当の君に」
『迅、に……い……』
『やめるっす……! ──千結。聞く必要なんてない!』
足許の芥子の花が大きく揺らぐ。たまらず再び影茨を放とうとしたシャドウの前へ、夏蓮が両の腕を広げて仁王立つ。
「私たちの好きって気持ちで、のっちの寂しい気持ちとか全部埋めさせてよ……! 帰ってきてよ……!」
「そうですよ。皆、あなたの帰りを待ち望んでいるんです」
「石弓さん、睦月さん、真夜さんも……」
紗里亜の弾む声に微笑む、クラスメイトたち。
「たとえ拒まれたって、何度でも手を伸ばす。それが私の誓いですから~」
これ以上、千結に誰かを傷つけさせやしない。
それは、闇堕ちした真夜を案じた彼女もまた、望むこと。
「千結さん。たとえ貴女が忘れてしまっても、貴女のことを見てくれている存在は、今も貴女のそばにいるのですよ」
『みん……な……』
「キミは、キミが考える以上に。キミが大事に想う人達すべてに想われて、愛されてるんだ」
依頼で知り合っただけの縁。それでも、さくらえもまた千結を想うひとり。
もっと信じて。
皆待ってる。──だから
『鬱陶しいっすね……みんな一気に殺──っ、お前……!』
「聞こえますか? 千結ちゃんを呼ぶ仲間の声が」
一瞬にして間合いを詰め、優雨が背中から千結を抱きしめる。
「こんなにも思われているんです。必要とされているんですよ。わかります?」
『あ……ああ……』
『千結!』
「あたし、千結さん大好き。だからあたしの事も好きでいてくれると嬉しい!」
「ねえ、ちゆさん。己の闇に代わって貰って良かったって思わないで。その言葉は、君を愛する人の存在を蔑ろにするものだから。──絶対に、思わないで」
【駄菓子「矢野屋」】の仲間──真琴とギュスターヴが真っ直ぐに千結を見つめ、レイシーが変わらぬ笑顔を向ける。
「俺は見返りなんて求めてない。強いて言えば、千結が楽しそうなのが見返りかな。だから、この件は怒ってるぜ。すっごく心配したんだからな」
『う……みん……な……』
「ほら、千結のこと必要な人がいっぱい居ること、痛感してくれたかしら」
ななみも千結も、ばかね。そう柔らかに笑むのは【黒寝古書店】の壱。
「『全部大切』なのよ。どれか、なんて選べない。──だから、全部護るわ。ここでシャドウに勝てば、千結だって全部『護れる』でしょ? ねー? 嵐、しゅが」
「だね。だからこの状況に抗わなくちゃ」
求める心は、どれほど我儘でも、どれほど間違っていても構いやしないのだから。
「うん。俺も、君がいないと、困るんです」
兄を亡くしてから気づいたその大切さ。その想いを繰り返さぬために。
「帰りましょう。ななみさんも一緒に。俺たちには、まだ沢山、時間があると、思うんだ」
「そう、キミがキミを望むなら、我らがキミを引きずり出すのだ!」
頷き続く有無の傍らから、ハナもまたありったけの声で叫ぶ。
「笑っている人は本心を隠して笑うことも多いから、無理しないで相談してって……あの時の言葉、そのままお返しするわ!」
寂しいのなら、わたし達がいるよ。
力になりたいのは、ここに集まったみんなそう。
どんな相手だって、大切な人が心から笑ってくれるのなら強くなれる。
「チユちゃんだってそうでしょう? ナナミちゃんを守るなら、シャドウじゃなくて自分自身で守りなさい!」
「ななみも、頼む。声をかけてくれないか」
肩越しに水辰が願えば、少女はひとつ息を飲み込み、辿々しくも音にする。
「……みんなの言葉も、すごく嬉しかったけど……でも、あたしを最初に見つけてくれたのは、千結ねえだよ」
誰にも見つけて貰えなかったちいさな心。
それを掬ったのは、他の誰でもないあなた。
「埜々下は『まだ戦える』んだろう?」
それは、先の戦争での千結の言葉。
「一緒に戦ってくれないか。本当は解ってるはずだ。ここでじっと寄り添ってるだけじゃ、君もその子も、本当に傍にいて欲しい誰かに届かないって」
「人は守られるばかりは救われないわ。思い出して、のっちはどうだった? 貴女はこの子と一緒にここを出て、伝えたい事を相手に伝えなきゃ」
「ななみちゃんのこと好きですか? なら護って下さい。あなたの手で──あなたのシャドウから!」
『ああ……ああああああっ!!』
シャドウか。
千結か。
どちらのものとも解らぬ叫びに、優雨が抱きしめていた力を緩めて距離を取った。誰もが皆、己の獲物を構えて攻撃を紡ぎ始める。
『正気っすか……!? い、今攻撃すれば千結の命も──ッ、千結!』
「シャ、ドウ……もう、ここで……終わりっす」
全神経に意思を巡らせる。
戻ってきた痛覚に顔を顰めながら、それでも千結は歯を食い縛った。
無理矢理にでも、奪い返す。
腕に、脚に、残された力をすべて注ぐ。
大丈夫。
だって、周りにはこんなにもたくさんの仲間がいてくれる。
「この、身体は……自分の、ものっす……!」
『千、結……っ、千結────!!』
たくさんの光が、一瞬にして爆ぜて。
もうひとりの自分の声は、途絶えた。
●そして、幸い満ちて
「ノノ、ノノ……!」
「……ルー、くん……」
ふえーと泣きながら飛びついたアスル。
おかえり。おかえり。
首にまわれた腕のぬくもり。柔らかな銀の髪がくすぐったくてちいさく笑えば、
「おかえり、埜々下」
「ただいまです。みんな……ごめんなさい。ありがとうっす」
水辰の、優雨の、旭の、周の、叶の。集った仲間たちから返る、あふれるほどの笑顔たち。
バレンタイン用の特製チョコのレシピ、あとで伝授しなきゃですね♪ そう紗里亜も笑みを深くする。
「……ほら、雨来」
「えっ」
顔を上げた水辰が、唯ひとり距離を置いていた迅の名を呼び、銘子がその背を軽く叩く。よろけるように前に出た青年は、そのまま幼馴染みの前で立ち止まった。
震える指で頬に触れる。そのまま髪に触れれば、千結もまた、笑う。
「迅にい」
「……千結ちゃん」
触れていた掌を背中にまわして、強く抱きしめる。
伝わる熱。
名を呼ぶ声。
ごめん。気づけなくて。気づかなくて。目を逸らしていて。
君を、手放してしまって。
悲しみも、後悔も、喜びも。
伝えようとした言葉はただ、嗚咽となって耳許に零れた。
作者:西宮チヒロ |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2014年2月8日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 26/素敵だった 13/キャラが大事にされていた 4
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