Abyss~深淵を覗く者

    作者:悠久

    ●少女の視た深淵
     気付いたら、わたしは狭い部屋の中にいた。
     わけが分からなくて周りを見回せば、同じように呆然としている人が10人くらいいた。男性、女性、年齢や背格好はばらばらだ。知ってる人は1人もいない。
     なんなの、と体を起こす。
     と、学校に行くときに使っているバッグに手が触れた。
     ……少しだけ安心する。
    『よう、気が付いたかい?』
     唐突に響いたのは、なんとも愉快そうな声。
     声の主は室内でただ1人、悠然と立つ少年だった。手にいくつものカッターナイフを握っている。
    『これからお前達には殺し合いをしてもらう。拒否権は存在しない。以上』
     シンプルにそれだけを告げて、少年は部屋にひとつしかない扉を潜り、姿を消してしまった。
     その後を追うように室内の人達は扉へ殺到したけれど――。
    「何だよこれ! 開かねぇぞ!!」
     悲鳴混じりの怒声が響いた。わたしはびくりと体を竦める。
     閉じ込められたのだ。この狭い部屋の中に。

     そのまま1時間、2時間と経っても、状況は何ひとつ変わらなくて。
    (「殺し合いを、しなきゃいけないんだ」)
     あの少年の言葉に従わなければここを出ることはできない、と確信を抱く。
     わたしは傍らの通学バッグを引き寄せ、中へそっと手を差し入れた。
     指先に触れる無骨な感触。幾度となく握り締めては、都合のいい空想を繰り返すための秘密道具。
     ――ハンティングナイフ。
     わたしは今日、初めてそれを使う。
     いつも想像していたように、握って、振り下ろす。
     1人目。悲鳴と絶叫。温かな血が手を伝った。
     でもわたしは笑った。嬉しくて、嬉しくて。

     だって、ここにはお父さんもお母さんも先生も友達もいない。
     誰の顔色を窺う必要もない。
     わたしは自由なんだ。

    ●某日、武蔵坂学園にて
    「六六六人衆の、新たな動きが予測されたよ」
     教室に集まった灼滅者達へ、宮乃・戒(高校生エクスブレイン・dn0178)は静かにそう告げた。
     事の発端は、1月初頭に行われた暗殺ゲーム。
     灼滅者達の活躍により、多くの六六六人衆が灼滅された――が。
     それに危機感を覚えたのか、新たな六六六人衆を生み出す儀式を始まったらしい。
     これを行っている六六六人衆は、縫村針子とカットスローターという2体の六六六人衆であるようだ。
    「彼らは閉鎖空間の中で一般人に殺し合いをさせることで、最後に残った1人を新たな六六六人衆へと完全に闇堕ちさせてしまうそうなんだ。残念だけれど、助けることは不可能みたいだね」
     また、この儀式によって生み出された六六六人衆は非常に残虐な性質を持つこととなる。
     彼らを野放しにすれば、今後、大きな被害が出ることは間違いないだろう。
    「幸い、生み出されたばかりの六六六人衆はある程度の傷を負っていて、配下もいない。
     だから君達には、閉鎖空間から出てきたばかりの六六六人衆の、確実な灼滅をお願いしたいんだ」
     と、戒は灼滅者達へ1人の少女の写真を見せた。
    「闇堕ちする少女の名前は、飯村・麻衣子(いいむら・まいこ)。元々は読書家で、穏やかな性格の少女だったみたいだね。少し臆病で、他人の顔色を窺うような一面もあったようだよ」
     だが、麻衣子は変貌する。
     他人の顔色を窺うことを止めて、臆病な自分を捨てて。
     彼女は自分勝手な万能感を得るためだけに殺人を行う六六六人衆へと化す。
     ――次は見知らぬ誰かが自分の顔色を窺う番だ、とばかりに。
    「彼女は殺人鬼のサイキックを用いるほか、元から所持していた解体ナイフでの攻撃を行ってくる。
     君達との遭遇時には既に三割ほどの体力を消耗しているようだけれど、強敵であることは間違いないよ」
     六六六人衆による閉鎖空間が作られているのは、山奥にある廃病院の中の1室。
     殺し合いをさせる都合のためか電気が通っており、照明は問題なく使えるそうだ。
     そして、部屋の閉鎖が解除される時刻は、午前5時。
     殺し合い開始から約12時間が経過したこの瞬間、灼滅者達は麻衣子だけが生き残った室内へと踏み込むことになる。
     室内は狭いが、戦闘を行うことに支障はないだろう。
    「哀しい事件だとは思う。けど、絶対に同情してはいけないよ。
     六六六人衆は強敵だ。いくら手傷を負っていたとしても、油断すれば返り討ちにされてしまう。
     彼女のこと、全力で灼滅して欲しい。僕は……君達に無事、帰ってきてもらいたいから」
     そう話す戒の声は、微かに震えていた。


    参加者
    外法院・ウツロギ(毒電波発信源・d01207)
    桃地・羅生丸(暴獣・d05045)
    水無瀬・楸(黒の片翼・d05569)
    春日・和(胡蝶の夢・d05929)
    射干玉・夜空(中学生シャドウハンター・d06211)
    黒崎・紫桜(日常を守護する葬焔の死神・d08262)
    キュール・ゼッピオ(道化・d08844)
    雛本・裕介(早熟の雛・d12706)

    ■リプレイ


     山奥の廃病院。冬の夜明けは遅く、割れた窓の向こうの空は未だ暗いまま。
     かろうじて生きているいくつかの蛍光燈だけが辺りを照らし。
     ここだ――と、誰かが呟いた。
     狭い部屋を覆うように形成された、半透明の壁。
     これでは扉が開くはずもない。恐らくは、事件を起こしているという六六六人衆の能力だろう。
     やがて、灼滅者達が静かに見守る前で壁が消滅する。
     午前5時。
     扉を開け放つと、灼滅者達はあらかじめ打ち合わせた通りに室内へ踏み込んだ。
     最初はジャマー。室内にただ1人佇む人影へ、キュール・ゼッピオ(道化・d08844)は低い姿勢で近付くと共にその急所を捉える。
     が、感触は浅い。動きこそ鈍らせたものの、さしたる傷を負わせることは敵わず。
     続いて突入した射干玉・夜空(中学生シャドウハンター・d06211)が高速演算に入るよりも早く、人影――飯村・麻衣子は正確に急所目掛けて解体ナイフを振るった。
     12時間続いた凄惨な殺し合い。肉体的な疲労や負傷こそあれど……いや、だからこそだろうか。その感覚は鋭敏に研ぎ澄まされて。
     たった今堕ちたばかりでも、彼女は既にダークネス――最適化された脳がそう結論付けるのと、夜空の足の腱が切り裂かれたのはほぼ同時。
    「されど」
     と、奇襲叶わぬ際に備えた西洋剣を構え、雛本・裕介(早熟の雛・d12706)は重く告げる。
    「蟲毒より生まれし闇が野に放たれる前に、必ずや仕留めてみせようぞ」
     裕介を守るように光輝く刀身。振り下ろされた一撃が、麻衣子の腕を裂いた。
    「よう、かわいこちゃん。ちょっとデートに付き合ってくれねえか」
     奇襲失敗を悟っても、桃地・羅生丸(暴獣・d05045)は好戦的に笑んで。
    「あれだけ殺してまだ物足りねえんだろ? だったらもっと楽しませてやるぜ!」
     緻密な一撃が相手の体を跳ね上げる。己のすべきことを確実に遂行していく冷静さが、そこにはあった。
     くの字に折れ曲がった麻衣子の体目掛け、続いて突入した水無瀬・楸(黒の片翼・d05569)が螺旋の如き一撃を繰り出す。
     六六六人衆へ、強制的に堕とされたとは聞いている。けれど容赦も、同情もするつもりはない。
     槍の穂先を防ぐように麻衣子のナイフが閃いたとあれば、尚更。
    「んな物騒なもん持ち歩いてたんだ、こんなコトなくても堕ちてたろうさ」
     舌打ちひとつ、鋭い音を立てて弾かれた槍を引き戻す。麻衣子も逃れるように後方へ跳んだ。
     が――逃がすつもりはない。室内へ突入を始めた瞬間から、灼滅者達は彼女を囲むように散開している。
     囲まれた、と麻衣子が気付くより早く、再び振り下ろされる西洋剣。
    「たとえあんたが巻き込まれた被害者だとしても」
     黒崎・紫桜(日常を守護する葬焔の死神・d08262)は、昏い紫色のヴェルベットのリボンを握り締め。
    「快楽に堕ちた殺人鬼なんて、必要ないんだよ」
     消えろ、と。返す刃で胴を裂く。リボンの端、銀の花びらが微かな輝きを帯びた。
    「ウツロギは固くなるを使った!」
     どこか道化じみた口調と共に、室内へ踏み込んだ外法院・ウツロギ(毒電波発信源・d01207)は素早くエネルギー障壁を展開。
     最後に入室した春日・和(胡蝶の夢・d05929)を守るように立つその顔には、微かな笑みが浮かび。
    「残念だけど、堕ちた以上は灼滅しちゃうよ?」
    「傷つく姿は見たくないの……だから、容赦はしないの」
     対照的に、和の表情には僅かな緊張が浮かぶ。放たれた祭霊光が苦痛に揺らぐ夜空を癒した。
     そして――灼滅者達に包囲された麻衣子は、と云えば。
    『……うふふ、ふふふふ』
     笑っていた。それはもう、愉快そうに。
     次の瞬間、麻衣子の体から放たれた膨大な殺気が室内を覆う。
     漆黒の世界の中、あどけない声が響いた。
    『わたしは自由……もう二度と、誰かへ媚びへつらうような、卑屈な顔なんてしない……』
     だから、と。
     放たれた殺気が、灼滅者達をじわじわと痛めつける。


     自由、と彼女は云った。
     実に素晴らしい、と告げるキュールの声は大仰で、芝居がかった言い回し。
    「だが、君は自覚しているのかな? 自由には責任が伴うということを」
     言葉と共に放たれた無尽蔵の殺意は、しかし、麻衣子の握るナイフによって振り払われ。
    『知っているわ』
     花開くような笑みと、声色。対照的に巻き起こるのは毒に塗れた風だ。
    『それはわたしが、あなた達も殺さなければいけないということ』
     オオオ……と。風の音はどこか人の嘆きのようにも聞こえた。
    『責任でしょう。……ただ1人生き残った者としての、ね?』
     もしかしたら、それは。
     この狭い部屋で命を落とさねばならなかった犠牲者達の、声。
    「ったく、悪趣味にも程があるってなぁ!」
     毒の風に蝕まれながらも、羅生丸は戦場を駆ける。
     狭い部屋の中。一瞬で距離を詰めると共に、再び放つ拳の一撃。少女の体を抉る柔らかな感触に、ほんの僅かに眉をひそめて。
     ――だからといって、他に何が出来る?
    「頼むぜぇ!!」
    「はいはい任された。ちまちま斬るよ!」
     羅生丸が素早く横に飛べば、その巨体に隠れるように後方からはウツロギが迫る。
     刹那、無数の剣閃が描かれた。『背徳』を冠する西洋剣が麻衣子の全身を切り刻んでいく。
     しかし、その合間を縫うように繰り出された斬撃は、ウツロギの備えた万全の護りを削り取って。
     薄笑みは崩さず、小さく舌打ち。せめてもの意趣返しにと麻衣子の腕を掴み、そのまま体を入れ替えるように反転した。
     くるりと大きく回り、手を放す。
     勢いのまま行き着く先で麻衣子を待つのは裕介だ。
     片腕を鬼神の如く変化させ、猛烈な膂力と共に突き出す。麻衣子の体が大きく吹き飛んだ。
    「顔を伺わぬ生き方は楽しいか」
     ゆっくりと息を吐き、拳を下ろす。
     次の攻撃に備え、裕介は腰の刀へ手を置いた。その間も視線はけして外さない。
    「されど、お主に与えられた宿命は死あるのみ」
    「そう易々と逃がすかよ!」
     続けざま、炎を纏った楸の一撃が麻衣子の体を焼いて。
     その顔が苦痛に歪むのを見ても、気持ちは――相手に対する殺意は収まらない。
     失われる痛みを知っているからこそ、憎い。憎くて堪らない。
     けれど、その憎悪こそが灼滅者としての自らの背中を押す。
    「皆殺しで得た自由だぁ? ……んな解放感なんぞクソ喰らえ、だ!」
    「キミが自由っていうんならさ、ボク達に倒されるのも自由だよね?」
     猫のような瞳を輝かせると、夜空は指先を突き出して。
     撃ち出された漆黒の想念は狙いを過つことなく麻衣子の肩口へと吸い込まれた。衝撃に、再びその体が吹き飛ぶ。
    「やられた分はやり返しましょ!」
     生まれた隙を逃すことなく、和はウツロギの体を癒した。
    「あなたを逃したら、これ以上の犠牲が出てしまう。私、容赦はしないのよ?」
     麻衣子へ挑むような視線を向け、片腕を覆う縛霊手を撫でる和。
     途端――カッと麻衣子が目を見開いた。その顔には、今にも噴き出さんばかりの怒りが浮かんで。
    『あなた……少しばかり生意気よ』
     再び、麻衣子の体からどす黒い殺意が滲む。無尽蔵に広がり続けるそれはやがて一点へ収縮し、目標――和、ただ1人の元へと向けられた。
    『殺し合いの最中に傷の手当てをするなんて、無粋にも程があるわ』
    「っ……!」
     反論よりも先に、和の体が殺意へ包み込まれる。
     必死に振り払おうとするも、触れた場所から鋭い痛みが生まれ、やがてそれは全身へと広がった。視界は漆黒に染まり、呼吸しようと口を開けば体の内側までも蝕まれていく。
     苦しむ和の姿を眺め、麻衣子は満足そうに高々と笑った。
    「春日! ……っ!!」
     鋭い声。紫桜は敵をきつく睨みつけて。
    「お前に死神を見せてやるよ……安らかに眠れるようにな」
     黒き片翼が開かれると共に、足元から伸びた影が麻衣子を喰らう。その喉から発せられていた高笑いごと。
    『あああああっ!!』
     絶叫。初めて、麻衣子の口から漏れた悲鳴。
    『嫌、嫌、嫌ぁぁぁっ!!』
     影から解放されても、その視点は定まらず。まるで灼滅者達と相対していることを忘れたかのように、周囲へナイフを闇雲に振り回した。
     植え付けたトラウマがいったいどんな姿なのか、紫桜には知る由もない。
     けれど、予想はつく。
     屍の山にただ1人残ることで得た自由に付き纏うのは――恐怖。
     誰かの命を奪った自分のように、誰かから命を奪われること。
    「……これが死神からの贈り物だよ」
     呟き、紫桜は再び獲物を構えた。


     少しずつ、追い詰めているように見えた。
     だが――後方の和が深い傷を負ったことにより、事態は急転する。
     まだ倒れてこそいない。が、彼女が自らを癒すことに専念する間、前衛は麻衣子の攻撃をなるべく惹き付け、毒に蝕まれ、動きを阻害されて。
    「癒せっ……!」
     紫桜の掲げた剣が仲間達を浄化する。が、足りない。あまりにも傷が深すぎる。
    『あはっ、あはははは! 許さない! あなた達が地べたに這って惨めに命乞いをするまでは!!』
     麻衣子が発狂せんばかりの笑い声と共にナイフを振るった。トラウマは未だ彼女の体を痛め続けているはずだが、先ほどのような狂乱は既に無い。
     刃の向けられた先は楸。負傷が深く、回復のために1度離れたところを狙われたのだった。
    「はっ、随分と楽しそうじゃねぇか」
     避けられないと判断すると、苦くそう吐き捨てて痛みに備える。
     が――次の瞬間、目の前には長い黒髪が揺れて。
     楸を庇ったのはウツロギだった。彼とて余裕はない。しかし、仲間達の盾であることが役割だからこそ、体は自然と動いてしまい。
    「僕は……挫けなーい!!」
     腹部に刺さった刃。複雑に抉れた傷。狙いを違え、不満そうに眉をひそめた麻衣子を跳ね返すように、ウツロギは眼前に障壁を展開して。
     苦痛に滲む脂汗を誤魔化すように、高らかに笑った。浅い呼吸を繰り返しながら。
     咆哮と共に、楸は体の内側に残る僅かな力を振り絞る。
     堕ちて間もない相手であっても、やはり六六六人衆は協力だ。
     ならば――あと一撃を、もう一撃を繰り出す力が欲しい。
    「みなさ……っ」
     和の紡ぐ言葉は負傷のせいで途切れて。それでも彼女の撃ち出した光は、深手を負ったウツロギを癒す。
     殺意に喉を焼かれ、ぜいぜいと気管から嫌な音がした。
     それでも。
    (「逃がしはしないわ」)
     後方から観察を続けていた和だからこそ分かっている。自分達と同じく敵の傷も深い、と。
     出入り口の扉を塞ぐよう、和は慎重に己の立ち位置を調整し続けた。
     再び灼滅者達へ飛びかかろうとした麻衣子の足に、キュールの放った魔法弾が命中する。
    「中々に愉快な舞台ではあったが……そろそろ幕を下ろすとしようか?」
     仰々しい口調、包帯に覆われた面からその内心は量れず。込められた制約の力は、麻衣子の体を強固に拘束した。
    「狙い撃つとしようかっ」
     バスターライフルを構える夜空の胸元には、赤黒いダイヤのスートが浮かび上がっている。
     銃口から放たれた極大の光線は正確に麻衣子を焼いた。
     ――だが、次の瞬間。
     魔力の残滓を切り裂くように閃く刃。同時に、勢いよく麻衣子が飛び出して。
    『許さない! あなた達だけは、絶対に!!』
    「殺らせてなるものか!」
     裂帛の気合と共に、裕介が『黒鞘・鏨』を振り抜いた。互いの攻撃が交錯する。
    「……むぅっ」
     相手へ確かな一撃を与えたものの、己の体もまた深々と切り裂かれ。
     苦悶の声と共に、裕介は冷たい床へと倒れ込んだ。
    『あはははっ! 次は……あなたよ!』
     狂気に歪む麻衣子の笑み。向けられた先は――羅生丸。
    「ほう、俺をご指名とは。イイ趣味してるじゃねぇか、かわいこちゃん」
     と、『鏖し龍』を構え、羅生丸は己の魂に絶対不敗を刻み込む。
     既に全身は傷だらけ。腕どころか、手を動かすだけでも酷い痛みが走る。
     それでも、怯みはしない。
    「悪いがそろそろ終いにするぜ。下らねえ悪夢も……これで最後だ!」
     羅生丸の振り下ろした鉄塊の如き刃が、麻衣子の胴へ深々と食い込んだ。
     かは、と。麻衣子の口から鮮血が零れ落ちる。
    『え……?』
     自らの身に起きた異変が信じられないという風に、胸元を汚す緋色を見下ろす麻衣子。
     一瞬の後に不利を悟り、その顔色が変わった。
     だが、退路は灼滅者達によって塞がれ。刹那、背中に燻っていた炎がぱっと燃え上がる。
     それが印となった。
     あと一撃――もう一撃、と。身を潜め、機会を窺っていた楸の。
    「これが、終わりだ」
     音も無く接近し、非物質化させた刃で、炎ごと麻衣子の体を貫く。
    「……とっとと眠っちまいな」
     麻衣子が崩れ落ちる気配を感じつつ、楸は小さくそう呟いた。


     六六六人衆、飯村・麻衣子。その亡骸が急速に崩壊していく。
    「ま、堕ちちゃった以上は仕方ないよねぇ」
     と、見守るウツロギは薄笑みと共に肩を竦めて。
    「……闇へ堕ちた者に掛ける慈悲は存在せぬ」
     たとえそれが無知の少女であったとしても、と。
     怪我の具合を確かめながら、裕介はゆっくりと体を起こした。
     一方、楸と紫桜は部屋に積み上がった屍を、ひとつずつ……いや、1人ずつ見て回って。
     綺麗な死に顔の者には走馬灯使いを、無惨な姿の者にはそっと手を合わせた。
     長く、長く――。

     おれ、こんなところで何してたんだっけ……?
     早く家に帰らないと。今日は、あの人と約束があるのに。

     灼滅者達を不思議そうに見つめながら、仮初めの命を得た死者達はゆっくりと動き出す。
     ほんの数日間の生は、彼らにとっての救いになるだろうか?
    「なるわ、きっと。……なごさんは、そう信じてるの」
     和は蘇った死者達を見送った。陰惨な室内を見せないよう慎重に、けれど優しく。
    「……自己満足、だけどねー」
     その横でため息をつく楸の顔には、濃い疲労の色が浮かぶ。
    「いい加減にしとけよ六六六人衆。命を弄ぶんじゃねぇ」
     死者達を弔いながら、紫桜は堪らずそう呟いた。
    「まあ、ボク達にできるのは戦うことだけだよねっ」
     と、場に不似合いなほど明るい夜空の声が、今はとても有り難くて。
     窓の外、ゆっくりと姿を現す太陽の光が羅生丸のサングラスに反射した。
     この世に明けない夜は無い。
     戦うことしかできなかったとしても――それが『彼女』を恐怖させた殺し合いの終わりだというのなら。
    「案外、今頃はあの世で良い夢でも見てるんじゃねぇか」
     ふ、と。羅生丸は口の端だけで笑む。

     弔いを終え、灼滅者達は狭い部屋を後にする。
    「さて、これにて舞台は終幕。我らは去ると致しましょう。されど」
     と、キュールは室内を振り返り。
    「今宵の惨劇は果たして悲劇か、……それとも喜劇か?」
     誰に問うでもなくそう呟くと、おもむろに扉を閉めた。
     垣間見た惨劇の深淵を、もう二度と覗き込むことのないように。

    作者:悠久 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年2月18日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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