未来を掴みたければ己の墓穴で笑え

    作者:日暮ひかり

     24時間殺し合え。脱出できるのは、ただ一人の生き残り。
     ……静寂と、鼻につく血のにおいだけが、受け入れがたい現実を訴えてくる。
     
    ●scene
     ここは廃れたホテルのようだ。それ以外わからない。常夜灯の光を受け、にぶく輝く床から、腸の底まで凍る冷気がせりあがってくる。
     大学生ほどの男女が、客室の中で身を寄せ合い、放置された家具の陰に隠れていた。息をひそめて震えながら、ひどく怯えた顔でナイフを握り、下ばかり見ている。
     静寂につつまれた廊下から、こつ、こつ、と僅かに響いてくる足音がひとつ。
     ぱたん。
     ……ぱたん。
     部屋のドアを開け閉めする音と共に、段々と二人の隠れる部屋に迫ってきていた。……恐らく、彼らを探しているのだろう。
    「くそッ、誰だ……他の奴らは皆殺したはずだ」
    「もう、イヤ。終わったんじゃなかったの……?」
     寒いのに汗ばかり流れる。歯ががちがちと鳴り、息が苦しい。
     
     見ず知らずの人々と共にこの建物に閉じ込められ、澱んだ眼をした男に殺し合いゲームを強要されたのが昨日のこと。
     仲間の一人が死体で発見されたのを皮切りに、次々と起こり出した殺人。犯人がわからぬまま、十五人いた参加者はみるみる減り、遂に二人になった。
     己の身を守る為、協力してほかの者たちを全員殺す。
     早々にその答えを選び、ここまで生き残った二人の仕業だった。
     最後は共犯者も油断させて殺せばいい。彼らが互いにそう思い、部屋で偽りの脱出計画を立てていた矢先だ。
     廊下で足音がした。もう、誰もいないはずなのに。
    「……な、なあ。さっき藤田を殺したの、お前……だよな」
    「えっ……なな何言ってるの、あなたでしょ……!?」
     いるはずのない殺人鬼の足音が、扉の向こうで止まった。
     
     ――ばたん!
     
    「あ、あなたは……! さ、さ、最初に死んだはずじゃ……」
    「な、なんで生き……うわあァァァー来るなァーーッ!!!」
     ドアを開けて入ってきた少年は怯える二人の顔を見て、日本刀を構えると、冷たく笑った。
    「お勤め御苦労。死んだフリがここまで上手くいくとはね……最低限の労力で勝ってしまう。やっぱり僕は、殺しの世界でも選ばれた天才だな」
     
    ●warning
     縫村針子、そしてカットスローター。
     先日の暗殺ゲームの裏で糸をひいていた六六六人衆の二人が、新たなゲームを始めた。
    「閉鎖空間内で一般人に殺し合いをさせ、生き残った一人を新たな六六六人衆として迎える。このゲーム……もとい儀式が行われているのは、正月の暗殺ゲームで多数の欠番が出たせいだろう」
     それだけ奴らをビビらせたって事だ、とすれた笑みを浮かべる鷹神・豊(エクスブレイン・dn0052)は、常ながら強気の構えに見える。
    「生き残りはとりわけ残虐な性質を持つ六六六人衆となり、即野に放たれる。危険だ。ゆえにここで灼滅する」
     六六六人衆は強敵の筈だが、今回はどういった訳か勝算がある様子だ。
     やらねばならないものとして、エクスブレインは言い切った。
     
     ゲームの生き残りは掛川・弥彦という。
     元は高校入学を間近に控えていた、小柄な秀才少年だ。
     弥彦は天才ではない。希望の高校に入ろうと、死にもの狂いで努力してきた。
     だから『絶対に外に出なければ』という焦りが暴走し、真っ先に殺人を決意した。
    「六六六人衆となった掛川は、自分を『選ばれた天才』であると強く思いこんでいる。尊大で人を小馬鹿にした態度を取る一方、性根はしたたかで用心深い」
     歪んでいるな、と鷹神は言った。
     
     敵の目を欺き、必死な者達をあざ笑うように暗躍しながら生き残ってきた弥彦。しかし、最後に残った二人との戦いでは多少傷を負ったようだ。
    「だから今灼滅しろってわけか」
    「ああ。……殺し合いを終えた掛川は、舞台となったプチホテルから出ようとする。残念だが、儀式が終わるまで中には入れん。君達は決着がつくまで外に待機。その後、掛川が外に出る前に突入しろ」
     弥彦は最後の殺人を行った2階の客室から廊下へ出て、階段を下り、ラウンジを通って、エントランスから出ていく。
     窓は、各客室と階段には一つのみ。ラウンジには幾つか。エントランスはすぐそこが出入口のため、ない。
     エントランスから入って客室で戦闘をしようと思うと相当急がねばならず、逆にラウンジやエントランスで弥彦を待つなら、隠れる場所や時間が生まれる。
     どうすれば弥彦を逃がさず灼滅できるか、作戦を立てる必要があるだろう。
    「……掛川の不運に同情するなとは言わん。また、己のために他の十四人を犠牲にする事を躊躇わない男だったのも事実だ。よってこの事件自体はよくも悪くもない」
     ただ、これ以上の不幸を招かぬ為、灼滅せよ。
     そう言うと彼はホテルの見取り図を教卓に置き、足早に教室を出ていった。


    参加者
    白・彰二(目隠しの安常処順・d00942)
    函南・ゆずる(緋色の研究・d02143)
    天羽・蘭世(暁に咲く虹蘭の謳姫・d02277)
    ユエファ・レィ(雷鳴翠雨・d02758)
    関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)
    メルフェス・シンジリム(魔の王を名乗る者・d09004)
    八咫・宗次郎(絢爛舞踏・d14456)
    九葉・紫廉(ヤクサイカヅチ・d16186)

    ■リプレイ

    ●1
     目的のホテルは、寂れた温泉街の山中にぽつんと存在していた。街には闇と沈黙が降り、人ひとり通る事はない。
     入口を覆う半透明の壁が消えた瞬間、皆は即座に足を踏み出した。時間も有限だが、音を立てる事が何よりのタブーと皆留意している。最後に入ったユエファ・レィ(雷鳴翠雨・d02758)が入口を詳しく調べたが、シリンダー錠だ。かつてはホテルの管理者が専用の鍵で開閉していたのだろう。
     エントランスに机やソファーが放置されているのを確認し、直ちに配置換えを試みる。ここで待ち伏せる間『隠れやすいように』するのだ。音を立てず、だが迅速に――。

     ガン、と音がした。

     皆同様だ。動線がかぶったり、角をぶつけたりと、とかく手際が悪い。何せ暗かろうと持ち込んだ照明もつけない中、一応見取り図があったとはいえ具体案はない、ぶっつけ本番作業である。
     薄暗い夜中の屋内で、八人が会話せず足音も物音もたてず、迅速に物を動かす。
     無理だ。
     注意だけしておけばできる、という油断と慢心がどこかにあった。難しい事は工夫なしにはできない。
     準備不足を悟った一行は作業を中断すると、蛇や猫や犬に変身し、そそくさと物陰に隠れた。そもそも『不自然にならない範囲で』物を動かす事に意味はあったのか。敵から見て気付かれない程度という事は、自分達にもさして役に立たない程度、という事だ。
     ホテルの中はしん、と鎮まり返っている。
     慎重に辺りの様子を窺っていた八咫・宗次郎(絢爛舞踏・d14456)は奇妙なことに気づいた。
     足音がいっこうに近づいてこない。
     まさか。逃げられたか。どうする。探すか。それともこのまま待つか。

     そう逡巡していた時だ。
     階段のほうから、硝子の割れる大きな音がした。

     物の移動を試みていた間、誰も敵の気配に注意していなかったのが痛い。既に奴は階段まできていた。暗闇と静寂は、ささいな物音もよく通らせてしまう。
     暗いとも、音を立ててはいけないとも間違いなく全員が把握していた。状況に反する事を全員で行うのは、その必要性と難易度をきちんと検討できていれば避けえた筈だ。だが今は省みている場合ではない。
     窓から逃げたか。陽動かもしれない。判断できない以上、一度二手に分かれるしかない。
    「絶対に逃がさないのですっ。蘭世、いってきます!」
     不利な時こそしっかりしなければ。天羽・蘭世(暁に咲く虹蘭の謳姫・d02277)は小さな勇気を奮い立たせ、駆けだした。蘭世と同じく階段に近いラウンジ側に隠れていた関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)、メルフェス・シンジリム(魔の王を名乗る者・d09004)、宗次郎の三人も声に応じて変身を解き、割られた窓の方へ走る。
     そして再び、ホテルに沈黙が戻る。

    ●2
     白・彰二(目隠しの安常処順・d00942)、函南・ゆずる(緋色の研究・d02143)、九葉・紫廉(ヤクサイカヅチ・d16186)、ユエファの四人は、引き続き出入口付近に隠れていた。待つ間、仲間との意思疎通がはかれない事が苦しい。
     …………。
     ………………。
     こつ、こつ、と、階段を下る足音が聞こえだした。誰だ。まだ見えない。仲間? 違う。足音はひとつだけだ、つまり。
     ……この人物は。足音の、主は。
    「策士策に溺れる、ってね……選ばれていない凡才はこれだから可哀想だ」
     掛川弥彦――――。
    「ゲームの参加者じゃないな……あの主催、僕の才を恐れ早々に刺客をよこしたか。中々の慧眼だ」
     ふざけた独り言を呟きながら、男はラウンジを抜け、エントランスに近づいてくる。どうやら侵入者は先程出ていった四人のみと思っているようで、隠れている四人には気づいていない。

     戦うのか。
     四人で?

     サーヴァントを入れて六人。駄目だ勝てない。だが、足止めだけなら…………できなくは、ない。
     絶対、ここで食い止める。
     守らなければ。仲間が戻るまで、絶対に守らなければ。
     敵がエントランス中央を踏む。彰二とユエファは決意を胸に、その足元めがけ飛び出した。
     弥彦の眼が二匹の蛇を捉えるより速く、二人は変身を解いた。突然現れた人影に流石の弥彦も反応が遅れる。刹那、彰二は秘めた殺気を解き放った。
     二人が作った隙。ゆずると紫廉も変身を解くと、ナノナノのしまださんとライドキャリバーのカゲロウを呼び出した。
     カゲロウは弥彦を取り囲み、しまださんは中後衛と共に出入口を守る。灯したライトが、辺りを照らす。
     弥彦は彰二の殺気を受け、何か驚いていた。服には乾いた血がはりついている。唇に酷薄な笑みを浮かべ、抜刀しながらひゅん、と横薙ぎを放つ。
     しかし反撃を予期していたユエファは刀身に己の身体をぶつけ、衝撃波をすべて受け止めた。だらだらと血が伝う拳に雷を溜め、男の顎めがけ打ちいれる。……かわされた。
    「何なんだ?」
     弥彦は彰二に対し、軽く眉を寄せた。
    「天才が嫉妬を受けるのは有名税だし構わない。けれど随分気持ち悪い、ぬるま湯みたいに優しい殺気を放つな……これが才能の差か」
    「……お前、性格悪ィな」
     彰二はそれだけ返した。いつもの明朗な笑みはそこにない。
    「……。巻き込まれた不運は同情しておくする……よ」
    「同情?」
     弥彦はユエファの方を見て、微笑んだ。
    「気に病むな。『凡才の弥彦』は生まれ変わった。幸せさ」
    「そう……ね。既に人を害するものならば……手加減は無用、ね」
     柔らかな髪が、祖国の衣装が、多量の血で斑に染まっている。紫廉は小さく舌打ちした。辛いが、彼女はもう少し耐えてくれる筈だ。斬撃は防具で多少は軽減できている。
    「選ばれた天才、か……差し詰め俺たちは成り損ないの落ちこぼれってところか?」
    「そう卑屈になるなよ。選ばれた僕を騙し、攻撃を当てたんだ。是非誇れ」
    「誰が誇るかっつーの……ほらよ、受け取れっ!」
    「ん。……いくよ、しまださん」
     しまださんはゆずるの声に頷いた。接近して杭を叩きこみたかったが、いま出入口を離れるのは不安だ。3つの術式攻撃は命中率が見込めず、味方を癒せる術は……ない。自ずと打てる技は限られる。
     紫廉の矢で研ぎ澄まされた神経を集中させる。前衛の間を抜けようとした弥彦を、シャボンと氷柱、弾幕の嵐が阻んだ。弥彦は大半を叩き斬ったが、氷柱の幾つかをかわしきれない。
    「やるね。いつまで持つかな」
    「……こっちが聞きてーよ。でもお前にどんな事情があったって、人殺しが許される訳じゃない。ここは通さねえ!」
     彰二は杖を振り被り、正面から弥彦へ飛びこんだ。

     弥彦は己を取り囲む二人と一台のうち、一撃目で深手を負ったユエファを集中的に狙った。正確無比に急所を抉る弥彦の攻撃に対し、回復力は紫廉としまださんの二人がかりでも足りない。
    「退け、小娘」
     弥彦はユエファの喉元に刀の切っ先をぴたりと突きつけた。刹那、首から腹までを深い一撃がざんと降りていった。ユエファの身体がぐらりと後ろに傾ぎ、弥彦がその横を走り抜ける。
    「カゲロウ、止めろーーッ!!」
     紫廉の叫びにカゲロウが応えた。フルスピードで、弥彦に後ろから体当たりをかます。
     今しかない。ゆずるは一歩前に出て、槍を思い切り突きだし、弥彦の足首を刺し貫いた。
     よろめく弥彦。背後に回った彰二が横腹にチェーンソー剣を叩きつけようとしたが、弥彦は高く跳躍してかわす。
    「困ったな。足をやられても天才は自由だ」
     その時、着地した弥彦の胴を血濡れの手ががっと掴んだ。
    「な」
     ぐるりと一回転する天井。壁、それから――床。地に叩きつけられた弥彦は一瞬なにが起こったか分からなかったようだ。自分を投げた腕の主を見て、彼は眉を歪める。
     ユエファ。
    「皆……私が、守る……よ。約束……ね」
     その思いが、魂が、肉体を凌駕した。
    「……泥臭いな。それでこそ凡才だ」
     弥彦はせせら笑い、軽やかに刀を振り回した。前衛を襲う不可視の斬撃はユエファにもだめ押しの傷を刻み、彼女は今度こそ動かなくなる。同時にカゲロウも消えた。
    「……クソッ!」
     紫廉は聖剣を掲げ、祝福の言葉を詠んだ。駆け巡る風の熱さが、彼の憤りを現すようだ。
    「悔しいか。だが凡才は天才に喰われる、自然の摂理だ」
    「……ヤヒコ、」
     唇を結ぶゆずるを、弥彦は怪訝な顔で見た。
     ちがう、よ。
     みんなは、ハリコとアキツグに対して……怒ってる、のに。
     凡才、凡才と繰り返す彼に、人であった頃の苦悩が見えるようだ。喪われた心が、伝わらぬ想いが、何もかもが遠く、悲しかった。

    ●3
     外を見回って戻ってきた四人は、戦闘音を聞き急ぎホテルの入口へ走った。ライトの矛先にまず飛びこんできたのは、動かないユエファ。その痛ましい姿に、メルフェスは顔をしかめた。
     捨て身で弥彦に食い下がる彰二とゆずる。返り血まみれの弥彦。紫廉としまださんは回復を続けており、劣勢は明らか。
     この弥彦も、元は罪のない一般人だ。
     普段皆が、宿敵を討つ時は忘れるようにしている事が、いま蘭世の心を傷つける。だがもう戻れないなら、せめて、その芽を摘むだけと、強い覚悟で望んだ。
    「やっと会えました。あなたがこのゲームの生き残りさんなのですね……。あなたもここで終わりなのですっ」
     どんなに劣勢でもやるしかない。勝たなければ。生きなければ。犠牲者への鎮魂歌すらも歌えない。
     蘭世の闘志は美しい虹色となって立ち昇り、その背に翼の形を沿える。翼から放たれた光線のようなオーラが、味方の隙間を縫って弥彦の傷痕を焼き切る。弥彦は若干苛立ちを見せた。
    「愚行に愚行を重ね、わざわざやられに戻る。……ああ面倒だ」
    「おい、もう無理するな。後は俺達に任せろ」
     下がらせようと駆け寄った峻の目の前で、ゆずるは斬り捨てられた。
     瞳の端に、淡い恐怖が滲んでいた。
    「……。ありがと。……ごめん、ね……」
     耐え切れなかった事。そして、弥彦への謝罪の言葉。
     こうなる前に助けてあげられなくて、の――ごめん、だ。
     血飛沫のなかで崩れ落ちる少女の向こうで、選ばれてしまった少年が悠然と嗤う。
    「女の怯えた眼はいいね。男よりずっといい」
     峻は胸にこみ上げるものを感じ、鋭く剣を振るった。弥彦は太刀で斬撃を払い、紅の剣を押し返す。
    「悪趣味だな。選ばれた天才なんて所詮幻想……本当はよく解ってるだろ」
     同じ殺人鬼の峻には伝わった。
     ゆずるが怖かったのは、戦っていたのは、弥彦ではない。
     己もいずれこうなるのかという恐怖。縁も心も棄て、殺意に狂うかもしれない未来だ。
    「いや、やっぱり僕は天才だ。お前達非才と刃を交え、確信したよ」
     弥彦は運が悪かったのだとは思う。だが闇に敗れた者、『選ばれた者』に、この尊い苦しみはわかるまい。剣を握る腕に思いを乗せ、粘る。
     二人の鍔迫り合いに割り込んだメルフェスの槍が、するりと敵の脇腹を突いた。彼女の所作には余計な力を感じない、超然とした優雅さがある。
    「救えないから灼滅することで救う、っていう考えは私にはないわね。どちらにしろ、やるのは殺すということだけよ。……特に幼女を貴ばない輩は生かしておけないわ」
    「同感だ。俺もこいつから何を盗れるのか愉しみだってだけだな。いつもと同じだ」
     宗次郎もメルフェスの言葉に同意する。彼らの戦う姿勢は潔い。己に抗う愚者はすべて敵。救えない悪はすべて敵、だ。
     敵に対してとことん冷酷であることも、勝者には必要だ。この劣勢に際しても、メルフェスの不遜な態度が揺るぐことはない。
     宗次郎など飢えたように眼を輝かせ、よけい嬉しそうにも見える。まるで、こうでなくちゃ暴れ甲斐がない……とばかりに。
    「利き腕の逆の腕の甲に懐中電灯……攪乱のつもりか? 天才には通用しないよ」
    「構わないわ。天才も魔王の前では平民に過ぎないもの」
     メルフェスは鼻で笑う。この二人、似た者同士かもしれない。
     宗次郎は己の影を巨大な拳銃の形に練り上げると、銃口を大きく拡げ弥彦を飲み込ませた。
    「……鬱陶しいな。まあ良いけど、」
     弥彦は内部から影を切り裂き、脱出した。己の太刀筋を食い入るように見つめる宗次郎に対し軽く溜息を吐くと、気合いを入れ直す。ゆずるが命懸けで刻んだ足止めの傷が……消えた。
    「勝てるの?」
     今後、弥彦の回避率を落とせる見込みはほぼ無い。回復されるのは致命的に思われたが……弥彦も負傷が嵩んでいる、という事でもある。
    「逃げていいんだよ」
     これが答えだ、とばかりに蘭世が影の刃を走らせた。

     己が最後の砦だ。只管に、体当たりしてまで傷を負いにいく峻に、紫廉が力強く癒しの矢を放つ。彼の矢を受けると、どれ程傷ついても立ち上がる勇気が不思議と強まるようだ。弥彦はもはや無表情に彼らを見る。
    「やるしかないんだよ。ここで確実にお前を灼滅しないと、犠牲者が増えるだけなんだよ!」
     紫廉はやりきれなさを叫ぶ。前衛の自己強化は月光衝でまとめて砕かれ、皆深い傷が重なり動きが鈍っている。これ以上味方が倒れる前に、奴を倒さねば。
     峻は弥彦の生命力を奪おうと注射器を振るう。その時、腹部に強い異物感と衝撃があった。刀が刺さったらしいが……不思議と痛くない。
     ……動かなければ、と思う。だがどんなに強く思っても、もう身体に力が入らない。倒れながらできたのは、走りだす弥彦の足を掴む事だけだ。
    「……待てよ」
    「何?」
    「……俺は、天才より秀才に……好感持つぞ。自分の限界が、見えてるのに、必死に足掻くのは……人間らしいじゃないか」
     弥彦は答えない。ただ峻を石ころのように、思い切り蹴とばした。
    「……関島さん!」
     峻が殺される。宗次郎は思い、バベルブレイカーを構えた。だが弥彦にももうそんな余裕はない。
     メルフェスが槍に魔力を籠める。彼女は守りより攻めに重点を置いている。弥彦は氷柱を身に受けながらもその横を突破し、紫廉としまださんが守る出入口側へ駆けた。人間が一人少ない分、蘭世と宗次郎が守るラウンジ側よりこちらの方が抜け易い。
     逃げられる。
     奴は、多くの人間に絶望を振りまく。
     彰二は朦朧としていた意識が急に冴え、血が熱く滾りだすのを感じた。
     沢山のきょうだい、友達。ここまで共に粘ってくれた仲間。皆には心配をかけるが――……もう、決めた事だから。
    「……悪ィ。俺、バカだから。もう、これしか止める方法がわかんねぇんだ……ッ!」
    「……蘭世も、です……。お気をつけて。絶対、迎えにいきますから……」
     彰二はその時、己でも驚くべき速度で弥彦に跳びかかることができた。
     当然だ。
     彼はもう人間ではない。

    「……え」
     それが最後まで不運だった秀才の、最期の言葉だ。
     炎の獣は無情な力で弥彦を頭から食いちぎり、壁にしこたま叩きつけた。
     男があっさり事切れたのを見届けると、獣はどこか遠くを目指し、駆けだした。夜に尾を引き消えてゆく炎は美しく、残された人の心が闇に零れ落ちるさまのようだった。

    作者:日暮ひかり 重傷:函南・ゆずる(緋色の研究・d02143) ユエファ・レィ(雷鳴翠雨・d02758) 関島・峻(ヴリヒスモス・d08229) 
    死亡:なし
    闇堕ち:白・彰二(目指せ百折不撓・d00942) 
    種類:
    公開:2014年2月24日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 17/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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