癒して! 隣のお姉さん!!

    作者:悠久

     福岡県・中洲の繁華街。雑居ビルの1室にその店はあった。
     ドアの横に下がった看板には『隣のお姉さん』と店名が記され。
     こじんまりとした、隠れ家のような雰囲気を醸し出している。
     ひとつしかない個室は妙に落ち着くというか、生活感のあるインテリア。
     案内された若い男は、2人掛けの赤いソファーへぐったりと沈み込んだ。
     浅黒い肌と脱色された金の髪。首元には龍の刺青が刻まれている。
    『お帰りなさい、ゆうクン。……あらあら、随分とお疲れみたいねぇ』
     室内に入ってきた女性は、柔らかな笑みを浮かべ、男の隣へ腰を下ろした。
     豊満な体を強調するような、体にぴったりと沿うニットと、ミニ丈のタイトスカート。深いVの字を描く胸元からは柔らかなふたつの膨らみが覗いている。
    「ネエちゃん、俺、俺ぇ……」
    『何も言わなくていいのよ、ゆうクン』
     と、女性はおもむろに男を抱き締めて。胸の膨らみに、ふにゅん、と男の頭が沈み込む。
    『心も、体も……お姉さんが、癒してア・ゲ・ル♪』
    「ネエちゃんっ!!」
     がばっ、と男が女性へ抱き付いた。勢い余ってソファーへと押し倒す。
    『あんっ……もう、せっかちなんだから……♪』
    「ネエちゃんっ、ネエちゃんっ!」
    「うふふ……ココは、もうすっかり元気になっちゃったのね♪」
     いいこいいこ、と女性は男性を優しく撫でた。

     それからしばらくして。
     すっかり干からびた男から離れ、女性は乱れた服装を直した。
    『この人、いつもどおり鹿児島駅まで送ってあげて頂戴』
     声を掛ければ、個室の外からは3人の男性がすっ飛んでくる。
    「了解しました、アヤセ様」
    「ところで、アヤセ様……」
    「我々、最近とても頑張っており……その、疲れておりまして」
    『ええ、わかっているわ』
     アヤセと呼ばれた女性は、うふふ、と優しく笑って。
    『今日のお仕事が終わったら、あなた達も癒してあげる。いくらでも、お姉さんに甘えて頂戴ね♪』
    「あ、アヤセ様ぁ……」
    『あらあら、困ったわねぇ。男の子なんだから泣かないの』
     揃って涙を浮かべる3人の男の頭を、アヤセは順番に撫でてあげるのだった。

    ●武蔵坂学園にて
     教室に集まった灼滅者達を見回し、宮乃・戒(高校生エクスブレイン・dn0178)は深々とため息をついた。
    「博多の中洲地区で、HKT六六六の強化一般人がいかがわしいお店を出して、刺青を持ってる人間を次々と拉致してるって事件、君達も1度は耳にしたことがあると思うんだけれど……」
     また予測されたんだ、と戒はため息をついた。説明が恥ずかしいのか、その耳が真っ赤に染まっている。
    「店名は『隣のお姉さん』。アヤセという名前の強化一般人が、魅了した配下と一緒に切り盛りしている、こじんまりとしたお店みたいだね。えーっと、なになに……『隣に住んでいる幼なじみのお姉さんという設定のお店です』って……うん、まあ、うん。
     ともかく、君達には、このお店を潰してもらいたいんだ」
     とはいえ、単純に正面から侵入しただけでは、アヤセは虜にした強化一般人の手引きで確実に逃亡してしまうだろう。そうなればまた、いつ同じような店を開くとも限らない。
    「できればアヤセの逃亡を防ぎたい。そこで、ふたつの作戦が考えられる。
     1つ目は、誰かが囮として店内に入り、その間に残りのメンバーが退路を絶ってから奇襲する方法。これなら戦闘になっても、アヤセに逃げられる心配はなくなるよ」
     ただし、囮として入店するメンバーは男性に限られ、外見も18歳以上に装う必要がある。
     また、他のメンバーが退路を絶つ間、囮はアヤセの手練手管で心も体もメロメロに癒されてしまう。その後の戦闘に参加するのは難しいだろう。
    「2つ目の方法は、店で働く配下の強化一般人を篭絡するって方法。アヤセの逃亡は、彼らの助けがなければ難しくなるからね。ただし、彼らはアヤセの魅力の虜だから、そう簡単には成功しないよ」
     でも、と戒は資料を捲り……小さくため息をついた。
    「配下は3名。色々と人生に疲れ果てているみたいだね。彼らの心を癒したり、慰めたり、励ましたりすれば、目を覚ましてくれるかもしれない。これに関しては臨機応変というか、アヤセと同じ方法ばかりじゃなくて、君達なりに考えて工夫する方が上手くいくかもしれないよ。
     ただ、勢い余ってヘンな雰囲気になる可能性もあるから、そのあたりは各自で気を付けて欲しい」
     アヤセの使用サイキックはサウンドソルジャーと同じものとシャウト。
     配下は、2名がロケットハンマー、1名が契約の指輪のサイキックを使用する。
     4人ともさほど強くないため、仲間が欠けた状態でも問題なく倒すことができるだろう。
    「最悪、配下だけでも倒せれば目的は達成できる。けど、できればアヤセの灼滅も狙って欲しい」
     よろしくね、と戒は軽く頭を下げて。
    「……あと、大切な人がいる人は、変な誤解とかされないように気を付けてね。
     本当は、説明してる僕が言えることじゃないんだけど、こういうのって大事だと思うし」
     と、言い辛そうに付け加えたのだった。


    参加者
    斑目・立夏(双頭の烏・d01190)
    一橋・聖(みんなのお姉さん・d02156)
    皇樹・零桜奈(漆黒の天使・d08424)
    月村・アヅマ(風刃・d13869)
    安楽・刻(ジャンククロック・d18614)
    妃水・和平(ミザリーちゃん・d23678)
    ペペタン・メユパール(悠遠帰郷・d23797)
    更待・セト(彷徨アデュラレッセンス・d24746)

    ■リプレイ

    ●無貌の夜 in 店外
     福岡県・中洲。とある雑居ビルの、とある階。
     月村・アヅマ(風刃・d13869)はぐったりと物陰に息を潜めていた。
    (「なんかもう帰りたい……」)
     完全に死んでいる目。見つめる先は間近な扉の『隣のお姉さん』という看板。
     あの中では、HKT六六六の強化一般人が刺青持ちの一般人をイケナイ手段で拉致しているらしい……のだが。
     ぶっちゃけ、この手の相手とは関わりたくない。それがアヅマの本心だった。
     なにせエクスブレインから提案された作戦がアレでソレである。
     囮か篭絡か、むしろ両方か――って。
     それはつまり、桃色ピンクな手段で制圧しろということか。
    (「無理」)
     性根が真面目なアヅマにとって、それらは何より苦手な部類の行動。
     しかし、放置するほど厄介になりそうな案件なのも確かだ。
     だからこそ、作戦遂行は仲間達に任せ、アヅマは潜伏しつつ店外の警戒に務めていた。
     己の力が必要になる瞬間まで、慎重に待ち続ける。
    (「……一般人が犠牲になってるんなら、尚更だ」)
     ――胸中が、ざわつく。

     一方、皇樹・零桜奈(漆黒の天使・d08424)と更待・セト(彷徨アデュラレッセンス・d24746)は雑居ビルの退路を立つべく、破壊と工作活動に勤しんでいた。
    「面倒な……依頼だな……」
     ゴン!
    「囮も……篭絡も……できそうに……ないし……」
     ゴン! ゴン!!
     零桜奈は、無表情のままエレベーターの呼び出しボタンを殴っていた。
     本人はいたって真面目なのだが、薄暗いビルの廊下で破壊活動を行うその姿は、容姿が可愛らしいからこそ少しシュールでホラーだった。
    「でも……灼滅……しないとね……」
     依頼を受けたからには、と改めて責任を感じて。
     自分の役割である破壊活動をひとしきり終えると、零桜奈は廊下の反対側へ視線を向けた。
     そちらでは、セトが非常階段へと繋がる道を封鎖している真っ最中。
    「くひひ、どんどん塞いじゃうよぉ~」
     あらかじめ用意した有刺鉄線を張り、ついでにビルのあちこちから集めてきた消火器を乱立させて。
     どこか陰気そうに笑いながら、セトは浮いた額の汗を拭う。
     とはいえ、本番はこれからだ。
     ちらり、と。セトは背後に伸びる廊下の奥、『隣のお姉さん』の看板を見つめ。
    「いやいや、こんなアブナイお店のお姉さんになんて癒されないだろぉ……」
     でもアレかな、こう……と何やら1人、ぶつぶつと呟き。
     やがて、ぽっと頬を赤く染めた。何を想像したのだろうか?

    ●無為の夜 in 店内
     どうしてこんなことになってしまったのだろう、と。
     落ち着いたインテリアの個室。赤いソファーに座る安楽・刻(ジャンククロック・d18614)は、何度目かも分からないため息をついていた。
     怪しげなお店を確実に潰すため、囮と篭絡、両方の作戦遂行を試みて。
     色々と合意の上、刻は囮を受け持つことになった。
     頑張ろう、とは思っている。
     だがしかし――何を頑張ればいいのだろうか?
    「……怖いなぁ」
     中性的な部分は変わらないが、少しだけきりっとした目つき、伸びた背丈。
     エイティーンで大人びた容姿になっているとはいえ、心の中まで変わるはずもなく。
     再びため息をついた瞬間。キィ、と個室の扉が開いた。
    『お帰りなさい。……あらあら、ため息ばかりねぇ?』
     柔らかな声と共に室内へ1人の女性が入ってくる。この店の主、アヤセだ。
     うつむく刻へゆっくりと近付き、彼女はその隣に腰を下ろす。
     途端、甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐり、刻の緊張はたちまち限界へと達した。
    「あ、あの、僕」
    『大丈夫よ』
     混乱する刻の頭を、アヤセの手がそっと撫でる。
     思わず顔を上げれば、向けられたその表情はどこまでも優しくて。
    「あ、あれ……?」
     不意に、刻の瞳から涙が零れた。
    「え……僕、どうして……?」
    『大丈夫、お姉さんしか見ていないわ』
     ごしごしと目元を擦ろうとした刻の手を押し留め、アヤセは彼の頭を包み込むように抱きしめた。
     衣服越しに伝わる温もりがゆるゆると溶かしていくのは――不安。
     そう。不安だったのだ、ずっと。
    (「でも……ここは、温かいな……」)
     そして、刻は深い眠りへと落ちていった。
     不安の原因が他でもない彼女だということは、甘く曖昧な優しさへと呑み込まれていく。

    ●無情の夜 in 店内
    「初めまして! 18歳になったらココで皆さんと働きたいので、面接して下さいっ!」
     突然の来訪者に『隣のお姉さん』店内は一斉にざわついた。
     とはいえ、アヤセは個室でお仕事中なので、配下の3人がいるだけなのだが。
     それはともかくとして、だ。
     妃水・和平(ミザリーちゃん・d23678)はむちむちぷりんな水着姿をしていた。
     何がどうしてこうなったのかといえば。
    「気合入れて水着で来ましたっ!」
     この和平、輝くような笑顔である。
    『いや、あの……』
     うちそういう店じゃねぇから、と。
     気まずい顔をした配下の口を塞ぐように、和平は言葉を重ねて畳み掛ける。
    「でも、おにーさん達、疲れた顔してますね。お仕事辛いんでしょうか?」
    『辛いっていうか……』
    『オレ達、もうここ以外に行くところが……って何言ってんだオレ、初対面の女の子に』
     配下の男達がぽろっと日々の不安を零したのは、多分、和平が水着姿だからだ。
     例えるなら、雑誌のグラビアアイドルが抜け出して来たかのような。
     季節が冬ということもあり、妙に現実感が薄い。警戒心も緩むというものである。
     その隙を逃さず捉え、和平はさり気なく相手の話を引き出していく。
    『オレ達、もうどうしようもねぇんだよ』
     不意に配下がそう呟いた瞬間、一橋・聖(みんなのお姉さん・d02156)がその尻を叩いた。
    「甘えるなっ!」
     びしぃ、と配下達へ指を突き付ける聖。その体がESPエイティーンできらきらと光る。
    「お姉さんは知っているぞっ、君達がとても強くなれる男だと言う事を!」
     和平がアメなら、聖はムチを。
    「大丈夫、君達はこのアタシ達の『弟』達なのだから……!」
     厳しく、けれど頼もしい姿を見せ付けることで、聖はさり気なく『姉』ポジションをゲットしようと試みた。そこだけは譲れないらしい。
     アメとムチに圧倒され、配下達は言葉を失っていたが――。
    『……あんた達、なんていうか眩しいなぁ……』
    「えへへー。私、高校生活が毎日楽しくって」
     和平の顔には満面の笑み。一方の聖は、人前へ出ることに慣れている。
     日々の生活に疲れ果てた配下達にとって、若い2人の姿はあまりにも遠すぎて。
    『うっ……!』
    『あんたのこと、ネエさんって呼べてたら……人生、違ってたのかな……?』
     やがて、2人の配下がその場へ泣き崩れた。男泣きだった。
    『お、おいっ、お前らっ!』
    「いろいろ、あるわよね」
     ペペタン・メユパール(悠遠帰郷・d23797)が、残る1人の手を包み込むように握る。
    「あなたのこと応援したいわ。私では、話を聞く資格はないかしら」
     真摯な言葉と、心配そうな視線が配下へ向かう。まるで心を射抜くように。
     うっ、と堪らず視線を逸らした配下の肩へ――ぽん、と置かれる大きな手。
     斑目・立夏(双頭の烏・d01190)は、そのまま配下の肩を揉んでやった。昔、大切な人へそうしたように、優しく。
    「まあ、なんや。何があるんかはわからへんけど、元気だしや?」
     そう声を掛けながら、立夏は少し切なくなった。
     どこの世界にも行き場のない人間はいる。目の前の強化一般人はその際たるものかもしれない。
     彼らは、ダークネスに利用されることでしか安らぎを得られなかったのだ。
    (「世の中、うまいこといかへんなぁ」)
    「……そうね。あなたの気持ち、なんとなくだけど、わかるわ」
     配下の話に優しく相槌を打って、ペペタンは哀しそうに笑う。
    「でも、そんな時こそ正しいことをした方がいいと、私は思うの。だから……」
     アヤセの逃亡に手を貸さないで欲しい、と。
     真剣な眼差しでそう願うペペタンもまた、『姉』と呼ぶに相応しい姿。
     ……しばし悩んだ後、静かに頷いた配下を見て、立夏は。
    (「せめて、体の疲れくらいはとってやるさかい」)
     その肩をマッサージする手へ、更なる力を込めてやった。

     やがて、配下の3人がすっかり篭絡され、戦闘不能に陥った頃。
    『あらあら、困ったわねぇ?』
     仕事を終えて奥の個室から出てきたアヤセは、灼滅者達の姿を認め、おっとりと首を傾げた。

    ●無縁の夜
     アヤセの登場に、店外で様子を窺っていた仲間達も室内へと踏み込んだ。
    『あらあら……お姉さん、こんなにお相手できるかしら?』
     困った顔で呟くアヤセの退路を防ぐように、アヅマは出入り口の扉の前へ陣取って。
    「悪いけど、あんたを逃がす訳にはいかないんだ」
     相手をきつく睨みつけ、敵意を伝えた――はずなのに。
    『まあ、素敵! 頑張ってる男の子、お姉さん大好きよ♪』
     何故かアヤセは嬉しそうに笑った。おまけに、アヅマ目掛けて走ってくるではないか。
    「……え、いやそういう意味じゃ」
     アヅマの顔に浮かぶのは、戸惑いと焦り。
     だが、踊るようなアヤセの足取りは、すれ違う灼滅者達へ次々とダメージを与えていく。
     優しいお姉さんではあるが、やはりHKT六六六の強化一般人。やることはきっちり押さえていた。
    『うふふ♪ ご褒美に、ぎゅーってしてあげる♪』
     やがてアヅマの眼前まで迫ったアヤセは、攻撃ついでに豊かな胸を突き出して。
    「……ちょっ、こっち来んなぁ!!」
     盛大に悲鳴を上げつつ、反射的に振るった鬼神変はアヤセへ見事命中。
     拳にたゆんとぶつかった感触に、アヅマは頬を真っ赤に染めた。
     と、その横を零桜奈が素早く駆け抜けて。
    「ソノ死ノ為ニ、対象ノ破壊ヲ是トスル」
     スレイヤーカードの解放と同時に抜刀。蒼炎を纏う刃でアヤセに斬りつけた。
    「やはり……戦う方が……性に合う……」
     無表情に呟くと、零桜奈は湧き上がる戦意と共に敵を見据える。
     続けてアヤセへ接近するのは、戦闘中でもどこか明るい和平。
    「逃がさないよーっ」
     片腕へ装着された巨大な縛霊手が、アヤセを容赦なく殴ると同時に捕縛して。
    「さ、今だよっ!」
     と、和平の号令を受けてセトが飛び出し。
    (「なんか、意外とけしからん光景は見られなかったなぁ」)
     囮の入った個室は覗けないし、篭絡作戦は疲れた大人達を癒す少年少女の会と化していたし。
     胸中でそう呟きつつ、セトは動きの鈍ったアヤセの急所を正確に切り裂く。
     だが、次の瞬間。
    『いやん♪』
     ニットの胸元が切り裂かれ、2つのふくらみがより大胆に露出する。
     それを間近で見てしまい、セトは思わず鼻を押さえながら後退した。
    「ぜ、前言撤回……!」
     くひひ、と笑う暇もなかった。……大人のお姉さんは、自分にはまだ早すぎる気がする。

     続く攻防は、徐々に灼滅者達が優勢となった。
     元より数の有利がある上、敵は強化一般人。ダークネスほどの強さは持たない。
    「行きましょう、ミート!」
     アヤセをきつく見据え、ペペタンは足元の影を伸ばした。
     ナノナノのミートが放つしゃぼん玉と同時に、幾重もの影の刃が敵へ殺到する。
     アヤセの口から苦痛の悲鳴が上がると、ペペタンとミートは顔を見合わせて頷いた。
    「あと少しよ! 頑張りましょう、ミート!」
     そこへ、攻撃後の隙を突くように聖が走り出す。
    「みんなのお姉さんはこの私! あなたには、ここで退場してもらうわよっ!」
     大人びた声でそう告げて、聖は『ダンシング・クイーン』を振るった。
     まるで剣舞のように優雅で軽やかな動き。
     合わせて、ビハインドのソウル・ペテルもくるくる回りながら霊撃を放つ。
     絶え間なく続く攻撃に、アヤセがとうとう姿勢を崩した。
    『うふ、ふ……そろそろ危ないかしら』
     と、彼女が美しい声で歌い出そうとした瞬間――零桜奈の拳がその胴を捉えて。
    「させると……思うか……?」
     冷たく呟く零桜奈。続く凄まじい乱打に、アヤセの体が大きく跳ね上がる。
     これでは歌うことなどできるはずがない。
     なすすべなく放り出される彼女へ、瞬時に接近した立夏がマテリアルロッドを構えた。
    『あっ……』
     振り抜かれたフォースブレイク。アヤセの声は掠れ、途切れて。
     ゆっくりと倒れていく彼女を見ることなく、立夏は背を向けた。
    「……さ、早いとこ帰ろか」
     武蔵坂学園へ、と。
     呟く彼の表情は、陰に隠れて見えなかった。

    ●無名の夜
     どうやら、深い眠りへと落ちていたらしかった。
     刻が目を開けると、そこにはくすくすと微笑む美しい女性の姿がある。
     彼のビハインド、黒鉄の処女。あらかじめ店外に待機させていた彼女が、刻を迎えに来てくれたのだった。
    「……もう、笑わないでよ」
     どこか拗ねたような口調で言いつつも、刻は差し伸べられたその手を取って。
    「優しくされるだけっていうのも……なんだか少し怖いね」
     刻はビハインドに抱きかかえられながら、小さく安堵の息を吐いた。

     柔らかくて甘いアヤセの感触は、同時に、底無しの泥沼のようだった。
     ひとたびその優しさに甘えれば、這い上がることは難しい――。

    「刻さん、大丈夫?」
     個室を覗き込んだペペタンに、問題ない、と刻は手を上げる。
    「なら……早いところ……撤収しよう……」
     仲間達の状態確認を終えた零桜奈が、そう提案すると。
    「わかりました」
     部屋のあちこちを探っていたアヅマが、苦々しい顔で立ち上がる。
     手がかりになりそうなものは、ひとつも見当たらなかった。

    「こういうの、いつまで続くんやろなぁ」
     雑居ビルの外へ出た立夏は、目の前に広がるネオンサインの海――中洲の繁華街を眺めながら、ぽつりとそう呟く。
    「そうだねぇ」
     返すセトはビルを見上げ、しばし目を閉じた。失われた命への冥福を祈るために。
    「でも、何があっても、私達がやることは変わらないよ」
     と、和平は笑顔を浮かべ。
    「楽しい学生生活っ! それが一番っ!」
    「そうだね! アタシもみんなのお姉さんとして、頑張るよーっ♪」
     ぐっと拳を上げる聖。

     ひとつの終わりに気付くことなく、今宵も夜は更けていく。
     けれど。
     聖と和平。2人の声は、沈んだ空気を少しだけ明るくしてくれた。

    作者:悠久 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年2月22日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 6
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