籠目の塔

    作者:来野

     総勢十五名。目覚めたのはいつだったか。ギィと軋んで歯車が回る。
     石造りの時計塔は内部に複雑な機構を持っており、からくりの全てが巨大だった。
     午前三時。だが、鐘は鳴らない。ただ、歯車だけがギシギシと回り続ける。
     そこにぶら下がっているのは、薄汚い麻袋のようなもの。見上げる者は皆、ただのぼろだと思いたがっているが、あれは屍くさい。
    「死んでいるよね」
    「ああ、死んでいる」
     頬にぽつりと血が落ちてきた。誰かが悲鳴を上げた。
    「誰だ。誰がやったんだ?!」
     問題はそこではなかったのだが。最初の殺しが行われたのは、それから二十分後だった。
     壁に背を預けて蹲った男が、ぽつりと声を落とした。
    「そうじゃないだろう」
     問題は別のところにある。だが、見知らぬ者と話す気が起きない。そも生きている気もしない。ただの死に損ないだ。
     その時、ハンマーを振り上げた女が襲い掛かってきた。
    「そうじゃないっ」
     男は、手に触れたものを大きく一閃していた。
     イギャッという悲鳴があがり、ハンマーの女が床でのた打ち回る。
     そうだ、俺は人一倍動揺しやすい。やった男は、手の中の刃物を見下ろした。
    「ああ、そうか」
     これが俺の存在意義か。死のうとして死ねなかった俺の。
     そして、二十四時。
     時計塔の床は赤黒くぬかるみ、生臭く、目に沁みた。もう、悲鳴は響かない。
     男は薄暗い気を放ち、強張った唇を舐める。死ぬ気ならば何でもたやすい。
    「礼を言わないと……なあ」
     だが、見上げたそこにぶら下がる死体はなかった。
     
    「自殺と殺人の違い……」
     いきなりなことを呟く石切・峻(高校生エクスブレイン・dn0153)を見て、教室が静まった。
     誰かが答える。
    「自殺は自分が痛いけれど、殺人は相手が痛いんじゃ?」
     そうかと頷き、峻が続ける。
    「自殺に失敗した人が殺人に成功した結果、六六六人衆化する。灼滅して下さい」
    「ええっ?」
    「事の発端は、正月の殺人ゲームにあるらしい。あの時、皆、頑張っただろう」
     そして、六六六人衆は多くの仲間を欠いた。
    「欠けたならばと新たな同類を生み出す動きに出たのが、縫村針子とカットスローターだ。縫村針子には、閉鎖空間を作り出す特殊能力がある」
     その名は縫村委員会。
    「そこに閉じ込めた者たちに殺し合いをさせて、最強の一人を得ようという腹だ。勝ち抜くと六六六人衆の中でも相当に残虐な性質となる。蟲毒の壷のような凄惨な儀式だな」
     そして峻が掲示するのは一枚の画像。古めかしい石造りの時計塔だった。
    「その場として選ばれたのが、ここ。ある時計職人の工房として造られた塔だけれど、当の職人は失踪した。そのまま内部は手付かずになっている」
     ぶら下がっていた死体はカットスローターの芝居である。
     高さは五階建て程度。壁の内部にらせん状の階段と回廊が作り付けられている。中央吹き抜けには時計のからくりが幾つも配され、作業台や工具も残されていて、見通しも機動性も悪い。
    「君たちが到着するタイミングで、塔の正面扉から闇堕ち直後の六六六人衆が出てくる。名前は、唐沢・一志(からさわ・ひとし)、職業は医師。自殺未遂者だ」
    「救うことは?」
    「できない」
     峻は首を横に振った。
    「殺し合いに勝ち抜く中で、殺害に悦びを見出してしまった。存在理由を欲しただけだという自覚も強い」
     そんな男が得たものは、バトルオーラに相当する殺気と日本刀と類似した能力のマチェットだった。
    「本来なら勝機を見出しにくい相手だけれど、儀式で二割少々体力が削れている。配下の類もいない。今が灼滅のチャンスだ」
     逃せば被害甚大なだけに、確実性が求められる。
    「時刻は深夜24時。時計塔の外は西洋式の庭園で、生垣で囲まれている。薄く雪が積もり、低い植樹と中央に噴水がある以外は遮蔽物は少ない。明かりは屋内、外とも所々に小さな照明がある」
     中で戦うと各人が個別に動くゲリラ戦となりやすく、外で戦うと集団で動くことができる反面で敵に逃げられやすい。特にこの相手は、不利と見たら躊躇いなく撤退を図るだろう。
    「どこで戦うにせよ一長一短だと思う。作戦はメンバーによるのかな」
     説明を終えた峻は、薄く眉根を寄せる。
    「強制されたにしても、受け入れた当人には素地があった。かなり危険な戦いだが、君たちが頼りだ。これ以上の悲劇を食い止めて欲しい」
     お願いします、と頭を下げて締めくくった。


    参加者
    七里・奈々(こっちむいてべいびー・d00267)
    東雲・凪月(赤より紅い月光蝶・d00566)
    日野森・沙希(劫火の巫女・d03306)
    トランド・オルフェム(闇の従者・d07762)
    穹・恒汰(本日晴天につき・d11264)
    リディア・キャメロット(贖罪の刃・d12851)
    鈍・脇差(ある雨の日の暗殺者・d17382)
    湊元・ひかる(コワレモノ・d22533)

    ■リプレイ

    ●三人の魔女が言うには
     門をくぐって庭園へと踏み込むと、まっさらな雪に足跡が残る。
     一組は鈍・脇差(ある雨の日の暗殺者・d17382)の、もう一組は穹・恒汰(本日晴天につき・d11264)の。
     脇差は思う。皮肉だと。これから戦う相手は、元医師。
    (「まあ、元暗殺者の俺が言えた義理じゃないけどな」)
     中央の噴水を迂回して、二人は扉の前に立った。
     刻限。針が二つ重なるとも、時計塔の鐘は鳴らない。
     牙の形のドアノブが動く。冷え切った蝶番が軋んだ。
    「う……」
     異臭が鼻をつく。真夏にロブスターを食い散らかして丸々一晩放置したかのような生臭さ。
     開いた扉の向こうから、黒い洞穴そのままの目が来訪者の姿を見る。
    「うわっ、なんかやばいって!」
     唐沢だ。恒汰がビクリと身を怯ませ、声をあげた。
    「気付かれた、逃げろ!」
     脇差が応じる。どちらも、敵の注意を引き付けるための芝居。
     灼滅者は謀り、ダークネスは量る。唐沢は上から下まで二人を見つめ、まだ腑に落ちていない。薄黒いオーラのせいで表情はわかりにくいが、明らかに黙考している。
     二人が身をひるがえし逃亡のそぶりを見せた、その瞬間。
     順手を逆手に入れ替えた唐沢が、大きく一歩を踏み出した。拳を突き出す。
     ドッ!
     背骨を折るかのような衝撃を受け止めたのは、脇差の背だった。
     鈍色の尾を引く連打に、彼は雪を踏み散らして苦戦を装う。
     それを目尻に見て、恒汰が声を振り絞った。まるで怯えているかのように、
    「うわぁぁっ」
     と、やりながらも内心のほどは違う。
    (「演技しながら戦闘ってけっこー大変かも?」)
     足許は万全なので転ばない。さりげなく仲間の様子を窺う。自分は大丈夫だが、彼の負傷の程はどれくらいか。回復は必要か。
     脇差は、足取りを乱しながらも進もうとしている。さらに、敵を煽るべく口を開いた。
    「お前は……医者、じゃないのかよ、人間殺してそんなに楽しいか?」
     背後から、ざらりとした声が応じる。
    「元は、な。知っているのか」
     まるで過去の人の話をする口ぶりだった。
     二人の背後で、ザ、ザ、と二つ、雪を踏む音。
     恐る恐るの態を装い振り返ると、敵が刃を咥えるのが見えた。両掌が、灼滅者たちの方を向いている。どっと飛来する殺気。
     倒れたのは、仲間を庇った脇差。塔と噴水の間で、雪が染まった。

     庭園の外、生垣の合間を夜風が過ぎり、叫び声を運んできた。首尾通りに運んでいるようだ。
     そこに身をひそめる灼滅者は六名。足許からしんと凍てつく。七里・奈々(こっちむいてべいびー・d00267)の身を包む執事服は、黒い肩先を六花の白で輝かせていた。息も白い。
     リディア・キャメロット(贖罪の刃・d12851)は仲間からの合図を、トランド・オルフェム(闇の従者・d07762)はサウンドシャッターを展開するタイミングを待っている。
     東雲・凪月(赤より紅い月光蝶・d00566)が呟いた。
    「人を救うどころか、殺す医者か……全く正反対じゃないか」
     自分の弱さを棚に上げ、あまつさえ人を殺すなど、憤りを禁じえない。
    「……此処で終わらせないと、だな」
     闇堕ちすら辞さないと、固い決意を噛み締めている。
     一方、日野森・沙希(劫火の巫女・d03306)は、殺しに悦びを得るという感覚がどうにもわからない。そうなった背景を思えば、少しの同情も覚えないではないが。
    「でも、人の世界に出させるわけにはいかないのです」
     静かに首を振った。人の世。背後の暗がりを振り返る。
    「何としてもここで灼滅するですよ」
     それにしても。
     湊元・ひかる(コワレモノ・d22533)の足許で、雪がきしっと鳴る。悪路に備えてブーツを履いていた。また、きしり。微かな震え。
     硬い面持ちで風に耳を澄ます。
     恒汰の叫びが聞こえた。敵を引きつけようと装う声だ。あれは演技、ということで良いのか。真偽を何で判断すれば良い。
     リディアが顔を上げた。
    「合図は?」
     見ようと思えば、相手から見られてしまう。物音の中から遠い唐沢の様子をよりわけて、ひかるが目を見張った。
    「今……」
    「え?」
    「『とどめをさしてやる』――と」
     聞こえたままを告げる声に、夜気が氷と化した。

    ●くぐるのならば望みを捨てて
    「とどめをさしてやる」
     唐沢が、新たな雪を踏んだ。そこは、先に走った者たちによって踏み乱されている。
     恒汰は、傍らを見た。脇差の膝は落ちている。黒革に包まれた背が波打つのは、それでも立ち上がろうという意志か。仲間を信じ、逃げ出すことはない。
     求められているのは、決断。
    (「前衛の仕事は倒れないことだ」)
     背後に回した手の中で、カードの硬い感触を握り込む。
    「だから」
     一息に解放し、その身にオーラを纏う。
    「ぜってー倒れねえ!」
     開戦。刃を振りかぶる唐沢。それに片手を突き出し、逆の手で仲間に癒しの気を注ぎ込む恒汰。握り止めた指の関節を、鋭利な薄刃がザクリと断った。
     握れないなら、掌で押し返す。視界が赤く、頬が熱い。
    「今のお前の方が良い」
     終始平坦だった声に、微かな色が乗る。
    「甲斐もあるというものだ」
     左の目尻を薄く細めて、唐沢が顔を上げた。
     正面から駆け込んでくる灼滅者たちの姿が、雪の上に眩い。唇の内をわずかに舐めて、背後へと飛び退った。
     ふわりとナノナノ、イチの姿が生じ始める。庭園に踏み込んだところで、コンダクターのように揺れるトランドの指先。この場の全ての物音が、外界と切り離された。
     ブレードを濡らす血を切って、唐沢は戸口の位置まで引いた。あと一歩、片足を引いたところに初撃を突っ込んだのは、噴水を右に迂回したリディア。
    「さぁ、この攻撃を避けられるかしら……?」
     放たれた魔術の一矢は、敵の脇腹へ。着弾の衝撃でダークネスの踵が跳ねる。
     その隙を見逃さずに奈々が放つペトロカースは、左への迂回から。低い植え込みを飛び越えて、着地と同時に雪を払って闇に放つ。
    「……ッう」
     唐沢の足許がずるりと滑り、肩が戸枠にぶつかった。
     その合間、近場までを駆けに駆けて沙希とトランドは右に、凪月とそのビハインド・華月は左に迂回。指令を得て、華月は先行した仲間の盾の位置へと。霊障波を放つ。
    「ッ、グ」
     唐沢は、口に溜まった生臭さを足許へと吐き捨てる。その身を、赤黒い靄に包み始めた。戸枠を肩先で押す動きが、次第に正確さを取り戻し始める。
     呼び出したナノナノをディフェンダーたちの元へと向かわせ、ひかるは噴水と塔の間へと。
     唐沢の足が更に下がった。そこは、塔の扉の中。
     水盤に背を預けたままの脇差が、ゆらりと片手を持ち上げる。そうはさせない。
    「……っ、ぅ」
     血に汚れた指の背で指輪がきらめく。寒気を切り裂く魔術の一撃は、唐沢の肩口へ。
     そこに斬り込むトランドの刃には、破邪の輝き。避けきれず肋を削がれた唐沢は、脇を締めて彼とぶつかる。
     シャラ、ラ! と清冽な響きが高鳴った。沙希の携えた、神楽鈴の音。
     沙希は、塔の外壁沿いに走る。ルーレットのホイールに鈴を放ったかのよう。ぐるりと巡って戸枠を蹴り、
    「貴方のカルマを払いますです!」
     その一声と共に突っ込む。
     フォースブレイクの衝撃が戸口で爆ぜ、白い雪煙が壁を舐めた。もつれるようにして塔の床に転がる二人に巻き込まれ、トランドもまた諸共に血の海へ。
    「流石にお強いですね……このままでは押し切られてしまいそうです……」
     腕で顔を拭い、口にしたのはただの台詞。そんなこと、思ってもいない。口許には虚実不明な笑みが浮き、眼鏡の奥の瞳には刃のような光が宿っている。
    「追従を言う男には見えん」
     唐沢が、ぬめる床に膝を立てた。
    「俺の業というのは――これか」
     頭の脇まで振り上げた切っ先を、肘をいっぱいに使って一閃。ビキッという音を立てた覇気が、灼滅者たちへと襲い掛かる。ここまで、ダークネスの猛攻を受け続けた脇差が、ついに意識を奪われた。
     だが、唐沢が求めているものは殺害。手を緩める気配はない。
     頬と首とをザックリと削がれながら、凪月がバベルブレイカーを構える。背後から飛んでくるひかるのシールドリングが、逸早く傷を塞ぎ始めていた。
    「……此処が、お前の終焉の場所……この手で終わらせてやるよ」
    「やってみせろ」
     一点、杭の先端を見ながら唐沢は退かず、自らの刃で凪月を出迎えた。抉られていた肩から腕を落とし、残る右腕で相手の膝を真横に刈る。
    「ッグ……アッ」
     ばたばたばたっ、と塔の戸口にだけ豪雨が訪れたかのような音が、こもった。

    ●佯狂王子は選ぶ
     真正面、一閃を食らった仲間を癒し助け起こしていたひかるが、は、と顔を上げる。恒汰が脇差を水盤の後ろへと引きずった。ナノナノが後を追いかける。
     唇がわなないた。
     塔の戸口の薄暗がりから、ダークネスが歩を踏み出す。粉砕された左腕が少しずつ生えいずるさまが、気色悪い。癒えきれずに肘で終わり、粘る滴りが雪を汚している。
     唐沢が視線を注いでいるのは、敵の癒し手だ。
     ひかるの背が硬い感触にぶつかり、退路を失う。それでも片腕を上げて、搬出する者とされる者の退路を守った。
     唐沢の唇が動く。
    「医者、か」
     問いではなく、感慨。間近から届く六六六人衆の声は、粗いやすりでもかけたかのようにざらついている。
    「……」
     ひかるは爪先に影を宿すが、それが震える。雪が冷たいわけではなく。
     仲間たちが、やっと見出した敵の背へと回りんで行くのが見える。首を横に振った。
    「誰よりも好きな人に見て欲しいけれど、それを恐れている私は、今もどうしようもないクズよ」
     夜気がピンと張る。
    「そうか。クズは、在ってはならないか?」
     唐沢の左手が、右手の柄に動いた。まるでハーケンでも打ち込むかのように振りかぶる。落ちる影は黒く大きい。
    「あああっ!」
     どんっ、という衝撃に胸を貫かれながら、ひかるが影を伸ばした。跳ね、のたうち、ダークネスの足首から膝へ。
    「そ、れで、もっ」
     声が、血泡に濁る。
     いち早く背へとたどり着いた奈々の手から、鋼糸が飛ぶ。ひゅ、という鋭い音は危急を告げる口笛のよう。ダークネスの皮膚を破り、肉を削ぎ、その内へ。切り裂いて跳び退る奈々の動きは速い。
    「ハ、……ッ、グ」
     唐沢の歯が鳴った。
     血みどろの床を蹴った沙希が奈々のすぐ脇に駆け込み、巨腕を振り上げる。
    「背中ががら空きなのですよ」
     糸に裂かれた背へと、深い爪痕が抉り込まれた。
     トランドが叩き込むロッドにはアヌビスの頭があしらわれている。あたかも冥界への引導。どぅっという衝撃に雪が舞い上がり、彼の頬で水と化す。
    「ク……ッ」
     膝を突き跪くこととなりながら、唐沢は刃から手を放さなかった。ずるり、とひかるの内へと押し込む。彼女の周りを巡るのは、小さくきらめく光の輪。
     リディアの元から、ひた、と影が蠢いた。発する声は、お芝居の続きだ。
    「貴方……なかなかの強敵ね、でも、私達もまだ諦められないわ」
     ひたり、ずるり。夜の雪は幼子の白目のように青白く、彼女の遣わす影はダークネスをその内に呑み込もうと這う。
     足を引きずりながら戸口を離れ、凪月が硬く拳を握った。
    「……サヨナラ、此れがアンタの欲しかった『死』……だよ」
     殴打の音が鈍く響き渡り、何かが砕ける音が雪の中にこもる。言い切ったたことは果たすのだ。
     ギリギリギリと唐沢の歯が鳴る。黒いガラスのような瞳がひかるの瞳に触れそうなところで瞬きを失い、焦点らしきものも失って、肩へと落ちた。
     醜く歪んだ塊が次々と砕けて雪へと沈み、貫かれていた腹から刃が消える。
    「それでも――私を救ってくれた人は温かな炎で守ってくれる。光をくれる」
     ゆえに、在る。傷口からあふれ出る鮮血へと、仲間の癒しがもたらされる。
     明暗が分かたれた。
     彼らの舞台の幕が降りる。

    ●ベルは鳴らず
     手当ては庭園の中で行われる。
     忙しく手を動かしていた恒汰の肩先に、連れのナノナノがふわりと漂い寄った。
    「……あっ、イチお前、戦闘終わったからってそんな目でオレを見るなよ!」
     傷が癒えたばかりの手を、イチの方へと差し出す。
    「あれは演技なんだって! オレあんな情けなくねーもん……!」
     ナノナノのつぶらな瞳は、掌の向こう。
     風が乱れた雪を撫でるが、それは赤黒く汚れてもう舞い上がらない。ただ、塔の扉が、蝶番を微かに軋ませた。
     沙希が、その音の方へと向き直る。
    「助けられなくてごめんなさい。せめて安らかに眠って下さいです」
     祈りは冬風にさらわれ、夜の空へ。
    「自分の命を大切にできない人が他の人を救えるわけがないのです。そして殺しを渇望するあなたには、破滅しか与えられないのですよ」
     また扉が揺れ、軋みの音が細く長く尾を引いた。
     トランドが、その内へと踏み込む。靴音がぬめり、小さく跳ねた。惨劇の場を見回し、既に息絶えた者たちへとせめてもの祈りを残す。外へと出て、背で静かに扉を閉ざした。
     弔いの鐘の音がない。
     歩き出すリディアの口から、騒ぐことのない声がこぼれた。
    「まだこんな敵も氷山の一角に過ぎないわ。六六六人衆、絶対に許せない」
     未踏の雪の上に、次の一歩が刻まれる。
     きしり、と。
     

    作者:来野 重傷:鈍・脇差(ある雨の日の暗殺者・d17382) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年2月25日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 12/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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