お腹から血を流して倒れている鹿の頭を、そっと撫でる。
涙が止まらない。
「ごめんね、ごめんね……」
奈良で生まれ育った自分にとって、鹿は1番身近で、1番大好きな動物だ。
その鹿を、自分が殺した。
流れ弾であって、わざとじゃないけど、どちらにせよ自分が殺した。
「ごめんね……でもあたし、生きなきゃいけないの」
若草山一帯に広がっているのは芝であり、樹木ではない。山というより丘のイメージ。
言い換えれば、自分の身を護ってくれたり、隠れる役に立つような遮蔽がほとんどない。
なので、自分が生き残る方法は1つしかない。
殺される前に……殺す。
「ええ、生き残ってやるわ……どんなことをしても、絶対に……」
「縫村・針子及びカットスローターによる六六六人衆生成の儀式の事件は、なおも続いているようです。
今回閉鎖空間となっているのは、奈良市の若草山を中心とした区画です。そのため殺し合いを強要される人間の他に、現地に多い鹿も空間に巻き込まれ、流れ弾で犠牲も出るようです」
五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)の表情は、能面の如く。
「そして殺し合いを生き残り、六六六人衆となって閉鎖空間から出てくるのが、加藤・京子さん。
武器としてガトリングガンなどの銃器を用いています」
高屋敷・紗菜(箱入りストリートファイター・dn0102)がうなずく。
「わかりました。ではわたくし達としては、六六六人衆となった京子さんをKOして正気に戻せばいいのですね」
「戻せません」
「……えっ?」
「戻せません。
京子さんは元々、動物好きで非常に心優しい方でした。ですが殺し合いの過程で、彼女の精神は決定的に歪んで……完全な六六六人衆と化してしまうのです」
「で、でしたら! 京子さんが手遅れになる前に、わたくし達が閉鎖空間に入って、殺し合いを止めさせれば! これなら犠牲者の数も少しは減らせるはず!」
「恐らくそれも無理です。縫村・針子の閉鎖空間は『すりガラスのような半透明の壁』に覆われており、今の学園に突破の手立ては見えていません」
「……つまり」
紗菜という人間は、一本気でかつ世間知らずであるが、決して頭が悪い訳ではない。
その紗菜が、姫子の言葉を何度も咀嚼し、その真意を悟るまでには、ある程度の時間を要した。
「つまり姫子さんは、殺し合いの犠牲となる皆さんも、鹿さんも見殺しにして、さらに全部が終わってから生き残った京子さんをも灼滅しろ、そうおっしゃりたいのですか!?
誰1人、救えないではありませんか。他に打つ手はないのですか!」
「いえ、打つ手ならもう1つあります。
ここでただ、何もしないでいることです。
そうすれば少なくとも、京子さんを殺す必要はなくなります。代わりに六六六人衆となった京子さんの手で、何人も、何十人も犠牲が出るでしょうが」
「……くっ」
紗菜は唇を噛み、廊下へと駆け出した。他の灼滅者も慌てて後を追う。
1人だけになった教室で、姫子の机にぽたりと雫が落ちた。
「ごめんなさい、紗菜さん……ごめんなさい、皆さん……。
辛い役目を押しつけてしまって、本当にごめんなさい。どうかご無事で……」
参加者 | |
---|---|
比嘉・アレクセイ(貴馬大公の九つの呪文・d00365) |
倉科・慎悟朗(昼行燈の体現者・d04007) |
アリス・ドルネーズ(バトラー・d08341) |
ルリ・リュミエール(バースデイ・d08863) |
天野・白蓮(斬魔の継承者・d12848) |
神音・葎(月黄泉の姫君・d16902) |
アイリ・フリード(紫紺の薔薇・d19204) |
天霧・佳澄(高校生殺人鬼・d23566) |
●蟲の毒
若草山をすっぽりと覆う半透明の壁。
「……蠱毒」
ある種、神秘的な情景を目にして、神音・葎(月黄泉の姫君・d16902)が1人ごちる。
多数の蟲を壺に押し込んで、殺し合わせる。生き残った蟲は毒性が強まる。なので、その蟲を暗殺の道具に用いる。
下らない伝承だ。
そして何より下らないのは、こんな伝承を現実に移そうと試みる輩がいること。あまつさえ、蟲などではない、無辜の人間を使用して。
「わかっています。堕ちずにいられなかった貴女達の痛みも。
それでも生かして還すわけには、いかない」
「また六六六人衆が相手ですか。救いがないのにも慣れてしまいそうです」
倉科・慎悟朗(昼行燈の体現者・d04007)の表情は冴えない。
「本来ならば救うべき、救われるべき人。けどもう遅い。彼女を救えない」
それは比嘉・アレクセイ(貴馬大公の九つの呪文・d00365) も同じだった。だが彼は、声の力まで失ってはいない。
「せめてこれ以上罪を重ねさせない。ここで灼滅の救済を! その為なら悪役にだってなりましょう」
「生きる為に、殺す……僕も、親友を殺した。
気持ちはよくわかる……けど! もう終わりにしなきゃダメなんだ!」
アイリ・フリード(紫紺の薔薇・d19204)にとっては、京子は己の過去を写す鏡。
「正直、巻き込まれた人には同情しますが、我々にできる事はありません。
その手を汚す前に、速やかに終わりにしてあげましょう。歪んだ生を」
アリス・ドルネーズ(バトラー・d08341) の冷静さは、灼滅者側の1つの解答かもしれなかった。
さらに後方から数多くの、彼らに応じる声がある。
「縫村委員会……いつまで続けるつもりだ。胸くそ悪いぜ」
「六六六人衆、縫村委員会、ほんま胸くそ悪うなる事してくれるで! 元凶には必ず相応の罰をくれてやるわ!」
天方・矜人(d01499)と花衆・七音(d23621)の怒号を、夜鷹・治胡(d02486) や巽・空(d00219)、空本・朔和(d25344)らがなだめようとしていた。
「……救えないと分かってるなら、消すしかない」
「今の悲劇を止められないのなら……せめて、未来の悲劇を防がなきゃ!」
「もう引き戻せないのなら、せめて、早く、少しでも苦しまないように京子を止めてあげなくちゃね。
……ごめんね、もっと早く気付くことが出来たらよかったのに……」
事件の悲惨さを聞きつけたのか、多くの灼滅者達がサポートとして馳せ参じていたのだ。
その数、実に52人。
天霧・佳澄(高校生殺人鬼・d23566)は話を聞いても、京子に対して特段の感傷をいだいていない。『運が悪かったな』という程度だ。
彼の関心はむしろ、隣の仲間にあった。
「落ち着け、紗菜」
「……」
高屋敷・紗菜(箱入りストリートファイター・dn0102) は先程から、一言も発していない。
だが、彼女の握った懐中電灯の光は、何よりもその手、及び心中の震えを如実に示していた。
「悪いが、情は捨てな……紗菜ちゃん。
奴らに殺されたくなけりゃ、本気で奴を討ちな!」
その肩を、天野・白蓮(斬魔の継承者・d12848)がぽんと叩く。
「キッツイ話だよな。けど、きつい話だって思えるからこそおれたちは灼滅者でいられるんだしさ……今は全力でやろうぜ」
「つらいけど頑張ろうよ。これも1つの選択……個をとるか、多をとるか……そういう選択を、シェルたちはもっとしていかなければいけなくなるんだよ」
「やるせねえよな紗菜、けど此処で止めなきゃより多くの人が死んじまうんだ。今は苦しくてもやるしかねえ……わかるだろ? わかるから、此処にいるんだって俺ぁ信じる」
月代・蒼真(d22972)やシェレスティナ・トゥース(d02521) 、宍戸・源治(d23770)も白蓮に同調する。
「……」
紗菜の唇は、なお動かない。
「人生は、絶え間なく連続した問題集のよう」
決戦を前に、彼ら仲間達の表情を静かに眺めるルリ・リュミエール(バースデイ・d08863)。
問題は揃って複雑。選択肢は酷薄。加えて制限時間まである。
それでも1番最低なのは、夢みたいな解法だけを待って、何ひとつ現実の選択肢を選ばないこと。
だから、せめて。
「加藤・京子さん、漆黒の殺意をもって貴女を殺します」
●戦いは数だぜ
やがて、ふっと壁が溶けた。
夜景の中に1つの人影が見える。肩に担いだ巨大なガトリングの他にも、ダークネスから提供されたであろう重火器の数々を、針鼠の如く身体のあちこちに差している少女。
これこそが、加藤・京子に違いない。
「儀式はまだ終わっていない! 僕達を倒さない限り続くぞ!」
アレクセイが叫んだ。
自分達の存在が六六六人衆の力を得るための『最終試験』であると思わせ、京子が逃げないようにする――という目論見である。
葎は素早く戦場に目を走らせた。芝の斜面のあちこちに横たわる犠牲者や鹿の死骸に、トラップが仕掛けられていないか。強大な六六六人衆と対峙しながら、文字通り足元を掬われてはたまらない。
「……ふむ」
ざっと見大丈夫、と判断した葎は、白蓮とともに殺界を形成した。
「あ、あんた達は一体……!」
「アリス・ドルネーズ。九条家執事兼九条家ゴミ処理係。
出てきて早々ですが、貴方を殺させていただきます」
目を血走らせた京子に対し、優雅な動作で一礼するアリス。
「刀匠・天野の名において命ずる、胎動せよ……金剛の刃牙!」
「……」
スレイヤーカードから『木剣【金剛】』を顕現させる白蓮。慎悟朗は静かに息を吐き、感情のない『物』と化した。
「ほな、さっさと片付けましょか」
「逃がしませんよ。大人しくしててくださいまし」
千布里・采(d00110)やイブ・コンスタンティーヌ(d08460)ら、サポート組も戦闘態勢に入る。
そして、京子の逃げ道を塞ぐ任務にも、宇佐・紅葉(d24693)と氷灯・咲姫(d25031)のペアを筆頭に橘・彩希(d01890)、草那岐・勇介(d02601)、風輪・優歌(d20897) 、白石・作楽(d21566)、興守・理利(d23317)、縹・三義(d24952)ら多くの灼滅者が就いていた。
もっとも、灼滅者達の危惧に反して、京子に逃げる気はなさそうだった。
殺人の果てに正気を失ったが故か、ダークネスの力に覚醒した自信と高揚故かは不明だが。
「それは、こっちの台詞よ!」
まずは挨拶代わりとばかりに、灼滅者達の真ん中へと手榴弾が投げつけられる。目印となったのは、闇の中に目立つ紗菜の懐中電灯。
爆音とともに炎が立ち昇り、紗菜の制服が灼け焦げた。
「っ……!」
それでも紗菜は唇を結んだまま懐中電灯を手放さず、夜のとばりを照らし続ける。
続けてガトリングが唸りを挙げ、大量の弾丸が灼滅者達へとばら撒かれた。
「……私達は、その程度では倒せませんよ」
が、WOKシールドを展開する慎悟朗の表情は、むしろ少しほっとしたようにも見えた。
なにせ戦場で回復に従事するメディックだけでも、本業の佳澄と紗菜に加えて、伊舟城・征士郎(d00458)、喚島・銘子(d00652)、漣・静佳(d10904)、佐島・マギ(d16793)、月光降・リケ(d20001)、七塚・詞水(d20864)ら多士済々。衝撃ダメージ分の回復など、まったくお茶の子であった。
「これがルリの殺戮技巧!」
京子の真正面から、ルリがチェーンソー剣で斬りつける。
「お前に祈る神などいないのだろう。命乞いをする間もなく、殺してやる」
「特化された生存本能……同じ人だからこそ恐ろしく感じる本能だな」
ルリの脇からは、正面に立つことを避ける立ち回りのアリスが、鋼糸『レクイエム』を操る。さらには白蓮の『木剣【金剛】』が、京子の足元を薙いだ。
「ふんっ! それがどうしたの?」
先の殺し合いで京子も傷ついているはず。だが、その動きに傷の気配は見えなかった。
得たばかりのはずの六六六人衆の力を、早くも己の物にしつつあるのだろう。
それでも、アレクセイの目にまだ焦りはない。
「(これ以上彼女に凶行を重ねさせない為にも、ここで止める!)」
●1人1人は弱くとも
「きゃっ……アレクセイちゃん!?」
ルリに向けて撃ち込まれた弾丸の前に、アレクセイが立ちはだかった。
一般人なら当然即死するであろう鉛の衝撃を、バトルオーラが吸い取る。
「くぅ、ガトリングがこんなにも強力だなんて……!」
が、蓄積した殺傷ダメージがそろそろ危険水域に達しつつあるのか。一瞬アレクセイの膝がふらついた。
「これ以上は危険、か。後ろに下がりますので、交代を!」
「おう、任せな!」
すかさず佳澄が前進してディフェンダーに、アレクセイがメディックにと交代する。これで灼滅者側の戦線にも少し余裕ができた。
「……なんでよ」
京子の叫びは暗く、よどんでいる。
「……なんであんた達、組んでるのよ」
総勢61人の灼滅者のうち、京子から何人が視認できるかはわからない。
それでも、生き残るために互いが互いを敵とした閉鎖空間での殺し合いとは違う、とは京子にももう理解できているはずだ。自分以外の全員が協力し合って、自分に立ち向かい、殺しに来ている、と。
「さあ、なんでだろうな?
じゃあ足りねぇ頭で考えろ。これはアレの『最終試験』なんだぜ?」
1人の灼滅者の力が1人のダークネスの力より劣ることは否定できない。
故に、佳澄は正面からの激突を好まない。優位を得るため、そして京子の逃亡の恐れを少しでも減らすため、口先三寸でも何でも利用する。
「いいわよ、だったら全員殺してやるから……くっ!?」
長期戦で弾が切れたのか、京子はガトリングを投げ捨てると、今度はライフルを構える。
が、葎が肩から体当たりし、ライフルを弾き飛ばした。
「……貴女もまた、被害者です。ですが、ここで滅びを」
「生き残りたいかい? そりゃそうだよな……。
だが、今お前がヤっちまった奴も、生きたいって本能があるんだよ」
葎も、そして白蓮も、決して京子が憎い訳ではない。ただ。
「お互い運がなかった。そんな言葉で終わらせたくはありませんが、なんと言って良いか私にはわかりません」
慎悟朗の嘆きが正解なのかもしれない。
それでも彼は、京子の横へ、横へと回り込んでいく。もはや京子に逃亡の恐れがなくても、仲間のために隙を生み出そうと。
続けてアイリが、バベルブレイカー『駆動衝角【Crux】』の杭を回転させた。
「惨劇の連鎖は撃ち壊す……今、此処で! あなたを六六六から解放する事で!」
気合が螺旋となって、悲劇の源を貫く。
「いっ、いやあぁ……!?」
断末魔は化物の叫びなどではなく、最後まで少女らしい悲鳴であった。
それが灼滅者にとって救いであったかはわからない――おそらく、ならなかった人間の方が多数であろう。
●鎖の隙間を求めて
戦い、勝利した後に見られがちな高揚感。
京子の死体を前にした灼滅者達には、そのような気配はまったく見られなかった。
「せめて本当の事を言えていれば……いや、それは自分の為の慰めにしかならない」
アレクセイは目を閉じ、京子や被害者達に祈りを捧げているようだった。それでも、内心のやりきれなさは隠せない。
「今は……慰めでも、いいと思うよ」
アイリも感情を努めて圧し殺しながら、殺し合いの犠牲者を埋葬していた。
それはサポートの灼滅者達も同じで、思い思いの戦後処理を施している。
アイリと共に人々や鹿を埋葬する者達、擬死化粧で悲惨な死の印象を緩和しようとする者達、走馬灯使いでわずかでも家族の元に返そうとする者達(閉鎖空間に閉じ込められる前の記憶しかないので、残念ながら情報収集の役には立たなかったが)。システィナ・バーンシュタイン(d19975) は京子の死体の元に鹿の縫い包みと鹿笛を置き、小碓・八雲(d01991)は縫村・針子が使っていた糸や針が辺りに残っていないか探しているようだ。
「エクスブレインがどんな立場にいるか……よく考えて姫子には一言、謝っておくように。この件、彼女もだいぶ辛いだろうからな」
「……はい」
白蓮院・子夢(d19538)から諭され、紗菜はこの時になって、ようやく口を開いた。
じわじわと東の空から、夜が明けようとしている。
すべてを見届けてから慎悟朗は、戦場より1人立ち去った。
「元を断たないと話にならないですね。毎度と言えば毎度ですが、完全に後手に回っています……」
今の自分達はまだ、閉鎖空間には手を出せない。
縫村委員会が――あるいはそもそもダークネスが存在する限り、新たな犠牲者は出続けるかもしれない。
それでも今回は、被害を最小限に食い止めた、と満足すべきであった。
何故なら、自分達が満足しなければ、誰よりも京子の魂が浮かばれないのだから。
作者:まほりはじめ |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2014年3月11日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 5
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