あなたがほしい

    作者:呉羽もみじ


     ちらし寿司に、子供でも片手で食べられる手鞠寿司。
     春を先取り菜の花のサラダに、はまぐりのお吸い物。
     桜餅にわらび餅、苺大福に、あったか葛湯。
     鼻歌交じりに料理を作る女性を、お内裏様とお雛様が見守っている。
    「ただいまーって、ずいぶん豪勢だな」
    「おかえりなさい。今日は雛祭りでしょ? 頑張ってみました」
    「パパー!!!」
     ふたりの会話を中断させるのは、可愛らしい声。
    「お帰りお帰り! あのね、今日保育園でね」
    「ちょっと落ち着いて。手を洗う時間くらいくれてもパパは逃げないから」
     平凡で、だけど幸せな日常。
     私、幸せ。夢みたい。
    『正解。これは夢よ?』
     ――え?
     気付けば、ひとりの女が部屋に立っていた。
    『さあ、帰るわよ』
     女の声に、父親と子供はごく自然に反応し、当然のように女の側に寄り添う。
     二人を従え、悠々と部屋から出て行こうとする女は、ふと足を止め。
    『人のモノ欲しがってるんじゃないわよ。あさましいわね』
     ドアが全てを否定するように閉じられる。
    「違う、私はそんな。……でも、間違ってないのかな。欲しいって思ったのは本当だもの」
     へたり込む女性の耳に、親子の笑い声が聞こえたような気がした。

    「相手がいるかいないかってだけなんだよねー。や、『だけ』ってのは語弊があるかな……難しいね、こういうの」
    「どうしたの? ブツブツ言って」
    「なんでもない。じゃ、始めよっかー」
     首を傾げる、周防・雛(少女グランギニョル・d00356)に笑顔を見せ、黄朽葉・エン(ぱっつんエクスブレイン・dn0118)は説明を始める。
    「今回は、お雛様になれなかったお姫様が、シャドウの悪夢に囚われてるんだ」
    「……もう少し、具体的に説明してくださいな?」
     傾げた首を、今度は反対側にこてりと傾け続きを促す雛。
    「好きになった男性に既に家族がいたんだ。今の時代、一夫多妻制は適用されないから、彼女が彼と結ばれることは難しいだろうね。どんな手を使っても、ってなら話は別だけど。
     幸いなことに、彼女は――希さんって言うんだけど、過激なことは思わなかったんだ。
     彼とほんの少し話をするだけでも嬉しい。それだけで良かったんだ」
     しかし、彼が優しい素振りを見せると心が揺らぐ。
     触れたい、抱きしめたい。
     ――欲しい。
     そして彼女は願ってしまう。
     彼と家庭を持つことが出来たら。
    「それを願ったら、彼と家族になる夢を見ることが出来たんだ。まあ、シャドウの仕業なんだけど。
     夢だとしても彼女は幸せを感じていたんだ。
     だから夢を見せたのは、悪いことじゃないと思うんだよ。
     問題はその後。夢の途中で、正妻よろしく彼と子供を奪って行くんだ。
     幸せの後に突き落とすって、子供じみてるけど効果的だし、とんでもなく性格悪いやり方だと思わない?」
     俺はいやだなあ。とエンは顔をしかめる。
    「そんな性格悪いシャドウさんがお出ましになるのは、君達がソウルボードに入ってから15分後。
     ソウルボード内の希さんの家には、男性が家に帰ったのを確認した後、普通にチャイムを鳴らせば招き入れてくれるよ」
     男性側は希の知り合いかと思い、希は主人の知り合いかと勝手に勘違いするので自然に行動すれば余程怪しまれることはないはずだ。
     そして、与えられた15分の間に何かしらのアクションを起こして、これは夢だと悟らせ、かつ、希の信用を得て欲しい。
    「やり方は任せるよ。和やかに進めても良いし、こんこんと道徳をうたっても良い。
     せっかく雛祭りの料理があるんだから、お相伴に預かるのも良いかもしれないね」
     15分経てば、説得成功の可否に関わらずシャドウはその場に現れる。
     配下はその場にいる男性と子供。
    「希さんの信用を得ることが重要なのは分かるよね? だって、君達は愛する主人と子供を攻撃する立場になるんだから。信頼とはいかないまでも、信用くらいまではゲットしていて欲しいな」
     戦闘の際にシャドウは縛霊手の同等の能力を持つ扇とシャドウハンター、男性は妖の槍、子供は護符揃え相当のサイキックを使用する。
    「難しいかもしれないけど、すぱっと諦めて新しい恋を――」
    「そうかもしれない。だけど、夢見ることは自由だよ」
     エンの言葉を遮るのは、水上・オージュ(実直進のシャドウハンター・dn0079)。
    「今日は僕も行かせて欲しいんだ。自分でもどうすることも出来ない感情なのに、それにつけこんだシャドウを僕は許せない」
     靴音を響かせ教室から出ていく。
    「……。何か生真面目くんが熱くなっちゃってるねー。連れていってあげてくれないかな?
     もし、彼が暴走したらぶん殴っても良いからさ?」
     って俺が言ったのは内緒にしておいてねー、とエンは場の空気を和ませるようにへにゃりと笑って見せた。


    参加者
    周防・雛(少女グランギニョル・d00356)
    向井・アロア(お天気パンケーキ・d00565)
    九井・円蔵(デオ!ニム肉・d02629)
    九曜・亜門(白夜の夢・d02806)
    杠・嵐(花に嵐・d15801)
    唐都万・蓮爾(亡郷・d16912)
    天道・雛菊(天の光はすべて星・d22417)
    湊元・ひかる(コワレモノ・d22533)

    ■リプレイ


     杠・嵐(花に嵐・d15801)が、玄関の脇にあるチャイムを押す。
     来客を知らせる軽やかな音。
    「はぁい」
     特に警戒もせず、ドアを開ける女――希と灼滅者達が相対すること暫し。
    「えっと」
     言い淀む希の目に、唐都万・蓮爾(亡郷・d16912)、向井・アロア(お天気パンケーキ・d00565)が持つ白酒や甘酒、桃の花を見て表情を緩めた。
    「あなたたち、もしかして」
    「そうですそうです。御馳走を頂きに参りましたよぉ! ヒヒヒ」
     九井・円蔵(デオ!ニム肉・d02629)がおどけた口調で返事を返す。
    「主人の知り合いかな? ようこそ。御馳走……と呼べるかは分からないけれど、食事はいっぱい準備してるから、どうぞ楽しんで」
     玄関のドアを大きく開ける。
    「あの人ったら酷い。私が偶々、食事を多めに準備してなかったらどうするつもりだったのかしら。それとも、雛祭りだから希は御馳走を準備してる筈! って思ったのかな?」
     口に出すのは、来客を事前に知らせなかった主人を詰っている風だが、口調は柔らかで楽しげなもの。
     その様子を、どこか寂しげに見守っていたのは、湊元・ひかる(コワレモノ・d22533)。
     好きな人と一緒にいられたらどんなに素敵なことだろう。
     ちょっとしたやりとりも、小さな喧嘩も、視線が合うことも、互いの存在を感じながらそれぞれの時間を過ごしていても。
     それはどんなに素敵な時間だろう。
    (「それが叶わないって、凄く、辛い」)
     ひかるが闇に飲み込まれようとした状況と、希の状況はとても似通ったものだった。
     そんな彼女に、夢を求めた希を否定することは出来ない。
     それでも。
    (「溺れて帰って来れなくなるのは、止めたい」)
    「大丈夫?」
    「あ、え、大丈夫です、すみません」
    「なら良いけど。……頑張ろうね」
     水上・オージュ(実直進のシャドウハンター・dn0079)の声にびくりと反応したひかるを見て、彼自身も驚いた顔をしていたが、やがて玄関の中へ姿を消した。
    「ひとりだと沢山食事を作る機会も少なくて。お客様が来てくれるのは嬉しい」
    「……ふむ。では遠慮なくお相伴に預かるとするかのぅ」
     九曜・亜門(白夜の夢・d02806)がきっちりと靴を揃え、すっと立ち上がる。
     その洗練された所作に少し茫然としていた希だったが、すぐに気を取り直し、皆を奥へ案内する。
     

    「……トレビアン!」
     初めて見る雛人形に思わず感嘆の声を上げるのは、自分自身がお人形のような風貌をしている、周防・雛(少女グランギニョル・d00356)。
    「私の名前も『ヒナ』って言いますの。なので、お雛様を見るのをとても楽しみにしていましてよ!」
     その脇では、アロアが桃の花を子供にプレゼント。
    「桃のお花ってかわいいよね、いい香りがするよ」
     しゃがみこんで子供と視線を合わせ、にこにこと笑うアロア。彼女につられ子供も嬉しそうな顔をする。
     不意に現れた集団に訝しげな顔をした男性だったが、希が彼らをソファなど上座に案内するのを見て、客だったのかと納得したように頷く。
    「よろしければ、どうぞ」
    「わざわざ丁寧に。ありがとう」
     蓮爾が勧める白酒を飲み、世にも幸せそうに息を付く。
    「私が最後に雛祭りをしたのは大分前だった様な気がするな。祝ってもらえるのはとても嬉しい事だ。無論今日の主役は私では無いが」
     天道・雛菊(天の光はすべて星・d22417)が子供を見て微笑む。
    「そういえば、名前を訊いていなかったな。私は雛菊と言う」
    「私はアロアだよー。キミのお名前は?」
    「え、名前?」
     動揺したのは子供。名前を訊かれるとは夢にも思わなかったらしい(夢だが)。
     助けを求めるように父親の方を見るが、白酒をちびちびやりながら知らん振り。
     ぎらりと男を睨み付ける瞬間、シャドウの配下である片鱗が見え隠れしたが、ここで一気に攻めるのは時期尚早。皆、笑みを張り付け子供の回答を待つ。
    「……私の、名前はね」
    「――アユミ」
    「え?」
    「歩、って書いてあゆみって読むの」
     助け船を出したのは希。お盆に乗せた料理をテーブルに置いていく。
    「歩か。良い名前だ。由来とかはあるのか?」
    「小さくでも一歩一歩確実に歩めるようにって願いを込めて……かな」
    「父親と二人で決めたのか?」
    「そう、ふたりで……あれ?」
     希は記憶を探るように視線を彷徨わせ、男を見る。
    「……昔のことだから覚えてないな」
    「もう、そんなに昔の話でもないでしょう。えっと。そう、確か私が決めたのよ。どうしてもこの名前が良いって。
     子供が出来たらこの名前にしたいって昔からの夢で……あれ、子供が出来たらって、もう歩は産まれてるし……。あれ?」
    「ヒヒヒヒ!」
     不意の笑い声。
    「あまり、質問攻めはいけませんよぉ。折角のお料理を楽しみましょうよぉ!」
    「そうだな。このお寿司、とても美味しいから」
     円蔵が会話を打ち切り、嵐が沈みかけた空気を引き上げる。
    「これ、頂いても良くって?」
    「ええ、勿論」
    「セ・ボン! 味良し、彩りも見事!」
     大きな瞳を輝かせ無邪気に称賛を贈る雛の様子を見て、希も嬉しそうな顔をする。
     雛は雰囲気を壊さないように笑みを湛えた儘、雛人形へ目を向ける。
    「このお人形、まるで貴女達のようね。貴女と旦那様は、どの様にしてお出会いに?」
    「ふむ、私も是非、お二人の馴れ初めを聞いてみたいのぅ」
    「それは」
    「おや、杯があいていますね。大変失礼しました」
    「ヒヒヒ、付き合いますよぉ! ぼかぁ甘酒ですがねヒヒヒ!」
     やんわりと止めに入る男の腕をがっしと掴む蓮爾と円蔵。
     嵐は男の視線から希を隠すようにさり気無く移動する。
     助けを求めるように歩の方を見るが、アロアと遊ぶのに夢中で灼滅者達の様子に気付いていない。
    「私達の馴れ染めなんか聞いても面白くなんか……」
     灼滅者達の期待の目を一身に受け、恥ずかしそうに、だが、どこか嬉しそうに目を細める。
    「分かった。じゃあ、ちょっとだけ」
     給仕の手を止め、ゆっくりと座る。


    「割と良くある話よ。彼が会社の先輩で、私が後輩。
     仕事が出来て、指導も上手な彼を目標にしてて、それでいつの間にか好きに」
    「ええ、それで?」
     話の邪魔にならないよう蓮爾が短く相槌を打つ。
    「日頃のお礼を込めて、食事に誘ったらOKしてくれて。
     その食事の最中に奥様から電話が……」
     希の顔色が青くなる。ひかるが目を伏せ、アロアがその様子を心配そうに見る。
    「ううん、違う。私はその時告白したの。そうしたら『ありがとう』って言ってくれて」
     雛菊は手に持っていた桜餅をそっとテーブルの上に乗せる。
    「違う。その時、彼は私のことを受け入れてくれて」
    「それは先ほどの話と、少々食い違わぬか?」
     亜門の指摘を聞き、青かった顔が更に血の気を失う。
    「あ、あはは……こんな話聞いても面白くないわよね。食事は足りてるかしら。足りないなら何か作るけど」
    「逃げないで。現実に向き合って」
     キッチンに退散しようとした希の手をそっと取ると、ひかるが囁くように言う。
    「温かいご家庭ですね。僕も憧れてしまいます。これが貴女の理想ですか」
    「好きなやつには好きになってもらいたい。普通だろ。希は、悪くない。お前の思いも。夢見たことも」
    「……。ねえ、ここはどこ? 私の知ってる世界じゃない」
    「信じ難い話でしょうけれど」
     蓮爾はそう前置きすると、これが夢であること、これから起こる戦闘のことを手短に説明する。
    「……分からない。分からないことばかりだけど、あなた達は嘘を言っていないことだけは分かる。でも、私はどうしたら」
    (「ヒヒヒヒ!」)
     円蔵が希の背中にそっと触れ、言葉を直接脳に送り込む。
     不意に聞こえる笑い声にびくりと肩を震わせる。
    (「悲しい悪夢はこれで終わりにしましょうよぉ! 今こそが夢の終わりなのですよぉ」)
     円蔵のヒヒヒ笑いを暫くダイレクトに聞いていた希は、小さく吹き出し、下を向いてくすくすと笑い始めた。
    「あなたの笑い声、とっても素敵。聞いてるだけで元気になりそう」
    「ヒヒヒ惚れちゃあいけませんよぉ」
    「あ、それはちょっと」
     そっと目元を拭い、顔を上げる。
     和やかな空気。
     それを邪魔するように、雛人形のあった空間が歪む。
     主が現れることを悟り、どこかほっとしたように男と歩が歪みの元に駆け寄る。
     皆は表情を引き締め、いつでも戦闘に移行できるように身構える。
     空間を切り裂き、リビングに降り立ったシャドウは皆の注目を浴びていることに気付き、何となく居心地が悪そうに鼻を鳴らす。
    「何、あなた達。人の家に勝手に入ってこないでくれる?」
     そう言うと、灼滅者達を塵でも見るような目で見据えた。


    「水上、希のことは頼んだ」
    「任せて!」
     シャルロッテ・カキザキは何かを探すようにシャドウの全身を素早く確認し、大きく息を吐く。
    「わたしたちが希さんをあんなヤツに穢されないように守るから」
     城守・千波耶が希を背に庇い、戦闘に巻き込まれないように気を配る。
    「人の物を羨むのと、実際手を出すのとじゃあ雲泥の差だもの。わたしはあなたを尊敬するわ」
     紅羽・流希が物陰から飛び出す。
     シャドウの見せるまやかしとは言え、愛する人を傷付けるのだ。希がそれを見て心を痛めない訳がない。それでも。
    (「彼女の敵意は敢えて受け止めよう」)
     流希の拳は迷いなく男を撃ち据えた。
    「ボンソワール、マドモワゼル? サァ、アソビマショ!」
     雛は足元近くに糸を張り巡らせ、シャドウを牽制する。
    「想う心は自由よ。例え許されない相手だとしてもこの様な真似をして……許されるとお思いで?」
     口調は柔らかく、しかし視線は鋭くシャドウを見据える。
     男は槍を振り回し前衛陣へひと薙ぎ。狙いを自身に集中させる。歩は男を援護せんと無数の符を一度に放つ。
     シャドウが動きを制限された雛へ扇を撃ち付ける――まさにその瞬間、アロアが前に立ちふさがり、ダメージを肩代わりした。
     シャドウ陣営の息の合った攻撃に晒されふらつくアロアへ、ひかるがすぐさま符を投げつけ治療する。ひかるの治療で補えなかった分は、ナノナノ・むむたんの回復で補う。
    「この身はただ威を狩る者である。――ハクよ、合わせるぞ」
     白面を被り、精神統一した亜門は愛刀「連環式七星剣・輪廻」を自在に操り、霊犬・ハクは咥えた刀で男に切り付ける。
     息の合ったひとりと一匹の戦い方は、荒々しさは感じさせず、舞を思わせた。
     シャドウもつい攻撃の手を休め、ひゅうと下品に口笛を鳴らす。
    「悪いが、年増の趣味はないからのぅ」
    「っ、馬鹿にしないで!」
    「馬鹿にしたつもりはないのだか……」
     顔を赤くするシャドウを見て、不思議そうに首を傾げる亜門。
    「馬鹿と言えばあの女」
     思い出したように希の方を見て、嘲るように言う。
    「馬鹿なことを考えるわよね。馬鹿は馬鹿に相応しい、くだらない夢を用意してあげたけど、それに気付かずにへらへら笑って。馬鹿みたい」
    「……グダグダうっせーんだよ」
     嵐がシャドウに肉薄。マテリアルロッドを力の限り振り下ろす。
     殺意の籠った攻撃を、扇で柔らかく受け流す。
    「人を好きになる事がそんなにいけねーのか。夢で罰せられるほどこの恋は間違いだって言うのか!?」
    「あなたのことは言ってないのに。それとも思い当たる節があるのかしら?」
     扇で口を隠してころころと笑う仕草は嵐の神経を余計に逆撫でさせる。
     蓮爾は全体を見据え、障りが一番蓄積している者に祭霊光を展開させた。
    「ゐづみ」
     己の分身、ビハインドのゐづみはその一言だけで主の言わんとしていることを理解し、ふわりと男の元へ近づき、鋭い槍の切っ先を削り取る。
    「こんなのってマジ許せないし」
     アロアは鍔迫り合いを演じながら、そう吐き捨てた。
     先程までの穏やかな雰囲気は微塵も感じられない。『父親』の仮面を脱ぎ去った男は能面のように無表情に槍を振るう。
     ほんの少し前までは懐いているようにさえ見えた歩も、男とシャドウに機械的にエンチャントを重ねていく。
    (「……マジでサイテーだし」)
     昂ぶる感情の儘に刀を振るい、男を守護していた符の力を無理やりにはぎ取った。
     何の気なしにシャドウが扇を振る。
     扇から放たれた風は前衛陣を切り裂き、細かな傷が動きを鈍らせる。
    「風には風で対抗しましょう」
     ヴァン・シュトゥルムが清浄な風を部屋の中に満たし傷を癒した。
     回復は足りていると判断したひかるは、影の刃で男を切り裂く。
     想定外の位置からの攻撃に反応が遅れ、黒い刃が男の身体を切り刻む。
     男が倒れたのを見て取り、円蔵は歩の間近まで走る。
     目が合うとにぃと笑みを作り、影を生み出し飲みこませた。
     盾を失った回復手は、酷く、脆い。
    「やだぁぁぁ!! 助けて、ママ!」
     先程までの無表情から打って変って、叫び声を上げながら希に助けを求める。
    「歩」
    「駄目だよ。……ごめんね」
     手を伸ばしかける希の腕をそっと抑え、悲しげにオージュが首を振る。
     悲痛な叫び声が聞こえなくなるまで希は耳を塞ぎ、「ごめんなさい」と繰り返していた。
    「残るはお前だけか。存分に味わうといい、星椿よ」
     どこか歪んだ笑みを浮かべ、雛菊は『星椿』を横薙ぎに払う。
     円蔵の技とは違うが、これも対象者のトラウマを具現化させるもの。シャドウの見る悪夢とはどのようなものだろうか。
     情けなく泣き叫ぶことはなかったが、不快気に鼻に皺を寄せ憎々しげに雛菊を睨み付ける。
     そんなシャドウの背後に音もなく忍び寄る、八神・忍。
     シャドウの肩口目掛け鎌を振るう。
    「油断せんこっちゃ。死神はいつでも背後から狙とるで?」
     忍の作った小さな隙。それを見逃さず、雛がシャドウに肉薄する。
    「アデュー?」
     ――永遠に、さようなら。
     血とは異なるべっとりとした体液が雛の服を汚す。
    『まったく、ちょこまかと鬱陶しい。ソウルボード内でなければ、片手でいなせたものを……』
     捨て台詞を吐き、液状になりながら床にしみ込んでいく。
     戦闘の高揚が未だ醒めきらない雛菊は、宿敵のいた辺りの床を力一杯踏みつけた。

     長い吐息に、はっとして振り返る。
     希だ。
    「なんて言ったら良いのか分からないけれど」
     シャドウが去っても、戦闘があった事実は拭えない荒れた部屋。
    「掃除を、しなくちゃね」
     のろのろと足元に落ちていた桃の花を拾い、顔を隠すように抱きしめる。
    「あの、手伝――」
    「ごめんね。人前で泣くのは慣れてないから。
     大丈夫よ。ちょっと泣いたらすっきりするから。私こう見えても図太いのよ?」
     この夢は理想のひとつに過ぎない。
     これだけが、あなたの全てじゃない。
     だから。
     ――だから?
     言いたいことはいっぱいあった。
     だけど、言えなかった。
     やるせない気持ちの儘、玄関のドアを開ける。
    「――ありがとう」
     ドアが閉まる直前に聞こえた、希の言葉がひかるの心に沁み込んでいった。

    作者:呉羽もみじ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年3月12日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 10
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