怪絵巻日高川

    作者:佐伯都

     まだ春も浅い山々を、斜陽が赤く染めていた。
     山間を蛇行して流れる清流のほとり、首へ翡翠の勾玉を飾った白狼が行く。やや長めの毛を風にそよがせ、白狼は前脚で川面を数回叩いた。
     西の稜線へ没する太陽が最後に投げかけた、一条の光。白狼は忽然と姿を消していた。
     峡谷を流れくだる水面が急激に盛り上がり、その中から鉄色の鱗をきらめかせる大蛇が鎌首をもたげる。
     青い二叉の舌を踊らせ、くろがねの体躯をよじった大蛇の吐息が炎となって燃え上がった。大きく蛇行した清流の中、胴のなかばを鎖でいましめられた大蛇は紅蓮の炎を吐いて咆哮する。
     ――あな憎しや。あな憎しや、青坊主。きっと捕らえ焼き殺してくれる。
     
    ●怪絵巻日高川
    「またスサノオが古の畏れを生み出したらしい。今度は和歌山県。日高(ひだか)川って川があるんだけど、そこに火を吐く黒い大蛇が現れる」
     成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)は地図帳で紀伊半島のページを開くと、熊野地方のあたりへ指先をおろした。
    「護摩壇山、このあたりに水源があって、こう、ぐるぐる蛇行して日高港まで」
     熊野で川で火で大蛇で……と来るといわゆる『道成寺』を思い出す者もいるかもしれないが、この大蛇は清姫ではない。大蛇が『熊野詣での若い修行僧に入れ込んだ女の化身』、という所までは一応清姫と同じだ。
     しかし肝心の修行僧、これがいけない。麗しい見目こそ安珍と共通していたものの、中身は相当の生臭坊主。女は言葉巧みにだまされて金品はおろか身も心も食いつぶされ、手ひどく捨てられてついに日高川へ身を投げた。
    「まあ全然関係ない、とまでは言いきれないか。何せ安珍清姫伝説自体、古い話だからね。若い僧に入れ込んだ女の情念の話、と言ってしまえば八百屋お七だってそういう事になる」
     話を戻そうか、と樹は地図帳を閉じた。
    「……まあ、そういう境遇にあった人間の怨念が、その土地に古くからある清姫伝説に似た形をとった、と言う事だろうね。安珍は少なくともここまで悪どくはなかっただろうし」
     大蛇は、上流域のとある深い淵にいる。淵はU字を描き、弧の内側は岩が転がる広い河原なので戦闘に困ることもない。大蛇の胴のなかばへ鎖が巻き付いており、そのせいで淵の周辺より遠くへは移動できないようだ。
    「年齢は問わないけど、河原へ男が踏み込むと淵から上がってくる。長さも15メートルくらいはあるし、尾で殴られたら相当痛そうだね」
     炎をまとった攻撃が多いことからも、前に立つ人員は体力に留意したほうがよいだろう。
     そして、やはりこれまでの例にたがわず、スサノオの行方は予知がききにくい。
    「もちろんこちらでも特に注意はしているけど、起こった事件を焦らず解決していけばいつかは本体にたどり着けると思う」


    参加者
    旅行鳩・砂蔵(桜・d01166)
    風華・彼方(小学生エクソシスト・d02968)
    橘・清十郎(不鳴蛍・d04169)
    西洞院・レオン(翠蒼菊・d08240)
    御印・裏ツ花(望郷・d16914)
    瀬川・蓮(中学生魔法使い・d21742)
    アメリー・ヴァルテール(孤独の魔眼・d22964)
    川原・香代(虚ろなる・d24304)

    ■リプレイ

    ●淵の主
     旅行鳩・砂蔵(桜・d01166)は僧服の裾を翻し、日高川の流れを上流へ上流へと辿っていた。まさしく山林を抜けていく道なき道だが、蛇行する流れに沿って歩けばさほど足下は悪くない。
     風華・彼方(小学生エクソシスト・d02968)は霊犬を撫でてやりながら、砂蔵の姿を見失わないよう森の中を歩いていく。
     念のためにと橘・清十郎(不鳴蛍・d04169)と西洞院・レオン(翠蒼菊・d08240)をはじめとしてほとんどのメンバーは滑りにくいものや登山用のものを選ぶなど靴にも気を配っていたが、できる限りの準備はしておいたほうが後悔は少なくなるというものだ。
    「女を誑かす男の替わりというのは、申し訳ありませんけれど」 
    「怨念は、晴らさなくてはなりません……ここで終わりにしましょう」
     川原・香代(虚ろなる・d24304)の呟きに、アメリー・ヴァルテール(孤独の魔眼・d22964)が肩越しに振り返る。
     もし相手が、件のろくでもない男のほうであれば遠慮なく戦うことができるのに、と瀬川・蓮(中学生魔法使い・d21742)の顔色も少し冴えない。
    「あの世で再会した時、何を思うのでしょうね」
     もっとも、自分の悪行で人が死んでいる坊主が、思いつめて自死を選んだ相手と同じ場所に行けるかどうかは御印・裏ツ花(望郷・d16914)にもわからない。……もし同じ場所に行けたとしても、それはそれでまた何か違うような気がしないでもなかった。どんな形での終わり方が良かったのか、よくわからない。
     よく晴れた川沿いを歩く砂蔵の先を行く形で、香代の霊犬・アスラが飛び出してゆく。
    「アスラ、任せましたね」
     湾曲した河原に男が入れば流れのなかから姿を現すという特性上、砂蔵はわずかな時間とは言え一人で古の畏れと対峙しなければならない。すでにその足下には、護衛として蓮の霊犬・ルーが従っている。
     森の中を進む一行の目の前には、大きく弧を描く日高川が樹間に見えていた。そのほぼ真ん中あたりまで一気に駆けていったアスラとは別、少し遅れて清十郎の鯖味噌が砂蔵とルーを先導するように走り出る。
     じっと様子を見守る彼方の視線の先では、河原とは反対の木陰が淵へひどく濃い影を落として見えた。
     鉄色の身を潜めるにふさわしい、そんな暗さと黒さ。
     ……弥栄、と低く呟いたレオンの右手へトリニティダークが握られる。いつでも河原へと飛び出せるぎりぎりの位置で、アメリーは息を殺していた。鯖味噌が小走りにアスラへ近づいてゆき、その後ろから砂蔵とルーが河原へ足を踏み入れる。

    ●くろがねの蛇
    「アメリーさん、戦闘を伴う依頼では初めてご一緒ですね」
    「そう、ですね」
    「一緒に無事帰れるように頑張りましょう」
     緊張を解くような香代の声に、アメリーが微笑を漏らす。そのせつな、シッ、と鋭くレオンが右手を上げた。
     いつのまにかアスラが頭を低くして唸っている。異変を悟ったルーと鯖味噌が何度か吠えた。
     くろぐろとした川の深みの一角へ、流れと逆行する細かなさざ波が立つ。見る間に波は高さを増して水際で飛沫をあげはじめた。
     よどみない足取りで、砂蔵は広い河原のほぼ真ん中へ進み出る。ざわざわと波立つ淵が一瞬明らかに大きくへこみ、次の瞬間、急激に膨張して清水の塊が爆ぜた。
     おおきい、と彼方が漏らした声に清十郎は目を細める。あれだけ大きければ、確かに事前に指摘されていた通り一撃のダメージ量は相当なものだろう。回復手としては見極めが試される所だ。
     ゆらりと鎌首をもたげた大蛇の口から赤い炎が吹き上がる。鉄色の体躯と相まって、どこか燃える溶鉱炉じみて見えた。
     河原へ走り出す瞬間を伺うように裏ツ花がわずかに身を乗り出す。昏く黒い淵がそのまま具現化してきたかのように、大蛇は滑らかな鱗をきらめかせる体躯をよじり河原へ上がってきた。
     鞭のようにウロボロスブレイドを大きくしならせ、砂蔵は我が身を守らせる。すでに臨戦態勢に入った霊犬の存在もあるとは言えどう見ても――あの尾の一撃が来る前には、残りの人員の到着は間に合わない。
     その巨体に見合った重すぎる尾の一撃に、ルーがはじき飛ばされる。
    「すみませんが、当たってください!」
     河原へ走り込んだ蓮が掲げた指先、そこにぎりぎりまで圧縮されたエネルギー体。春浅い河原の空気を撃ち貫く一条の光が、鏑矢のように高い音を響かせ大蛇へ向けて吸い込まれた。
     正眼の位置に構えたアメリーの手元から放たれた制約の弾丸が、大蛇へ襲いかかる。一度間合いを取りなおした砂蔵のそばへレオンが走り込み、そのまま異形化させた右手を大きく振りかぶった。
     巨大な腕による凄まじい膂力の殴打。鉄色の鱗を隙間なく並べた胴のなかばに、鉄かどうかは不明だが金属のような大きな鎖が見える。
     もしそこに当てたら、もし鎖が切れたらどうなるのかと彼方はふと興味を覚えたが、すぐに鎖よりも目の前の大蛇に集中すべきだと考え直す。第一、エクスブレインが明言しなかったとは言っても、何が起こるかわからない以上は余計な事はしない方がいい。
    「鯖味噌、もうちょい踏ん張ってくれ。今回復する!」
     文字通りの強烈な一撃を食らった霊犬のルーへ回復を飛ばしながら、清十郎は自らの霊犬を励ますように声を張り上げた。

    ●沈んだ女
    「氷塗れにしてさしあげます」
     裏ツ花が半円を描くように大きく一振りした妖の槍の先、その軌跡へ妖気から変換された大きな氷柱が浮かぶ。ひんやりと冷たい風が頬を撫でていったのもつかの間、人間の腕ほどもありそうな氷柱が鉄色の鱗を何枚か粉砕し深々と月立った。
     そこを中心としてびしりと鱗へ霜が張るが、大蛇が一声大きく咆哮すると翼のように広がった炎が身を包む。ひるむことなくバスターライフルを青い寄生体に呑み込ませた砂蔵が斬りかかった。
     業火に身を包んだ様子をこうして見れば見るほど、なるほど中身は別物とは言え清姫そっくりだとレオンは密かに感心する。
     道成寺の釣り鐘の中へ逃げ込んだ安珍を焼き殺し、入水した清姫。
     かの伝承には短い後日談があり、安珍と清姫はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったと伝わっているようだが、この黒大蛇には果たして安らかな後日談が訪れるかどうか。
    「確かに貴女は不幸だと思う」
     ひとまず回復は十分と判断した清十郎が、足元の影を駆る。それを見て取った香代があえて同じサイキックを重ねにいった。
    「けど、無関係の人に当たるのは見逃せねぇな!」
    「蛇には蛇を。――レヴィ、喰らいなさい」
     それはまるで、残酷な闇色の牢獄。対象に心的外傷を見せつけるサイキックではあるが、周囲からはそれが何であるかを知ることはできない。トラウマを見ることができるのは本人だけ。
     満月のように引き絞られた彼方の弓の手元、鏃の部分へ急速に光が凝った。弓弦が指を離れ、大蛇の首に到達するまでに光を増したその矢は彗星そのものだっただろう。
     ぐわ、と鋭い牙を剥いて大蛇が吠えた。
     決してその吠え声は人語ではない。しかしどこか裏ツ花には、苦悶のようにも聞こえた。
    「わたくしは愛しき人に裏切られるなど、考えたこともございません。……もし裏切られたら、どうするか」
     今となっては、沈んだ娘と生臭坊主の委細は誰にもわからない。長い年月のうちに細部がねじ曲がったかもしれないし、起こらなかったことがさも事実であるかのように話がすり替わったかも知れない。
     絶望して川に身を投げて、それでも怨恨に病みつき蛇身を得て、地獄の炎を纏うような姿になり果てても、捨てた相手を忘れ去るという究極の救いを放棄した。
     こんな姿になる前に、こちらから見限るという選択肢は常にあっただろう。それなのに。
    「考えてみたのですが、それでも見限ることはできないでしょう」
     攻撃の手はゆるめない。それは灼滅者である裏ツ花の矜持にもとる。
     だって一度愛してしまったら。
    「愛する人を諦めたくはない、そう思うのです」

    ●祓われた娘
     それを愚かと断じる者もいるだろう。浅ましいとあざ笑う者だっているかもしれない。
    「正直言うと、私もあなたのお手伝いをしたいところですが」 
     両手の間に集めたオーラを大蛇にむけて解放し、蓮はわずかに眉をゆがめる。哀れと思わないわけではない。しかし。
     目の前に迫る過去の幻影を焼き尽くそうと言うのか、それとも憎い青坊主の面影を見たのか、くろがねの大蛇が業火を吐いた。河原を薙ぎ払うような炎は灼滅者たちを飲み込み、石を岩を焦がし尽くす。
    「なるほどひどい坊主もおったもんじゃな」
     前衛の負ったダメージは確かに無視できない。しかし精度の高い後衛からの攻撃と厚い回復が、確実に着実に大蛇を削り追い詰める。
    「だが、もう火を吹いて憎悪に身を焼く必要などどこにもないんじゃ」 
     火のにおいがする目元の髪を振り払い、レオンは長杖を構えた。何のてらいもない、中段からの横薙ぎ。
     硬く鱗に鎧われた体が、内部から爆ぜる感触とはどういうものなのだろう。
     愛も情けも、人が死ねば失われる。愛は永遠だなんて、それが本当は嘘だなんて誰もが知っている。自分の気持ちは確かに生きてさえいれば滅びないが、人と人との間の感情は、一人になった瞬間失われてしまうもの。
     だがレオンは永遠に失われないものを尊いとは思わない。いずれ失われてしまうからこそその輝きは尊くうつくしい。
    「騙されたのはかわいそうだけどさ。悪い人だって分かったら、さっさと離れちゃえば良かったのに」
     ひとの心がそう簡単に割り切れない事くらい彼方だって知っている。知っているしそれでも割り切れないからこそ人は怨み、怪かしは祟るのだ。
    「顔だけで選んだ結果だよね!」
     そんなわけがないからこそ、挑発にもなりえる。
     ふわりと砂蔵を中心に広がった魔力の霧が前衛の傷をふさぎ、風にさらわれて消えた。
     ――憎しや憎しや、全て奪いそして捨てたあの坊主。
     ――あな憎しや、青坊主。
     狂おしく身悶える大蛇の咆哮に混じって、喘鳴じみた女の声。そこに明らかな人の残滓を感じて香代は目を細めた。
    「貴女の気持ち、決して人殺しの形で終らせてはなりません」
    「スサノオに呼び起こされたとはいえ、本人以外に憎悪を向けるのは感心しませんね」
     裏ツ花の声に応えるように縛霊手の周囲へ極細の糸が張られ、それは見る間に網の形状を成した。力任せに振り抜いた動きにのせて衣服の裾が踊る。
     ――きっと捕らえ焼き殺してくれる。
     ――きっと、そうすれば。
    「せーのっ!」 
     蓮の放った白い光条では最後まで削りきれないと判断したのか、アメリーがとっさに紅蓮斬で殴りに行く。
     縛霊手にまとわせた赤いオーラが、大蛇のまとう炎と相まって高く高く燃え上がった。太い咆哮が途絶え、あれほど燃えさかっていた火が消え。
     ――ともに阿鼻へと堕ちられよう。
     なぜか溜息のように落とされた呟きに、清十郎は瞠目したまま言葉を失った。
     それは。……その意味は。
    「ようやく沈んだか」
     砂蔵の声が合図だったかのように、火が消えた瞬間に静止したままだった大蛇が横倒しになった。鋼のような鱗の輪郭が徐々に曖昧になり、崩れるでも溶解するでもなく、一瞬で亡骸がかき消える。
    「……それにしてもスサノオの目的って、何だろうね」
     ようやく思いきり霊犬をもふりつつ、彼方が訝しげにこぼした。霊犬もふもふええな、とうずうずしているレオンに彼方が気付いていたかどうかは定かでない。
     すっかり若芽の色に染まった木々を見上げて清十郎は長く息を吐いた。
     ……自分勝手な思い込みかもしれないが、もしかしてあの大蛇の元になった娘は。
     怨みを募らせてもなお、元凶である僧を女犯の罪でひとり地獄に落とすのは忍びなかったとでも言うのだろうか。僧殺しの罪人は、地獄の中でも極刑中の極刑を受けるというのに。
     閉じた扇を口元へあてたまま、裏ツ花はじっと日高川の流れを眺めている。哀れな娘と、彼女に狂おしく望まれたひとりの男は果たして冥府のどこへ向かったのか。
     それを知るはずの日高川はすべての答えを飲み込んで、とうとうと流れているばかり。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年3月17日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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