家路

    作者:日暮ひかり

    ●『目隠しの安常処順』――白彰二
     夜の帳がひろがり始める三鷹の街を、一匹の獣が高台から見下ろしている。
     黒麒麟にも似た、雄々しく厳かな姿の獣だった。闇にとけてしまいそうな漆黒の身体は、しかし纏う炎ではっきりと浮かび上がっている。
     街外れの雑木林の向こうに、ひとつ、ぽつんと建っている屋敷があった。一番近い家からも、300メートル以上は距離があるだろうか。まるで世間から逃れるようにして、その屋敷はひっそりと存在していた。

     屋敷のあるじの苗字は、白、といった。
     多数の妻と子に囲まれ、この国では認められていない、一夫多妻の暮らしをしている。男に惚れ込んだ妻同士も皆、それなりに仲よく暮らしている。
     誰かがその男を『ロクデナシ』と、その家族を『トンデモ家族』と表現した。
     異常といえる家庭環境に、息子のひとりは強いコンプレックスをいだき、ずっと抱え込んだまま生きてきた。
     誰にも触れられたくない、心のなかの一番暗い場所に隠したまま。ただ笑い、ただ元気であろうと少年は己を奮い立たせ、己と周囲に目隠しをかけながら、日々を生きてきたという。
     
     白家の屋敷の窓には暖かな灯りがともっている。そろそろ夕飯時だ。家族が食卓に集まっているのだろう。
     獣は獰猛な瞳で、その窓明かりをじっと睨んでいた。紫がかった桃色の眼球は殺意を秘めて強く輝き、身体に纏う炎のどこより明るく見える。
     獣はフンと鼻を鳴らし、脚を強く踏みならす。そして虹色の鬣をなびかせ、勢いよく地を蹴った。
     金に交じる虹色の毛にだけは、まだ誰かの面影がある。その『誰か』であることが辛いなら、もうすべて捨ててしまえばいい。
     目指す先はひとまず、あの屋敷だ。そう、しがらみがあるなら、全て壊せばいい。
     獣が語りかけてくる。
     そうすれば、お前は楽になるのだと。
     疎ましい血から解放され、ただ壊すだけの獣になった時、彰二という名だった少年は完全な死を迎える。
     だがその時、彼はようやくすべてから解放され、自由になることができるだろう。
     
    ●warning
     縫村委員会の事件で闇堕ちした白・彰二(目隠しの安常処順・d00942)を発見したと、鷹神・豊(エクスブレイン・dn0052)から一報があった。話に応じた面々に一度黙礼を返し、エクスブレインは資料をひらく。
    「……彰二君には、絶対に掛川を逃がせない理由があったのだろう。そう考え、すまないが彼の事を少し調べさせてもらった。……どうやら、彼は過去にも一度、親子間のいざこざが原因で闇堕ちを経験していたようだ」
     そのさい、無関係な一般人を多数殺めてしまったことを、今でも彰二は悔やんでいた。
     だから、縫村委員会の参加者らが同じ過ちを起こすのを、どうしても許すことができなかったのだ。
    「どれだけ立派な人間も、闇堕ちすれば必ず凶行にはしる。彰二君もそれは心得ていた。……彼はあの後自害を試みようとしたが、イフリートの抵抗を受けことごとく失敗している」
     衝撃的な発言に皆が押し黙る。
     その行動に、彰二の強い信念が現れているようだ。
    「だが、生きていて本当に良かった。彰二君が諦めきる前にどうにか発見できたからな、まだ救出は可能だ。皆で力を合わせ、何としても彼を救ってほしい」
     
     イフリートは、彰二に関わったすべての人間を消そうとしている。
     人として得たしがらみを何もかも断ち切り、考える事を放棄させるためだ。
     手始めに選ばれたのが家族だ。これを食い止めねば、彰二の闇堕ちは完成してしまう。
    「彰二君は今、実家に向かって走っている。白家の中には父、母が五人、乳幼児を含めた彰二君の兄弟が六人いる」
     今、鷹神がさらりと凄い事を言った。だが彼はそんな視線を無視し、説明を続けた。普段より更に早口になっている気もする。
    「白家周辺の進行ルート上に、予知されずに張り込める場所をふたつ割り出しておいた。雑木林と公園だが、どちらも一長一短という所だ」
     雑木林は白家の手前だ。人通りや近隣への影響はないが、障害が多いため戦闘に支障が出ることが懸念される。
     公園は住宅地の一角にある。こちらは広さは申し分ないものの、人通りが心配だ。
    「どちらを選んでもいいし、もし作戦に参加する人数が多く確保できそうなら両方使う手もあるな。今、イヴ君に援軍を集めてもらっている。この辺りは皆で相談してほしい」
     もし事前に白一家を避難させようとしたり、他の場所で戦闘を行おうとすれば、勘付かれ逃げられてしまう。
     助ける最後のチャンスだ。それだけは避けねばならない。
     
    「彰二君はもうかなり意識が弱り、考え抗う事を放棄しかけている。本当にそれでいいのか、彼の心に問いかけてやるのが効果的だろう。もし言葉が届かなかった時は、彼の意思を汲んで灼滅を、頼む。……」
     家族、か。
     そう呟くエクスブレインの眼にはいつにない憂いがある。そういえば、彼も家族の話は全くしない人間だ。
    「……縁を切ったつもりでいても、たまにふっと家族がどうしてるか考える。不思議なものだな。彼の家庭の事情は、必要だと思ったら後で尋ねてくれ。彰二君は知られたくないと思っている事だろうが……助けるためなら、俺にはそれを話す義務がある」


    参加者
    灰音・メル(悪食カタルシス・d00089)
    白・朔夜(迷い込んだ黒兎・d01348)
    宮瀬・冬人(イノセントキラー・d01830)
    枷々・戦(異世界冒険奇譚・d02124)
    奥村・都璃(焉曄・d02290)
    水瀬・瑞樹(マリクの娘・d02532)
    白・巴恵(陰に咲く花・d03826)
    イブ・コンスタンティーヌ(愛執エデン・d08460)

    ■リプレイ

    ●1
     獣が夜の街に駆けだした。彼にとって最後となる家路だった。高台を下り、住宅街を抜け、公園の中央付近に差しかかった時だ。
    「やぁ彰二! 兄弟喧嘩しに来たよ!」
     獣は声の方向を見返る。そこには、白家の長男の理一がいた。彼の後ろに控える三女の白・巴恵(陰に咲く花・d03826)と、三男の白・朔夜(迷い込んだ黒兎・d01348)の姿があった。
    「……まってて。絶対、助けるから。……彰くんが笑ってる日常が、私の日常だから」
     内気な巴恵が懸命に紡ぐ言葉に、獣の眼がぎらつく。炎が口からちろりと漏れた。

    「待て、彰二君。自分の手で大切な人を傷付けちゃ駄目だ!」
     縁を断つ。そのために獣――彰二は必ず、近しい者を狙うだろう。奥村・都璃(焉曄・d02290)の予測は正しかった。同じく彼の家族を守ろうとする水瀬・瑞樹(マリクの娘・d02532)と、天羽・蘭世、ユエファ・レィ、イブ・コンスタンティーヌ(愛執エデン・d08460)と巴恵のサーヴァントらが、三兄弟の前に壁となって立ちはだかる。
     都璃は、彰二の家族の事はよく知らない。だから一人っ子の彼女が白家の話を聞いて、今まで感じていたのは……『羨ましさ』だ。
    「家族の話をしている彰二君はとても楽しそうだった。そんな家族を自分の手で壊すなんて絶対だめだ。止める。そして、帰らせるから、絶対」
     家族。
     それは憎いだけのしがらみではない筈だ。信じているから、傷つけさせない。都璃の広げたシールドが前衛を覆い、遅れて炎の波が襲いかかる。
     与えられた耐性は砕けた。身を焦がす炎の奔流にも怯まず、瑞樹は聖剣で獣を斬り返した。気負いないように見えても、その眼は強い意志を秘めている。
    「好きの反対は無関心。壊したい・嫌いっていうのは関心があるって証拠だよ?」
     瑞樹の胸には二つの念があった。彰二を心からわかってやれる友は、きっと自分ではない。何より、万一にも厳しい言葉で傷つけてはいけない。
     だからこれ以上言うべき言葉は無い。後はどうなっても、行動で示すのみ。
    「一撃でも入れさせないよ。腕一本でも指一本でも動けるうちは、貴方が気に掛ける人は私が守るよ」
    「皆さん、ありがとうございます……!」
    「僕は守るからね! 彰二兄も! 家族も!」
     せめて痛みが少しでも和らぐよう、朔夜は瑞樹の前に光輪の盾を飛ばす。小四の颯馬も一緒に回復を手伝う。家族がいる。ナノちゃんもいる。お兄ちゃんを気にかけてくれる人が、こんなにいる。どれ程心強いことだろう。
    「……その姿、久々だね。二度と見たく無かったな。彰二くんの帰る場所はそっちじゃないでしょう? 絶対連れて帰ります!」
     理一は妙に饒舌だった。息つく間も惜しむ勢いで、獣へ語りかけている。兄へ威嚇の唸りをぶつける獣の後脚を、何者かの攻撃が切り裂いた。
     函南・ゆずると関島・峻だ。巴恵が傷痕に赤い逆十字を重ね、裂く。四人の戦友の声が、彰二の魂に訴えかける。
    「あの時の蘭世の声を聞いていたなら、蘭世がここにいる理由わかりますよね……?」
    「今回は誰も傷つけさせないように……護るする、よ」
    「一人でつらい決断させて、ごめん、ね。わたしには、できなかった選択で、助けてくれて、ほんとにありがと」
    「本当にすまない。待ってる人が居る者は必ず帰るべきだ。だからこそ、皆と連れ戻しに来た」

     人の気配が近づいてくる。
     殺界形成を張ったイブは眼前の彰二へ揺るがぬ視線を注ぎ、どこか愉しげに赤薔薇の剣を振るう。彼に対する倒錯的な友愛の現れだ。そして何より、気配の正体には予想がついていた。
    「さぁ来い彰二、馬刺しにしてやります」
     四方から回復支援が飛び、前衛陣の受けた傷が一瞬で消える。彰二を、仲間を助けようと集った者たちが公園の出入口を塞いだのだ。
     公園内の一般人は事前に遠ざけ、各所に迂回看板も置いた。近隣の家々も異常ない状態だという。灰音・メル(悪食カタルシス・d00089)のサウンドシャッターの効果もあり、騒ぎにはなっていない。
     異変があれば連絡する、と言ったイヴ・エルフィンストーン(中学生魔法使い・dn0012)達を見張りに残し、多くの仲間が公園に集まっていた。
    「そういえば、彰二と勘と初めて会ったのもここだったね……」
     宮瀬・冬人(イノセントキラー・d01830)が、幼馴染の笑屋・勘九郎と瀬芹・慧一に呟いた。この獣に、彰二との思い出を踏み荒らさせてはいけない。多数の支援攻撃で足取りの鈍った獣に、冬人は制約の楔を叩き入れる。
     公園を守る灼滅者は容易に蹂躙できる数ではないが、神に似た獣は太太しい面構えで壊すべきもの達を見ている。本当に逃げる気は無いらしい。
    「俺は家族の事は知らねぇ、どんな闇抱えてるかも知らねぇ。ただ、全部ぶっ壊したいの中にちゃんと炎血部は入ってるんだろうな?」
     【炎血部】の部長、炎導・淼が大きく声をあげた。
    「【闇堕ちはしない・させない・頼らない!】」
     『不死鳥の誓い』を掲げ、唱和する三十名程の部員の中には枷々・戦(異世界冒険奇譚・d02124)、都璃、瑞樹の三人もいる。枝折・優夜や香坂兄弟のように、家族に関する痛みに共感できる者もいる。皆が、口々に呼びかける。
     彰二がいない部室は、淋しい。
     どこにいても皆のムードメーカーで、沢山の仲間が彼の笑顔に元気をもらった。時に真摯に、時に冗談交じりに言葉は紡がれる。皆、戻ってきて欲しい気持ちは真剣だ。
     言葉を散らすように、獣は大きく足を踏み鳴らす。そして再度、後衛の白姉弟を狙って炎を吐いた。だが、炎の道筋は前衛の厚い壁に阻まれる。
     後衛まで届く技は一つ。狙いを変えず同じ技を繰り返すのは獣の獰猛さと、彰二が家族に抱く屈折した感情。そして仲間の訴えが複雑に絡み、生んだ行動だろう。
     彰二が苦しんでいる。むせ返る熱さを肌に感じながら、戦は獣に破邪の斬撃を浴びせた。
     いつも一緒に馬鹿をしていた。笑顔の裏にこんな一面があったなんて初めて知った。けれど、どう向き合うかは決まっている。迷わない。
    「彰二先輩がたとえどんな生まれの人間であっても、俺の知ってる彰二先輩は変わらないよ。俺達はどんな彰二先輩でも受け入れる!」
     胸に傷を受け、獣は軽く唸りをあげた。【卓上競技部】の部長、篠原・朱梨と部員達が傍に歩み寄る。誕生日、彰二が贈り物をくれた時の事を、朱梨は今も覚えていた。
    「お誕生日に嫌な事があったんだって言ってたね。本当は言うのも嫌なことだったかもしれないのに。元気出たよって伝えてくれるために、言葉にしてくれたんだろうなって」
     知っている。
     彰二は、強くて優しい人だ。明るくて楽しい人だ。その思い出はなくならないし、なくせない。他人の言葉や価値観なんて気にせず、また一緒に馬鹿やりたい。
    「バカ彰二、早く戻ってこいよ。お前居ねーとつまんねーんだよ」
    「誰もお前から逃げたりしねえ。てめーが諦めようとしてるてめーごと引っ張り上げる!」
     白家と縁の深い【文芸部・跡地!】の部員で、クラスメイトでもある逢坂・豹と兎紀の双子も、二人で叫びをぶつける。
     同クラブや、彰二のクラスからも多くの仲間が来ている。誰にとっても、彰二はもう失くしたくないものの一つだ。過去の事はあえて鷹神に尋ねなかった者も多い。今まで見てきた彰二が全部だから――そう言い切る者がいた。
    「そこの暴れ馬、闇堕ちしたらその鬣むしるってずっといってたの、忘れたんですか? 全くおバカさんですね。彰二くんのバーカバーカ!」
     獣の鬣に飛びついたのは、かつて闇堕ちし彰二達に助けられた青柳・百合亞。兄の青柳・諒も白家へ恩を返すべく、仲間達と雑木林に待機している。【俺らハウス】の寮友、天木・桜太郎達が苦笑気味に見ていた。その悪口も愛ゆえ、だ。
     気に入らないなら一から作り直せ。楽しい思い出で上書き保存して、笑え。道化の様に。そうすれば、二度と忘れない思い出は増えていく。
    「隣の部屋から物音が聞こえないのって、結構寂しいんだぜー。何を抱えてるのかわかんねーけど、癒してくれる楽しい思い出、いっぱい作ってこうぜ」
     部活仲間のみではない。依頼で知り合った仲間や、藤原・広樹ら部外の友達。運命的に事件を知り、助けたいと願った者。沢山の心が、獣が恐れた『しがらみ』がここに集い、闇を照らす炎となる。
     オリヴィア・ルイスが、シエラ・ヘリアンサスが、天城・理緒が叫ぶ。
    「……僕ら全てが、あなたのしがらみです。不自由で、時に複雑に絡まり、それでも確かに繋がっている。絶つことなど出来ませんよ」
    「しがらみじゃなくて絆ダヨネ! もっと太く強く硬く結べるはずの!」
    「いらない? 考えたくない? 私達が築き上げてきた絆が、闇堕ち如きで失われるなんて認めませんよ!」

    ●2
     数々の言葉に、獣はひとつ身を震わせる。しかし直後に激しく暴れ、周囲に群がる者達を振り払った。メルは、そんな彰二の様子を複雑そうに見やる。
    「……どんな人でも生まれや血は選べない。だけど、それが何だっていうの」
     不貞の娘として生を受け、周囲に疎まれ続け、それでも生きてきた。彼には居場所があるのに、それが悩みだなんて――悲しみともどかしさは心惑わせる術に変え、獣の額にかるたを撃ちこむ。
     しがらみを全部消したって、その血も生まれも変わらない。
     どんなに疎ましいと思っても、生きろ。生まれた後の人生は、自分で選べる。
    「どんな姿になっても、どんなに性格が変っても、彰二さんは彰二さんだよ。自分の実家を壊したくらいで無くなる様なコンプレックスよりも、その虹色頭の方がよーっぽど悪目立ちするんだからね」
     獣の脚がたたらを踏む。瑞樹と都璃はタイミングを合わせ、鬼の拳と閃光の拳を獣の顎に撃ち入れた。白一家を庇い、幾度強化を破られようと、二人を守る力はそれを上回る勢いで補充されていく。
     支え役に徹する都璃の想いは、ここに居る全員の想いだ。これ以上誰一人傷つけさせない。それで戻ってきても、彰二はきっと喜ばない。
    『御前……サッキカラ煩イ。黙レ』
     獣が喋った。言葉が内に向けられたものと察し、イブは影の触手で獣の顔をぐいと引き寄せる。
     Schau mich an――私を、見て。
     戯れに囁き、じっと見詰め、陶然と笑む。葡萄酒色の瞳は獣など見ていない。彼はここだ。
    「弱い彰二の事も強い彰二の事も、受け入れてくれる人は、帰りを待ってる人は、こんなにも沢山いるって事、気付いてくださいまし」
     首に食い込む薔薇の棘は、彰二からの誕生日の贈り物。腐れ縁の二人を結ぶ愛しいしがらみ、それは、絶対の信頼。彼は帰ってくる。帰りが遅かったら、何度だって迎えに行く。
     隣で反撃に備えながら橘・彩希が言う。パスケースに託した願い、覚えている?
    「笑顔で迎えてくれる人が沢山いるでしょう。見なさい。見て選びなさいな。衝動の侭にではなく、貴方が考えて」
     滴る熱い血を顔に浴び、イブはにっこり笑う。彼女にとっては、殺戮こそが純愛だ。
    「愛していますよ、彰二。考える事を放棄して逃げたって、何度でも追いかけますからね、わたくし」
     その時、赤黒い影の刃が死角から獣を切り裂いた。彰二は自分の大事な獲物だ。そう主張するような鋭い斬撃が、虹色の鬣を散らす。影の主は、よく知る幼馴染の。
    「しょーじがお家のこと、嫌ってるのは知ってる。僕は……僕はそれも含めてしょーじが好きだよ……。しょーじが嫌いなしょーじも、まるっと全部大好きだから……」
     ……慧一の声にはっとして、冬人は深く息を吐いた。大切な彼らを失うのは、何より怖い事の筈だ。なのに、殺めようとしていた。だが恐れは秘めた衝動に勝り、闇を退ける力となる。
    「彰二が兄弟を大切にしてることだって、俺達はちゃんと知ってるつもりだよ。皆彰二の事を待ってるし、俺だって彰二達と一緒にしたいことがまだたくさんあるんだ」
    『……オレなンカもウ、別ニ居ナクたッテ……』
     今度は、彰二の声。
     冬人は、かたい前脚の蹄を両手で包みこむ。今度こそ、この手を離さない。
    「駄目。俺たちはお前のことを諦めてなんてやらない。だから、彰二も諦めたりなんかしないでよ」
    「俺ね、寂しかったんだよ。ずっと一緒にいたけど……高校だってその先だって、ずっとずっと一緒に遊びたいよ。ひとりでどっか行っちゃうなんて許さないよ、しょーちゃ!」
     勘九郎の愛の拳が、獣……白彰二を襲う。戦の起こした魔力の爆発に重ね、炎を纏った斬撃が襲う。自他共に彰二の親友と認める、森村・侑二郎の一閃だ。
    「家なんてどうだっていいじゃないですか。普通じゃなくても、いいじゃないですか。彰二くんは彰二くんですよ。みんなありのままの彰二くんが大好きなんです。帰ってきてください。みんなへの家の事情の説明……手伝いますから」
     過去も時には振り返る。けれど、人は進める。お前がやりたい事は、獣には成し得ない。
     生きる事から逃げるな。父を怒りたいなら、自分の手で。言いたい事があるなら、人として。鼓舞が届く。うるさいって言われたって、言い続ける。
    『オ、レ……御、前……許サナイ。オレノ身体。オレノ……自由!』
    「沢山の人が君の帰りを待ってるんだ。戻って来い、彰二君!」
     都璃がそう言った時、もう辛抱できないといった風に白家の面々が彰二に駆け寄ってきた。都璃、そして瑞樹は一家をガードしに動く。
     まだ安全とは言えないが……自分が責任をもって守るから。兄弟を大切に想う気持ちは、わかるから。瑞樹にも大事な弟がいる。好きでも素直になり切れなかった時が、ある。
    「てめぇ何勝手に堕ちてんだ! お前のせいで一のアニキは心配しておかしくなるし紀奈のアネキは飯ひっくり返すし巴恵も朔夜も颯馬も鞠緒もみんなずっと心配してたんだぞ! ……あたしも心配、してんだからな!」
    「しょーじ兄ちゃんがいなくなるのはいやです! またまりおとも、一緒にゲームして遊んでくださいです……!! ……行っちゃやです……っ!」
     次女の美沙希、四女の鞠緒。そして戦友の神凪・陽和に促され、朔夜も走る。
    「僕だって、怒る時はあるんですよ。彰二兄ちゃんの馬鹿……!」
     炎のオーラを纏った弟の拳が、頬に一発。倒れ込んだ彰二に、従姉の百雲・優子が溜息をはく。
    「血はどうにもならないのですよ。そんなどうでもいいことよりもっと大事なこと、わかりました?」
     心配する友人、兄弟達がこんなにいる。その幸せを今まで護ってきたんだろう。殺すなんて、本当は望んでないだろう。メルは漆黒の弾丸で彰二の胸を撃ち抜いた。
    「護りたくて譲れないモノがあって、でも力が足りなくて……だったら、堕ちてもちゃんと戻って来い」

     獣の彰二は、瞼を伏したまま起きようとしなかった。戦が杖で叩いても彼は起きない。たまらず傍にしゃがみ、傷の刻まれた身体をゆする。
    「先輩……先輩。ばか、本当にこのまま終わっちゃっていいのかよ! このまま終わるなんて俺は絶対に嫌だ! 一緒に居たい! 死んだら何も出来ないし二度と誰にも会えないんだぞ!」
     戦の叫びがこだます。まだ自害する気かよ。侑二郎先輩も怒るし、理一さんなんか発狂するぞ。戦いの終わりまでは堪えるつもりだった涙が、遂にあふれかけて……止まった。彰二がうっすらと眼をあけ、周りの皆を見ている。
    『……だ……れだ』
    「彰くん……! ううん、おにーちゃん」
    「貴方は、私の大事な弟です」
    「僕たちは、家族です」
     朔夜が、巴恵が、長女の紀奈が、そう教えた。
    「トンデモと言われても、僕達きょうだいの関係は変わらないし、変えたくない……。僕達きょうだいは……いいえ、皆さんが、彰二お兄ちゃんの味方なんですよ」
    「……彰くんが悩んでたのも、今もそれを引き摺っているのも。私はちゃんと知ってるよ。けど今は彰くんは一人じゃない。強がって意地張って、そんな事しなくていいんだよ。帰る方向はそっちじゃないよ。そっちには、なにもないよ」
     だから。冬人と紀奈が手を伸ばす。
    「帰ろう? 高校の制服だって、まだ着てないんだから」
    『どこへ……?』
    「貴方を心配する人達の所へ帰ること、その家路の案内は私がしてあげます。その声は、私達が応えてあげます」
    「きて。彰くんの気持ち、受け止めるから。叫びたい気持ちを、受け止めるからっ!!」
     あの日助けてくれたヒーローを、今度は助ける番だ。巴恵は精一杯の大声を張り上げ、両腕を広げた。
     考えろ。今、言いたい言葉を。
     闇の炎が薄れゆく。緩やかに起き上がった獣の厚い皮を巴恵のオーラが撃ち、暖かく包みこむ。
    「……ただいま……」
     帰ってきた人の彰二はそう言い、笑った。
     すまなそうに。照れくさそうに。嬉しそうに笑って、ふらりと倒れ込む。意識を失った彼を杉下・彰が支え、抱きとめた。
    「嫌いなままでもいいんです。ただ……彰二さんのこと、もっと解っていきたい。彰二さんの『嫌い』なもの、1つずつでも『好き』に変えてゆけたら……」
     緊張が解け、感極まった者達が涙をこぼす。後程、心配をかけた罰で様々な者から殴られるだろう。大嫌いなトマト責めにもあうかもしれないが――遠慮のなさは、彰二が皆に愛されている証だ。

     家族と、仲間と、家路を辿る。彰二の大好きな暖かい豆腐鍋を、全員でお腹いっぱい食べる為に。
     おかえりなさい。路はきっと、新しいどこかへ繋がるはずだから。

    作者:日暮ひかり 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年3月18日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 23/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 5
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