愛しの奏

    作者:小藤みわ

     クラリネットの緩やかな奏が茜の斜陽に溶けていく。
     音色に添って動きを付ければ、時折足元の木床が軋んだ。
     彼女の前に立てられた譜面台にある、楽譜の端には『奏音』という走り書きがあった。音を奏でる少女の名前らしい。彼女は端正な口元から楽器を離すと、長く息を吐き出した。
    「章介くん。今の音色、どうだった?」
     そうして彼女は花のような笑みを咲かせる。
     奏音の目線の先には床に座り込む少年の姿があった。彼の目線が奏音に向く。二人の視線が重なった。それを愛おしむように双眸を弛め、奏音は彼の傍らに座り込む。
     古い校舎の空き教室に存在するのは奏音と章介の二人のみ。奏音の演奏が止めば、辺りは静寂に包まれていた。
     奏音の指先が撫でた章介の足には銀の手錠。
     後ろに回された章介の手首には何重にも巻かれたビニールテープ。
     ただ黙って見返す章介の目元を撫でて、奏音はそっと眼を伏せた。彼女の長い睫毛が揺れる。
    「私、とても悦い音を響かせるでしょう?」
     私の方がずっと素敵な音を持っているの。
     私の方がずっと貴方のことが好きなの。
     私の方がずっと、ずっと、ずっと──。
    「他の誰かに触られるなんて許せない」
     言葉の鋭さに反して、奏音の笑みは何処までも無邪気であった。
     ふわり、ふわり、彼女の緩くウェーブかかった髪が揺れる。
    「貴方は私のもの」
     だから貴方を閉じ込めるの。
     貴方を誰も触れられない世界に連れていくの。
     貴方は私だけのもの。
     唄うように言葉を紡ぐ奏音の右手が、章介の頬に触れた。愛おしむように肌を滑った掌は、やがて爪を立て、彼の頬に赤の線を描いていく。滲み始めた紅の雫を奏音の舌が絡め取った。
    「良いよ」
     ふと、章介が呟く。
     彼の眼は変わらず奏音に真っ直ぐと注がれていた。自棄になった様子はない。彼はただ淡々と言葉を紡ぐのみ。
    「奏音が望むなら、それで良い」
     その瞬間、奏音の表情が一層、幸せそうな笑みで綻んだ。
     古い校舎の教室に惜しみなく差し込む茜の陽。その陽射しが、奏音の背後、茜より一層深い紅に塗れた少女の残骸を映し出していた。

    「彼のことが好きで好きで堪らなくて、不安でいっぱいになっちゃったのね」
     エクスブレインの少女が視線を送る先には、幾つもの花びらを広げるマリーゴールド。花瓶の中、愛らしく咲き誇る黄色の花に触れ、少女はそっと口を開いた。
    「奏音という女の子がね、闇堕ちしかけちゃってるみたいなの」
     きっかけはこれ、と少女が指を差したのは自分の左頬。
     会話から察するに、彼女の恋人である章介の頬に、同級生がキスをするところを見てしまったことが原因らしいと少女は言った。
     その同級生の女の子が冗談だったのか、本気だったのかはわからない。
     いずれにせよ、その光景を見た奏音は、このままだと同級生の女の子と章介を殺してしまう、と少女は言葉を付け足した。
    「奏音ちゃんが罪を背負ってしまうことがないように、みんなの力を貸して欲しいんだ」
     少女は真剣は眼差しで、「よろしくね」と告げる。
     奏音を闇堕ちから救うには、一度奏音を闇堕ちさせ、そのうえで倒すしかない。
     エクスブレインの少女が考えた作戦はこうだ。
     まずは囮を一人用意。
     囮はここにある制服を纏い、件の学校に潜入する。
     そして同級生の女の子より先に章介と会い、囮が彼の頬にキスをするのだ。
     そうすれば奏音は、章介と囮を件の教室に連れていき、淫魔と化して襲ってくるに違いない。
    「囮以外のみんなは先に件の教室の、隣の教室に待機かな。奏音ちゃんが淫魔になったら、格好良く登場してね」
     少女は微笑みながら、どこで章介と会えるのか、どこの教室に連れ込まれるのかが書き込まれた学校の見取り図を差し出した。
     件の学校は中学校。章介と会えるのは正門近くの旧校舎入り口、連れ込まれる場所は旧校舎の二階、一番端の教室だ。
    「奏音ちゃんも章介くんも中学二年生だよ。だから囮の人はその年齢に近い女の子、もしくはそれくらいの年齢に見える女の子がよいと思う。高校生なら背が低め、小学生なら背が高めの女の子、それなら中学生じゃなくても平気だと思う。男の子は……可愛くて女の子に見えるなら、大丈夫かな?」
     囮以外については、奏音と章介の眼につかないように旧校舎へ忍び込めば、中学生に見えなくても、この学校の制服を来ていなくても問題ないだろうと少女は言った。
     そうして彼女は笑うと、話は以上だと締め括る。
    「いってらっしゃい!」
     満面の笑みで見送る彼女の手元、嫉妬の言葉を孕んだ花は夏風に優しく揺れていた。


    参加者
    榛・桂花(カンフィエータ・d01175)
    古樋山・弥彦(高校生殺人鬼・d01322)
    久篠・織兎(糸の輪世継ぎ・d02057)
    吉祥・天女(KST634初期メンバー・d02972)
    ミルミ・エリンブルグ(焔狐の盾・d04227)
    文月・咲哉(ある雨の日の殺人鬼・d05076)
    咲山・三郎次(灼劫一閃・d05380)
    クレア・レイシュタイン(紛い物・d05620)

    ■リプレイ

     薄青の空に混じり始める夕陽色。輪郭を橙に彩られた白雲が薄く伸びて広がっている。
     クレア・レイシュタイン(紛い物・d05620)は指定の制服姿で傍らの旧校舎を仰いだ。あの校舎の一角から緩やかな奏が聞こえている。
     奏は綺麗だけれど、何処か不安定で覚束ない。
     旧校舎の入口前に立った人影はその奏に耳を澄ましているようだった。音の不安定さに気付いているのか、彼の表情は少し硬い。
    「しょーすけくーん!」
     クレアは意を決して彼の元へ駆け出した。一方、章介は抱き着こうとするクレアに瞠目する。反射的に後退る彼に笑みを向け、クレアは唇を彼の頬に寄せた。
     ──ゴメンね。
     離れゆくクレアの口元から零れた言葉に、彼は一層目を開いた。けれど先の謝罪とは打って変わって、再び表情を緩め、甘え始めたクレアの姿に章介から困惑が滲む。
    「あの、君は……」
     そう言って、章介の掌がクレアの身体を押し離した時だった。
     呼び声が聞こえ、章介の動きが止まる。クレアが彼の視線を追えば、旧校舎入口に細身の少女が立っていた。華奢な肩を上下させた彼女の眼がクレアを認め、すうと細められていく。
     クレアは彼女の眼を真っ直ぐに見返した。

     旧校舎に射し込む斜陽は気付かない内に、けれど確かに傾いていく。
     色濃い茜に染まる旧校舎の教室で、吉祥・天女(KST634初期メンバー・d02972)は窓の外を見つめていた。
     知らぬ間に傾き、気付けば堕ちて、深潭のような闇に染まっているのは空も人も似たようなものかもしれない。
    「奏音さんを救うためとはいえ、闇堕ちさせる為の一連の流れは、ちょっと可哀想な気しますね」
     天女が囁き声を落とせば、見取り図をなぞっていた咲山・三郎次(灼劫一閃・d05380)の指先が止まった。天女が続けて、だからこそ絶対に助けないといけないですね、と意気込むから、三郎次の双眸が笑みの形に緩む。
     天女達が居る場所は件の教室の隣に当る。
     ミルミ・エリンブルグ(焔狐の盾・d04227)は狐耳とぴょこりとさせながら扉の窓を覗き込んだ。
     キスシーンはちょっと見たかった、なんてそわりとするミルミの気持ちを現すように、彼女の背で狐の尾っぽが揺れる。その様子を見た榛・桂花(カンフィエータ・d01175)から笑みが零れた。
    「痴話喧嘩なら当事者同士で何とかしてくれ……と言いたい所だが、そうもいかないか」
    「あの結末だからな〜」
     文月・咲哉(ある雨の日の殺人鬼・d05076) は溜め息混じりに呟くと、教室の壁に凭れ掛かった。彼の足元に座っているのは久篠・織兎(糸の輪世継ぎ・d02057)。織兎は同じく壁に寄り掛かって咲哉を仰ぐ。ゆるり、その口元に笑みが綻んだ。
     やがて静寂を壊す足音が響き、桂花とミルミは顔を見合わせる。
    「貴方も付き合わせてごめんね」
    「大丈夫だよ。あたしもキミの演奏を聞いてみたいし、ねー」
    「良かった。章介は私の音を聞き慣れちゃってるから、助かる。」
     足音は三つ。話し声は奏音とクレアのものだ。まだ無邪気さが残った奏音の声が、古樋山・弥彦(高校生殺人鬼・d01322)の耳に響く。
     ──奏音ちゃん、本当にやりたかったのはそうじゃねぇだろうに。
     平生通りに寄った眉根へ、弥彦の親指が触れた。本当は音を、声を、そして想いを重ね、二人で奏でていきたいと願っていた筈で、けれどその願いが奇しくも真逆の結末を引き起こす。
    「……足掻いてみるか」
     例え、手遅れであろうとも。
     弥彦の独白に三郎次達は頷いた。同時に足が動く。扉を開け、直ぐに件の教室へ飛び込む桂花達の所作は疾かった。一斉に雪崩込み、織兎とミルミ、咲哉が前に跳ぶ。
    「KST634! 会員番号1番、吉祥・天女です!」
     天女は水色と白を基調にした衣装をひらりと翻した。明るい一声を響かせてくるりと廻り、天女は可愛らしく決めポーズ。
    「悪い子が居たら灼滅しちゃいますよ♪」
     一緒に戦いに行けるアイドルを志す天女は、彼女らしい満面の笑みで奏音を見返す。
     次の瞬間、奏音の足が動いた。
     彼女の踊るような足先が織兎達を穿つべく円弧を描く。同時に、衝撃に呑まれるミルミ達の姿を見た、章介が瞠目した。
    「奏音?!」
    「大丈夫よ。皆、すぐに殺してあげる」
    「お前、何を……」
    「いえ、そうはさせませんよ!」
     牽制の一撃を放った奏音と、章介の間にミルミが割り込む。奏音の掌を弾き、繰られた蹴りは跳ねて躱し、ミルミは手甲の盾を頭上に掲げた。
    「通りすがりの狐さん、参上です!」
     盾が振り下ろされると同時に、震動が轟く。
     波紋のように広がる衝撃の中、咲哉の死角を狙った一閃と奏音が織り成す音の障壁が競った。桂花が、その様子を呆然と見つめる章介の腕を引く。
     彼女の奏が何れ程真っ直ぐに想いを紡ごうとも、今は全てを傷つけ歪ませるものでしかない。だから今は退いて欲しいと桂花は告げ、章介と奏音の間に立ち塞がった。
    「……大丈夫ですよ」
     戸惑う章介へ、桂花は微笑む。
    「私達は、あなたの大好きなひとも護りに来たんですから!」

     奏音の口から死招く歌声が紡がれる。
     しかし章介を狙った華麗な歌声は、織兎の前に爆ぜ消えた。
     正義のヒーロー宛ら立ち塞がったかと思えば、織兎は奏音の顔を覗き込み、緩い笑みを零してみせた。その笑顔に嫌みはない。ただただ人懐っこい織兎の笑みに奏音は瞬くも、彼の顔面めがけて足を振り上げた。
     しかし刹那、織兎の姿は消える。
     瞬く前に死角へ回り込んだ、織兎の一閃が奏音を切り裂いた。
    「よう色男、状況を見誤るなよ」
     咲哉が章介を一瞥する。冷淡とも見取れる彼の視線に身を竦めた章介を、クレアが背押した。クレアはミルミが奏音を抑えてくれていることを確認すると、もう一度章介を見返す。
    「聞きたい事は沢山あると思うんだケド……今は無理。危ないの、わかるでしょ?」
     後で詳しく話すから、と言い添えて、クレアの掌が胸を叩いた。
    「彼女は任せて。大丈夫、あたし達が何とかしてみせる!」
    「あぁ。当事者がいることで冷静になれねぇ時もある、ひとまず僕らで落ち着かせてみるさ」
     言葉を重ねたのは弥彦だった。弥彦の指先が自身の跳ねた黒髪を掻く。彼の様相は鬱屈とした風でも、彼の言葉は根の真面目さを孕む。とんと、章介の肩を押す弥彦の掌は優しかった。
    「君の出番はそれからだ」
    「そういうコト」
     弥彦の言葉にクレアが肯い、咲哉もまた首肯した。
     彼女に人殺しの罪を背負わせたくなければ、今は退避し生き残れと、冷静な声で告げた咲哉は逸足で奏音の懐に踏み込む。素早く紡がれる咲哉の閃。奏音の身体がぐらりと揺れた隙を逃さず、咲哉は織兎と共に、奏音の身体を抑え込む。
    「最後に彼女の心を救えるのはお前だけだ。だから、行けっ!」
     咲哉の表情は変わらずとも、声には何より命の重さに敏感な性根が滲んだ。その彼を一瞥し、織兎が章介を見る。平生、緩やかな彼の笑みは消え、代わりに真剣な眼差しが章介を見据えた。
    「ちょっと任せてくれよ、お願いだ」
     織兎の言葉に押されるように、章介の足が動く。
     一歩退いた章介の肩へ、掌を添えたのは三郎次だった。三郎次は安堵を与える、落ち着いた双眸で章介を見返すと、「行くわよ」と笑ってみせた。
    「それじゃあ皆、任せたわ!」
    「はい♪ 三郎次さんの分もしっかりみんなを支えます!」
     天女は元気一杯に肯うと、天使と喩えられる程の綺麗な歌声を響かせる。
     皆を支えることを是とする天女の歌声は、ミルミの傷みを和らげるだけでなく、施された催眠からも解き放った。
    「ほらほら、余所見してて良いの?」
     奏音の目線はクレアが引き付ける。彼女の眼前に立ったクレアから閃光が爆ぜた。閃光の片は奏音に纏わりつき、歌の威力を削ぐ枷に成り代わる。
    「泥棒猫はコッチでしょ!」
     そう叫ぶクレアを奏音がねめつけた。
     しかし次の瞬間、奏音はおろか部屋一帯を覆い尽くす殺気を身に浴び、彼女は身を縮める。
    「待たせたな、奏音ちゃん」
     どす黒い殺気の主、弥彦が奏音を見据えた。
     此処からは自分も相手だと、弥彦の眼がそう告げた途端、殺気は奏音の身体を蝕んでいく。
     桂花はガトリングガンを奏音に向け、傍らの大切なビハインドに微笑んだ。そのビハインドと目線を躱し合うと、桂花は確かな首肯をしてみせる。
    「共に参りましょう、燈吾さん」
     巻き起こるのは、充満した殺気を掻き消すほどの銃弾の嵐。
     銃弾が飛び交う中、燈吾と呼ばれたビハインドの霊障波が駆け抜け、奏音の身に宿った歌の恩恵さえ取り払う。
     その一撃を追うように、ミルミが跳ねた。
     奏音の歌声を全面に受け止めてきたミルミの身体は跳ねる度に骨が軋む。けれど、ミルミは笑った。身体は確かに痛むけれど、それは奏音や章介達を守っている証だ。だからミルミの笑みは止まらない。
    「私にもあの結末がよくないって事はわかります! だから全力で止めるのですよ!」
     誰かを守る為の戦いが出来る。
     ミルミにとって、それはとても嬉しいことだから。

     一緒に逃げてきてくれて良かった、と三郎次は言った。
     動いてもらえなければ俵担ぎをするところだったわ、とも笑ってみせた彼に章介は曖昧な笑みを零す。
    「いきなり信じろなんて無理な話だとは思うわ」
     三郎次は溜め息を吐き出した。旧校舎の外に出た彼らの頭上には一層深まった茜空。今日の終わりを告げる最後の太陽は酷く眩しく、三郎次は目元を緩める。
    「でも、アタシ達は貴方だけじゃない、彼女の心も救いたくて来たの」
     本当よ、と言い添えた三郎次の言葉を、章介は黙って聞いていた。決して解ったとは言わない彼が何処まで自分達を信用しているかは三郎次にも解らない。
    「ちゃんと貴方の元に彼女を返すから、だから、今は此処で待っていて欲しいの」
     それでも、三郎次が紡ぎ続けた真摯な言葉に、章介はただ黙って頷いた。
     ──奏と呼ぶには余りに粗暴な音が旧校舎に轟く。
     衝撃が爆ぜる度、クレア達の足元が啼き声を響かせた。奏音の音を掻いくぐり、織兎が纏ったのは斜陽に似た緋。緋を宿した織兎の一撃が奏音の鳩尾を抉る。
     それを追うのはクレアの逆十字。続け様、桂花の魔法弾が彼女の肩口を貫いた。
     傷みに顰めるも倒れぬよう、地面を踏み締めた奏音の足元には影一つ。彼女の背後に回り込んだ弥彦は、するりと影を侍らせる。
    「その足、殺しとくか」
     狙うは足の腱。恩恵が重なった弥彦の閃は一層に奏音の足を削り取った。
     攻撃を混乱させる催眠は、天女が呼び起こす清らかな風が拭い去る。あと少し、頑張ってくださいね、と笑顔で励ます天女に肯い、ミルミが跳ねる。
     狐尻尾を靡かせて、前に躍り出たミルミに奏音が蹴りを繰った。手甲で受け止め、反動で一転、ミルミが逆手の手甲で頬を狙うも彼女は素早く屈んで躱す。
    「なるほど、恋する女の子とは強いものですね!」
     奏音が立ち上がる弾機と重ねて繰った一撃には、ソーサルガーダーの恩恵が効いた。弱まった衝撃にミルミは笑い、手元の盾を振り上げる。
    「ですが……大切な人を傷つけるような強さに、私が負けるわけないのですよ!」
     鈍い衝撃音が響いた。
     時折叫声を響かせ、癒しが施されていた奏音の体力にも少しずつ終わりが見えている。咲哉は足を止めると、胸元にトランプのマークを呼び起こした。
     嫉妬、言い換えれば殺してしまいたい程の愛情とも呼べる。けれど咲哉は奏音に問いた。お前が好きなのは章介の死体ではなく生きた章介だ、違うか、と。
     やがて魂の天秤が傾く気配を感じ、咲哉は眉を寄せた。右腕の傷が痛む。同時に様々なものが咲哉を巡った。人を斬った感触、無数の死体を見下ろした記憶──何れも奥底に仕舞われた、思い出したくもない物達。
    「激情のままに人を殺しても悲しいだけだ」
     悲劇を知り、だからこそ戦うのだと意志が籠った双眸が奏音を見据えた。
     びくりと一瞬身を震わせた奏音、その彼女を業炎が包み込む。
     焔を齎したのは三郎次だった。弥彦達にはお待たせと笑ってみせ、奏音には少し哀しげに双眸を緩める三郎次。三郎次自身と同じ性を持つ彼女の姿は、他人事のようには思えない。
     誰よりも彼女を救いたいと、そう願う。
    「アタシ達が止めてあげる、だから貴女も負けないで!」
     三郎次の叫声に肯いながら、クレアは光を編み上げた。恋人のいないクレアは、自分では彼女の気持ちを理解し切ることは出来ない、と心の中で呟いた。けれど想いの強さを知ることなら十二分。独りよがりでは駄目なのだと、そういうことだってクレアにも解る。
     ──だから、あたしもキミを止める。
    「もう一度二人で話す機会を、作ってあげたいから!」
     織り成されたクレアの光刃が駈けた。
     光に薙がれ、とうとう膝を折った奏音の元に、織兎は歩み寄った。しゃがみこみ、眼を合わせるように覗き込み、織兎は彼女の眼を見つめる。
    「奏音ちゃん、愛に障害はつきものっていうか~」
     これは誰の言葉だっただろうか、そう思いながら織兎は言葉を探して視線を彷徨わせた。うまくいえないけどさ~と前置いて、織兎は言葉を紡いでいく。
    「そういう障害乗り越えてこそ愛がどんどん深まってくんじゃないの?」
    「煩い!」
     奏音の口元から音が零れた。最早それは歌声というより叫声で、今までの威力は何処にもない。織兎は彼女の顔を覗き込んだまま、ふわりと笑みを零した。
    「勿体無いよ、乗り越えて戻ってきなよ」
     奏音の目元がくしゃりと歪み、視線が地面に落ちる。桂花はそっと彼女の傍らに添うと、柔らかな掌で彼女の背を撫でていく。
     ──燻る想いで灼ける心。
     自分だけのと切々希うのは、それもきっと純粋な愛情ゆえだと桂花は思う。でも、瞳を逸らさないのも大切な事だと思うから。
    「あなたがこれ以上堕ちぬよう、不安も怖さも彼が融かしてくれるから」
     桂花は奏音の掌を握り締め、彼女の眼を覗き込む。ストロベリーピンクの優しい瞳が奏音を見つめ、笑みの形に綻んだ。
    「ね、昏い底から帰りましょう」
     桂花の言葉が掌の温もりと一緒に伝っていく。
     奏音の頬に涙が落ちた。涙の雫が点々と木床を濡らしていく。咲哉はその彼女の背に立つと、掌を静かに振り上げた。
     首筋に落ちた衝撃が彼女の意識を奪う。
     ゆっくりと倒れゆく彼女を見送り、咲哉は黙って瞼を落とした。
    「……悪夢は仕舞いだ」
     次に彼女が眼を覚ます頃には迎える言葉を告げられればいい。
     ただ一言、おかえり、と。
     弥彦は意識を手放した奏音の顔を覗き込み、やれやれと小さく肩を竦めた。
     ともあれ、これで章介の命は救われ、奏音は業を背負うこともない。最後に二人へ説明をしておこうかと話す咲哉達の声を聞きながら、弥彦は安堵の息を零した。
     平生、眉の寄った弥彦の表情も、今ばかりは柔らかく綻ぶ。
    「……これから二人がどんな音を奏でるか、間近で聞けねぇのは残念だが」
     ──優しい音色に違いねぇだろ。

    作者:小藤みわ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年9月12日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 10/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 6
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