怪絵巻辻神

    作者:佐伯都

     小さな集落のはずれを通り、もう存在すら忘れ去られた旧街道が交わる辻。そこへ近寄る獣の影があった。
     花や供え物どころか苔を削ってくれる手もなく、いつぞやの地震か風雨で倒れたままの石碑。誰に顧みられもせず獣道の傍らに忘れ去られている。
     かつてその旧街道は、足繁く通う旅商人や高貴な御仁の行列などで賑わっていたようだ。だがいつしか人波はすっかり絶え、石碑の面倒を見る人間も去って幾久しい。
     首に翡翠の勾玉を飾った白狼がどこかその長年の辛苦を労うように、石碑へ頭を寄せた。何度かそうして満足したのかどうかはわからないが、やがて白狼は木の梢が濃い影を落とす森の奥へ走り去る。
     ざわわと樹上をわたる風の音に呼応するように、石碑の影から子供ほどの大きさの何かがいざり出た。片足首へ巻かれた鎖に気付いた様子もなく、けたけたと禍々しい笑い声を漏らす。
     妙にひねこびた手脚と、異様に膨れた丸い腹。ぎらぎらと周囲を見回すその視線は、春山歩きを楽しむ家族連れの姿をとらえていた。
     
    ●怪絵巻辻神
     辻神(つじがみ)って言って何の事かわかる人いる? と成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)はルーズリーフを広げた。
    「道祖神とか庚申塔とか、それっぽいもの……と表現したほうが近いかもしれないけど」
     もっともその二つはどちらかと言えば良いものだが、辻神は逆だ。
     古来、道が交わる『辻』は現世とあの世の境という伝承は多く、そのような場所を好んで棲みつくといわれる魔物を『辻神』と呼ぶ。だから神とは言っても怒らせれば祟り、人に災いをもたらす邪神とか悪神のほうの『神』と言えた。
     それらを封じるために道と道が交わる場所に『石敢當(いしがんどう、せっかんとう)』と刻んだ石碑を建てたり、T字路の突き当たりが民家や建物であるなら石版を塀や壁面に貼る、といった風習が発祥の中国本土を中心に台湾、シンガポールや沖縄などで今も残っている。
     また南九州にも多く見られ、このたびスサノオによって古の畏れとして呼び起こされた辻神も、鹿児島のとある里山近くに出現したものだ。
    「どうもその場所は旧街道が交わる地点だったらしい。周辺住民の変化や過疎化が進むうち、旧街道だったことや石碑自体も忘れられてる」
     苔むした石碑は地震か何かで完全に倒れており、辻神はその周辺をうろついている。片足首から石碑の下の地面へ鎖が伸び、さほど遠くまでは行けないようだ。
    「見た目は……よく地獄絵図とかに出てくる餓鬼、あんな感じのを想像したらわかりやすいと思う」
     痩せて土色をした手足、ぎらぎらと飛び出した大きな目に異様に膨れた腹。大きさこそ幼稚園児くらいだが、俊敏に動きまわる。
    「神薙使い、それから森羅万象断、戦神降臨に似た能力で襲いかかってくるけど、運悪く近くに山歩き中の家族連れがいてね」
     春休みの南九州と言えば、ちょうど桜の開花を待つばかりの時期だ。両親に連れられた小学生くらいの子供が三人、それが昔は街道であったことも知らず、ゆるい傾斜がついた獣道を石碑の方へ向かって登ってくる。
    「だから、この家族連れが辻神に接触しないよう対処してほしい」
     実は現場となる辻よりも手前で山側に逸れてしばらく歩くと、日当たりのいい窪地に出られる。もしかしたらそこなら早めに咲いた桜があるかもしれない。
    「せっかくの行楽中なんだから、花見スポットを紹介するとかなるべく穏便にしてもらえると嬉しい」
     やはり例に漏れず辻神を目覚めさせたスサノオの行方は掴めないが、焦らず足取りを追っていけばいつかは本体にたどりつけるだろう。
    「まあ、窪地の他にも日当たりのよさそうな場所なら、早めの花見ができる場所もあるかもしれないね。せっかくだから楽しんできたらいいと思うよ」
     でも辻神の対応はおろそかにしないように、と樹は釘を刺してきたものの、あまりそのことは心配していないようだった。


    参加者
    由津里・好弥(ギフテッド・d01879)
    レイン・シタイヤマ(深紅祓いのフリードリヒ・d02763)
    唐都万・蓮爾(亡郷・d16912)
    鷹嶺・征(炎の盾・d22564)
    銀城・七星(瞳に玉兎を抱く少年・d23348)
    泉涌寺・つばき(眠れない嘘つき姫・d23901)
    赤名・マコ(ナマコガーディアン・d24354)
    加賀・琴(凶薙・d25034)

    ■リプレイ

    ●みちびく声
     いかにも地元の学生といった風情の唐都万・蓮爾(亡郷・d16912)と加賀・琴(凶薙・d25034)の背中を見送りつつ、レイン・シタイヤマ(深紅祓いのフリードリヒ・d02763)は民間信仰関係の本をぱらりと捲る。
    「スサノオといい、都市伝説といい、周辺事項を調べると勉強になるよ」
    「辻神、ね……仏は救うが、神は祟るだっけ?」
     あまり大人数で接触しても怪しまれそうなので、誘導に加わらない由津里・好弥(ギフテッド・d01879)は誘導先の窪地付近に、残りのレインと銀城・七星(瞳に玉兎を抱く少年・d23348)、そして泉涌寺・つばき(眠れない嘘つき姫・d23901)は辻神が現れるポイント付近の茂みへ身を潜めている。
    「遠い昔は人通りも多かったでしょうに、今や立ち入る人も少なくなって……寂しいものですね」
     ゆるい傾斜の上方をつばきが見やると、すっかり苔むした石碑が倒れているのが小さく見えた。
     見る限り、人影らしきものは坂の下へ遠ざかる蓮爾と琴、そしてさらに芥子粒くらいの家族連れと思われる小さな点のみ。
    「こんにちは。どこへ行かれるんですか?」
     にこやかに話しかけてきた蓮爾に、父親とおぼしき男性がこの坂を登って山頂のほうまで、と答える。辻神のいる地点に接近しつつある家族連れを誘導するための、『地元学生による観光案内ボランティア』という作戦だった。
     春休みという時期も手伝い、特産農産物をふんだんに使用した学生発案のB級グルメや菓子なども盛況な昨今、地元おこしの活動として不審に思われることはまずないだろう。
    「そうですか。実は私たち、地元学生のボランティアで観光案内をしているんです。ちょっと逸れますが、お花見ポイントがあるのでいかがですか?」
     お花見、という琴の声に母親らしき女性が歓声をあげた。
     桜が見られる窪地のほうから鷹嶺・征(炎の盾・d22564)と赤名・マコ(ナマコガーディアン・d24354)がちょうどよく斜面を登ってくる。
    「ここまで来られたんですし、折角ですから見ていかれてはどうですか?」
    「けっこう見ものだよー」
     当然二人は出て行くタイミングを見計らっていたのだが、家族連れがそんな事に気付くはずもない。思いがけず花見のチャンスが訪れたことに家族連れは大変気分をよくしたようで、案内を申し出た蓮爾に二つ返事で了承した。

    ●さそう声
     桜が咲く窪地まで蓮爾と琴が案内する道すがら、他の穴場やちょっとした観光名所についても話しておいたので辻神とやりあっている間にあの家族連れが戻ってくることはないだろう。
     さらに家族連れに教えた窪地とは別の花見スポットも判明しているので、まさしく好弥のぶらり再発見様々、である。
    「悪い道祖神……ダークサイドロードゴッド?」
     ひとくちにロードと言ってもloadであってlordではないのだが、何か凄そうと言うか妙に強そうと言うか。
     好弥が我ながら微妙、という顔をした横、征がクルセイドソードを抜く。灼滅者たちの視線の先には、春のうららかな木漏れ日と戯れるように幼児ほどの大きさのヒトならぬものが蠢いていた。
     からから、けたけた、妙に甲高い笑い声。征は感じた不快感のままに眉根を寄せる。
    「人通りがなくなり、祭るもののいなくなった神ですか。餓鬼の姿をとっているということは、何かに餓えているのでしょうね……」
    「経緯からしてそうだが、生きている者に迷惑かける時点で神格も何もねぇな」
     そんな奴につきあってられない、と言わんばかりに七星は解放コードを口早に呟いた。そのまま鏖殺領域の構えに入ったのだろう、バベルブレイカーはもちろんのこと左手の指先へ絡む極細のワイヤーが共振を起こす。
    「この身、一振りの凶器足れ――境目に住んでちょっかい出すとか、めんどくせぇにも程があんだろ! 逃がさねェ!」
     高い樹木の梢を揺らしていく、殺意の暴風。辻神が灼滅者に向き直るも、笑い声は止まない。
    「けたけた笑ってるけどさー、絶対怒ってるよねーあれ」
    「荒ぶる神という奴だな。……その闇を、祓ってやろう」
     霊犬の黒ダイヤを走らせるマコの隣、レインの手元から業火のごとく深紅の炎が噴出し、縛霊手【紅葉狩】へ絡みつく。
    「微力ながら、サポートいたしますですわっ!」
     初手として七星と同じサイキックを重ね、つばきは先頭で斬りこんだ好弥へのダメージを先読みし防護符の構えに入る。たとえノーダメージだったとしても、状態異常への耐性を付与できるならそれは無為ではない。
     黒ダイヤを回復に走らせつつ、マコはナマコダイナミックで琴と共に辻神を果敢に攻め立てる。
    「俊敏とは聞いてたけど、ほんと元気な子だねー!」
     素早く死角へ回り込んだ琴が縛霊手で足元を狙い、それに併せてマコがフェイントをかける形で影業による斬撃を狙うも、曲芸でもするかのように次々と回避された。
     枯れ木じみた腕が振り抜かれ、その動作に乗せて無形の衝撃が続けざまに叩きおろされる。鈍器で殴られたような錯覚を覚えながら好弥はどうにか耐えきり、返礼とばかりに右手の槍で突きあげた。
     神速の、死角から襲いかかった刺突で辻神が宙に舞う。

    ●のろう声
    「神も祀らなければ祟ると言いますが、もしかして初めっから祟ってた類ですか?」
    「さあ? 正確な所はもはや闇の中、だろう」
     もっとも、はっきりと魔物と表現されていた以上は善神ではないという事だろうか。好弥に軽く首を傾けてみせてから、レインは炎を纏う縛霊手でちょこまかと動き回る辻神を殴りつけた。
     猿が笑うような、烏が叫ぶような耳障りな笑い声。どうやらこの辻神とやらは、怒りも叫びも嘆きもすべてこのおかしな笑いで表現するらしい、とレインは結論付ける。
     指先へ集めた霊力を癒しの力に変えて前衛の細かな傷を癒やしつつ、蓮爾はつけいる隙がないかどうか忙しく視線を走らせた。ビハインドのゐづみが緋色の衣をたなびかせゆらり、ゆらりと辻神の殴打をかわす。
    「神は神でも災い呼ぶ、ヒトにとっては望まれぬもの。僕自身のこの『蒼』も、時によってはそうなのでしょうね」
     苦笑まじりに呟きつつも視線はそらされない。
     素早く動き回る敵ならばもちろんのこと、まず確実に当てにいくため征は足元の影を駆った。ざわりと一段色の濃い影が無数の触手となり、鎖を巻き付けた足を絡め取りに行く。
    「忘れられ、うずもれてしまったことが口惜しいのはわからなくもありませんが」
     ぎゃぎゃっ、と獣じみた声があがり、急に足をもつれさせて辻神は若草生い茂る斜面に倒れ込んだ。
    「だからといってあなたの人々の記憶に刻むわけにはいかないんですよ。このままいても、ただ餓え寂しさのみが募るだけ。だから」
    「救いの手など来させねえ……!」
     その隙を見逃すような七星ではない。指先に絡ませた鋼糸を引き絞るように勢いよく胸元へ寄せると、その言葉通りに跳ね起きようとしていた辻神がもう一度地面へ転がった。
    「あなたをあの子達には絶対に触れさせません、今此処で絶対に倒します!」
    「邪神くん、あんまり人を悪く思わないでね」
     やや憐れむような視線を向け、マコは前衛の周囲に無形の盾をほどこす。
     レインや征の間を埋めるように琴が黒死斬で斬りつけると、辻神は明らかに悲鳴をあげた。最後列に陣取るつばきからもジャッジメントレイが飛ぶ。
    「忘れちゃうことって、あるからさー」
     そう考えたら、たとえ悪神と言えども哀れな存在なのかもしれないなとマコはぼんやり考えた。

    ●ことほぐ声
     ナマコ内臓ビームで我を忘れたのだろうか、しゃにむに腕を振り回して暴れる辻神へ、七星は重機じみたバベルブレイカーを振りおろす。異形巨大化した辻神の腕ががつりと杭の部分と噛み合ったが、横なぐりに襲いかかった征の一撃が小柄な体躯を吹き飛ばした。
    「神災も殴って撥ね退ける……分かり易いですね。身も蓋もないですが」
     もはやあれだけ敏捷に動き回っていたことなど、見る影もない。閃光百裂拳で追い打ちをかける好弥に、蓮爾もまた己の寄生体へクルセイドソードを飲み込ませ巨大な刃とした。確かな手応えの返る斬撃。
    「僕もまた人の形をとる異形――」
     けれど人の心を捨て呑まれるには、この世界には悔いを残す物が多いから。
     なにより愛しい人がそれを望まぬとあっては、蓮爾にそれ以上の理由は必要ないと言えた。寄生体に飲み込ませたままの右腕が銃口を形作り、致死毒を含んだ一条の光が辻神を貫く。
     息を詰めてつばきが見守る中、引導を渡された辻神はゆっくりと若草の絨毯へ倒れ込み、一瞬で消滅する。吹きつける風が樹木の葉や枝を大きくざわめかせたが、それもすぐに収まり静寂が蘇った。
     辻神が目覚める前のように、完全に元通りに。

    「スサノオが呼び起したのは、辻神ではなく……本当は忘れ去られた石碑の魂だったのかもしれません」
     倒れたままですっかり苔むした石碑を、つばきはよいしょと呟いてマコと一緒に引きおこしてやる。
     もちろん怪力無双を使うことも考慮にあったが、石碑自体がそれほど大きなものではななかったことと、その周辺に転がる台座か装飾か何かであったらしき漬け物石大の石をてこの原理に使うことで、何事もなく立て直してやれた。
    「……石には、人の記憶が宿るといわれています。それにこうして、花を添えておけば……きっとこれから花見の季節ですもの。気付いた行楽客も手を合わせてくれるようになると信じていますわ」
    「確かに。こうして見れば、なかなか風情がある」
     旧街道にぽつりと立つ、苔むした石碑。山歩きの一般人が入り込むくらいだ、忘れ去られた旧街道とはいえ完全に人足が途絶えたわけでもないだろう。らしくないと思われそうだが、レインはここまでの道すがらで集めた野の花を石碑の足元へ供えてやった。
    「それにしても、スサノオには今回も会えずですか……どういう存在なのかいまいちよく分かってませんが、困りものですよね」
     意思疎通はできないでしょうが会ってみたい気がします、と呟く好弥にレインは小さく苦笑する。
    「まあ、いずれ尻尾を掴めるだろう。それまでは、焦らず、一つづつ事件を解決してゆけばいい」
    「さって、無事辻神も倒せたことだし桜を見にいこっか!」
     ぱんぱんっと手を払ったマコが、ゆるい坂になっている獣道のさらに上を指さす。あらかじめ件の家族連れに窪地へ案内するついでに、別の花見ポイントも調べてあった。
     春休みの南九州は、絢爛の春。明るい陽光あふれる斜面には、桜はもちろんの事、とりどりの花が咲き乱れる。
    「……七星さん、それは?」
    「えっ。いや……桜漬けを作ろうと思って」
     桜の花を集めようと密閉容器を持参してきた七星に、琴がふわりと笑う。この時期でなければ作れない、貴重な春の贈り物だ。
     坂を登ってゆく一行の背中を眺めつつ、ふと征は背後を振り返る。
     木漏れ日が影を落とす旧街道の辻。
    「……」
    「鷹嶺さん?」
     ひとり遅れたことに気付いた蓮爾の声にふ、と微笑を漏らし、征は仲間たちの後を追う。
     ……このままいても、ただ餓え寂しさのみが募るだけ。だから、帰りなさい。
     言えなかった言葉が辻神に届いたどうかはわからない。でも新緑の中に立つ石碑の向こうで、古式ゆかしい衣装を身につけた童子がくしゃりと笑ったような、そんな気がした。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年3月30日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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