バレリーナと炎獣の爪

    作者:織田ミキ


     悔しい……悔しい……!! 噛み殺してやりたいくらい、あの子が憎い……!!
    「レッスンに行きたくない……でもお母さん、私バレエ続けたいの……! このまま踊れなくなるのは、もっと嫌!!」
     そう叫んで歯を食いしばり、母親に縋りついて延々と泣いた。
     あの日から、自分はおかしい。苛立ったときなどに急に乱暴になったり、食事中に皿に突っ伏して手を使わずに食い散らかしてから我に返ったり。
     でも。「おかしい」と認識できていただけ、まだ正気だったのかもしれない。だって今はもう、何も……わからない。
     まるで大型の肉食獣が暴れるような。ただならぬ物音に部屋へ駆け付けてきた人間の女が、恐れおののいてその場に座り込む。
    『グルルルル……』
    「ひっ!! な……何、ラ、イオン……、アリサ……アリサ、どこなの!?」
     最初の獲物を炎獣の牙が捕らえたのは、悲鳴すら、上がる前だった。

     お集まりくださりありがとうございます、と五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は長い髪を揺らしてお辞儀をした。
    「中学二年生の少女が、闇堕ちしようとしています」
     名前は、仙堂・アリサ。幼い頃からクラシックバレエにすべてを捧げてきたが、発表会の主役の座をライバルに奪われたことがきっかけで、ダークネス化が始まっているのだという。
    「それでも、純粋にバレエを続けていきたいという心が彼女の意識を保っているようなんです。まだダークネスに支配されてきっていない、つまり灼滅者としての素質を秘めている可能性があります」
     姫子は未来予知を脳内で確認するようにゆっくりと瞬きをする。
    「事件が起こるのは一週間後の深夜。イフリートと化したアリサさんの、最初の犠牲者となってしまうのは……彼女のお母さんです。どうか、そうなる前に皆さんのお力を貸してください」
     頷いた灼滅者たちに、アリサの自宅付近の地図が配られた。紙面の半分を占めているのは、緑地公園。その中にある扇型の絵が赤ペンで囲われている。
    「普段バレエの練習をしていた時間帯、午後七時から八時半が特に危険です」
     しかしそのときこそが接触のチャンスでもあるのだと姫子は続けた。
    「本人は傷心でレッスンに行けず公園で時間を潰していると思っているようですが、実際は半獣化してこの野外ステージの舞台に爪を立てて過ごしています。街灯が少なくてちょっと暗いかもしれませんが、イベントなどで人が集まる予定がないだけに、一般人を巻き込む心配がない点は有利ではないでしょうか。ステージの詳細は、地図の裏に――」
     言われて皆がペラリと資料を裏返す。
     シンプルな石造りのステージは、階段一段程度の低い舞台と、その後ろにそびえる高さ三メートルの壁だけ。袖も何もない。しかし芝生を敷かれただけのならだかな観客席を含め、充分な広さが見て取れた。
     公園にいる間の記憶がほとんどない様子から、半獣化した後に接触となった場合は言葉による懐柔は難しいと考えていい。
     半獣化した状態では知性と理性がほぼ失われ、角と爪が露出している。舞台上で暴れている行動から判断すると、爪による攻撃は非常に素早く、手はもちろん、高く上げた片脚を振り下ろしたり旋回するなどの技も予想される。
     また、彼女が辛うじて正気を取り戻すのは、本来なら参加しているはずのレッスンが終わる時間のようだ。しかしそこで自転車に乗って自宅へ向かわれると、もはや接触は難しくなる。
    「私からお知らせできる情報はこれくらいでしょうか。見た目は華奢な少女でも、ダークネスと同じ力を持っていることをお忘れなく。危険な任務ですが、どうか皆さんの力でアリサさんを救い出してあげてください」


    参加者
    アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)
    古室・智以子(中学生殺人鬼・d01029)
    天雲・戒(紅の守護者・d04253)
    深束・葵(ミスメイデン・d11424)
    神乃夜・柚羽(燭紅蓮・d13017)
    御門・心(ディアスキア・d13160)
    佐山・紗綺(高校生デモノイドヒューマン・d16946)
    白樺・純人(ダートバニッシャー・d23496)

    ■リプレイ


     獣が唸るような声と、まるで金属が火花を散らすような打撃音。これはおそらく、いや、間違いなく、あの少女の爪が舞台を抉る音。
     古室・智以子(中学生殺人鬼・d01029)は、闇をじっと見据え、時が来るのを待っていた。隣では佐山・紗綺(高校生デモノイドヒューマン・d16946)が手を胸にあてて背後の壁を仰ぎ、時折その向こうに舞う焔のゆらめきを真剣な面持ちで観察している。
     ここは、野外ステージの裏側。ギリギリと狂気を刻みつけられる振動がコンクリートを伝わり、皆が思わず顔を上げる。
     事前調査で単独行動を取っていた御門・心(ディアスキア・d13160)が一団に合流したのは、丁度そのときだった。神乃夜・柚羽(燭紅蓮・d13017)が心へ手を振り、静かに彼女を迎える。二人の声は、限りなく音量ゼロに近い。
    (「神乃夜さまー」)
    (「心さん、無事に合流できて良かったです」)
    (「はい。表を通らずこちら側に回り込めるように、遠回りして参りました」)
     揃った灼滅者たちは上手と下手にわかれ、炎獣が大人しくなるまで神経を研ぎ澄ませてじっと耐え続けた。おかげですっかり暗闇に目が慣れている。
     間もなく、待ちに待った午後八時半。アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)は、トントンと手首を指して時間が迫っていることを皆に示した。こくりと頷いた白樺・純人(ダートバニッシャー・d23496)がそっと立ち上がり、音を立てないよう気を配りながら服を丁寧にはたく。
     そして間もなく、ぐっと静かになった。
     深束・葵(ミスメイデン・d11424)がライドキャリバーの我是丸を傍らに、壁の端にぴたりと背をはりつけてタイミングを窺う。同じく一輪のサーヴァントたる竜神丸を従えた天雲・戒(紅の守護者・d04253)は、殺界形成に踏み切った。出るなら、今だ。
    「こんな夜遅く、公園の暗がりでどうしたんだ?」
     言いながら、努めてゆったりとした足取りで正面へ回る。舞台の中央に屈んでいた仙堂・アリサは、戒の声に驚いて顔を上げた。その頭上に角はない。
     そうして今度は反対側から柚羽が、こんばんは、と挨拶をした。思い詰めている様子を優しく指摘し、アリサへ歩み寄る。一人、そしてまた一人と、彼女を警戒させない距離を保ちながら灼滅者たちは姿を現していった。芝生の丘を登りきった先にある電灯の下に自転車が見えるが、既に自分たちがそれとアリサとの間に陣取っている。
    「少し話して吐き出してみるのもいいのではないでしょうか。聞いてもらうと楽になると言いますしね」
     そんな柚羽の思いやり溢れる言葉と清楚な笑顔に、しばらくの沈黙の後、アリサは自分のことをポツリポツリと話し始めた。相手が見知らぬ「通りすがりの学生グループ」だからこそ、いっそ何の脚色も、嘘もなく。


    「主役を取られるなんてアイドルのあたしには何回もあるわよ! 一回主役取られただけで挫折してちゃきりがないわ! 何度でもがんばらなきゃ!」
     その苦しみなら分かる、そうしてそれを乗り越える努力を惜しまなかったからこそ、今の自分がある。経験という真実に裏付けられた紗綺の力強い励ましに、アリサは両手で顔を覆った。
    「……嫉妬の炎が身を焦がす、か。まさにそんな感じね。でも、やんちゃはここまで。舞台の上の傷、あなたがやったの覚えてない?」
     毅然と一歩進み出たアリスが、そう言って痛んだ石床を示す。
    「私がやった……って、どういう意味、ですか……」
     大切な舞台を傷つけるなど、ありえない。そもそも石に爪痕を残すような腕力などあるわけがない。混乱に揺れるアリサの両目を見つめ、純人はいよいよ切り出した。
    「実は僕たち、そのことでちょっと、仙堂さんに話したいことがあるんだ」
    「このまま放置すれば、近い将来、貴女は自分の家族を手にかけてしまうの」
     そうなる前に、力を制御する術を身に着けなければいけないのだと説明する智以子。灼滅者、ダークネス――アリサにとっては聞き慣れぬ言葉の数々。それでも、最近自分の身に起きている異変を感じていた彼女の中で、話の内容が少しずつ一本の線に繋がってゆく。そうしてすぐに目の前で、すべてを信じざるを得ない奇跡が起きた。
     心が、スレイヤーカードの封印を解除して見せたのだ。白く長い髪がゆっくりと揺れ、超自然的な光に包まれて戦闘態勢となるその姿に、アリサが息を呑んで見入る。
    「灼滅者として覚醒すれば、貴女もこうして力をコントロールできるようになります」
     心の言葉に、智以子は頷いた。今何をすべきか、何ができるのか、この少女にどうしても伝えたい。
    「悔しい事、悲しい事はいっぱいあるの。でも、それに呑まれてはいけないの。抗う力が、貴女の中にはあるの」
    「抗う……力……」
    「そう。大事なものは、自分の手で守らなきゃ、だよ。僕たちも、手伝うから」
     純人も、そして智以子も、祈るような気持ちだった。炎獣の爪は母親を殺めるのだと。あの姫子の言葉を思い出すたび、それが我が身に起きた悲劇と重なり胸を貫かれる。アリサにも、彼女の家族にも、同じ悲しみを背負って欲しくない。
     諭され、励まされ、わななく両手をじっと見つめている少女に、葵は敢えて笑顔で言った。
    「小さい頃から夢中になったってのはさ、素質あるキミが直観でバレエを選んだからなんだよね。そうやって進んできた道って、間違ってないと思う。でもキミが輝ける舞台は、バレエだけじゃないかもよ?」
    「……バレエ以外に、私ができることなんて…………本当に、あるの……?」
    「あるかどうかは……キミ次第かな!」
     赤い髪をなびかせて、大きく跳び退る。そろそろ決着をつけようじゃない、そう皆に目配せした葵を振り返り、アリスはサウンドシャッターを放った。


     自分を支配しようとしている闇に打ち勝つためには、一度それを滅ぼさなくてはいけない。先ほど受けたその説明の意味を、心の足元から伸びた深い闇色の影に斬り裂かれた瞬間、アリサは身をもって理解したようだった。
    「~ッ、痛みになら……耐えてみせる……! でも、私……私……やっぱり何か……おか、し、い、の……! く……あ、あああ!!」
     サイキックによる攻撃を浴びたことが呼び水となったかのように、華奢なバレリーナの手足がイフリートの形状を成してゆく。しかし角を露わにして理性と言葉を失ったはずの彼女の顔は苦痛に歪み、中々動こうとしない。先ほどまでここで暴れていた獣とは何かが違う。それを、アリスは見逃さなかった。
    「Slayer Card, Awaken!」
     カード解除と共に少女の間合いへ果敢に飛び込み、掌に集中させたオーラを間近で放つ。真っ白な光が、イフリートの炎の色を一瞬かき消した。
    「アリサさん、聞こえる? 自分が認められなかったなら、その挫折をバネにまたやり直しなさい!」
     牙を食いしばって唸った半獣は、声から逃れたいとばかりに腕で宙を薙ぐ。灼熱の炎が、前に出ている灼滅者たちを凄まじい勢いで焼いた。しかしすぐに身を包んだ夜霧に癒される。柚羽だった。
    「レッスンに行きたくないと逃げている間に、他の子達は先に進んでしまいます。バレエを本当に続けたいのなら、きちんと向き合うべきです!」
    「そうだ! 今やめたら次のチャンスもなくなるぜ! ……諦めたら、そこで終わりだ!」
     鋭い眼光に、迷いはない。戒の炎を宿ったクルセイソードが、炎獣の焔に正面から勝負を挑む。その衝撃に膝を突いたアリサは智以子がすかさず放った影の触手に絡め取られ、続けざまに無数の弾丸を浴びた。
    「これは、うちらからの、激励じゃー!」
     竜神丸と我是丸の機銃に続き、葵のガトリングが唸る。そして次に宙を切ったのは、鋭利な氷柱。妖冷弾だ。鳥類の王者のような鋭い鉤爪に変貌した両腕で宙を掻き、純人が自らの声をアリサへ届けようと懸命に叫ぶ。
    「君の中の闇に、負けないで仙堂さん!」
    「闇に堕ちて獣になっちゃったら、今度こそ本当にバレエが続けられなくなるよ?」 
     叫びながらジェット噴射で間合いを詰め、紗綺が迷いなくアリサの中心を貫いた。
    「そんなの……っ、嫌だよねっ?」 
     自分たちの声は、届いている。そう信じて戦うしかなかった。実際、イフリートにしては攻撃の威力が劣り、動きも鈍い。それでも眷属とは明らかに違う。中々倒れないダークネスを容赦なく叩き、撃ち、そして斬り裂く。炎に身を焼かれても、何度でも立ち上がる。声をかけることだって、決してやめない。
    「今あなたがしている事は、自分で正しいと思えますか?」
     柚羽は癒しの矢を仲間の背へ放ちながら、舞台に爪を立てて自分たちを襲い続ける少女へ向かって叫んだ。
     ゆらり、とまた少し勢いの落ちる炎。それでも、人を傷つける爪を持った脚が旋回する。まるで踊るよう、いや違う、こんなものは闇に蝕まれた執着心の現れでしかない。
    「……ッ、貴女が踊りたいのは、そんな動きではないでしょう?」
    「グ……ググググ……」
     心の台詞に身を強張らせた炎獣は、次々と指輪の魔法弾に貫かれた。
     終わりが来る。その気配を誰もが悟った瞬間、アリスは走った。よろめきながら尚も宙を薙ぐ爪を寸前でかわし、一気に間合いを詰めて繰り出す拳。
    「……それじゃ、お休みなさい!」
     眩しい閃光が。瞬き、弾けた。


     力尽きて倒れる少女を、戒が素早く駆け寄って受け止める。意識のない彼女は、完全に人の姿に戻っていた。灼滅者たちがゆっくりと近づき固唾を呑んで見守る中、しばらくして頭痛を訴えるような仕草をしたアリサがふと目を覚ます。ダークネスに、己の中のイフリートに勝利したのだ。
    「……助かったん、だね。……良かったぁ」
     最初に少女の目に映ったのは、灰色の目を子供のように綻ばせて笑う純人の笑顔だった。それから戒の長い腕と、その状況。踊り以外では異性と触れ合う免疫がないのか、取り乱した様子で何とか身を起こそうとしている。
     そんな彼女に、純人はまた柔らかく微笑んだ。
    「あ……そうだ。えっとね、僕たちや、仙堂さんみたいな人が集まる学園があるんだ。興味、あるかな……?」
     大きく瞬きをしたたアリサに、智以子が自分たちの通う武蔵坂学園のことを説明して聞かせる。灼滅者として、戦い続ける。それはダークネスに支配されたこの世の、希望の光となること。
    「できれば、貴女にも救う側に立ってほしいの」
     智以子の真っ直ぐなメッセージが、彼女らに救われたアリサの胸に深く沁みる。
    「キミにできることはバレエだけじゃないんだって、もうわかったかな? そうやって今より広い視野を持てば、もっと輝けるプリマになれるかもね。だからほら、来なよ、アタシたちと」
    「そうだよ、一緒に来ない? バレエ、教えてほしいな! アイドルやりたかったらいつでも教えるよ!」
     葵と紗綺の言葉は、少女の顔に素直な笑顔を取り戻させた。そんなアリサを抱えたまま、戒が凛々しい笑顔でクリエイトファイアを披露する。
    「俺は戒、アリサと同族だ。それに、同い年だと思うぜ」
     四月から中三だろ、と言う戒に少女が頷く。
    「俺がこれからどうすればいいか教えてやるよ。アリサの悩みも何もかも、全部受け止めてやるぜ。だから俺達の学園に来いよ」
     皆の温かい眼差しに包まれ、アリサは両手で口元を覆った。
    「嬉しい……。みんな……ありがとう。今まで頑張ってきたこと、後悔してない。これからだって、諦めない。でも私、ずっと…………ずっと、一人だったの……!!」
     一緒に頑張る仲間をライバルと呼ばなくてはいけないバレエの世界。しかしこれからは、それだけじゃない。命をかけてアリサを救ったこの灼滅者たちが輝く、勇敢なる戦いという舞台が、彼女を待っていることだろう。

    作者:織田ミキ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年3月22日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 6/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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