切って裂いて刺して縫う

    作者:唯代あざの

    「違う! 僕は殺してない……!」
     叫んだ青年を二十対近い数の濁った眼が見ていた。
     青年は血塗れで倒れている少年を助け起こそうとしただけだった。
     そんな言い訳を、誰が信じるというのか。
     青年の手は血に染まり、ナイフは廃病院の床に転がっている。
     いつここに連れてこられたかも分からず、なぜここで目覚めたのかも分からず。
     不安と疑念を縫いつけられ、思考が黒く塗り潰されていく。
     殺せ。
     ――と、そう言ったのは誰だっただろうか。
     青年は咄嗟にナイフを拾い上げた。
     刺したのか、刺さったのか、それは分からず。
     ただ、つかみかかってきた男の腹にナイフは突き立った。
    「あ……、ち、違う。僕は、これは、その」
     もう誰も聞いていない。
     咆哮怒号苦鳴叫喚悲鳴絶叫。
     誰も信じてくれない。誰も信じられない。誰が殺した。どうしてナイフが。身を守っただけ。殺す気はない。殺したくない。殺されたくない。嫌だ。くるな。離れろ。
    「僕は――」
     いや、
    「俺は――」
     ナイフの柄から指が離れない。まるで縫いつけられたように。
     咆哮を刺した。
     怒号を切った。苦鳴を断った。
     叫喚を抉った。悲鳴を刈った。絶叫を裂いた。

    「開始早々元気がいいね。まあ、今回の『ゲーム』はそう仕向けたんだけど」
     殺戮の音が遠ざかってから、カットスローターは無造作に起き上がった。
    「あれなら立派な六六六人衆になってくれそうかな」
     通路を塞ぐ半透明の壁を切り裂き、血塗れの少年は縫合隔絶された空間の外に出る。
    「これでここはオシマイっと。さて、次はどこだったかな?」
     
    「『縫村委員会』――……、です」
     唇を噛んで視線を床に落とした朽鍵・フウカ(中学生エクスブレイン・dn0060)は、教室に集まった灼滅者達の前で、ぎゅっと骨董鍵の束を握ったまま動かない。
     一月初頭。灼滅者達は『暗殺ゲーム』に立ち向かうことで多くの六六六人衆を灼滅した。
     序列に、大きな穴を空けたのだ。
     その空いた穴を縫い塞ごうと、六六六人衆の『縫村・針子』が『カットスローター』の協力を得て展開している儀式――それが『縫村委員会』。縫合隔絶した閉鎖空間内で行われるのは、一般人同士の凄惨な殺し合いだ。強制された惨劇で、心が、人格が、魂が、壊れ失われ闇に堕ち、より残虐でより強力な六六六人衆が生まれ出ることになる。
     それは丁寧に縫い仕上げられた完全なる闇落ち。
     カットスローターの手渡した『刃』は人も魂も切り裂き、縫村の『針』は逃れえぬ殺人衝動を縫いつける。疲弊しながらも生き延びる唯一人の人間を――、救う術はない。この新たに生まれる六六六人衆を逃がせば、数多くの日常が殺戮の血に染まる。
     だから、
    「灼滅してください」
     と、フウカは言った。
     
     対象となる六六六人衆の名は『裂木』。
     解体ナイフを持った二十歳過ぎの青年で、痩身を黒いオーラが覆っている。
     眼球は黒く、瞳は赤い。
    「そうなる前は優しそうな人に見えたんですけど、ね」
     縫村委員会での殺し合いを経てからは、どれだけ巧く殺すかに執心するようになる。まるで『ゲーム』を楽しむかのように。そう言ってフウカは静かに瞑目した。
    「あ……」
     不意に顔を上げ、
    「余計なことを言いました。ごめんなさい」
     揺れる小さな声で詫びた。
     これから灼滅者がやらなければならないことを考えれば、感傷を誘うだけの不用意な言葉は重荷でしかない。フウカは小さく頭を振ってから、続きの説明を始める。
     縫村委員会による今回の殺し合いは、郊外の山中にある廃病院で行われた。
     縫合隔絶されたのは建物の一画だけであり、傷を負いながらも生き延びた裂木は、閉鎖空間が解かれると、通路を塞ぐ廃墟の残留物を避けながらも二階のテラスへと足を向ける。
    「それを迎え撃ってください」
     配下もおらず本調子ではない裂木と相対できる無二の好機。
     彼の理解の内には、目覚めた場所の知識も殺し合いをさせられた理由も、なにもない。この無秩序な木々に囲まれた廃墟の外を知りたいという欲求から、周囲を見渡そうと緑に侵食された吹き抜けの階段を上ってくる。
     落ち葉の積もるコンクリート製のテラスは広く、時刻は昼間ということもあり、戦うことに支障はない。だが柵も壁もなく、飛び降りるのは容易で、逃しやすい場所でもあった。
     バベルの鎖で察知されないように、戦いは全員がテラスに揃った状態で始めなければならない。が、閉鎖空間が解ける前になんらかの手を講じるだけの時間はある。
    「えと、この裂木という人なんですけど。テラスに現れる時も、まだ殺し合いという『ゲーム』が続いていると思い込んでいるみたいで。皆さんのこと、隠しボスみたいな存在だと理解します。ので、それが有利な誘導をするための隙になるかもです」
     巧みな殺し方をすることに傾倒した思考。欠けた冷静さは『糸』のほつれだ。
     殺し合いの果て。
     縫い変えられた人格は、歪み、微かに綻びを見せている。
    「まるで――」
     終わらせてほしい、と言っているように。
     そう思うのは、ただの身勝手な感傷かもしれないけれど。
    「殺されたくないのに殺されるしかなくて。殺したくないのに殺すしかなくて。殺したくないから殺されるしかなくて。殺されたくないから殺すしかない。『縫村委員会』は最低で、最悪で、なんか、もう――……、ぐちゃぐちゃで、泣きそう。すみません」
     暴虐たる悪意に轢き潰されそうで。だけど、だからこそ。
     助けることができないのなら、せめて。これ以上の被害を出さないためにも。
    「灼滅を」
     ――お願いします、と。
     頭を下げた少女の手元で、小さく鍵束が揺れた。


    参加者
    科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)
    六六・六(極彩色の悪猫アリス症候群・d01883)
    夕凪・千歳(黄昏の境界線・d02512)
    栄・弥々子(砂漠のメリーゴーランド・d04767)
    木通・心葉(パープルトリガー・d05961)
    楠木・朱音(勲歌の詠手・d15137)
    長谷・梨伊奈(プリンセスパセリーナ・d22229)
    神子塚・湊詩(藍歌・d23507)

    ■リプレイ

    ●権謀
    「今までお疲れ様だな。とは言え――」
     泰然と立つ木通・心葉(パープルトリガー・d05961)が言う。
    「――悪いがボク達を倒さない限り、君は終わることが出来ない」
    「なるほど、今度はこういう趣向か」
     廃病院の二階テラスに現れた裂木は揶揄を含んだ笑いを零した。
     視線は神子塚・湊詩(藍歌・d23507)の両手が翼という異形姿を追い、夕凪・千歳(黄昏の境界線・d02512)の連れるナノナノ『棗』を眺め、六六・六(極彩色の悪猫アリス症候群・d01883)が「にゃーお」と啼いて瞬時に灼滅者姿となるのを映す。
    「儀式はまだ続いてるのよっ!」
     指を突きつけた長谷・梨伊奈(プリンセスパセリーナ・d22229)に対して裂木が眉をひそめる。「儀式?」聞き咎めた言葉を繰り返す裂木に、「そ、そうよっ」とだけ梨伊奈は答えた。嫌な汗が滲む。
    「訳知り顔だな。殺し合いをさせたのはお前達か」
    「さて、どうだろうな?」
     知りたいのならどうすればいいか分かるだろうとばかりに、心葉が斬艦刀を構えた。
     腹を探られすぎて想定が崩れるのは避けたい。無理に多くを語る必要はなく、それらしく振舞いさえすれば――。推移を見守っていた栄・弥々子(砂漠のメリーゴーランド・d04767)は息を呑み、黒く染まった裂木を見据え直す。科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)も全体の位置取りに気を配りながら殲術道具を確かめた。障壁を張れるように腕を上げた千歳が、内心を隠しながら微笑みを見せる。
    「ふふっ、真打ちは後から登場するんだよ。――知ってた?」
    「なるほど、分かりやすい展開だ」
     裂木の纏う闇が暗く笑うように揺らめいた。殺気が膨れ上がる。
     それを肌で感じた楠木・朱音(勲歌の詠手・d15137)は、
    「ずっと見てたぜ、新しい殺人鬼」
     双金冠白鋼棍を手に身を低く屈めたまま、口の端を歪め、
    「お楽しみついでに俺達とも遊んでくれよ」
     駆けた。
     白昼のテラスに立つ裂木は陽炎のように茫としている。捉え難い。溶け揺らめく闇がそう見せるのか。いや、おそらくは――。
    「お前達――、弱いな」
     圧倒的な実力差がそう見せていた。
     裂木は朱音の棍をナイフの刃先で滑らせいなし、心葉の振るった斬艦刀を打ち払う。風を切る湊詩の殲術執刀法にも動じず、弥々子の放った弾丸も刃で受け弾く。
    「よう裂木、まだこれからだぜ」
     飛び込んで打ち据えにかかった日方のWOKシールドが裂木に届いた。手応えは軽い。左腕で受けられ距離を取られるが、それでも一瞬、不愉快そうに歪む裂木の口元が見えた。
    「名前も知っているのか。お前達、少しは『ボス』らしいじゃないか!」
     吼える。呼応するように黒い殺気が周囲に満ちた。
    「な――」「おいおい」「くっ、これ洒落になんねーぜ」「――っ」「想定以上、だよ!」
     無尽蔵の殺気を前に、一手で前衛の動きが乱される。
    「あわわっ。つよい! キミつよい!?」
     心葉と朱音をかばい動くディフェンダー陣の消耗を見て、六が大げさに騒いだ。千歳のワイドガードと梨伊奈の夜霧隠れに加え『棗』の回復もある。損害は最小限。だがこれだけの相手に戦力を分散させて凌げるのか。迷う暇はない。作戦を変更する余裕もない。
    「やべーな」「このままじゃ……」
     朱音と千歳の呟きが風に流れた。六は鮮血色の刃を振るって裂木の横を抜ける。目指すのは『建物内に続く階段』だ。日方が間に入り、裂木の追撃は許さない。「ざんねんだけど、やっかいなんだもん」六は告げて。裂木をからかって走りながら戦いを離脱する。
    「追うのは得意になった。逃げられると思うなよ」
     六に続く湊詩の耳に、裂木の張りつくような声が届いた。
    (「得意になった、か……」)
     縫村委員会の殺し合いを経て得たものを誇る様子に、湊詩は歯噛みする。
    (「蠱毒――。利用されただけで、でも、これ以上繰り返させるわけには――」)

     裂木の刃を縛霊手で受けながら弥々子は呼吸を整えた。
     手強い、と感じる。仲間達に広がる苦渋の空気はどこまでが演技だろうか。もとより拭いきれていなかった恐怖が弥々子の顔に出たのか、裂木が愉悦に口を歪ませ、
    「安心しろよ。綺麗にバラしてやるからさ」
     笑った。
    「――っ」
     黒い眼球。赤の瞳。そうなる前の顔は知らない。
     けれど、優しそうな人に見えたとエクスブレインは言った。
    (「その人をもう取り戻せないの、なら……」)
     階段へと下がる心葉、朱音、日方、千歳と目配せをしながら、弥々子自身も動く。
    (「必ず――、灼滅してみせる、の……!」)
     そのための策はあった。逃さず終わらせるための策だ。「ま、待って……」と置いていかれそうで焦った風の演技は上手くできているだろうか。弥々子は仲間と裂木を見比べ、気づいた。遅れた梨伊奈を裂木が狙っている。その一撃を通せば致命傷にもなりかねない。
    「あ……」
     と声が出る。弥々子はバランスを崩して落ち葉の積もる床へと転がった。まるで慌てすぎたように、隙だらけで、だからこそ――、注意を引ける。裂木の足先が、弥々子に向いた。

    ●術策
     廃病院内は薄汚れ朽ちた壁が暗く続いている。光が少なく、瓦礫が多い。だが湊詩と六の足が惑うことはなかった。先行班として戦闘を離脱した二人は、事前に確保した誘導路を確認していく。裂木によって荒らされた形跡はなく、作戦に支障はなさそうだ。
    「六、上手くいくと、思う?」
    「おもうよー! 挑発かんぺきだった! あとは――」
     六が最後まで言葉にせずとも湊詩は頷けた。案内板と地図を使って絞り込んだ決戦場である一階手術室。そこへ裂木を誘導するだけ。そしてその道は万全だ。
    「日方の手際が、良かった。助けられた」
    「ねー! 気がついたらおわってたの。僕もおどろきなのでした!」
     余計な道を自然(心葉の言により三センチ単位で微調整した)に塞ぎ、邪魔になる物は撤去済み。用意したESPで作業も捗り、余裕を持って事を運べた。全員で準備した誘導路に穴はない。湊詩と六は手術室へと飛び込むと身を隠し、背後で聞こえていた戦いの音に意識を向けた。

    「鬼ごっこは終わりか? 袋の鼠だな。バラされる覚悟はできたか?」
     手術室の入口に立った裂木は、逆光の中、ゆっくりと踏み込んでくる。
    「えっ、あ、これじゃ、逃げられない、よ……!」
    「しかたあるまい。腹を括れ。通路よりはまだいいということだ」
     枯れ葉だらけの弥々子の手を引いて、心葉がタイル張りの室内を下がった。
    「足りてないんだよな。子供を切り刻む練習。つき合ってくれよ」
     裂木の暗く歪んだ顔を前に、日方は演技を忘れて吼えそうになる。
    (「あんまりだ、誰も助けられないって。殺された人達も、心を殺された裂木も」)
     殺戮で奪われたものは戻らない。縫いつけられた闇は剥がせない。
     だからせめて、すべてをここで――。
     一歩、二歩、裂木は闇を揺らがせながら進む。
    「簡単に殺される気はないぜ?」
     恐れながらも挑戦的に言った朱音の口元が、――微かに緩んだ。もう距離は十分。血塗れの額を拭った千歳が口を結んだまま頷いた。獲物は罠にかかっている。
     床を蹴る鋭い爪音に風を切る羽音。暗がりから湊詩が動く。逆光になる位置。もう一方からも猫のようなしなやかさで六が動く。裂木の背後。退路は塞ぎ――、
    「ここで止めて終わらせる、――絶対ェ!」
    「さぁ、もう手加減なしの本気で行くのよっ!」
     日方が揺らがぬ双眸を向け、梨伊奈が居丈高に宣言した。「君が此処の外を見ることは、もうない」告げる心葉に続いて、朱音と千歳も裂木を囲み動く。
    「そういうことか」
     裂木は背後を一瞥、気にした風もなく、笑った。
    「逃げ道がないのはお前達も同じだな?」
     薄暗い手術室に、裂木の纏う闇が溶けるように広がっていく。
    「どっちが追い詰められたのか、教えてやるよ」

    ●死殺
     何分経っただろうか。沼に踏み込んでしまったかのように、足が重い。
    「くそっ、血を流しすぎたか」
     吐き捨てる日方の声が心葉の耳に届いた。事実、仲間達は疲弊している。ディフェンダーである日方、弥々子、千歳は特に。けれど、と斬艦刀で裂木のナイフを防ぎながら心葉は思う。――まだ、誰も倒れてはいない。
    「回復は任せてっ」「怖がってばかりじゃいられない、の……!」
     梨伊奈と防護符が飛び、弥々子の清めの風が吹いた。千歳と『棗』の支援もあり、裂木の執拗で苛烈な攻撃を前にしながらも、戦線は支えきれている。
    「あんまり動くと痛いよ」
     毒々しくも見える六の刃が、
     ――変拍子で踊るように自在に揺れ閃き、
     かわそうとする裂木の脚を捉えた。
    「あんたもいい加減――、沈んでくれ」
     朱音の魔力を流し込んだ棍が、動きの鈍った裂木の肩を打ち砕く。歯を剥き出しにした裂木が吼えた。敵は精彩を取り戻し、再び死を予感させるほどの闇が溢れる。
    「……何度、だろうと!」
     咄嗟に千歳が障壁を張ろうと動いた。繰り返した戦いの流れ。裂木の猛攻を耐え凌ぎ、少しずつでも力を削いでいく。短期決戦を挑む『道』が見えず、確信できない以上、できるのは支え続けることだけだった。その重く染み込むような闇が、
    「いまなら、平気だから……!」
     一瞬、湊詩の声で払われる。
     積み重ねられた制約を受け、裂木の体躯が痺れたように硬直していた。
     黒赤眼だけが別の生き物のように動き、湊詩を見る。機を逸したことに悪態をつき、忌々しげに口を歪めた。それは、流れが変わったことを示唆するに足る所作だ。
     守勢から攻勢へと灼滅者達は転じた。
     裂木は日方の牽制で位置取りを阻害され、弥々子の制約の弾丸を受けてよろめき、梨伊奈のオーラキャノンに殺気を散らされる。明らかに動揺の色が見えた。
     千歳が左手を向けると同時、影が伸びる。
    「これ以上君に罪を重ねさせない……! だからここで眠ってくれ!」
    「――御為倒しだ。飾った言葉で誤魔化すなッ」
     裂木は影喰らいが左腕を呑み込むのも意に介さず、幾度でも吼える。
    「殺すか殺されるか――、それだけだろうがッ!」
     それは縫いつけられた黒くて痛くて冷たい――、泥濘の真理。
     思い囚われ沈み、抜け出せず、足掻くことも諦めて。
     だから。
     ――殺。
    「そこは単純で考える必要もなく、居心地がいいだろう?」
     それなのに。
     心葉は斬艦刀を振り下ろして静かに告げた。
    「どうした?」
     水底のような藍の瞳が仄かな闇を湛え、血に沈みそうな裂木を映す。
    「――ボク達を殺すことも出来ないのか?」

    「――ぁ、ああああああああああッ!」
     手術室を闇に沈めるほどの殺気はまさしく裂木の叫びだった。
     殺圧と評したくなる衝撃に心葉の体勢が崩れた。吹き飛ばされそうになる体を床に刺した斬艦刀で支え、視界を埋める闇の向こうを睨め射抜く。見えはしない。だが、迫る『予感』に体は動いた。
    「――――」
     眼前で火花が散った。ナイフの刃を受けて斬艦刀の刃が欠けている。身を守るように掲げた斬艦刀を両手で支え、心葉は裂木の黒赤眼を見据えた。
    「終わりか? やはり君は妄言の類が多いな」
    「――――ぁ! 黙れ黙れ黙れ!」
     鏖殺領域に蝕まれた体は重く、積み重なった傷は深い。だけれど、周囲には色濃い闇の代わりに梨伊奈の展開する夜霧が満ちていて、弥々子の祭霊光がいま少し動けるだけの力をくれる。
    「死ねよ! 黙れよ! 殺してやるからさッ!」
     奔る裂木の刃が心葉の腕を切り、脚を裂き、肩を刺す――が、そのどれもが浅い。「狙いが甘いな」刃が頬を掠めたのもいとわず、心葉は至近の裂木に対して囁いた。
    「君はもう終わりだ」
    「俺は俺は俺は俺は俺は――!」
     喚きの意味は聞き取れず、裂木は闇雲にも見える動きで刃を振るう。湊詩の殲術執刀法が背を深く刻むのにも構わず、足は唯一の出入口へと動き出していた。
    「にがさないんだよ」
     それを予測していたかのような正確さで六の影が動いた。香るのは『ちょこれーと』のように甘い赤。裂木は『影』に呑まれた左足を『そこ』に置き去りにしたまま、一歩。
    「誤魔化しかもしれない」
     柔和ながらも明瞭な声音が響き、
    「でもいまの俺には、護りたいものがある――!」
     千歳の縛霊撃が裂木の腹部を抉り削った。歪となった体躯は倒れ伏す。その胸部を詠唱圧縮された魔法の矢が射抜いた。放った心葉の前で、一度、裂木の身体が痙攣する。
    「――、――……、ッ!」
     床に爪を立て、裂木が逆光のなかを這いずった。
     通路へと逃げようと、闇と血に染まる体を動かして。
    「ごめんな」
     日方が道を塞ぐように立った。その足を、裂木がつかむ。言葉にならない音を発し、つかんだ足へとナイフを突き立てる。何度も何度も繰り返し。それを、日方はWOKシールドで押さえつけた。
    「これは――」
     静かに朱音が歩み寄る。
    「言ってみれば生存競争さ。だから遠慮も、同情もしないぜ」
     告げて。
     アンチサイキックレイによる光が、裂木の首を灼いた。

    ●陽闇
     手向けに白菊を一輪捧げた朱音は手術室を出る。目を伏せ黙祷していた梨伊奈もそれに続くと、一足先に部屋から出ていた仲間達の顔が見えた。
    「思い入れが過ぎると身を滅ぼすぞ」
     一言、言って。心葉は廃病院の通路を歩き始める。
     打ちつけた窓の隙間から、傾き始めた陽の薄朱が落ちていた。
    「理解してるさ」
     割り切った声で応じる朱音を盗み見て、梨伊奈の顔が下を向く。その頭に柔らかく乗せられる手があった。「ま、気楽にいこうよ」そんな千歳の囁きが上から降ってきて。今度は軽く背中を押された。
     皆で作業した通路を進んでいく。不意に湊詩が呟いた。
    「あの人は――」
     歩みは止めず。
    「裂木だった人ではない、から。面影が残っていても、ダークネス、だから」
     作業中に服を引っかけた鉄屑の脇を抜け、妙に見慣れた壁の汚れの横を通り、集めて積んだ瓦礫で塞がる道を折れ、手術室を見繕った案内板の前に至り、湊詩は言葉に詰まる。
    「――ごめん。その、僕もよく分からない、けど」
    「いいんじゃね?」
     廃病院の出口を見つめながら、日方が言った。
     闇の濃い廃墟内とは対照的に、
    「俺らができることはしたぜ。誰にも文句は言わせねぇよ」
     四角く切り取られたその先は、陽に照らされている。
     そこへ、弥々子が駆けた。とてとてと走り、陽の下で服の裾をひるがえす。「早く!」と小柄な少女は仲間達を呼んだ。無邪気に振舞えるような戦いではなかったことを、全員が知っている。それでも――、弥々子はもう一度、呼んだ。
     やれやれとばかりに歩調を速めた仲間達の背を見ながら、六は立ち止まる。
     振り返り、
    「ばいばい、またね」
     暗がりの先に、まるで『ごちそうさま』とでも言うように微笑んで。
     それから、慌てて仲間達を追った。

     灼滅は終わり、森は夜に沈む。
     廃墟は静謐を抱いて眠りつくだろう。願わくはそこに棺の安寧を――。

    作者:唯代あざの 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年3月29日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ