シュヴァルツ・スクラーヴェ

    作者:佐伯都

     体操部の道具を片付けに来た女子生徒が、目を剥いたまま廊下に倒れている。
     なまめかしい白い肌へおちる、黒い雫。部活動もおおかた終了した夕暮れ時、体育館倉庫へつながる廊下にひとけはない。
     生徒の身体は腹部のあたりで両断されていて、とうに絶命していると知れた。
     そこへ馬乗りになり、首すじを、筆とインクでぺとぺと塗っている黒衣の男。
     血管がそのまま浮き出たような意匠の首輪を飾っているが、男は死体のちょうど同じ位置を黒インクで塗っていた。
     
    ●シュヴァルツ・スクラーヴェ
    「新潟ロシア村の件のあと、行方不明になったロシアンタイガーを捜索しようと、ヴァンパイア達が動き出したらしい。もともと狙っていたのは業大老配下なんだけど、柴崎が灼滅されてそっちまで手が回らないようで」
     まああんな武闘会まで開催してるしね、と成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)は未来予測を書き留めた手元のルーズリーフを見下ろした。
     ダークネスの貴族とも称されるヴァンパイアは、現在その多くが活動を制限されている。
     しかし『爵位級ヴァンパイアに奴隷化されて力を奪われた』ヴァンパイアが、奴隷から解放される事とひきかえに、単独でのロシアンタイガー捜索任務を請け負ったようだ。
     この元奴隷ヴァンパイア、困ったことに、久しぶりの自由が相当嬉しかったらしい。
    「ロシアンタイガーの捜索そっちのけで、女子中学生を標的にした連続快楽殺人に走る。鬱憤晴らしたかったんだろう」
     それこそ気が済むまで放っておけばいつかは事件も終わるが、死体の山を築かせるのをみすみす見逃してよいはずがない。
    「幸い、二回目の殺人の直後にバベルの鎖をくぐる事ができる。これ以上の事件を起こさせないためにも、急いで向かってほしい」
     元奴隷のヴァンパイアは『シュヴァルツ・スクラーヴェ』と呼ばれており、黒衣で全身を覆っている。目の部分だけがあいた黒頭巾をかぶっているため年齢不詳だが、声や体格からして成人以上であるのは間違いない。
    「多分、と言うか間違いなく本名じゃないね。シュヴァルツ・スクラーヴェ……『黒奴隷』なんて、プライドの高いヴァンパイアが名乗るわけない」
     主につけられた侮蔑的な名、と考えるべきだろう。しかもヴァンパイアはダークネスの中でも高い能力を誇っており、誰かに隷属、など屈辱以外の何物でもない。
    「もし名前をネタに挑発するとしたら、侮辱は命をもって償わせる、そういうタイプだと思っていい。実際挑発するかどうかは任せるよ」
     シュヴァルツ・スクラーヴェはレイピアに似た細身の剣で武装しており、ダンピールのものと月光衝および雲耀剣に酷似したサイキックを使用する。
     今から向かえば体育館倉庫前で被害者の首を黒インクで塗っている所で接触でき、人払いの必要もないので、そのまま強襲するとよい。
     いくらバベルの鎖をくぐる都合があっても見過ごすのは辛いと思う、と樹はルーズリーフを閉じながら続けた。
    「だからこそ、これ以上の犠牲を出さないため確実に灼滅してほしい」


    参加者
    アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)
    エステル・アスピヴァーラ(おふとんつむり・d00821)
    不知火・レイ(クェーサー・d01554)
    字宮・望(穿つ黒の血潮・d02787)
    安土・香艶(メルカバ・d06302)
    鎮杜・玖耀(黄昏の神魔・d06759)
    城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)

    ■リプレイ

    ●Schwarz Sklave
     校庭と灼滅者たちが目指す体育館倉庫のある区画を隔てる、腰ほどの高さの生垣。そこを跳び越えた字宮・望(穿つ黒の血潮・d02787)とアルベルティーヌ・ジュエキュベヴェル(ガブがぶ・d08003)が眉をしかめた。
    「プライドが高い割には、やることが余りに獣じみている……」
    「快楽殺人に耽るなんて六六六人衆に鞍替えすればよろしいでしょうに」
     弱い風が濃密な血臭を届けている。腹部できれいに上下が分割され、ひどくマネキンじみて見える女子生徒が瞳孔の開きった目で灼滅者をじっと眺めていた。
     ざ、とアリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)が埃っぽい地面を踏みしめカードを抜く。城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)がそれに続いた。
    「Slayer Card,Awaken!」
    「歌おう、エパミノンダス」
     解放ワードで闖入者に気付いた黒装束の人影が、肩越しに振り返る。
     目元の部分だけが開いた黒い頭巾と肌の露出が一切ない装束のせいで、体格からして成人男性、ということしかわからない。血に酔ったような、赤い瞳が灼滅者を捉えた。 
    「よぅ黒頭巾、か弱い女子いぢめとか格好悪いぜ」
     安土・香艶(メルカバ・d06302)の声に黒装束の男が低く唸る。豪放磊落な偉丈夫のイメージからはやや遠いように思える、無駄を省いた最小限の動作で香艶は男までの間合いを詰めた。
    「まずは、俺と遊ぼうぜ!!」
    「!」
     相手の力や動きを受け流し、あるいは返す、おそろしく次の動作の予測がつけにくい合気道の身のこなしを見るのは初めてだったらしい。暗器じみた極小の杖での刺突をどうにか紙一重で躱し、黒装束の男は灼滅者達を警戒し素早く距離を取る。
     千波耶の甘やかな歌声が響いていたが、男は一瞬目を瞬かせただけだった。
    「レイピアっていうのは騎士道精神に溢れた紳士の嗜む武器だって聴いてたんだが、そういう訳でもねぇんだな」
    「むーん、大きなことの後には毎回吸血鬼たちが動くのですね」
     漁夫の利を狙っているのか、それとも手駒切れでまた何かを、あるいは誰かを捜しているのか。足元に控える霊犬、おふとんと一緒に軽く首をかたむけたエステル・アスピヴァーラ(おふとんつむり・d00821)の後方、油断なく氷結界【Enceladus】の照準を合わせた不知火・レイ(クェーサー・d01554)がヴァンパイアを睨みつける。
    「お前を……灼滅する」
    「ショウタイム――リバレイトソウル!」
     アルベルティーヌと望が布陣するのを横目にしつつ、役目を放棄して私欲の殺戮に耽るとは堕ちたものだ、と鎮杜・玖耀(黄昏の神魔・d06759)は思っているがおくびにも出さない。妖の槍を構える姿は冷静そのもの。
    「過ちは繰り返させませんよ」
    「やってみるがいい、できるものならば」
     赤い瞳の目元が大きく歪む。嗤ったのだ、とアリスは余所事のように考えた。

    ●黒奴隷
    「むぃ、盾でぺっちゃんこになっちゃえばいいの」
     細身の剣を抜いた黒装束の男が、シールドを展開させたエステルの間合いへ踏み込んでくる。
    「斬り裂け、惑わしの逆十字……!」
    「どーん♪」
     望の放った赤い逆十字とエステルのWOKシールドによる殴打を、男はいかにも華奢に見える剣で受けきった。
    「無力な相手を殺して、その死体を弄ぶしか能が無いのね」
     固定砲台と化したアリスからの一言に、黒装束の男はもう一度目元を歪める。アリスの発言に不吉なものを感じた千波耶は表情を曇らせた。
    「何の能もない人間が、一瞬にしろ我らを愉しませる事ができるのだ。むしろ感謝されて当然ではないか」
    「考えることが低劣。あなたにぴったりの言葉があるわ――変態」
     灼滅者からの視点の現状がどうあれ、ヴァンパイアとはダークネスの中でも高い能力を誇る貴族である、という情報をアリスがこの時考慮に置いていたかどうか定かではない。そして屈辱的な名と侮蔑の二つを、プライドの高い相手へ同時に口にするリスクも。
    「隷属させられるのも当然ね、黒奴隷」
     装束の上から男の襟元を飾る、血管がそのまま浮き出たような気味の悪い意匠の首輪。手袋をかけた指先でそれをひと撫でして、『シュヴァルツ・スクラーヴェ』は無言のままレイピアを正眼に構えた。
     レイピアは騎士道の証。
    「貴様らがどこの所属かなど知らんが」
     騎士の誇りを汚された時、騎士はその魂をどう守るのか。
     隷属させられた経緯を知らぬばかりか、その手段もわからない今はただ想像するだけ。
    「躾の悪い女もいたものだ」
     凄まじい速度で迫る刃。アリスは少ない動作で躱そうとしているようだが、とうてい足りていない、と香艶は判断した。
     なりふりかまわず彼女の襟首をひっつかみ、力任せに自らの後ろへ引き倒す。
     フェミニストとしては随分手荒い扱いになってしまい申し訳なく思うが、一切の雑念を捨てた一撃の身代わりになったことで、今は帳消しにしてほしい。
     黒装束の男が放った神速の刺突。それは香艶の胸を貫いていた。

    ●黒首輪
     激しく咳き込んだ香艶の口元に朱が散る。埋め込まれたままの刃へさらに体重をかけるようにしてきた黒装束の男をなんとか引きはがそうと、玖耀は暴風にも似た風を浴びせかけた。
    「お前に生きる価値などありません、絶対に滅ぼします!」
    「そんなに自由が嬉しいなら、この世から自由にしてやる!」
     更に降りかかってきたアルベルティーヌと望のサイキックで香艶から離れることを余儀なくされたものの、黒装束の男はまるで隙のない構えを取る。
    「どうした。かかって来ないならばこちらから殺しに行くぞ、女」
    「……」
     千波耶の歌声で昏倒は避けられたものの、香艶の消耗は激しい。
     攻撃精度の高い相手なのだ、せめて包囲するなり、まずは守りを固めるなり、もっと全員が連携しての策を練ってくるべきだったかもしれないと望は歯噛みする。挑発によって生じる危険――侮辱は命をもって償わせる、というリスクに対しても、あまり具体的な対策を立てて来なかったのは痛かった。
     しかし今となっては、悠長にそれを考えていられる余裕などない。香艶とアリスに集まっているであろう注意をまず分散させ、連携を望めなくともとにかく攻めるしかなかった。
    「外しはしない……不可視の風の刃で悪しき吸血鬼を断つ!」
     轟、と音を立てて望の周囲に巻き上がるのは、鎌鼬を思わせる無数の風の刃。エステルは香艶の治療に集気法で手を貸しながらも、黒装束の男が動き出せばすぐに対処できるよう前を向き続けた。霊犬・おふとんが低く唸ってダークネスを威嚇している。
    「むー、本当は何が目的で誰がこんなこと言い出したのですか~?」
    「何の事を言っているのか理解できん」
     エステルはその台詞に何か、わずかな違和感を覚えた。声の調子から男は本心から質問の意図を理解できなかったようだが、エステル自身なぜそんな違和感を覚えたのか自分でもよくわからない。
    「お前みたいな奴はそのままで終わる。いや……終わらせてやる」 
     後衛から前に出たレイの足元、斜陽で斜めに走る影が急速に形を変える。地面を疾走する黒い触手をかわし、黒装束の男は再び香艶へ斬りかかった。
    「俺は諦めが悪いんでね!」
     胸元から腹部にかけての、生々しい鮮血の汚れを意に介した様子もなく香艶は笑う。ヴァンパイアミストを張り、無理に反撃を狙わずまず男の来襲と次撃に備えた。
     後方から玖耀が弾幕でも張るかのように神薙刃を放ち、防護符で前衛の守りを固めてゆく千波耶から男の注意を逸らした。アルベルティーヌは何よりも確実に急所を撃ちぬけるサイキックを選ぼうとしていたが、たとえ狙撃手に向く後衛だとしても毎回毎回極大のダメージを狙えるほどの確実度を叩き出すのは、灼滅者とて至難の業だろう。
     そもそも敵の攻撃を真っ先に浴び、めまぐるしく回避のために立ち位置が変わる前衛で固定砲台、という着想に無理があったのだと考え直し、アリスはひとまず後衛へ下がった。
     玖耀の腕が上がり、クルセイドソードが鋭く振り下ろされる。それが号令であったかのように、影の先端が刃となって黒装束の男へ襲いかかった。
    「グ、ッ」
     千々に切り裂かれた黒装束のそこかしこへ血がにじむ。首筋を切り裂かれ、不吉な意匠の首輪に血が滴った。そんな事がありえるはずがないが、ついその首輪が滴りとなった血を吸う想像をしてしまい玖耀は思わず眉をしかめる。

    ●Schwarz Kragen
     トランス・ブルーのギターをひと掻きして千波耶は歌う。
    「少しはしゃぎすぎたわね、ヴァンパイア」
     攻防は一進一退が長く続いた。数こそ有利だったがそれを生かせる連携ができず、格上の相手になかなか押しきれない。しかし確実に積み上がる殺傷ダメージだけは、いくら格上と言えど動かしがたいものだった。
     アルベルティーヌがマテリアルロッド【セープタ・ドゥイーゾクロン】片手に、鋭く身を沈める。死角にもぐりこんだアルベルティーヌの杖が黒装束の男の背部を強かに打ちすえ、衝撃を殺しきれなかった男はそのまま数歩たたらを踏んだ。
    「惰性に生きるものは滅びる定め……処遇に抗えないならば、いっそ誇り高く死を選べばよろしいでしょう?」
    「さて、同じ制約を受けてそれが言えるかな」
     すっかりボロボロに切り裂けた頭巾の隙間から、皮肉げににやりと笑みをたたえた口元が見える。アルベルティーヌの問いに答えた黒装束の男も、いつしか負傷が折り重なり動きも鈍くなりつつあった。
    「本来の名前ではないのだろう。私は鎮杜玖耀、貴様の名は」
    「……」
     喉の奥で嗤う笑い方をしたことがわかったが、男は答えない。
     それが意図的であったかそうではなかったのか、やはり玖耀には今ひとつわからなかった。
    「俺を倒すにゃまだまだ火力が足りないぜ!」
     もはや満身創痍だが、香艶のおそろしく強気な言葉に、さすがに黒装束の男も旗色が悪いことを認めざるを得ない。しかし、それでも攻め手を諦めようとしないのは、彼がまだ胸の底に飼っているはずの騎士道精神に突き動かされた結果、と言っても良かったかもしれなかった。
     千波耶の斬影刃とディーヴァズメロディが追い打ちをかけ、黒装束の男はがくりと片膝をつく。
    「お前のような敵は楽だよ、とどめを迷う必要がない!」
     至近距離からのレイによる弓射を、男は身をよじるようにして躱した。しかしそれすら織り込み済みだった望が、大きく体勢が崩れたままの黒装束へと右腕を振りかぶる。
    「塵の海に、沈め……ッ!」
     望の紅蓮斬を、男は膝をついたまま見上げていた。
     一瞬の空白があり、力尽き果てたダークネスが灰燼に帰す。文字通りの灰と化し、骨すら残らない。
     吹き渡る弱い風にさらわれていく白い灰を眺めていたエステルは、その一角をおふとんが前足で掻いていることに気付いた。
    「むぃ、何かな?」
    「……首輪?」
     駆け寄った千波耶が拾い上げたのは、黒い、忌まわしい意匠の首輪。
     灰を払い落とした千波耶からそれを受け取り、アルベルティーヌは溜息をつく。ここで何かがわかるわけでもないので一度学園へ持ち帰る必要がありそうだが、あまり長いこと触っていても気持ちの良いものではない。
    「あの下種が施した悪趣味なペイント、拭ってあげたいのですが」
     千波耶の言葉に、否と言う者がいるはずもなかった。
    「彼女は隷属なんてしない。誰にも……ましてあんなヤツになんて」
     まだ目を開けたままだった女子生徒の遺体のそばへ膝をつき、千波耶は目元を歪める。
     黒く塗られたままの、しろい首。
    「ごめんなさいね。あなたを助けられなくて」
     アリスの呟きもまた、風にさらわれて消えていった。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年5月7日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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