押し掛け同居の魔法王女(プリンチペッサ)

    作者:田島はるか

    ●僕の家に魔法王女が住み着いてしまった件について
     気がつくと、ユキは水飲み場の蛇口に吊り下げられた、ちびた石鹸をじーっと見つめている。それはもう、愉快なほどに真剣だ。
    「あの、タカくん、これは……何ですか?」
    「これも石鹸だよ。ほら」
     手を洗ってみせると、ユキは目をまん丸にして、僕の手元をじっと見つめる。
    「や、やっぱり信じられません、妖精さんがいないのに泡が立つなんて……人間界には、まだまだ学ぶべきことが沢山ありますね」
     そう言って、ユキはまだ泡だらけの僕の手をぎゅっと握る。白くてやわらかくて、いつまでも触れていたくなるような手。
     ふと、昨日のことを思い出してドキリとする。
     常識を何も知らないユキは、何にでも興味津々だ。いつの間にかちゃっかり僕の家に住み着いてるし。だからって、お風呂にまで一緒に入ろうとしてきたときはどうしようかと思ったけど。
     まあ、それも仕方ない。
     だってユキは、魔法の国の王女様なんだから。

     ユキ、という名前は僕がつけた。銀の髪がとても綺麗で、まるで降ったばかりの雪みたいだと思ったからだ。ユキの本名はとっても長くて、僕には何度聞いても覚えられない。でも、ユキはちっとも気にする様子はなく、むしろその名前を気に入ってくれているようだった。
     そんな彼女が、こっそり教えてくれた自分の正体。
    「魔法の国の王女は、十四歳になると人間界に渡って、そこでしばらく暮らす決まりなんです」
     外国どころか、魔法の国。その告白にはさすがに驚いたけど、そういうことなら、ユキが何も知らないことにも納得がいった。
     「だったら、僕が人間界のこと、いろいろ君に教えてあげるよ」――とっさに口走ってしまった言葉だったけれど、ユキは驚いた顔をすぐに満面の笑みに変えて、「嬉しいです」と言ってくれた。
     それにしても、自分がそんな台詞を言えたことに、自分でちょっと驚いた。僕なんていつも隅っこで地味にしている方で、これからもずっとそうだと思っていたのに。
     学校では、外国から来た親戚の女の子なんだと説明したら、みんな納得してくれた。今のユキは、どこで用意したのか、この学校の女子制服を着ている。先生も好意から、僕の隣にユキの机を用意してくれた。
     僕の視線に気付いて、ユキはふわんと笑う。
     銀髪が夕陽に照らされて、綺麗なオレンジ色に染まっている。
     ああ、もう。
     そんな顔されたら、好きになっちゃうに決まってるじゃないか。
     
    ●実は彼にも秘められた力が……えっ、本当にあるの?
    「……で、このユキちゃんってのが淫魔なんだ。もちろん、出身は魔法の国なんかじゃない」
     何でこんな設定にしたんだろう、ターゲットがマンガ好きだからかな……と深沢・祥太(高校生エクスブレイン・dn0108)は首をひねりながら話を続ける。
    「そんでもって、そのユキに誘惑されてるタカくん……内海・タカヒロっていう中学二年生なんだけど、こいつが問題でさ。どうも、ユキがタカヒロに目をつけたのは、タカヒロに強力なダークネスになる素質があるからみたいなんだ。
     今のうちにタカヒロと仲良く……というか自分に従うようにしておいて、忠実な配下として覚醒させようとしてるわけだ。そうと分かったら、さすがに放っとくわけにはいかないよな。
     まずいことに、タカヒロの闇堕ちは近い。ユキもそれを分かってるのか、学校でもべったりくっついてるみたいだ。闇堕ちをなんとか阻止できれば、ユキを灼滅するだけで済む。逆に、タカヒロにまで闇堕ちされると、両方まとめて倒すのはかなりキツいぜ」
     そこで、と祥太は人差し指を立てる。
    「ざっと思いついた方法は三つ。
     ひとつめは、タカヒロが闇堕ちする前に、問答無用で正面から襲ってユキを倒してしまうこと。もしその後でタカヒロが闇堕ちしたりしたら、後でタカヒロも灼滅する。下手な小細工はせずに、スピード勝負ってわけだ。ただ、ユキとの戦いが長引けば、同時にダークネス二体を相手取ることになっちまう可能性がある。そうなると、どっちにも逃げられちまうってことも考えられるぜ。
     ふたつめは、何とかタカヒロとユキを引き離しておいて、その隙にユキを倒すこと。タカヒロのほうも、ユキの演出に乗っかるなり何なりして、うまいこと言いくるめておく必要があるだろうな。ユキがいなくなったことを上手く納得させられないと、後でそれを知ったタカヒロが闇堕ち、なんて可能性もある。
     三つめは、タカヒロを説得して、目の前でユキを灼滅しちまうこと。しっかり現実を見せてやれば、タカヒロは闇堕ちの危機からも脱せるだろう。まあ、説得し損ねたら、ユキを助けるためにタカヒロも闇堕ちしちまうかもだけど……。
     他にも方法はいろいろあると思うし、どうするかは皆に任せるよ」
     ユキか闇堕ちしたタカヒロか、最低どちらかだけでも灼滅できればそれでいい、と祥太は言う。片方を取り逃がしたとしても、二人にコンビを組まれるよりはずっとましなのだと。もちろん、タカヒロが闇堕ちせずにすむのなら、それに越したことはないが。
     ユキは、魔法の国の王女を名乗る淫魔。戦うとなれば、淫魔としての力と、天星弓相当の力を使うが、こちらは集まった灼滅者たちの力で充分に倒せるだろう。
     タカヒロは、闇堕ちするとノーライフキングとなる。その力と、鋼糸に相当する力を使い戦うが、ユキに比べればずっと強いと言っていい。勝てないことはないが、漫然と戦って倒せる敵でもない。
    「どこで仕掛けるかも任せるよ。まず考えられるのは、登下校の途中で通る広めの公園。人通りは少ないし、広さも充分だ。あとは自宅。タカヒロの両親は夜遅くにならないと帰ってこないから、基本的にはユキとタカヒロのふたりきりだ。ちなみに両親もユキに籠絡されちゃいるが、帰ってたとしても戦いには参加してこないぜ。それから、タカヒロの中学校に乗り込むって手もある。クラス数が多いから、全校生徒の顔なんかみんな覚えちゃいないし、年がそう遠くないヤツが制服を着てりゃ、勝手に生徒だと思ってもらえるだろうよ。ああ、制服なら言ってもらえりゃ用意できるからな」
     説明できるのはこんなところかな、と祥太はメモを確認する。
    「まあ……なんだ、たとえ一見幸せそうに見えたって、こんなのタカヒロにとっては不幸でしかないからな。どんな形であれ、終わらせなきゃいけないんだ」
     よろしく頼む、と祥太は深く頭を下げた。


    参加者
    五十里・香(魔弾幕の射手・d04239)
    城戸崎・葵(素馨の奏・d11355)
    エルシャ・プルート(スケッチブックと百面相・d11544)
    フィアッセ・ピサロロペス(睡蓮の歌姫・d21113)
    セトラスフィーノ・イアハート(編纂イデア・d23371)
    師走崎・徒(春先ランナー・d25006)
    アガーテ・ゼット(光合成・d26080)
    峰山・翔(山と猫をこよなく愛す・d26687)

    ■リプレイ

    ●最終回は突然に
     公園はすっかり夕陽の色に染まっていた。よく晴れた空は、オレンジ色から夜の藍色へとグラデーションを描く。
     隣を歩くユキが初めてタカヒロの前に現れたのも、こんな夕暮れのことだった。
    「夕飯、どうしようか」
    「私は何でも。不思議なんですけど……タカくんと一緒だと、何を食べてもとっても美味しいんです」
     ユキの横顔。その顔が赤いように見えるのは、夕陽のせいだろうか?
     いやいや、と内心で首を振る。
     まさか、そんな都合のいいことがあるはずがない。僕に限って、そんなこと。
    「と……とりあえず、早く帰ろうか」
     僕の意気地なし、と思いながらタカヒロが言った、そのとき。
    「お待ちください、プリンチペッサ様!」
     ――突然、ユキを呼ぶ声が聞こえた。

     振り返ると、そこには一人の少女がひざまずいていた。まるで漫画の中で見るような、恭順の仕草。
    「!?」
     ごく普通の小柄な少女に見えるが、放つ気配が只者ではない。タカヒロが目を丸くして見つめる前で、少女が何事か呟いた。
    (「これ、何かの呪文?」)
     タカヒロがそう考えた次の瞬間、少女の衣服が一瞬にして別のものへと変化する。真珠のように輝く銀髪、澄んだ黄金色の瞳、戦士を思わせる服装、そして少女が持つにはいささか不釣り合いに感じられる剣。
    「なっ……」
     突然現れた少女騎士を前に、ユキがたじろぐような声を上げた。
    「姫、お迎えにあがりました」
     さらに別の声が、頭上から降ってくる。ぽかんと口を開けたタカヒロの視界に、もう一人の女性の姿が映った。黒衣に身を包み、箒にまたがったその姿は、小さい頃に映画で観た魔女を連想させる。違いといえば、こちらも剣を携えていることか。水晶を思わせる、透き通った青い剣。よく見れば魔女は動きやすそうな肩当てや胸鎧を身につけている。魔女というより、これは魔法騎士だ。
    「プリンチペッサ・スネェーフリンガ・ブランシュネージュ様」
     ユキの名前を呼ぶのは、こちらも銀髪の少女。いつからそこにいたのだろう、とタカヒロが思った瞬間、可憐なワンピースがパッと弾けるように翻り、またたく間に豪華なドレスへと変じた。こちらは高貴な身分の人間らしい。一歩進み出るたび、幾重ものフリルに飾られた長いスカートが揺れる。憂いに満ちたその表情は、彼女がここへ遊びに来たのではないことを物語っていた。
    「ユキ、あれってもしかして、魔法の国の……?」
     訊ねたタカヒロに、ユキは曖昧な笑みを返し、闖入者達へと視線を戻す。
    「……何用ですか」
    「お父上が危篤です。どうか、国へとお戻りください」
    「ど……どういうことです」
     震えるユキの声。
    「申し上げた通りでございます。魔法の国の騎士として、姫君をお連れするよう仰せつかりました」
    「同じく。どうか、一刻も早いご帰還を」
     魔法騎士が少女騎士の隣に降り立ち、芝居でしか見たことのないような大仰な礼をする。
     そっとこちらを窺うユキの表情は、今にも崩れそうなほど脆く見えて、タカヒロは思わずユキを守るように一歩前に出ていた。

    『魔法の国のお姫様を名乗る淫魔プリンチペッサ。エルたちはタカヒロさんの心を傷つけずに救い出すことが出来るのでしょうか?』
    「……ねえ、そっちに誰かいるの?」
     エルシャ・プルート(スケッチブックと百面相・d11544)が掲げるフリップを指差し、師走崎・徒(春先ランナー・d25006)が思わず小声で訊ねる。
    『ひみつ』
     わずか4画の簡潔な返答。突っ込まないのがお約束だ。
     視線をタカヒロとユキの方へと戻す。
    (「こういうのって、気恥ずかしいけど茶化す気にはなれないんだよね」)
     冷めた言葉を言い聞かせ、彼の幻想を打ち砕くことも可能だ。
     けれど、好きな女の子を案じる少年の姿を目の当たりにしながら、どうしてそんなことができようか。

     城戸崎・葵(素馨の奏・d11355)はビハインドのジョルジュと共に身を潜めた物陰から、じっと接触の様子を窺う。
    (「魔法の国の王女だなんて、メルヘンチックで聞こえは良さそうだけど……性質の悪い敵に変わりは無いか」)
     目の前で繰り広げられる、偽りだらけの寸劇。けれど少年の目に映っているのは、きっと本物の魔法の国の住人たちなのだ。
    「魔法の国か、本当にあったら僕も行ってみたいけれど……ね、ジョルジュ」
     かたわらに寄り添うひとに、葵はそっと微笑みかける。
     箒に乗って現れた五十里・香(魔弾幕の射手・d04239)、騎士を名乗るセトラスフィーノ・イアハート(編纂イデア・d23371)、ドレスを纏うフィアッセ・ピサロロペス(睡蓮の歌姫・d21113)。
     祖国の者だと名乗られた以上、ユキとしても、彼女達を邪険にするのは難しいだろう。
     タカヒロが三人組へ気を取られているうちに、アガーテ・ゼット(光合成・d26080)はそろそろと動き出す。その後ろを、まるで飼い犬か何かのように静かについてくる黒い土佐犬は、峰山・翔(山と猫をこよなく愛す・d26687)が変身した姿だ。アガーテが潜んだ物陰から、さらにタカヒロの近くにある植え込みの裏へと移動し、こっそり人間の姿に戻った。
    (「いっちょ、気合を入れていこうかいのう!」)
     声に出したいのをぐっとこらえて、両手の拳を握る。
     もしかすると、いつか彼も灼滅者として目覚めることがあるかもしれない。だが、ここで彼が闇堕ちしてしまえば、そんな可能性さえ潰えてしまうのだ。

    (「すべてが事実だったなら、とても素敵な物語だったんだけど」)
     タカヒロの姿は、まるで姫君を守る騎士。セトラスフィーノは、そんな彼に「内海・タカヒロ様ですね」と語りかける。
     彼にとって守るべきその姫君こそが、少年の純粋な心を闇へと導く狡猾な罠。迫る悲劇を、見過ごすことなどできない。
    「殿下に人間界のことをお教え頂いたとのこと、心より感謝しております。突然押し掛けた無礼を、どうかお許しください」
     演じる姿は、心に思い描く物語の主人公のそれ。凛として勇ましく、守るべきもののために戦う女騎士。
    「良き友誼を結ばれていたこと、先ほどの姫のお姿より推察いたします。いくらしきたりとは申せど、ただ一人異国へおいでになった姫の身を案じておりましたが、我らの思い過ごしだった様子」
     口を挟もうとするユキの機先を制して、香が堅物めいた口上を述べる。ちら、とユキに視線を向ければ、その一瞬だけ淫魔は般若の形相を浮かべてみせた。
    「あ、あの、皆さんも、魔法の国の……?」
     ユキに口を挟む隙を与えてはならない。両手を胸の前で組み、フィアッセはタカヒロの顔を見つめる。
    「はい。本来ならば、こうして人間界に現れることは禁じられているのですが……国王様が危篤なのです。このままでは、姫はお父上の死に目に会えなくなってしまいます。もう時間がないのです」
     その目には涙が滲む。ユキがタカヒロに好かれたいと思うのなら、ここでフィアッセに冷たい態度は取れないはずだ。
     真剣な表情で、タカヒロはフィアッセを見つめる。ちくりと胸が痛んだ。彼を救うためとはいえ、その恋心を利用していることも、その恋を終わらせようとしているのも確かなのだ。自分と同じ十四歳の少年に対し、いったい何ができるだろう。
    「姫、お父上は最後に、姫に会いたいと申しておりました。共に、魔法の国へ帰りましょう」
    「……し、信じられません、そんなこと……っ」
     呟いて、ユキは一歩後ずさる。
    「タカヒロ様。どうか姫のため、事情をご理解ください……申し訳ありません」
    「いっ、いえ、そんな!」
     これが最後の別れになると知っていたら、タカヒロの反応も違ったものになっただろう。けれど、ユキが素直に別れの演技に応じるはずもない以上、どのみち美しい別れなど望むべくもない。
     香の周囲を輝く青い光輪が回り始める。灼滅者にとってはただのリングスラッシャーも、タカヒロにとっては謎の魔法だ。
    「どうぞ目を閉じて、座っていてください」
     ――そしてそれは、本物の魔法を呼び覚ます合図。
    「失礼する」
     翔の声と共に清浄な風が吹き渡り、タカヒロを眠りへと誘った。

    ●魔法王女、最後の戦い
    「何のつもりです! タカくんに手を出さないで!」
     眠り込んだタカヒロの前で両手を広げ、ユキは叫ぶ。
    「それはこちらの台詞かな。君の思い通りにはさせないよ」
     ハッと目を見開いたユキの背中に、葵がタックルめいた一撃を食らわせる。畳みかけるようにジョルジュが迫った。
    「彼が本当に騙される前に、大人しく還って貰わないと」
    「なっ……まだ仲間が!?」
     叫ぶユキの右足を狙い、アガーテは武器化した影を閃かせる。
    『今のうちに』
    「うむ」
     エルシャの掲げるフリップを一瞥し、翔は眠っているタカヒロを抱き上げた。
    「タカくんを返しなさい!」
     ユキの手に、銀色の弓が現れる。
    「悪いけど、それはできない」
     徒が縛霊手でユキに一撃を浴びせ離脱。自分を取り囲む灼滅者たちの姿を見て、ユキは小さく舌打ちした。
    「――あの猿芝居はこのためね。何事かと思ったわ」
    『淫魔だからって、やっていいことと悪いことがあるんだよ』
     エルシャの足元から炎を帯びた影が走る。飛び退いた先にはセトラスフィーノが待ち構えていた。小柄な少女が操るには不釣り合いなほどの得物が、驚くべき技倆で横薙ぎに振るわれる。香の剣もまた、それがお飾りではない証拠にユキの魂を切り裂いた。
    「意味が分からないわ。要するに、あなた達もタカくんを狙ってたってこと?」
     問うと同時、ユキは空に向けて弓弦を引き絞った。空から降り注ぐのは雪ではなく、無数の矢。
    「なにも、私達のものにしようってわけじゃないわ。人として、タカヒロさんが利用されるのを見ているのは忍びなかっただけ」
     アガーテもまた弓を構え、癒しの矢を放つ。
    「利用? 見解の相違ね。私は彼を愛してしまったの。愛する人が大いなる可能性を持つなら、それを引き出してあげたいと思うのは当然のことでしょう」
     それはダークネスの行動理論。その理屈までも否定するつもりは、アガーテにはない。自分は武蔵坂学園の灼滅者として、淫魔の企みを阻止することに決めた。ユキはダークネスとして、より強い者と手を組むと決めた。それだけのことだ。
    (「でも、闇堕ちしてしまったら、それはもうタカヒロさんではなくなってしまいます」)
     歌声を紡ぎながら、フィアッセは胸に手を当てる。たとえタカヒロの意志による闇堕ちだったとしても、それは愛と呼べるのだろうか。
    「言わせておけば、勝手なことを!」
    「あなたの思いなんて関係ない。これは私とタカくんの問題よ」
     ユキの視線が、翔とタカヒロの消えた方角へと向けられる。隙あらば彼の元へ駆けつけて、彼を闇堕ちさせる気だろう。
    (「たとえそうなったとしても、本当にユキのことが好きなら、力に呑まれたりするんじゃないぞ」)
     仲間達の傷を癒しながら、徒は心の中で祈る。
    (「お前が闇に染まったら、その気持ちはもう、どこにも無くなっちゃうんだから……!」)

    「ふざっけんじゃ、ないわよ……」
     肩で息をしながら、ユキは憎々しげに灼滅者たちを睨め付ける。着ている制服もあちこちが焼け焦げ、あるいは引き裂かれて酷い有様だ。
    「せっかくアニメやマンガいっぱい見て、色々勉強したのに! 全部パァじゃない!」
    「……淫魔も大変だな」
     その営業努力にだけは頭が下がる。哀れむような視線を香に向けられ、ユキは「くそっ」と悪態をついた。
    「そこをどいてよ。タカくんさえ私のものになれば、あんた達なんかに負けるはず――」
     次の瞬間、ごう、と風の刃が吹き付ける。
    「待たせてすまん!」
     翔が大刀を抜き放ちながら駆け戻ってきた。どうやら無事にタカヒロを避難させることができたらしい。アガーテの力で、戦いの音は彼の元までは届かないはずだ。
    「よし、一気に決めるよ!」
     光輪が閃き、影が躍り上がって淫魔を呑み込む。腱を断ち、銃弾の嵐を浴びせる。
    「なんで……なんでタカくんは来てくれないのよっ! なんで!」
     ユキが睨み付けた先にいるのは、葵とジョルジュ。固い信頼で結ばれたふたり。
    『せめてあなたが淫魔だったことだけは、タカヒロさんにばれないようにしてあげるから』
     エルシャが示すその文字を目にしたユキは、皮肉っぽく唇の端をつり上げる。
    「そう……有り難いことね。涙が出ちゃう」
     ――その虚勢めいた言葉を最後に、ユキの姿は崩れるように消えた。

    ●夢は醒めて
     日はすっかり暮れていた。
     先ほどいたのとは少し離れた場所にあるベンチで、眠っていたタカヒロが身じろぎする。
    「それじゃ、あとは手はず通りに」
    「うん」
     頷いた徒の手には、手紙と共に、雪の結晶を模した銀色のブローチがある。エルシャがそれらしいものを見つけてきたのだ。

    「こんな所で寝てるとカゼ引くよ」
     徒に揺り起こされ、タカヒロは身を起こす。
    「え? あれ? ええと……」
     戸惑った顔で周囲を見回した彼は、「あの、この辺で女の子たちを見ませんでしたか」と徒に訊ねる。
    「もしかして、あの連中のことかな? コスプレみたいな……さっき、キミが倒れてるって教えてくれたんだ。ああ、それと、これを渡してくれって」
     ブローチと手紙を手渡すと、タカヒロは急いで封を切る。
     差出人は、あのドレスの少女。
     内容はこうだ。

     国王亡き後、ユキが女王に即位すると決まったこと。
     そのため、もう人間界には来られないこと。
     そして、ユキが残したという言葉――「貴方との思い出は忘れない」。

    「……よかったら、何があったのか聞かせてくれない?」
     手紙を胸に押し抱くタカヒロに、徒は優しく声をかける。
    「いえ……こんな話、きっと信じてもらえないので」
    「どんな話でも、笑ったりしないよ。約束する」
     やがて、タカヒロはぽつりぽつりとユキのことを語り出した。ユキと過ごした日々のこと。毎日が輝いていたこと。彼女に恋していたこと。
     そして、突然の別れのこと。
     寂しいけれど、仕方ない――最後にそう言って、タカヒロは長い息を吐いた。言葉にすることが、少しは彼の救いになればいいのだが。
    「やっぱり、信じられないですよね。自分でもそう思います」
    「信じる。少なくとも、キミの気持ちが真だってことは」
     穏やかな声音で、徒は答える。
    (「だって、僕も――」)

    「どうやら、ショックで闇堕ちすることはなさそうだな」
    「一件落着、かのう」
     茂みの中に身を隠した香と翔が、小声で囁き交わす。
    「最悪の事態にならなくて、本当に良かった」
    「あの演技も、結構楽しかったしね」
    『あ、タカヒロさん、いま笑ったよ』
     袖を引くエルシャにフリップを見せられ、フィアッセも安堵の笑みを零した。

     少し離れた木の幹に背を預けていた葵は、ふと空を見上げる。いつの間にか、星が瞬いていた。
     不意に視界をよぎった流れ星に、心の中で願う。
    (「――どうか、良い夢のままで」)

    作者:田島はるか 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年5月15日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 20/キャラが大事にされていた 0
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