春摘みの紅

    作者:来野

     青銅の柵に絡む赤い一重薔薇。忍び返しが物々しい。
     贅沢だが得体の知れないその館は、年頃の少女の憧れと偏屈な年寄りのそしりを集めていた。
    「おあつらえ向きだこと」
     館の女主人はそう、うそぶく。三十路に差しかかろうという頃合だが、当主と思えば若過ぎる。血の気のない肌にナイトガウンを羽織り、サンルームへと足を運んだ。
     ガラスに囲まれたこの部屋で、日差しを浴びることなどついぞない。今もまた日没後に燭台一つ。こうして茶を求める以外、ろくに姿も見せない。
     使用人の少女が、ひっそりと首を傾げた。
    (「いったい、この人は何なんだろう」)
     もう一人と共に雇われてまだ数日。正直に言えば、後悔している。ちょっと素敵なアルバイトくらいに思っていた。だが、何かがおかしい。
    「お茶をお願い」
    「は、はい」
     差し出すと、ソーサーの上でカップがカチカチと音を立てる。少女の指先が震えているからだ。この女は嫌だ。気味が悪い。
     受け取った女主人が、物憂げに髪を掻きやる。襟の合間に首輪が見えた。なんて悪趣味。
    「あなたのいれるお茶は、いまひとつ物足りないわ」
     直後、響き渡る少女の悲鳴。館の外で夜鴉が飛び立つ。
    「変ね」
     女は砂時計をもてあそぶ。カップに赤い球が落ちてきた。それは紅茶の底に沈んで重たく広がり、薄い油膜を浮かす。鮮血。
     雫を落としているのは少女の指先。手首は茶菓の三段プレートに引っかかり、頭は卓上にうなだれ動かない。とうに事切れている。
    「まるで足りない」
     カップに唇を寄せ、女は呟いた。
     
    「奴隷ヴァンパイアが動き始めた」
     石切・峻(高校生エクスブレイン・dn0153)が切り出した。
    「奴隷?」
    「うん。爵位級ヴァンパイアに隷属しているため、そう呼ばれる。始まりは新潟ロシア村の戦いだ。あれから行方の知れないロシアンタイガーを探すために放たれたらしい。彼は『弱体化装置』を持っているから」
     この装置を手に入れることができれば、今は活動を制限されている爵位級も動くことができるだろう。元々ロシアンタイガーを狙っていたのは業大老の配下だったが、柴崎明を失ったことで指揮系統がいまひとつの状態。この機を逃すはずもない。
    「弱体化装置を奪取したヴァンパイアには、奴隷化からの解放と十分な報酬が約束されている。そりゃあ二つ返事で請け負うだろうけれど、よっぽど鬱憤が溜まっていたんだろう。仕事そっちのけで羽を伸ばしているらしい」
     奴隷ヴァンパイアの羽伸ばし。それは、人に苦痛を与え、苛み、殺すこと。そうして嗜虐心を満たすこと。
    「ほどほど満足すれば、いい加減ロシアンタイガーを探し始めるとは思う。だが、そんな悠長なことは言っていられない」
     峻は、教卓に両手をついた。
    「どうか、灼滅をお願いします」
     頭を下げる。
    「ヴァンパイアの名前はミニュイ。とある洋館を根城にしている。雇ったり招いたりした若い一般人を次々に殺すのが、この女のやり口だ」
     ホワイトボードに向かった峻は、マーカーで見取り図を描き始める。柵で囲まれた二階建ての洋館。大きな庭に面してサンルームが設けられている。
    「困ったことに、館内にもう一人使用人の青年がいて、二階から一階に向けて階段を降りているところだ」
     階段からはサンルームの中が見えない。少女の悲鳴は聞きつけているが、まだ、事の詳細はわかっていないだろう。
    「階段の下にはドアフォンのモニターがあって、外から門扉脇の子機で呼び出すと彼が応答する。タイミングはタイトだけれど、何かを装い上手い口実を述べれば門まで出て来させられるかもしれない。サンルームに入られると、まずい」
     門と玄関の間には庭木やラティスがあるため、サンルームからは見通せない。逆にヴァンパイアの敵視を引き寄せたいのであれば、庭からガラスを破壊して正面突入すれば素通しだ。屋内からサンルームに至るには、廊下との間に扉が一枚ある。
    「敵の使う能力は、ダンピールと鋼糸に相当する。単独で行動しており、気性からいって逃げ出すようなタイプではない」
     峻は改めて教室内を見渡す。
    「激戦は避けようがないだろう。最悪、一般人は諦めてくれ。それよりも君たちが無事に帰ってきてくれることを、俺は願う」
     締めくくる声は硬かった。


    参加者
    蛙石・徹太(キベルネテス・d02052)
    ゲイル・ライトウィンド(赫き従僕駆る漆黒の幽鬼・d05576)
    狗崎・誠(猩血の盾・d12271)
    ウェア・スクリーン(神景・d12666)
    クラウディオ・ヴラディスラウス(ドラキュリア・d16529)
    プリュイ・プリエール(まほろばの葉・d18955)
    船勝宮・亜綾(天然おとぼけミサイル娘・d19718)
    佐々木・紅太(プロミネンス・d21286)

    ■リプレイ

    ●誰が狼で誰が子山羊なのか
     夜鴉が飛び立った。
     冷たい柵を掴んだプリュイ・プリエール(まほろばの葉・d18955)の肩に黒い羽根がぶつかって落ちる。振り返っている暇はない。忍び返しに手を焼きながらも、何とか乗り越え敷地の中へ。ラティスの陰に身を潜める。夜気に花の香りが甘い。
     他の灼滅者たちは、皆、柵沿いの暗がりに身を潜めている。中から二つの影が進み出た。
     片やピンクの髪の佐々木・紅太(プロミネンス・d21286)、片や髪を黒に戻してスーツの上にくたびれたコートを羽織った蛙石・徹太(キベルネテス・d02052)。子機のコールボタンを押す。
     同じタイミングで地を飛び立つのは、船勝宮・亜綾(天然おとぼけミサイル娘・d19718)。二階の一角、開け放たれたフランス窓から薄い明かりが漏れている。降り立つと、中は無人。部屋と廊下の間の扉も開いている。ベッドメイクの最中だったのだろう。足音を立てずに滑り込み、携帯電話に唇を寄せる。
    「侵入成功ですぅ」
     そのメッセージをプリュイへと中継するのは、外の暗がりの中の狗崎・誠(猩血の盾・d12271)だった。携帯電話を操りながらも、視線は門柱へと向けられている。
     応答はあるのか。ないのか。待つ身にとって無言は長い。反対側の暗がりでは、ゲイル・ライトウィンド(赫き従僕駆る漆黒の幽鬼・d05576)が万が一に備えて柵を掴んでいる。その背後にいるのは、クラウディオ・ヴラディスラウス(ドラキュリア・d16529)。どちらも門を見詰めている。
     やがて、
    「お待たせいたしました。どちら様でしょう」
     若い男の声が聞こえた。紅太が子機に寄る。お屋敷浪漫を解する者同士、ここは何としても助けなくてはならない。さっと出して見せるのは生徒手帳、に黒いカバーかけた警察手帳のようなもの。
    「マジすんませーん、このあたりでヤバいカンジのひったくりがあってー」
    「え」
     青年は、モニター越しに見える彼の風体と喋りに言葉を失っている。手帳の細工はバレていなさそうだが、この無言、失礼のない謝絶の言葉を考えていそうだ。徹太が前に出る。
    「高輪警察署の蛙石です」
     関係者の顔で言い切った。
    「あ、はい。お疲れ様です」
     青年が応じる。
     徹太はすかさず畳み掛けた。曰く、屋敷の前で引ったくりが起きたのだが、何か不審なものを見聞きしてはいないか。
    (「そんな所とっとと出てこいヤロー」)
     そうした彼の心も知らず、相手は首を捻っている。
    「いえ、私は家の中におりましたので……」
     まずい。徹太の肩口から紅太が言を重ねる。
    「犯人の写真あるんで、ちょーっと見てもらえるー?」
    「写真ですか」
     問い返して、青年は思い至ったらしい。モニター越しではわからない。
    「少々お待ち下さい」
     答えると、門扉のロックを解除した。その時、サンルームの方からカタンという音が聞こえた。椅子を後ろに押した音か。青年がそちらを向いた。
    (「……!」)
     屋内の亜綾が階段を駆け下りる。上からの風を帯びて、短く告げた。
    「玄関を開けて」
     ふらり、と頷いて歩き出す青年。施錠を外し、扉の外へと出た。覇気のない動きで敷石を渡り、歩いていく。息を飲んで見守るプリュイの前を抜け、門扉を開けた。
    「おまたせいたしました、けいじさ……」
     そこまで言って、ふっと瞼を落とす。急な眠りへと落ちていた。傾ぐ肩を支えるのは、ウェア・スクリーン(神景・d12666)の白い手。静かな動きで安全な場所へと横たえる。
    「確保しました」
     誠が頷いて、亜綾とプリュイにそれを伝えた。相手側からの情報に横顔を引き締める。
    「気付かれているかもしれない」
     駆け出す靴音が夜陰を裂いた。

    ●最低最悪のおもてなし
     ひたり。また、ひたり。
     サンルームの内の足音は、扉へと向かっている。彫刻の施された厚い一枚板。もし、それが開かれたならば――
     眠たげな亜綾の傍ら、霊犬 ・団長代行猫烈光さんが姿を現した。目の前の扉が開かれたならば、ダークネスを相手に一人と一匹だ。
     象牙色のレバーハンドルが静かに押し下げられた、その時。
     ガラスの砕け散る音が、館中に響き渡った。
     最初に窓をぶち破ったのは、プリュイだった。ガラス片の豪雨が、目許をかばった腕を傷付ける。絢爛過ぎる音に鼓膜も痛い。それがやんだ頃になって、とろりとした声が流れた。
    「お転婆なのね」
     正面奥の扉に片手をかけて、ミニュイが立っていた。逆の手で燭台を掲げている。揺れる炎を見詰め、プリュイはカードを解いた。
    (「やらなきゃいけない時、ソレは、今! 行きまス!!」)
    「テヤァ!!」
     女当主が、黒い目を瞠る。駆け込みざまの抗雷撃を避けようとして、諸共に扉へと激突した。飛び散る蝋涙。ナノナノ ・ノマが身軽にそれを避ける。
     直後、立て続けにガラスの割れる音が響き渡った。仲間たちが追い着き、駆け込んでくる。
     空気の毛羽立ちは誠の殺界形成。その合間に滑るような動きを見せたのは、クラウディオだった。
    (「月夜の、お茶会ならワタシも加えてほしいもの、だわ。だけど、せっかくの紅茶を台無しに、してしまってはいけないわね。少し、お仕置きが必要、かしら」)
     差し伸ばした手が掴むのは、テーブルから滑り落ちようとする亡骸の指先。ぬるりと血が滑る。強く握り直した。その彼女の左眼に歪んだ十字が映り込み、一気に近付いて、
    「……!」
     耳を切り裂き、背後へと抜けた。抱きかかえた少女の遺体と共に、テーブルの陰に倒れ込む。皿の割れる音。流れ落ちてくる鮮血。
    「貴女が罪を、償うのなら見逃してあげてもいい、わ」
    「罪?」
     ヴァンパイアは首を傾ける。クラウディオは、人血の中を転がり退る。駆け寄るのは、霊犬・シュビドゥビの黒い影。
    「まぁ、嘘なのだけれど」
    「正直ね」
     抱きかかえる腕の中で、屍の首がガクリと仰け反った。虚ろに見開いた瞳に映るのは、眼鏡と帽子を装備し直した徹太の姿。キシ、という音が微かに鳴った。
    「ゲスが……」
     短い一言と奥歯とを噛み軋り、血溜まりを踏み越えて駆け込む。その手にあるのは殺人注射器。
    「最低な夜だな」
     手首を返す。徹太の指先から、毒針の銀色が放たれた。ミニュイが燭台を振り降ろす。
    「お席の、っ……」
     炎の帯が斜めに流れ、消える。深まる闇。そして、火のない燭台が床に落ちた。
    「用意も……できなくて」
     ダークネスの声には苦痛の色が滲んでいる。ほんの少しの月明かりをよぎる時、手の甲を逆の手で押さえているのが見えた。
     ダンッと開かれた扉の前から、敵の姿が逸れる。亜綾が合流した。飛び込みざまのバスタービームが床に光の線を描き、跳び退るミニュイの脚を一瞬、浮かび上がらせる。北を0時に11時方向か。
     ウェアが窓沿いに回り込んだ。
    (「……自由が嬉しいのでしょうが、こんな目立つことして狙われる……本末転倒ですね……。成果をあげさせずに葬りましょう……」)
     薄い月明かりに浮かび上がるのは、槍を構えたシルエット。
    「赤く染めましょう……」
     突き出した槍穂の先から、パタパタと赤黒い雫が落ちる。そちらへと向かって言葉を重ねた。
    「こんにちは……いいお天気ですね。貴女が黄泉へ旅立つには丁度良いかも知れませんね……」
     乾いた音が、ヒュ、と虚空を裂いた。
    「あなたの国では、こう言うのでしょう」
     肩先触れ合う位置にダークネスが踏み込み、掌を開いている。放った糸が巻き付くのはウェアの手首。
    「旅は道連れ」
     ギ、と糸が引かれた。血飛沫が上がり、槍の柄がガランと落ちる。
     頭上まで真っ赤に染まったガラスが月明かりを阻み、ヴァンパイアの動きを朧にした。薄暗がりに靄のようなものが凝っている。
     床に散っていたミニュイの血痕が、錆のように崩れて風にさらわれた。回復しているのか。
     動きが見えないというのに。

    ●限りなく色もない
     上がる血煙の方向へ、ゲイルが移動する。足許が滑るが厭うてはいられない。血飛沫の向きを頼りに防護符を放った。
     浴びたウェアの血が頬を濡らし、顎先から滴って床へと落ちる。そこへ、冷たい指先が伸びてきた。
     居た――
     ゲイルがぐっと顎を上げて避けると同時、毛筋一つの至近を紅太の妖冷弾が走った。
    「ギャッ!!」
     上がった叫びは、化け物のそれ。弾けた氷のきらめきが、乱れるブルネットの先を照らした。その方角へと誠が駆け込む。
    「随分羽目を外しているじゃないか、首輪付き」
     一閃したクルセイドソードの切っ先に、肉の手応えがあった。振り抜きが重たい。
    「ご主人様気取りは楽しかったか?」
     敵愾心を引く面罵は切れ味鋭い。少女の死。そこに感じる悔いが、宿っているのかもしれなかった。
     カチン、という音が聞こえた。ガラス片が落ちる。ただの枠として残った窓の形骸に、ミニュイが身を凭れ掛けさせていた。抉れた肩を押さえて、ゆっくりと顔を持ち上げる。
    「何も感じなかったわ」
     そして、糸の絡みつく手を振り上げた。纏っているのは冷え切ったオーラ。
    「何も!」
     パンッ、という平手は誠の顔にもう一つ、深く長い傷を刻み込む。焼け残った肌を、瞳すら巻き込んで。
    「――!」
     ヴァンパイアは真っ赤に染まった指先を見下ろし、口許に運んだ。舌先を走らせると、ほんのつかの間、口許に生気じみた色が乗る。黒い虹彩の底に赤い光が灯った。
    「楽しいわよ。今は、ね……っ」
     口許の手が、手首を影に捕られて虚空を掴む。まるで幻でも追っているかのような姿だ。影の持ち主、クラウディオが口を開く。
    「不憫ね、奴隷だなんて。ワタシなら自害する、わね」
     しわがれ声がそう言った。ミニュイが答えた。
    「繊細……だこと。砂時計の、砂のよう」
     その声もかすれているが、こちらは苦痛の色だ。激痛の金気に染まった視界を片手で押さえ、誠が顔を上げた。
    「徒に鞭打つ主などただの厄災だ。お前がこれまで慰みで摘んできた命に伏して詫びろ!」
    「謝るくらいならやらないわ。ああ、でも」
     傲岸に顔を振り上げたヴァンパイアは言った。この国風に行儀良く、
    「ごちそうさま」
     と。プリュイが硬く拳を握り込んだ。
    「ミニュイさン……お名前、似てまスね。だけど」
     ぶん、という唸りと共に突っ込む一撃は、鋼鉄拳。
    「プリュのココロは、貴方とハ、違ウ!」
     ゴッという鈍い音が響き渡った。
    「グッ……ゴホ、ァッ!!」
     ミニュイの口から血泡が溢れた。濁った音を立ててえずき続ける。
     徹太が使用済み注射器を蹴り上げて掴み取り、ぐるりと向き直った。
    「真面目にお仕事に励んでりゃ今日灼かれることもなかったろうに」
     どっと上がったレーヴァテインの炎。それは、人の形の火柱を上げる。
    「ヒ……ァ」
     焦げ始めたヴァンパイアの指先が、不気味な首輪を掴み引っかく。誠の許へとナノナノ・笹さんを向かわせ、紅太が縛霊手を突き出した。
    「なぁなぁミニュイ、あんたのその首輪の持ち主って誰? 教えてよ」
     相手の肩を押さえ込み、もがく手許を覗き込む。天を仰いだミニュイが、眉根を寄せた。
    「絞首卿……よ、首輪の、ぬ、し」
     たかだかと、奴隷は言った。
    「たかだか……奴隷を作る力で爵位を得た、成り上がり者っ! こん、な首輪さえなければ、あなたたちなど」
     爪の先がガリガリと音を立てる。
    「何十回だろうが殺して、やれたっ、ものを!!」
     首輪を逸れた指先が、目の前にいたプリュイの首筋へと伸びた。ガッ、と掴みかかる。
    「……っぅ」
     ゲイルがクルセイドソードを抜き払い、亜綾が烈光さんへと手を伸ばす。
    「むぅ、今ですぅ、烈光さん」
     むんずと掴んだ。そして、地を蹴る。レーヴァテインの灼熱の光の中、烈光さんを投げ付け、亜綾が構えるのはバベルブレイカー。
    「必殺ぅ、烈光さんミサイル、ダブルインパクトぉっ」
    「な……っ!!」
     気合と共に杭を突き出し、トリガーを引き絞る。
    「ハードブレイク、エンド、ですぅ」
    「ッアアア!!」
     ドッという一撃はヴァンパイアの胸を貫き、突き抜けた。
     絶叫を迸らせた口から、眼窩から、耳孔から赤黒い泡が溢れ出て、それは一気にミニュイの体を呑み込む。どろりと広がった時には、もう、人の形を保ってはいない。ついには錆のように風化する。残った首輪を紅太が掴み上げた。
     クラウディオのしゃがれ声が告げる。
    「さようなら、ミニュイ。いずれ遠い世界で、逢いましょう」
     風の源でゲイルがしみじみと呟いた。
    「欲望のままに振る舞うのも結構ですが、引き際って大事ですよね」

    ●喰う
     一歩踏み出すごとに、破砕の音が響く。サンルームの片隅に横たえられた亡骸は、極微かなきらめきの中に影のように沈んでいた。
     間に合わなかった。その事実が、ガラスの欠片よりも鋭く灼滅者たちの心を引っ掻く。
     紅太が黙祷を捧げる。その脇に膝を付いたプリュイが、髪に挿していた花を抜いた。
    「……助けてあげられなくて、ゴメンなさい」
     少女の胸元へ、その一輪を捧げる。擬死化粧を施された死に顔には恐怖も苦痛も残ってはいない。
     ぽわわんと去る笹さんを見送り、誠が顔から手を降ろした。数度瞬きをして瞼の動きを取り戻し、少女の亡骸を見詰める。
    「少女らしい憧れが、死を与えられるような落ち度だと私にはどうしても思えない」
     苦渋を噛んだ。
    「助けてやれなくて、ごめん」
     徹太が窓際に移動する。少女の死を通報するため。このまま死の事実さえも葬り去られてしまわないよう。
     指先を動かしている背を見て、クラウディオがテーブルへと向き直る。月明かりの中に白い磁器のカップ。ソーサーごとそれを手に取った。人血を沈めた茶は仄暗く濁っている。
     口に運び、一言。
    「いまひとつ、物足りないわ」
     夜が更ける。
     

    作者:来野 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年5月17日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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