落下する果実

    作者:中川沙智

    ●drop
    「や、やめて……!」
    「そんな事言われてやめる馬鹿が何処にいる?」
     女性の懇願は全く意味を成さない。相手の金色の瞳には愉悦が浮かぶばかり。ビルの屋上でお飾り程度の手摺りに力づくで押し付けられ、女性のつま先は宙に浮いている。
     恐怖から生理的な涙が自然と浮かぶ。崩れる化粧に女性は構う余裕もないが、それにすら相手は少しも興味を抱かないようだ。
     なんて単純なシーソーゲーム。僅かでも後ろ手に縛っている女性の重心を前に倒せば、一気にビル群の合間を縫ってコンクリートとご対面だ。
     わだかまる、風。
    「お願いだから、やめてッ……!」
     振り絞る声。赤瑪瑙の髪が夜風に揺れる。相手――青年は形のいい唇を笑みの形に模った。
    「そうだな。君がそこまで言うのなら」
     一瞬、束縛する力が緩められる。女性の表情に安堵が浮かんだその刹那、
    「やめてあげない」
     青年は鞠を操るように軽く女性の背を押した。バランスを崩すのに時間はいらない、虚空の先に掴むものなど何もない。
     落ちる。
     落ちる。
     彩るのは夜を裂く悲鳴と雑踏に煌めく夜景、そして重力により容赦なく潰された、元人間の肉塊。血痕の赤。
     金色の瞳は感慨も抱かず細められる。
    「ああ、もう落ちてしまったのか。つまらない」
     
    ●slave
    「新潟ロシア村の戦いの後行方不明になったロシアンタイガーを捜索しようとして、ヴァンパイア達が動き出したらしいわ」
     小鳥居・鞠花(高校生エクスブレイン・dn0083)が真剣な面差しで教室を見渡したのは、ヴァンパイアがダークネスの中でも特に強力な種族であるからに他ならない。
     それでも相対する目があるという節で説明を始めたのは、即ち。
    「強大な力を持つヴァンパイアはその多くが活動を制限されているわ。今回捜索に出てくるのは『爵位級ヴァンパイアの奴隷として力を奪われたヴァンパイア』達になるのよ」
     つまり奴隷化されているが故に本来の能力を抑えられているという事。彼らにとっても本意ではないだろうが、今回は奴隷から解放されるという条件で単独での捜索を請け負ったらしいと鞠花は言う。
    「でも、ここからが問題。……彼らは長い間奴隷扱いされていた鬱憤を晴らそうとしているのか、自らの楽しみを優先しているみたいなの」
     一般人を虐げ、苦しめ、殺す――生粋のダークネスであるが故か、自重はおろか一般人を痛めつける事は自分達の権利とさえ思っている。そしてそれを実行しているというのだ。
    「ある程度満足すれば、彼らも捜索に向かうでしょうけど……そんなの待ってられないわ。今すぐ現場に向かってヴァンパイアの勝手な振舞いを阻止して頂戴」
     他の灼滅者と共に説明を聞いていた鴻崎・翔(中学生殺人鬼・dn0006)も頷く。それを確認して、鞠花は資料のファイルを紐解いていく。
     現場となるのはとある都内の雑居ビル、その屋上。
     介入できるタイミングはちょうど、ヴァンパイアが一般人の女性を屋上から落とそうとしている場面だ。
    「皆には屋上への扉から飛び込んでもらうことになるわ。鍵はかかってないから心配無用、ただ女性を助けようとするなら……どうにかしてヴァンパイアの気を惹くなり、女性を救出するなりの手立てを考える必要があるわ。女性は精神的にもかなり混乱して衰弱してるみたいだから、勝手に逃げてねっていうのは難しい状態よ」
     周囲に人の気配はない。足場も平らで十分なスペースがある。
     しかし。
    「女性に関しては何らかのフォローが必要そうだな。俺も、動けるようにしておくよ」
     翔が申し出ると、鞠花もよろしくねと返事をする。次のページを捲れば、当のヴァンパイアの情報が姿を現した。
    「件のヴァンパイアの名はアガット、赤瑪瑙の髪に金色の瞳を持つ美丈夫よ。年齢はそうね、二十代半ばくらいに見えるかしら」
     ダンピールと契約の指輪相当のサイキックを使いこなすという。ただ奴隷化されているが故にアガットは能力が抑制されていると鞠花は告げる。
    「通常ならダークネスの貴族とも言われるヴァンパイアはかなりの強敵で灼滅は厳しいわ。ただ、今回の件に関して言えば弱体化させられているから灼滅も狙える――ううん、灼滅して頂戴」
     言い切ったのは、弱体化されたとはいえアガットがかなりの力を持つからだ。油断は致命的な隙を生むに違いない。また配下はおらず、プライドも高いため敵前で逃亡するような真似はしないタイプだとも付け加えた。
    「プライドを擽るような……挑発なんかを出来れば尚ベターでしょうね。やり方は皆に一任するわ」
     信頼を籠め、灼滅者達の顔を見渡して鞠花は呟く。
    「今回介入出来たのはアガットが起こし『続けている』事件の一端よ。今までも被害は出ているの。こんなふざけた真似、続けさせるわけにはいかないわ」
     必ず止められると信じている。それこそが、鞠花の瞳に強く浮かんでいる想いだった。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」
     翔も眼鏡越しの瞳に何かを逡巡させた後、前を向き声を張り上げた。
    「行こう。皆を闇から救うんだ!」


    参加者
    因幡・亜理栖(おぼろげな御伽噺・d00497)
    函南・ゆずる(緋色の研究・d02143)
    木通・心葉(パープルトリガー・d05961)
    安土・香艶(メルカバ・d06302)
    ハイナ・アルバストル(持たざる者・d09743)
    月夜・玲(過去は投げ捨てるもの・d12030)
    牧瀬・麻耶(月下無為・d21627)
    十・七(コールドハート・d22973)

    ■リプレイ

    ●Midnight
     夜も更けると風も冷たい。生理的に浮かぶ汗すら彼方へ吹き飛ばしてしまう。
     腹部が手摺りに押し付けられる鈍痛すら既に麻痺して、血が通っている気がしない。思考回路だけが危険だと警鐘を鳴らすばかり。女性は何度目かになるかわからない懇願を叫ぶ。
    「お願いだから、やめてッ……!」
    「そうだな。君がそこまで言うのなら――」
     笑みの気配。それが唐突に崩されたのは金属が破壊される音と爆風のせいだ。
     反射でアガットが屋上への入口となる扉の方向を見遣ると、それはもはや扉の形を成してはいなかった。向こう側から力づくで蹴破られたのであろうそれは勢いの強さを物語るほどに拉げている。
     張本人たるハイナ・アルバストル(持たざる者・d09743)が標的を見据えて目を細める。僅かにでも敵の気が惹けたのなら上等というもの。
     そしてその隙を見逃すほど、今宵集まった灼滅者達は愚かではなかった。
     ハイナが夜天に轟かせたのは迅雷、その迸る先に冷徹な氷柱が疾駆する。十・七(コールドハート・d22973)が放ったものだ。向かい頭に痛烈な連打を食らいアガットは秀麗な眉を潜ませる。
    「よぉ、色男。俺ともっと良いことして遊びましょー!」
    「無抵抗よりも、抵抗する獲物の方が楽しいんじゃない? もっとも」
     高らかに声をかけたのは安土・香艶(メルカバ・d06302)だ。七が言葉を継ぎ、冷ややかな視線を『獲物』に贈る。
    「どちらが獲物になるかは、わからないけどね」
     瞬間、因幡・亜理栖(おぼろげな御伽噺・d00497)と視線を交わした鴻崎・翔(中学生殺人鬼・dn0006)が一足飛びで駆ける。重ねられた攻撃と言葉にアガットの意識が微かに逸れた、その合間に女性の懐に滑り込む。
    「ここから降りる。大丈夫、貴方は怪我はしない」
     端的な翔の言葉に対する女性の返事はなかった。
     瞬きの後には翔が彼女を抱きかかえ、屋上から飛び降りていたからだ。宙に足場になる何かはない。それでも防具に秘められた着地する技を信じて落ちる。重力に伴い、地面へと真っ逆さま。
    「どういう心算かな」
    「女の子に優しくない、男の人って、カッコ悪い、よ?」
     アガットの独白に応えるように、函南・ゆずる(緋色の研究・d02143)が傍らのナノナノ・しまださんを手摺り側に連れ回り込んだ。しまださんの方がずーっと紳士だねと嘯いたらしまださんも眼鏡をくいっと上げて見せる。
     ゆずるの反対側、ちょうど月を背にした格好で木通・心葉(パープルトリガー・d05961)が立ち塞がる。
     紫苑の髪が月影に艶めく、夜風に躍る。
    「やぁ、元奴隷。綺麗な月夜に似合わぬ薄汚れ具合だな。いや、現役の奴隷だったか」
     相手が誰であろうとも、戦闘で己を楽しませてくれるならそれでいい。言葉を紡がなくとも気配で悟ったのだろう、アガットは自らの赤瑪瑙の指輪に唇を寄せ、囁いた。
    「……成程。彼女の代わりに君達が愉しませてくれるんだね?」
     迸る緊迫感。それは灼滅者達だけが齎すものではない。力を抑制されているとはいえ、目の前のヴァンパイアとて同じ、いやそれ以上か。場を震わせる存在感に月夜・玲(過去は投げ捨てるもの・d12030)は怯まず笑む。
    「えへへ、力を奪われた悲しい、悲しい奴隷ヴァンパイアが居るときいて!」
    「今はただ、一匹ずつ狩っていくしかないか」
     牧瀬・麻耶(月下無為・d21627)が低く呟く。麻耶にとって相手は宿敵、そして以前も見えたことがある、似た特徴を持つ者。一体どれだけの数の奴隷ヴァンパイアが放たれているのだろうか。
     軽く目を伏せ、殲術道具を構える。
     教えてやる、他者に命を握られる恐怖を。屈辱を。命乞いや逃走は許さない。
     確実に。
     灼滅する。

    ●Vendetta
    「君達は随分と自信があるようだが、勘違いをしないでもらえるかな」
     身を翻せば佇むのは気高きヴァンパイア。首にこそ囚われの証と思しき首輪があるが、それでも滲むは自負と余裕。
    「狩りをするのは僕、獲物は君達だ」
     手首を捻る、指を鳴らす。
     即座に魔力の奔流が指輪からひた走る。狙われたのは先に氷の洗礼を浴びせた七、肩口を穿てば傷から赤い茨が茂りて神経を麻痺させていく。
     回復役を担ったナノナノ達が頷きを交わした。料理人めいた玲のナノナノ・さしみが馳せ癒しのしゃぼん玉を飛ばす。泡が弾け七の茨が解け往く様に息を吐いたのは誰だっただろう。
    「『貴族』たるものの行いがそのような血生臭いものとは……いささかおいたが過ぎますね」
     眼鏡の奥、切れ長の瞳を冷ややかに細めた青年が、戦場内の音を外部から遮断する。万一にも周囲に気取られる事のないようにという判断だ。
     その行動が一拍置く合間すら生んだようで、七は塞がった傷口を抑える。予測でも、弱体化されたとはいえかなりの力を持つ敵だと言及されている。理解しているからこそ、言の葉を紡いだ。
    「……まぁ油断するつもりも、余裕もないけど」
    「とはいえ圧倒的優位な立場でしかはしゃげない雑魚だと、失望させないで下さいよ?」
     麻耶が飛ばしたのは敵の放ったそれと同じ技。制約を与える弾丸は夜に光を放ちながら放物線を描いた。亜理栖も相次いで魔力を放てば焦げ付くようなちりちりとした音が響く。それは枷だ。アガットの左足の動きが緩慢になっている事が遠目でもわかる。
     ふたつの着弾点に重ねるよう、香艶が槍を旋回させて突貫する。
    「誇り高きバンパイア様と闘えて光栄だぜ!」
     香艶の台詞にアガットは口の端を上げた。挑発の言葉といっても様々だが、彼の言い方は敵のプライドをくすぐる事に徹している。
     追い詰める事なく注意を惹く、そして逃亡をも防ぐ。その点で彼の言葉選びが秀でていたと言っていいだろう。現に、今や香艶らを新しい玩具と見做し、姿を消した女性や翔への興味は完全に失われている。
     先まで拘束されていた女性がクライアントというわけではないけれど、
    「ま、仕事はこなすさ」
     淡々と言い放ったハイナが距離を詰める。ステップは星屑、流し蹴りは流れ星。したたかに足元を打ち付けたアガットの身体の重心が揺らいだのを見取って、玲は剣呑に笑った。
    「こんばんは! 貴方の敵の灼滅者です! 貴方の飼い主、誰ですかー!」
     返事を待たずして明るく問う。
     脳裏を過ったのは説明時に聞いた経緯だ。一般人をビルから落として弄ぶ遊びを繰り返すアガット。皮肉な苦さを噛み潰しながら玲は呟いた。
    「んー、起こし『続けている』事件……か。これじゃただの殺人鬼だね」
     別に誰が死んだとかはさ、どーでもいいしそれこそ今更だしと前置きしてから決然と言い捨てる。
    「でもさ下品、ホントに下品」
     少しだけ。
     零下の如き気配がアガットに満ちる。そこで誰かの脳裏に閃く。
     一般人を痛めつける事は自分達の権利とさえ思っている――そんなダークネスにとって、その言葉はどのように感じるだろうか。
    「灼滅者。集団で戦わざるを得ないほどのなりそこない。枷がある僕にすら敵わない」
     背筋に警戒を駆け上がらせたのは戦いの本能か。心葉がアガットに肉薄し勢いを乗せて魔力を叩き込む。体内に流し込まれた奔流は爆発を誘発しているという手応えがある。
     しかしヴァンパイアの男は酷薄に笑む。
    「相手にもならないと何故わからない?」
     ざわりと肌を撫でたのは、冷たい嵐の前兆。
     雑居ビルの屋上が演舞場へと化すかに見えたは錯覚か。円舞曲のような所作でアガットがしなやかに十字を切る。それは赤き霊光の逆十字となり、そのまま玲へと襲いかかる。
    「――!!」
     下手に避けてはそのほうが危険だ。瞬時に判断し、少しでも耐えるべく玲は構える。怯みも怯えもしない。
     だがその覚悟ごと切り裂き揺るがすような衝撃に、たまらず数歩後ずさる。鮮血が散った。
     眩暈と耳鳴りが、止まらない。
    「しまだ、さん! お願い……!」
     ゆずるの声に応えてしまださんが懸命にハートを作り出すが、傷の全てを埋めるまでには至らない。
    「もぎ取った果実は食べないとね。腐って朽ちては何の旨味もなくなってしまう。そうだろう?」
     腕に流れる返り血を舐めるヴァンパイアの姿を目の当たりにし、亜理栖の肩が知らず、震える。
    「僕は絶対に堕ちたりはしない。あのような外道の姿に堕ちるものか」
     誓いにも似た宣言だった。
     胸にわだかまるのは嫌悪か憎悪か、別の何かか。そのすべてを浚い、風が吹く。

    ●Night air
     長い夜だった。
     翔が屋上に戻ってきた時も戦況は一進一退と言えた。だが微かに、追い詰めている、流れが灼滅者達に向いてきているという事がわかる。
    「あの、女の人、は?」
    「近くに人があまり通らない小さな公園があったんだ。気絶してしまっているから、助けに来てくれた灼滅者の皆に任せてある」
     彼女達が戦場に戻るよう促してくれたと翔が打ち明ければ、ゆずるもがんばろーねと決意を新たにする。
     亜理栖もその様子に頷き、白薔薇が鍔に咲き誇る無敵斬艦刀を掲げる。目の前の敵を見据え、一歩も譲ったりしない。
     自分の楽しみだけのために、人を玩具にして遊び、血を啜り、そして簡単に捨てる。
     そんな子供のような存在になるものか。
    「僕は許さない。子供のような貴方を許さない」
     宣告の如き響きを唇に乗せる。刀身に緋色の霊光を乗せ、亜理栖が馳せる。
     アガットの肩口に重い一撃を振り下ろす。皮肉にも血のように赤いオーラが、傷を塞ぐ手助けをしてくれる。
     彼の呟きが耳に入ったのか、七はぽつりと言葉を漏らした。目の前の相手を許したくないのは、彼女も同じだ。
    「こういう、力もプライドも高いくせにやることは弱い者虐め、ってやつはイラつくのよね」
     胸中を蝕む人間不信が、他人との距離を狭めない。けれどダークネスが蔓延るこの世界で、己の身を守るためにはチームワークが不可欠だ。
     だからこそ。
    「……その程度のやつにも一人じゃ敵わないと思うと、余計に」
     弱い自分の影とくだらない事に力を振るう敵を同時に屠るよう。七は網状の霊力を放射する。命中精度を高めた攻撃は格上の相手と戦う現状で大きな支えとなっている。
     現に眼前のヴァンパイアは明らかに戦闘開始時と比べ動きが鈍っている。零れた舌打ちの音を麻耶は聞き逃さない。普段は気怠い雰囲気を纏っている彼女だが、宿敵相手と思えば血が騒いだ。
    「これで終わりってわけじゃないッスよね?」
     鼓動が跳ねるままに夜を翔ける。背に回り込んだ麻耶の鋭い一閃は、アガットに大きな創を齎した。即座に続いたのは心葉、華奢な外見に似合わぬ超弩級の一撃を繰り出した。
     赤瑪瑙の髪がひと房舞い落ちる。まさに間一髪でアガットは避けたが、目の前に接近したのはゆずるだ。感傷が、心を過る。
    「朱雀門以外のヴァンパイアと出遭うの、初めて……じゃなかった、ね」
     胸裏に描くのは幼き日に堕ちた兄の姿。複雑な感情がない交ぜになる。当時は誰かを助ける力なんてなかった。でも、今は違う。
    「この複雑な気持ちも一緒に、灼滅する、よ」 
     意志を力に変える術も知っている。ゆずるが即座に身体を屈め死角を突けば、男の腱から夥しい血が迸った。
    「っ!」
     負けじとアガットが石化へと導く呪いを生み出す。だが標的となった心葉の腕を引き、その勢いで香艶が前に出た。
     幾度も集中力を乱し制約を付与したせいか衝撃は最初より随分軽い。耐え抜いた後、むしろ前のめりに踏み込む。
     その手に蓄えたのは膨大な魔力、香艶はアガットが伸ばした腕を弾くように外側へいなし、強化の力ごと鳩尾に叩きつける。
     ナノナノ達や翔が回復に努め、追い風が灼滅者達へと吹いていく。
    「……こんな事があってなるものか」
     麗しきヴァンパイアは顔を顰めた。
     気を惹くための挑発は戦闘開始直後と、逃走の気配を見せた時のみと灼滅者達は徹底していた。そして戦局がどちらに傾くともしれぬ展開となった事で、期せずしてアガットを戦場に引き留める事に成功している。
     その上逃亡を予期し警戒を怠らなかった灼滅者達は抜け道を作らない。アガットが誰かを倒して脱兎するには、徐々に削られていた体力がそれを許さなかった。
     歯の奥を噛む音が、奇妙な程大きく響く。
    「僕がこんなところで終わるわけがない……!」
    「ま、あれだよ。そんなんだから、奴隷ヴァンパイアなんだろうね」
     玲がローラーダッシュの火花を散らせば、目の奥にまで熱が及ぶよう。
     あまりに戯れが過ぎたのだ。理性で本性を制御できない、だからそれが出来る存在に敵わない。
    「まあ、しゃーないよねそれじゃ」
     アガットはいつしか誰よりも多くの血を滴らせていた。回復の手を用いないのは、それが最早追いつかないと悟っていたからこそ。
    「君が何時か誰かの絶望であったように、今の僕らは君にとってどうしようもないものなのさ」
     夜に溶け込む色彩を持つハイナが、冷ややかな物腰でアガットに向き直る。これがダークネスの貴族の末路かと僅かに、瞼を伏せた。
    「君が死ぬ理由はそれで十分で、僕らがお前を活かす理由はなにもない」
     天を駆ける軌跡はまさに流れ星。その先には幸福も希望もない、与えはしないと物語るほど蹴り飛ばせばヴァンパイアの芯の根が壊れる音がした。
     実る事もなく崩れ、地に還る事も許されない。
     アガットは褪せた赤い砂となり、散った。

    ●Ash
     夜の街はまだ眠りそうにない。
     ネオンライトも作り物めいた――否、作り物には違いないのだが、灯りを燈す。人間の作り出した雑踏が、日常回帰への大切なよすがとなる気がした。
     戦闘を終えた灼滅者達は救出した女性が休んでいる公園へ向かう。麻耶の手にはその前に回収した首輪が揺れている。アガットが身に着けていたもので唯一、現場に残されていたのだ。
     公園には流石に時間帯もあってほぼ人がいない。事前に女性を休めるベンチを確保してくれていた黒髪の少女がを見つけて翔が礼を述べた。ショックのせいかまだ眠っていますと告げた後、小さく囁く。
    「楽しむために人の命を簡単に粗末に扱うのは……頂けない事だと思うのですが」
     そうしている『人間』がいる事も、弱肉強食の摂理がある事も知っている。そう思うと複雑な想いが交錯した。
     狼狽していた女性を落ち着けるためラブフェロモンを用いた少女もいたため、吸血捕食で無理に記憶を曖昧にする事はしていないようだ。有事の際は試みようとした仲間への感謝を抱きつつ、亜理栖は複雑な心境を滲ませる。
     彼は血を啜りたくないし、アガットのようになりたくないという信念も持っている。
    「……でも、僕の中にもそういった悪の心はあるのだろうか? いつか僕もああいうのになってしまうのだろうか」
     風に紛れて呟きは誰の耳にも届かない。聞かぬふりを、したのかもしれない。弱者をいたぶる姑息な行動に、永きに奴隷として鬱憤が溜まっていたとしても宿敵ながらあきれた行動ねと誰かが言えば、心葉がまったくだなと肩を竦めた。 
    「ショウ、あんな高いとこから飛び降りるの、怖くなかった?」
     女性が起きたら安全な場所まで送ろうと提案するゆずるの問いに、翔は皆が居てくれたから大丈夫だと返す。
    「でもね、女の人を浚っていくって、王子さまみたい。なんだか、ショウの情熱的な姿、見れたよーな感じで、かっこよかったよーうふふ」
     ゆずるが微笑みを綻ばせれば、流石に照れたのか翔が言葉を詰まらせる。やや暫く言葉を探した後、
    「……函南は俺を過大評価しすぎていると、思うよ……」
     どうにか声を絞り出した。
     ふたりのやり取りに香艶が軽く唇の端を上げ、それから先程まで戦っていた屋上に視線を向ける。もはや誰かを脅かす存在はあそこにはいないのだと再確認するように眺めていると、ハイナと視線がかち合った。同じ方向を見上げていた気もしたが、気のせいだろうか。 
    「月はともかく、この街中じゃ星は全然見えないな……」
     いつしか同じく、玲や七も同様に空を仰いでいる。
     光はまだ、遠い。

     黒瑪瑙の夜空には光がまばらにしか見えない。
     黎明を迎えるまでは、もう少し時間が必要だった。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年5月25日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 12/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ