夕暮れに舞う悪魔

    作者:温水ミチ

     水平線間際の空は、鮮やかなオレンジ。
     そこから紫がかった淡いピンクへ、そして紫、最後に藍色。
     彼女が静かな海岸で見守るうちに、太陽は少しずつ海の向こうへと消えていった。
    「喪うことが怖いのね。それなら、殺すの」
     不意に柔らかな声で言って、彼女はひらり空へと舞い上がる。
     箒を操るその右手にはバングル。
     潮風を受けて、彼女の長い髪は軽やかに揺れた。
     銀とも金ともつかぬ巻き髪は、先へと近づくにつれて夜のような漆黒に。
     キラキラと瞬く水面の光を受けて、髪に飾った蜂蜜と蒼の釣鐘草が輝いている。
    「殺してしまえばもう、誰のものにもならない」
     優しく、優しく彼女は言う。喪う前に殺してしまえばいいと。
    「お前はただ眠っていればいいの」
     人の心を惑わし崩壊へと導く、それは悪魔の声音。
    「無力なお前が眠っている間に、すべて終わるわ」
     そして夕焼けに染まる海を眺め、彼女は微笑んだ。
     喪いたくない誰かを殺し終えたなら――さあ、完全な闇へと堕ちていこうと。

    「さあて、お耳を拝借。……闇堕ちしちまった各務君がねえ、見つかったよ」
     眉間に皺を寄せた尾木・九郎(若年寄エクスブレイン・dn0177)の言葉に、教室へと集まった灼滅者達がざわめいた。
    「そうか、見つかったのか。……で、九郎。彼女はどこにいる?」
     左向・左吉(バックパッカーエクソシスト・dn0198)が静かに先を促せば、九郎はそれに頷いて黒革の手帳を開いた。栞が挟まっていたページに殴り書かれていたのは『各務・樹』の名前と、闇堕ちをして姿を消した彼女の行方にまつわるメモ。
    「海さ。各務君は、海でお前さん達を待ってる」
     先日、武神大戦天覧儀によって強制的に闇堕ちした樹は今、とある海岸で『対戦者』を待っているのだという。夕暮れ、海岸を訪れれば樹は灼滅者達を対戦相手と見なすだろうと九郎は言った。その際に、彼女は『紫桃・棗(しとう・なつめ)』という樹の姉の名を名乗るようだとも。
    「各務君も、辛い過去を抱えてたようだがねえ。棗と名乗るソロモンの悪魔は、そこにつけ込んで完全な闇堕ちを狙ってる。……だからこそ、お前さん達に闇の中から救い上げて欲しい訳さ」
     棗は戦闘の最中も、まるで優しく諭すように樹へと言葉を重ねる。喪うことが怖いのなら『殺してしまえばもう誰のものにもならない』と。
     同時に棗は『樹に縁のあった人間』を真っ先に狙い、結果その手で仲間に止めを刺すような事態になれば――ソロモンの悪魔の狙い通り。樹は完全に闇堕ちしてしまうだろう。
    「……俺だって、死んじまえば失わなくて済むって思ったけど、な」
     でも、そういうもんじゃねぇんだと左吉が小さく呟いた。九郎はその背をトンと叩き、灼滅者達へ言う。
    「だったら、彼女にそう伝えてやりゃあいいのさ。けど、その為には各務君が耳を傾けてくれないとねえ」
     どうやら樹は自身のことを『無力で、いなくても何も変わらない人間』だと思い込み心を閉ざしているようだ。樹を救う為にはまず、それが思い込みであると彼女に伝える必要があるだろう。
    「すんなり聞いてくれりゃいいんだが……何より棗と戦いながらのやりとりになる」
     杖と刀とが融け合ったかのような武器を佩き、箒を操って棗は空を舞う。繰り出される攻撃は勿論、ダークネスとしてのものだ。戦いも当然厳しいものになる。灼滅者達の言葉が届いたなら力が弱まることもあるだろうが――万が一、灼滅者達の言葉が届かないような事態になれば。
    「今の各務君は、立派なダークネスだ。狡猾なソロモンの悪魔を前に迷いや躊躇いを見せれば、それこそお前さん達の身が危ない」
     何より今回、棗は自ら退くことを選ばない。だからこそ、救出が無理だと判断したのなら灼滅も止む無し。そう言い切った九郎だが、その表情はどこまでも苦々しい。九郎とて仲間達が『全員』無事に帰ってきてほしいと願っているのだから。
    「これが各務君を救う最初で最後、そして最大の機会になる可能性が高い。この機を逃せば彼女は完全な闇へと堕ちまうだろうからね。だからさ、危険を承知で頼むよ。お前さん達……どうか彼女を、連れて帰ってきとくれ」
     九郎はそう呟いて、かつての仲間の元へと向かう灼滅者達の背を静かに見送るのだった。


    参加者
    神楽・三成(新世紀焼却者・d01741)
    月雲・悠一(紅焔・d02499)
    月雲・彩歌(幸運のめがみさま・d02980)
    無常・拓馬(片翼・d10401)
    戯・久遠(悠遠の求道者・d12214)
    穂都伽・菫(煌蒼の灰被り・d12259)
    安田・花子(クィーンフラワーチャイルド廿・d13194)
    玄獅子・スバル(高校生魔法使い・d22932)

    ■リプレイ

    ●夕暮れの海、姉の名を騙るモノ
     美しい夕暮れの空で、彼女は待っていた。キラキラと輝く海の上、箒に腰を下ろし灼滅者達を見つめる彼女の名は、紫桃・棗。――だが、それはダークネスの騙った名に過ぎない。
     海岸に立ち、彼女を見つめ返す灼滅者達が救いたいと願うのは棗ではなく、各務・樹という大切な仲間だ。
    「全く……謙虚すぎですよ各務さんは。こんなにも彼女を必要とする方がいるというのに。ねぇ……皆さん?」
     神楽・三成(新世紀焼却者・d01741)が樹を救う為に集まった仲間達に声をかければ、あちこちから同意の声が湧き起る。
    「アイツを待ってる奴は、大勢いるんだ。待ってる連中の為にも、何より樹自身の為にも。必ず、連れて帰るぞ」
     月雲・悠一(紅焔・d02499)が鼓舞するように仲間達へ告げれば。
    「絶対に、戻ってきてもらう。今は、それ以外は考えません」
     その視線を受けて、月雲・彩歌(幸運のめがみさま・d02980)がしっかりと頷く。
    「無常と月雲達が要だ。特に、無常を絶対に落とさせる訳にはいかん」
     紺青の闘気を巡らせながら戯・久遠(悠遠の求道者・d12214)が言った。
     樹の姉『棗』の名を騙るダークネスは、樹と縁の深い者を狙ってくるという。ならば、恋人である無常・拓馬(片翼・d10401)と親友である彩歌に危険が集中し――結果2人が倒れるようなことがあれば、樹を救う可能性は低くなってしまうだろうと。
    「各務の攻撃は苛烈だからな。備えは十二分にしておくか。……左向も頼む」
    「あぁ、任せろ。……必ず、アンタらの力になってみせる」
     万が一にもそんな事態とならないようにと言った久遠の言葉に左吉が応えた。
     ――その、上空から。
    『ほら、お前の愛する人達がすぐそこにいるわ』
     箒を操り、灼滅者達の近くまで滑空してきた樹。彼女は自分を見上げる灼滅者達に微笑みながら、優しく、甘い毒薬のような言葉を垂れ流す。
    「探しましたわよ、樹さん……いえ、今は棗と言ったかしら」
     その表情が見てとれるほど近くまで降下してきた樹の方へ、安田・花子(クィーンフラワーチャイルド廿・d13194)は進み出て。
    「樹さんは貴女達側にいてはならない人。返していただきますわよ。そして、貴女の在るべき場所……底知れぬ闇へ、お還りなさい! 紫桃・棗!」
     高らかに宣言した花子。しかし樹は貼り付けたような微笑みを浮かべたまま、灼滅者達を見下ろしていた。灼滅者達はその表情に、彼女は今『樹でない』のだと改めて思い知る。
    「各務先輩、お願いだから……このまま消えてしまわないで……!!」
     この声は樹に届いているのだろうか。どうか届いてと、穂都伽・菫(煌蒼の灰被り・d12259)は身を切るような声で樹を呼んだ。
    「いてもいなくても何も変わらない人間なんて、少なくとも私の知り合いにはいませんよ……!」
     声を張り上げても、見下ろす樹の表情が変わることはない。だが、それでも諦めることなく菫は言葉をかけ続ける。
    「アンタとは面識もねぇがな、それでも来た。同じ学園の仲間。その命が掛かってる。俺には十分な理由だ」
     玄獅子・スバル(高校生魔法使い・d22932)も樹の方へと足を踏み出した。確かに、スバルは樹との面識はない。お節介かもしれないとスバル自身も思う。だが、それでも構わないのだ。それで樹を救うことができるのならば。
    『さっきから樹、樹、そればかり。けれどもう、あの子に声は届かないわ』
    「いいや偽義姉さん、届けてみせる」
     と、それまで樹の姿を見上げていた拓馬が、口を開いた。恋人を救う為に、策は練った。覚悟も決めた。だから、言葉も届けてみせる。
    「樹は俺のだ。返してもらうよ、賃貸料はあんたの命で払ってもらう」
    『そう……やってみたらいいわ』
     柔らかい声音とは裏腹に纏う空気が冷たさを増し、ロッドと刀とが融け合ったような得物を振りかざした樹が矢のように拓馬へと突進した。が、青いアーマーに隠された拓馬の表情は揺るがない。
    「させん!」
     樹の強烈な一打は、拓馬の前に飛び込んだ久遠がその身で受け止める。体内で爆ぜた魔力に小さく呻いた久遠を眺めながら、樹は『残念』と微笑み空を舞う。
     だが次の瞬間、樹の身体を穿った悠一のオーラ。さらに彩歌と拓馬のオーラがそれに続いたけば、3人のオーラを立て続けに受けた樹がたまらず吹き飛ぶ。
    「俺に出来る事は、各務が帰るべき場所へ帰る手助けをする事だけだ」
    「さあ、各務先輩を返してもらいましょうか!」
     樹が体勢を立て直す隙に久遠は自身を守るようにシールドを展開し、菫もまた小光輪を放つと久遠の傷を癒す。
    「必ず樹さんとして、連れ帰りますわよ。このクィーン☆フラワーチャイルド2世の名に賭けて!」
     魂を闇へと傾けた花子の、胸元に浮かび上がるスート。
    「さあ、救出の時間だ!! 確り見とけや各務さんよぉ!!」
     突きつけられた三成の両手から、噴き出したオーラが真っ直ぐに樹へと飛んだ。

    ●あなたを呼ぶ声達が、届きますか
    「さぁて、落とせるかどうか……」
     頭上をひらりひらりと舞う樹を、自分達と同じ地面へと引きずり落とせれば。スバルは狙いを定めると、両の手に集束したオーラを放った。オーラは樹へと向かい、その身体を貫いた――が。
    「効果なし、かい。……まあ、落とせないのも想定済みだ」
     空中で再びバランスを崩したものの、すぐに体勢を整え灼滅者達目がけて降下してくる樹を見てスバルは軽く肩をすくめた。
    『さぁ、殺すの。無力なお前がせめて、もうこれ以上何も喪わないように』
     自身の胸に片手を当て、もう片方で獲物をしっかりと握りしめた樹。箒で灼滅者達の間を縫うように飛びながら、白刃が彩歌の身体を切り裂いていく。
    「殺してしまえば誰のものにもならない……? 笑わせるなよ、ダークネス」
     血を流す彩歌を庇うように走り出しながら、悠一が操る長剣が樹の身体に食らいつく。
    「確かに人間はいつかは死ぬさ。だからこそ、大切なものを掴んで護り、足跡を残そうと足掻くんだ」
     悠一が言えば、傷を負った彩歌も暗き想念の弾丸で棗を貫いて。
    「無力で、いてもいなくても変わらないなんて……昔言ったみたいに、ふざけるなって怒鳴っちゃいそう」
     表情を険しくして、怒りますよと彩歌は言葉を続ける。
    「樹さんが自己評価低めなのって重々承知ですけどね。でも、これだけ多くの人があなたの為にここにいるのに、どうしてそんな風に思うのかって事です」
     彩歌が振り返った先には、樹を救おうとやってきた仲間達がいる。彼らは口々に樹の名前を呼んでいるというのに、それでも尚、樹は無力だというのだろうか。
    「全く……これだけの人数に心配をかけて……」
     少し離れた場所で妹を、そして樹を見守っていた螢が溜息を吐いた。
    「その姿を見て私も悲しいけど、何より彩歌をこれ以上悲しませないで頂戴」
     そして、樹へと届くように歩を進めながら呼びかける。
    『それなら、殺してあげる。2度と悲しまなくてすむように』
     歪んだ笑顔で彩歌へと滑るように近づいていく樹。だが、それを遮るようにして拓馬の足元から空へと伸びる影の名は『黒闇転瞬』――かつて樹から贈られた物。それが今、樹の身体を切り裂いていく。
    「我流・堅甲鉄石。風雪、月雲を」
     久遠は傷ついた彩歌へとシールドを広げ、霊犬の風雪も重ねるように浄霊眼を向ける。
    「各務先輩は無力じゃありません! 独りでは、喪いたくないものを守りきれないのは当然なんです!! だからと言って、終わらせてしまうのは間違ってる……っ!」
     菫も、大切なものを喪う恐怖はよく知っていた。だからこそ、樹の手で殺させはしないと、菫は拓馬を守るように小光輪の盾を築く。
    「女王……それは花の如く!」
     少しでも仲間達の声が樹へと届きやすくなるように、花子は妖気の氷柱で樹を撃ち抜き、ビハインドのセバスちゃん霊障波を放つ。さらに三成の影が樹へと伸びたが。
    『いいえ……無力だわ。今ここでいなくなっても、結局何も変わりはしないもの』
     三成の影をするりと躱して、樹は諭すように呟く。彼女の言葉はまるで呪いだ。繰り返されるうちにじわりじわりと染み込んで、緩やかに心を蝕むような。けれど、その言葉に侵されても、樹はまだそこにいる。
    「見渡してみろ。アンタを迎えに来た奴らばかりだ。それでも自分の事、いなくても何も変わらないって言えんのか」
     だから、どうか気付いてくれと。スバルが放った魔法の矢に貫かれた樹はかすかに眉根を寄せ、竜巻を呼び起こす。激しく逆巻きながら、前衛達を呑み込もうと迫る竜巻。しかし拓馬が呑み込まれるよりも早く三成がその身体を突き飛ばし、代わりに竜巻へと呑まれた。彩歌もまた、菫のビハインドであるリーアに庇われ難を逃れる。
    「……聞こえてるか、樹。お前を必要としてる奴が、心配してる奴が。俺も含めて、これだけいるんだぞ。だから、いい加減……そろそろ目を覚ませよ、各務・樹ッ!」
     一方竜巻に巻き込まれ、砂の上に投げ出されながらも悠一は樹の目を覚まさせようと声を張る。
    「見えている筈だ、各務。目の前にいる、戻ってきて欲しいと願う者達が。戻ってくるか、そのまま身体を明け渡すか。お前が選ぶのはどちらだ」
     久遠も仲間達を守るようにシールドを広げ、樹をひたと見つめて問う、と。
    『わたしが、選ぶ……』
     そう呟いた、迷うような声音は――。今だ、と誰もが思った。
     すかさず、セレスティは拡声器を手に空を見上げ。
    「各務さん! 私はもっとお話したい事がありますので戻ってきて下さい!」
     一息で言い切って、はいと隣に立っていたヒオに拡声器を手渡した。それを反射的に受けとったヒオは、唇を噛み、話し出す。
    「この前、ヒオが逃げようって言わなかったら……」
     樹が闇堕ちした瞬間に、居合わせていたヒオ。けれど後悔している暇はない。
    「いつきちゃんが居なくても良いなんて、いわねーでください! 絶対、助けるですよ!」
     後ろ向きな言葉は飲み込み、そしてヒオは身振り手振りを交えて必死に話しかけて。
    「私が好きになったのは……必要とされているのは、貴方のお姉さんではなく各務先輩……貴方なのですよ!?」
     菫も仲間達を夜霧で覆い隠しながら、樹へと訴えかける。
    「各務先輩……聞こえる? 雛菊なんよ」
     少しでも届くよう願いながら、雛菊は『割り込みヴォイス』を使って樹を呼んだ。
    「それに……貴女と一緒に闇堕ちから助けた古城くんだって来てる」
     雛菊の声が届くと同時に、箒に乗った悠蛇は樹の近くへと浮上して。
    「各務先輩……もし貴女が関わって無かったら今頃、ボクはどうなって居たか。今のボクが居るのは、各務先輩のお陰でもあるんだよ」
     自分を闇から救ってくれた恩人を、今度は自分が救うべく悠蛇も言葉を尽くす。
    「先輩に力が無いなんて大間違いだよ! この場に集まった人たちの絆は先輩が紡いできた力であり、存在の証明なんだよ?」
     結衣奈もかつて闇に堕ち、そして仲間達が教えてくれた。絆の力は何も勝ることを。
    「樹って、案外馬鹿だよね。自分が必要ないなんて、いつ、誰が決めたの? じゃあわたしは、樹に必要ない? 要らないの?」
     続いて殊も、真っ直ぐな思いを言葉に乗せ。
    「そもそもアンタの姉さんとやらは、アンタがいなくなることを望む人なのかい? 本当のその人なら、生きて欲しいと願うんじゃないか」
     自分を見失うな、と治胡が言う。
    「過去に溺れるな! 独りで藻掻くんじゃない! 各務を救う手は後ろには無いんだ! 信じて前を見ろ! そこには、お前を引き上げようと手を差し出している奴が、無常がいる!」
     八雲の声が力強く海岸に響き渡れば、振り切るように樹は再び滑空し。
    「本物のお義姉さんも日本刀を獲物にしてたと、樹が言ってたっけ」
     振り下ろされた刃は、拓馬がやはりその刀で受け止めた。交わった刃を渾身の力で押し返す、その刹那に拓馬は樹の目を真っ直ぐに見つめ、やがてキンと刀を鳴らして2人は再び距離をとったが。
    「聞こえてるだろ、樹。刀の扱い、俺にも教えてくれよ。無論、帰ってきて直接な!」
     樹の目は、そう言った拓馬をじっと見つめ返していた。

    ●そして、姫君は目覚める
    「……樹さん、聞こえてますかしら? 貴女を助けようという大勢の想いが今、貴女に向かってますわ」
     漆黒の弾丸を撃ち出しながら、花子も樹へと呼びかける。三成とスバルもオーラを放ちながら、その向かう先、樹の姿を見つめて。
    「お前が不要だなんて事が、俺達に、何よりあの馬鹿拓馬にあるわけ無いだろう!? 無力だと思うなら、2人掛りででも力を得れば良い!」
     司も箒に乗って空へと舞い上がると、拓馬を見つめたまま動かない樹へと思いの丈をぶつける。
    「かがみっきんが無力でいなくても何も変わらへんなんてウソや。おったらくーまんは幸せやし、おらへんかったらきっと幸せやない」
     樹と拓馬の睦まじい姿を思い出しながら澪が言えば、周囲にいた人間も口々に言う。
    「拓馬さ。樹さんがいなくなってからも相変わらずバカばっかりやってんだけどさ。なんかパッとしねえんだ。やっぱり樹さんが居なけりゃダメなんだよ、拓馬は! いや、拓馬だけじゃねえ、みんなそうなんだ。樹さんがいないと始まんねえんだよ!!」
    「お前さんを助ける為に、拓馬を筆頭にこんだけ人が集まったのさ! だからもう一度、武蔵坂学園に帰るのさ! お前さんがいないと、ボケようとする拓馬を止めるのも一苦労なのさ!」
    「ヒャッハー! 元々自由に手足が付いてるような拓馬だぜぇ? 樹がいなくて誰がヤツを矯正するっつーんだよぉ!」
     亮太郎、たつみ、ゴンザレスが言う。そして、紫乃も大きく頷いた。
    「樹お姉ちゃんがいなくなっても……あにぃはいつも通りだったの。でもそれは樹お姉ちゃんと会う前の、笑っててもどこか虚ろで、失ったままの空っぽの心に平穏と言う偽りを詰め込んで生きてた頃みたいで!」
     兄の背中から樹へと視線をうつすと、紫乃は息を吸い込んで。
    「お願い、あにぃに笑顔を取り戻せるのは樹お姉ちゃんしかいないの!!」
    「……やれやれ、どいつもこいつも」
     妹の叫びに拓馬は肩をすくめると、樹を見上げ口を開く。
    「人は皆、誰かの中に自分を探してる。故に俺は樹を求めたし、樹も俺を求めてくれた。比翼連理……俺達は2人で1つ。返してもらう、俺の片翼」
     そう告げた拓馬を見下ろす樹の目が――気づけば泣きそうに揺れていた。
    「お兄様は私を世界に連れ出してくれた。……樹さんといて、私は世界の楽しさをより強く実感できた!」
     間違いない。この声は樹に届いているという確信を胸に、彩歌は叫ぶ。
    「私に色褪せた世界を見せ続けるつもりですか! まだまだ樹さんと遊び足りないし話し足りないんですよ、私は!」
     彩歌の放ったオーラを真っ向から食らった樹の目が、また揺らぎ――。
    『わたし……かえりたい……』
     呟いた樹の声を、傍にいた灼滅者達は確かに聞いた。そして、ようやく聞くことのできた樹の思いに、誰もが帰ってこい、帰っておいでと叫んで。
     拓馬が、そして悠一が差し伸べるようにした両手から、放たれたオーラが樹へと届く。抗うことなくそれを受け止めた樹の身体が空中でぐらりと大きく傾ぎ。
    「……樹!」
     拓馬が地面を蹴り走り出す。そして樹の身体を受け止めれば。
    「拓馬くん……みんな……」
     ありがとうと、囁くような樹の声。
     瞬間、割れるような歓声が海岸を埋め尽くした。

    「……後は、無常さん達に任せましょうか。親しい者同士の方が良いでしょうし、私が行っても蛇足ですしね」
     歓声の中、晴れ晴れとした表情を浮かべた三成が仲間達に言えば、お疲れさんとスバルも頷いて。
    「俺の役目は終わった」
     やはり頷いた久遠が音も無く、その場を立ち去っていく。
    「……お帰りなさいまし」
     少し離れたところから花子は樹の姿を見つめて。
     一方、涙を浮かべた彩歌は樹へと駆け寄ろうと一歩踏み出したが。我に返って立ち止まり、一番手は拓馬へ譲ろうと思い直して悠一の隣に立つ。
    「……ま、何はともあれ。おかえり、樹」
     悠一もほっとしたような表情で呟くと、彩歌の肩に触れた。
     ――そんな仲間達の見つめる先で。
    「……拓馬くん、ただいま」
     そっと自分の名を呼んだ樹を抱きしめる腕に、拓馬は力をこめて微笑むと。
    「お帰り、俺のお姫様……」
     ――お姫様に、キスをした。

    作者:温水ミチ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年5月24日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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