分かたれた絆

    作者:日向環


     自分はこんなところで何をしているのだろう。
     少女は、夜空を見上げた。
     天上に浮かぶ、白き月の明かりが、やけに目に沁みる。
     血を分けた双子の妹の声が、未だに耳に残っている。行きなさい。わたしの手足となってと。
     しかし、少女は、ゆっくりと頭を振る。
    「……ごめん。わたしは、まだ『わたし』でいたい」
     だが、意識の中で、憤怒の声が暴れる。有無を言わさぬ、強制力。
    「……う! うぅっ」
     頭が割れるように痛い。呻き、苦しみながら、少女は夜の街を進む。
    「分かった。分かったから……!!」
     髪を振り乱し、少女はがむしゃらに頭を振った。
    「わたしたち、いつまでも、一緒……だよね」
     人としての意識が、次第に薄れていく。
    「……わたしは、誰…だっけ? わたしは、寧。……違う! わたしは……。うぅっ。あああ!!」
     少女は、狂ったように天に向かって叫んだ。

    「集まったか」
     教室に集まった灼滅者たちを軽く見回して、エクスブレインの少年は呟くように言った。
    「『一般人が闇堕ちしてダークネスになる』という事件が発生しようとしている。通常ならば、闇堕ちしたダークネスは、すぐさまダークネスとしての意識を持ち人間の意識はかき消えるんだけど、彼女は、まだ元の人間としての意識を遺しており、ダークネスの力を持ちながらも、ダークネスになりきっていない状況なんだ。」
     闇堕ちした一般人は、御渡・寧(みわたり・ねい)という名の高校1年生の少女だという。
    「このまま放置しておくと、彼女は遠からず完全なダークネスになってしまう。だから、もし彼女が、灼滅者の素質を持つのであれば、闇堕ちから救い出して欲しいんだ」
     人間の意識を残している今であれば、彼女を救うことができるという。
    「ヴァンパイアは非常に強力なダークネスだ。御渡・寧の戦闘力も例外じゃない。君たちが団結して挑んで、ようやく彼女と互角に戦える。だけど、彼女の心に呼びかけることで、彼女の戦闘力を下げることができるかもしれない」
     戦って彼女をKOすれば、灼滅者の素質があれば灼滅者として生き残る。
    「だけど、素質がなければ……」
     待っているものは、「死」だ。
    「彼女は深夜の街を徘徊している。繁華街で接触するのは得策じゃない」
     エクスブレインの少年は地図を広げた。
    「ここに公園がある。中央が小山のようになっていて、木々が生い茂っている。深夜ともなれば訪れる者もいないので、戦うには最適の場所だ」
     小山の手前にはブランコやジャングルジムといった遊具があり、戦闘時には障害物となりうる。また、小山に誘い込むにしても木々が戦闘の邪魔となり、思うように戦えないかもしれない。
    「逆に、小山に逃げ込まれると、少し厄介かもしれない。どちらにしても、うまく立ち回るためには工夫が必要かもしれないね」
     御渡・寧は契約の指輪を武器として持ち歩いているという。
    「もちろん、ダンピール相当の能力を有している。相手が1人だからって、くれぐれも油断しないようにね。彼女は1人でも、灼滅者8人と充分に渡り合える力を持っている」
     かなりの美人だから、男性陣は見惚れないようにと付け加えた。
    「この公園なんだけど、どうやら彼女が幼い頃、双子の妹と一緒に良く遊んだ場所らしいんだ。妹の方は、完全にダークネスになってしまったんだけどね。因みに、妹は初(うい)って名前らしい」
     御渡・寧は妹思いの姉だったようだが、同時に妹を甘やかしすぎてもいたようだ。気の強い妹の我儘に困らされていたらしい。
    「彼女に素質があるかどうかは分からない。それに、例え素質があったとしても、かえって彼女を苦しめることになるかもしれない。だが、もし助かる命なら……」
     救ってあげてほしいと、エクスブレインの少年は言った。
    「難しい任務になると思うけど、よろしく頼むよ」
     少年はどこからか入手した御渡・寧の写真を灼滅者たちに手渡すと、そう言い残して教室を出て行った。


    参加者
    シルク・ヴァレリア(極彩色の鴉・d00217)
    龍海・柊夜(牙ヲ折ル者・d01176)
    赤槻・布都乃(暗夜刀・d01959)
    新条・一樹(高校生ダンピール・d02016)
    山岸・山桜桃(ワケありの魔法少女・d06622)
    田鴫・静歌(ヘビーバレル・d07861)
    羊飼丘・子羊(北国のニューヒーロー・d08166)

    ■リプレイ


     時刻は既に22時を回っていた。
     それでも、駅前の繁華街はまだまだ人の往来も多く、それなりに賑わいをみせていた。
     そんな中、明らかに場違いな服装をした少女が、ふらふらと彷徨い歩いていた。
     おぼつかない足取りで、何処かへ向かって歩を進める。
     酔っ払いの冷やかしの声も、彼女の耳には届いていないようだった。
     空には白い月だけが、ぽつんと浮かんでいた。

     繁華街から少し離れた場所に、公園があった。
     中央部が小山のように盛り上がっていて、そこに木々が生え、さながら雑木林のようになっている。
     キーッ。キーッ。キーッ…。
     寂しげに、ブランコを漕ぐ音が響く。羊飼丘・子羊(北国のニューヒーロー・d08166)が遊んでいるのだ。子羊は繁華街の方を見詰めたまま、無言でブランコを漕いでいた。赤いマフラーが大きく靡く。
    「可愛い妹の頼みを聞いて、一緒に闇へ落ちていく…。字面だけなら美談だけど、実際にやられると迷惑な話しよねぇ」
     ジャングルジムに寄り掛かったままその様子を眺めていた、シルク・ヴァレリア(極彩色の鴉・d00217)は、つと、頭上に浮かぶ白い月を見上げた。カラスの鳴き声が響くと、僅かに眉間に皺を寄せた。
    「夜に聞くと不気味だね」
     新条・一樹(高校生ダンピール・d02016)が薄い笑みを浮かべつつ、中央の小山を見上げた。不吉の前兆とも言われているカラスの姿は、暗闇の中では見付けることができない。
    (「ダークネスになろうとしている今、御渡さんは苦しんで自分を見失いそうになっているかもしれない。だから、早く助けないとね」)
     自分の身を隠せる太さのクヌギを見付けた田鴫・静歌(ヘビーバレル・d07861)は、時折バスターライフルを構えて、いざという時の準備を整えていた。初めての依頼に、気持ちが昂ぶる。
     山岸・山桜桃(ワケありの魔法少女・d06622)が、倒れていた古ぼけた立て看板を直しているのが見えた。掠れて文字が良く読めないのだが、「悪い人」に対する注意を促している立て看板のようだ。
     静歌の視線に気付いた山桜桃が、こちらに顔を向けてニコリと笑いかけてきた。
     直後に携帯電話の着信音が響き渡った。
     音に驚いたカラスが、騒々しい音と共に飛び立つ。
    「ターゲットを補足したみたいよん」
     シルクの声が聞こえたかと思うと、ブランコの音がピタリと止んだ。

    「相当な美人サンだな」
     説明を受けたエクスブレインの少年から手渡された、御渡・寧(みわたり・ねい)の写真に視線を落とし、赤槻・布都乃(暗夜刀・d01959)は呟いた。
     顔を上げると、その先には行き交う人々を掻き分け、ふらふらと彷徨う御渡・寧本人がいた。
    (「…今じゃ見る影もねえ。まるで幽鬼じゃねえかよ畜生」)
     布都乃は心の中で言葉を吐き捨てた。撮影者に向けられた優しい笑顔の少女。その写真を大事そうにポケットに仕舞い込む。
     寧の異様な状態に気付いたのか、それとも本能的に近寄ってはいけないと感じたのか、彼女の周りには誰も寄り付かなくなっていた。
     この状態が続いてくれれば、彼女が誤って一般人を傷付けてしまうようなことはなさそうだ。
    「今、連絡を入れたよ」
     隣を歩くアルバート・レヴァイン(福音・d06906)が、小声で伝えてきた。公園で待機しているメンバーに、自分たちが寧を捕捉したことを伝えたのだ。
     2人の右側前方、御渡・寧の位置からは右斜め後方にいる龍海・柊夜(牙ヲ折ル者・d01176)が、こちらを振り向いて小さく肯く。目顔で、慎重に行こうと言っている。
     周囲に通行人がいなければ、それだけ自分たちの尾行が発覚するリスクが高まる。
     慎重に、3人は寧の後に続く。
     繁華街を抜けた。
     前方に、黒い大きな闇の塊が見えた。公園の中央にあるという小山だろう。
     寧は、おぼつかない足取りながらも、真っ直ぐにその公園を目指していた。


     公園に足を踏み入れた御渡・寧の動きが、ピタリと止まった。
    「救いを求める人がいる限り! 北国のニュー☆ヒーロー参上!」
     ジャングルジムの天辺で、子羊が力強く叫ぶ。スレイヤーカードを額の前へ翳した。
    「へんしん!!」
     秘められたヒーローの力を解放する。
     闇に包まれた公園の中から、2つの影が飛び出してくる。シルクと山桜桃だ。
     バトンのように「証の杖」をくるくると回転させながら、山桜桃は寧の懐深くに一気に駆け込む。気合とともに杖を叩き付けると、寧の体内に魔力を注ぎ込もうと試みる。
    「え!?」
     しかし、殴ったつもりだったのだが、それは空振りだと判明した。
     寧の姿が、既にその場になかったからである。
    「がふっ」
     次いで耳に届いたのは、シルクの呻き声だった。
    「は、早い…じゃないのヨゥ」
     右肩に激痛を覚えて蹲ったシルクは、滴り落ちる自分の血に視線を落とした。
    「邪魔をしないで…」
     抑揚の無い声で、寧は呟くように言った。
    「わたしが真っ先に倒れるわけにはいかないのヨゥ」
     ソーサルガーダーで身を固めつつ、シルクは立ち上がった。寧の攻撃を身を持って体感したシルクは、是が非でも寧の突破を許すわけにはいかなくなった。
     自分たちが想定していた以上に、御渡・寧は強い。
     竜巻となった毒の風が、寧に襲い掛かる。一樹のヴェノムゲイルだ。しかし、寧は煩わしいものでも払うかのように、竜巻を払い退けた。
     虚ろな目が、一樹の姿を捉えた。本能的に身の危険を感じ、無意識のうちに一歩後退する。
    「寧さん、しっかりしてください! 自分を見失わないで!!」
     バスターライフルから放たれた強烈な魔法のビームが、寧の左肩を直撃した。静歌は尚も寧の名前を呼び続け、彼女自身の心を闇から呼び戻そうと試みる。どうにかして寧の戦闘力を削がなければ、8人の灼滅者が団結して臨んだとしても互角の戦闘力を有している彼女に打ち勝つのは、容易なことではない。ややもすると、各個撃破されてしまう可能性だってある。
    「笑顔に戻してやれるか、一丁やってみっかネェ!」
     布都乃がWOKシールドを構えながら、猛然と突っ込んできた。尾行班の3人も、戦闘に加わる。
     背後から攻撃されると思っていなかったのか、不意を付かれた形で、御渡・寧は布都乃が振り上げた盾の一撃を、まともに食らった。
     更に死角から、柊夜が襲い掛かる。
    「自分が誰なのか、忘れないでください!」
     一撃とともに、柊夜が言葉をぶつける。妹の闇堕ちに引きずられた御渡・寧だが、今ならまだ戻ってこられるかもしれない。
    「お姉ちゃんなら、アブナイ道に踏み込もうとしている大事な妹を、どうするのが正解かしら?」
     シルクの問い掛けだったが、寧はそれには答えない。
    「邪魔を…しないで!!」
     契約の指輪から闇の力が溢れ出て、御渡・寧の体を包み込む。
    「あああ…!!」
     苦しげに、寧が叫んだ。心の悲鳴だった。
    (「この子は…!?」)
     その瞬間、シルクは悟った。寧は自ら望んで闇に堕ちたわけではないということを。彼女は巻き込まれただけなのだ。何らかの理由で、妹が闇に堕ちたその時に。
    「自分が自分じゃなくなる怖さ…私にも分かるです。自分でいることを諦めないでください!」
     山桜桃が再び「証の杖」を振り上げる。自分の師匠の姿が、御渡・寧の姿に重なる。かつて、同じような悲劇の元に、裂かれてしまった姉妹の話。だからこそ、同じ悲劇は防がねばならない。
     しかし、寧は山桜桃の想いを砕く。巨大な赤い逆十字のオーラが、唸りを上げて撃ち出された。
     ターゲットにされたのは、一樹だ。シルクが守りに入ろうとしたが一瞬遅かった。シルクの脇を赤い逆十字はすり抜け、一樹に直撃した。
    「がっ!?」
     ごっそりと体力を削り取られた一樹は、その場で膝を突いた。同時に深い眠りに誘い込まれる。
     柊夜がすかさず祭霊光で、傷の治療を施すとともに、一樹の意識を覚醒させた。アルバートもヒーリングライトで一樹の傷を治療する。
     激しい攻防が続いた。


     御渡・寧は驚異的な身体能力で、8人の灼滅者たちを翻弄していた。
     数の上では上回ってはいるものの、灼滅者たちは徐々に押されつつあった。
    「人間、いつまでも一緒に居られるとは限らねぇんだぜ。特に相手がもうこの世に居ない場合は、な」
     布都乃の言葉に、寧は牙を剥く。鮮血の如きオーラが布都乃の脇腹を抉り、生命力を強引に奪い取った。
    「ぐっ…! あ、アンタ、最後に会った妹さんは本当に本人だったか?」
     布都乃は自らの脇腹を抉った寧の右手をがっしりと掴み上げ、苦しい息の中、それでも声を掛けた。
    「この公園で遊んでたって頃、思い出してみろよな…! 忘れられないんだろ? だから、アンタはここに戻って来たんだろ!?」
    「公園…」
     寧の覇気が、一瞬弱まった。布都乃の正に捨て身の言葉が、頑なだった彼女の心に一瞬だけ触れることに成功した。
    「わたしは…わたしは…ああ!!」
     赤きオーラが迸った。鮮血に染まった逆十字が、体力が完全に回復しきっていない一樹の体に叩き込まれた。
    「!?」
     さすがに今度は耐えきれない。血塗れのまま一樹はその場に崩れ、ピクリとも動かない。
    「これ以上は駄目です!」
     山桜桃が寧の視界に故意に入り込んだ。これ以上、味方を傷付けさせるわけにはいかない。使うことを自ら封印した、「あの力」を使ってでも止めなければならない。
     ブランコの横へと移動してきた静歌は、バスターライフルを構え直す。
    「初さん、見えてる? 一緒にありたいと思うなら、ダークネスとして堕ちずに、お姉さんを守る存在として、一緒に居ることもできるんじゃないの?」
     語り掛ける静歌の声は、残念ながら初には届かない。
    「寧さん。帰ってきて!」
     静歌は、高速演算モードを発動させた。戦場の全ての状況を、一瞬にして把握した。狙いを定めて、トリガーを引き絞るタイミングを待った。
    「自分をしっかり持って。君は、御渡寧でいなくちゃいけないよ」
     赤いマフラーを靡かせ、子羊がご当地ビームを放つ。
    「お姉ちゃんの役目は妹を甘やかす事だけじゃない、間違ってたら違うと教えてあげる事も、お姉ちゃんだからだよ」
     子羊のいる方に、寧が体を巡らせた。虚ろだった瞳に、赤き輝きが宿る。
     シルクと山桜桃が、子羊を守るように立ちはだかった。

     公園側にいるメンバーが寧と対峙している間に、アルバートは寧の背後に回り込む。不意を突いて攻撃する為ではない。彼女を説得する為に。
     隙を見せている彼女の背中に一撃を加えることは、この状況では容易いことだった。だが、自分たちは、彼女をただ撃破しにきたわけではない。彼女を救う為に、この場に来ているのだ。
     だからアルバートは、寧が背後の自分の気配に気付いてくれるまで、その場で我慢した。
     自分にも妹がいるから、その妹を大切にする気持ちは良く分かるつもりだった。我が儘な言い分でも、叶えてあげたくなってしまう気持ち。でも、それでは妹の為にはならないということ。
    (「分かっているはずだよね」)
     華奢な背中を見詰めて、アルバートは思う。だからこそ、彼女を助けたいと。
     寧がアルバートの存在に気付いた。
    「寧君は人を襲うことなんて望んでいないだろう? 君は初君でも、彼女の下僕でもないから同じ道を歩む必要はないんだよ」
     ゆっくりとかみ砕くように、アルバートは言葉を掛けた。寧は振り向き、瞳に赤い輝きを宿したまま、鋭い牙を剥いた。
    「むしろ正しいと思う行いをしなくちゃ、お姉さんとしてね。少しだけ頑張ってくれたら僕たちは君を必ず助けるから」
     それでも怯まずに、アルバートは語り掛けた。布都乃がシールドを構えたまま、じりじりとアルバートに歩み寄る。彼への攻撃を、自分が受け止める為に。
    「…だから君の願いを聞かせてよ」
    「わたしの…願い…?」
     届いた!
     誰もがそう感じた。粘り強く掛けた言葉が、ようやく寧の心に届いたのだ。
     肌が粟立つほどだった強烈な覇気が、急速に薄れていく。
    「あなたはまだ、こちらに戻ってこれます」
     柊夜はゆっくりと手を差し伸べる。さあ、こっちへ帰ってこいと。
    「大丈夫…絶対助けるよ。寂しい思いはさせないから。だから…あなたも勇気を出して! 差し出された手を放さないで!」
     山桜桃が声を限りに訴えかける。心配しないで。私たちが付いている。
    「寧ちゃんがいなくなったら、誰が初ちゃんを救ってあげるの?」
    「初…」
     子羊の声が、寧の耳に届く。闇に堕ちた妹を救ってあげることができるのは、姉である寧だけだと。
    「他の誰でもない、御渡寧を僕等は救いたい!」
     真摯な子羊の瞳が、寧の赤き瞳の輝きを弱めさせた。
    「大丈夫、もう終わりだよ…」
     静歌がバスターライフルの引き金に指を掛けた。寧が静歌に気付いた。その視線を、静歌はしっかりと受け止める。
    「悪夢が、終わりますように」
     人差し指に力を込めた。


     幸いにも、一樹の傷はそれ程深くはなかった。少し休めば、すぐに動けるようになるだろう。
    「どう? 気分は」
     ベンチに腰を下ろしている御渡・寧に、シルクが声を掛けた。彼女は耐えきった。そして、戻って来た。灼滅者として。
    「悪い方向のことは考えるだけ損だわヨゥ」
    「はい」
    「うん。良いお返事」
     シルクは寧の頭を優しく撫でてやる。
    「寧君、頑張ってくれてありがとう。大丈夫、君はきっと幸せになれる。つらい事ってずっとは続かないものだよ。今日つらい事を乗り越えたから、明日はいい事が待っているよ」
     アルバートの言葉に、寧はしっかりと肯いた。
    「もう、大丈夫ですね」
     寧に寄り添い、彼女が受けた傷を癒していた山桜桃が、ニコリと笑んだ。
    「良かった…」
     静歌は胸を撫で下ろす。自分の放った一撃が、彼女の命を奪う結果にならなかったことに安堵する。暗殺者としての一面を持つ彼女だが、今回は相手の命を奪う一撃ではなく、救いをもたらす一撃となったようだ。
    「君の右手が妹を救うために必要なら、僕等は左手を握っててあげる。一人で向き合う事が怖いなら、僕等は背中を支えてあげる」
     子羊は胸を張る。
    「だから、一緒に行こう」
     精一杯の男前を気取って、右手を差し出した。風に靡いた赤いマフラーが、無情にも顔に絡み付いてきた。
    「クスクスクス…」
     寧が笑う。可笑しそうに、楽しそうに。
    「ありがとう。可愛い羊さん」
     寧が、差し出された子羊の手を掴む。
    「格好良くキメるには、10年早かったかもネェ」
     シルクが茶化した。
    (「助けられたのは喜ぶことですが、できることならこの先妹さんと出会うことなく終わればいいのですがね」)
     せっかく取り戻せた笑顔を曇らせたくはないと、柊夜は思っていた。
    「やっぱ美人だわ」
     布都乃が妙に感心したように呟いた。あの笑顔を取り戻せて本当に良かったと、布都乃はポケットに仕舞い込んだままの写真の、彼女の笑顔を思い返す。
     夜空に浮かぶ白い月は、柔らかい光を降り注いでいた。

    作者:日向環 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年10月27日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 12
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