口に合わない、キミが悪い

    作者:織田ミキ

     顔を恐怖にひきつらせた女の首に、すっと鋭利な金属線が食い込む。
    「もっと、叫んだりとか。してくれてもいいんだよ? その方が……」
     言いながら微笑む、金髪の美青年。
    「――殺すとき、気持ち良い」
     大量の蝋燭の明かりが揺れる中、ごろりと落下する女の首。頭部を失った哀れな死体が床へ打ち捨てられると、その凄惨な有様に硬直していた他の女たちが、思い出したように悲鳴を上げて逃げ惑った。
    「はっはっは! いいねいいね、最高だね、狩人の血が騒ぐね……久々に」
     青年が無造作に首元の白いタイを弛める。ふと外気に晒されたのは、肌にきっちりと巻かれた、アンティークな首輪。忌まわしい意匠の、奴隷の証。
     優雅な仕草と常人にあらざる素早さで、青年は逃げ惑う女たちを両手に一人ずつ捕えた。そうして彼女らの首筋にそれぞれ容赦なく牙を立て、両目を一度大きく瞬いてから血に濡れた口の端を吊り上げて笑う。
    「おお、こっちのキミ、美味じゃないの。やっと当たり。ボクは徳の高い男だからね。キミの心臓が止まるまでは無駄なくいただくよ……ただし」
     もう片方の腕に抱いていた女の首に、また、かけられる鋼糸。
    「口に合わない血は……ゴミだけどね」


    「……既に、犠牲者が出ています。察知が間に合わなかったことが悔やまれます……」 
     五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は重苦しい表情で切り出した。
     二週間ほど前から、爵位級ヴァンパイア達がロシアンタイガーの持つ『弱体化装置』を狙って動いていることは周知の通り。彼らが送り込んできている配下のヴァンパイアが、捜索対象であるロシアンタイガーと接触したという噂はまだ届いていない。ただ、毎日のように聞こえてくるのは、絞首卿ボスコウが放ったと言われている『奴隷化』されたヴァンパイアたちによる蛮行の数々。灼滅者たちが解決している事件だけでもこれだけ頻繁にあるということは、今、相当数のヴァンパイアが日本にいると予想される。
    「今回、皆さんに灼滅していただきたいヴァンパイアの名は、セシル・ウィリアムズ。外見は二十代前半くらいの、正装をした金髪の男性です」
     セシルは人間に紛れて若い女性たちを誘惑しては廃ビルへ連れ込み、夜な夜な虐殺を繰り返しているのだと言う。バベルの鎖をかいくぐって接触できるタイミングは、皆で現場へ向かう日の夜、彼が五人の女性全ての命を奪った瞬間のみ。
    「辛いとは思いますが……彼が虐殺を行なっている間にこの部屋の入口まで近づいて、じっと耐えていてください。早まって行動しすぎると、逃げられて追いつけません。最後の女性だけを吸血するはずですので、彼女が息絶えてダークネスに隙ができたときが奇襲をかけるチャンスです」
     セシルが使ってくるのはヴァンパイアと鋼糸のサイキックのみ。ポジションがジャマーのため、プレッシャーや催眠に注意してほしい。奴隷化されていても強敵ということに変わりはなく、一撃の威力もそれなりだ。
     また、性格的にすぐ撤退を試みると予想されるため、逃がさない工夫も必要となってくる。かつては沢山の女性たちを配下に持って活動していたヴァンパイアらしいので、今となってはそれも許されず地味な廃ビルを根城に一人きりでいる点を突けば、上手く挑発に乗せられるだろう。
    「見殺しにせざるをえない女性たちを思うと、本当に、本当に胸が痛いんですが……さらなる犠牲者を出さないためにも、どうかお願いします。全力で灼滅にあたってください」


    参加者
    城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)
    荒野・鉱(その眼差しの先に・d07630)
    ギルドール・インガヴァン(星道の渡り鳥・d10454)
    ジョシュア・ヴァルヌス(シャッテンアーデル・d10704)
    夜伽・夜音(トギカセ・d22134)
    天城・ほのか(高校生シャドウハンター・d27481)

    ■リプレイ


     人の命が、いたずらに奪われてゆく気配がする。
     冷たいコンクリート壁を背に、灼滅者たちは息を潜めて時を待っていた。部屋の入口から漏れた蝋燭の光が、廊下の天井まで届いて揺れる。これでもかと神経を研ぎ澄ませてその様を見据え、爪を手のひらに食い込ませるが痛みなど感じない。ただ、ひたすら歯がゆくて、悔しくて。最低な気分だった。今このときまだ命ある犠牲者の、最期の悲鳴を黙って聞くしかない辛さにギリギリと奥歯を噛みしめる。
     恐怖にすすり泣く声。まだ温かいはずの肉体が打ち捨てられる音。そして、不快すぎる狂人の高笑い。 
     ここで、絶対に止めて見せる。自分たちがやってきたからには、あの忌々しいダークネスの凶行も今夜が最後。そう強く信じることだけが、支えだった。
     人の気配が、あと三人。
     ドサ。
     ……二人。
     皆呼吸を整え、ゆっくりと瞬きをする。そうして標的が「食事」を終えた気配を感じた瞬間、ジョシュア・ヴァルヌス(シャッテンアーデル・d10704)は、気を鎮めるために撫でていた霊犬・アルフォンスから戦慄く手を離した。


     恍惚とした様子で天井を仰ぎ最後の犠牲者の亡骸を手放したヴァンパイアを、背後から容赦なく襲う。蝋燭の炎の色を一瞬かき消し、次々と炸裂するサイキックの閃光。ディフェンダーを筆頭に、真っ黒の影に幾重にも捕えられた男を叩き、撃ち、斬り捨てる。
    「……何だよ……いきなり、寄ってたかってお行儀が悪いね」
     驚きの表情を晒してから、それでも血の滲んだ口の端を吊り上げて笑うダークネス。ゆるりと身を起こしながらその視線が早々に退路を求めて彷徨う。その様子を瞬時に見て取り、エリアル・リッグデルム(ニル・d11655)は男の首に嵌められた奴隷の証を鼻で笑って言い放った。
    「仲間は居ないの? ひとりぼっちで可哀想だなあ。こんなボロい場所で食い散らかす事しか出来ないとか……あんたの方こそ、行儀悪すぎ」
    「な……ッ」
     怒りと羞恥に頬を紅潮させ、セシルの顔から一瞬前までの余裕が吹き飛ぶ。姫子から聞いていた通り、効果てき面という言葉がふさわしかった。過去の栄光には程遠いこの現状を突き付けられ、無残に折れた高い鼻。こちらに無関心だったセシルの紅い瞳の中に、たちまち殺意が膨れ上がる。
    「関心がこちらへ向いて、何よりだよ。さあ、一つ残らず逃げ道を塞いでいこうか」
     悠然とセシルの一挙一動を観察していたギルドール・インガヴァン(星道の渡り鳥・d10454)が、窓を背に魔法弾を放った。腕でそれを受けたヴァンパイアに、ぐるりと彼を包囲している灼滅者たちの中から城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)が得物を振りかざして間合いを詰める。ダークネスを強打した黒檀の長杖を伝う強力な魔力。手元に青白いオーラの梔子が花開いた瞬間、セシルの腹の中でドウと音を立てて大爆発が起こった。それでも体勢を立て直しざまにエリアルを襲ったダークネスのサイキックの前に、夜伽・夜音(トギカセ・d22134)の投げた護符が大気を射るようにすべりこむ。
    「おお、邪魔してくれるね、お嬢さん」
    「ッ!! ……くそっ、忌々しいな……!」
     いくらか御符を突き抜けてきた催眠による眩暈に、エリアルはかぶりを振った。もちろん失った体力も少なくない。
    「どう見てもトラウマの塊でしかない哀れな奴隷化ヴァンパイア……でも、こんなのでも強いという話は本当だったようね」
     初戦から強敵に挑むこととなった天城・ほのか(高校生シャドウハンター・d27481)が、即座に癒しの光をエリアルへ降ろす。殺傷ダメージに大きく削られて戻らない命の器。回復の限界とダークネス戦の厳しさを身を持って知るがしかし、今はただ改めて気を引き締めるしかない。自分の手の届く距離で、命を落とした女性たちのためにも。
     残酷と無駄は貴族の嗜みとも言えるのかもしれないが、この男はただ己の狩る獲物に弱った力を誇示するばかりの劣悪な狂人。束の間の自由に酔いしれ、成り上がろうという気概もなく……『ダークネスの貴族』が、聞いてあきれる。
    「卿も大変よね。こんな誇りの欠片もない奴隷しか動かせないなんて。ま、配下としての誇りはないから『奴隷』なんでしょうけど」
     言いながら、フローレンツィア・アステローペ(紅月の魔・d07153)は再び白い指先で神の名を持つ鋼糸を操った。欲しいのは、力の証。この哀れな男を灼滅して、必ず手に入れて見せる。
    「その上……配下なし、居城なし、魂に宿す誇りもなしの三重苦」
     フローレンツィアの台詞に、セシルの片眉が大きく吊り上がった。
    「ほんと、落ちぶれた姿のまま這いずる様は見ていて不愉快だわ?」
     語尾を上げて言い切った瞬間、ヴァンパイアへ幾重にもかけられた鋼糸の存在が、纏うオーラの紅で突然くっきりと浮かび上がる。痛みに呻くセシルに、続けてロッドの一撃を喰らわせたのはジョシュア。
     一方で、たゆまなくヴァンパイアに立ち向かう仲間たちの勇姿を見据えながら、エリアルは深く眉根を寄せていた。室内に立ち込める、犠牲者たちの血の匂いに生唾を呑む。本当に、気持ちが悪い。自分の中にもある吸血衝動を刺激するその匂いを振り払うように、敵の自慢の顔を横殴りにして跳び退る。
     同類でなど、あってたまるものか。身の内に眠るダークネスが求めてやまない血と殺戮にこの嫌悪感を抱く限り、絶対に、自分はそちら側へは行かない。
     何よりこれは、滅多とない宿敵を倒すチャンス。そしてそれは荒野・鉱(その眼差しの先に・d07630)にとっても同じだった。
    「ッ、そうは……させないっす!」
    「荒野さん!!」
     ほのかとセシルとの間に駆け入った鉱の胸から、どっと逆十字の紅いオーラが噴き上がる。一瞬朦朧とした意識を奮い立たせるように両目を見開き、鉱は至近距離から宿敵を睨み上げた。
    「自分、学園に来る前は、ヴァンパイア集団から『狩り』の標的にされてたんすよ」
     しかしもう、あの頃とは違う。自分には、共に戦ってくれる仲間がいる。
     圧倒的な力を前に、精神を削り悔しさを募らせることしかできなかった、過去を。自分は今、本当の意味で乗り越えられるはずだ。
    「こんな汚い場所にたった一人で隠れてるなんて、お前はまるで……逃げてたときの自分と同じっす」
     灼滅者たちの攻撃を一身に浴びながら挑発にまた一段と眉間の皺を深くしたセシルを前に、鉱は叫んだ。
    「……今の、こんなお前なら――自分でも狩れる……!!」
     

     ヴァンパイアの放った霧の中、次々と攻撃を仕掛け、目を凝らしてその気配を探る。背に腹は代えられず回復サイキックを放つ回数が増え、思いのほか長引いた戦い。自分たちの中にあと一撃で倒れる者がいることを、相手は気付いているのか、いないのか。
     いずれにせよ、いよいよ回復行動に出た敵とて状況はそう変わらないはず。乱れた息を隠さず、灼滅者たちは殲滅道具を握る手に力を込めるが、しかし。
    「~ッ!! ……く……ぅ……」
     突然、つ、と首に感じたものが鋼糸であることを知った瞬間、霧の晴れた夜音の視界に額から血を流したままのセシルが入り込んでいた。
     長身の背を折ってこちらの顔を覗くヴァンパイア。間近から無遠慮に注がれる、『女』を見る視線。そうでなくとも強い不快感に覚醒しきっている脳内に、警笛が鳴り響く。敵に感じるべきものとは別の類の恐怖と危機感に、ぞっと悪寒が背を駆けた。
    「……っ、やめ……て……」
    「いいねいいね。そういう目をされると、余計に……欲しくなっちゃうじゃない」
     強引に腰を抱かれ、震える唇で「助けて」と象ったが、助けを求める先がわからず、声にならない。
     しかし、自分に差し伸べられる手は、すぐそこにいくつもあった。
     何も言わずとも、目の前の男がみるみるうちに様々な形の影に覆われる。夜音を奪って逃げようとしているセシルの動きを見て取った、灼滅者たちの影業だ。
    「逃げたって、何処に隠れるの? 助けてくれる取り巻きもいないのに。さあ、夜音ちゃんから手を放して」
     千波耶に続いて、ギルドールも至極穏やかに言う。
    「敵前逃亡なんてしてるから、落ちぶれるんだよ」
     そうして優雅に微笑み、涼やかな声色のままさらに敵を貶める一言。 
    「ああ、だからキミは、そのセンスの無い首輪が似合うんだね」
     纏わりつく影をむしるように首に爪を立てたヴァンパイアが牙を剥いて睨んでくるが、ギルドールは臆せずただ上品な笑みを返すだけ。
    「夜伽さん、平気そうに見えてもそいつは瀕死のはずよ! トラウマだっていつ出るかわからないわ!」  
     自分を癒してくれるほのかの声に、ハッと我に返った夜音はダークネスの顎下からトラウナックルを喰らわせた。仰け反ったセシルの身がフローレンツィアの斬弦糸に絡め取られた途端、案の定、血に濡れた口から裏返った悲鳴が上がる。
    「ひ、や、やめろ!! 嫌だ……! き、貴様、僕を、誰だと思って……っ、う、あ、あああ!!!」
    「下がっていろ、アルフォンス」
     自分の身が危機的な状況でありながら尚も主を守ろうとする霊犬を窘め、ジョシュアはトラウマに襲われて醜態を晒すセシルを見下ろした。
    「随分無様な姿だな。……ああ、悪い。元が悪いから『奴隷』なんぞに成り下がるのか」
     己にしか見えぬ敵におののき焦点の合っていない両目の間へ、ゆっくりと剣の切先を向ける。ヴァンパイアを狩るのが先祖代々の使命ではあるが、この男だけは正直、剣の錆びにする価値もないと言ってやりたいくらいだ。
    「……どうやらお前の事を買いかぶり過ぎていたようだ。謝罪しよう」
     とどめとなる一撃を受け、足元から灰になってゆくヴァンパイア。その首筋に、フローレンツィアが容赦なく牙を立てる。
    「これで……二人目ね。力はあるし、これで証としましょう」
     小さな白い手から取り落とされたダークネスの身体は、そのままみるみるうちに灰と化し、薄汚れた冷たい床に降り積もった。


    「……せめて、安らかに」
     できるかぎり『人』の形に戻した犠牲者たちの遺体にそっと花を手向け、祈りを捧げる。悲惨な血の海から救い出されて眠るように目を閉じた彼女らの穏やかな表情が、辛い使命を果たした灼滅者たちの網膜に深く刻まれた。
     こうして支払った犠牲の大きさをまざまざと見せつけられるたび、ダークネスを討ち滅ぼさんと願う気持ちが強くなる。たとえそれが氷山の一角であろうとも、自分たちは、決して戦いを挑むことをやめないだろう。身の内に潜む闇を制すことのできた極わずかな人間『灼滅者』として。失われた命を悼み、それでも心を解き放って、また立ち上がらなくてはいけない。
     一人、また一人と、仲間に手を振り、静かに廃ビルを後にする灼滅者たち。雲に半分覆われた月を見上げ、千波耶の耳にしたイヤホンからは、優しい歌が流れていた。この悲しい夜を乗り越え、また新しい一日を迎えるために。

    作者:織田ミキ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年6月2日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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