平凡な少年のヒロイックサーガ

    作者:天木一

    「お兄様、起きてください。もうお昼休みですよ」
    「うーん、後5分……」
     見目麗しい少女が、教室の机に突っ伏して寝る、どこにでも居そうな少年を起こす。
    「もう、起きてくれないなら、おはようのキスをしちゃいますからね……」
     そう言って頬を赤らめた少女が顔を近づけると、少年は慌てて飛び起きた。
    「待て待て! 起きた! 起きたから」
    「おはようございますお兄様、お弁当を一緒に食べましょう」
    「中庭で食うか」
     立ち上がった少年の腕を少女は抱きしめる。
    「おい、離れろよ」
    「ふふ、兄妹のスキンシップですよ」
    「やれやれ……」
     仕方ない奴だと少年は諦めて少女の好きなようにさせる。
     人気の無い中庭のベンチに腰掛けると早速弁当を広げる。
    「じゃあ食うか。いただきます」
    「今日のお弁当は自信作ですよ」
     早速好物の玉子焼きに端を伸ばす。
    「おやおや、いつも熱々ですな~」
     そこへ購買帰りの悪友が冷やかすように現われた。
    「煩い、普通だ」
    「これミユキちゃんの手作りでしょ? オレもミユキちゃんみたいな妹ほしいな~」
    「やらん、欲しけりゃ親に言え」
     少年二人のやりとりを少女は楽しそうに眺める。
    「もうこいつの妹やるの慣れた? そろそろ一月だっけ?」
    「はい、お兄様は私にいつも優しくしてくださいますから」
    「してない、普通だ」
    「いや~ほんと熱々だ、お前みたいな平凡な奴がこんな可愛い子と兄妹になっちゃうなんてな……爆発しちゃえばいいのに」
     このままじゃ馬に蹴られちゃうと悪友は弁当から玉子焼きを掻っ攫って去っていく。
    「まったくアイツは……」
    「ふふ、お兄様が平凡ですって」
    「俺は平凡さ、お前みたいに魔法も使えないしな」
     少女は首を横に振った。
    「いいえ、お兄様は特別な方です。今はまだ力に目覚めていないだけ。私の魔法なんかよりもっとすごい力があるんですよ」
    「……俺は平凡に生きたいだけなんだ。だからそんな力はいらないさ」
     やれやれと溜息を吐く少年。そんな少年に少女は微笑む。
    「でも、私が困った事になったら助けてくれるんですよね?」
    「まあ……妹を助けるのは兄としては普通だからな……」
     そんな素直じゃない態度に、少女は嬉しそうに笑った。
    「そんなことよりさっさと飯食うぞ」
    「はい、お兄様」
     誤魔化すように少年は弁当に取り掛かった。
     
    「淫魔達の新しい動きを察知したよ」
     教室に集まった灼滅者に能登・誠一郎(高校生エクスブレイン・dn0103)が説明を始めた。
    「どうやら一般人を闇堕ちさせて手駒として利用しようとしているみたいなんだ」
     自分よりも強いダークネスとなる素質を持つ一般人男子に接触し、様々な演出によって、自らの忠実な配下となるように誘導するのだという。
    「相手が行なっている演出に上手く横槍を入れられれば、闇堕ちを防ぐ事が出来るかもしれないよ」
     成功すれば淫魔のみを灼滅してしまえば事件は解決する。
    「でも駄目だった場合は、闇堕ちした男子とも戦う可能性があるんだ。方法はみんなに任せる事になるけど、とにかく淫魔の作戦を阻止するのが目的だよ」
     男子が闇堕ちすると淫魔よりも強力なダークネスとなる。十分な戦いの準備が必要だろう。
    「淫魔はミユキと名乗っているよ。男子生徒の名前は東城歩、中学二年生だ」
     二人は互いの親が再婚した事で兄妹として一緒に生活を始めている。だが淫魔の母親はこの計画の為に父親に近づいた配下の強化一般人である。
     淫魔は自分が魔法使いであり、東城歩にも力が眠っているという設定で力について少しずつ刷り込みを行なっているようだ。実際に淫魔の力を魔法として見せて非現実的な力を教えている。
    「ミユキは戦闘能力が高いタイプではないので、みんながまともに戦えば撃破は容易だと思うよ。だけど渉の方はどんなダークネスになるかもまだ分からないんだ」
     堕ちたばかりなら全ての力を発揮できるとは思えないが、淫魔よりも強い事は分かっている。注意が必要だろう。
    「今回は下手をすればダークネス2体と戦う事になるんだ、十分気をつけて」
     一体ずつならともかく、同時に相手取るのはかなり危険な戦いとなるだろう。
    「場所は中学校、時間はお昼休みだ。中庭で二人で昼食を取っているところへ接触できるよ」
     襲うのか、説得するのか、誘き出すのか、作戦によって結果が随分と変わるだろう。
     お昼休みなので時間は多少あるが、あまりもたもたしていると、授業が始まり移動する生徒が戦闘に巻き込まれる可能性もある。
    「中学二年生は色々と心と体が不安定な時期だよね。そこに淫魔の誘惑とくれば抗うのは難しいと思うよ。だからみんなが何とか助けてあげて欲しいんだ」
     誠一郎は現場へと向かう灼滅者を見送りながら、自分が中学生だった時の事を思い出すと、恥ずかしくなって記憶に蓋をした。


    参加者
    犬神・沙夜(ラビリンスドール【妖殺鬼録】・d01889)
    一之瀬・暦(電攻刹華・d02063)
    米田・空子(ご当地メイド・d02362)
    蓮咲・煉(錆色アプフェル・d04035)
    流阿武・知信(優しき炎の盾・d20203)
    ユメ・リントヴルム(竜胆の夢・d23700)
    オフィーリア・レーグネン(沈み征くローレライ・d26971)
    白臼・早苗(静寂なるアコースティック・d27160)

    ■リプレイ

    ●平凡な日常
     日の差す中庭でお弁当を広げる一組の男女。
     中睦まじい様子は兄妹というより恋人のようにも見えた。
    「高校生になって中学生の校舎を歩くのって、なんだか変な感じ」
     その様子を横目に見ながら、流阿武・知信(優しき炎の盾・d20203)は仲間と共に廊下を歩く。放送室まで来るとドアをノックして開けた。
    「失礼する」
     中の放送部員が振り向くと、事情の説明を始めた。
    「それじゃあ、少し放送室を借りるね」
     白臼・早苗(静寂なるアコースティック・d27160)は、教師に連絡事項の放送を頼まれたと部員の人にやり方を教わる。
    「悪いね、でもすぐ終わるからさー」
     隣のユメ・リントヴルム(竜胆の夢・d23700)も片手で拝みながら部屋を見渡す。
    『2年D組東城歩、話があるので至急進路指導室まで来なさい。繰り返す――』
     放送を終えると放送室を後にして、足早に2階にある進路指導室へと向かう。

    「呼び出しだ、悪いがミユキ後片付けは頼む」
     残りを一気に口に入れ、歩は立ち上がる。
    「あ、お兄様、お弁当がついてますよ」
     ミユキは口の端の米粒を取り、ぱくっと口にした。
    「ミユキ、外でそういう真似はよせ」
    「ふふ、兄妹のスキンシップです。それじゃあ行ってらっしゃいませお兄様」
     怒った振りの兄に、妹は分かってますと笑顔で送り出した。
     その様子を離れた場所から隠れて窺う人影。
    「マンガでこういうシーン、見たことあるのですよ」
    「そうね、こういうのよく見るわね」
     まるでラブコメのようだと、米田・空子(ご当地メイド・d02362)はあんぱんをかじりながら呟くと、オフィーリア・レーグネン(沈み征くローレライ・d26971)は空子の姿を見て、まるで張り込みのシーンだと頷いた。
    (「誘導は成功のようですね、では……」)
     犬神・沙夜(ラビリンスドール【妖殺鬼録】・d01889)は闇を纏い、姿を消すと死角に潜む。
    「ちょっと良いかな」
     一之瀬・暦(電攻刹華・d02063)が話しかけると、ミユキが顔を上げた。
    「はい、何か私に用ですか?」
     丁寧に社交用の笑顔で尋ねるミユキ。
    「悪いね、ちょっと君と話がしたくてね。あぁ。私は3年だよ」
    「先輩ですね。もし私に用というのがお兄様への紹介ならお断りしますよ」
     泥棒猫でも見るように、ミユキは冷たい視線で暦を観察する。
    「いや、そうじゃない。私の話と言うのは……君を灼滅しに来た。この意味。理解できるだろう?」
    「灼滅? ……あの、それってどういう意味ですか?」
     可愛く首を傾げて指を頬に当て考えるポーズを取る。
    「あんた……淫魔でしょ」
     ミユキの背後から蓮咲・煉(錆色アプフェル・d04035)が声を掛けながら、音が漏れないように周囲に結界を張った。
    「な!?」
     驚いた顔でミユキは跳び退く。
    「何の事ですか……」
     ミユキはさり気なく周囲を確認し、不意を突いて手にした杖から雷の魔法を放った。
    「善悪無き殲滅(ヴァイス・シュバルツ)」
     暦は五指形ガントレットを嵌めた左手でそれを受け止め、右腕の巨大な杭打ち機を構えた。
    「あんたの邪魔をしに来た」
     煉もまたカードを解除し槍を構える。戦いが始まった。

    ●兄と妹
    「失礼します」
     ノックして歩は進路指導室へ入る。だが中には教師の姿はなく、同じ学校の生徒達が居た。
    「中に入ってくれ」
     知信の言葉に従い、歩は中を見渡すと尋ねた。
    「先生は?」
    「ごめんねー、ちょちょっと用事があってさ」
     ユメが警戒させないようフレンドリーに話しかける。
    「10分か5分? 話を聞いてもらえないっかなー?」
    「別に構わないが……俺に一体何の話があるんです?」
     不審に思いながらも歩は話を聞く。
    「私達と、そしてあなたの妹、ミユキについてです」
     早苗が話始める。それは自分達が灼滅者と呼ばれる存在である事。そして敵対するダークネスの事。
    「あなたの妹ミユキは世界を支配する邪悪なダークネスなのです」
    「そんな、ミユキは故郷を負われた魔法使いの一族だと……」
     早苗は動揺する歩の心を読みながら指差した。
    「あれがダークネス、淫魔ミユキの正体です」
     歩は視線を動かす。そこには中庭で戦うミユキと灼滅者の姿があった。

    「こんなところまで敵が来るなんて!」
     煉が槍を貫くと、ミユキは咄嗟に躱す。
    「白玉ちゃん、よろしくですっ!」
     隠れていた空子はナノナノの白玉ちゃんに声を掛け、ミユキを同時に攻める。白玉ちゃんがその小さな翼を一生懸命羽ばたかせて竜巻を起こすと、魔力のシールドで身を守るミユキに空子はビームを放った。
    「メイドビーム!」
     放たれた光線はシールドを貫きミユキの肩を焼く。
    「痛、い……これは拙いですね、お兄様と合流しなくては……!」
     ミユキは校舎に向かう。だがその前に暦が立ち塞がった。
    「さぁ。やろうか。徹底的に」
     杭打ち機がジェット噴射で加速し、飛ぶように杭が撃ち出される。ミユキは避けようとサイドに跳ぶ、しかし噴射の勢いを調整して軌道を変えると杭はミユキの脇腹を抉った。
    「きゃあああああ!」
    「ここで……大人しくしてなさい……」
     身を隠していた場所からオフィーリアがハープをかき鳴らす。音の波がよろけるミユキの体を吹き飛ばした。
    「お、お兄様……助けてお兄様!」
     ミユキが叫ぶ。だがその声は結界に阻まれて中庭の外には届かない。
    「あんたの思惑は知ってる。他の淫魔と同じ、男を利用し忠実な手駒にしようとしてる」
     煉は正面から杖を突きつける。
    「そんな奴を許してはおけない!」
     魔力を込めて駆け寄りながら振り抜く。防ごうとする魔力の盾をぶちやぶり、ミユキの腕を折りそのまま体に叩き込んだ。
    「あ、ああ……」
     強烈なダメージを受けてミユキの外装が解ける。頭からは角が、背中から蝙蝠の翼が、お尻からは細長い尻尾が生えた。

    「あれがキミの妹の正体だ、キミは騙されていたんだ」
     淫魔の姿となったミユキを確認し、知信が諭すように言った。歩は妹の姿を見て驚きに凍りつく。
    「百聞は一見に如かず、ってね? これもダークネスのせいなんだー」
     ユメが自身の水晶の体を少し見せると、驚いた顔で歩はそれを凝視する。
    「これで信じてもらえましたか?」
     早苗の言葉に歩は頷く。
    「ああ、あんた達の言うように、ミユキはダークネスなんだろう。だとしても、ミユキ自身が悪い事をしてるって決まった訳じゃない」
     苦悩して眉間に皺を寄せていた歩は、何かを決意したように妹を見る。
    「あいつはすぐにベタベタしてくる甘えん坊だし、猫を見たら夢中で追い駆けちまうような奴なんだ。だからあいつが嘘を吐いて俺を利用しようとしているとしても、あいつの事が嫌いになれない。だったら俺のやる事は一つだけだ……俺が妹を守る!」
     その強い意思と共に、歩の背中から炎の翼が生える。駆け出すと背の炎が爆発し加速する。炎が窓ガラスを溶かし、ミユキとの一直線の道を作り出す。
    「ミユキィィィ!!!」
     炎が結界を破り声がミユキに届く。振り向いたミユキは痛みも忘れて満面の笑みを浮かべた。
    「お兄様ーー!」
    「ミユキ! 今助けてやる!」
     背中の炎を爆発させミユキの元へと飛び手を伸ばした。
    「ああ、お兄様……私の愛が届いたのですね。嬉しい……」
     ミユキもその手を掴もうと手を伸ばす。手が繋がれようとしたその時、ミユキの胸から手が突き出た。じっと機を窺っていた沙夜が忍び寄り、放った貫き手が背中から胸の中央を貫いていた。
    「あ、ああ……お兄……愛して……」
     ミユキは瞳孔を開き力を失った。歩の手が素通りする。ミユキはそのまま力尽き、地面に崩れ落ちた。

    ●怒りの炎
    「ミユキ……ミユキィィィィィ!!!!」
     倒れた妹を抱き起こし、歩の慟哭が響く。怒りと嘆きと共に全身から炎が噴出した。座っていたベンチが焼け焦げ、植木が燃え尽きる。
    「よくも……よくも俺の妹をぉぉぉ!」
     炎の渦が灼滅者を襲う。その前に空子と白玉ちゃんが跳び出し、盾を展開させ、風を巻き起こして炎を防ぐ。
    「何故だ! 俺には特別な力があるはずだろう! 何故妹1人守れないんだ!」
    「空子にだって、守らなきゃいけないものがあるんですっ!」
     空子は必死に炎を押さえ込む。だが歩の激昂と共に火勢は強まり灼滅者達を吹き飛ばした。
    「説得は失敗か……恨みが無いが倒す」
     ガントレットで顔を守るように炎の中を進み、暦が雷を宿した拳を脇腹に叩き込む。肋骨を砕き歩の体を浮かせた。
    「歩、あんたにとって特別っていうのは、他と代替の利く手駒になる事なの?」
     煉は影を伸ばし刃にして歩の体を斬り裂く。
    「それとも力がある事? んな事言ったら私達も同じ、こんなの五万と……いや二万か、いるよ」
    「お前達と一緒にするな! 俺が欲しかったのは力じゃない、妹との平凡な日々だ。その幸せを破ったお前らを許しはしない!」
     歩は妹を寝かせ、拳に炎を宿して殴りつけてくる。左腕を差し入れた暦がその攻撃を防ぐが、腕が折れるような衝撃を受けたガントレットが軋み炎が体に絡みつく。
    「その平穏は仮初のものよ」
     オフィーリアは歌う。その歌声は歩の意識を僅かの間奪い取った。
    「これ以上、被害者を出したくなかったんだけどね」
     ユメは少し悲しそうに目を伏せ呟くと、顔を上げてきっと睨みつける。そして右手の縛霊手を炎に纏われていない脇腹に突き立てた。
    「ぐぅっ」
     歩は苦痛に動きを止める。そこへ知信が剣を振り下ろす。歩は躱そうとするが間に合わず肩に剣が食い込んだ。
    「……ベストは尽くしたつもりだが、残念だ」
     知信は剣を引き抜き傷を広げると、更に横に薙ぐ。しかし歩はその剣を拳で弾き返し、知信にボディブローを叩き込んで吹き飛ばした。
    「こんなに深く取り込まれてるなんて……」
     その攻防の間に早苗はギターを鳴らす。力強い音色は仲間達に力を与え、炎を掻き消し傷を癒した。
    「全て燃えてしまえ!」
     歩が周囲を炎で薙ぎ払おうと両腕に火炎を凝集させる。だが腕を振るおうとした時、鋼糸が絡みつき動きが止まった。背後から近づいた沙夜が影を宿した糸で絡め取っていたのだ。
    「貴様! ミユキを殺した女! 貴様だけは絶対に許さん!」
     鋼糸を伝うように炎が奔る。沙夜は糸を切り放すが、炎の勢いは止まらずに沙夜の右腕を焼いた。
    「妹の仇だ!」
     絡まる糸を燃やし、集まった炎が追い討ちに放たれる。
    「そこまで気持ちを弄ばれてるとは、憐れだな」
     そこへ暦が割り込んで炎に向かって杭を突き刺す。力がぶつかり合い衝撃に炎は消し飛んだ。だが暦の右腕も火傷を負って激痛が走る。歩は止まらず更に殴り掛かる。
    「白玉ちゃんは治療をお願いします。空子はここで防ぎます!」
     跳び込んだ空子が拳に跳び蹴りをぶつけて受け止める。その間に白玉ちゃんはハートを飛ばして暦の火傷を癒す。
    「打ち抜け!」
     歩が足を粉砕しようと炎の力が拳に集まったところへ、鋼糸が巻き付き引き寄せた。沙夜が無事な左腕で糸を操り妨害していた。
    「貴様ァ!」
     僅かに意識が逸れた瞬間に蹴りが顔面を捉えて吹き飛ばされる。うつ伏せに倒れた歩は手をつき顔を上げる。
    「負ける……かぁ! ミユキの仇も討たずに負ける訳にはいかないんだよ!」
     その強く熱い意思が歩の体に変異を起こす。全身に炎の毛が生え筋肉が盛り上がる。四つ足となり尻尾が生えた。口には長く鋭い牙。それは炎の獣の姿だった。
    「グゥゥゥガアアアアア!」
     獣が咆える。その声は衝撃となって窓ガラスを砕いた。呼吸と共に口からは炎の吐息が漏れる。獣は灼滅者を見て、跳び掛かってきた。
    「完全に堕ちてしまったか……」
     迫る刃物のような爪を知信が剣を振るって受け止める。だが体重を乗せられそのまま押し倒されると、肩に噛み付かれた。
    「っぅ手強い…! でも、まだやられない!」
     押し倒されたまま知信は注射を持ち、獣の腹に突き刺した。注射器から獣の命が吸い上げられていく。
    「グゥアッ」
     獣はそれを嫌がり知信を押し潰すように蹴って跳び退く。
    「骨まで折れてる……すぐに繋げるから」
    「酷い傷ね、一緒に歌うわよ」
     口から血を吐く知信に、早苗とオフィーリアが天使の如き声で歌い、骨を繋いで血を止める。
    「もう戻れないのなら、ここで止める!」
     ユメは着地する獣の周辺に結界を築き動きを封じ込める。その隙に沙夜がオーラの塊を撃ち込む。衝撃に皮膚が裂け炎が血のように溢れ出た。
    「グゥゥゥゥォォォ!」
     猛る獣は暴れて結界を破り、沙夜へと駆ける。しかしその前に暦が巨大な杭を構えて遮る。
    「理性を完全に失ったか……ならここで終わりにしよう」
     真正面から暦の杭が放たれる。獣は跳躍するが暦の踏み込みが一歩速かった。振り下ろす爪よりも速く杭は右前足を撃ち抜いた。びちゃっと足が地面に落ちる。
    「オオオオ!」
     だが獣はそれでも勢いを止めずに暦の首に反対の爪を振り抜いた。その一撃を何とかガントレットで防ぐ。しかしそのまま押し切られ倒れたところに牙を突き立てられた。首から大量の血が噴出す。
    「そこをどいてください!」
     空子が獣を持ち上げ、跳躍すると地面に叩き付ける。衝撃に地面が揺れた。白玉ちゃんは急ぎ暦の止血をする。
     獣は起き上がり沙夜に向かって駆け出す。
    「思い出して! あんたが守るべきなのは一ヶ月騙してた『妹』じゃなく、たったひとりの父親や、軽口を叩きあえる友達なんじゃ、ないの?」
     煉の言葉に僅かに獣の動きが鈍った。そこへ鋭く踏み込んで槍を突き出す。穂先は硬い皮膚を破り、胴体を貫き串刺しにした。
    「ガァァッ!」
     槍が刺さったまま獣は駆ける。致命傷を負っているにも関わらずそれでも足を止めない。失った右前足を引きずりながらも前に進む。
     それを前にして沙夜は冷静に迎え撃つ。喉笛を狙う牙を屈んで躱し、拳を刺さった槍に打ち込むと、傷が開いて炎が体を燃やし始める。
    「ガァ……アア……」
     復讐の牙は届かず、獣は英雄になれずに燃え尽きた。その炎に焼かれ淫魔も消えていく。

    ●日々は続く
    「何とか倒せたか」
     深手を負った暦は何とか立ち上がる。
    「悲しい結果になってしまいましたね」
     空子は悲しそうに消えた二人の跡を見る。
    「淫魔に見初められなければ仲間になる未来もあったのかな?」
    「カッコイイお兄ちゃんになりたかったんだね……」
     闇堕ちを止められなかったと、煉は悔しそうに俯き、早苗は最後まで妹の為に戦い消えた兄に黙祷した。
    「助けてあげられなかったね」
     ユメは残念そうに囁くと拳を強く握る。
    「帰りましょう……」
     オフィーリアの言葉に、疲れ傷ついた体を支え合い灼滅者は学校を後にする。
     沙夜は表情を変えぬまま、背を向けて歩き出す。それは覚悟を持った者の揺ぎない背中だった。
    「……ごめんね、うまくやれなくて……」
     肩を借りて知信は去り際に呟いた。
     学校に平凡な日常が戻る。英雄に成り損ねた少年の事など誰も知らないまま、何も起きない平凡な日々は続いていく。

    作者:天木一 重傷:一之瀬・暦(電攻刹華・d02063) 流阿武・知信(炎纏いし鉄の盾・d20203) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年5月31日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 9
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