墨色の獣

    作者:麻人

     噂が先だったのか事実が先だったのか、こうなってしまってはもう分からない。
    「嫌な仕事だなあ……」
     害獣の駆除を請け負った業者は念入りに防護服を着てその敷地に足を踏み入れた。なんでも、獰猛な獣が入り込んでいて建物の解体作業が進まないらしい。
     いや、ともうひとりの男が否定した。
    「話じゃ、もともとこの家の人間が飼ってた犬らしいぞ。飼い主を食い殺したって噂だ」
    「なら、その時に射殺されてるはずじゃないですか? どうして今ごろ……うわぁっ!!」
     突然、男は悲鳴を上げて後ろに倒れた。
    「どうし――」
     ぎょっとして、もうひとりの男は目を見開いた。
     獣。
     黒い、小熊ほどもあろうかという獰猛な犬は瞬く間に男を食い殺して次の獲物へと襲いかかった。

    「わふっ……」
     エミーリア・ソイニンヴァーラ(おひさま笑顔・d02818)はぬいぐるみを抱いたまま、文字通り鳴いた。
    「怖い犬さんがいるのです。みんなの噂が生み出してしまった都市伝説なのです~」
     
     都市伝説。
     人々の恐怖心や噂話がサイキックエナジーと結びついて出現する暴走体のことだ。
    「確かにそこのお家では大きな犬を飼ってたらしいです。飼い主さんが事故で亡くなっているのも本当なのです。週刊誌が煽って、それで近所の人もそうだと思い込んで……」
     廃墟と化した邸に潜む、黒い獣が3匹。
     ぼうぼうと雑草が伸び放題の庭だ。蔓が巻きついたテラス。薄汚れた灰色の外壁。敷地内に入った途端、彼らは襲いかかってくる。
    「普通にお庭で戦えたらよかったんですけど、業者の方がひとり襲われかかって家の中に逃げ込んじゃってるのです。え~と、場所はー……」
     一階の端、リビング。
     入り口はテラスか玄関の二択。犬は1匹がテラスの辺りをうろつき、他の2匹は建物の中に潜って男を追いつめようとしている。

    「急がなきゃなのです。手伝って欲しいのです!」
     エミーリアは気合いを入れるように両手を握りしめて、「わふっ」と鳴いた。


    参加者
    鹿嵐・忍尽(現の闇霞・d01338)
    乾・剣一(紅剣列火・d10909)
    鈴木・昭子(かごめ鬼・d17176)
    廻谷・遠野(架空英雄・d18700)
    坂上・海飛(先駆け一番槍・d20244)
    類瀬・凪流(オランジェパストラーレ・d21888)
    セイヴィーア・セルフェール(憂いの魔術師・d23235)
    周防・天嶺(狂飆・d24702)

    ■リプレイ

    ●望まれぬ存在
     躾が全くなっていないな、というのは周防・天嶺(狂飆・d24702)による評である。彼らは現在、鬱蒼と茂る雑草に覆われた廃屋にて黒い毛皮の獣と交戦中だった。
    「駄犬が」
     吐き捨てる――というよりは無表情に、淡々とこぼしながら天嶺は絶対零度の妖弾を射出。
     やはり物理的な法則とは別のそれを持つ相手だ。うまく定着しなかったカラーボールの代わりに己の眼力を信じるかの如く、鹿嵐・忍尽(現の闇霞・d01338)は目を細めて相対する獣を見据えた。
    「まったく、同じ黒い犬でも土筆袴とは大違いでござるな。いや、違わせたのは……」
     くぅん、と足元に控える霊犬が鼻を鳴らした。
     それを生み出す元の感情。その正負がこれだけの違いを生み出してしまう。罪か、あるいはそれが必然なのか。
     敵は唸りをあげて、飛びかかる隙を伺っているようだ。
    「ひぃっ……」
     背後から聞こえる男の押し殺した悲鳴。
    「安心してください、わたしたちがあなたを守ります」
     どこか茫洋とした取り止めのない声色は鈴木・昭子(かごめ鬼・d17176)だ。廻谷・遠野(架空英雄・d18700)もなだめるように男へと語りかける。
    「そこで動かないで待っててくれるかな。大丈夫、悪夢はすぐ終わるよ」
     ラブフェロモンの効果もあったのだろうが、男はおとなしく「はい……」と頷いてソファの影に縮こまった。
    「掃き溜めに鶴ならぬ、悪夢に咲く花ってところか……」
     嘯く乾・剣一(紅剣列火・d10909)。
    「犬は犬でも業者さんの手には余るからなコレ。ま、その辺はプロに任せてくれよ」
     両刀のマテリアルロッドを構え、飛びかかられる前に自ら獣目がけて突っ込んだ。今回、先陣を切ったのは他でもない剣一である。
    『そんじゃ、せーので』
     ダッシュからの跳び蹴りは、一発で玄関の戸を吹っ飛ばした。
    『…………』
    『いいだろ、どうせ解体予定なんだし……』
     沈黙の後、天嶺は軽く首を横に振った。
    『いや、可能な限り物音は立てない方が、と――』
    『おっしゃ! 追い詰められてんなら時間がねえ! 突っ込むぞおおおおおおおおおおおおおお!!!』
     ぴゅーっ、と弾丸のように坂上・海飛(先駆け一番槍・d20244)が駆け抜けていってしまった。
    『私たちも行こう。ありがとう、昭子ちゃん』
     手の震えは既に収まっている。
     握ってもらった手に今は縛霊手を宿して、類瀬・凪流(オランジェパストラーレ・d21888)は海飛の背中を追いかけた。
    『……左』
     前衛を前に見るセイヴィーア・セルフェール(憂いの魔術師・d23235)は、彼らの真横、台所から一匹の獣が飛び出してくるのを見つけ、声を上げる。
    『でやああぁぁぁぁあああ!!』
     獣とがっぷり、正面から組み合う海飛。
    『坂上くん、そのまま抑えてて』
     さらりと言って遠野は他の仲間と共にリビングへ駆け込んだ。部屋の隅に追い詰められた男へ、今まさに襲いかからんとする黒き獣の背が見える。
    『た、助けてくれ……!!』
    『……させないっ!』
     凪流はその瞬間、何も考えることなく反射的に身を投げ出していた。
    『っ!』
     痛い――!
     だが、すぐさま同時に滑り込んでいた天嶺の集気法が傷を癒す。
    『あ、ありがとう……』
    『よくやった』
     不遜に聞こえる物言いは不器用さの裏返しだ。
    『ゆくでござるよ、土筆袴』
     両手で複雑な印を組む忍尽――発動する除霊結界。従順で勇敢な彼の忍犬はその双眸に浄化の輝きを癒して、凪流を守るように威嚇の姿勢をとった。

    ●黒、黒、黒
     ガリッ、ガリリッ……。
     男が逃げ込んだ際、とっさにかけたのだろうテラスの鍵。獣は遮断するガラス窓を破ろうと、爪で引っかいたり体当たりを繰り返す。
     昭子が鬼化した腕を振るう度、ちりん、と微かな鈴の音がこぼれた。犬たちのかき立てる獰猛な爪音と咆哮に比べて涼やかなそれ――。
    「こんな風に歪められてしまうなんて……」
    「人の友と呼ぶのもそれを害獣と呼ぶまでにするのもまた、人間……ということでござるか」
     忍尽は仲間の背後から絶え間なく導眠符を飛ばす。
     数が減るまで、一斉攻撃に出るのは辛そうだ。
    「皆の恐怖心が生んでしまったのね」
     頷く凪流。
     サウンドシャッターで区切られた空間に流れる流星はエアシューズの軌跡が描く蹴撃だ。
    (「ひとりじゃない」)
     大丈夫、と前を向いて血で汚れた指先を横に払う。展開されるソーサルガーダー。薄暗い屋内を照らす光の盾だ。
     だが、獣はそれごと食い破るかのごとく牙を剥く。
     その体表に霜が降りた――凍れる嵐が吹きすさぶ。
    「寒いかい? ……そのまま眠ってしまえば楽になれるよ」
     囁くようなセイヴィーアの微笑み。
     現代の日本には似つかわしくない重厚な礼服こそ、彼本来の出自を表わしているのだろうか――……。
     ギャォン、と苦痛に喘ぎながら1匹目の獣がくずおれた。その身が受けていた氷霜や原罪の刻印――海飛がぶつけまくったカオスペインによるものだ――も同時に消滅する。
     前後して窓ガラスを突き破った三匹目の獣が室内に飛び込んできた。
    「ひっ」
     男が身を縮こまらせる気配。
    「させないっ!」
    「すっこんでろこの都市伝説ワン公め!!」
     海飛と凪流、名前にも何となく共通点を感じる二人は他の仲間を庇うように、あるいは敵の注意を自らに引き付けるように獣の眼前に飛び出した。
     ザンッ!!
     黒い爪による一閃。
     最後方より怒りの光条で応戦していた遠野は、瞬時に縛霊手を展開して援護に回る。
    「……さ、助けてあげるよ」
     だって、ヒーローだから。
     浮かべる笑顔には余裕を満たして、獰猛な獣の姿すら「そういうものだ」と割り切っている。長い髪を撫でる清めの風が血臭ごと綺麗に吹き消した。
    「私たちって無力かもね」
     と、独り言のような呟き。
     剣戟と獣の嘶きに混ざる独白だ。
    「敵は倒せても、それだけだもん」
    「あー……? 倒せりゃそれでいいんじゃねえのか?」
     めんどくさそうに剣一は眼鏡の位置を直した。もう片方の手で解き放つ、紅蓮のレーヴァテインが獣を呑みこんで爆ぜた。
    「多少デカくても犬程度で俺らの相手になるかっつーんだ」
     当たり前のように言い放つ剣一に、遠野は「そうだね」とやはり当たり前のように頷いた。ヒーローはこうでなければならない!
    「……さ、助けてあげるよ」
     炎が収まる前に跳び込んだ遠野の振り回す槍が、旋風と化して獣を追い詰める。
    「そこだ!!」
     すかさず回り込んだ海飛がすくい上げ、壁に叩き付けたところへ天嶺は殲術執刀法によって見定めた箇所――肩の関節に刃を差し込み、音もなく切り裂いた。
    「次だ」
     それは、「お前で最後だ」という意味でもある。
     対峙する獣の戦意は失われない。
     忍尽が狭い室内などわけもなく、縦横無尽に飛び回る忍の末裔であるならば。それは獣の本性の全てをことごとく強化されて引き出された恐怖の象徴。
     これが獣の意志であったなら。
     この場を守るための忠心であればまだ救われる。
    「悪夢」
     ぽつり、と遠野がこぼした。
    「都市伝説なんてさ、誰が望んだわけでもないんだ。それは隙間みたいなもの。皆の心に浮かんだ、魔が差した結果の産物……」
    「……業、でござるな」
     忍尽が僅かに顎を引いて肯んずる。
     一匹、残された獣は寂しさも怒りもなく、本能のままに牙を剥いた。掠められた剣一の腕から血が迸る。
    「お返しってやつだな」
     懐に踏み込んでロッドを振るった。
     漲る魔力は解放の時を歓喜するかのごとく、圧倒的な力を放出する――!!
    「一気に決めちまおうぜ」
    「……」
     こくり。
     僅かな動作と鈴の音が肯定の意。昭子が両手で掴むロッドにもまた、魔力が満ちている。ぼんやりとした眼を持つ少女はけれど、攻撃手。成すべきことを違えることなく、己の役目を全うするためにこそそれを振るった。
     ビリビリと、雷に似た魔力の顕現。
     横殴りにされた獣が悲鳴をあげて床の上を転げた。
     いま、とセイヴィーアは眼前にリングスラッシャーを展開。ひとつ命令のように呟くだけでそれは七つに分裂。四方八方から獣を取り囲み、激しい攻撃を加える。
    「もう、あと少し……」
     あと少しで楽になれるよ、とセイヴィーアの唇が動いた。
     グルルルゥ――!!
    「っ!」
     宙を駆ける、凪流のスターゲイザー。
     流星の輝きが獣の眼を灼いた刹那、海飛はその体を投げ飛ばしていた。
    「悪いな!」
     噂から生まれた都市伝説と言えども、元が普通の犬であったことを思えば心が傷まぬはずもなく――着地地点には昭子がいた。鬼神化した鬼の手が、獣の肉を引き裂き、そして、塵に帰す。

    「大丈夫でしたか!」
    「あ、ああ……」
     真っ先に業者の元へと駆け寄った凪流は、彼が無事であることにほっと胸を撫で下ろした。そして罪悪感に満たされる。
     助けられなかった人も、いる……。
    「……ごめんなさい、もうひとりの方は……」
     言いかけた凪流を天嶺が制した。
     全ては悪い夢だ。
     そう、ゆめ……。
    「気を付けて帰れ。アンタが見たのはきっと、白昼夢だ。気にするな」
    「し、しかし」
    「世の中、立ち入ってはいけない領域というのもあるんだよ」
     悲しげに目を伏せて、セイヴィーアは言い聞かせるように言った。しかし、と食い下がる彼を遠野は腕を引っ張るようにして外へと連れ出す。
    「夢だよ。悪夢だった」
    「…………」
    「いつか、そう思える日が来るよ」
    「……ああ……」
     男はうなだれて、しばらくの間顔をあげなかった。
    「おひとりで帰れますか?」
     昭子の言葉に、彼は長い時間をかけて頷く。
    「んじゃ、おさらばだな!!」
    「ひっ!」
     餞別代わりに海飛が王者の風を発動するものだから、男は最後の最後でもう一度耐え難い恐怖を味わうはめになった。這うようにして逃げて行ったその姿を見送ってから、沈黙する廃屋に祈りと黙祷を捧げる。
     帰り路に、遠野はぽつりとこぼした。
    「本当に救えてるのかなあ」
    「ん?」
    「……なんでもない」
     撤収撤収、と前をゆく剣一に飄々と笑って、ヒーローは戦場を後にする。
    「……拙者達は、命尽きる時まで共にあるでござるよ」
     忍尽は遅れず斜め後ろをついてくる土筆袴に視線を投げかける――労いのそれ。おん! と彼は吠えた。尾をゆっくりと振って、まるでその意味を理解しているかのように。

    作者:麻人 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年5月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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