消えゆく絆、蘇る悲しみ

    作者:霧柄頼道

     ただいま、と陽司が言って玄関を上がると、キッチンで料理をしていた妻の明日美が半身だけ振り返り、明るい声を返してくる。
    「おかえりなさい。今日もお仕事お疲れ様。すぐ晩ご飯にする?」
    「ああ、少し休んだらそっちに行くから」
     笑顔で言って、服を着替えるために自室へ戻る。
     明日美はいい妻だ。何事にもよく気がつくし、何よりとても快活だ。
     けれど、明日美は再婚相手でもある。一人目のパートナーだった初子は三年前に交通事故で死んでしまった。今でも思い出し、涙に暮れる。
     それでも今の自分には明日美がいる。これからも彼女のために生きよう。そう決意を新たにし、陽司はリビングへ向かった。
     その夜、床につく陽司の枕元に奇妙な宇宙服姿の少年が現れ、こうささやいた。
    「君の絆を僕にちょうだいね」

     翌日、陽司が朝食を取って玄関へ向かうと、いつものように明日美が見送りに来た。
    「あなた、今日の夕食に何かリクエストはある?」
    「ああ、初……こ……?」
     思わず前の妻の名前を呼びかけ、寸前で飲み込む。
     おかしい。どうも今朝、起きてから初子の顔ばかりが頭に浮かぶ。明日美と顔を合わせるまで、ずっと家の中には初子がいるのだと思っていたほどだ。
    「な、何でもいい……いや、今日はいらない。外で食べてくる」
    「え? そんな、どうして……」
     怪訝そうに首を傾げる明日美の顔が見られない。目を逸らし、よそよそしく玄関を出る。
     仕事中も脳裏に初子の姿がちらつき、何も手につかない。とっくに心の中で整理をつけたのに、今になってどうして。
     仕事が終わっても家へ帰ろうとは思えなかった。自分が会いたいのは初子なのだ。
     あんな、知らない女じゃない。そんな考えすら湧き出て、いっそう混迷は深まっていく。
     まるで三年前に戻ったかのように、陽司は今日も、初子との思い出の場所の公園で一人、佇む。そこにいれば彼女に会えるのではないかとでもいうように。
     
    「強力なダークネス、絆のベヘリタスが動き出すぜ」
     神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)が集まって来た灼滅者達へ、シャドウの出現を知らせる。
    「絆のベヘリタスと関係が深いと思われる謎の人物が、一般人から絆を奪い、ベヘリタスの卵を産み付けてやがるんだ。放っておけばこの卵はやがて孵化して、手のつけられないダークネスとして猛威を振るい始めるだろう」
     そうなる前に灼滅する他ないが、ベヘリタスは灼滅者数人が束になってもかなわない程強く、正攻法では勝ち目がない、とヤマトは言う。
    「だが付け入る隙はある。ベヘリタスの卵は宿主ともっとも強い絆を持つ相手以外の絆を栄養として成長する。つまり宿主となった人間と絆を結んだ相手へは攻撃力が下がり、受けるダメージは増加するんだ。だから宿主と交流を持って絆を作り、孵化した直後の弱体化したベヘリタスを倒す。これが一連の流れになる」
     友情でも憎悪でも、たしかな感情として宿主に印象づけられれば、それは絆となる。その思いが強ければ強いほど、戦闘時の効果は高まるのだ。
    「宿主の名前は陽司。三年前に妻の初子を失い、再婚した明日美と二人で暮らしている。普段は仕事終わりにすぐさま帰宅する愛妻家なんだが、絆を奪われてからはできるだけ家に帰るのを遅らせ、あちらこちらふらついているみたいだな」
     支えとなっていた明日美との絆をなくし、愛する者を失った悲しみを埋める方法も分からずに街をさまよっているのだろう。
     陽司の頭の上には黒紫色のベヘリタスの卵があるが、これは宿主を含めた一般人の目には映らず、灼滅者には見えても孵化するまで手を出す事ができない。
    「接触できる機会があるのはちょうど卵が孵る当日。その日は休日で、陽司は朝から一人で出かけて喫茶店で軽い昼食を取り、書店で気を紛らわし、レンタルビデオ屋でめぼしい映画を確認した後、夕方頃、初子に告白した思い出の場所である丘の上の公園で立ち尽くしている。ベヘリタスが孵化するのはこの時だから、それまでの約半日間が絆を作るチャンスになるぜ」
     公園は広く見晴らしが良い。一般人もそれなりに残っているため、人払いは済ませておいた方がいいだろう。
    「生まれてくるベヘリタスはボンネットにばかでかい仮面を張り付けた軽自動車の姿をしてやがる。シャドウハンターとエクソシストのサイキックを使いこなすぜ。状況によってポジションも変更してくるから注意してくれ」
     そして、ベヘリタスは孵化してから十分が経過するとソウルボードを通って逃亡してしまう。そうなればもはや灼滅は不可能なので、時間制限にも気を使う必要がある。
    「ベヘリタスを倒せば陽司の絆は戻るが、明日美への罪悪感や後悔で関係にも距離ができちまってるかもしれねぇ。無事に片付いたなら、できればフォローしてやって欲しい。相手から憎まれてるとか、結んだ絆によってはそれも難しいかも知れねぇが……頼んだぜ!」


    参加者
    狗神・伏姫(GAU-8【アヴェンジャー】・d03782)
    居木・久良(ロケットハート・d18214)
    七篠・零(旅人・d23315)
    莫原・想々(幽遠おにごっこ・d23600)
    ディートリッヒ・オステンゴート(狂焔の戦場信仰・d26431)
    ルナ・リード(朧月の眠り姫・d30075)
    遠波・瑠璃花(夢のあとに・d32366)
    琴祇・ミケ(はちみつレモン・d34170)

    ■リプレイ


     明日美に黙って家を出た陽司の表情は曇り、死んだ妻の影を追うように歩き出す。
     と、そこにどこからか飛んできたボールが当たり、陽司は驚いて立ち止まった。
    「ごめんなさいですー! 大丈夫です!?」
     駆け寄って来た遠波・瑠璃花(夢のあとに・d32366)が申し訳なさそうに陽司を見上げ、ぺこぺこと頭を下げる。
    「あ、ああ……俺は大丈夫だけど」
    「許してくれるですか?」
    「……この辺りは車も多いから、ボール遊びには気をつけてね」
     すると、瑠璃花はぱぁっと笑顔を見せ、それからふと陽司を見つめた。
    「おにーさん、元気ないです?」
    「え……?」
    「えへへ、るりもお爺ちゃん死んじゃった時そんな顔してたかも」
    「……それは」
    「でも、きっと笑顔の方が喜んでくれるから。ね、いー!」
     瑠璃花は無邪気に笑いながら精一杯背伸びをしたかと思うと、人差し指を陽司の口の端へ突っ込み、両側へ引っ張って無理矢理笑顔へ変えてみせる。
    「作り笑いでも、笑ってる内に本物になっちゃうですよ」
     そして瑠璃花はボールを拾い上げ、手を振りながらぱたぱたと走り去っていく。
    「またね!」
     陽司は何も答えられず、ただ遠くを見るように歪んだ笑顔を作り続ける。
    「私もおじいちゃん死んじゃって家族居ないから陽司さんの気持ち、ちょっとだけ分かる……かも」
     瑠璃花は陽司の浮かべていた複雑な表情と、その頭上にあった禍々しい卵を思い、絆を取り戻そうと意志を強めるのだった。

     喫茶店に足を踏み入れた陽司は迷うふうもなくカウンター席へ歩く。
    「ごめんなさい、ここ、よろしいでしょうか?」
     そこに声がかかった。陽司が振り向くと、莫原・想々(幽遠おにごっこ・d23600)が遠慮がちな笑みを浮かべて隣の席を示している。
    「……どうぞ」
    「ありがとうございます。恋人と待ち合わせているんですけど、中々来なくて……良かったらそれまで少し、お話に付き合ってくれませんか?」
     ラブフェロモンの効果かあっさりと頷いた陽司の反対側で、今度は別の声がした。
    「ご飯おいしそうだな……」
     見ると琴祇・ミケ(はちみつレモン・d34170)が、陽司の頼んだ食事を間近で眺めている。
     店の客だろうが、どうやら自分の食事が待ちきれなくてそのあたりを立ち歩いていたらしい。
    「退屈だから一緒に話をしてもいいか?」
     子供らしくマイペースに、二人の返事も聞かず椅子へ乗っかるように座っている。
    「ことぎ、ワッフル好きだ。お兄さん何が好き?」
    「いや、俺は好物とかなくてね……妻の初子、いや明日美がここを気に入っていて……」
    「おっ、おお! このアイス美味しそうだぞ!」
     陽司の意識を逸らすようにミケがメニューを指差して叫び、想々へ話しかける。
    「隣のお姉さんは何が好きか?」
    「はい、和菓子が好きでこのお店に……。でも今日が初デートだから、緊張してて……とても大事にしてくれるんですけど、私でいいのかな……」
    「力を抜いて、自然体でいるといいんじゃないかな」
     自信なさげに笑う想々へ、陽司は真剣に耳を傾けている様子だ。
     ミケも一緒になって話に加わり、三人は和やかな雰囲気で笑い合う。
     そうして食事を食べ終わる頃、携帯を確認した想々が立ち上がる。
    「そろそろ時間なので、私はこれで……。貴方がこんなに優しいなら、きっと恋人さんも幸せですね。あ……奥さんかな」
    「え……」
    「……必ず取り戻します、絶対」
     立ち去り際、ぽつりと呟く。
     敵はまた、ベヘリタス。絆を奪う行為が、どうしても想々には許せない。だからこれは自らに課した決意でもあった。
    「ことぎももうお腹いっぱいだぞ! お話、楽しかった!」
     陽司を残し、ミケも店を出て行く。
     二人はこのまま公園へ合流、来る戦いに備えて準備をする手はずだった。


    「すみません、ちょっといいですか?」
     喫茶店を出て少し歩いた陽司へ、ディートリッヒ・オステンゴート(狂焔の戦場信仰・d26431)が困ったように話しかける。
    「この近くに書店があると聞いて来たのですが、途中で道に迷ってしまいまして……」
    「それは……大変だね。俺も行き先はそこだし、案内しようか?」
    「いいんですか? ありがとうございます」
     陽司はディートリッヒを伴い、歩き慣れた道を進んでいく。
    「本当に助かりました。この街で両親が偶然出会ったらしいんですが、なにぶん日本にはまだ不慣れなもので……」
    「そうなのかい……」
    「日本の漫画にも興味がありますし。良かったらお勧めの漫画も教えてくれませんか?」
     そんなふうに道中、二人が他愛のない会話をしていた矢先、反対側の道からルナ・リード(朧月の眠り姫・d30075)が早足で歩いて来る。
    「うわっ」
     通り過ぎるかと思いきや、どんと肩をぶつけて来たではないか。
    「ちょっと、何なの? セクハラ?」
     陽司が立ちすくむと、ルナも同じように足を止めて睨み付けてくる。
    「いや、君が急に飛び出してくるから……」
    「はぁ? 何……この変態オヤジ。貴方がふらふら歩いているととても不愉快だわ。あぁ気持ち悪い、今すぐこの場所から消えて」
     ルナはさも気分が悪そうに頭を振ってこれでもかと罵倒し、陽司を責めた。
    「不注意でぶつかったのはそちらのように見えましたが?」
     と、助け船を出すようにディートリッヒが前へ出る。
    「……何よ、私、何か間違った事言ってる?」
    「いくらなんでも言い過ぎだと思います」
    「五月蝿いわね、女の子によって集って。有り得ない……」
     最後に蔑むような一瞥を二人へ投げかけ、足取りも荒くルナは歩き去っていく。
    (「申し訳ないのですけれど、これでよろしいのですよね……」)
     陽司からのルナへの印象は最悪だろうが、とかく人は優しくされたことよりも、酷くされた事を覚えているもの。
     これも手段の一つであり、結べた絆は強いものと思いたい。
    「助かったよ」
    「俺も助けてもらっているのでお互い様です」
     そうこうしている内に書店へもたどり着き、入り口の前でディートリッヒは向き直る。
    「無事到着できたようですし、貴方の親切は忘れません。このご恩は必ず返します」
    「むしろ助けられたのはこっちだよ」
     すっかり打ち解けたように、改めて礼を述べ合ったのだった。

    「あ、わわわっ」
     陽司が書店を訪れた直後、横を通り抜けようとした狗神・伏姫(GAU-8【アヴェンジャー】・d03782)が体当たり気味に陽司へ激突し、陳列されていた本の山を盛大に崩してしまう。
    「ご、ごめんなさい! ああ、いけない、本もこんなに……!」
     いかにもな気弱な文学少女を装った伏姫は顔を情けなく歪め、かがみ込んで本を戻そうとするが、手先が震えて積み上げる側から落としていく始末。
     硬直していた陽司も、その要領の悪さに同情が芽生えて来たのか中腰になって声をかける。
    「大丈夫かい、君……?」
    「あ、すみません、私、おっちょこちょいで……!」
     とにかく、陽司の助けもあり本はどうにか積み直す事ができた。伏姫は恥ずかしそうにその場を離れていくが、今度は学生証を取り落としてしまう。
    「ちょっと待って、何か落としたよ……!」
     陽司はそれを拾い、半分中腰のまま急いで追いかける。
    「あ、私の学生証! ありがとうございま……!」
     ごちん。
     学生証を受け取り、礼を言うつもりで頭を下げた伏姫の額が陽司の脳天へ直撃。
    「ごふっ」
    「ご、ごめんなさい! ありがとうございます! って、ああ、どっちを言えば……!」
     物理的な意味で衝撃的な出会いを果たした陽司は、伏姫のドジさを治す方法について相談を持ちかけられ、ほとんど本に目を通す暇もなく頭をひねる羽目になったのだった。


    「あ、その映画」
     やって来たレンタルビデオ屋で不意に声をかけられ、陽司が振り向くと、そこには居木・久良(ロケットハート・d18214)と七篠・零(旅人・d23315)が興味しんしんといった表情で立っていた。
    「……知っているのかい?」
     陽司が怪訝そうに尋ねると、久良が答える。
    「原作小説がミリオンセラーの映画ですよね。俺、探してたんです」
    「好きな作品なんですか?」
     零が聞くと、陽司は頷く。
    「まぁ、ね。俺は陽司っていうんだけど……君達は?」
    「あ、俺、七篠零っていいます」
    「居木久良です。映画が好きで俺達、よく入り浸ってるんですよ」
    「でも俺、タイトルは聞いた事あるけど内容は知らないんですよね。どんな話なんですか?」
     零の質問に、陽司はパッケージを眺めながらゆっくりと話し始める。
    「……よくある悲恋ものだよ。男女が出会って、仲良くなって、結婚して。すぐに奥さんが死んでしまって、残された男も後を追って死んでしまう……ありきたりの話だけど、すごく演出が良いんだ」
    「……俺も家族が事故で死んでいるせいかたまに悲しい映画が見たくなる事、あるんですよね。けど希望は残ってる感じで、映画の最後の主人公の笑顔が凄く良くて涙が出そうになったり」
    「陽司さんもやっぱり、思い出とかあって映画を借りたりします? 一緒に見たとか、見たい人がいる、みたいな」
     陽司の瞳に影が差す。
    「いた、んだと思う……。でもなぜか、今まではその人の事をすっかり忘れていたんだ。……だからかな、最近はこういう内容の映画にばかり惹かれるんだ」
    「もしかして俺みたいに、近しい人が誰か亡くなって……?」
    「交通事故だった。妻なんだけどね。……昨日の事のように思い出してしまうんだ」
    「あの……なんか済みません。無理しなくていいですよ」
    「引き留めてごめんなさい。なんか悲しそうな顔をしてたから……」
     いや、と疲れたような笑みを浮かべる陽司に、久良と零はそれぞれ謝る。
    「それ、借りていっても良いですか?」
     零の頼みに構わないよ、と陽司は手渡し、その場を後にする。
    「大事な人、大切な絆……それがあるから辛い事もあるだろうし、それがあるから生きていける事もあるよね」
     久良だって家族を亡くしている。辛かったのはそれが大事な人だから。
    「今いる友達や仲間のおかげで俺は笑ってられるし、みんなの笑顔を守りたいって思う。……だから、陽司さんの絆を絶対に取り戻す」
     久良の言葉に、零も頷きを返す。
     一時的に奪われた事を気に病むのは、それだけ相手を大事に思っている証拠。
     永遠に喪われたのでなければやり直せる筈、と手の中のビデオを握る。
     無事終わったら、帰って見てみよう。そう思った。


     夕焼けの差し込む公園に集まった灼滅者達は、手分けして人払いを済ませて身を隠す。
     最後にミケがアラームの時間を八分に設定したところで、陽司がやって来た。
     街を見下ろし、何か人の名前を小さく呟く陽司。
     そして次の瞬間、頭上にあった卵が膨張したかと思うと、破壊的エンジン音を上げながらベヘリタスが姿を現したのである。
     すかさず零と瑠璃花が飛び出しながら殺界形成とサウンドシャッターを展開。
    「陽司さん、ここから離れて下さい!」
     ベヘリタスとの間へ割り込みながら叫ぶ想々へ、陽司の呆然とした目が向けられる。
    「早く逃げよ! ここでお主が死んで初子が浮かばれるものか!」
     さらに伏姫もかばうように仁王立ちし、陽司を説得する。
     刹那、陽司は目元を歪めたものの、公園の出口へ走っていく。
     その後を追うかのように敵が突進してくる。
    「ここは……通しませんよ」
     ファルケの突撃が敵の横腹を穿って進路を変え、ディートリッヒが味方の守りを固めた。
    「オレが相手だ、ベヘリタス!」
     勢いよく突っ込んだ久良が、ロケットスマッシュを真正面から叩き込んで車体を砕く。
    「絆はとても大切なもの……絶対に取り戻さなければならないのです」
     瞳を紅に染めたルナが次々とマジックミサイルを撃ち込み、敵を穴だらけにしながら追い込む。
    「私だって、何も分からない子供じゃない……思い出も今ある愛も、生きる上でかけがえない物なの」
     このまま奪わせてなるものかと、想々が怪奇煙を立ち昇らせる。その髪は土茶、目は赤く変色を遂げていた。
     続いて伏姫が無数の拳撃で殴りかかり、敵が後退した時は八房のばらまいた銭弾が追撃する。
    「逃がさないぜ!」
    「絆を返して下さいです!」
     零、瑠璃花が集中攻撃を浴びせ、ミケが回復をしながら味方の被害を減らす。
     勝てる。二分ほどの交戦を経て、灼滅者達はベヘリタスの灼滅を決心する。
    「爆ぜて、消え失せて、彼と彼女に全部返せ」
     冷淡に告げた想々が、蝋燭から咲き誇る赤い花を放出する。
     駆け回る敵に体力をすり減らしながらも追いついたルナが、「生存厳禁」と書かれた交通標識を振り下ろす。
     ベヘリタスの車体は裂け、爆発音をとどろかせながら無へと帰っていく。
    「お疲れ様でした」
     ルナがドレスをつまんで優雅にお辞儀をし、それが勝利の合図。
    「ベヘリタス……絆を結ばずに挑んだらどれほどの強敵だったのでしょうか。むしろ、そちらにこそ興味があったのですが……弱体化させないとなんですよね」
     残念です、と苦笑するディートリッヒ。
     時間は残り、三分だった。

     戦いを終えた灼滅者達は、離れた場所で待っていた陽司の所へやって来ていた。
    「大切な事なのに俺は……ずっと忘れていた。もう初子にも明日美にも、合わせる顔がない……」
    「大切な人の喪失感はけして他人には理解出来まい。それでも、陽司には支えてくれた今の奥方がおる。忘れろとは言わぬ。だが今の主の側に誰がいる。今一度自身の心を見つめるのだな」
     うなだれている陽司へ諭すように、伏姫達が言葉をかけた。
    「今近くにいる人を大事にしたいよね。その人のおかげで笑えたりするから。もちろん大事だった人のことを思い出してあげるのもいい事だけどね」
     悲しい時は悲しめばいい。でも最後には笑っていたい。大事な人もその方が喜んでくれる、と久良は笑いかける。
    「多分、無理に忘れなくていいんです。それまでの幸せも、今ある幸せも、同じ位に大切なら、大丈夫だから、「ただいま」を言ってあげて下さい」
     言いながら想々は心中で独白した。
    (「……あの人は、私の事まだちゃんと、覚えとってくれとるよね」)
    「ただいま、か……」
     顔を上げる陽司に、零が頷きかける。
    「大切な事を思い出せたなら、帰ってあげて下さいね」
    「いきてるから、ケンカできるんだよ。嬉しいも楽しいもツラいも悲しいも、一緒に分かち合えるんだよ。だから、帰るですよ。明日美さんが待ってる家に」
     懸命に気持ちを込め、瑠璃花が言葉を紡ぐ。
    「きっとね、陽司さんが初子さんを好きな事も、うじうじ悩んじゃう所も、ぜんぶ全部ひっくるめて、明日美さん、陽司さんが好きなんだと思うです。だから……、バイバイ! です」
    「ああ……俺の家は、あそこしかないから」
    「奥さんのご飯、いっぱい食べるんだぞ!」
    「君達も、助けてくれてありがとう」
     ミケの励ましを受け、歩き出す陽司。手を振り続けて見送る瑠璃花の頬には、気づけば一筋の涙が伝っていた。

    作者:霧柄頼道 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年5月19日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 3
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