蒼い獣は孤独を貪る

    ●ハノンの悪夢
    「ううん……」
     ハノンは、今夜何十回目かの寝返りを打った。
     何故だろう、今夜は奇妙なまでに寝苦しい。
     その浅い不快な眠りに、悪夢が忍び寄ってくる……。

     悪夢の中で、奇怪な兜を被ったダークネスが、ハノンに呼びかける。
     いや、呼びかけているのはハノンではない。
     彼女の心の底にある闇。
     ダークネスという闇に呼びかけているのだ。

    『汝、ダークネスとして生まれながら、灼滅者という罪により意識の深層に閉じ込められ、同胞たるダークネスを灼滅する者よ。
     ハノン・ミラーという殻に閉じ込められ、孵る事なき、雛鳥よ。
     我、オルフェウス・ザ・スペードの名において、汝の罪に贖罪を与えよう。
     我が声を聞き、我が手にすがるならば、灼滅者という罪は贖罪され、汝は殻を破り、生まれ出づるであろう』

     ハノンは、自らの魂の奥底で、闇の小部屋がうごめくのを感じた。
     この小部屋が開けば、もはや人間の意識を保つことはできないだろう。
     コツ、コツ……。
     小部屋の在処を探り当てたオルフェウスは、そのドアをノックする。

    「えっ、待って、やめて、わたし都市伝説専門だから。同胞のダークネスの灼滅なんて……うわ、全然聞いてないっしょ!」
     無口なハノンであるが、悪夢の中、必死でオルフェウスに抗弁し、闇の小部屋が開かれるのを阻止しようとする。
     しかしオルフェウスは、容易く少女の意識を退け、執拗にノックし続ける。
     コツコツ、コツコツ、コツコツ……。

     そしてついに。

     ミシリ。

     堅く閉ざされていたドアがわずかに開いた。
     その隙間から、滲み出る暗黒の気配。

    「本当に待って。わたしまだ消えたくない。人間でいたい!」
     悪夢の中、ハノンは必死にドアを抑えつける。
     早く朝よ来い、太陽よ昇れ! それだけを望み、祈る。
     しかし……。

     ギシリ。

     ドアが、内側から強い力で押された。
     出てくる。
     闇の生き物が、出てきてしまう!
    「嘘だ、嫌だ、怖い怖いこわいこわいイヤだ! 死にたくない消えたくない誰か助けてイヤだ! 」

     ドンッ!

     ドアが押し開けられ、ハノンは自らの闇の力にはじき飛ばされ、倒れ込んだ。
    「助けて、誰か! 助けて! みんな、助けて!!」
     少女の叫びに応じる者はない。
     ドアの内側から、何者かがのっそりと這い出ようとしている。
     恐怖に混濁し、闇に飲み込まれていく人間の意識。彼女の自我。
     ハノンの人としての最後の叫びは。

    「……助けて、みんな……助けて、ママーーーっ!」

     小部屋から現れたのは、異形の獣。
     飢えた顎門を持つ、蒼き獣。
     
    ●橋の下で
     夜更けである。
     多摩川のとある橋の下に、意識を失った男性が簀巻きになって転がっている。
     彼を取り囲んでいるのは、ホームレスとおぼしき垢じみた男たちと、ひとりの少女。
     ホームレスと少女は仲間……いや、ホームレス達が少女に平伏している様子からすると、主従関係か。
    「でかした、やればできるじゃん」
     黒づくめの少女は、右側に固まっているホームレスたちに尊大な笑顔を見せた。笑いかけられた右側のグループの男たちは5人。どうやらこの5人が少女の命令に従って、簀巻きの男性を拉致してきたようだ。
     左側にも5人がひとかたまりになっており、こちらのグループは不安げな表情をしている。少女に言いつけられた任務を完遂できなかったらしい。
     右グループのホームレスが、おどおどと。
    「あ、あの、ホントに金目のものは俺たちがもらっていいのかい……あ、ですかい?」
    「ああ、オレっちには必要ないもん、持ってきな」
     見れば男性は既に下着姿で、彼が着ていたらしい高級なスーツや装飾品、財布などは傍らに積まれている。
    「そりゃありがてえ」
     右側のホームレスたちはぺこぺこしながらそれらを拾い上げ、
    「で、この男の始末はどうするんで?」
     不思議そうに少女を見上げた。
     けっ、と少女は嘲笑い、
    「バッカじゃねーの、オレっちの餌にするにきまってるじゃん! はらぺこなんだからさー」
     少女は朗らかに左腕を上げた……彼女は黒いコートを着ているのだが、その左袖は予め千切れて無くなっており、左腕が剥き出しである。
     その左腕が……筋肉が盛り上がり、捻れ、巨大化し……みるみるうちに鋭く蒼い刃となった。
    「ひ、ひいいっ」
     ホームレスたちは少女の異形化に後退る。
    「さーて、いっただきー」
     少女は彼らにとんちゃくせず、哀れな獲物に無造作に左腕の刃を振り下ろした。
     ザクッ!
     血が飛沫き、肉が裂かれ、骨が断たれる。
     少女は獲物から切り取った肉片を、旨そうに口に放り込んだ。
    「ひえええええっ!」
     ホームレスたちは、嬉々として人肉を貪る少女に腰を抜かしてしまった。
     少女は顎を血まみれにしながら、右側のグループを睨み付ける。
    「おい、逃げんじゃねーぞ。オレっちの餌を拉致してこれなかった分、グループん中から1人を代わりに喰うんだからな……さて、誰にしよっかなー?」
     
    ●武蔵坂学園
    「……ううむ」
     集った灼滅者たちは、春祭・典(高校生エクスブレイン・dn0058)が予知した光景のあまりの陰惨さに思わず唸った。
     そんな灼滅者たちを鼓舞するように、典は敢えて大きな声で。
    「幸い、すぐに準備を始めれば、ハノンさんの元にホームレスが集まったタイミングに間に合います。拉致された男性を救うことも可能です」
     
     行方不明になっていたハノン・ミラー(自分勝手な生物兵器・d17118)の居所がわかった。彼女は、夜の就寝前まで普通の生活をしていたのに、朝になるといつのまにか姿を消しており、その後の足取りもつかめていなかったが、闇堕ちしていたらしい。

    「ハノンさんが腕のデモノイド寄生体を変化させているタイミングが、急襲にはいいでしょう。彼女は変化に集中してますし、ホームレスもそれを見て呆然としているので、簀巻きにされている男性を奪取しやすいと思います」
     犠牲者を奪取し、ホームレスたちをハノンから遠ざけたら戦闘と説得開始だ。
    「もちろんハノンさんを救出するのが、一番の目標なんですが」
     典はごくりと唾を飲んで。 
    「ぜひ、拉致された男性とホームレスも救ってください。もし、戦闘中に彼女が本当に人間を食べてしまったりしたら……」
     その先は言わずともわかる。彼女は本物のダークネスと成ってしまうだろう。
    「今回ハノンさんを助けられなければ、完全に闇堕ちしてしまい、もう連れ戻すことはできないでしょう。そうなるくらいなら……説得と救出が無理だと判断したら、どうか迷いなく」
     ……灼滅するしかない。


    参加者
    東雲・凪月(赤より緋い月光蝶・d00566)
    アプリコーゼ・トルテ(三下わんこ純情派・d00684)
    榎本・哲(狂い星・d01221)
    雛本・裕介(早熟の雛・d12706)
    志穂崎・藍(蒼天の瞳・d22880)
    神隠・雪雨(虚往実帰・d23924)
    月夜野・噤(夜空暗唱数え歌・d27644)
    御伽・百々(人造百鬼夜行・d33264)

    ■リプレイ

    ●川闇
    「なんかここんとこ、続々と闇堕ちが出てんじゃねーの。物騒っつーかなんつーか」
     榎本・哲(狂い星・d01221)がヤブ蚊をけだるげに追い払って。
    「でもさ、まぁこういうもんなんだろうな、灼滅者っつーのは。なんつって」
    「うむ、オルフェウスの被害者には、同情を禁じ得ない」
     年にそぐわぬ落ち着いた物腰で頷いたのは雛本・裕介(早熟の雛・d12706)。
     灼滅者の心の在り様、そしてその危うさは他人事ではない。
    「それだけオルフェウスが、灼滅者の弱みにつけこむ嫌なヤツだということだろう?」
     御伽・百々(人造百鬼夜行・d33264)も年齢と見かけによらぬ偉そうな口調で。
    「ヤツの思い通りにはさせん」
     オルフェウスの企みを成就させてやるつもりはない。ヤツの悪夢によって、どれだけの仲間たちが苦しんだことか――そして今現在、まだ苦しんでいる者がいるのだ。
     灼滅者たちの視線の先には、ホームレスに囲まれたひとりの黒づくめの少女。大きな橋の下の暗がりの中にいるのに、彼女だけには橋梁からの光がスポットライトのように当たっている……ように、彼らには見える。
     ハノン・ミラー。
     武蔵坂学園の小学部5年。灼滅者――だったもの。
     いや、まだ灼滅者としての光を、内に抱いているはずのもの。
    「……そろそろじゃね?」
     哲が小声で、丈高い芦の茂みに忍ぶ仲間たちに注意を促した。
     少女の高笑いが聞こえ、その左腕が掲げられた。破れた袖から覗く、細く白い腕……だがその腕は見る間に巨大化し、ねじれ膨れ上がり、蒼く変化していく。
     ホームレスたちの驚愕の声が聞こえる。
     灼滅者たちはスレイヤーカードに触れ。
    「いきます……です!」
     月夜野・噤(夜空暗唱数え歌・d27644)の、緊張に震える声を合図に、一斉に飛び出した。
    「後戻りさせるためにも、1人として殺させるわけにはいかないっす!」
     アプリコーゼ・トルテ(三下わんこ純情派・d00684)が光の奔流の中魔法少女に変身し、そして、
    「こいつは危険っす! 食べられたくなければ急いでここを離れるっす!」
     ハノンの変身に呆然としているホームレスたちに呼びかける。
     そのホームレスたちの間をすりぬけて、一頭の大きな犬……いやニホンオオカミが、ハノンの前に転がっている、簀巻きの男性に駆け寄った。サポート隊の七夕・紅音(斜陽に咆える黒狼・d34540)だ。オオカミは素早く男性を縛っている縄をガブリと牙に引っかけ、灼滅者たちの突然の出現にポカンとしているハノンから引きずり遠ざけようとした……が。
    「あっ、なにすんだお前ら!」
     ハノンはオオカミに気づき、声を上げた。
    「オレっちの獲物を横取りするんじゃねえよ!」
     蒼い刃がオオカミに向けて振り上げられた。

    ●堕ちた少女
     ガキン!
     その刃を縛霊手で受け止めたのは(東雲・凪月(赤より緋い月光蝶・d00566)。
    「迎えにきたよ、ハノン。……今助けるから、な」
     彼はハノンとは既知の間柄ではないが、このタイミングに駆けつけられたことこそが、縁であると信じて戦い、呼びかける。
    「まだ間に合うよ……悪夢から助けてあげなくちゃ、だね」
     続いて追いついた志穂崎・藍(蒼天の瞳・d22880)は、
    「ここは危ないの! 早く逃げなさい!!」
     この期に及んで被害者から剥ぎ取った金目のものをかき集めているホームレスを一喝すると、哲と裕介と息を合わせ、まずは槍の一撃を見舞い、少女を大きく一歩退らせた。

     その間に紅音が遠ざけた簀巻きの男性は、追いついてきたサポートの黒鳥・湖太郎(黒鳥の魔法使い・dn0097)が怪力無双で担ぎ上げて走り出す。
     呆然としているホームレスたちには、
    「今です、逃げてください……いいから、走れ! ……です!」
    「さあ、立ってください!」
     噤と神隠・雪雨(虚往実帰・d23924)が声をかけつつ、橋の下から追いやる。腰が抜けてしまったものは、雪雨が怪力無双を使って助け起こし、サポート隊の彩瑠・さくらえ(望月桜・d02131)紅羽・流希(挑戦者・d10975)片倉・純也(ソウク・d16862)に引き渡した。
     ピーッ、と人混みの外から、防犯ホイッスルで逃げる方向を指示しているのは、倫道・有無(羅生地獄門番ヤヌス・d03721)だ。
     簀巻きを運ぶ湖太郎と、それを護衛するオオカミ、ホームレスたちが現場を離れつつあるのを確認し、百々は、
    「第一話、多摩川の漁師を狐が化かしたはなし……」
     一般人を遠ざけるべく、百物語を語り始めた。

     裕介は一撃を見舞うと川とハノンの位置関係を意識した配置に陣取り、アプリコーゼは瞳の集中力を高めながら、
    「あっしらが助けに来たっす! もう心配することはないっすよ!!」
     ハノンに呼びかける。悪夢の中、彼女は仲間たちに助けを求めていたはず……なのに。
     槍の集中攻撃に一歩退いていたハノンは、ゆらりと顔を上げた。
    「はぁ~? 助けにきたぁ? 今更?」
     口をすねたように尖らせ、皮肉な口調で。
    「今頃何言っちゃってんの? 遅い、遅いよ! 遅すぎる!!」
     蒼い巨腕に白と黒の大きな剣が出現し目映くひらめく。
    「!!」
     剣から発された強烈な光の爆発が、前衛に襲いかかった。
     ホームレスを運んでいた雪雨は、カバーに入ってくれた凪月のビハインド・華月の陰から、ハノンの口調や表情を観察し、彼女の心の在りようを類推する。
    「(彼女が人を喰らおうとするのは何故でしょう? 彼女は夢の中で必死に助けを求めていた……けれど、助けは現れなかった……助けてもらえなかった八つ当たり? もしかしたら……子供らしい甘え? 寂しさ?)」
     噤が前衛に癒しの白炎を送りながら叫ぶ。
    「ハノンちゃん、このままじゃダークネスになっちゃいますよ! そしたらお母さんにも会えなくなっちゃいます!!」
    「はぁ~~、ばっかじゃねーのー?」
     噤の呼びかけに、ハノンはますます唇を歪ませて。
    「お母さんなんてモン、オレっちにはいないんだぜ!」
     声がヒステリックに裏返り、
    「いたこともねーよ、そんなモン!」
     黒いブーツの足が地団駄を踏んで。
    「いたとしたって、助けになんか来るわけない!! ぜってー、来ねえ!」
     叫びながら激高していくハノンの、腕だけではなく、全身が蒼く捻れ膨れ上がっていき……。
    「ママなんか、嫌い! 大っ嫌い!!」
     蒼い半獣がぞろりと牙を剥きだし、少女の声で叫んだ。

    ●闇の叫び
     戦場から一本上流の橋の下では、純也が、簀巻きの男性に持参の服を着せてやっていた。まだ意識は戻らないが、とりあえず命に別状はなさそうだ。
     ホームレスたちも続々と追いついてきて、ぜえぜえと不健康に息を切らせている。
    「全員逃げられたようですよ」
     人数を数えていた流希がホッと息を吐いた。
     湖太郎が、ハノンを知る3人に。
    「この人たちはアタシたちが守るから、ハノンちゃんのとこに行ったげて」
     人型に戻った紅音も簀巻きの男性を介抱しながら頷いた。
     3人も頷き返し、来た道を再び走りだす……救いたい仲間のところへ。

    「オレっちさぁ」
     突然、牙をむきだした半獣ハノンの口調が変わった。へらへらと、まるで嘲弄するような。
    「研究所育ちでさあ、んで、そこで色々ヤベーことあったんだけど、結局母親は迎えに来なかったんだよねぇ。そんで母親を恨んでんのさぁ」
     あっはははは、子供っぽいよなあ、とハノンは他人事のように嘲笑う。
    「(これがハノンを乗っ取ろうとしているダークネスか……)」
     ハノンの人格が沈み、ダークネスがより表に現れてきているのは、獣に変わりかけている姿からも分かる。
    「だーれも助けにきてくれない寂しいハノンちゃんは、人でも食うしかないじゃん!」
     蒼い刃が振り上げられ、橋梁の灯りに毒々しく光る。身構える灼滅者たち……その中で。
    「で、でもっ……!」
     刃を恐れることなく、拳を握って叫ぶ噤。
    「ダークネスになったら、ハノンちゃんの記憶もなくなっちゃいますっ。そしたら、お母さんのこと忘れちゃいますっ。そんなの、あまりにも寂しい……です!」
     振り上げられていた刃が止まった。
     牙を剥き出していた獣の頭が、少女の顔にゆらりと戻る。
    「(ああ、そうか……)」
     灼滅者たちは悟る。
     ハノンの母への憎しみは、恋しさと表裏一体であることを。
    「ハノンちゃん、負けないで……ですっ!」
     噤が涙ぐみながら叫び、仲間たちもここぞとばかり口々に。
    「まだ言葉が届いてるよね? 一緒に帰ろうよ!」
    「お前、闇堕ちなんざ望んでなかったんだろ? みすみす引きずられてんじゃねーよ!」
    「ハノンさん、頑張って、今ならまだ助けられますよ!」
    「もうすぐ楽しい学園祭ですよ! 武蔵坂に帰りましょう」
    「そっすよ、一緒に帰りましょう!」
     仲間たちの呼びかけに、ハノンはゆらゆらと揺らぐ。獣と人間の間を。闇と光の間を……しかし。
    「……ったく」
     発された言葉は、少女のものではなく。
    「邪魔ったらねーよ。アンタらのせいで、ハノン、すげー揺らいでるじゃん、どーしてくれんの」
     吐き捨てるように言った半獣は、みるみる間に……。
    「……!?」
     巨大な蒼いカワウソに変身してしまった。
    「ま、いいさ、別の縄張りで人を喰らうことにしよっと」
     頭部だけに人のカタチを残すカワウソはきしむ声で嘯くと、いきなり走り出した。
    「あっ、川に逃げるぞ!」
    「止めろ!」

    ●蒼き獣
    「おうっ!」
    「逃がさんぞ!」
     カワウソは川へ一直線に向かおうとしたが、灼滅者たちもそのルートは予め意識していた。
     裕介の影が喰らい付き、噤が流星のような跳び蹴りで足を鈍らせる。そこを雪雨が鬼の拳で殴りつけた、その時。
    「ハノン・ミラー、迎えにきたよ!」
     聞こえたのは有無の声。川沿いを駆けてくるのはサポート隊の3人。3人は状況を悟り、川側を堅め、語りかける。
     さくらえが一歩踏み出す。
    「ミラーさん、忘れてないよ。昨年、ワタシを助けに来てくれたよね?」
     さくらえはハノンに闇堕ちから救われた経験がある。
    「望んで堕ちたわけじゃないだろう? 無理矢理堕とされて、消えてしまいたくなんてないだろう?」
     裕介がうむと頷いて。
    「オルフェウスの思惑のままになっていいのか? 悔しくはないのか?」
     哲もへらりとした笑みを浮かべ、
    「だよなぁ、武蔵坂で学生してたんだもんなぁ。悪事極めて人食うことなんて、望んでなかったんだろうに?」
     黒い鎧兜を纏った『怨霊武者』姿の百々も、油断なく槍を構えながら、
    「数多くの都市伝説を倒してきた貴殿には、闇を退ける力があるはず」
     純也がデモノイドへ変身中のハノンに鼻をひくつかせて。
    「うむ、まだ間に合う。其方の業はまだ人の範囲だ」
     間に合ってよかったよ、と、有無が目を細めて蒼い獣を見上げて。
    「ハノンは弱いもの虐め、嫌いだからね。これ以上やらせんよ? 彼女にはまだやりたいこと、やるべきことがあるんだからね」
     皆の言葉にハノンはまた揺らぎだし、カワウソの身体が縮みはじめた。
    「今じゃ、押し戻せ!」
     裕介はパワー差を恐れず懐に飛び込んでロッドを打ち下ろし、藍はオーラを宿した拳を突き上げる。哲は槍傷に杖を押し当てて魔力を流し込み、アプリコーゼは、両手持ちの杖を掲げると魔力を集約させた矢を狙い澄まして撃ち込んだ。
     グアアアアアッ!
     川から押し戻されながら半獣は苦しげに吠えて黒と白の剣を振り回したが、
    「させないよッ!」
     凪月と雪雨が盾となり、攻撃陣を守った。2人には噤が素早く癒しの炎を送り、百々はすかさず鋼の帯を射出して、剣を持つ前足を切り裂く。
     内陸に押し戻された蒼い獣を、灼滅者たちは改めて囲み直す。
     集中攻撃に傷だらけになった半獣は牙を剥き、大きく口を開けて吠える。
     ギシャアアアアアァ!
     そしてその口が大きく上方に裂けていき……。
    「これは……」
     灼滅者たちはその変化に息を飲む。
     蒼い獣はカワウソから怪獣型に変化しようとしている。
     だがこれは、ダークネスが本気になろうとしているしるしだと、事前に聞いている。つまり、敵も相当追い込まれているということで……。
    「ハノンちゃん、どうか力を振り絞って戻ってきて! 学園祭でみんなが待ってる!!」
    「意思を強くもって、ダークネスを追い払うっすよ!」
     藍とアプリコーゼが風の刃を放ちながら叫び、
    「そうだぜ、みんななんだかんだで待ってんだからさ!」 
     哲は変化しつつある大顎にオーラを宿した拳で連打を見舞う。
    「己の心を強く持ち、抗って見せよ!」
     裕介は杖で魔力を叩き込み、
    「人間なんて食べてどうするつもりだったんですか!」
     雪雨は精一杯の情を鬼の拳に込めて。
    「本当に欲しいのはそういうものじゃないでしょう? 帰ってきた方が満足できますよ、きっと……」
    「明けぬ夜など存在しない」
     百々はギターの激しいリズムに合わせるようにシャウトする。
    「共に闇からの夜明けを迎えようではないか!」
     仲間の言葉と攻撃に貫かれるたび、半獣の姿がゆらぎ、縮んでいく。ボロボロの黒いコートを纏った、傷だらけの少女の姿に戻っていく。血がこびりついた灰色の髪が、川風になびく。
    「ハノンさん、負けないで!! あなたの願いや希望は、きっと私達が叶えてみせますから!」
     藍の激励の声が響く中、少女はがくりと膝と手をつき、うつむいて動かなくなった。
    「(やったか!?)」
     灼滅者たちは固唾をのんで、帰還しようとする仲間を見つめる……だが。
    「……あっ!?」
     ふわりと、ハノンの肩に透明な羽が生えた。まるでカゲロウのような、薄くか弱い羽。
    「まさか……」
     羽まで持っていたとは! 灼滅者たちは羽ばたきはじめたガラス細工のようなそれを呆然と見つめる。
    「(飛んで逃げるつもり!?)」
     凪月はぐっと唇を噛んだ。
    「つかみかけた手は、絶対離さないよ……」
     凪月と雪雨は自らの闇堕ちを考えはじめる。堕ちて能力を高めることによって、逃亡をくい止められるのならば……。
     だが。
     くしゃり。
     羽ばたく羽の根本を、持ち主本人の右手が掴んだ。羽はもがき空を目指すが、自分の肩を抱くように回された小さな手は、それを離さない。
     自ら空への逃亡を止めた?
     少女の声が絶叫する。
    「は、早く……早くやっちゃってよ!!」
     ハノンだ。ハノンが逃亡を止めようとしている。内なる闇と戦っている!
    「おう、いくぜ!」
     河原を強く蹴って飛び込んだ哲の槍が、狙い違わず羽を貫いたのを皮切りに、灼滅者たちは一斉にハノンの加勢に出る。
     雪雨と凪月は闇堕ちへの気持ちを振り払い、『鵺の尾』を鋭く伸ばし、高い跳躍からの跳び蹴りを決める。アプリコーゼがロングジャケットをひらめかせて魔法の矢を撃ち込むと、メディックの噤もここが勝負どころと見て、ギターを激しくかき鳴らす。
    「(闇を滅ぼすためのこの身体……同胞を救うために使うもよし!)」
     百々の影が黒々としたトラウマを漂わせながらハノンをすっぽりと包み込むと、トラウマに襲われたか、影の中で身体をよじり恐怖の声を上げたハノンに、
    「堪えろ、人でいたいならば、この機会を逃すな!」
    「貴女の帰る場所は、武蔵坂学園です!」
     裕介が渾身の魔力を込めた杖を打ち付け、藍は雷を宿した拳を力一杯たたき込んだ。
     2人分の火花が、目映く夜の川岸を照らして――。

     光が消えたその後には、ひとりの少女が横たわっていた。
     全身傷だらけで、頬には涙の後があるけれど、その表情は安らかだ。
     真っ先に雪雨が駆け寄ってひざまづき、意識のない少女の頭を自らの膝に乗せた。凪月が心霊手術の準備をしながら、
    「目が覚めたら、帰ったら何がしたいかって、聞きたいな」 
     やはり傷だらけの顔で微笑んだ。
    「その前に」
     噤がホウッと安堵の息を吐き、ハノンの顔を覗きこんだ。
    「まずはおかえりって、声かけてあげたいです」
     そうだね、と仲間たちは頷いて、未だ目覚めぬ少女に語りかける。
    「おかえり」
    「おかえりなさい」
    「おかえり、ハノン……」

    作者:小鳥遊ちどり 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年7月10日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 8/感動した 2/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
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