紅き月の夜に

    作者:長谷部兼光

    ●二人の見た光景
     夏祭りの帰り道。
     頼りのない街灯を目印に少し歩けば、祭りの喧騒はもう、遠くにあった。
    「楽しかったよねぇ。夏祭り」
    「……うん」
     鴻野・紗紀(こうの・さき)の言葉に蔵前・美雪(くらまえ・みゆき)は愛想無く相槌を打った。 
     美雪が自宅の外へ出たのは、およそ一ヶ月ぶりの事だ。
     ある事情からふさぎ込んでいた美雪を、紗紀が無理やり家から引っ張り出してのだ。
     実希は家から出たくないと嫌がったが、ずっと引き篭ってばかりだった彼女を心配した両親も紗紀に加勢し……結果、外に出る羽目になってしまった。
    「みんな笑顔で、にぎやかでさ。まぁ出店で売ってるものが何でも高いのだけは頂けないけど、そこは雰囲気代込みってことで……」
     紗紀がそう話している最中も、美雪はしきりに周囲を見回す。
     皆、祭りに出払っているのか、耳を澄ませば街灯に集る虫たちの羽音が耳に届きそうな程……辺りはしんと静まり返っていた。 
     人気が無いから警戒しているのではない。
     紗紀が夏祭りを興じている最中も、その傍らで美雪はずっとこうだった。
     人ごみでも、人が居なくても、ただ如何し様もなく……外に出るのが怖かった。
    「ねぇ、どうしたの? 調子……悪いの?」
     一月振りくらいに顔を合わせたけど、すごいやつれてるね。
     美雪の顔を覗きそう訊いてきた紗紀は、対照的に、活気漲り元気すぎる位だった。
    「……おかしいのは紗紀ちゃんの方だよ。どうしてそんな……なんとも無いの?」
    「え?」
    「皆だっておかしいよ! あんな事がすぐ近くであったのに、どうして何にも無かった風に夏祭りなんかやってるの!?」
     一月ほど前。
     紗紀と美雪はあるモノに遭遇してしまった。
     ヒトの形をしたヒトではない化物が人を殺す……凄惨な殺人現場。
     二人がそれを目撃したのが偶然なら、そこから生き延びたのも化物の気紛れに過ぎないのだろう。
     美雪がそれを周囲の大人や警察に話しても相手にされず、あれだけ化物何人も殺していたのに、新聞やテレビでは一切触れられない。
     結果美雪は誰も信じられなくなり……家に篭るしかなくなった。
     紗紀だって同じものを見ていたはずだ。
     なのに、何故紗紀は平気なのだろう。
    「ああ。あれね。特に話題にするまでも無いモノなんじゃない? よくあるんでしょ。きっと」
     紗紀は、事も無げにそう言って見せた。
    「すごかったよね。あれ。あんなに簡単に真っ二つになってさ! 血が噴水のように一杯吹き出て! それでもまだしばらくは生きてるの。人体の神秘だよねぇ」
     いや……これは平気とは言い難い。
     どこか……おかしい。
     紗紀が何を言っているのか、美雪には理解できなかった。
    「私もね、ちょっと試してみようって、何度も何度も思ったんだけど、出来なかったの。ああいや。実力的な話じゃなくて、こう……良心的に」
     わからない。
     あの時目に映っていた光景は、本当に同じものだったのだろうか。
    「こう見えて私だって悩んでいたのよ。殺したくないのに殺したい。一月近く煩悶して、でも悩んでばかり居てもしょうがないから気分転換に美雪をお祭りに誘ったんだけどね。お陰で、ようやく判ったの」
     急に、息苦しくなる。
     美雪が己の首に手を当ててみれば、何か細い……糸のようなものが首を締め付けているらしかった。
    「美雪を殺さなければ、私はきっとこのまま誰も殺せない」
     紗紀は笑って、泣いていた。眼が爛々と輝き、人を殺せる喜びに打ち震える……暗い笑み。
     そしてその涙は、何かを後悔しているような、そんな……。
     美雪が今まで一度も見たことが無い、幼馴染の凶顔。
     呼吸が出来ない。美雪はまるで酸素を求める金魚のように、無意識に天を仰ぐ。
      
     ああ。あれは。
     あの時と同じで。
     月が。
     紅く。

    ●六三一
    「ダークネスが人を虐げ、不安を煽り、殺す。よくある話だ。俺たちエクスブレインが予測した奴等の行動が、巨大な氷山の一角でしかない位にはな」
     神崎・ヤマト(高校生エクスブレイン・dn0002)は語る。
     今回の事件の前日談、つまり、紗紀と美雪が見た『凄惨な殺人現場』はエクスブレインの予測には引っかからなかった事件だ。
     予測できなかった事に関して特殊な事情があった訳では無い。
     あえて言うなら、こちらが日々行っている、予測し事前に介入できる余地のあるケースの方が稀なのだ。
     同胞を増やす為、あるときは人を虐げ、またある時は不安を煽り、大した事情も無く人を殺す。
     それらはダークネスにとって特筆すべき点の無い単なる日常に過ぎない。
     そしてその行いはバベルの鎖によって過剰に伝播しない。
     美雪が他人に話して見ても、大事にならないのは道理だ。
    「紗紀と美雪が遭遇したダークネスに関しては考察するだけ無意味だろう。彼女達だって知らないだろうし、今となってはどの種族だったのかもわからない」
     人を殺め、そして去った。判るのはそれだけだ。
     もう何処か遠くへ行ったのかも知れないし、既に灼滅されたダークネスが起こした事件の一つに過ぎないのかもしれない。
    「一人の少女は人外に恐怖し、一人の少女は人外に当てられた。重要なのはそこだ」
     六六六人衆に闇堕ちしかかっている鴻野・紗紀は、まだ辛うじて人の意識が残っている。
     だがそれも幼馴染である蔵前・美雪を手に掛けてしまえば、人の意識も吹き飛んで完全なダークネスとなってしまう。
     美雪の存在が、彼女を人として留めている最後の『良心の欠片』であり、心の内のダークネスにとっては『最大の障害』なのだろう。
     どうあっても、殺させるわけには行かない。
     出来うるのであれば、闇堕ちから救い出してほしいとヤマトは続ける。
    「最速で介入できるタイミングは、紗紀が美雪の首に糸を絡めようとする直前」
     ただし、紗紀は灼滅者が介入しても美雪を執拗に殺めようとする。
     美雪をその場から逃がそうとするのは危険だ。
     なりかけとはいえ相手は六六六人衆。
     人数を割いて戦闘するのも控えたほうが良い。
     紗紀の前に立ちはだかり、美雪を守りながら戦うほうがリスクは遥かに少ないだろう。
    「人を殺したくは無い。夏祭りを楽しんでいたのだって本心だ。だがもう、殺人衝動が抑えきれない。自分自身でも、忌むべき気質だという自覚はあるだろうな」
     だが、一度芽生えてしまった殺意はもう消せない。向き合って抗い続けるしかない。
     紗紀に限った話ではなく、ルーツ『殺人鬼』自体が往々にしてそう言う性質なのだ。
     説得と戦闘を同時にこなす必要がある。
     彼女を正気に戻すためには言葉と戦術、どちらも必要だ。
     説得が功を奏せば彼女の戦闘力を下げる事が出来るだろう。
     ただ、灼滅者となるにせよダークネスとなるにせよ、一度撃破しなければならない。
     戦闘の際、紗紀は鋼糸、殺人鬼と同性質のサイキックを使用し、ポジションはスナイパー。
     ポジション上攻撃の回避は難しいだろう。
    「幼馴染が幼馴染を殺す。誰も望んでいない結末だ。だから……頼んだぞ」


    参加者
    月雲・彩歌(幸運のめがみさま・d02980)
    静闇・炉亞(刻咲世壊・d13842)
    幸宮・新(二律背反のリビングデッド・d17469)
    アレス・クロンヘイム(刹那・d24666)
    逢沢・巡(壊れてる者・d30014)
    夜神・レイジ(熱血系炎の語り部・d30732)
    ロベリア・エカルラート(御伽噺の囚人・d34124)
    土屋・筆一(つくしんぼう・d35020)

    ■リプレイ

    ●守る
     朱の月下。
     紗紀の繰る漆黒の糸は、夜闇に溶ける。
     線が走る。
     美雪は気付かない。
     糸が美雪の白い首に巻き付く……その、直前。
    「させるかっ!」
     闇を掻き分け、突如横合いより現れた異形腕。
     その急襲に紗紀は対応出来ず、自身が攻撃されたと認識したのは、夜神・レイジ(熱血系炎の語り部・d30732)の鬼神変が直撃し、吹き飛んでいる最中だろう。
    「絶対に殺させねえ……! どちらかが悲しむ結果になんてしたくねえ……!」 
     レイジの纏うバトルオーラが炎のように燃え盛る。
     紗紀と美雪の距離が開き、その間隙を詰めるように、灼滅者達が紗紀の眼前へと立ちふさがる。
    「私達から離れないで。絶対に守ります。あなたも、彼女も……紗紀さんは、赤い光景に当てられ自分自身を見失なっただけ。まだ元に戻れます」
     月雲・彩歌(幸運のめがみさま・d02980)が灼滅者の影に隠れるよう美雪に促すと、美雪は震えながらも小さく頷いた。
     幼馴染の豹変。突如の乱入者。
     混乱はしている物の、それでも美雪が彩歌の言葉に従ったのは、少なからず過去の経験が影響しているのかもしれない。
     即ち『ダークネスが引き起こした凄惨な殺人現場』。その記憶。 
     他方、その光景に中てられた紗紀の瞳に宿るのは、暗い狂喜。
    「まも……る?」
     ぼそりと呟き、紗紀は無数の黒死糸を美雪に延ばす。
     しかし、寸前、幸宮・新(二律背反のリビングデッド・d17469)が身を挺し、美雪を守った。
    「悪いけど、僕達の体は頑丈に出来てるんだ。そう簡単には……させないよ」
     目標を違えた黒糸は、それでも新の両腕に絡みつき、骨を断裂せしめんと筋肉にめり込み沈む。
    「君は、どうして化物に中てられちゃったのかな? もしかして、その化物と同じくらいの力があれば化物から美雪さんを守れるって、そう思ったのかな?」
     新はそう問うたが、紗紀は違うと首を振る。
    「そんな風に考えた事なんて一度も無かった。この一月、人を如何やって殺そうかって、それで頭が一杯で……美雪を守るのは、きっとあなた達の役目なんでしょう?」
     新の両腕が血に塗れる。
     見知った光景だ。
     新が人として覚えている一番『最初』の光景が、紗紀にとっては人として見る一番『最期』の光景か。
     止めなければならない。
     同じ光景を繰り返させるわけにはいかない。
     黒糸が緩んだと同時に新は距離を詰め、紗紀を思い切り投げ飛ばした。
     それでも、紗紀の凶眼が美雪から離れる事はない。
    「……考えた事が無いのなら、これから考えていけばいい。その衝動に打ち勝てば、誰かを守る力になるから」
     鏖殺領域……放つどす黒い殺気とは裏腹に、静闇・炉亞(刻咲世壊・d13842)の口調は凪のように穏やかだった。
     紗紀に対する敵意は無い。
     あるとすれば、彼女の体を乗っ取ろうとするダークネスに対してだ。
     友人を殺さなければ、誰も殺せない。友人を殺せば人を殺せる自分になる。
    (「――いいや、それは誰も救われない」)
     紗紀の心中でほくそ笑むダークネスの姿が見て取れるようだ。
    「君が誰を殺しても、僕は何も思わない。けれど、君は美雪さんを殺したら、何を思うの?」
    「ようやく、自由になれたんだって。これで何不自由なく人を沢山……」
     大嘘を。
     ならば、紗紀の頬を伝う涙は、一体何だと言うのだ。
    「大切な人が血を流して死んでしまった姿……それを嫌な光景だと思えるのなら貴女はまだ大丈夫。戦えるんです、自分の中の殺意とは。今は私達が手助けします。だから自分自身と戦っていく未来を選んでください!」
     彩歌が祭霊光で新を癒し、そして紗紀に訴える。
    「出来る訳無い! 貴方達は殺人鬼の手から美雪を守ってくれればそれで良い! 私はもう……人の命を奪う事しか考えられない……!」
     黒糸が周囲を伝い、蠢く。
    「お前、このまま友達殺しちまったら、後で絶対後悔するぜ? お前はそれでいいのか?  己の闇に負けて大切な人を失うような……そんな結末で!」
     紗紀を助けたい。
     レイジの熱の入った説得に、紗紀は声を荒げる。
    「私があの日見た景色は、どんな言葉もかき消してしまうような圧倒的な力があった! 言葉だけなら何とでも言える! 正論を並べるなら、それを押し通せるだけの力を見せてよ! 美雪を守りきる力と、あの日の景色を否定できるだけの力を!」
    『力なき言葉は無力』。それもまた、正論だ。
     だから示さなければならない。
    「俺には殺人衝動なんてもん、理解できねえ。けどな。お前だけじゃねぇ、みんな内なる闇と戦い続けてるんだ。そう、俺だってな……そんなに殺したけりゃ、俺を先に殺してみろ! お前の気が済むまで相手してやるよ!」
     レイジの啖呵に呼応するかのように、黒糸が灼滅者にざわめき迫る。

    ●望み
    「殺人鬼ですか……世の中物騒ですね」
     紗紀を見、逢沢・巡(壊れてる者・d30014)が自傷刀を構え、とぼけたようにそう言った。
     ぽたり、ぽたり、と傷を負い自らの腹部より流れ出る血に頓着せず……むしろそれは興奮材料だった。
     往時では可愛いであろう紗紀の表情も、今は闇に堕ちかけひどい有様だ。
     これは、良くない。
    「その状態だと可愛くないので、早く冷静になって夏祭り行きましょう。そうしましょう。」
     逡巡か回想か。
     巡の言葉に反応し、殺意以外の何かしらの感情が紗紀の指先から糸を伝い、黒糸全体が僅かに……震えた。
    「無理だよ。もう、日常へは……」
     巡は、自分自身があまり説得に長けた気質では無いと言う自覚があった。
     後の説得は皆に託す。
     今やるべきは携えた解体ナイフで紗紀の美雪に対する殺意を遮るように、絶え間なく攻撃する。それのみだ。 
     黒糸は灼滅者達を傷つけながらも美雪を諦めない。
     美雪へと伸びた糸を灼滅者が遮ったのは何度目だったろうか。
    「ストップ、やらせないよ!」
     何があっても美雪を殺めさせる訳にはいかない。
     ロベリア・エカルラート(御伽噺の囚人・d34124)は糸による斬撃を肩代わりしながらも、違和感を覚える。
     糸に巡る紗紀の力が、弱くなっている。
     そんな気がした。
    「安心して、どうにかするからさ!」
     ロベリアは明るく笑いながら、怯える美雪をそう宥めた。
     嘘には絶対しない。
     紗紀が正気を取り戻す余地は、十分にある。
    「聞こえてる? なんでそうなっちゃったのか、何を考えていたのかとか、アタシには分からないけどさ。上手く言えないけど……大切な友達、なんでしょ?」
     真っ当に生きていた人間がダークネスに乗っ取られるなど、見ていて気持ちの良いものではない。
     ロベリアが抱いた嫌悪感は影に伝播し、螺旋を形づくり、紗紀を強く捕縛する。ビハインド 『アルルカン』が霊撃を見舞った。
     それでも紗紀は止まらない。
    「殺したくない。でも止められない。お願い。助けて。私を、殺して。殺してよ。出来るんでしょ? 私が私じゃ無くなる、その前に……!」
     狂笑し、号泣し、喜と哀がない交ぜになった表情で、五指だけが奇怪精妙に動く。
    「その望みは聞けません。誰も殺させないし、人としてのあなたも、壊させません……!」
     土屋・筆一(つくしんぼう・d35020)が前衛に夜霧を纏わせ、癒す。
    「その衝動は、怖いし、苦しいですよね。僕はあなたを助けたい……あの時の僕と、少し似ているから」
     筆一の頭を過ぎったのは、殺人衝動のままに大切な人を殺めそうになった生々しい記憶。
     しかし筆一は踏みとどまり、この場で紗紀と相対している。
    「大事な人を手にかけてしまえば、もう戻ってこれません。あなたと、あなたの望みを、見失わないでください」
     だがまだ……相対していようと、灼滅者とダークネスと言う陰陽の如き交わり難い対極では無いはずだ。
    「判らない……美雪を助けようとするのは判るよ。でも、どうして私まで助けようとするの?」
    「泣いている人間を、放って置く訳には行かない。敢えて言うなら、それだけだ。簡単な理屈だろう」
     紗紀の問いに答えたのはアレス・クロンヘイム(刹那・d24666)。
     賑やかな祭囃子が遠くに聴こえる。
     だが、アレスが戦闘開始時に展開したサウンドシャッターの影響で、こちら側の糸が蠢く音も、滴り落ちる血の音も、紗紀の恐慌も美雪の小さな悲鳴も、向こう側に伝わりはしないだろう。
     それでいい。これは見世物ではない。
    「本当に殺戮しか考えられない化物なら、自らの死を願ったりはしない。今ならまだ間に合う。親友と共に同じ道を歩みたいなら少しの間抗って欲しい。その間に助けよう」
     ただ、少々の荒療治になる、と、アレスは交通標識を赤色に変化させ、ライドキャリバー 『イグニス』が紗紀に照準を合わせる。
     黒糸が闇夜を絡め、火花が散り、光が踊る。
     紅き月だけはただ静かに、事の趨勢を見守った。

    ●声
     人ならざる速度で、紗紀が美雪に迫る。
     鋭い黒糸は直線に、そのまま美雪を貫こうとしたが、彩歌がそれを受け止めた。
     鏡写し、なのかも知れない。
     彼女の有様は、果たして自分の過去か未来か。
     殺人鬼である彩歌には、とても他人事とは思えなかった。
     ……灼滅者達は一つの可能性を考える。
     戦闘開始時より紗紀の力が弱まった事は確かだが、それでもまだ、強い。
     この糸を限界まで弱めるためには、美雪の力も必要なのかもしれない。
     しかし、無駄振りに終わるかもしれない。
     いや……駄目元であったとしても、思いついた全ての手段を講じるべきだ。
    「……美雪さんにとって今の紗紀さんや、僕達は恐怖の対象かもしれません。でも、貴女だけは紗紀さんを拒絶してあげないで。幼なじみの彼女が隠して苦しんでいたものを、感じてあげて」
     炉亞が美雪に事情を伝え、そう語りかける。
     言わばこれは、説得のための説得。
    「一月の間彼女はその記憶に苦しんだ。耐えられたのは貴女の存在があったから……紗紀さんを、まだ友人だと思うのならば。彼女があなたの知る彼女でいる事を望んで、声をかけてあげて!」
     それが彼女を繋ぎとめてくれます、と神霊剣を振るいながら彩歌が炉亞に続く。
    「大丈夫。声を掛けている間は僕達が守るから」
     殺人注射器『鬼ノ爪』を装着し、新が紗紀の射線を遮る。
    「怖がらないで、というのは……難しいですよね。でも鴻野さんも、こんなことは望んでない筈なんです。信じてあげてください。彼女も、戦ってます。勝ちましょう、一緒に」
     傷ついた彩歌を帯で覆い癒し、筆一が諭す。
     ……だが、美雪は唯の一般人。
     灼滅者が期待を寄せようと、この非現実染みた状況で饒舌に口を動かす事など出来はしない。
     
     故に。
    「紗紀……ちゃん」
     豹変した彼女を慮って、唯一言そう絞りだす事で精一杯だった。
     しかしその一言が、彼女の身を案じたたったの一言が、紗紀の精神を大きく揺さぶった。
     これは積み重ねだ。
     灼滅者の紗紀への説得があったからこそ……美雪の説得が功を奏した。
    「何で、何で皆を殺そうとしてる人間の心配をしているの? なんで軽蔑しないの? 怖くないの? どうして私はこうなってしまったの? ああ、ああ! 見ないで、見ないで!」
     殺意への羞恥と後悔か、耐えられないと言った様子で紗紀は狼狽し顔を覆うものの、アレスと新が設置した複数の光源が紗紀を曝し『闇』へ溶け逝く事を許さない。
     光に照らされ、ふと見えた紗紀の瞳からは狂喜の色が薄らいでいた。
    「……こんな結果になったことを、後悔してる? なら、君はまだ戻ってこれる。君としての意思がある。その衝動はもう無くせはしないけど、制御できるものだよ。」
     新の鬼ノ爪。その爪先が彼女に触れると、紗紀を無力化するように彼女の生気を吸い上げる。
    「だから、君も一緒に闘ってほしい……心配しなくても良い。僕達と君と美雪さんと、サーヴァントまで合わせて全部で12対1だ。勝てない道理なんてないよ」
     肯定するようにイグニスは轟音を上げ、アルルカンは月下に舞う。
    「皆がキミを助けたいって、なら、化け物なんかには負けられないじゃん。守りたいなら手伝うからさ」
     ロベリアがマテリアルロッド『ル・トレッフル』を翳すと、一瞬辺りが白い闇に支配される。
    「安心して。少なくともアタシ達は、キミも美雪ちゃんも、まとめて守れる位には強いからさ」
     呼び込んだのは轟雷と、紗紀への幸運。
     彼女達を脅かしたダークネス。
     紗紀を内から乗っ取ろうとするダークネス。
     眩い光はそれらよりも強くあろうとする心の現われだ。
    「紗紀さんの衝動は、僕達が受け止めてあげる。もう気付いているんでしょう? 大切な人の死を以ってしてまで、手に入れるべきモノなんか無い!」
     炉亞が十字架による近接戦闘を仕掛けたその最中、
     生きなきゃならない。
     謝らなきゃならない。
     ……そんな小さな望みが炉亞の耳に届いた。

    ●道標
     頭では判っていても体は止められない。
     心中のダークネスがそうさせているのだろう。
    「諦めが悪いですね。ですが私も……可愛い子に対しては執拗いですよ?」
     巡は説得が失敗したら、即座に紗紀を灼滅するつもりだった。
     最悪は想定しなければならない。
     その際はどう美雪に謝ろうかとも考えていた。
     だが、今その光亡き漆黒の双眸が見据えているものは紗紀の死ではなく……。
     名も無い解体ナイフで、執拗いダークネスを切り裂いてやった。
    「紗紀、お前は強い! 強いから、今もこうやって抗い続けてるんだよな? だったら、もう一押しだ! 待ってろよ……今助けてやる!」
     無意識の内に紗紀がレイジに伸ばした手。
     それは間違いなく、助けを求めるためのもの。
     だが、その指の先の、死を齎すしか能の無い黒糸は邪魔だ。
     全身に巻き付く糸を物ともせず、レイジが真紅のウロボロスブレイド『火龍の呪剣』の刀身を、最大限伸長させる。
    「内なる闇に打ち勝ってみせろ! 紗紀、お前の強さでそんなもん抑え付けて、戻ってきやがれ!」
     そうすれば、きっと。
     火龍の呪剣は龍翔の如き勢いでダークネスに巻きつき、切り裂く。
    「膨れ上がったその殺意を灼いて、滅する……俺達はただ、少しだけ鴻野さんの手伝いをするだけだ」
     静かに燃ゆる炎が実体無き光剣を包み、紗紀の眼前を標の如く照らすのは、アレスの炎剣レーヴァテイン。
     その標の先に立つ、彼女を説得した灼滅者達と、美雪。
    「俺もあまり口が回る方ではないが……そうだな。これだけは言える」
     炎の剣が焼き払ったのは、彼女の狂気と殺意。そして、惨劇の残滓。
    「もう、一人で抱え込む必要は無いんだ」
      
     祭囃子が近くに聴こえる。
     筆一がスケッチブックに鉛筆を走らせる。
     描き出すのは、巡に連れられ、夏祭りに興じる美雪と紗紀の姿。
     屈託の無い二人の笑顔は真白い紙面に良く映えた。
     描(えが)き上げ、その出来に満足すると、筆一はスケッチブックをぱたりと閉じ、
     紅き月夜の惨劇は、漸く終わりを告げた。

    作者:長谷部兼光 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年8月17日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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