因果は……

    作者:長谷部兼光

    ●巡り巡る
     最早襤褸と化した服装を身に纏い、足元もおぼつかず、憔悴しきった様子で、男は港町を彷徨する。
     何かから逃げているのか、男は千鳥足のまましきりに背後を振り向くが、充血した両目が捉えるのは一般人のみ。
     哀れだ、と。
     男を見る常人達の表情は全てそれだった。
     道行く一般人達は異様とも言える男の風体を認めると、僅かばかりの間足を止め、そして一瞥すると何事も無かったように歩を進める。
     哀れだと思う。
     だがそれだけだ。
     何の事情も知らぬ。
     声をかける由も無ければ縁も無い。
     すれ違う人々から一瞬程度の憐憫を次々と投げ掛けられるこの男が、最強の武を求める、狂える武人……アンブレイカルであると誰が推察できよう。

     耐えられない。
     何の力も持たない一般人から同情を受けている事実と、
     今、自分自身が置かれた現実に。
     男……アンブレイカブルは同情の眼差しから隠れるように、裏道からさらに入り組んだ路地裏へ歩を進めると、そこで遂に力尽きたのか、倒れ込む。
     塵だ。
     クッションのように男の体を受け止めたのは、回収し忘れのゴミ袋。
     塵に塗れ、男は慟哭する。
    (「何だ……これは……」) 
     武の頂を目指していたはずだ。
     強敵との死合いを望んでいたはずだ。
     それが全てだったはずだ。
     それ以外には何もいらなかったはずだ。
     こんな芥以下の最期が訪れるなんて考えもしなかった。
     ……嫌だ。
     死にたく、ない。
     ゴミ袋で出来たソファの上から滑り落ちる。
     ばしゃり。
     男の顔が水に浸った。
     窪んだ悪路に出来た水溜り。
     街の端から僅かに漏れ届いた光を受けて、鏡の如く男の今を映し出す。
     ――ああ。これは。
     見知った顔だ。
     強者に遭う途上で、歯牙にもかけず散々屠り去った、名も知らぬ力も持たぬ常人たちが。
     逃れられぬ理不尽な死に直面した時に浮かべる……。
     絶望の、表情。

     男の体が破ける。
     体内から湧きいずるのは然したる力も持たぬ赤黒の羽蟲達。
     たとえ、たとえ『こう』なったとしても、アンブレイカブルとしての意地がある。
     最期の力を振り絞る。
     拳を握り、羽虫を殴る。
     だがもう、鋼鉄の強度を誇ったはず拳には何の威力も無く。
     腕が裂ける。出てきたのは赤黒の羽蟲だ。
     咆哮(こえ)を上げようとした。
     しかし口から次々と這い出る仮面蟲がそれを許さない。
     視界も既に赤黒く。
     眼窩の内のこの感触。
     奥で、蟲達が。

     事切れた男に蟲達が興味を示す筈も無い。
     赤黒の群れは、夜闇に散った。

    ●敵は群体
    「タカト少年が業大老を一蹴し、次はシン・ライリーに会いに行く、と言う予兆が察知されたのは去年末の話ですね。それからおよそ9ヶ月。どうやら何かしらの進展があったようで……」
     最近連続して発生しているベヘリタスの卵が羽化する事件に、シン・ライリーが関わっているのではないかという、伏木・華流(桜花研鑽・d28213)の懸念が的中してしまったようだと、見嘉神・鏡司朗(高校生エクスブレイン・dn0239)は今回の依頼の概要を説明し始める。
    「場所は宮城の気仙沼。港町ですね」
     件のアンブレイカブルは、シン・ライリーの配下であるらしい。
    『誰か』の手によって望まぬ形でソウルボードにベヘリタスの卵を植えつけられ、命からがら逃げ出して来たは良い物の時既に遅く……。
     恐らくは、そんな話であると言う。
     アンブレイカブルのソウルボードより孵化した羽虫型シャドウの総数は30体。
    「一個体の戦闘力は皆さん方よりも少し弱い程度ですが、それが30匹も居るとなると話は別です」
     1分に30回。数を頼りにした攻撃で、こちらの消耗は避けられない。
     恐らく全滅させる事は不可能だろう。
     今回の目的は、『可能な限りシャドウの頭数を減らす事』だ。
     安全に接触出来るタイミングは、彼が路地裏に逃げ込んだ直後からになる。
    「虫型のベヘリタスは、こちらが攻撃を仕掛ける限りそれに応じて反撃して来ますが、貴方がたが撤退行動を取れば向こうも撤退します」
     撤退のタイミングは任意であり、確実に成功する。
     しかし、だからこそ限界直前まで戦闘を継続して羽虫の数を減らして欲しいと鏡司朗は言った。
    「苗床にされた……と言うべきなのでしょうね。かのアンブレイカブルは恐怖と絶望で錯乱しており、説得は『ほぼ』不可能に近いでしょう。ダークネスと灼滅者。元々が対立する宿敵同士、と言う背景も有ります」
     至難だが、何らかの説得が功を奏した場合、アンブレイカブルのソウルボードに進入し、彼を赤黒の悪夢から救い出すことが出来るかもしれない。
    「万一そうなった場合はソウルボード内での戦闘と、そこから蟲達を追い出した後の現実での戦闘、2連戦になります」
     ソウルボード内の蟲達は現実世界より更に弱い。
     但し今回、此方がソウルボード内で負ったダメージは現実に帰還しても引き継ぐ上、逆にシャドウ達は無傷状態でソウルボードから現実に現れる。
    「説得工作自体が至難である上に、それが成功したとしても此方が不利の2連戦。おまけに助かったアンブレイカブルはそのまま逃走してしまうでしょうね」
     また、説得工作の大前提となるのがESP『ソウルアクセス』を有するシャドウハンターの存在。
     どれほど優れた説得を行っても、メンバー内にシャドウハンターが不在ならば、ソウルボードに進入する手段が無い以上空振りに終わる。
    「彼を助けるか助けないか。それを選ぶのも実際に戦地へと赴くあなた方自身です」
     こうむる不利益に対してどれだけの益が得られるのかはわからない。
     徒労に終わる可能性も高い。
     ……戦闘時、羽虫達は全員ジャマーの陣形をとり、シャドウハンター、護符揃えと同性質のサイキックを使用する。
     ただし、列攻撃サイキックは使用しない。
     使用する必要が無いのだ。
     30匹も居るのだから『手』は十分に足りている。
    「敵は『ジャマー』というポジションそのものと言えるでしょう。撤退が自由に可能とは言え、対策は十全にとる必要があります」
     催眠。毒。トラウマ。それらがポジションの恩恵を受け増幅されて灼滅者に襲い掛かる。
    「ベヘリタスの卵から生まれた、ベヘリタスとは異なる形状のシャドウ……この事件に、シン・ライリーが関わっているのは間違い無いでしょう。但し、彼が『どのような関わり方』をしているのかまでは判りません」
     そしてアンブレイカブルのソウルボードを利用するこの方法だと、エクスブレインの予知も難しいため、どれだけのベヘリタスの卵が既に孵化しているか検討もつかない。
    「僅かな光明を見出すためには、生まれいずる蟲達を出来る限り倒すしかないのでしょう……どうか、ご無事で」


    参加者
    城橋・予記(お茶と神社愛好中学生・d05478)
    樹宮・鈴(奏哭・d06617)
    玖律・千架(エトワールの謳・d14098)
    熊谷・翔也(星に寄り添う炎片翼・d16435)
    ペーニャ・パールヴァティー(羽猫男爵と従者のぺーにゃん・d22587)
    シャノン・リュミエール(石英のアルラウネ・d28186)
    ロベリア・エカルラート(御伽噺の囚人・d34124)
    土屋・筆一(つくしんぼう・d35020)

    ■リプレイ

    ●矜持
     不意に、男……アンブレイカブルの絶望を映し込んでいた水鏡が曇る。
     複数の人影が、大通りから僅かに漏れ届く光を遮った。
    「アンブレイカブル、ガクガクブルブル。ベヘリタスに、びびりたす」
     光の代わりに男の耳へと届いたのは、ペーニャ・パールヴァティー(羽猫男爵と従者のぺーにゃん・d22587)の駄洒落を交えた強い挑発だった。
     男はただ、肩を大きく上下させる。
     恐らくもう、肉体も精神も限界に近いのだ。
     男は立ち上がろうとしたが、しかし体を起こそうと踏ん張った力は空回り、再び男の顔は水溜まりに叩きつけられる。
    「蟲にムシャムシャ食べられる、ねえ今どんな気持ち?」
     罵りの言葉と共にペーニャが吐き捨てた唾は男の頬に飛び、伝い、水溜りに混じった。
     衰弱しているとは言え、この男は平気で一般人に手をかけるような男だ。
     それを考えれば、唾の一つも吐き捨てよう。
    「ああ……最悪だよ。何も出来ない……俺も、俺もまた……常人と同じ……ただの無力に過ぎなかった……そんな俺を、わざわざ嘲け笑いに来たか……灼滅者」
     男は全霊の力を体に込めて立ち上がり、そうはさせぬと弱々しく拳を握った。
     ……ペーニャの、アンブレイカブルの矜持を謗る行動が、しかし絶望と錯乱の淵から男の矜持を、正気を取り戻させたのだろう。
     捨て鉢の行動ではない。男の眼には力があった。
     まさかこの状態で、灼滅者達から勝ちを拾うつもりなのか。
     だとしたら、尚更。
    「こんな所で食い潰されて終わっていいわけ無いでしょ。戦って勝つ、それが武人のあり方なんじゃないの?」
     樹宮・鈴(奏哭・d06617)が男へ投げ掛けた言葉に、シャノン・リュミエール(石英のアルラウネ・d28186)が同意し、そして続ける。
    「貴方はシン・ライリーに見限られ、捨て駒の実験台にされた」
     男は眉根をひそめ、自嘲気味に笑う。
     シャノンの鎌掛けが当たっているのか、外れているのか、男の態度からは読み取れない。
    「良い? あんたに巣食ってるシャドウの連中。私たちが今からそいつを追い出すから、手を貸して。今だけ共闘してあげる」
     鈴がそう言うと、男が何故だと問うて来た。
     助けるだけの義理も義務も無いだろうと。
    「同情や哀れみからではありません。私達はこの事件を調査しています。私達は情報を得、貴方は命が助かる。お互いに利益のある五分の取引です」
     それ以上の何かを求めるつもりもないし、終われば後は好きにしてくれていい、とシャノンは結んだ。
    「ま、助けるけどさ、善意でも何でもないんだよね。キミのソウルボードを調べられたらベヘリタスについて何か分かるかもってだけの話」
     殺界を形成しながらそう投げ掛けたロベリア・エカルラート(御伽噺の囚人・d34124)の言葉は本心だ。
     少なくとも男の生死により、ベヘリタスそのものに興味がある。
    「シン・ライリーの事は良く知らないんだけどさ、キミだって本当の事は知りたいでしょ?」
     苦悶に歪んでいる男の顔が、更に陰る。
     この男とて、今回の事件の全貌を把握している訳ではあるまい。
     もし把握していたならば、『何者か』に卵を埋め込まれる前に逃げられた筈なのだから。
    「人生時には臨機応変。生きることを諦めたくないと思うのならもっと足掻きなよ。死ねばおわり。生きればチャンスは来る。プライドに拘り続けるなんて馬鹿のやることですよ……無残な最期を遂げるか、その拳で生きるか決めて下さい」
     玖律・千架(エトワールの謳・d14098)の言は的を得ている。
     今でこそ男は辛うじて正気を保っているが、そもそも男がこんな死に方は嫌だとプライドを捨て去り逃げなければ、灼滅者達に邂逅する事も無かった。
     それを思い出したのだろう。都合の良い振る舞いだと、男は小さく零した。
    「端的に言おう。絶望したまま死にたくなければ、俺たちに協力して後で戦え」
     熊谷・翔也(星に寄り添う炎片翼・d16435)が短く、力強く言い切ると、男は苦悶の中で幽かに笑んだ。
    「弱った方を苛めるのは、僕は好きではないです。戦うのは万全な時に、存分に」
     挑発するように土屋・筆一(つくしんぼう・d35020)もそう言った。
     ただ……表には出さないが、内心ではこの男の事を哀れだとも思った。
     ダークネスとはいえ虫に食われる最期と言うのはあんまりな末路だ。
     何より惨たらしいその様子を見たくない。
     出来れば……助けたい。
    「フッ、弱いもの苛めとは……言われたモノだ」
     文句も逆恨みも後で全部拳で受けたげるから、と鈴が諭し、
     アタシたちが気に入らないなら何時でも相手してあげるよ。蟲に食い殺されてなければね、とロベリアは続けた。
    「だから羽虫なんかじゃなく、ボク達と思いっきり死合いをしようよ!」
     そしてそれまで仲間のやり取りをつぶさに見ていた城橋・予記(お茶と神社愛好中学生・d05478)がそう発した。
     男が今まで潰してきた命の代償……それがこの末路を呼んだのかもしれない。
     だが。
    (「望まない形での死を迎えようとしている存在を笑っているだけじゃ、相手がしてきた事と変わらない……!」)
     だから予記は……灼滅者達は男に手を伸ばす。
     ……最後に一つ問う。
     男は息も切れ切れそう吐いた。
    「伸ばした手……その手を掴み……繋いだ命で、俺が再び人を殺めるとしたらどうする? 好きにすれば良い、とお前等は言ったな?」
    「それは出来ない」
     翔也が即答する。
    「何故断言出来る。俺が『心変わり』するとでも?」
    「俺達がさせない。そして、一般人を散々に殺してきたその罪も後ほど払ってもらおう」
     掠れた声で、男は大笑した。
    「獄魔覇獄をご破算にした連中が今度は俺を救おうとする、か。勝手だよ。お前等は」
     だが好ましいと、男は路地に座り込む。
    「それを為す確固とした意思があり力があるなら……そう、するべき……だ」
     男は目を瞑り、意識を手放した。
     宿敵たる灼滅者の前で完全なる無防備の姿を晒したのだ。
     だが恐らく、説得の成功を喜んでいるだけの時間は無い。
     灼滅者達はロベリアの導きで、急ぎアンブレイカブルのソウルボードへと進入を果す。

    ●巣食うモノ
     心身ともに厳しい環境に身を置くと言う事か、男の心中は極寒の銀世界だった。
     呼吸をするたび、肺が軋む。もしも一般人がここに来たならば、物の数分で凍死してしまうだろう。
     そんな雪景にある異物。一房の果実のように連なったそれは、ベヘリタスの卵だ。
     灼滅者達が近づく間もなく、不気味に脈動するそれにひびが入り、ぞろりと、殻の内から無機質な仮面が覗く。
    「ベヘリタスの蟲……嫌な予感しかしないな」
     翔也が呟く。
     此方の感想などお構い無しに、孵化した影虫達は羽を広げ、銀世界を赤黒く穢す。
    「おぼぼぼ判ってたけど一杯居る虫って気持ち悪いよね!!」
     鈴の全身に鳥肌が立つ。原因は、寒さによるものではないだろう。
    「アー! やめて! 寄らないで寄らば斬る!!」
     妖の槍で羽虫の一匹を突き斬ると、シャドウは体液を撒き散らしあっけなく霧散した。
    「ギャー! 何か変な汁飛んで来た! くさい!きたない!!」
     手応えが無さ過ぎるが、これは前哨戦に過ぎない。
     夢の中のシャドウを全部撃破したとて、その直後に現実世界での戦いが待っている。
    「まさに多勢に無勢。ですが敵も弱体化している……やれます」
     全身を水晶が浸食し、獣と植物が混在した異形の怪物。
     それはシャノンが戦闘態勢に移行した姿だ。
     シャノンより放たれたオーラが羽虫を貫き、また一匹、霧散する。
    (「ダークネスのソウルボード。何か変わった所が無いかと思ったけど……」)
     雪原に影の茨を走らせながら、ロベリアは周囲を見渡す。
     注意深くソウルボード内を観察してみれど、得られた情報は一般人のソウルボードとなんら変わりない、と言う一点のみ。
     ロベリアは若干肩を落としながらも、伸びた茨は確りと羽虫を絡め取り、ビハインド『アルルカン』がそこへ霊撃を加え、獲物を失った茨は静かに彼女の足元へと収縮する。
    「虫、虫、虫ってもうこれだけで夢に出てきそうですね……って、本当に夢の中を我が物顔で飛び回って……!」
     そしてここから現実に飛び出してくる事を考えると、悪夢以外の何者でもないだろう。
     千架の呟きに同意するように霊犬『えいくん』も短く一鳴きした。
     千架、予記、翔也、筆一の四人が一斉に交通標識を黄色に変える。
     四つの交通標識は灼滅者達に強固なBS耐性を齎す。
     敵の総数、そしてその全部がジャマーであるならば、BSを警戒しすぎて悪いと言う事は無い。
     栄養食……えいくんが斬魔刀で羽虫に切りかかり、そこへ予記のビハインド『有嬉』がシャボン玉を見舞い、そしてペーニャのウイングキャット 『バーナーズ卿』が肉球パンチで止めを刺した。
     残りの羽虫達は雪崩の如く灼滅者に襲い掛かる。
     赤黒の雪崩が引いた後、ペーニャは翔也に護符を飛ばし、癒す。
     現状では然したるダメージを受けている訳ではないが、殺傷ダメージは確実に蓄積し……。
     早々に片付けなければ、後に響くだろう。

    ●巡らず
     雫が落ちてくる。
     雨粒だ。
     体にしみる。再び、天気が崩れ始めたのか。
     気付けのためか、ぺちぺちと有嬉が予記の頬を叩いた。
     ソウルボードを脱し現実へと帰還を果した灼滅者を迎えたのは、無数の雨粒と、三十の羽虫と、そして癒えぬダメージ。
    「理不尽、ですね……」
     筆一が嘆息する。
     衝撃と殺傷ダメージは継続し、エンチャントとバッドステータスは消えている。
     そして路地を覆う無傷の羽虫達。
     幸いにもディフェンダー陣は健在だが、もしも倒れた防衛陣の代わりにとポジションを変更せざるを得ない状況に追い込まれていたなら、大きな隙を晒す羽目になっただろう。
     エクスブレインの警告通り、こちらが不利な状態でまた一からだ。
    「この状況、まさしくアイル・ビー・バグ! ……ですね」
     ペーニャが駄洒落を飛ばすと、空気が凍った。
     直前まで居た軋むような寒さのソウルボードまで現実に具現がしたかのようだ。
     しょーもない奴だと、バーナーズ卿は冷めた目線を返し、灼滅者達の緊張が僅かに解れた。
     翔也は百物語……妖精騎士の逸話を語る。
     既にロベリアが殺界を形成しているが、これから先、誰が倒れるとも知れない。二重の用意は無意味ではない。
     影の羽音が耳を騒がせたのか、それとも妖精騎士の逸話が琴線に触れたか……アンブレイカブルは眼を覚まし、ふらつきながら立ち上がると、路地裏に背を向けた。
     待って下さいと、シャノンは男を呼び止める。
    「何だ。羽虫どもは外に出た。感謝はしよう。だが、これ以上の義理は無い」
    「……名を、お聞かせ願えますか?」
    「久津城・練(くづき・れん)だ。俺はもう死なん。お前等灼滅者と拳を合せるまでは。だからお前達もここで死んでくれるな……そう言う約定、だったな」
     そう言い残し、練は路地裏を去る。
     その足取りには疲弊が色濃く見えたが、しかし、力強さも同時にあった。
    「因果は巡らず……か。色々と訊いて見たい事もあったけど……」
     鈴の視線の先に、男……練はもう居ない。
     あの態度では有用な情報は引き出せまい。
     それよりも問題なのは……。
     三十の仮面が、こちらを睨め付ける。

    ●クラブ
    「さて、この蟲も残しといたらロクな事にならないんだろうな……」
     ロベリアが携えるマテリアルロッド『ル・トレッフル』。その銘は四ツ葉のクローバー。
     アルルカンの霊障波に次いで、翠と金で装飾されたそれが邪悪なる赤黒のクローバーに魔力を送り込み、爆ぜる。これで六。
     羽虫の仮面が怪しく光る。
     それを千架には見せまいと予記が割って入ったが、その光は予記の精神を激しくから揺さぶった。
     数で攻めてきても、BSに塗れても、絶対に膝はつきたくない。
     手を伸ばす。そう決めた気持ちを貫く……!
    「城橋くん!」
     筆一が予記の正気を繋ぎとめるように叫び、前衛を祝福の風で包む。
     風は予記に掛かった催眠効果を解し、傷を癒す。
     助け、援けられ……誰かを救おうと伸びる手はきっと、無数にあるのだ。
     予記が影の刃を走らせ、羽虫を斬り、七。
    「……アンブレイカブルもこんなのをソウルボードに入れられて、正直同情するわ」
     出来る事なら全部撃ち落としてやりたい所だが、蓄積したダメージと羽虫の物量がそれを許さないだろう。
     千架が脚に炎を纏わせる。
     降り注ぐ雨粒は脚部へ接触する前に蒸発し、思い切り蹴り上げられた羽虫は炎に焼かれ宙を舞う。
    「逃がさん!」
     人魂の如く夜闇に彷徨する羽虫を、翔也が更に炎脚で地へと叩きつけ、八。
    「一体一体は大した相手ではないですが……数が多い!」
     ボロボロになりながらもシャノンは懸命に戦う。
     ダメージの蓄積は限界に近づいている。全員がそうだ。
     ペーニャはダイダロスベルト『紫色のヴリスラグナ』をシャノンに纏わせ回復を図るが、殺傷ダメージまでは癒せない。
     緑色一閃。
     獣と植物のキメラが羽虫の急所を絶ち、九。
     一匹の羽虫が鈴へと襲い掛かる。
     分厚い太刀をいつ抜刀し、納刀したのか、日本刀『三雲光忠』……僅かに鞘から覗いたその刃が完全に納まると羽虫は真二つに分かれた。
     これで十。
     だが、フィニッシュの余韻も、影達の五月蝿い羽音にかき消されてしまう。
     シャドウの数は、後二十。
     ソウルボードでのダメージを引きずりながら、ここまで誰も倒れていないのは、賞賛に値する。
     防御とBS耐性に比重を置いた灼滅者達の作戦は三十匹のジャマーに対して有効と言えた。

     ここから先の展開は、だからこそだ。
     夢の中で痛めつけられ、未だ倒れぬ灼滅者に業を煮やしたか、羽虫達は一斉に体表へスートを浮かび上がらせ、
     二十のクラブが、灼滅者達の眼前に顕現する。
     これは……ブラックフォームか。
     サーヴァントを含まない半数の戦闘不能が撤退条件、と事前に決めていたが、皆相応に傷は深い。
     恐らく戦闘を続行した場合、その程度の生半可な損害では済まされない。
     羽虫達の取ったそれは、あからさまな威嚇行動だ。
     退路は常に開かれている。
     ここが分水嶺か? 
     ……灼滅者の逡巡が形となったのか、四体のサーヴァントが前に出る。
     彼らが灼滅者の意を汲むモノならば、図らずとも背を押してくれたのだろう。
     命を粗末にする事は、出来ない。
     サーヴァント達を殿に、灼滅者達は撤退を開始する。

     赤黒の渦は夜空に散る。
     これ以上の調査行動は不可能だ。
     筆一は、脳裏に焼きついた羽虫の姿をスケッチした。
     以前一般人に取り付こうとした羽化シャドウと異なる点は、やはり単体の強さ、だろう。
     ダークネスに取り付いたが故か。
     もしこれが増殖すれば……。
     雨足が強くなる。
     いずれまたあの虫達と必ず会うことになるだろう。
     絆にまつわるこの顛末は、未だ何も知れないのだから。

    作者:長谷部兼光 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年9月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 9/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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