人形の夢と目覚め

    作者:西東西


     ある日の日中。
     百貨店内のアパレルショップにて。
     ガラス張りのショーウィンドウ前に、タイトスカートの制服姿で膝をつく、ひとりの女性店員がいた。
     時おり、手にした電動工具がギュィィイイイイ、ギュィィイイイインと唸り、あたりの喧騒をかき消している。
    「急に什器(じゅうき)が壊れた時は焦ったけど、なんとかなりそうで良かったよ」
    「意外ですよねえ。あの人にガチDIYの趣味があったなんて」
    「正直、販売はサッパリですし。いっそ全国の支店まわって、什器修理してもらった方が使えるんじゃないですかねえ?」
     ――やだあ正直すぎひどーいぎゃははは。
     私語を続ける同僚たちに背を向け、女性店員は身を縮めたまま、黙々と作業を続ける。
     その手元に、ふと、影が落ちた。
     顔をあげると、赤いポロシャツ姿の中年男性が見おろしている。
     気づいた同僚たちが、慌てて駆け寄ってきた。
    「お騒がせして申しわけありませんお客様。ただいまディスプレイ什器の修理中で――」
     同僚たちを無視し、男は膝をついたままの女性店員を見据え、口を開く。
    「きみは、気づいたんだろう?」
     女性店員、もとい女は手にした電動工具――インパクトドライバーを、じっと見つめて。
    「……これがあれば。頭のユルい連中に、簡単にネジをブチこめる」
    「そう。最初の一歩だけは、誰にも頼っちゃいけない。ドゥイットユアセルフ。まずは、殺ってみることさ!」
     瞬間、女はすくりと立ちあがり。
     振り返りざま、立っていた同僚の眉間にインパクトドライバーを突きつけた。
     ――ギュィィィィィィイイイイ!
     頭蓋にネジを撃ちこまれた同僚は、糸の切れた操り人形のごとく足元から崩れ落ちて。
    「キャァアアアああああぁぐっ」
     悲鳴をあげた別の同僚の喉は、弾丸さながらに撃ちこんだネジが貫く。
    「ありがとう、おじさん! 初めて工具を手にした日。パパが言ってた言葉を、想い出したわ。『お前はやればできる。自信を持て』って。――あたし、ちょっと店長を殺しに行ってくる!」
     女は幼子のように瞳をキラキラと輝かせ、男に手を振ると、その場から猛然と走りだした。


    「すまない、誰か手の空いている者はいないか。緊急の依頼だ。今すぐ、対応に向かってもらいたい事件がある」
     空き教室に集まっていた生徒たちを見つけ、一夜崎・一夜(大学生エクスブレイン・dn0023)が駆けこんできた。
    「つい先ほど、『一般人が闇堕ちして六六六人衆になる』事件が発生したと連絡が入った。おそらく、『グラン・ギニョール戦争』で撤退した六六六人衆の序列第四位。『ジョン・スミス』が何らかの行動を起こしたものと思われる」
     闇堕ちしたのは、ある百貨店のアパレルショップに勤めていた女で、憎んでいた店長を殺そうと今なお移動を続けている。
     このままでは、狙われている店長の命が危ない。
    「よって、なんとしても足止めし、六六六人衆を灼滅してほしい」

     女は、「インパクトドライバー」と呼ばれる電動工具を武器化。
     武器についての詳細はわかっていないが、銃のような扱いをしていたらしい。
     今すぐ学園を出発すれば、店長のいる本社ビル前で六六六人衆に追いつくことができる。
     戦闘を仕掛けるなら、そのタイミングしかない。
     もしも足止めに失敗すれば振りきられ、ビル内に入られてしまうだろう。
     店長はビル9階のオフィスにいる。
     移動に使えるのは、エレベーターと非常階段。
     9階にたどり着かれてしまえば、万事休す――一般人の命はない。
     なお、闇堕ちした女は手ずから板を切り家具を造るような、本格的なDIY愛好者だったらしい。
    「手にしているインパクトドライバーは、父親譲りの愛用工具だそうだ」
     それは闇堕ち前の女にとって、何物にも代えがたい、大事な物だったらしい。
     そのあたりをついた挑発を行うことで、灼滅者たちとの戦闘を優先するよう仕向けることができるかもしれない。
     一考してみてくれとエクスブレインが告げ、そこでようやく、息をついた。

     一夜は、今回の事件が予知を行ったものではないこと。
     伝えた以上のことは一切不明であることを、念を押すように伝え。
     最後に、険しい表情で言い添えた。
    「六六六人衆の序列第四位が関わる闇堕ち事件だ。今までの闇堕ち一般人とは、わけが違う。どうか皆、心してかかってくれ」


    参加者
    皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)
    黒鐘・蓮司(グリムリーパー・d02213)
    森田・依子(焔時雨・d02777)
    リディア・キャメロット(贖罪の刃・d12851)
    庭月野・綾音(辺獄の徒・d22982)
    ハレルヤ・シオン(ハルジオン・d23517)
    カルム・オリオル(グランシャリオ・d32368)
    茶倉・紫月(影縫い・d35017)

    ■リプレイ

    ●Dolly's Dream
     現場に急行した灼滅者たちは、目的地となるビルと女の姿を捕捉。
     周囲に混乱が生じていないところをみると、標的外の一般人に危害は加えなかったらしい。
     女なりに緊張でもしているのか。
     本社ビルの真正面に立ち、深呼吸をしている。
     ――何かをするには、まずは自分で一歩を踏みだす必要がある。
    「言ってることはマトモだな。やってることはマトモじゃないが」
     皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)が呆れたようにぼやき、
    「あのおっさん。闇堕ちさせることまで『何でも屋』に含んでたなんてな」
     デタラメな奴らだ、と呟く茶倉・紫月(影縫い・d35017)の声を号令代わりに、散開。
    「そこの、ダサい工具持ったお姉さん!」
     歩きだそうとする女へ遠くから呼びかけ、庭月野・綾音(辺獄の徒・d22982)が六六六人衆とビルとの間に駆けこむ。
    「それ、結構古い物だよね。そんなのもう捨てて、もっと良い物を使った方が良いんじゃない?」
     女は突然現れた少女をいぶかるも、己の工具が話題と気づくや、眼を細めた。
    「たしかに最新式じゃないけど。これ、パパ譲りの道具なの。ずっと使ってるから、手に馴染むのよね」
     「あなたも工具好きなの?」と、上機嫌で問い返せば、
    「父親からの愛用してる工具やって? ご大層なもんやね」
     カルム・オリオル(グランシャリオ・d32368)が女の横あいに駆けつけ、続ける。
    「大事にするのはええけど、他の工具にも目ぇ向けたらどうや?」
    「えーっと? 新しい工具の売りこみか、何かかな?」
     2人の顔を、女は不思議そうに見つめ。
     そこで、周囲が騒然としていることに気づいた。
     見れば少年少女たちが、他にもビル内外で走りまわっている。
    「えっ、なに? なに?」
     居合わせた一般人たちと同じように、辺りを見回す女。
     その様は、己が警戒されているとは露ほども頭にないようで。
     女を包囲すべく後方に陣取ったハレルヤ・シオン(ハルジオン・d23517)が、高らかに笑う。
    「工具! 浪漫だねえ。綺麗に裂ける刃もイイけど、潰したり穴空けたり焼いたり色んなコトできて」
     少年とも少女とも見える子どもの物言いは、嘲笑めいて。
     正面に、さらに眼鏡をかけた黒髪の少女が立ったところで、眼を、見開く。
    「けど、キミのお父さんも変なヒト。キミに、それでヒトを殺しなさいって――」
    「ハレルヤ!」
     女が工具を繰りだすのと、リディア・キャメロット(贖罪の刃・d12851)が地を蹴ったのは、ほぼ、同時だった。


     ――時間を、ほんのすこし巻き戻す。
     6人が女と対峙している間に、残る灼滅者たちはビルの外と、ビルの一階に布陣。
     森田・依子(焔時雨・d02777)が『殺界形成』を発動してすぐ、一般人たちがざわめきだし。
     『ラブフェロモン』を使用した幸太郎が、いちはやく一般人へ呼びかけ始める。
     周辺地図は、行きがけに頭に叩きこんだ。
     逃がす方向にESPの効果範囲が入るよう道を示し、声を張りあげた。
    「ここから全速力で遠ざかれ! ただし、そのビルには入るな!」
     親子連れや老人等への助力を言い添え、避難の流れができるよう促せば、
    「向こうで誘導してるやつの指示、聞いたか?」
     一般人のフリをし、携帯電話で動画を撮ろうとしていた男に話しかけたのは、キィン(d04461)。
     戸惑う者には、危険が迫っているからすぐにビルから遠ざかるよう腕を引き。
     状況が飲みこめずにいる者には、迷わず避難できるようにと、声を掛けてまわる。
     柚羽(d13017)は戦場に注意を払いながら、車道に通行止め看板を設置。
     ビル前の道を封鎖する。
     通りかかったタクシーからサラリーマンが怒鳴り声をあげるや、『王者の風』を展開。
    「……迂回した方が、身のためですよ」
     凄めば一瞬で、来た道を引きかえしていった。
     一方、ビル内では。
    「事件が起き、不審者がこちらへ向かっています!」
    「正面出入り口は危険です! 上の階か、裏口へ逃げてくださーい!」
     『プラチナチケット』を使用した了(d37421)と千巻(d00396)が避難誘導を促すことで、うまく事が運ぶかに見えたが。
    「こりゃなんの騒ぎだ」
     エレベーターから老齢の男が現れるや、空気が一変。
     七湖都・さかな(終の境界・dn0116)が懸命に避難を呼びかけるも、
    「何を言っとるんだ、君は。おまえたちも、仕事に戻らんか!」
     引き留める少女の細腕を振りはらい、惑う社員たちへ強く命じる。
     さらに呼びかけようとしたところで、男の足が止まった。
     視線の先に立つのは、黒鐘・蓮司(グリムリーパー・d02213)。
     それまでは、それなりの敬語で呼びかけ続けていたのだが。
     『王者の風』を使用するなり、金眼を光らせ、睨みつける。
    「……サッサと上行けっつってんだろうが。鍵かけてバリケードでも張って、身ぃ縮めて引っ込んでろ」
     言い終えた、まさにその時。
     ビル内の照明や空調などの電源が、一斉に落ちた。
     さらに、言い知れぬ怖気――戦闘態勢に入った六六六人衆の殺気が、その場にいた全員を襲って。
    「な、なな、なんだ! 何事だッ!?」
     男を筆頭に、次々と一般人から悲鳴があがる。
     見ればさかなの携帯電話に、紗夜(d36910)からの着信。
    『すまない。移動機器だけの電源がわからなくてね。ビル全体の主電源と思しき装置を、丸ごと落とさせてもらった』
     これでエレベーターは完全に封鎖。
     おそらく次は非常階段あたりから人が出てくるだろうから警戒するようにと、電話越しの声が続けて。
     さかなはすぐに、銀髪の青年を見やった。
     ――六六六人衆の殺気が、強まっていく。
    「蓮司、行って」
    「ここで殺らなけりゃ止まりませんからね、このめんどくせぇ連鎖は」
     言われるままに走りだし。
     走りながら、胸中で繰りかえした。
    (「えぇ、勿論。殺りますとも――」)

    ●Dolly Awakes
     突き飛ばされたハレルヤは、もんどりうって地面を転がった。
     身を起こせば、眼前には肩を押さえ、血を流すリディアの姿。
    「それが貴女の武器? まるで玩具ね。そんな物で、私たちを倒せるかしら」
    「一般の人には手ぇ出させへんで、僕らが相手や」
     続くカルムが挑発しながら間合いをとる様子に、なにが起こったかを把握する。
     ――ギュィィイイイイ!
     工具が唸り女が跳ねた瞬間、依子が鈍色の槍『朽寄』を繰りだし、攻撃を弾き飛ばす。
     梔子を刻んだ柄から伝う、衝撃と振動。
    (「なんて威力……!」)
    「あんたさっき、変な殺気出してたよね。なんなの? なに企んでんの?」
     先ほどまでとはうって変わり、鋭い眼で工具を構える女からは、おぞましいほどの殺気がはなたれている。
     周囲へ視線を走らせようとする女へ、すかさず紫月が氷刃を撃ちはなって。
    「その道具の用途は、確かにネジ締め。だが対象は人間じゃなくて、資材じゃないのか?」
     飛来する氷を破砕したところで、女は、己を取り囲むように少年少女が立っていることに気づいた。
    「は? 邪魔しようっての? あたしを? なんで? なんで!?」
     沸きあがる怒りとともに、工具を地面に叩きつけ。
     ――ヅドドド、ドン!
     地面に衝撃がはしるや、レンガ造りの街路が四方に裂けた。
     衝撃は広範囲に及んだが、ビル周辺の一般人避難はすでに完了している。
     とはいえ、彼らの安全を確かなものとするためにも、女の注意を逸らせるわけにはいかない。
     ビル外対応の幸太郎が戻り、包囲に加わったのを確認し、綾音が『サウンドシャッター』を展開。
     引き続き足止めをするべく、気持ちを奮い立たせながら、叫んだ。
    「『やってみる』のは、大事だけど。それは、誰かを殺すために渡された物じゃ、ないはずだよ!」
     続く依子も、女を貶める事には抵抗があった。
     けれど人々の命を守るためと、気丈に声を張りあげて。
    「その道具、武器としては『なまくら』に見えます。渡した方に、センスが無かったのかしら。それとも貴女が、間違えたのですか?」
     次の瞬間、ドライバーの先端が依子のこめかみを裂き、鮮血が散った。
    「あれに頭蓋を割られる瞬間なんざ、考えたくもないな」
     幸太郎がすかさず光輪をはなち、癒しと護りを施す。
    「ねえ! あんたたちさっきからケンカ売ってる? 売ってるよねえ!?」
     闇堕ちしたばかりで、憎い上司を殺すことしか頭にない女は、『灼滅者』という存在を知らない。
     ――見ず知らずの少年少女たちが、邪魔をしようとする。
     その理不尽に、しだいに冷静さを欠きはじめていて。
    「あーあーあー! 全然知らない子たちだけど、もう殺っちゃおうかな!? あのおじさんも言ってたし!」
    「『まずは殺ってみろ』、か?」
     女の言葉を継いで告げたのは、ビル内から駆けつけた蓮司だった。
    「――まぁ、殺らせる前に殺りますけど」
     気だるげな声音に、無表情を貼りつけて。
     ダイダロスベルトの切っ先を死角へ定め、次々と帯を繰りだしていく。
     女はそのいくつかを工具でねじ切るも、全てを防ぎきることは叶わなかった。
     引き裂かれ、傷を負った身体を抱くと、信じられないものを見るように少年少女たちを睨みつける。
    「パパ! あの子たち、本気であたしを殺すつもりなんだ! あああ無理だよ! でも、殺らなくちゃ!」
     怒ったかと思えば泣き、泣いたかと思えば怒る。
     まるで一般人と六六六人衆の人格が、入れ違いにわめいているようで。
     あまりの異様さに、一同が圧倒されるなか。
     ハレルヤだけは表情を輝かせ、言った。
    「うっふふ! キミも、パパも、ヒトに成れない『人でなし』。生きることすら、できない癖に」
     その言葉を聞いた瞬間、女の表情から『恐怖』が消えて。
     透き通った翠髪を揺らし、『六六六人衆のカタチをした人造灼滅者』は、嗤った。
    「キミのコト、好きだよ。だから綺麗に――壊してアゲル」

    ●Dolly Dances
     それから先の女の戦い方は、まさに『壊れた人形』のようだった。
    「おぉぉおおおおおお!!!」
     雄たけびをあげ地を蹴る女の前に、踊るようにリディアが身をひるがえして。
     空を裂く鋭い蹴りを、手にした巨大碑文で受け止める。
     重い一撃。
    「さすがは、第四位の関わる闇堕ち者」
     しかし、激情にかられた女の攻撃を見切るのは、誰の目にも容易く。
     二撃、三撃と続く工具の切っ先を、リディアはステップを踏むかのように、軽やかに受け流した。
     合間に、縛霊手の拳を固めて。
    「今の貴女はまるで、道に迷い泣くこどものよう。――哀れね」
     間合いに飛びこんできた瞬間、渾身の一撃とともに、網状の霊力を放射。
     己を縛りつける枷を払うべく、女はインパクトドライバーを中空へ向けて。
     ――ヅ、ドン!!
     引き裂いた網を払い体勢をたて直すも、そのやりようはあまりにも乱暴で、隙だらけだ。
     戦い方さえ、ろくに知らない。
     強すぎる力を持つ、幼いヒト。
     カルムは相手の動きを見定め、悠然とした態度で女の前に立つ。
    「過去に何があったかは、知らん。上司が憎いんも、理由があるんやろう。けど、それとこれとは、話が別や」
     マテリアルロッドを、手中に顕現させ。
     少年をねじ切るべく迫る女めがけ、振りかぶる。
    「そぉ、れ!」
     ゴッと、鈍い手応え。
     衝撃の後、流しこんだ魔力が女の内を巡り、腹部を破壊すべく盛大に爆ぜた。
    「ああああああぁあぁ!」
     血を流し、痛みにのたうちまわる女は、見るからに痛々しい。
     しかし。
    「杭を打ち、悔いを、喰え」
     紫月は一切の感情を交えることなく、『七不思議』を語った。
     現われたのは、青白いローブを纏った怨恨の幼子。
     語り部はすいと、血まみれの女を指さして。
    「クイ。――その全ては、糧だ」
     幼子は抱きつきざまに杭打つと、思うさま女を、貪りはじめた。
     闇堕ちても、痛みは痛み。
     ひとであれば味わうこともなかった苦しみに、女は絶叫するばかりで。
    「あ、あたしだって、できる。やればできる。できるんだから……!」
     なりふり構わず撃った女のネジが、綾音の足を貫いた。
     幸太郎が動こうとした矢先、
    「回復、する」
     さかなの声とともに、善なるものを救う光条が降りそそぐ。
     ビル内の対応が完了したらしい。
     少々手こずったが、みな納得のうえで、避難してくれたという。
     少年少女のやりとりを聞き、血まみれの六六六人衆は、本来の目的を想い出した。
     ――こどもにかまけている場合ではない。
     傷をかばいながら、ビルへ向かおうとする。
     しかし、それを見逃す灼滅者たちではない。
    「守る役はシュミじゃないけどお」
     ハレルヤはエアシューズを駆り、攻撃をかばい受けながら、女を翻弄。
    「行かせません。今が苦しくて奮うなら、此方へ向けなさい。――止めます!」
     依子も片腕を半獣化させ、隙をついては、鋭い銀爪で力任せに引き裂いていく。
     その先に待ち受けるのは、赤の交通標識を手にした蓮司だ。
    「それじゃ……覚悟してもらいましょーか」
     振りあげられた標識を避けるだけの力は、もう残っておらず。
     女の身体は勢いよく、レンガ造りの街路を転がっていく。
     リディアは伏し目がちの瞳に女を映し、影業へと命じた。
    「もう、必要ないかもしれないけれど。――影よ、捕らえなさい」
     影に絡めとられる、寸前。
     女は最後の力を振り絞って、インパクトドライバーを地に撃ちつけようともがいた。
     しかし、
    「あっぶないなあ」
     女の動きを警戒していたカルムが、ダイダロスベルトをはなち、手首を貫いて。
    「悔いて、喰え」
     紫月のはなった影が、女を頭から呑みこむ。
     闇に浮かびあがるのは、艶めくピアノ。
    「ごめんなさい、ごめんなさいママ!」
     自我の均衡を欠いた女は、何よりも大切にしていた工具を取り落としたことにも、気づかなかった。
     唇を噛んだ綾音がクロスグレイブを構え。
     銃口を開くと同時に、聖歌が流れる。
     すでにヒトを殺した女からは、ずっと、『業』の匂いがしていた。
     女はもう、引き返せないところまで堕ちていて。
    「だから、今更なんだろうけど。でも、今のお姉さんを見たら。きっと、お父さんが悲しむよ!」
     影に囚われた女には、その聖歌は、ピアノ曲に聞こえていた。
     ――どれだけ叱られても上手く弾けなかった、人形の曲。
    「泣いてたあたしに、パパは工作を教えてくれた。ピアノよりも、楽しくて」
     女の言葉を、さえぎるように。
     綾音は、『業』を凍結する光の砲弾を撃った。
     街路に倒れた女は、憑き物の落ちたような笑顔を浮かべ、泣いていて。
     ――お前はやればできる。自信を持て。
    「でも会社で。あたし、またなにもできなくなって。弾けなかった曲が、ずっと。ずっと」
     さかなが、落ちていた工具を拾いあげ。
     そっと、赤に染まった胸元に置いた。
     女の手指は動かず、再びそれを手に取ることはない。
    「弾けるよ」
     静かに。はっきりと告げる言葉に、女は涙を零して。
     見守っていた幸太郎が、『 go 2 sleep 』という名の影業を顕現させる。
     さかなが離れたのを確認してから、その先端を鋭い刃に変えて。
    「そのまま、夢を視て眠れ。人の意志に目覚めた人形よ」
     最後の、最期の瞬間。
     女は視界の先に、いつかと同じ青空があることに、気づいて。
     顔をくしゃくしゃにして、笑った。

    ●Cladle Song
     すべてが終わった後。
    「ダメね。破片ひとつ、残ってないわ」
     灼滅とともに、女の痕跡はすべて消滅。
     リディアの望む工具の回収は、叶わず。
    「勢力としては壊滅しても、個人単位の厄介さは相変わらずだ」
     戦痕を一瞥し、蓮司も嘆息。
    「あのお姉さん。本当に大事なものだからこそ、闇堕ちしても手放せなかった部分があったのかもね」
     綾音の呟きへ、カルムと依子が続ける。
    「憎むに足る理由があったんやろうなとは、思う」
    「でも命は、脆いんです。『憎いから、殺す』。そんな理由で、奪っていいものじゃない」
     自動販売機で缶コーヒーを購入し、幸太郎は言う。
    「同情をする気もないが……。あの女がするべきだったのは、自分自身のユルいところをネジで締め直すことだったのかも」
     手にした缶をもてあそび、
    「そうして目覚めていたのなら、『人形』じゃなく、きちんとした『人間』になれたのかもしれないな」
     その言葉に、紫月が顔をあげ、呟く。
    「六六六ってのは。殺したい衝動に、純粋に、忠実過ぎるんだよ」
     ふとした時の、衝動。
     『それ』を制御できるか、できないか。
     明暗を分けるのは、誰にもでも起きうる一瞬の選択。
    「なんだかんだ誤魔化しても、『境界』はすぐ側だ」
    「そうそう。だから、ボクがアイツに言った言葉は、ボクにも嵌る」
     ――ヒトに成れない、『人でなし』。
    「けど、それが何? 憤っても変わらない。合わせられない方が『悪』。そうなってる」
     へらりと笑うハレルヤを、見つめて。
     「それなら」と、さかなは言った。
    「『ヒト』という言葉で、カタチを縛らなければ。ハレルヤも、わたしも。『境界』を越えた、あのひとも。みんな、おなじになる」

     たとえ女に、六六六人衆たる素養があったのだとしても。
     ジョン・スミスがその背を押さなければ、ただのひととして、生きていけたかもしれない。
     ――今、こうしている間にも。無差別に闇堕ちさせられている者が、いる。
     同様の事件は、なおも続いており。
     序列第四位の行方は、ようとして知れない。

    作者:西東西 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2017年10月19日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ