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学園内が、視察旅行の話で沸くなか。
「皆さん。サイキックハーツ大戦、本当におつかれさまでした」
学食の一角に灼滅者たちをあつめ、冷たい飲み物をふるまいながら、五十嵐・姫子(大学生エクスブレイン・dn0001)がそう口をひらいた。
「ダークネスの脅威は完全に払しょくされましたが、これからは『全人類がエスパーとなった世界をどうしていくか』等、いくつかの問題と向きあわなければなりません」
現在の世界は、エスパー化による影響が出始めているものの、社会的にはまだ平穏を保っている。
「検討の結果、状況が穏やかな今のうちに、学園のエクスブレインが手分けをして、世界各国の視察を行うことになりました。すでにたくさんの視察案内が出ていますが、今回さらに、新しい視察先が決まったんですよ」
姫子は一同を見渡し、「そこで、皆さんへお誘いです」と微笑む。
「私は、ロシア西部。首都モスクワ周辺へ視察に行くことになりました。一人での視察は心細いので、ぜひ皆さんと一緒に見て回れたらと思うのですが、ご都合はいかがですか?」
組連合からの要望もあったため、修学旅行を兼ねての同行も大歓迎ですと付け加え、姫子が視察日程や、詳細をまとめた資料を配ってまわる。
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「今回の視察は、三泊四日を予定しています。モスクワに到着した後は自由行動ですが、最終日は、全員一緒の飛行機を手配します。くれぐれも、モスクワから行ける範囲内での行動をお願いしますね」
つまり今回は、『ヨーロッパ・ロシア』地域の視察はOK。
『極東ロシア』『アジアロシア(シベリア)』は、視察範囲外ということになる。
「ひとが集まる主な観光地などは、先ほどお配りした資料にまとめておきました」
手元の資料に視線を落とすと、『モスクワ』『黄金の輪(古都群)』『サンクトペテルブルク』と、主な地名ごとに観光地が挙げられている。
『モスクワ』は、言わずと知れたロシアの首都。
歴史を感じる「赤の広場」「クレムリン」等の世界遺産群をはじめ、バレエの最高峰といわれる「ボリショイ劇場」は、一度は眼にしたい絢爛豪華な建築物だ。
「GUM(グム)百貨店」はモスクワの最も古いデパートとして、モスクワっ子たちにも親しまれており、ここでお土産を買うのも良いかもしれない。
『黄金の輪(古都群)』は、「セルギエフ・ポサード」「スズダリ」「ウラジーミル」など、中世ロシアの古都が点在することからそう呼ばれる。
各地域には、要塞・教会・民家や商業建造物が当時の面影を残したまま建ちならび、博物館等にも貴重なコレクションが残されている。
現代ロシアとはまた違う、中世ロシアの空気を感じたい方におすすめの地域だ。
『サンクトペテルブルク』は、ロシア連邦の北西部に位置する港湾都市。
世界三大美術館のひとつと称される「エルミタージュ美術館」に、精緻なモザイク画やイコン画で満たされた「血の上の教会」。
華麗なバロック様式が美しい「エカテリーナ宮殿」、60以上の噴水が目を楽しませる「ピョートル大帝 夏の宮殿と庭園」などなど。
どこを訪れても、きっと良い記念になるはずですと、姫子が念を押して。
「ぜひ検討してみてください」と微笑み、ひととおりの説明を終えた。
「現地では、人類のエスパー化による事件なども発生しているかもしれませんが、今回の視察旅行では、できるだけ関わらないようにしてください」
灼滅者がエスパー問題にどう関わるかの結論が出てない状態なので、下手に関わると、後々に悪い影響がでてしまうかもしれない。
「視察といっても、気負わなくて大丈夫です。ごく自然に、観光のように見て回って、楽しんでくださいね」
姫子はそう告げ、新たに顔の見えた灼滅者たちへ次々と声をかけていった。
●1日目
飛行機で約10時間半。
機内での時間を思い思いに過ごした一行は、モスクワ到着後、目当ての場所へと散っていった。
セレス(d25000)は姫子(dn0001)の護衛を兼ね、一緒にモスクワ市内へ赴く。
「意外に普通で驚いたな。ロシアといえばこう、雪とか泥で酷いこととか、熊が歩いていたりとか」
「私もおなじイメージでした。事前に調べて知ったのですが、ロシアは国土が広い一方、雪で過酷な地域や、人の集まっている地域はごく一部に限られているんですね」
それで視察をモスクワ周辺に絞ったのだと、姫子が微笑む。
おしゃれなカフェでランチを楽しんだ後は、観光バスに乗りこみクレムリンへ。
ロシア語で「クレムリ」は、「城壁」のこと。
城壁を備えた都市は他にも多くあるものの、歴史的建築物を多く擁する世界遺産『モスクワのクレムリン』は、特に有名な観光地だ。
「あれはどの塔かな……」
観光マップを手に、城壁内をあちこちへ。
空を仰ぎ、塔の先端にあるという『赤い星』を探し歩く。
歴代皇帝の戴冠式に使われたという『ウスペンスキー大聖堂』には、この日も多くの一般人が訪れていた。
金色の玉ねぎ屋根に、白い壁。
比較的すっきりとした外観とは裏腹に、中は数多のフレスコ画やイコン画で彩られている。
「…ダークネスが関わってたりしないか、不安になるのは職業病か」
呟き、ついつい、魔術的な要素がないか調べてみたり。
「こんな風に旅をできる日が来るとは、思ってもなかったな」
感慨深げに呟いたセレスへ、姫子は言った。
「そうですね。私も、また皆さんと一緒に、こうして旅行に行けたらうれしいです」
そのためにも、今はすこしでも多くの情報を持ち帰りましょうと、微笑んで。
2人はその足で、別の建物へと向かう。
モスクワ到着後すぐにバスに乗り換え、『セルギエフ・ポサード』へ向かったのは夜霧(d03143)とサーニャ(d14915)。
夜霧にとっては卒業旅行だが、サーニャにとっては久しぶりの母国だ。
「中世の雰囲気を残すこの街並みは、モスクワとはまた違った景色で素敵なのでござるよ」
観光ルートの選択は、全てサーニャに一任している。
やがて見えてきたのは、晴天にあってもよく映える、青や緑、金に彩られた鮮やかな教会群。
「黄金の玉葱……」
呟く夜霧の手を引き、セルギイ大修道院と、その大聖堂をご案内。
「ちっちゃい頃に家族で来たような想い出があるこの場所に、夜霧殿とも来れて良かった!」
「それなら、大聖堂前での写真撮影も、忘れないようにしないと」
カメラ撮影をかって出てくれた見知らぬ観光ガイドの好意に甘えて、――はい、チーズ!
荘厳な建物と一緒に、ツーショットで記念撮影。
続いて向かったおもちゃ博物館には、貴重なロシア玩具が数多く展示されている。
ロシアの民芸品として有名なのは、マトリョーシカ人形だ。
手を握りエスコートしてくれる夜霧を見上げ、微笑む。
「マトリョシカの最後には希望が残る。私の希望は、隣の貴方」
その視線を受けとめ、夜霧も笑った。
「ドレスも見たいし、むしろ贅沢にしたいが。あそこまで大きい会場はちょいと難しそう。…なんてな」
その言葉の意味を察し、サーニャが嬉しそうに夜霧の腕に飛びつく。
「ふふー、夜霧殿とロシアに来れるなんて、私は幸せ者だね」
「今回は夏だったし、次は冬に来たいね」
以前なら、願うばかりだったその言葉も。
これからは、現実にしていくことができるのだから。
――この先も、2人で。素敵な想い出、いっぱい作ろう!
●2日目
ミカエラ(d03125)とシルヴェスト(d16092)は寝台列車「赤い矢号」に乗りこみ、早朝、『サンクトペテルブルグ』へ到着。
ペトロパヴロフスク要塞を観光し、続いてピョートル大帝の丸太小屋を目指す。
「へえ~、ココに住んでたんだ~って、中にもう一つ小屋があるっ!」
現在の博物館は、いわば「覆い」。
丸太小屋は、建物の中に保護・展示されている。
「えーと。シルヴィ、ちょっとココ立ってみて。…狭くない? 頭打たない? この舟だと、足あふれちゃって大変じゃない??」
大帝の暮らしへ想いを馳せ、不安をこぼすミカエラへ、
「ピョートル大帝は大男だ。俺が着ぐるみを着ても、まだ足りないぞ?」
シルヴェストは冷静に返し。
じっくりと小屋を見たうえで、言った。
「この小屋は素朴な作りだが、急ぎ仕上げたにしてはバランスがいい。住み心地も良さそうだ。どうだ、こういう住処は?」
「そだね、あたいもきっとこういう家にしそう~。なんだかすごく落ち着くよね~。この街はすごく西洋風なのに、でもやっぱりロシアの匂いがして」
住んだ当人は職人肌だったらしい。
その影響で、部下たちも自然と工作が上手くなったのだろう。
「リーダーのご無体に応えられるよう、鍛えられていくものだ」
「わかってるか?」と、問いかける顔を向けたシルヴェストだったが、ミカエラはそしらぬ風。
博物館を出た後は、ペトロフスカヤ河岸通りを並び歩く。
「俺たちの原風景は、確かに陽光の向日葵畑だが。ここの白夜も良い想い出だな」
「うん。想い出すね、向日葵畑」
記憶に残る光景は、ここにはないけれど。
「平和になったら、いっかい戻ろっか」
川の流れの先を、遠く見やって。
2人、故郷へと想いを馳せた。
同じ頃。
ピョートル大帝の夏の宮殿である、ペテルゴフ宮殿を訪れていたのは來鯉(d16213)とヴァーリ(d27995)。
噴水を内側から見られるツアーに参加し、他の観光客とともに現地を巡る。
「ピョートル大帝って、身分を隠してイギリスやオランダに留学して造船所で働いてたっていうし。呉のご当地的には、わりと親近感あるから気になってたんだ」
興味津々といった様子で來鯉が楽しむ一方、ヴァーリは眼前の光景を目に焼きつけるように見て回っている。
「私を産んだ人は此処が好きで、良く来ていたらしいが。うん、この光景は綺麗で幻想的で私も好きだな」
「本当に良い所だよね。噴水が綺麗で、見ていて飽きないし。…愛莉の実のお母さんが好きだったっていうのも、頷けるかな?」
「正直、他人みたいにしか感じられなかったが。其れでも血の繋がりが有るんだなあ…」
日本育ちのヴァーリ自身に、ロシアの記憶はないけれど。
それでも、繋がりのある場所なのだと、実感する。
「愛莉と一緒に見る事ができて、良かったよ」
「誘ってくれてありがとう、だね」と言うのへ、
「ふふ。どう致しまして、だ。この光景を、大好きな人と一緒に見る事ができて、本当に良かったよ」
ようやく、ヴァーリも肩の荷が下りたように微笑んだ。
「此処はヴェルサイユ宮殿の影響を受けてるって話らしいし、今度はヴェルサイユ宮殿も見にいけたらだね」
これからは旅行も気軽に行けそうだしと、來鯉も笑い返して。
「そうだな、今度はヴェルサイユ。約束だ」
たくさん想い出を増やしていこうと、約束を交わした。
庭園の別の場所では、噴水巡りを敢行する紗夜(d36910)と紫月(d35017)の姿。
「どっかのシャドウの将軍だっけか、ヤツも金ピカだったな」と、あちこちに設置された金ピカ噴水を見やる紫月をよそに。
「さて、しーちゃん先輩よ。結構歩いたし、絢爛華麗な噴水に目がチカチカしてきたと思わないかい?」
あそこにちょうどベンチがあるし、休もうよと紗夜が誘って。
「そうだな」
ふいに、もぞもぞと鞄を探りはじめた後輩の横を通り過ぎ、紫月が先に歩き出す。
(「多分、振り向いたら何かしようと企んでるんだろう」)
そう思い、気にせず歩いていく。
――ぐっどらっく。
心の中で敬礼した紗夜が、紫月の背中へ爽やかな笑顔を向けた瞬間。
「わぶっ!?」
足元の石畳のあちこちから急に水が吹き出し、見る間にびしょ濡れになってしまった。
「後ろに気を取られるべきじゃなかったな…」
通りすがりの観光客たちが大喜びで水を浴びているところを見ると、そういう仕掛けの『いたずら噴水』として有名な場所だったらしい。
遠巻きに見ていた紗夜が、戻ってきた紫月を笑顔で出迎える。
「いやー、まさかこんなに上手く嵌まってくれるとは」
「ずぶ濡れになっただろ、どうしてくれる」
「うん? 水も滴るいい男だよ?」
悪気ゼロで告げる後輩の姿に、決意する。
――コイツも濡れ鼠にしないと。
「ちょっと来い。いいから来い」
伸ばした紫月の手は、しかし、空を掴んで。
「しーちゃん先輩、今度はあっちを見て回ろうか」
紗夜は別の場所にある『いたずら噴水』へ向かうべく、走りだす。
そんな2人を見送ったのは、同じく視察に訪れていた時生(d10592)と夜奈(d25044)。
「あのベンチ、前を通ると、あんな風に水かけられちゃうみたいよ」
「被れば幸運が訪れるらしいけど、試してみる?」と声をかけるも、夜奈は次の噴水を見つけて大興奮。
「ジェードゥシカのこきょう、はじめてきたけど。ふんすい、いっぱい。すごいね、きれいだね」
「いっしょにきてくれて、ありがとね」とはしゃぐ姿を、可愛らしいと微笑ましく見つめる。
庭園内には数多くの噴水があり、絶えず観光客が行き交っていて。
夜奈はとなり歩く時生を見あげ、「あのね、トキオ」と語りだす。
「ヤナは、大切なひとたちを守れればそれで、いいし。ジェードゥシカに近い将来、会いにいかなきゃって、おもってた。だけど、あなたは以前『共に生きてほしい』と言った」
「…そう、だなあ」
かつて交わした言葉を思いだし、当時の想いを振り返る。
「『飛花落葉』、この世に永遠などない。私はそれを知っているのに、貴女にはそれを求めてしまうんだ」
貴女と共に生きる未来が、たまらなくほしい、と。
夜奈はゆっくりと、瞬きをして。
「学園祭のけいおんライブ、しあわせだった」
「ああ、学園祭ライブは本当に倖せだったな…」
「ヤナは、悪い子よ。会いにいって、あやまらなきゃいけないのに。トキオと、みんなと、まだいっしょに生きたいだなんて」
「夜奈が悪い子なら、私も悪い子だな。おじいさまとの再会を邪魔するんだから」
「今度はヤナから、おねがいさせて?」
告げる言葉に、揃って、足を止める。
「いっしょに、生きたい」
青の瞳を受けとめ、時生が微笑む。
「ありがとう、夜奈。その言葉が聞けて、とても嬉しい」
夜奈の正面に膝をつき。
白い小さな手に己の手を重ね、告げた。
「共に生きよう」
皆と、貴女と。
これから先も、ずっと。
ずっと――。
●3日目
澪(d37882)と宗田(d38589)の2人は、サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外、ツァールスコエ・セローへ。
目指すは、ロシア帝国時代のロココ建築随一とうたわれる『エカテリーナ宮殿』。
豪奢な正門をくぐり抜ければ、全長325mの宮殿が堂々と横たわる。
床を汚さないよう靴の上にスリッパを履き、いざ宮殿内へ。
中は写真撮影OKとあって、澪は始終シャッターをきり続けている。
そんな姿を横目で見守りながら、宗田も周囲を見やって。
「すげぇな。なんの絵だこりゃ」
壁面を埋めつくす『絵画の間』の絵画ひとつひとつを仰ぎ見ては圧倒されたり、壁の装飾を見ては精緻さに眼をそばめたり。
「やっぱり、どこから撮っても絵になるなぁ…」
澪がレンズ越しの世界から顔をあげ、感激の溜め息。
――華やかな社交パーティーに、煌びやかな仮面舞踏会。
「昔は、そういう集まりもあったりしたのかなぁ」
「社交会なんざ窮屈なだけだろ」
「あはは、確かに。紫崎くんは苦手そうー」
「その気になれば似合うと思うんだけど」という言葉は、飲みこんでおく。
一方宗田は、華やかな衣装で優雅に振る舞う澪の姿を想像して。
「…違和感無ェな」
性格も、知性も。
つくづく、正反対だと思い知らされる。
それでも、だからこそ。
「俺が護ってやらねぇとな――」
呟いた瞬間、パシャリとシャッター音が。
「あ? …なに撮ってんだよ」
「反抗期王子の物思いー、なんてね」
悪戯な笑みを浮かべる澪から、カメラを没収。
さっそく持ち構え、ニヤリと笑う。
「王子の写真単体じゃつまんねぇだろ。…お返しに、撮ってやろうか? お姫さん」
「ぼっ、僕は男だもんー!」
宗田は、今、この瞬間を切りとるべく。
華ある少年へ向け、シャッターをきった。
「さあ、行くぞ朝山」
ロシア語プリントのパーカーに、グレーのパンツ姿。
フードをかぶりサングラスを装着して意気込むのは、キィン(d04461)。
「キィンくん、馴染みすぎてて面白い」
同行の千巻(d00396)は、写真撮りまくろうと密かに決意。
先輩後輩、2人連れだってサンクトペテルブルクの『血の上の教会』へ向かう。
「すんごい教会だよねぇ。見た目も名前もインパクトがすごいっ!」
外壁を覆うのは、レンガ、モザイク画、タイル、大理石。
内側の壁と天井は、複雑かつ詳密なモザイクで完全に覆われている。
どこもかしこも絵。
装飾。
模様。
いったい、どれだけの手間をかけて完成にこぎつけたのか。
その密度に、圧倒される。
「どこを見ても、まるで美術館みたいっ」
「ほんとに。よくぞここまでやったもんだ」
この場所を希望したのは、キィン。
「…気になったのは、歴史? それとも、装飾?」
千巻らしい素直な問いに、小さく笑んで。
「なんでだろうなあ。オレが隙間だらけだからかな」
直感ではなくきちんと返そうと、続けて少し、考える。
「そうだな、綺麗だと思った」
千巻は、「隙間かぁ…」と、小さく呟いて。
「ここみたいに、みっちり絵で埋めてみる? 体にらくがきしたげよっか?」
「そりゃーもう、ありがたくお断りだ。悪戯っ子の顔してるぞ」
えへへと破顔した千巻は、やはり想いを偽ることなく、正直に言った。
「何となーく、共感よりそっちのがいいかなって」
教会の扉を抜ければ、外は晴天。
観光地らしく、周囲を飛び交う多言語に耳を傾けながら、
「せっかくロシアに来たんだ、外も散歩していくか?」
知らない場所を歩くのが好きなんだとキィンが提案して。
「アタシも、知らないとこぶらぶらするの好き!」
「行こ行こっ、マトリョーシカ買おっ!」と、千巻が手招いた。
その、数時間後。
同じ『血の上の教会』を、想々(d23600)が単身、訪れていた。
教会の名は、1881年のロシア皇帝暗殺にちなんでいる。
悲劇があったがゆえに、存在する教会。
その悲しみさえ奪い去るほどの技術の粋を結集した外観に、想々は長い間見とれていた。
――日本じゃこんなん、見れんもんね。
中は、緻密で美しい絵で満たされた世界が広がる。
何百年もの、人の想いが息づく空間。
ふいに息苦しく感じ、見とれすぎて、呼吸を止めていたことに気付く。
祈りの空間を抜け、街をそぞろ歩く。
穏やかな日々の営みを感じる。
(「…あの人も。いつかロシアに行こうと言ってくれたけど。約束、果たしてもらえなかったな」)
戦争から立ち直った都市。
痛みを抱え、死と祈りを忘れず、生きてきた人たち。
(「私はこれから、どう生きてけばいいんかな」)
だいすきな人たちの幸せが、ずっと続けばいいと思う。
――私は、その輪に入れなくていい。
考えたとたん、急に、胸が痛んで。
こらえていた想いが、次々にあふれくる。
石畳に反射する陽光が、瞳を射して。
(「一人旅でよかった」)
誰かと一緒なら。
きっと、泣いてしまっただろうから――。
唇を噛みしめ。
きりと顔をあげると、想々はモスクワ行きの電車に乗るべく、駅を目指した。
モスクワの地では。
単身、各地を巡り歩いていた蔵乃祐(d06549)が、最後に『赤の広場』を訪れていた。
広場の景観や、遠く見えるクレムリンの遠景を、何枚かカメラに収めて。
(「個人的には、スパイ映画でよく舞台になる名所かな」)
フィクションの世界では、旧ソ連や国外諜報機関の工作員同士が、鎬を削る暗闘を繰り返していたものだが。
「…平静だね」
思わず呟いてしまうほどには、ただの観光地だった。
もしかしたら、今もどこかで水面下の争いが行われているのかもしれないが。
実際にどうかは、灼滅者にも分からない。
「――――」
ふいに、通りすがったロシア人女性に眼を奪われた。
――青白い肌。プラチナブロンドの髪。淡いブルーの瞳。
その姿は、つい数か月前に灼滅を見届けた、ロシア出身の女ヴァンパイアに似ていて。
姉妹だろうか。
そろいの白いワンピースをまとった幼い少女と、街中へ消えていく。
その背中が、すっかり見えなくなるまで見送って。
蔵乃祐は踵を返し、赤の広場を後にする。
(「他人の空似だろうが…。つい、眼で追ってしまう」)
――誰からも虐げられない世界が欲しかった。
――支配された世界に抗う役割は、果たされた。
それでも。
胸にはまだぽっかりと、虚ろが巣食う。
(「僕にも、彼女にも。心があったからこそ。あの茜と藍に染まった空を、忘れない」)
『ようやく、妹を迎えられると、思っておりましたのに、ね――』
吹き過ぎた風に、最期の言葉が蘇る。
彼女の血族から生まれた、末裔達のエスパーが。
今は、健やかであることだけは。
祈りたい。
どうか、この先も。
この地の歴史と営みが、連綿と続いていきますように――。
作者:西東西 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2018年7月31日
難度:簡単
参加:17人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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