キミヘ ムカウ ヒカリ

    作者:西東西

    ●2028年 武蔵坂学園
     凍えるほど厳しい冷えこみの、朝。
     武蔵坂学園へ続く道を、着物姿の女性がひとり、歩いていた。
     背中までのながい髪を揺らし、吹きつける風にかまうことなく進む。

     女性はとおい昔の四月、カエル好きの少年に導かれ、武蔵坂学園にやってきた。
     あれから、十年と八か月。
     春夏秋冬。
     想い出すのは、四季折々の催しと、仲間たちとの戦いの日々。

     女性はふいに空をあおぎ、足を止めて。
     ふわり、よこぎる粉雪を前に、ゆっくりとまばたきをする。
     手を伸べると、指先に触れた結晶は一瞬でとけ、雫となってこぼれ落ちていった。
     白い息をはきながら、女性は手を掲げる。
     てのひらからこぼれ落ちる光に、思わず、眼を細めて。

     祝祭の日。
     学園に通う生徒たちの足取りは、跳ねるように軽い。
     女性はその姿にかつての仲間たちの姿を重ね、ゆっくりと、校門を通りすぎた。

     そして、今日も。
     武蔵坂学園の一日がはじまる――。


    ■リプレイ


    『Allo、卒論は捗ってる?』
     朝の第一声。
     8時間時差のあるフランスから届いたのは、杏理(d16834)のそんな問いかけで。
    「…杏理おはようー、いや、そっちだとこんばんはかな。卒論? 卒論は――」
    「いや待って、当てるから。その声は。……完全に駄目なやつだな」
     大学の研究室で、国際電話の声に耳を傾けているであろう千栄(d33988)の声は、「えへへ、うん、全然ダメー」と、まったく悪びれた風のない様子。
    「もうほんと、クリスマスってなんだっけ? みたいな状態なんだよね。杏理ー、手伝ってよーたすけてー」
     日本時間では、まだ早朝。
     机上に積みあげた資料に上体を投げだせば、ばさばさと、推敲用の仮原稿が流れ落ちていく。
    『手伝ってもいいけど、僕医療は門外漢だから。文法なんかしか見られないよ』
     『それにしても、あの勉強嫌い坊やがお医者さん志望とは』と、感慨深げな声。
     杏理の背後からは、どたばたと賑やかな音と声がするところをみると、祝祭の準備をしているのだろう。
     フランス家庭の暖かな雰囲気を感じて、思わず表情がほころぶ。
     何事かを伝えるだれかのフランス語が続くなか、杏理は構わずに続ける。
    『そっちはもう当日だよね。ウーン、やっぱり君を一人で置いて来たのは良くなかったかもな』
    「俺もそっちに行きたかったけど――あ、でもね。クリスマスを一緒に過ごす彼女はいるから大丈夫だよ」
     突然の、爆弾発言。
    『――エッ。待ってもう一回。彼女ができたなんて、一度も聞いてないんだけど!』
     急に大声をあげた杏理の背後から、再び、賑やかな声が飛んで。
     応答する会話が落ちついたのを見計らって、千栄は言った。
    「あはは、杏理がそんなにびっくりするの珍しい。恋人ができるなんて初めてで、まだよくわかんないんだけど…。帰ってきたら、紹介してあげよっか?」
    『そりゃ見たいに決まってるよ。楽しみにしてるから』
     『今行く』と誰かに告げる声に、会話の終わりを察して。
    「それじゃあね、良い聖夜を、papa」
     杏理も、心からの祈りを込め、この言葉を贈った。
    『Joyeux noel』
     それきり、通話を終えた研究室は、しんと静まりかえって。
     千栄は、あたたかな場所にいるpapaの幸せを願いながら、先ほど落とした資料を拾いにかかった。

     まだひとの少ない朝の学園を、賑やかに回るのはシェリー(d02452)と七狼(d06019)の一家だった。
     初めて学園を訪れる8才の息子と、6才の娘は、教えて教えてと、かつての父母の思い出話をせがむ。
    「パパとママの思い出話が聞きたいの?」
    「さてシェリー、何から話そうか。二人で協力して、悪い奴らを懲らしめたりした話? それとも、君と桜の下で珈琲を飲んだり、運動会で二人三脚を共にしたり――」
    「話すこと沢山で迷っちゃう」
     世界が変わり、結ばれた二人。
     それからの10年は、あっという間だった。
    「屋上でお弁当食べたり、文化祭で色々な店を回ったり、一緒にファッションショーした事も。ハロウィンにはダンスして――」
    「互いの肖像画を描いたり、まるで学園生活中、ずっとデートしてたかのようだった」
    「そうだね、2人の学園生活は、デートそのものだったのかも」
     手品の帽子のように、両親の思い出話はつぎつぎとあふれ出てきて。
     幼い兄妹は、ほかには? それから? そのあとは? と、忙しく問いかける。
    「それなら、やはり今日の日のことを語ろうか」
    「うん、クリスマスの思い出は欠かせないよね」
     ――ヤドリギの下でのキスも。
     ――初めてのワルツも。
     二人で何度も過ごした、学園でのクリスマス。
     今なお、胸の奥で輝き続けている恋物語だ。
     聞き手となった兄妹の心はどこまでも弾み、天使のごとく舞いあがるようで。
     はしゃぐ子どもたちに見えぬよう、二人はそっと、手を繋ぐ。
     かつてのように、秘めやかに触れあう指先。
     そっと絡めれば、胸の奥に、あたたかな灯がともって。
    「詩織も、パパの笑顔は素敵だって」
    「…おや、シリウスにも。お父さんいい笑顔だと言われたよ」
     「そうだろう」と穏やかに語る七狼を見やり、シェリーが頷く。
    「だって、幸せなのだから」
     迷いなく告げる言葉に、破顔する。
    「ねえ、わたしも凄く幸せ。ようやく、君の笑顔が見れたもの――」

     屋上にひとり。
     朝の風が冷たく吹きすぎるなか、柚羽(d13017)は静かに、眼下を見おろしていた。
    「見下ろす景色は、私に年月を感じさせるのに。見上げる空の色は、変わらずそのままあるのですね」
     天上には、10年前と変わらぬ、青い空。
     今という、この時。
     同じ空を仰ぐ者は、どれだけ存在しているだろう。
     世界には、沢山の人がいて。
     全人類でみれば、膨大な数にのぼる。
     そのなかにあって、出会い、会話をし、気にかけたり、かけられたり。
     そうして、心をゆるしあえる者というのは。
     そんな相手に出会える確率というのは、一体、どれほどのものなのだろう。
     ――当たり前過ぎると、見えなくなる。
     その笑顔が、明日にはなくなってしまうかもしれないということ。
     そう考えれば、大事にしようと思って。
    (「ひとつひとつ、繋がった縁は、私にとってほんとうに大事なもの」)
    「ずっと、憶えていますから」
     つぶやいた、その時。
     あの日と同じように、空からいくつもの雪の結晶が降りそそいだ。
     10年前の、夜。
     ともに空をみあげた少女のことを、想い出す。
    「どんなに月日を経ても。胸の中で、ぎゅっと抱きしめていますから――」

     時間はすこし巻き戻り、昨晩のこと。
    「――おい、木嶋。おまえの携帯電話は、置き物か?」
     突然、なんの前触れもなく研究室の扉を叩いたキィン(d04461)を、一夜(dn0023)は、とてつもなく不機嫌な顔で迎えた。
     それは、事前連絡がなかったことに対する不満であり、深夜でも仕事場に居ると見抜かれた悔しさでもあり、泊まりに来た理由を包み隠さず伝える男の素直さに対してでもあり。
     極めつけは、夜通し仕事が終わらず、長椅子を乗っ取って寝入った男のそばで、徹夜仕事をしなければならなかったことも、大きかった。
     ともあれ、朝日は昇り。
    「コーヒー一杯で一宿とは。私もひとが良すぎるな」
     そう呟き、キィンお手製のコーヒーを飲み干す姿に、一応の感謝は伝える。
    「今日は」
    「一日仕事だ。夕方に一度出る。戻っても居ないぞ」
     「七湖都にも伝えておいてくれ」と、追い出されるように研究室を後にした。

     キィンは、さかな(dn0116)と会うために学園に来ていた。
     学園でのことも、その前のことも。
     彼女の全てを知っているわけではない。
     けれど、
    「受け継いで、護りたい。か」
     考え事をして一夜明かした頭は、未だ、ぼんやりとしていて。
    「キィン」
     エントランスに現れたさかなと落ちあってからも、ただただ、寄り添って歩くばかり。
     さかなの着物姿は、もうすっかり眼に馴染んでおり。
     言葉交わさずとも、彼女はそれを良しとして、学園の様子を楽しんでいるように見える。
    (「戦いのなか、こぼれ落ちて手痛いものを忘れないよう、刻みつけ続けた。オレの中の『鬼』」)
     ――手折りたくない。
     まだ、心は堂々めぐりを続けていたが。
     時おり、まっすぐに己の顔を覗きこむその肩から、長い髪が滑り落ちるのを見て。
     口を開いた。
    「七湖都」
     耳元に、先日贈った夢見草のピアスが見える。
     あの篝火の夜を。
     そば居た『闇』を忘れないという、証。
     ――きっと。そんなに意思の弱い娘ではない。
    「一番に言っときたかった。メリークリスマス」
     かつての感情とは、違う。
     人魚姫が、大事なひとを離さないようになんて理由では。
     もう、答えられない。
    「山間にある、七つの湖が有名なところがあるんだけどな。いつか行ってみないか?」
     問われて。
     血紅の瞳が、驚いたように見開かれ、立ちどまった。
    『――次はどこに行きたい?』
     あの時。
     蔵のなかで問われ、声に出そうとして、飲みこんだ言葉。
     言葉にしきれなかった想いを、今度こそ、なんとか伝えたくて。
     さかなはキィンの腕をしかと掴んで、言った。
    「いきたい」
     ――あいは、しっている。
     闇や一夜のものとは違う。
     手帳に挟みこんだ花びら。
     書きなぐりの手紙。
     髪に触れた手。
     花のように、雪のように。
     その度にふりつもった、いくつもの想い。
     キィンのそれは、『片割れ』にではない。
     『己』に向けたものだと、理解していた。
     だから。
    「キィンと。いきたい」
     魂の片割れが持っていた『欲望』は、もう、自分のもの。
     ふれたい。
     すがりたい。
     あまえたい。
     ――わたしは、きえない。
    「つれていって、キィン」
     きっと、さいごまで。
     あなたをみとどけるから――。


     この日に、学園で同窓会を。
     と企画していた4人は、待ち合わせ場所の教室に居た懐かしい顔に、思わず歓声をあげる。
    「みんなお久し振りね! 元気だった?」
     早くも涙腺がゆるむ百花(d14789)が、紅太(d21286)のナノナノ『笹さん』をむぎゅりと抱きしめて。
    「それと、メリークリスマス。二人は変わらないな」
     と、百花の夫であるエアン(d14788)が、にこやかに続ける。
    「ちょ、おいおい笹さん泣くな!」
     もらい泣きをはじめたナノナノの傍ら、紅太は夫婦の幸せオーラが眩しく、眼を細めて。
     そうして、「お前ら最近どう?」と改めて各々の顔を見やった。
     まずは、言いだしっぺの自分から。
    「オレは、どーにかこーにか小学校のセンセーしてる。愛するガキンチョどもの宿題やらプリントやらで毎日忙しいよ」
     先日は昼休憩に生徒と遊び、はしゃぎすぎて教頭に怒られたらしい。
    「ムードメーカーなのは、そのままだね」
    「充実してそうで何よりだ」
     楽しいクラスなんだろうなと、大和(d20182)が笹さんの頬をもちもちといじって。
    「俺は、地元で働いてる」
     イベントの企画や運営を手掛け、次は新潟選りすぐりのラーメンフェスを主催するという。
    「今度、皆で新潟に押し掛けたいな」
    「特産物ねだりにいくわ。魚介とか酒とか!」
     エアンと紅太の声に、
    「おー、来い来い。美味い海鮮と日本酒の店もあるし、連れてくぞ」
     それから、報告事はもうひとつ。
     と、ひと呼吸置いて。
    「近々、彼女にプロポーズしようか、と。来月が誕生日でね、そのときに」
     この話題には、百花の涙も吹き飛び、瞳を輝かせた。
    「時吉さん、結婚するの? お式はいつ? ぜったい呼んでね!」
    「上手くいく事を応援しているよ」
     先輩夫婦がエールを送れば。
    「さんきゅ、頑張る。OKなら、来年の秋頃かな」
     その応答を聞いて、エアンは言った。
    「……大和はなんだか、落ち着きが増した気がするな」
    「そうか? 世帯持ちのエアンには負ける」
     「エアンたちの子、今何歳だっけ」と問えば、
    「6歳と4歳になったよ」
    「子供達は元気いっぱいよ?」
     元気というか、賑やかで……、と続けたエアンの声は、
    「二人に似て可愛いな」
     嬉しそうに写メを見せる妻の声に、すっかりかき消された。
     ――かつての教室での日々に、時間が戻ったような感覚。
    「…やっぱりいいな、この感じ」
    「昔みたいだな」
    「一瞬にして時間を遡る気がする!」
    「昔と変わらないダチといると、あの時の気持ちがすぐに思い出せる気がすんだよな」
     エアンの呟きに、大和、百花、紅太も、即座に同意。
    「いつまでもこんな感じだろうと思うし、そうであればいいと思う」
    「こういうのが、幸せってやつなのかもな」
     しみじみとした大和の言葉に、紅太も頷いて。
     大好きな仲間たちとのこれからを想い、百花は弾む声で、一同に笑顔を向けた。
    「これから10年先も、20年先もよろしくです!」
     今までも、これからも。
     この関係が続いていきますように――。

     久々の学園。
     景色をのんびり眺めようと、京(d02355)は中庭を訪れていた。
     時おり、ひとの声はゆきすぎるものの。
     多くはグラウンドのイベントや校舎内が目当てで、中庭で足を止める者は、ほとんどいない。
    (「――独りが、好きだったの。昔はね」)
     だから、学生になれる気はしていなかった。
     しかし、どうやら。
     灼滅者というものは、己の性に合っていたらしい。
    (「卒業もしたというのに。結局今でも、灼滅者のままだもの」)
     あれから、世界はすっかり様変わりし。
     ダークネスもかつてに比べれば、『今は昔』と、懐かしく語られるばかり。
     未だに、闇の向こう側を焦がれてやまぬものの。
     それでも、こちら側も愛おしいと思えるようになった。
     ――不思議ね。とても、不思議。
     まぶたを閉じれば、己の闇を覗きこめるような気さえしているのに。
     これからどう生きよう、なんて不安は一つもない。
    (「私はいつでも私のまま。どんな流れに身を委ねても、私が潰えることはない」)
     未来が明るくても暗くても、構いはしない。
    「だってそうでしょう。暗闇には明かりを灯して、眩しければ遮ればいい」
     それさえ知っていれば、十分と、呟いて。
     京は、まぶたを透かし届く陽光を、身体全体で受け止めながら。
    「色は雅、舞い踊り、散るは儚く繊細に――」
     遠い『学園』の喧騒のなか。
     ただ静かに、そこに在り続けた。


     世界が赤く染まる、夕刻。
     かつての記憶を胸に、さくらえ(d02131)は吉祥寺キャンパス・高校2年1組の教室に佇んでいた。
     転校して、このクラスに入ることになって。
     気がつけば、あれからもう十六年が経過してしまった。
    「当時は、すべてが怖かったな」
     闇が。
     自分自身が怖ろしく。
     ずっと否定し続け、闇堕ちた己の姿を殺す意味で始めたのが、女装だった。
     それでも、恐怖は拭えなくて――。
    「…ホント、余裕がなかったねぇ」
     今思い出しても、笑ってしまう。
     窓の外に視線を向ければ、祝祭を楽しむ学生たちが笑い交わしながら歩いていった。
     昔も今も変わらない、どこにでもある、学生の姿。
     しかしさくらえにとっては、人と接することも、始めは怖ろしいことだった。
     馴染めるようになったのは、当時のクラスメイト達のおかげだと、振りかえって今、改めて思う。
    「色々ありすぎるくらいあったけど。この教室の仲間が、学園の皆がいなかったら、今の僕はなかった」
     ひとりごちる言葉は、教室の仲間と、学園で出会えたすべての者達へ。
    「ありがとう」
     これから先は。
     消えない罪も、闇も、覚悟も。
     すべて抱いて、歩んでいくよ――。

     夕陽のさす構内。
     先ゆく祝(d23681)の背を、翌檜(d18573)は黙って見守っていた。
     学園祭で回った廊下。
     依頼を受けた教室。
     ――学園のどこにも、居なかったこともある。
    (「まだ、此処に居るけれど。それも、何時までかはわからないから」)
    「ねえ、せんぱい」
     ふと立ち止まり、振りかえる。
    「わたしよりさきに、しなないでね」
     まぶしさに眼を細める瞳は、黄金に輝くようで。
    「お前はいっつも、そればかりだな」
     10年前から変わらない。
     置いてかれるのが怖い、繋がりを失うのが怖い、寂しがり。
     辛い癖に、寂しい癖に、怖い癖に、不幸な癖に。
     自分さえ騙しながら、笑う。
     ――だから俺は、お前の笑顔が嫌いだった。
     ――ずっと同じ時間は生きられないって、知っている。
     置いていくのは怖い、置いていかれるのは、さみしい。
     あたりまえに幸せで良いと、言ってくれた。
     特別じゃない、あたりまえの、たいせつなひと。
    「先輩に幸せになって欲しいのに。手放せないのは、――愛情は、呪いみたいだ」
     翌檜はその言葉に、またいつもの諦めをみた気がして。
    「知るかよ馬鹿」
     告げた翌檜の言葉に、祝が弾けたように、顔をあげる。
    「俺がお前を置いていくんじゃない。お前がしっかりと付いて来い」
    「言うと思った」
    「人の生死を気にする前に、お前が長生きしてみせろ」
     祝は、眉を下げ、笑って。
    「生きたいな」
     ひとつくらいわがままを言っても。
     罰は、当たらないといい――。

     窓の外を見やれば、いつしか空は茜色に染まっている。
     仕事の資料として借りた本の返却に、と訪れた図書館で、紫月(d35017)は想定以上に時間を喰われてしまったと、ため息ひとつ。
     書架の前で、立ったまま広げていた本を閉じ、やむなく棚に並べ戻す。
     ふいに、書籍を集めた部屋特有の空気が、香って。
    (「懐かしい匂い。匂いは、記憶を刺激する」)
     ふわり、脳裏によぎるのは、己のこと。
     ――空白の記憶を取り戻したいと思うことが無かったのは、多分、此処に居たからだ。
     開きかけた記憶の扉がひらく感覚は、以降、一度も訪れておらず。
     自分が欠けているなど思いもしない程に、満たされていた。
     もしも、たどり着いた場所が、この学園ではなかったら。
     今とは全く違う道を歩いていたなら。
     あの記憶の扉は、ひらいていたのかもしれない。
    (「色々触れて、今の俺が在る。今の俺で幸せなんだ。だから、知らない過去は投げ棄てる」)
     振り返ったとして、なにかが変わるものでも無い。
     逆に、とらわれかねない。
     だからこそ。
     ――ちゃんと、次に繋ぐためにも。今をこなすだけだ。

     誰も居ない、茜色の空き教室。
     保(d26173)は窓辺の机に腰かけ、あたたかな夕陽を浴びていた。
     二十六となった、今でも。
     この場所に帰れば、かけがえのない青春の日々が、色鮮やかに蘇る。
    「あの頃のボクは、一生懸命、生きることを探してた。生まれた意味も、生きる意味も、わからぬまま」
     無我夢中だった。
     戦って、掴みとるものがあったから。
     ――闇を抱えて生まれた。
     ――灼滅者だから、戦うことが己の役目。
     ただ、かたくなに、そうと信じて。
    (「…けど、ほんまは、戦うのが好きやなかった」)
     陽光を受け、黄金色に輝く机上を、まぶしげに見やって。
     年月を重ねた今だからこそと、呟く。
    「…生まれた意味は、ボクの胸の中にある」
     名は『保』。
     保、という字は、よき言葉と結びつけて使われる。
     遠い昔に、そう母は言っていた。
     ――だから、ボクは守り、癒やすために。
     だれにともなく、決意を伝えるために、告げる。
    「大人になったボクは、掴みとった未来、差した光の先へ。しっかり、この道を踏みしめて、歩いていこう」
     声に出したからだろうか。
     すっと、胸のすくような感覚。
     保は、そっと紅光に微笑みかけて。
     思い出と過去に赤い花を贈り、教室を立ち去った。

     研究室の一夜に手土産を渡した後。
     供助(d03292)は、校門前で藤乃(d03430)と待ち合わせていた。
     互いに、なかなか日本に落ちつけない日々。
     帰国が重なるのは、久々のことで。
     藤乃は出国の予定をキャンセルし、今日の待ち合わせに駆け付けるという。
     今は、要人警護に関わる身の上。
     祝祭はすっかり他人事で。
    (「仕事片付けたままに来ちまったが、妙に落ち着かねえ」)
     賑やかな学園の様子を肩越しに見やり、彼のひとを想う。
     なんと形容したものだろう。
     ここで出会った彼女は、かつて手のかかる妹分であったし。
     未だ、思考回路は難しい。
    (「でも――」)

     同じころ。
     藤乃は学園への道を急ぎながら、スマートフォンを固く握り締めていた。
     近づくほどに、想い出す。
     通い慣れた道。
     あの頃は、待ちあわせなど必要ないほど近くに居た。
     その事実に、昔と今の距離を、否応なく突きつけられる。
     この10年。
     間を空けながらも、メールでの連絡が途切れたことはなかったけれど。
     会って話すなど、思いも寄らぬまま来てしまった。
    (「いつも、いつでも。幸せであれと願ってる」)
     ――願うばかりを許してくれた、優しい人。

     供助が空を見やれば、舞う雪が鼻先に触れて。
     眉根を寄せると同時に、道の奥から歩き来る、懐かしい姿に気づいた。
     変わらぬ様子に、笑みがこぼれる。
    「綺麗になったな、お嬢さん」
     懐かしい顔と声音に、藤乃も表情をほころばせて。
    「開口一番がからかいだなんて、口が上手になりましたこと」
     続けて長年の不義理を詫びれば、供助は昔のままに笑い飛ばした。
    「馬鹿だな。お前との距離なんか、地球儀で言えば数センチだ」
     何処にいようと、元気でいるなら悪くはない。
     そういう子がいるのは、幸いだろう、と。
     ――彼が、笑顔であれば。
     ――それが幸せなのだと。
     言い聞かせるように唱え続けてきた想いが、じわり、胸を衝く。
    「良ければ、暖かい飯と一杯、ご一緒しませんか?」
     忌憚のない誘いは、素直に嬉しくて。
    「ありがたく、お受けさせて頂きます」
     今はただ、並んで歩こうかと。
     二人、雪の道を歩きだす。


     夜の帳がおり、寒空に雪の結晶が舞い落ちるころ。
    (「見知った顔もみかけた。割といるんだよね。ちょっと笑う」)
     日中、ゴーストのごとく学園内を彷徨い歩いた民子(d03829)は、最後に記憶に残る教室を訪れていた。
     そこは、いつかの後夜祭で過ごした場所。
     彼女にとっては、今日という日は、節目でもなんでもなくて。
    「この場所を離れてどれくらい経っただろう。なんでここにいるんだろう。――なんつって」
     ひとりごとは、そこで終わるはずだった。
     しかし。
    「おまえ!! 澤村……!」
     ふいに聞こえた声に振り返れば、馴染みの顔――一夜が佇んでいた。
     聞けば、人探しの途中で姿を見かけ、思わず教室に飛びこんだらしい。
    「いつ戻った。ロンドンに店を出したと聞いたぞ」
    「あたしにだって、道を見失う時がある」
     ふいに告げられた言葉に、一夜は勢いを落として。
    「後悔だって実はある。そういう時は帰ってくるの。あの日、一夜に言われた言葉を思い出すために」
    「言葉? ああ――」
     ――空も心も、うつろうものだ。
    「そんな言葉を、まだ覚えていたのか」
     呆れたように告げる男に、民子は笑い返した。
    「いつも送り出してくれたあの感じ。目の前が開ける感じして、好きでさ」
     余裕を出してとりだした煙草の箱を、一夜が「教室はだめだ」と取りあげる。
    「やっぱ、怒られっか」
     案の定の反応も、民子にはなんだか懐かしくて。
    「なら、屋上行こう。イルミネーション眺めたい。今日なら出店も出てるだろうし」
     立ちあがり、意気揚々と廊下をめざす民子が、振り返る。
    「あの時みたいにさ。子供みたいな色のソーダ、奢ってあげる」
    「おい。ちょっと待て!」
     ――まったく。あの頃と、少しも変わらない。
     一夜はそう笑みを浮かべながら、悠々と歩く民子の背中を、追いかけた。

     雪のちらつく屋上では、夜霧(d03143)とサーニャ(d14915)が、学園を彩るイルミネーションを見ながら想い出話に花を咲かせていた。
     今や世界をまたにかける貿易商となったサーニャは、クリスマスに向けての大仕事がようやくひと段落。
     これからしばらくの間は、心から羽根を伸ばすことができる。
    「ここから見る景色は変わらないな」
    「本当。学生時代が懐かしくなる」
    (「10年を経て、嫁さんも美少女から美人になったもんだが――」)
     夜霧は、そんなサーニャにも、いまだ少女期の頃の愛らしさを感じ、ホッと息をつく。
     サーニャが世界を飛び回る中、こうして行事ごとに会うことはできている。
     時には、夜霧も同じ国へ飛んで行き、異国デートを行うことも珍しくはない。
     とはいえ。
    「俺も、もう良い歳だ」
     そう、前置いて。
     傍にたつサーニャに向き直り、告げる。
    「そろそろ、サーニャの方が俺を待つ番じゃないか? 誕生日には、きちんとケーキでも買って帰るから」
     今年のサンタクロースは、ずいぶんとプレゼントを奮発したのだとサーニャは思った。
     思考は平静なようであって、その実、驚いていて。
     そして、納得する気持ちもある。
    「……なるほど」
     ――思えば、一人にひとつは、私には少し広すぎた。
     手を繋いで、二人でひとつを分けあえる。
     それがきっと、二人の丁度いい距離、なのかもしれない。
    「これからは、腰据えて、一緒にいよう」
     言葉とともに、サーニャの手袋を外して。
     左手の薬指へと、改めて口付けを落とす。
    「ありがと、すっごく、すごく、嬉しい……。これからよろしくね、夜霧殿」
     未来へ、進もう。
     君と手を繋げば、きっと、私は逸れないから――。

    「うわ、懐かし」
    「十年って思いの外、あっという間だったわねぇ」
     優奈(d02148)と暁(d03770)の二人は、手を繋ぎ、夜の学園を懐かしく並び歩く。
     かつて歩いた場所。
     何度も通った場所。
     変わったことと言えば、互いが生涯の伴侶になったことくらいで。
     十年経っても、暁は絵を描き、互いに手を離すまいと想いあっている。
     かつて感じた祝祭の空気さえも、今は懐かしくて。
    「此処があったから、アタシ達出会えたのよね。縁は奇跡みたいだわ」
    「奇跡――」
     優奈は、暁の言葉に頷いて、
    「あたしも。ここで暁と出会えたのは奇跡だと思う。神様と暁に感謝してる」
    「だから此処に来ちゃったのかしら」
     そう告げ、暁は握り締めた手に力をこめ、身体を寄せた。
     指先を通して触れあう体温は、互いにとけあい、ひとつになるよう。
     互いの鼓動を感じあいながら。
     次々と去来する思い出を振り返り、優奈は言った。
    「憎しみから生きる事にしがみつき、辿り着いた場所だけど。今までも、これからも、ずっと大切な場所」
     暁も頷き、続ける。
    「犯した罪は消えないけど。でも、この特等席なら。アタシはアタシで居られる」
     繋いだ手をそのままに、暁は改めて、優奈に向かいあった。
    「――暁の帰る場所は、還る場所は、アンタよ優奈」
     告げられた言葉は、溶けていく雪のように、胸に染みわたって。
     優奈は、見おろす暁の紫の瞳を見つめながら、言った。
    「あたしも。あたしの全て、永遠は暁だよ――」

    (「君の事を考えるときは、いつも夜だなっ」)
     千巻(d00396)はそう胸中でつぶやき、研究室の扉の前を行ったり来たり。
     部屋の主に会うべく、こうしてやってきたのだが。
    (「どうしよう。仕事中かな、迷惑かも。差し入れだけ置いて帰った方がいいのかも」)
     10年前。
     空き教室で事件の予知を行っていたエクスブレインは、今もエクスブレインとして、サイキックアブソーバーの研究のかたわら、ダークネス事件への関与を続けている。
     ――貴方は私の恩人で、憧れで、仲間で。そして、かけがえのない人。
     彼を束縛したくない。
     いつでも彼らしくいてほしい。
     けれど、この10年。
     抱えた想いは、今日の雪のように降り積もるばかりで。
     ――どうしたらいいか、分からない。
     ひとけのない廊下。
     夜気に凍えるつま先に、視線を落とす。
     窓の外には、学園を飾るイルミネーションが遠く見えるけれど。
     ここは静かで、だれもいない。
    (「私、なにやってるんだろう」)
     一瞬、気持ちが沈みそうになる。
    「でもでも! 当たって砕けてお友達も、いいと思いますよ朝山はっ! 駄目でも一夜くんにご飯は渡せますし!!」
     己に活を入れるよう声をあげ、勇気を出して、ノックを3回。
     けれど。
     いくら待っても、返る声は無くて。
    (「ああ。やっぱり」)
     肺の奥底から吐きだしたため息が、白い吐息となって消えていく。
     冷気にかじかむ指先を互いにすり合わせ、扉から離れるべく、きびすを返した時だ。
    「朝山?」
     目の前に、驚いた顔の一夜が立っていた。
     どこからか帰ってきたところらしい。
     手に提げた小さな紙袋を片手に、珍しくうろたえたように、額に手を当てて。
    「こんな所でなにを――。いや、ともかく。入れ」
     灯りも暖房もつけっぱなしで外出していたらしい。
     応接用のソファに座るよう告げ、ひざ掛け用のブランケットと、インスタントココアを手渡す。
    「味はともかく、暖まるだろう」
     カップを受けとれば、凍った指先がじんわりと融けていくよう。
     手巻は礼を告げながら、他愛ない近況報告を重ねた。
     それはまるで、己の歩んできた道と同じ様に、遠回りな会話で。
    「『無事カエル』、出番少なくなっちゃったね」
    「そうでもないぞ。ダークネス事件は、なくなったわけではないからな」
     今も事件にあたる灼滅者たちは、以前と同じように送りだしているのだと一夜が告げ。
     ふいに、二人の眼があった。
     一瞬の、沈黙。
     千巻が、手にしていたカップの持ち手をぎゅっと、握り締めて。
    「あの!」
     声がうわずる。
     でも、止めない。止まらない。
    「その…今度は。朝山が帰りを待つ…というのは、ど、どうかな…?」
     本当は、「帰る場所になって」と、言いたかった。
     けれど、ずっと待ち続けた彼に「帰る場所になって」とは、言えない。
    (「だから、せめて――」)
     一夜は、手にしていたカップをテーブルの上に置いて。
     代わりに、先ほど手にしていた紙袋から、小さな包みをとり出し、さしだした。
    「これを」
     片手でさしだされたそれを、恐る恐る、受け取って。
    「……いま開けても……いい、のかな?」
     静かに頷いた一夜が、千巻の隣に腰掛ける。
     綺麗な包みから現れたのは、手のひらサイズのビロードの小箱。
     中には、シンプルな指輪が鎮座していて。
    「君は…何でまた…!」
     言葉は、最後まで続かなくて。
     小箱を手に、ぼろぼろと涙を零す千巻を見守りながら、一夜は言った。
     それは、この10年間。
     すこしづつ降り積もり、迷い考え、ようやく伝えようと決めた言葉で。
    「もし、それを受け取ってもらえたなら。正月。お前を連れて実家に帰ろうと思っていたんだが。――どうだ?」

     はらはらと舞う、はなのように。
     音なくふりつむ、ゆきのように。
     長いようで、短かった十六年間。
     つみかさねてきた、いくつもの記憶や想い出が。
     『光へむかう物語』として、いつまでもいつまでも、在り続けますように。

     どうぞ、これから先も。
     おだやかで、さいわいな日々を――。


    作者:西東西 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年12月24日
    難度:簡単
    参加:24人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 2
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